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平島正郎 『ドビュッシー』 (大音楽家・人と作品 12)

「《ペレアス》作曲に十年をついやし、「四分休止符一つの長さを与えるにも、ちょうどボードレエルがコンマ一つを打つ場合と同じように、何週間もためらったドビュッシー」(クレール・クロワザ)」
(平島正郎 『ドビュッシー』 より)


平島正郎 
『ドビュッシー』
 
大音楽家・人と作品 12 
claude achille debussy/1862-1918


音楽之友社 
昭和41年1月28日 第1刷発行
昭和61年8月20日 第13刷発行
226p+20p 口絵(モノクロ)1葉
17.6×11.4cm 紙装 カバー
定価1,200円
装幀: 杉浦康平



本書「まえがき」より:

「〈人と作品〉のシリーズは、叙述を生涯と作品の二部に大別するきまりになっている。当然私もそのきまりにしたがったが、比率としては、生涯にはるかに多くの紙面を割くこととなった。」


本書「12 《海》」注より:

「附記すれば、ドビュッシーと印象主義、あるいは音楽上の印象主義について、筆者は最近、本書にのべたのとすこしちがう考えをもつようになった。(中略)結論の一つは、ドビュッシーを印象主義者とよぶべきではないだろう、ということである。そうよぶことによって、ドビュッシーはとかく誤解の淵に沈められてきた。すでに本書でもそうよぶのを筆者がしばしばためらっていることは、わかっていただけるのではないだろうか。(八三・五・二記)」


平島正郎 ドビュッシー 01


目次:

まえがき

生涯
 1 幼年時代
 2 クレマンティーヌとモォテ夫人
 3 ヴィルトゥオーソへの道
 4 ロシア旅行・ヴァニエ家
 5 ローマでの日々
 6 《選ばれたおとコ(le damoiseau élu》
 7 風土・影響・ヴァーグナー
 8 艶なる宴・牧神の午後
 9 《ペレアス》着手
 10 ビリティスの歌
 11 一九〇二年四月三十日
 12 《海》
 13 エンマ
 14 殉教・晩年

作品
 1 概説
 2 声楽曲
  歌曲
  重唱・合唱曲 カンタータ
 3 器楽曲
  ピアノ曲
  器楽独奏曲・室内楽曲
  バレエ曲
 4 劇場音楽
  歌劇(Drames lyriques)
 付随音楽
 年表

交友人名リスト
作品表



平島正郎 ドビュッシー 02



◆本書より◆


「1 幼年時代」より:

「ドビュッシーは、小学校に行かせてもらえず、扱いにくい弟以外にろくな遊び友だちもなくて、ただでさえ孤独が生来の気質の内向性に拍車をかけていたと思われる。」
「何かが救いにならなかったら、並外れて感受性が鋭くかつ繊細な彼は、いったいどうなっていたことだろう。幸い、彼は、たまたま音楽と出会ったばかりだった。彼の自己にこもって閉ざされがちな殻に、外へ自我の通う口をのこしたのは、その音楽であった。」



「2 クレマンティーヌとモォテ夫人」より:

「彼の内面的な性格については前にすこし触れたが、カンヌでも彼は、妹アデールの思い出によれば、時として彼女のおもちゃの紙芝居に熱中することがあっても、たいてい日がないちにち椅子にすわり、何を考えているのか誰も知らない夢想にふけって、時を過ごしていたそうである。」


「3 ヴィルトゥオーソへの道」より:

「コンクールに成功し一等賞(プルミエ・プリ)となっていたら、果たしてドビュッシーは、名声高きヴィルトゥオーソになっただろうか。それはきわめて疑わしい。後に彼は、経済的な必要から、ピアニストとして、あるいは指揮者として、たまにステージに立つ機会があったが、その際公衆の面前に自分をさらすのが、鋭敏すぎる感受性をもった彼の内向的な気質には、とても堪えがたく嫌であったらしい。」


「4 ロシア旅行・ヴァニエ家」より:

「ギローの評価がだんだんきびしくなってゆくのは、彼のアカデミックな立場に追随することを、ドビュッシーが、次第に強く拒否するようになったおかげでは、なかったろうか。すでにデュランの和声法を学んでいたころから、ドビュッシーが既存の公式に安閑とよりかかっていられなかったのは、前に見たとおりである。ギローの生徒になってからも、たとえばこんな逸話がある。
 ……一八八三年のある冬の日、ギローがいつものように(授業に)遅れて姿を見せずにいると、ドビュッシーは、教室のピアノに向かってそれをならしはじめた。ポアッソニエールの通りを走る、乗合馬車のがらがらいう音を、真似してみせたのである。長くて奇妙な即興演奏だった。その半音階的(クロマティック)な悲鳴のごとき音に、級友やほかの教室からのぞきにきた幾人かは、冷やかし半分の耳を傾けた。「驚いておいでの諸君!」と彼は叫んだ。「君たちは和音を聴くのに、身分証明や貨物運送状を調べなくちゃ、聴けませんか? どこから来たね? どこへゆく? そんなことを知る必要があるでしょうか。お聴きなさい。それで十分さ。でももしなんにもきこえないんだったら、気味たち、院長殿のところに言いつけにゆくんですな。ぼくが君たちの耳を台なしにしたって……」。こういった演説をぶつものだから、彼は、変り者とか、もっと悪いことに、憂うべき宣伝者(プロパガトゥール)とか、そんな評判をとってしまった。本部書記の厳格なエミール・レティなど、彼の耳を赤くなるほど殴って、こうした生徒にギローがなにがしかの評価を与え得るということに、おどろいたものだ。彼はある日クロードを、バザン嘲弄の現行犯でとっつかまえて、尋問した。「では君は、不協和音が協和音に解決なんかしなくていい、と主張するんだな? それならいったい、君のモノサシはなんだね?」
 「私の喜び(モン・プレージール)です!」
 「どんな喜びが不協和音から見つけ出せるというんだな?」
 「今日の不協和音は、明日の協和音ですよ!」
 レティは、腹立ちのあまり青ざめて、尋問をうちきってしまった。
     (モーリス・エマニュエル《ペレアスとメリザンド》より)
 これらの逸話は、すでに後の作曲家ドビュッシーの面目すら、十分うかがわせるものといっていい。それは、公式をうまくのみこんであやつりさえすれば、自分が不在なままでもすべてことが足りると考えるような、ある種のアカデミズムの不毛さを、するどく衝いたものだ。そして自分の「耳」を究極のよりどころとして、常にまず音と自分とのかかわりあいを確かめてかかれ、というのである。それで納得がゆけば、協和音と不協和音の形式上の区別をやかましく問うような作曲教科書の規則なぞ、無視したってかまわない、というのである。」



「5 ローマでの日々」より:

「元来、ドビュッシーは、人見知りするたちというか、押しつけられる新しい対人関係には気後れするほうだったらしい。」


「6 《選ばれたおとコ(le damoiseau élu》」より:

「彼はますます熱心に本を読んだ。シェイクスピア、ヴェルレーヌ、ポー、ヴィリエ・ド・リィラダン、シェレー、スインバーン、ユイスマンス。マラルメの「牧神の午後」。」

「詩人のレニエは、当時を回想して、こう書いた。
  一八九〇年、ショッセ・ダンタン九番地に、一軒の狭い店があった。店の飾り窓は、道ゆくひとに、本をならべて見せていた。本は、絵や版画を連れにして、並んでいた。この家の傾向は象徴派だと、疑うべくもないほどに、その飾り窓が語っていた。(中略)はじめてドビュッシーに会ったのが、独立芸術書房だったかどうか、わからない。だが彼のことを考えると、私には、とかくそこでの彼の姿が目に浮かんでくるのだ。彼は音を殺して重たげな感じの、独特な足どりで、はいって来た。やわらかくて無頓着なあの体つきが、目に浮かぶ。あおざめて冴えぬいろの、あの顔。重い瞼の内側で黒い瞳がいきいきとしている、あの目。長い縮れ毛を垂らしてかくした、異様につきでて広いあの額。猫のような感じでいながらジプシーみたいで、火のように燃えていながら沈潜しているあの風貌。そんな彼が目に浮かぶ。(中略)彼は、本や細々した飾りものが、好きだった。しかし話は、何時も音楽に戻っていった。自分のことは、まるで言わなかった。しかし仲間には、きびしかった。ヴァンサン=ダンディとエルネスト・ショーソン以外は、ほとんど容赦しなかった。そうした会話について、私は、とくにめだつような話を何もおぼえていないが、彼は教養のある人間の話し方をした。何時も何か距離をおき、身をかわすようなふうを持ちつづけていたので、興味がそそられたものだ。私は、彼に、しょっちゅう会った。おおいに心をこめて、彼を尊敬していたが、親しい知り合いでは少しもなかった。ピエール・ルイスのような具合には、ついに彼と結ばれなかったのである。(アンリ・ド・レニエ「ドビュッシーの思い出」ルヴュー・ミュジカル一九二六年五月一日号)」



「7 風土・影響・ヴァーグナー」より:

「「ぼくは、ヴァーグナーのなかで感心していることでも、真似しようとは思いませんね。別な劇のかたちを考えているんです。言葉が表現する力のなくなったところ、そこから音楽がはじまる。いうにいわれぬもののために、音楽が作られる。影から出てきたような気配があって、そして瞬時にしてそこに戻ってしまう、そんな音楽。いつも控え目にしているひとみたいな、そんな音楽が書きたいのです」
     (モーリス・エマニュエル著「ペレアスとメリザンド」三四―三五頁)」



「13 エンマ」より:

「そんなわけで、〈イベリア〉や、これに続く管弦楽のための《映像》第三曲〈春のロンド(Rondes de Printemps)〉(一九〇八―九)、同第一曲〈ジーグ(Gigues)〉(一九〇九―一二)に見られる憂愁、あるいは《子供の領分》のさり気ないタッチの奥にすら思いがけずひそめられている、一種の翳りは、個人的な愁訴といったようなものではないのである。それは、ドビュッシーが、数年来――もしかすると物心ついて以来であったかもしれないが――否応なしにむきあわせられてきた、癒しがたい孤独、人間の生活ないし存在そのものの底に横たわる不可避な条件である寂生(ソリテュード)を、彼の無類に深刻な視覚がみつめ、とらえて表現しようとしたとき、おのずと滲み出てこざるを得なかった憂愁と、いうべきではないだろうか。」





こちらもご参照ください:

ピエール・シトロン 『バルトーク』 北沢方邦・八村美世子訳 (永遠の音楽家 8)
Th・W・アドルノ 『アルバン・ベルク』 平野嘉彦 訳 (叢書・ウニベルシタス)
『作曲家別名曲解説ライブラリー 10 ドビュッシー』


































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『作曲家別名曲解説ライブラリー 10 ドビュッシー』

「ピアノ曲を3曲書きました。曲名が気に入っています。〈塔〉、〈グラナダの夕(ゆうべ)〉、〈雨の庭〉というのです。自前で旅行をするすべがないときは、想像でうめあわせをするしかありません」
(アンドレ・メサジェにあてたドビュッシーの手紙、1903年9月3日付より)


『作曲家別
名曲解説
ライブラリー
10 
ドビュッシー』



音楽之友社 
1993年6月30日 第1刷発行
278p 
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,800円(本体2,718円)
装幀: 菊地信義



図版・譜例多数。


名曲解説ライブラリー ドビュッシー 01


名曲解説ライブラリー ドビュッシー 02


目次:

ドビュッシーの生涯と芸術 (平島正郎)

【管弦楽曲】
ドビュッシーの管弦楽曲 (平島正郎)
曲目解説
 交響組曲《春》 (塚田れい子)
 牧神の午後への前奏曲 (平島正郎)
 夜想曲――雲・祭・シレーヌ (平島正郎)
 海――管弦楽のための3つの交響的素描 (平島正郎)
 管弦楽のための映像(第3集) (菅野浩和)

【バレエ音楽】
曲目解説
 遊戯 (村井範子)
 カンマ (塚田れい子)
 おもちゃ箱――子供のためのバレエ音楽 (村井範子)

【独奏楽器と管弦楽】
曲目解説
 ピアノと管弦楽のための幻想曲 (塚田れい子)
 クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲 (村井範子)
 管弦楽とサクソフォーンのための狂詩曲 (村井範子)
 弦楽オーケストラ伴奏付き半音階ハープのための2つの舞曲(聖なる舞曲と世俗の舞曲) (塚田れい子)

【室内楽曲】
曲目解説
 弦楽四重奏曲 (真崎隆治)
 フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ (真崎隆治)
 ヴァイオリンとピアノのためのソナタ (真崎隆治)
 チェロとピアノのためのソナタ (真崎隆治)
 クラリネットとピアノのための小品 (平島正郎)
 独奏フルートのための《シランクス》 (村井範子)

【ピアノ曲】
ドビュッシーのピアノ曲 (平島正郎)
曲目解説
 2つのアラベスク (平野昭/村井範子)
 ベルガマスク組曲 (平野昭/村井範子)
 ピアノのために (村井範子)
 版画 (平島正郎)
 映像(第1集・第2集) (村井範子)
 子供の領分――ピアノだけの小さな組曲 (平島正郎)
 前奏曲集(第1巻) (平島正郎)
 前奏曲集(第2巻) (平島正郎)
 12の練習曲 (平島正郎)
 初期のピアノ小品 概説 (平島正郎) 
  マズルカ (平島正郎)
  夢想 (平島正郎)
  舞曲 (平島正郎)
  ロマンティックな円舞曲 (平島正郎)
 仮面 (村井範子)
 喜びの島 (村井範子)
 ハイドン礼賛 (塚田れい子)
 小さな黒人 (塚田れい子)
 レントよりおそく (村井範子)
 英雄的な子守歌 (平島正郎)
 小組曲――4手ピアノのための (平島正郎)
 民謡の主題によるスコットランド行進曲(4手ピアノ) (平島正郎)
 リンダラハ(2台ピアノ) (塚田れい子)
 6つの古代碑銘(4手ピアノ) (村井範子)
 白と黒で(2台ピアノ) (村井範子)

【歌劇】
曲目解説
 ペレアスとメリザンド (平島正郎)

【声楽曲】
曲目解説
 聖セバスチャンの殉教 (村井範子)
 放蕩息子 (村井範子)
 選ばれたおとめ (村井範子)
 シャルル・ドルレアンの3つの歌 (村井範子)
 歌曲 総説 (平島正郎)
 美しい夕 (村井範子)
 マンドリン (村井範子)
 忘れられた小唄 (笠羽映子)
 ボードレールの5つの詩 (平島正郎)
 2つのロマンス (平島正郎)
 3つの歌曲(ヴェルレーヌ詩) (平島正郎)
 みやびやかな宴(第1・2集) (笠羽映子)
 抒情的散文 (平島正郎)
 ビリティスの3つの歌 (平島正郎)
 フランスの3つの歌 (村井範子)
 恋人たちの散歩道 (村井範子)
 フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード (村井範子)
 ステファヌ・マラルメの3つの詩 (村井範子)
 もう家のない子供たちの降誕祭 (平島正郎)

●ドビュッシー作品リスト
●ドビュッシー略年表
●ドビュッシー関係人名リスト
●主なドビュッシー作品の日本初演
●ドビュッシーの全集CD
●主要参考文献



名曲解説ライブラリー ドビュッシー 03



◆本書より◆


「前奏曲集(第1巻)」より:

第10曲 「深い静けさのうちに(やんわりと鳴る音の海の霧のなかで) Profondément calme (Dans une brume doucement sonore)』〔註:brume は、一般に霧、とくに海上のもやを言う〕 この曲にも、音彩とその組合せ、響きの質・量の変化がもたらすものの、新しい発見をめざすドビュッシーの姿勢は明らかであり、冒頭で5度(4度)和音の連なり(譜例10A)が漸次こたえあう〈深ぶかと静かな〉響きの魅惑は、その意味でもきわだっている。この静けさが発想標語にあるとおり、それにはじまってそれに帰る根本の気分だが、f から ff へと高まる音力の昂揚(第22~41小節、譜例10C、第59~62小節)も、めざましい。こうした構想に足がかりをあたえたのが、ブルターニュに伝わったケルト族の一伝説で、それをドビュッシーはルナンの『幼児期と少年期の想い出』で読んだとのことだが、いうまでもなく曲尾に記された〈......La cathédrale engloutie〉は、その伝説に由来する動的な心象(イマージュ)をさししめすことばである。
 このことばは、〈沈める寺〉とふつう訳されているが、ただ沈んで沈みきりになっているのではない。大伽藍(カテドラル)は、イス(Ys)の住民の不信仰、あるいは王女の嫉妬、のせいで、海にのみこまれたのである(engloutir は、海などが呑み込む、という意味だ)。その大伽藍は、みせしめのために、時おり海の上に浮びあがってやがてまたのみこまれてしまう。
 音楽は、伽藍の鐘の音が、霧におおわれた海面に響いてくる時点で、はじまる(譜例10、ハ調5度音上のA・ホ上の第5旋法によるB)。霧がはれるとともに伽藍は海上に威容をあらわし、オルガンが力強く鳴り響く(譜例10C)。僧たちの聖歌もきこえてくる(中間部=すこし前よりゆっくりでなく un peu moins lent・譜例10Bの旋律ではじまる・嬰トのペダル上に第5旋法―終止音ホ、第3旋法―終止音嬰ト、嬰ト調属7ほか)。やがておどろおどろしく渦潮がまいて、ふたたび伽藍をのみこんでゆく。跡絶(とだ)えずに続く奏楽(譜例10C)は〈谺じみ〉、ほどなく渦が消えた静かな海面には、はじめと似た、しかし全く同じではない(ハ調主和音上の)鐘の音が、余韻のようにのこるだけである。作曲の日付は不詳。」





こちらもご参照ください:

青柳いづみこ 『ドビュッシーとの散歩』
『ドビュッシー音楽論集』 平島正郎 訳 (岩波文庫)














































青柳いづみこ 『ドビュッシーとの散歩』

「変ニ長調という頭がくらくらするような調性で、いつも波間に漂っているような、いや、音楽そのものがどこかで人しれず発生した波のようで、ひねもすのたりのたりしながらときどき膨れて水しぶきを飛ばし、しかしまた何ごともなかったようにくねくねとうごめく。」
(青柳いづみこ 『ドビュッシーとの散歩』 より)


青柳いづみこ 
『ドビュッシーとの散歩』
 
Promenades avec Debussy 


中央公論新社 
2012年9月10日 初版発行
214p+3p 
18×12cm
丸背紙装上製本 カバー
定価1,400円(税別)
装丁: 永井亜矢子(坂川事務所)


「初出: ヤマハ会員情報誌『音遊人(みゅーじん)』(2006年4月号~2012年9月号)連載
「4 アナカプリの丘」「17 イギリス趣味」「35 対比音のための」「36 抽象画ふうに」「37 イヴォンヌ・ルロールの肖像」「38 ゴリウォーグのケークウォーク」「39 スケッチブックから」は書き下ろし」



青柳いづみこ ドビュッシーとの散歩


帯文:

「ドビュッシーの作品を
私たち日本人が弾くと、
どこかなつかしい感じがする――

生誕150年。ドビュッシーのピアノ作品40曲に寄せて、モノ書きピアニストが綴る演奏の喜び」



目次:


1 亜麻色の髪の乙女
2 沈める寺
3 ミンストレル
4 アナカプリの丘
5 水の精――オンディーヌ
6 西風の見たもの
7 雪の上の足跡
8 パゴダ
9 スペインもの
10 デルフィの舞姫たち


11 月の光
12 雨の庭
13 五本指のための
14 グラドス・アド・パルナッスム
15 金色の魚
16 妖精はよい踊り手
17 イギリス趣味
18 グラナダの夕
19 パスピエ
20 野を渡る風


21 カノープ
22 コンクールの小品
23 ボヘミア風ダンス
24 風変わりなラヴィーヌ将軍
25 水の反映
26 しかも月は廃寺に落ちる
27 ロマンティックなワルツ
28 喜びの島
29 葉ずえを渡る鐘の音
30 アラベスク


31 音と香りは夕暮れの大気に漂う
32 八本指のための
33 帆
34 月光の降りそそぐテラス
35 対比音のための
36 抽象画ふうに
37 イヴォンヌ・ルロールの肖像
38 ゴリウォーグのケークウォーク
39 スケッチブックから
40 花火

エレジー――あとがきにかえて




◆本書より◆


「8 パゴダ」より:

「ドビュッシーは若いころ、パリの万国博覧会でジャワやカンボジアの舞台に接して、すっかり夢中になってしまった。」
「十九世紀末のパリではオリエンタリズムが流行していた。とくに絵画の世界は、中国や日本の美術を知って強い刺激を受け、新しい発展をとげた。遠近法にゆきづまりを感じていた画家たちは、広重や歌麿の版画の独創的な構図や単純化された線、平面分割法をとりいれた。」
「音楽の世界でも、同じようなことが起きた。作曲で遠近法に当たるのは、長調、短調の違いをくっきり分けたり、コードを立体的に組み立てたりする技法だが、十九世紀後半には飽和状態になってしまい、作曲家たちは新しい方法を捜していた。そのよりどころのひとつとなったのが東洋の音楽で、ドビュッシーはジャポニズムをとりいれた最初の作曲家だった。
 ドビュッシーは、短調のかわりに全音音階を使ったり、東洋ふうの五音音階を使ったり、四度を重ねたりして調性感がなるべくあいまいになるように工夫し、並列的でスタティックな音楽をつくろうとした。
 ドビュッシーの死後、メシアンやジョン・ケージ、クセナキスがこぞって東洋の旋法やリズムを作品にとりいれるようになるが、ドビュッシーはその先駆者だった。
 ドビュッシーの作品を私たち日本人が弾くと、どこかなつかしい感じがするのは、こんなところからきているのかもしれない。」



「12 雨の庭」より:

「ドビュッシーの「雨の庭」の中間部には、フランスでは誰でも知っているという童謡「もう森へ行かない」のフレーズが使われている。
 「もう森へ行かない、なぜならお天気がとても悪いから」
 作曲していて、表の通りから聞こえてきたポピュラーソングをちゃっかり曲の中に組み込んでしまったのはモーツァルトだが、ドビュッシーだって、そのあたりのお遊びはちゃんとこころえている。」



「13 五本指のための」より:

「ドビュッシーというのは希代の皮肉屋で、言っていることや書いていることをそのまま受け取ってはならないのだ。」


「24 風変わりなラヴィーヌ将軍」より:

「「風変わりな」にあたるフランス語は「エクサントリック」だが、作曲したドビュッシー自身も相当にエキセントリックな人物だったらしい。」
「周囲の証言を総合しても、内向的、人みしり、無口、うたぐり深い、傷つきやすい、冷淡、臆病、躁鬱気質……等々、どう考えてみてもお友達にしたくなるようなタイプではない。
 しかしいっぽうで、リムスキー=コルサコフ『シェーラザード』の初演後にドビュッシーと会食した作家のコレットは、すっかり音楽に魅せられた彼の様子をこんなふうに描写している。唇をぶんぶんいわせてオーボエの動機を探したり、ピアノの蓋を叩いてティンパニの効果を出したり、コントラバスのピツィカートを真似しようとしてワインの栓をガラス窓にこすりつけたり。」



「38 ゴリウォーグのケークウォーク」より:

「「ゴリウォーグ」のイントロでは、両手がユニゾンで「タラン、タッ、タッタッ」のリズムを弾き、高いところからだんだん下がっていって、最後にスフォルツァンドの和音でしめくくる。
 我が師、安川加壽子先生は、このイントロの弾き方がめちゃくちゃ上手だった。
 額の上ぐらいまで両手をふりあげ、えいやっとばかりにうちおろしながら、一気に「タラン」と弾く。黒鍵の幅は一センチくらいしかないのだが、先生は名手だから、もちろん音がはずれたりはしない。必ず命中する。
 打ちおろしたと思ったら、腕はまたはずんでおでこのあたりまではね上がっていく。

 せっかく跳ね上げたのに、弾くのは「タッ」の部分だけ。
 もったいないなと思っていると、腕はまた跳ね上がって「タッタッ」と打ち下ろす。

 これがくり返される。
 最後の和音がまた、すごい。両腕を、ちょうどバレーボールのサーヴのような形にそろえてバサッと叩きつける。
 ケークウォークはジャズの前身だから、シンコペーションのリズムにも遊びがなければならない。腕を振り上げて打ち下ろすと、そのぶん自然の間合いができる。それが、ケークウォークのリズムの遊びにぴったりなのだ、と安川先生はおっしゃっていた。」



「39 スケッチブックから」より:

「私自身、ドビュッシーを弾くときは特別な感覚がある。モーツァルト、ベートーヴェンやショパン、シューマン、ラヴェル……など、他の作曲家の作品を弾くときに比べるとずっと意識的ではない、意識的ではないほうがうまくいくというか。
 自分の磁場をなるべくしなやかに、どんなものにも対応するようにするする拡げておくと、そこにドビュッシーの音楽がいつのまにか忍びこんできてくれる。そして、一緒になってのびひろがってくれる。
 だからやっぱり、降霊するという感じなのだろうか。
 そんなエクトプラズム感が一番よくあらわれていると思うのが、中期の小品『スケッチブックから』である。
 変ニ長調という頭がくらくらするような調性で、いつも波間に漂っているような、いや、音楽そのものがどこかで人しれず発生した波のようで、ひねもすのたりのたりしながらときどき膨れて水しぶきを飛ばし、しかしまた何ごともなかったようにくねくねとうごめく。」





こちらもご参照ください:

ジャン=ジョエル・バルビエ 『サティとピアノで』 相良憲昭 訳
青柳いづみこ 『ドビュッシー ― 想念のエクトプラズム』 (中公文庫)
ロオトレアモン 『マルドロオルの歌』 青柳瑞穂 訳 (講談社文芸文庫)
『江戸川乱歩全集 第7巻 黄金仮面』










































青柳いづみこ 『ドビュッシー ― 想念のエクトプラズム』 (中公文庫)

「クロード・ドビュッシーの世界は、不思議な光に包まれている。明るいのにほの暗く、もやもやしているのに透明で、柔らかいのに鋭く、優しいのに意地悪で、静かなのに激しく、冷たいのに熱く、漂っているようなのに深い。ちょうど、霊媒の口から吐き出されるエクトプラズムのように。」
「彼の《海》を聴くとき、聴衆は、対岸に立って客観的に海を眺めるかわりに、自身が海の中にいる。太古の海、人間がこの世に生まれ出る前に浸っていた羊水の記憶、性の海。」

(青柳いづみこ 『ドビュッシー ― 想念のエクトプラズム』 より)


青柳いづみこ 
『ドビュッシー
― 想念の
エクトプラズム』
 
中公文庫 あ-64-1 


中央公論新社 
2008年3月25日 初版発行
407p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価1,143円+税 
カバーデザイン: 間村俊一
カバー写真: ピエール・ルイス撮影のドビュッシー


「『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』 一九九七年三月 東京書籍刊」



図版(モノクロ)119点。


青柳いづみこ ドビュッシー


カバー裏文:

「神秘思想・同性愛・二重人格・近親相姦・オカルティズム……。印象主義という仮面の下に覗くデカダンスの黒い影。従来のドビュッシー観を覆し、その悪魔的な素顔に斬り込んだ、一線のピアニストによる画期的評伝。」



目次:

はじめに

 発端 ニコレ街

第I章 一八七一年秋
 1 普仏戦争
 2 パリ包囲
 3 パリ・コミューン
 4 再び、ニコレ街
 5 ピアノのけいこ
 6 背徳的環境

第II章 ヴァニエ夫人と艶なる宴
 1 ピアノの神童
 2 バンヴィル発見
 3 シュノンソー城と貴族趣味
 4 ロシア旅行
 5 ヴァニエ夫人
 6 《艶なる宴》

第III章 「黒猫」
 1 黒いピエロ
 2 ヴェルレーヌ再発見
 3 神秘な本能

第IV章 一八八四年春――デカダン元年
 1 『さかしま』と『呪われた詩人たち』
 2 指導者世代と世紀末世代
 3 ローマ留学
 4 ローマ時代の読書

第V章 レッテルとしての印象主義
 1 つれなき美女
 2 あなたのお好きな画家は?
 3 レッテルとしての印象主義
 4 映像のテーマ

第VI章 悪い冒険
 1 独立芸術書房とオカルティズム
 2 悪い冒険 
 3 《ロドリーグとシメーヌ》
 4 ジャック・ヴァントラス

第VII章 《牧神の午後への前奏曲》
 1 一八九三年五月
 2 上流社会のサロン
 3 イヴォンヌとカトリーヌ
 4 《牧神の午後への前奏曲》

第VIII章 《ペレアスとメリザンド》
 1 ピエール・ルイス
 2 《ペレアスとメリザンド》
 3 友情模様
 4 《ペレアス》上演への試み

第IX章 ピエール・ルイスとルネ・ペテール
 1 《サンドルリューヌ》
 2 ビリティスの歌
 3 清純さのエロティシズム
 4 柳の木立ち
 5 『芸術家連盟』
 6 『エステルと精神病者の家』

第X章 リヒャルト・シュトラウスとロマン・ロラン
 1 オルフェ/アンフィオン
 2 リヒャルト・シュトラウスとロマン・ロラン
 3 文学的真実と音楽的真実

 世紀末の終焉

第XI章 ポーにもとづくオペラ
 1 世紀末とポー
 2 《鐘楼の悪魔》
 3 《アッシャー家の崩壊》
 4 ドビュッシー家の崩壊

第XII章 ドビュッシーの二律背反
 1 死の翼が近づいてくる……
 2 アッシャー言語
 3 ドビュッシーの二律背反

第XIII章 色彩の選択
 1 光と闇
 2 色彩の修正
 3 倒錯した性愛
 4 悪魔の選択

第XIV章 ジキルとハイドのドビュッシー
 1 解釈者としてのドビュッシー
 2 現象としての印象派状態
 3 エクトプラズム
 4 メビウスの輪

補章 ドビュッシーとオカルティズム
 1 レンヌ・ル・シャトーの謎
 2 正午の鐘
 3 オカルティストたちからの依頼
 4 スコーピオとサギタリウス
 5 数秘術・バラ

あとがき
文庫版に寄せて

ドビュッシー未完成・作品化計画リスト
参考文献一覧

希望のドビュッシー (池上俊一)

人名索引




◆本書より◆


第II章より:

「マリー=ブランシュ・ヴァニエは、公共土木事業者の役人の妻で、(中略)ドビュッシーの庇護者になった夫妻は、コンスタンティノープル街二八番地のアパルトマンの一室を仕事部屋に提供し、以降ドビュッシーは、夫妻のもとにいりびたりになる。
 「一八歳のドビュッシーは、ひげのない大柄な少年で、額にぴったりなでつけた巻き毛の黒い密生した髪が印象的だった。(中略)猜疑心が強く、激しやすく、極度に感受性の強い彼は、ほんのささいなことで上機嫌になったり、また、ふてくされたりぷりぷり怒ったりした。非社交的だった彼は、両親が別の人間を家に招くことをひどく嫌った。何故なら、知らない人間とともにいることが耐えられないので、そういうときは家に来られなかったからだ。偶然そういうことになっても、幸い来客が彼の気に入ると、彼は愛想がよくなり、ワーグナーを弾き歌い、現代作曲家たちの真似をしてみせた。しかし、気に入らない人物がいると、彼ははっきりと態度に表した。要するに、変わり者でちょっと粗野なところもあったが、心を許す人々の間では大変魅力的な人物だった」(マルグリット・ヴァニエ『一八歳のドビュッシー』)」



第IV章より:

「ドビュッシーの生涯にわたる「帰りたい病」は、ランボーの「出発病」と奇妙な対照をなしている。後年、生活費稼ぎのために自作の指揮者として演奏旅行に出ることが多かった彼は、家族に書き送る手紙の中で、いつも「早く帰りたい」を連発している。
 たとえば一九一三年冬のロシア旅行の際には、一六日間の旅の間に一六本の電報、八通の手紙、三枚の絵はがきが書かれ、行きも帰りも停車する駅ごとに電報が打たれ、いかにも家族が恋しくてたまらないかの様子である。しかし、これが「完全なる夫婦愛」などという感動的な話だけでは片づけられないことは、その年の夏、ドビュッシーが家庭内のごたごたに悩み、手紙の中で自殺を口にしていたことからもわかる。」



第V章より:

「作曲家の思惑に反して、ドビュッシー=印象主義者のレッテルは、一九〇一年一〇月、管弦楽のための《夜想曲》が全曲初演されることには、すっかり定着してしまう。」
「たしかに、色彩や光を音の響き、線や輪郭を旋律、構図を構成……などと置き換えれば、現象面ではドビュッシー音楽を印象派の絵画と関連させて論じることは可能だろう。すでに音楽院時代から、平行和音や「玉虫色」に輝くアルペジオやトリルを駆使して即興演奏を行っていたドビュッシーは、従来の和声に支えられた旋律という形をとらず、複調のパッセージをペダルでまぜあわせたり、平行移動する和音塊そのものや、全音音階や各種旋法を音素材として扱うことによって、好んで機能和声感や調性感を曖昧にした。形式的にも、明確な遠近法を嫌って画面を平面分割した印象派の画家たちと同じように、第一主題と第二主題の明確な対比やその有機的な展開・再現を極力避けた。この点で彼は、印象派の画家たちがなしたのと同じ種類の革命を、作曲技法上にもたらしたといえる。
 しかし、技法上の類似と美学的な意味は違う。少なくとも美学的には、ドビュッシーは印象派の影響を何も受けていない。すでに前の章で検討した通り、一八八四年に『さかしま』が出版されて以来、ドビュッシーがその美学をともにする象徴派やデカダン派の文人たちにとって画家といったら、モローやルドン、イギリス唯美派のホイッスラーやラファエロ前派のことだった。」



第VIII章より:

「「私は群衆を憎んでいるし、普通選挙や三色国旗に対する美辞麗句が大嫌いです。」」


第IX章より:

「文学者と音楽家の間に友情が生まれれば、いっぽうの台詞にいっぽうが音楽をつけ、共同で作品をつくろうと考える方が、むしろ自然である。ドビュッシーとピエール・ルイスの間にも、七年間に九点もの共同制作の計画があったが、歌曲集《ビリティスの歌》と、同じく『ビリティスの歌』にもとづく朗読とパントマイムのための音楽を除いては、すべて実現しなかった。」
「ドビュッシーには、共同制作者たちの書く台本に注文ばかりつけ、何度も書きなおさせたあげく、自分の方はただの一音符も書かないで放棄してしまうという悪い癖があったが、このケースはそのはじまりといえよう。」



第IX章より:

「《サンドルリューヌ》の計画のとき、あまりにシナリオに文句をつけるので、ルイスに「自分で書け」といわれたドビュッシーは、音と言葉のかかわり方についてことのほか注文が多く、共同制作者たちをさんざん困らせた。」

「実のところドビュッシーは、先天的にその境遇に似合わぬ貴族趣味を持ち、(中略)上流社会の女性を追いかけまわし、富裕な銀行家夫人と駆け落ちするために、苦労をともにした平民階級の女性を捨てた。そのくせ、形と中身がちぐはぐなブルジョワ生活がはじまると、とたんにボヘミアン時代がなつかしくなって、愚痴をこぼす。」

「ドビュッシーは、ラフォルグの影響でハムレットを生涯にわたって愛したが、そのラフォルグがハムレットを自己の分身とみたように、ドビュッシーにも、ロデリック(引用者注: ポー「アッシャー家の崩壊」の主人公)と自分との区別がつかなくなってしまうときがあった。ドビュッシーにとってロデリックとハムレットは、「神経症」という世紀末特有のイメージの下に合体していたのである。
 一八九八年七月一四日、アルトマン宛ての手紙には、「あの優雅な神経衰弱患者のハムレット王子」という一節が出てくる。ドビュッシーは、ロデリック・アッシャーについてもしばしば同様の表現を使っていた。」
「ユーゴーの『クロムウェル』序文によって、ようやくフランスに市民権を得たシェイクスピア、『ハムレットと二人の墓掘り』や一連の石版画によって、うら若く、腺病質なハムレットのイメージを定着させたドラクロワ、ドラクロワとポーを紹介し、ともに流行させたボードレール、ハムレット像とポーの二重性や鏡のテーマがみえかくれする未完の長詩『イジチュール』を書いたマラルメ、『伝説的教訓劇』の中で、ハムレットとピエロのイメージをドッキングさせてしまったラフォルグ。
 ロマン派からはじまって世紀末に至る美学の流れが、ドビュッシーの書いた、このたった一行に凝縮された感がある。」



第X章より:

「文学青年だったドビュッシーは、テキストの深い読みには自信があった。
 「このところ、彼女(メリザンド)をつくりあげている“無”を追いかけることで日々が過ぎていきます。(中略)今いちばん私を手こずらせているのは、アルケルです。彼は墓の彼方にいるような人間で、その利害関係のない、もうすぐ消え去っていく人間の持つ予言者のような優しさを、全部ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ドで表現しなければならないのです。何というメチエ(専門とする職業の意)でしょう!」(一八九四年初め、ショーソンへの手紙)」



「世紀末の終焉」より:

「一八六二年に生まれ、一九一八年に没したドビュッシーの作曲活動は、世紀末と二〇世紀初頭の双方にまたがっている。しかしドビュッシーは、気質的にも仕事の内容でも本質的に世紀末人だった。彼は、ラフォルグが没して二九年もたってもなお、「我々のジュール」の歌った「虚無の工場」をさまよい、「神経症」に好んで侵され、ハムレットを「我々神経衰弱患者の同胞」とよび、一貫して両性具有のロザリンドに憧れつづけた。ブームが去った後も彼のオカルト熱は少しもさめなかったし、一八九〇年から企てていたポーの『アッシャー家の崩壊』の音楽化には、第一次大戦が始まってからもなおとりくみ、「アッシャー家のロデリック」を「唯一の腹心の友」として生涯を終えたのである。」


第XI章より:

「エドガー・ポーは、ドビュッシー生涯のアイドルだった。たとえば、一八八八年に親交をむすんだ友人ロベール・ゴデは、書簡集『二人の友への手紙』の序文で、若き日の作曲家が、リジイア、モレラなど、ポーの怪奇小説の霊肉分離したようなヒロイン像のとりこになっていた、と回想している。
 ドビュッシー自身も、年下の作曲家アンドレ・カプレへの手紙に、こう書いている。
 「エドガー・ポー氏は、すでに死んでしまっているにもかかわらず、私の上に、抵抗しがたい、ほとんど悲劇的な影響を及ぼしました」(一九〇九年九月二一日)」

「対比や逆説のテーマは、きわめてドビュッシー的でもあり、また、世紀末的でもある。
 「私が知っていたどの人物よりも、ドビュッシーの中には、明瞭に対比しあう二つの人格が共存していた。(中略)何度となく私は、彼があの奇妙なジキル博士に、スティーヴンスンの創造した邪悪な両義性のモデルに似たところがある、と考えたものである」
 ルネ・ペテールの回想である。(中略)サロンの女主人サン=マルソー夫人も、一八九四年三月二〇日付けの日記で、彼の中には、お互いに独立した二つの人格があるにちがいない、と書いた。ボヘミアン時代のガール・フレンド、カトリーヌ・ステーヴェンスも、こう証言している。
 「彼は、ある日ジャワ音楽が好きだという、またある日はロシア音楽だといい、またある日はまるっきり好きじゃないという。それは、彼自身のパラドックスからきていた」 この点でドビュッシーは、ボードレールの「二重人」の同胞である。「二重人」とは、その精神が、子供のころから物思いに沈んでいる人たちのことで、常に、行為と意図において、夢と現実において二重である。いっぽうは他方をそこない、いっぽうは他方を浸食する。」

「ドビュッシーが、オペラ《アッシャー家の崩壊》に着手したのは、一九〇八年六月のことである。」
「一九〇七年一〇月、どう考えても自分は家庭生活に向かないのではないか、と自問自答しはじめたドビュッシーは、一九一〇年になると、自分の家をアッシャー家になぞらえ、それでも、これまで自分が持った中ではいちばんましな家庭なのだ! と自嘲気味につぶやくことがあった。
 ドビュッシーの手紙は、駆け落ち記念日の七月前後になると不思議に暗くなる。
 「私の周囲の人々は、私が現実のものごとや人間の中ではけっして生きられないということを、少しもわかってくれません。(中略)要するに私は、思い出と後悔のうちに生きています」(一九一〇年七月八日、デュランへの手紙)」

「そのころ、ドビュッシー家の崩壊は決定的になっていた。原因は、経済問題とエンマの不安定な健康である。」

「「《アッシャー家の崩壊》は、同時に、“クロード・ドビュッシーの崩壊”になってしまいそうです。運命は、私がこの作品を完成することを許すべきです。私は、《ペレアスとメリザンド》だけをもって、未来の世代の人々に性急に判断されたくないのですから……。音楽家は、死んでしまってはいけませんね」(一九一六年八月一〇日、デュカへの手紙)」

「結局ドビュッシーは、死の前年まで《アッシャー家》のオペラ化に悪戦苦闘をつづけたが、完成には至らなかった。」



第XII章より:

「一九〇九年八月二五日には、カプレ宛てに興味深い手紙が書かれている。
 「私は、このところ《アッシャー家》の中で暮らしています。(中略)そこでは、石たちの対話を聞くという、奇妙な習慣があります。そして、家の崩壊を自然現象か何かのように、むしろ、起こらなくてはならない現象のようにして、ひたすら待っているのです」

「ドビュッシーのとらえたデカダンスは、自己消化的なデカダンス、彼が自身の内部にとりこんだデカダンスであり、それは、聴衆の方を向いていなかった。」



第XIII章より:

「ドビュッシーには、作曲するとき何種類ものヴァージョンができてしまい、「少しも終わりたがらない作品」を書く癖があった。」


補章より:

「「私の中にあるすべてのものは、衝動的で、理性では説明がつきません。私は、自分自身を制御することが全くできないのです」」




こちらもご参照ください:

青柳いづみこ 『ドビュッシーとの散歩』
吉田健一 訳 『ラフォルグ抄』
窪田般彌 『ロココと世紀末』
平島正郎 『ドビュッシー』 (大音楽家・人と作品 12)
平島正郎 訳 『ドビュッシー音楽論集』 (岩波文庫)
梯久美子 『狂うひと ― 「死の棘」の妻・島尾ミホ』



窪田般彌 ヴェルサイユの苑 ほか


















































平島正郎 訳 『ドビュッシー音楽論集』 (岩波文庫)

「セザール・フランクにあっては、不断の信仰が音楽に献げられる。そしてすべてをとるか、とらぬかだ。この世のどんな権力も、彼が正当で必要とみた楽節を中断するように命じることはできなかった。
(ドビュッシー 「セザール・フランク」 より)


平島正郎 訳 
『ドビュッシー
音楽論集』

反好事家八分音符氏
(ムッシュー・クロッシュ・アンティディレッタント) 
岩波文庫 青/33-509-1


岩波書店 
1996年1月16日 第1刷発行
324p 
文庫判 並装 カバー 
定価570円(本体553円)



本書「あとがき」より:

「本書は、クロード・ドビュッシーの Monsieur Croche Antidilettante (反好事家八分音符氏)――Gallimard, 一九二一年版――の翻訳である。
 雑誌「季刊芸術」に一九七二年秋二三号から一九七四年三〇号まで連載した拙訳であり、それらを今回まとめて一冊とし、岩波文庫より出版していただく運びとなった。」



ドビュッシー音楽論集


カバー文:

「『牧神の午後への前奏曲』、歌劇『ペレアスとメリザンド』など数多くの香気高い作品を残したドビュッシー(1862-1918)。彼はマラルメ、ルイスら象徴派詩人と親しく交わり、自らもまたすぐれた音楽評論を書いた。本書はその自選評論集で、実作者ならではのするどい見解が随所に光る。訳者の覚え書、注が加わりさらに奥行きある一冊となった。」


目次:

1 クロッシュ氏・アンティディレッタント
2 ローマ賞とサン=サーンスをめぐる対話
3 交響曲
4 ムソルクスキイ
5 ポール・デュカース氏のソナタ
6 名演奏家
7 オペラ座
8 アルトゥル・ニキシュ
9 マスネ
10 野外の音楽
11 喚起
12 ジャン・フィリップ・ラモー
13 ベートーヴェン
14 民衆劇場
15 リヒャルト・シュトラウス
16 リヒャルト・ヴァーグナー
17 ジークフリート・ヴァーグナー
18 セザール・フランク
19 忘却
20 グリーグ
21 ヴァンサン・ダンディ
22 リヒター博士
23 ベルリオーズ
24 グノー
25 公開状

訳者覚書 (平島正郎)
あとがき (平島正郎)




◆本書より◆


「クロッシュ氏・アンティディレッタント」より:

「あなたがもしそんなに熱狂をしめされたのでしたら、それはいつの日かあなたも同じ栄誉を受けたいと、ひそかにのぞんでいらっしゃったからです! 美の真実な感銘が沈黙以外の結果を生むはずがないのは、よく御存知でしょうに……? やれやれ、なんてこった! たとえばです、日没という、あのうっとりするような日々の魔法を前にして、喝采しようという気をおこされたことが、あなたには一度だってありますか?」

「専門家は好きませんな、あなた。私にとって専門にやるというのは、それだけ自分の世界をせばめることです。(中略)彼らは、一度成功したとなると、何度でもそれを執拗にくりかえすのです。そんな連中の巧妙さなんて、私にはどうでもよいことですがね。(中略)要するに私は、音楽を忘れようとやってみるんです。私が知らない音楽、というか〈明日〉知るだろう音楽を、聴くさまたげになるからね……」

「私は、批評よりも、誠実にいだかれた飾り気のない正直な印象のほうに、興味をもってます。批評というのは、〈私のようにやらぬからには、あなたは間違っている〉とか、さもなきゃ〈あなたには才能がある。私にといえばまるでない、とすれば話はこれ以上つづけられない〉といった一節(ひとふし)の輝かしい変奏に似てることが、どうもちょくちょくありすぎますな……私はね、作品をとおして、それらを生みださせたさまざまな衝動や、それらが秘めている内的な生命を見ようとするんです。」

「私は、エジプトの羊飼いの笛がひびかせるいくつかの音符のほうが、好きだな。彼らは風景にその音(ね)を合わせ、あなたがたの理論書が知らない和声を聴くんです……音楽家たちは、器用な手で書かれた音楽しかききません。自然の中に書きこまれた音楽を、決して聴かない。しかし日がしずむのを見るほうが、『田園交響曲』をきくよりももっとためになる。」

「非常に美しい構想というものは、かたちづくられつつある過程では、ばかものたちにとって滑稽に見える部分をふくんでいるのです……嘲笑(わら)いものにされているほうに、(中略)ずっとたしかな美の希望があることを、かたくお信じなさい。
 独自(ユニーク)なままでいることです……世間ずれしないでね……――周囲の熱狂は、私に言わせれば芸術家を甘やかすことさ。彼がやがて周囲の表現でしかなくなるのではないかと、私はおそれてさえいるくらいです。」
「自由のうちに、みずからを律する基準をもとめなければいけない。誰の忠告もきかぬことです。」

「何世紀ものあいだ知られずにいた、偶然がその秘密をあかすような男への感動以上に、あなたは、美しい感動を知っておいでか? ――そうした男のひとりであったこと……そこにこそ栄光にあたいする唯一の在りよう(フォルム)がある」



「セザール・フランク」より:

「フランクの天才をめぐって多くのことが語られながら、彼だけがもつユニークなもの、つまり天真爛漫(らんまん)さには、かつて触れられたためしがなかった。不幸であり不遇だったこの人は、小児のたましいをもっていた。それがなにしろ底抜けに善良だったので、いちどだろうと恨みがましい想いを抱かずに、彼は、人びとの邪悪さや事の齟齬(そご)を凝視できたくらいだった。」
「セザール・フランクにあっては、不断の信仰が音楽に献げられる。そしてすべてをとるか、とらぬかだ。この世のどんな権力も、彼が正当で必要とみた楽節を中断するように命じることはできなかった。」





こちらもご参照ください:

青柳いづみこ 『ドビュッシー ― 想念のエクトプラズム』 (中公文庫)
オルネラ・ヴォルタ 編 『エリック・サティ文集』 岩崎力 訳








































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

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