北原白秋 『トンボの眼玉』 (復刻)
「子供に還ることです。子供に還らなければ、何一つこの忝い大自然のいのちの流をほんたうにわかる筈はありません。」
「私たちはいつも子供に還りたい還りたいと思ひながらも、なかなか子供になれないので殘念です。」
「私もこれから努めます。だんだんとほんたうの子供の心に還るやうに、ほんたうの童謠を作れるやうに。」
(北原白秋 『トンボの眼玉』 「はじめに」 より)
北原白秋
『トンボの眼玉』
名著復刻 日本児童文学館 9
大正8年10月15日刊 アルス版
ほるぷ出版
昭和46年1月
152p+6p
B6判
角背紙装(背バクラム)上製本
貼函 保護函(機械函)
表紙・外装・扉: 矢部季
本文中挿絵図版(カラー)28点。
複眼の数だけ増殖して追いかけてくる恐ろしい他者、ひるさがりの気怠さに兆す殺意、永遠に降りつづける雨、故しれぬ異邦人意識、幼児誘拐曼珠沙華、赤い実をたべれば赤くなる黄泉戸喫の洗脳世界、消えることのない罪悪感のナツメ地獄、手まりの中から次次でてくる手も耳もない奇形うさうさ兎の群れ、ひとさらいの跋扈する都会の夕ぐれ。白秋の童謡はほんとうにこわいです。それとはべつに最後まで出世しない・なにもしないでねたきり状態をつらぬく物臭太郎はたいへん毅然としてすばらしいです。






目次 (挿画):
はしがき
とんぼの眼玉 (矢部季/三色版)
夕燒とんぼ (清水良雄)
八百屋さん (初山滋/三色版)
お祭 (清水良雄)
のろまのお醫者 (初山滋)
ほうほう螢 (矢部季)
鳰の浮巣 (清水良雄)
金魚 (清水良雄/三色版)
雨 (初山滋/二度刷)
赤い帽子、黑い帽子、靑い帽子、 (初山滋)
南京さん (矢部季)
曼珠沙華 (清水良雄)
ちんころ兵隊 (初山滋)
とうせんぼ (清水良雄)
りすりす小栗鼠 (二度刷)
山のあなたを (初山滋)
ねんねのお鳩 (清水良雄)
赤い鳥小鳥 (矢部季/三色版)
鳥の巣 (初山滋)
なつめ (清水良雄)
うさうさ兎 (初山滋/二度刷)
屋根の風見 (清水良雄)
かぜひき雀 (初山滋/二度刷)
あはて床屋 (清水良雄)
舌切雀 (初山滋/二度刷)
雀のお宿 (清水良雄)
物臭太郎 (清水良雄)
雉ぐるま (清水良雄)

◆本書より◆
「はしがき」より:
「この集の中でも「曼珠沙華」の一篇はその「思ひ出」の中から抜いたのでした。」
「「南京さん」「屋根の風見」の二篇も七八年前に作つたのです。その外は皆新らしいものです。
昨年から丁度折よく、お友だちの鈴木三重吉さんが、子供たちのためにあの藝術味の深い、純麗な雜誌「赤い鳥」を發行される事になりましたので私もその雜誌で童謠の方を受持つ事になつて、それでいよいよかねての本願に向つて私も進んでゆけるいい機會を得ました。
これらの童謠はおほかたその「赤い鳥」で公にされたものですが、今度改めて今までの分を一(ひと)まとめにして出版する事になりました。」
「ほんたうの童謠は何よりわかりやすい子供の言葉で、子供の心を歌ふと同時に、大人にとつても意味の深いものでなければなりません。然し乍ら、なまじ子供の心を思想的に養はうとすると、却つて惡い結果をもたらす事が多いのです。それであくまでもその感覺から子供になつて、子供の心そのままな自由な生活の上に還つて、自然を觀、人事を觀なければなりません。」
「子供に還ることです。子供に還らなければ、何一つこの忝い大自然のいのちの流をほんたうにわかる筈はありません。
「子供は大人の父だ」と申す事も、この心をまさしく云つたものに外なりません。私たちはいつも子供に還りたい還りたいと思ひながらも、なかなか子供になれないので殘念です。
私の童謠に少しでもまだ大人くさいところがあれば、それは私がまだほんたうの子供の心に還つてゐないのです。さう思ふと、子供自身の生活からおのづと言葉になつて歌ひあげねばならぬ筈の童謠を大人の私が代つて作るなどと云ふ事も私には空おそろしいやうな氣がします。然し、私たちから先づ、その子供たちのさうした歌ごころを外へ引き出してあげる事も必要だと思ひます。さういふ心で私は童謠を作つて居りますのです。
私もこれから努めます。だんだんとほんたうの子供の心に還るやうに、ほんたうの童謠を作れるやうに。」

「金魚」:
「母(かあ)さん、母(かあ)さん、
どこへ行(い)た。
紅(あアか)い金魚(きんぎよ)と遊(あそ)びませう。
母(かあ)さん、歸(かへ)らぬ、
さびしいな。
金魚(きんぎよ)を一匹(いつぴき)突(つ)き殺(ころ)す。
まだまだ、歸(かへ)らぬ、
くやしいな。
金魚(きんぎよ)を二匹(にイひき)締(し)め殺(ころ)す。
なぜなぜ、歸(かへ)らぬ、
ひもじいな。
金魚(きんぎよ)を三匹(さんびき)捻(ね)ぢ殺(ころ)す。
涙(なみだ)がこぼれる、
日(ひ)は暮(く)れる。
紅(あアか)い金魚(きんぎよ)も死(しイ)ぬ、死(し)ぬ。
母(かあ)さん怖(こは)いよ、
眼(め)が光(ひか)る、
ピカピカ、金魚(きんぎよ)の眼(め)が光(ひか)る。」

「雨」より:
「雨(あめ)がふります。雨(あめ)がふる。
遊(あそ)びにゆきたし、傘(かさ)はなし、
紅緒(べにを)の木履(かつこ)も緒(を)が切(き)れた。」
「雨(あめ)がふります。雨(あめ)がふる。
晝(ひる)もふるふる。夜(よる)もふる。
雨(あめ)がふります。雨(あめ)がふる。」

「曼珠沙華」:
「ゴンシャン、ゴンシャン、何處(どこ)へ行(ゆ)く。
赤(あか)いお墓(はか)の曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華(ひがんばな)、
けふも手折(たを)りに來(き)たわいな。
ゴンシャン、ゴンシャン、何本(なんぼん)か。
地(ち)には七本(しちほん)血(ち)のやうに、
血(ち)のやうに、
ちやうどあの兒(こ)の年(とし)の數(かず)。
ゴンシャン、ゴンシャン、氣(き)をつけな。
ひとつ摘(つ)んでも、日(ひ)は眞晝(まひる)、
日(ひ)は眞晝(まひる)、
ひとつあとからまたひらく。
ゴンシャン、ゴンシャン、何故(なし)泣(な)くろ。
何時(いつ)まで取(と)つても曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華(ひがんばな)、
恐(こは)や、赤(あか)しや、まだ七(なゝ)つ。
註 ゴンシャンは九州の柳河といふ町の言葉で、お孃さんといふことです。」

「赤い鳥小鳥」:
「赤(あか)い鳥(とり)、小鳥(ことり)、
なぜなぜ赤(あか)い。
赤(あか)い實(み)をたべた。
白(しろ)い鳥、小鳥(ことり)。
なぜなぜ白(しろ)い。
白(しろ)い實(み)をたべた。
靑(あを)い鳥、小鳥(ことり)。
なぜなぜ靑(あを)い。
靑(あを)い實(み)をたべた。」
「なつめ」より:
「棗(なアつめ)。棗(なつめ)。
赤(あアか)い棗(なつめ)。
盗(ぬす)んだ棗(なつめ)。
この棗(なつめ)どうしやう。」
「怖(こオは)い棗(なつめ)、
盗(ぬす)んだ棗(なつめ)、
お手々(てて)に入(い)れて、
袂(たもと)に入(い)れて、
歸(かへ)つて寢(ね)たら、
棗(なつめ)がぶんぶん鳴(な)り出(だ)した。」
「怖(こオは)い棗(なつめ)、
怖(こオは)い棗(なつめ)。」

「屋根の風見」より:
「子(こ)を奪(と)ろ、子(こ)奪(と)ろ、
「鴻(こう)の巣(す)」の窓(まど)に、
硝子(がらす)が光(ひか)る。
露西亞(ろしや)のサモワル、紅茶(こうちや)の湯氣(ゆげ)に、
かつかと光(ひか)る。
江戸橋(えどばし)、荒布橋(あらめばし)、
靑(あを)い燈(ひ)が點(つ)く……向(むか)うの屋根(やね)に、
株(かぶ)の風見(かざみ)がくるくるまはる。」
「鴻の巣とは西洋料理屋の名です。」
「物臭太郎」:
「物臭太郎(ものぐさたらう)は朝寢坊(あさねばう)、
お鐘(かね)が鳴(な)つても目(め)がさめぬ、
鷄(こけこ)が啼(な)いてもまだ知(し)らぬ
物臭太郎(ものぐさたらう)は家(うち)持(も)たず、
お馬(うま)が通(とほ)れど道(みち)の端(はた)、
お地頭(ぢとう)見(み)えても道(みち)の端(はた)。
物臭太郎(ものぐさたらう)はなまけもの、
お腹(なか)が空(す)いても臥(ね)てばかり、
藪蚊(やぶか)が螫(さ)しても臥(ね)てばかり。
物臭太郎(ものぐさたらう)は慾(よく)しらず。
お空(そら)の向(むか)うを見(み)てばかり、
櫻(さくら)の花(はな)を見(み)てばかり。」

「八百屋さん」。

「南京さん」。
こちらもご参照ください:
北原白秋 訳 『まざあ・ぐうす』 (角川文庫)
西條八十 『砂金』 (復刻)
武井武雄 『ラムラム王』
西岡兄妹 『西岡兄妹自選作品集 地獄』
「私たちはいつも子供に還りたい還りたいと思ひながらも、なかなか子供になれないので殘念です。」
「私もこれから努めます。だんだんとほんたうの子供の心に還るやうに、ほんたうの童謠を作れるやうに。」
(北原白秋 『トンボの眼玉』 「はじめに」 より)
北原白秋
『トンボの眼玉』
名著復刻 日本児童文学館 9
大正8年10月15日刊 アルス版
ほるぷ出版
昭和46年1月
152p+6p
B6判
角背紙装(背バクラム)上製本
貼函 保護函(機械函)
表紙・外装・扉: 矢部季
本文中挿絵図版(カラー)28点。
複眼の数だけ増殖して追いかけてくる恐ろしい他者、ひるさがりの気怠さに兆す殺意、永遠に降りつづける雨、故しれぬ異邦人意識、幼児誘拐曼珠沙華、赤い実をたべれば赤くなる黄泉戸喫の洗脳世界、消えることのない罪悪感のナツメ地獄、手まりの中から次次でてくる手も耳もない奇形うさうさ兎の群れ、ひとさらいの跋扈する都会の夕ぐれ。白秋の童謡はほんとうにこわいです。それとはべつに最後まで出世しない・なにもしないでねたきり状態をつらぬく物臭太郎はたいへん毅然としてすばらしいです。






目次 (挿画):
はしがき
とんぼの眼玉 (矢部季/三色版)
夕燒とんぼ (清水良雄)
八百屋さん (初山滋/三色版)
お祭 (清水良雄)
のろまのお醫者 (初山滋)
ほうほう螢 (矢部季)
鳰の浮巣 (清水良雄)
金魚 (清水良雄/三色版)
雨 (初山滋/二度刷)
赤い帽子、黑い帽子、靑い帽子、 (初山滋)
南京さん (矢部季)
曼珠沙華 (清水良雄)
ちんころ兵隊 (初山滋)
とうせんぼ (清水良雄)
りすりす小栗鼠 (二度刷)
山のあなたを (初山滋)
ねんねのお鳩 (清水良雄)
赤い鳥小鳥 (矢部季/三色版)
鳥の巣 (初山滋)
なつめ (清水良雄)
うさうさ兎 (初山滋/二度刷)
屋根の風見 (清水良雄)
かぜひき雀 (初山滋/二度刷)
あはて床屋 (清水良雄)
舌切雀 (初山滋/二度刷)
雀のお宿 (清水良雄)
物臭太郎 (清水良雄)
雉ぐるま (清水良雄)

◆本書より◆
「はしがき」より:
「この集の中でも「曼珠沙華」の一篇はその「思ひ出」の中から抜いたのでした。」
「「南京さん」「屋根の風見」の二篇も七八年前に作つたのです。その外は皆新らしいものです。
昨年から丁度折よく、お友だちの鈴木三重吉さんが、子供たちのためにあの藝術味の深い、純麗な雜誌「赤い鳥」を發行される事になりましたので私もその雜誌で童謠の方を受持つ事になつて、それでいよいよかねての本願に向つて私も進んでゆけるいい機會を得ました。
これらの童謠はおほかたその「赤い鳥」で公にされたものですが、今度改めて今までの分を一(ひと)まとめにして出版する事になりました。」
「ほんたうの童謠は何よりわかりやすい子供の言葉で、子供の心を歌ふと同時に、大人にとつても意味の深いものでなければなりません。然し乍ら、なまじ子供の心を思想的に養はうとすると、却つて惡い結果をもたらす事が多いのです。それであくまでもその感覺から子供になつて、子供の心そのままな自由な生活の上に還つて、自然を觀、人事を觀なければなりません。」
「子供に還ることです。子供に還らなければ、何一つこの忝い大自然のいのちの流をほんたうにわかる筈はありません。
「子供は大人の父だ」と申す事も、この心をまさしく云つたものに外なりません。私たちはいつも子供に還りたい還りたいと思ひながらも、なかなか子供になれないので殘念です。
私の童謠に少しでもまだ大人くさいところがあれば、それは私がまだほんたうの子供の心に還つてゐないのです。さう思ふと、子供自身の生活からおのづと言葉になつて歌ひあげねばならぬ筈の童謠を大人の私が代つて作るなどと云ふ事も私には空おそろしいやうな氣がします。然し、私たちから先づ、その子供たちのさうした歌ごころを外へ引き出してあげる事も必要だと思ひます。さういふ心で私は童謠を作つて居りますのです。
私もこれから努めます。だんだんとほんたうの子供の心に還るやうに、ほんたうの童謠を作れるやうに。」

「金魚」:
「母(かあ)さん、母(かあ)さん、
どこへ行(い)た。
紅(あアか)い金魚(きんぎよ)と遊(あそ)びませう。
母(かあ)さん、歸(かへ)らぬ、
さびしいな。
金魚(きんぎよ)を一匹(いつぴき)突(つ)き殺(ころ)す。
まだまだ、歸(かへ)らぬ、
くやしいな。
金魚(きんぎよ)を二匹(にイひき)締(し)め殺(ころ)す。
なぜなぜ、歸(かへ)らぬ、
ひもじいな。
金魚(きんぎよ)を三匹(さんびき)捻(ね)ぢ殺(ころ)す。
涙(なみだ)がこぼれる、
日(ひ)は暮(く)れる。
紅(あアか)い金魚(きんぎよ)も死(しイ)ぬ、死(し)ぬ。
母(かあ)さん怖(こは)いよ、
眼(め)が光(ひか)る、
ピカピカ、金魚(きんぎよ)の眼(め)が光(ひか)る。」

「雨」より:
「雨(あめ)がふります。雨(あめ)がふる。
遊(あそ)びにゆきたし、傘(かさ)はなし、
紅緒(べにを)の木履(かつこ)も緒(を)が切(き)れた。」
「雨(あめ)がふります。雨(あめ)がふる。
晝(ひる)もふるふる。夜(よる)もふる。
雨(あめ)がふります。雨(あめ)がふる。」

「曼珠沙華」:
「ゴンシャン、ゴンシャン、何處(どこ)へ行(ゆ)く。
赤(あか)いお墓(はか)の曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華(ひがんばな)、
けふも手折(たを)りに來(き)たわいな。
ゴンシャン、ゴンシャン、何本(なんぼん)か。
地(ち)には七本(しちほん)血(ち)のやうに、
血(ち)のやうに、
ちやうどあの兒(こ)の年(とし)の數(かず)。
ゴンシャン、ゴンシャン、氣(き)をつけな。
ひとつ摘(つ)んでも、日(ひ)は眞晝(まひる)、
日(ひ)は眞晝(まひる)、
ひとつあとからまたひらく。
ゴンシャン、ゴンシャン、何故(なし)泣(な)くろ。
何時(いつ)まで取(と)つても曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華(ひがんばな)、
恐(こは)や、赤(あか)しや、まだ七(なゝ)つ。
註 ゴンシャンは九州の柳河といふ町の言葉で、お孃さんといふことです。」

「赤い鳥小鳥」:
「赤(あか)い鳥(とり)、小鳥(ことり)、
なぜなぜ赤(あか)い。
赤(あか)い實(み)をたべた。
白(しろ)い鳥、小鳥(ことり)。
なぜなぜ白(しろ)い。
白(しろ)い實(み)をたべた。
靑(あを)い鳥、小鳥(ことり)。
なぜなぜ靑(あを)い。
靑(あを)い實(み)をたべた。」
「なつめ」より:
「棗(なアつめ)。棗(なつめ)。
赤(あアか)い棗(なつめ)。
盗(ぬす)んだ棗(なつめ)。
この棗(なつめ)どうしやう。」
「怖(こオは)い棗(なつめ)、
盗(ぬす)んだ棗(なつめ)、
お手々(てて)に入(い)れて、
袂(たもと)に入(い)れて、
歸(かへ)つて寢(ね)たら、
棗(なつめ)がぶんぶん鳴(な)り出(だ)した。」
「怖(こオは)い棗(なつめ)、
怖(こオは)い棗(なつめ)。」

「屋根の風見」より:
「子(こ)を奪(と)ろ、子(こ)奪(と)ろ、
「鴻(こう)の巣(す)」の窓(まど)に、
硝子(がらす)が光(ひか)る。
露西亞(ろしや)のサモワル、紅茶(こうちや)の湯氣(ゆげ)に、
かつかと光(ひか)る。
江戸橋(えどばし)、荒布橋(あらめばし)、
靑(あを)い燈(ひ)が點(つ)く……向(むか)うの屋根(やね)に、
株(かぶ)の風見(かざみ)がくるくるまはる。」
「鴻の巣とは西洋料理屋の名です。」
「物臭太郎」:
「物臭太郎(ものぐさたらう)は朝寢坊(あさねばう)、
お鐘(かね)が鳴(な)つても目(め)がさめぬ、
鷄(こけこ)が啼(な)いてもまだ知(し)らぬ
物臭太郎(ものぐさたらう)は家(うち)持(も)たず、
お馬(うま)が通(とほ)れど道(みち)の端(はた)、
お地頭(ぢとう)見(み)えても道(みち)の端(はた)。
物臭太郎(ものぐさたらう)はなまけもの、
お腹(なか)が空(す)いても臥(ね)てばかり、
藪蚊(やぶか)が螫(さ)しても臥(ね)てばかり。
物臭太郎(ものぐさたらう)は慾(よく)しらず。
お空(そら)の向(むか)うを見(み)てばかり、
櫻(さくら)の花(はな)を見(み)てばかり。」

「八百屋さん」。

「南京さん」。
こちらもご参照ください:
北原白秋 訳 『まざあ・ぐうす』 (角川文庫)
西條八十 『砂金』 (復刻)
武井武雄 『ラムラム王』
西岡兄妹 『西岡兄妹自選作品集 地獄』
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