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A・カルペンティエール 『時との戦い』 鼓直 訳 (ラテンアメリカ文学叢書)

「彼は、自分にしか分からない言葉を喋りはじめた。完全な自由を獲得した。しきりに手を伸ばして、届かぬ遠いところにある物をつかもうとするようになった。」
(カルペンティエール 「種への旅」 より)


A・カルペンティエール 
『時との戦い』 
鼓直 訳
 
ラテンアメリカ文学叢書 2 


国書刊行会
1977年7月30日 初版第1刷
129p 「同じ著者によって」1p
19.4×14.2cm 仮フランス装 筒函
定価1,800円
ドローイング: 中西夏之



本書はのちに長篇『失われた足跡』と併せて集英社「ラテンアメリカの文学 3」(1984年)に再録されています。



カルペンティエール 時との戦い 01



帯文:

「キューバのシュルレアリストにして
時間の魔術師
カルペンティエール」



帯裏:

「小説の時間、テクストの時間とは何か。
物理的、直進的時間とは別の時間が、物語には存在するはずだ。
例えば、円環的な時間、逆転する時間、並進的時間……。
もう一つの時間芸術、《時間についての目眩めく観想》とも称すべき
音楽に魅せられ、先鋭な音楽学者でもあるカルペンティエールが、
この《物語の時間形式》の可能性を極限にまで探究しつつ
人間の生の苛酷さ、運命の悲惨と卑小とを描いた
驚嘆すべき物語集。(本邦初の完訳版)」



目次:

聖ヤコブの道
種への旅
夜の如くに

〈種への旅〉のまねび (鼓直)




カルペンティエール 時との戦い 02



◆本書より◆


訳者による解説「〈種への旅〉のまねび」より:

「一九五六年――(中略)同じこの年、三つの短篇を収めた『時との戦い』(Guerra del tiempo)が出版された。(中略)「種への旅」は、一九世紀初めの植民地時代のキューバに生きたカペリャニアス侯爵家の当主、ドン・マルシアルの一生を語っている。しかし、この伝記は通常のそれのように誕生から死へと語りすすめられはしない。その逆に、(中略)死から蘇生、蘇生から誕生へと、いやその先の、母胎の「温く湿っぽい」肉のなかの種への状態へとたどられる。(中略)「夜の如くに」でも時間の形式が決定的な意味を持っている。トロイアの戦いに出征するギリシアの戦士→新大陸の征服に参加しようとするスペインの兵士→アメリカの領土の鎮圧に出発するフランスの兵隊→トロイアの戦いに出征するギリシアの戦士、という円環のなかで、各自のものであるというよりも、そうした状況に置かれたあらゆる人間が考え、感じ、希うにちがいないことが語られる。三千年にも及ぶ歴史的な時間のなかで反復されてきた人間の共同的な運命の一面が、見事な円環を構成する神話的な時間の枠のなかで描かれている。「聖ヤコブの道」(中略)でも円環的な時間の相の下で挿話は語りつがれる。(中略)イタリアからフランダースへ転戦したスペインの兵士フアンは、(中略)それまでの放縦を悔いて聖ヤコブを祀る聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅に出るが、道中で新大陸の発見と征服に夢中になった人々の熱狂に捲き込まれて、セビーリャへと道を変える。この土地でインディアス帰りのフアンという者にさまざまな奇蹟について聞かされ、新大陸への船出を決意する。しかし、この世の王国は幻滅の地にほかならず、さんざんな目に遭う。やがて母国へ戻った彼は、こんどは彼自身がインディアス帰りのフアンを名のって、別の巡礼のフアンを誘惑するという役目を果たす。(中略)このように、直線的なものではない循環する時間を枠として用いながら時代と場所の相違を超えた人間の生、運命を提示するというのが、カルペンティエールの、言うならば常套的な方法なのである。」


「聖ヤコブの道」より:

「というわけで、人々はこのサン・クリストバルの地獄で、古くなったバターの臭いがするインディオの召使いや、貂(てん)のような体臭をした黒人に囲まれながら、この世の王国で考えられるもっともみじめな生活を送っているのである。(中略)アントワープのフアンの心がはずむのは、メキシコやエスパニョーラ島から船乗りたちがやって来るときに限られていた。このときは、かつて兵士だったことを思い出し、肉屋の店先からあばら肉をかすめて来て、仲間といっしょに、アナット入りのソースかベラクルス産のとうがらしの粉を使って料理をした。また、魚屋に押し入って、鯛や海亀を籠ごとかっさらう手伝いをした。(中略)船が入港したときに太鼓を叩いたり、行列の先頭に立ったり、殉教聖者のミサでマラカスを振る混血娘らの拍子を取ったりしてえたわずかな稼ぎを、パン屋に近い、総督の縁者だという男の居宿屋で使った。(中略)ここでは服がすぐにボロボロになり、武器はさび、書類には茸が生える。腐った肉を通りのまんなかへ投げると、早速、頭のつるりとした黒い禿鷹(はげたか)が舞いおりてきて、五月三日の聖十字架の祭りのリボンによく似た腸わたを食いちぎる。入江の水面に落ちた人間は、この土地の者が鮫(さめ)と呼んでいて、首と腹の中ほどに口の開いた、ヨナの鯨にそっくりな巨大な魚に呑まれてしまう。まるい刀の鍔(つば)ほどの大きさのくも、胴まわりが一メートル半を越える蛇、さそり、そのほか無数の気味のわるい生き物が蠢いている。」


「種への旅」より:

「ある晩、酒を飲みすぎ、友人らの残していった冷えたタバコの臭いで気分の悪くなったマルシアルは、館の時計がそろって、五時のあと四時半を、それから四時を、三時半を……打ったような、不思議な感じに襲われた。それはいわば、別のさまざまな可能性の予感であった。徹夜で頭がぼうっとしている者が、逆立ちして天井を、梁にしっかり固定された家具のあいだを歩き回ることができると、ふと思うときに似ていた。」
「こうして彼が未成年に戻った日、音楽室で盛大な舞踏会が催された。彼は浮き浮きしていた。これで、自分の署名は法的な効力を失い、登記簿や公証役場は紙魚とともにその世界から抹消される、と考えたからである。法廷というものが、法律によって無視された人間にとって恐ろしくもなんともなくなる時期に、彼はようやく達したのだ。」
「平凡な成績で試験をパスし、教室に通いはじめたが、しかし教師の説明は理解できなくなる一方だった。(中略)マルシアルはしだいに勉学を怠るようになり、それとともに大きな重荷から解放された。陽気さと敏活さを取り戻して、物事についてはただ直感しか信じなくなった。明るい冬の陽射しが港の要塞の細部をくっきりと浮かび上がらせてくれるのに、なぜ、プリズムがあったらと考えなければならないのだろう? 木から落ちるりんごを見れば、それに歯を立てたくなるだけだし、浴槽に沈めた足は、所詮それだけのものだ。これでよいのではないか? 神学校を去った日、彼は書物のことを忘れた。地の精はただの鬼っころに戻り、妖怪はお化けとなった。」
「彼は、自分にしか分からない言葉を喋りはじめた。完全な自由を獲得した。しきりに手を伸ばして、届かぬ遠いところにある物をつかもうとするようになった。」
「彼の手はさわり心地のよい形をまさぐった。完全に、敏感な触覚だけの存在になっていた。外界は毛孔のすべてを通して入り込んでくる。彼は、(中略)温く湿っぽい肉のなかにもぐり込んだ。その肉は彼をすっぽり包んだと感じると同時に、生へ向かって動きだした。」
「鳥は羽毛を散らして卵に返り、魚もまた、うろこの吹雪が舞う池の底で凝って卵塊に戻った。棕櫚は扇子のように葉をたたんで地下に隠れた。草の葉は茎によって吸い込まれ、大地はそれ自身の上にあるものをすべて引き倒した。雷鳴が回廊でとどろいた。かもしか革の手袋に毛が生じた。毛布がほぐれて、はるかな遠い土地で羊のまるい背をすっぽり蔽った。戸棚、化粧台、ベッド、十字架、テーブル、鎧戸、すべてが闇に向かって飛び、密林のかげにそれぞれの古い根を探った。釘で留められていたものは、いずれもばらばらになってしまった。一隻の二本マストの帆船がいずくからともなく現われて、床や噴水の大理石を急ぎイタリアへ運び去った。武器や蹄鉄、鍵や銅鍋、馬銜(はみ)などは溶けて金属の太い流れとなり、屋根のない回廊を伝って地面へ向かった。すべてが姿を変えて、原初の状態に戻った。」




カルペンティエール 時との戦い 03


見返し。









こちらもご参照ください:

『ルドルフ・シュタイナー選集 第10巻 死後の生活』 高橋巖 訳













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アレホ・カルペンティエル 『光の世紀』 杉浦勉 訳 (叢書アンデスの風)

「「言うまでもない」――かれは考えた――「今日善良な市民として理解されているような者になるために、ぼくは生れて来たのではない……」。」
(カルペンティエル 『光の世紀』 より)


アレホ・カルペンティエル 
『光の世紀』 
杉浦勉 訳
 
叢書アンデスの風


書肆 風の薔薇: 発行
白馬書房: 発売
1990年11月30日 初版第1刷印刷
1990年12月10日 初版第1刷発行
350p 「著者/訳者について」1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,575円(本体2,500円)
装丁: 丸岡一志



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、アレホ・カルペンティエルの長編小説『光の世紀』の全訳である。」


Alejo Carpentier: El siglo de las luces, 1962
二段組。



カルペンティエル 光の世紀



カバー文:

「《……〈機械〉はもはやヴィクトワール広場で運転を停止することはなく、その切断の速度を増していた……ギロチンは都市の生活の中心となり始めた。〈市場〉の商人たちは、陳列棚や焜炉、屋台や物売台を運んで美しい港の広場へ移動し、昨日までは尊敬と追従を集めていた人物の首が転がるなかで、揚げパンや胡椒、コロソラの実や薄焼パン、バンレイシの実や生きの良い真鯛などを四六時中売っていた……》」


カバーそで文:

「カリブ海域にフランス大革命の理想を広めるべくハバナを訪れたビクトル・ユーグ。
彼につき従うキューバ青年エステバンと美しいソフィア。
キューバを含むカリブ全域からフランス、スペインにまたがる世界を舞台に、
三人の波瀾にみちた運命を語りつつ、
《革命》への限りない情熱と深い幻滅を描ききった、
現代ラテンアメリカを代表する作家の待望久しい大長篇小説。」



内容:

光の世紀
 序
 第一章
 第二章
 第三章
 第四章
 第五章
 第六章
 第七章
 ビクトル・ユーグの歴史的真実について(作者後記)

訳者あとがき




◆本書より◆


「第一章」より:

「しかしかれが最も好んだ絵は、ナポリから届いた無名の作者の手になる大カンバスであり、それは造形美術のあらゆる規則を犯しながら、惨劇を黙示録のように静止させた絵であった。『大聖堂の爆発』、それが、――ゆっくりと柱列が崩れ、更に壮麗に落下するために浮遊した――柱廊が微塵に砕けて空中に飛び散り、無数の岩石がおののく人びとの頭上に降りかかる前のあの情景を描いた絵の題名であった。(「どうしてそんな絵を眺めていられるのかしら」と従姉は言うのだが、実を言えば彼女もまた、不動の地震、沈黙の混乱、時代の終焉の図解が凄まじい瞬間に停止され、すぐ手の届く位置に掛かっているその絵に、不思議な魅力を感じていた。「慣れてゆくためだよ」エステバンはなぜか分からないまま答えていたが、そこには、(中略)無意識のこだわりがあった。)」

「「そういうことだ(セ・サ)」オジェは取るに足りないその庭を眺めながら、それがかれにとっては重大な意味を持つかの如く言った。(中略)かれの語るところでは、ある種の病気は身近な場所に生えている一本の草、植物、樹木の成長と神秘的な関係があった。人間はそれぞれ、植物のどれかに〈分身〉を持っている。そしてその〈分身〉は自分自身が成長するために、それと結びついて生きている人間から生命力を奪い、開花や結実のときに病いを押し付ける場合があるという。」



「第三章」より:

「聳え立つ枝付燭台、緑色の甲冑、敵意剥出しの西瓜、まやかしの滑らかさの下に棘を秘めて這いずり回るマルメロ――そこはいつでも傷つけられるので油断のならぬ、けれど決って赤や黄色の花の開花によって姿を一変する世界であり、そうした花は、インディアスの無花果やノパルサボテンの実などの怪しげな贈物と共に刺傷も厭わぬ人間に捧げられたもので、その果肉には強烈な剛毛というもうひとつの障壁を乗り越えてこそ、どうにか達することができるのであった。釘だらけの装備をしているために、熟したバンレイシの実を冠する山頂の幾つかにはよじ登ることができない、あの樹木とは対照的に、遙か下方、カンブリア紀の世界には珊瑚の森があり、肉、レース、ウーステッドから成るその組織は無限なうえ、燃え上がる木、変質した木、金を含む木などと種類も必ず多様であり、更に魔法の書やヘルメス学の論文にある〈錬金術〉の樹木、人跡未踏の土に根を張るイラクサ、炎を吐く蔦などが曖昧模糊とした対旋律やリズムで錯綜するために、力のないものと生気の溢れたもの、植物と動物とを隔てる境界は消滅してしまっていた。珊瑚の森は動物の形を次々と生み増やしてゆくなかで、〈天地創造〉の初期のバロック趣味、その最初の華美や濫費を守り続けて来たのであり、その秘宝を見るためには人間は、子宮によって形を与えられる以前の自己の姿かもしれない魚の、その鰓や尾があればあの壮麗な風景を永遠の住居として選ぶこともできたかもしれないと悔やみつつ、その姿を模倣しなくてはならないであろう。」

「巻貝は消滅するもの、流れ去るもの、法則も限度もない流動物、そして何でも把握し測定可能な、結晶化、構造、交換の土地とを結ぶ〈媒介者〉であった。(中略)展開する線、法則化した渦巻、驚異的な精度の円錐形建築、均衡を保つ諸容積、将来のありとあらゆるバロック芸術を予感した触知可能なアラベスクの実例。エステバンは一個の巻貝――たった一個の巻貝――を見詰めながら、何千年にもわたってそこにある〈螺旋〉について思いを巡らしていたが、それは漁撈種族の毎日の視線にさらされて来ながら、未だにかれらにはその意味を理解することもできなければ、それが目の前にあるという事実ですら感知し得なかったのである。ウニの球体、マテガイの螺旋、聖ヤコブ巡礼記念の貝殻章に走る溝についてかれは黙想し、まだこうしたことを洞察する目を持たなかった人間たちの眼前で、かくも長きにわたって展開して来たこれら〈かたちの科学〉に驚きを禁じ得なかった。」



「第四章」より:

「その年の十月――台風が来襲し、夜は豪雨、朝は耐え難い暑さとなり、そして日中の唐突な荒天によって泥や煉瓦や湿った灰の匂いが蒸発し、ますます息苦しさをつのらせる十月――、エステバンは絶えず精神的な窮地に立たされ続けていた。(中略)今となっては、エステバンは町全体、土地全体を牢獄とする囚人でしかなくなっていた。そしてこの土地にはティエラ・フィルメの果てしなく深い密林があり、門と言えば海だけで、そしてその門もかれにとっては最悪なことに、巨大な紙の鍵で閉ざされていたのである。今日、封印、封蝋、署名、連署でおおわれた文書は増加し、至る所に氾濫しており、それらの名称も「許可証」「通行証」「旅券」といった同義語や、あるいは、ある国から他の国へ、ある地域から他の地域へ――そして時にはある町から他の町へ――移動するための認可を意味し得るような、あらゆる言葉を使い果していた。かつての収税吏、十分の一税徴集人、通行税徴集人、販売税徴集人、税関吏は、官憲及び政治上の集団の美しい先駆でしかなくなり、その集団こそ今や、人間が棲息する定めとなった惑星の地表において、かれらが原初から持っていた、創造力に満ちた豊かな行動の可能性に関することなら、ありとあらゆる場所において――ある者は〈革命〉への恐怖から、ある者は反革命への恐怖から――正にその人間の自由を束縛することに熱中していたのである。エステバンは、人間が祖先から受け継いだ流浪生活を拒否し、移動へのその至上の意志をある役割(引用者注: 「ある役割」に傍点)に従属させねばならなかったことを思って腹が立ち、怒りに地団駄を踏んだ。「言うまでもない」――かれは考えた――「今日善良な市民として理解されているような者になるために、ぼくは生れて来たのではない……」。」

「若者はその奴隷たちが逃亡や集団脱走を企てたかどで、スリナムの〈裁判所〉から左足切断の刑を下されたことを知り、震え上がった。そして判決は、過度の苦痛を惹起したり罪人の生命を危険にさらしたりした、野蛮な時代の特徴である旧式の手段を用いることなく、飽くまでも手際良く、科学的に執行されねばならなかったので、九名の奴隷たちは〈裁判所〉の定めた通り、パラマリボ随一の外科医が鋸片手に処置を行うべく、この医師の元へ連行されたのである。「両腕も切り落すのだ」――グロイベル博士は言った――「奴隷が主人に手を上げた場合には」。そして医師は待っている者たちの方を振り向いた。「最初の者を!」エステバンは、意志の固そうな額に頑丈な体躯をした、背の高い黒人が静かに立ち上がるのを見て卒倒しそうになり、すぐ近くの酒場に駆け込み、あわてて焼酎をあおって恐怖を鎮めようとした。そして病院の建物を凝視したまま、閉じられた窓から視線を逸らすこともできず、なかで起きていることを考え続けた。「ぼくらは創造物のなかでも最も醜い獣だ」かれは手段さえあればあの建物に火を放つこともできた自分に、怒りを込めて、憎しみを込めて、繰り返した……。」



「第五章」より:

「エステバンはナポリの無名の大家が描いた『大聖堂の爆発』の前で立ち止り、心底感銘を受けた。不思議な巡り合わせによってこの家に落ち着いたその絵は、かれが経験した実に多くの出来事を予め表現しているように見えたので、予言的で、反具象的で、あらゆる絵画的な主題に背を向けたその画面が提起する無数の解釈ゆえに、かれは呆然とするばかりであった。もしも大聖堂が、かれが過去に教えられた教義の示す通り、自分自身の表象――方舟であり聖櫃――であるとすれば、爆発は遅く緩慢ではあっても確かにその場所で起ったのであり、祭壇、象徴、崇拝物などを破壊したのである。もしも大聖堂が〈時代〉であるならば、凄まじい爆発は頑強な石壁を実際に倒壊させ、もしかすると恐るべき機械を作り上げたのかもしれぬ正にその連中を、雪崩打つ石屑の下に埋めてしまったのである。(中略)「いつだってその絵を見るのが好きだったわね!」――ソフィアが言った――「わたしには悪趣味でくだらないとしか思えないけど!」「悪趣味でくだらないのがこの時代だ」エステバンは言った。」

「「今度の革命は失敗に終った。たぶん次の革命の方が正しいのかもしれない。しかし、それが始まってもこのぼくを引き留めたければ、血眼になって追い回すことになるだろう。美しい言葉には用心しろ。言葉で拵えた〈よりよい世界〉にも心を許すな。現代は言葉の氾濫に屈している。人間は〈約束の地〉を自分自身の内部にしか見出すことはできないのだ」」










こちらもご参照ください:

A・カルペンティエール 『時との戦い』 鼓直 訳 (ラテンアメリカ文学叢書)
アレッホ・カルペンティエール 『ハープと影』 牛島信明 訳 (新潮・現代世界の文学)
『モンス・デジデリオ画集』 (ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ 1)






































































































アレッホ・カルペンティエール 『ハープと影』 牛島信明 訳 (新潮・現代世界の文学)

「現在においてはおそらく、過激(ハコビーノ)になる新しい方法があるはずです」
(カルペンティエール 『ハープと影』 より)


アレッホ・カルペンティエール 
『ハープと影』 
牛島信明 訳
 
新潮・現代世界の文学


新潮社
1984年11月20日 印刷
1984年11月25日 発行
250p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,500円
装幀: 早川良雄



本書「解説」より:

「本書は一九八〇年に逝去したキューバの作家、アレッホ・カルペンティエールの最後の小説 Alejo Carpentier, El arpa y la sombra, Siglo XXI, 1979 の全訳である。」



カルペンティエール ハープと影



帯文:

「聖人なのかペテン師なのか?
コロンブスとは何者であったのか?
ラテンアメリカの
失われた始原の探求に憑かれた
新しい小説の先駆者が記す最後のメッセージ!」



内容:

ハープと影
 Ⅰ ハープ
 Ⅱ 手
 Ⅲ 影

解説 (牛島信明)




◆本書より◆


「ところが、賢王ソロモンの知りえた世界の多様で広汎であることを認めながらも、彼の派遣した船隊は結局のところ、既知の安全な範囲を巡っていただけではなかろうか、という印象をわたしは払拭することができなかったのです。というのは、もしそうでないとするなら、彼らもまた、未だよく知られていない地域の境界を越えた旅人や航海者たちが口にするような妖怪変化にまつわる情報をもたらしていたはずだからです。その信憑性に疑問の余地のない証人の言によれば、極東の地には鼻のない、従って顔が一面のっぺらぼうの人類が、下唇がひどく突出していて、眠る時も暑い陽差しを遮る時もそれで顔をおおう人種が、あまりにも口が小さいので、ただカラス麦の茎のストローを通してのみ食料を嚥下することのできる人種が、さらには、舌がないので、合図、あるいは身ぶりだけで他人と意思の疎通をしている人種がいるとのことです。スキタイには、寒さから身を護るため、まるでマントにくるまるように、我が身を包んでしまうほど大きな耳を持ったパノティオと呼ばれる人たちが、またエチオピアには、その見事に伸びた脚と走る速さで知られた、そして夏に、地面に仰臥している時など、その幅広の大きな足裏がたっぷりと陰をつくるので、日傘の代用にさえなるほどの、シオポダと呼ばれる人たちが住んでいるといわれています。そのような国々には、ただ芳香を吸うだけで身を養っている者がいるかと思えば、六本の手を持った者もおり、さらに何よりも驚嘆すべきことに、老人を生む――生まれてきた老人は徐々に若がえり、成年を経た後幼児になるというのですが――女までいるということです。」


「解説」(牛島信明)より:

「カルペンティエール最後の小説『ハープと影』は、新世界の発見者にまつわる神話(引用者注: 「神話」に傍点)を解体し、歪められたラテンアメリカの歴史を暴こうとするものである。」
「小説はそれぞれ、「ハープ」、「手」、「影」といった象徴的な題名を冠した三部からなっている。第一部では、後に教皇ピウス九世となる若き聖堂参事会員マスタイが、コロンブスを聖人に、という考えを抱くにいたる過程が語られる。」
「第二部は、死の床に横たわって聴罪師が来るのを待つ(中略)コロンブスが自分の過去を回想するという、一種の〈劇中劇〉である。歴史上の人物をモデルとする小説がはらむもろもろの問題を意識していたカルペンティエールは、あるところで、クローデルとレオン・ブロワによる熱狂的なコロンブス賛美(中略)に対する反発がこの小説執筆の契機となったことを明かし、アリストテレスに倣って、詩人(小説家)の役目は、出来事を、それが現実に起こったようにではなく、起こり得たであろうように、あるいは起こるべきであったように記述することである、と言っているが、作者の立場を一言で言ってしまえば、コロンブスの生涯と彼の業績はすべて道化芝居であり、ペテンでしかなかったことを明かそうとするものである――」
「第三部は第一部の続きであり、十九世紀末、ローマはヴァチカンにおけるコロンブスの列福(列聖の前段階)裁判の、いささか戯画化された模様が描かれる。そこには、裁判長や儀典聖省長官の他、申請者のホセ・バルディ、フランスのカトリック作家レオン・ブロワ、候補者の粗捜しをする検事役たる〈悪魔の弁護士〉、スペインの〈黒い伝説〉の糾弾者たち、そして証人として、ビクトル・ユゴー、ジュール・ヴェルヌ、アルフォンス・ド・ラマルチーヌ、バルトロメ・デ・ラス・カサスといった、コロンブスについて一家言持つ歴史上の有名人が続々登場する。つまり時間と空間を超越して、生者と死者が入り乱れての審査模様なのであるが、その場に、臨終の告白においても、また死後も自分の真の姿、自己同一性の得られないコロンブス自身の亡霊まで居合わせて、審議の動向に一喜一憂するといった諷刺的な結構なのである。
 結局、このグロテスクな裁判はコロンブスの破滅をもたらすことになる。」

「今日、コロンブスの航海者としての才能は一般に認められているところであるが、ここでは天体観測儀を使いこなせず、トスカネリの地図も完全に読みきれず、さらには海里測定にも混同をきたして、乗組員の疑惑を招く提督として描かれている。
 しかしながら、列福裁判でもっとも不利に働いた材料であり、コロンブスのイメージを不純にしている元凶は、やはり、キリスト教化という大義名分のもとに、あるいは、なかなか見つからない金(きん)に代るものという口実のもとになされた、インディオ奴隷化の試みであろう。」









こちらもご参照ください:

A・カルペンティエール 『時との戦い』 鼓直 訳 (ラテンアメリカ文学叢書)
『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』 池上俊一 訳 (講談社学術文庫)









































アレホ・カルペンティエル 『この世の王国』 木村榮一・平田渡 訳 (叢書アンデスの風)

「海は、闇の奥の、そのまた奥の、はるか彼方で、至高なる神々のしろしめす世界の岸辺を洗っていた。」
(カルペンティエル 『この世の王国』 より)


アレホ・カルペンティエル 
『この世の王国』 
木村榮一・平田渡 訳
 
叢書アンデスの風


水声社
1992年7月20日 初版第1刷印刷
1992年7月30日 初版第1刷発行
165p 「著者/訳者について」1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,545円(本体1,500円)
装幀: 丸岡一志



本書「訳者解説」より:

「本書は、Alejo Carpentier, El reino de este mundo, 1949. の全訳である。」
「この作品は、一九八五年にサンリオ文庫の一冊として出版されたものである。今回(中略)、旧訳に全面的な手直しを加えた。」




カルペンティエル この世の王国



カバーそで文:

「カリブ海に浮かぶ国、ハイチ。
ヴードゥー教が未だ根強く生き伸び、異様な熱気の充満する大平原……。
本書は、松明の炎と呪詛の叫びの交錯する中、
自由と独立を渇望する闘争が壮絶に繰り広げられる
かの地での神話的〈現実〉を、
巧みな語り口によって大胆に描く、
暴力と死に彩られた専制の興亡史である。
骨太な物語と巧妙な実験的仕掛けとを絶妙に混淆させた作品により、
世界的盛名を馳せるキューバ作家の初期代表作を決定訳で贈る。」



内容:



この世の王国
 第一部
  Ⅰ 蝋人形の首
  Ⅱ 切断
  Ⅲ 手で見出したもの
  Ⅳ 勘定
  Ⅴ 深き淵より(デ・プロフンディス)
  Ⅵ 変身
  Ⅶ 人間の装い
  Ⅷ 大いなる飛翔
 第二部
  Ⅰ ミーノースとパーシパエーの娘
  Ⅱ 大いなる契約
  Ⅲ 法螺貝の響き
  Ⅳ 櫃の中のダゴン
  Ⅴ サンティアーゴ・デ・クーバ
  Ⅵ 犬を乗せた船
  Ⅶ 聖トラストルノ
 第三部
  Ⅰ 痕跡
  Ⅱ サン=スーシ
  Ⅲ 牡牛の生贄(いけにえ)
  Ⅳ 幽閉された男
  Ⅴ 八月十五日の記録
  Ⅵ 王者の最後の言葉(ウルティマ・ラティオー・レーグム)
  Ⅶ 唯一の門
 第四部
  Ⅰ 彫像の夜
  Ⅱ 王の家
  Ⅲ 測量師たち
  Ⅳ 神の仔羊(アーグヌス・デイー)

訳者解説 (木村榮一・平田渡)




◆本書より◆


「序」より:

「とまれ、驚異的なものを捉えるには、何よりもまず信じることから始めなければならない。聖者の起こす奇蹟によって病気を治してもらいたければ、聖者を信じることである。すべてをなげうって『アマディス・デ・ガウラ』や『ティラン・ロ・ブラン』の世界にひたりこむには、ドン・キホーテになる必要がある。セルバンテスの時代には、本当に狼狂の病に苦しむ人がいると信じられていた。『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』に登場するルティリオは、狼に変身した人間について語っているが、その言葉が驚くほど真実味を帯びているのは、まさしくそれゆえなのである。(中略)ヴァン・ゴッホはヒマワリを信じていた。それゆえ彼は、そこから受けた啓示を一枚のキャンバスに定着させたのだ。こう見てくると、不信の念を抱きつつ生み出された驚異的なもの(中略)というのは、しょせん文学上の小手先の技巧でしかないことが分かる。」


「第一部」より:

「緑のイグアナ、夜行性の蛾、見たことのない犬、とんでもない場所にいるペリカン、これらはあの片腕の男が変身した姿にほかならなかった。双蹄動物、鳥、魚、あるいは昆虫に変身する能力を授けられたマッカンダルは、姿を変えて平原に点在する農場を訪れ、信者の動きに目を光らせ、彼らがまだ自分の帰還を信じているかどうか確かめていたのだ。片腕の男は動物の外皮をまとってさまざまに変身しながら、いたるところに出没した。ある時は羽、あるときは鰓(えら)をつけて、風のように疾駆するかと思うと、のろのろ這い進んで地下の水脈や海べりの洞窟、木の梢といったところを思いのままに動き回った。こうして彼は島全体を自分の支配下に収めた。その能力をもってすれば、何ひとつできないことはなかった。冷たい天水桶に漬かって一息入れたり、金合歓(きんごうかん)の木の細い枝に止まったり、鍵穴から家にもぐりこんだり、あるいは牝馬とつるむこともなんなくやってのけた。好きに姿を変えられるので、犬に吠え立てられることもなかった。(中略)夜出歩く時は決まって黒山羊の皮を被り、左右の角に燠火(おきび)をともしていた。いずれ一斉蜂起の狼煙(のろし)が上がるだろうが、その時はダンバラー、街道を司る神、鍛冶の神オグンをはじめとする海の彼方の神々が稲妻を走らせ、雷鳴をとどろかせ、嵐を起こしてくれるはずだ。嵐になれば、おれたちの計画はきっとうまく行くにちがいない。その偉大なる時に――とティ・ノエルは言った――白人どもの血は河に向かって奔(ほとばし)るだろう。そしてロワたちは喜びに酔い痴れて腹這いになり、心ゆくまでその血をむさぼり飲むことだろう。
 奴隷たちがいまかいまかと待っているあいだに、四年の歳月が流れたが、彼らは希望を失なわず、山から鳴り響くはずの大法螺貝の音を聞き逃がすまいと耳を澄ませていた。その音はマッカンダルがさまざまな変身をひと通り終えて、人間の姿に返り、両脚のあいだに石ころのように固い、血管の浮き出した陰嚢(ふぐり)をぶら下げ、ふたたび戻ってきたことを仲間のものたちに知らせる合図だった。」



「第四部」より:

「ティ・ノエルは先祖の遺産を使い果たしてしまい、悲惨の極みにあったが、それでも自分が受け継いだ遺産を残していた。その遺産とは、さまざまなことを経験した自分の肉体にほかならなかった。その時気がついたのだが、人間は自分が誰のために苦しみ、希望をつないでいるのか決して知ることはないのだ。一度も顔を合わせることのない人びとのために苦しみ、希望をつなぎ、せっせと働くが、そうした人びとはまたそうした人びとで、ほかの恵まれない人びとのために苦しみ、希望をつなぎ、せっせと働くことだろう。というのも、人間は、自分に与えられた以上の倖せをいつも求めているからだ。人間の偉大さは、現状をよりよいものにして行こうとする点、つまり、自分自身に義務を課して行く点にある。天上の王国には、征服して手に入れるべき偉大なものが欠けている。というのも、そこでは、きちんと位階が定められ、未知のものが明らかにされ、永生が約束され、犠牲的精神など考えられず、広く安らぎと愉楽が支配しているからである。さまざまな悲しみと義務に苦しめられ、貧困にあえぎながらも気高さを保ち、逆境にあっても人を愛することのできる人間だけが、この世の王国においてこのうえなく偉大なものを、至高のものを見出すことができる。
 ティ・ノエルは、書きもの机の象嵌細工が汚れるのもかまわず、たこのできた足で、その上に飛び乗った。カプ市のほうの空は、火事場から立ちのぼる煙のような黒雲に覆われていて、海と山からいっせいに法螺貝が鳴り響いたあの夜を思い起こさせた。老人は、新しい地主たちに対して宣戦を布告し、臣下のものたちに向かって、あの成り上がりもののムラートらがわがもの顔で工事を進めている現場に突撃するのだ、と言い放った。」


















































アレッホ・カルペンティエール 『バロック協奏曲』 鼓直 訳 (サンリオSF文庫)

「「神々の数は多いのだ」と長老は思った。「種族の数だけ神々があるところに平和が生まれるはずはない。この《世界》に存在するものをめぐって、恐らく、人びとは闘いに明け暮れることだろう」」
(アレッホ・カルペンティエール 「選ばれた人びと」 より)


アレッホ・カルペンティエール 
『バロック協奏曲』 
鼓直 訳
 
サンリオSF文庫 21-A 


サンリオ
1979年5月10日 印刷
1979年5月15日 発行
142p
文庫判 並装 カバー
定価280円
カバー: 藤居正彦



Alejo Carpentier: Concerto Barroco
「バロック協奏曲」はヴィヴァルディ(バロック音楽)とルイ・アームストロング(黒人ジャズ)がジャムセッションする話、「選ばれた人びと」は大洪水を生き延びたアマリワクがノア(旧約聖書)やデウカリオン(ギリシア神話)と洋上で鉢合わせする話です。
「バロック協奏曲」に図版(影印)5ページ分。



カルペンティエール バロック協奏曲 01



カバー裏文:

「銀鉱で巨富を得た鉱山主が従者と様々な品々を伴ってマドリッド詣でに出立しようとしている――この素朴にさえみえる物語は、放尿で鳴る銀の便器、ヴィヴァルディのオペラ『モンテスマ』の上演場面で劇場を圧する楽器の音、泥の中を転げまわる豚、フランスの海賊の手から救われた司教を迎える町中に轟く音曲、灌腸かあそこを洗うのにぴったりの安酒が喉を通る音、インディオと黒人の二人の従者が弾くギター、鉄道駅のターナー式機関車の唐突な出現――など多元的に傍道へ逸れていく。物語の秩序は、音、光、色、匂い、時間の氾濫と錯綜に溺死し、香具師の口上よろしく物たちの名が呼ばれるや、物たちは輝きを帯び夢遊病のように起きあがる。まさに小説の本質は、ルクレティウスの『物の本質について』の秩序に換骨奪胎され、魔術的リアリズムの杖の一振りによってラディカルなフェチシズムの極みに奏された野生の幻想曲ともいうべき詩学大全(スンマ・ポエティカ)と化している。」


目次:

バロック協奏曲
選ばれた人びと

訳者解説 (鼓直)




◆本書より◆


「バロック協奏曲」より:

「比較的穏やかな冬だというのに、灰色の海と暗い空、墨色の雲。それに染まったとしか思えない、穏やかでゆったりとした、大きな波のうねり。白い波頭も立てず、ゆったりとうねる波。開いて遠のくかと思えば寄り合い、岸から岸へと行き返るうねり。教会や館の輪郭をぼやけさせている、ひどく色褪せた水彩画のようなぼかし。石段や船着き場の上で海藻のとりどりの色をなぞっている湿気。あちこちの広場で雨に濡れたように光っている石畳み。小さな波が音もなく寄せる岸壁の、到るところに見られる不鮮明なしみ。穏やかな運河に架かる橋の下で見え隠れするもの。黄色っぽい灯火。陰気な黴の臭い。あっさりしたスケッチ風の色彩。濃淡さまざまな灰色。乳白色。夕景めいた色彩。かすれた朱墨。青いパステルで描いた煙。こうしたもののなかで、馬鹿騒ぎが、主顕節の盛大なお祝いが始まった。オレンジの黄、蜜柑の黄、カナリアの黄。雨蛙の翠。柘榴石の赤、駒鳥の赤、陶器の筐の赤。藍色とサフラン色の市松模様の服。髷と花形の帽章。カルメラ色の縞木綿と床屋の棒。二角帽子と羽毛飾り。繻子とリボンの群集のなかに立ちまじる絹の玉虫色。トルコ人と道化師。シンバルとガラガラ、大太鼓とタンバリン、そしてコルネットの音楽。この音のあまりの凄まじさに町じゅうの鳩がいっせいに舞い上がり、暫くは空も暗くなるほどだったが、そのまま遠い河岸へと飛び去った。突然、幟や旗の交響の仲間入りをするように、乗組員たちのすべてが仮装した戦艦、フリゲート艦、ガレー船、物売りの小舟、漁船などのランタンやカンテラに火が入った。そして同時に、ちぐはぐな厚板や樽板で到るところ修理され、ひどく傷んではいるが、それでもまだまだ豪華で誇り高いヴェネツィア総督の最後の座乗船が、まるで水上に浮かぶパーゴラのような姿を現わした。特別の祭日だというので、旋回花火と彗星花火を加えた仕掛けから、花火とともにロケット、ベンガル花火を打ち上げるために、小屋から引き出されたのだ……。それを合図に、人びとは顔を変えた。似たりよったりの白い仮面が、エナメルの帽子とケープのカラーとのあいだに挟まれたお歴々の顔を石化させた。黒っぽいビロードの仮面が、襟を立てている脚のきれいな女性たちの、ただ唇と歯だけが表情ゆたかな顔を見えなくしてしまった。一般の庶民だが、船乗りも、野菜売りやドーナッツ売りや魚売りも、刀工や船大工も、船頭や御者も、みんな姿を変えた。蒙古人の仮面。死者の仮面。鹿王の仮面。或いは赤鼻や、ベルベル族めいた口髭や、カルト派の僧侶のような顎鬚や、山羊の角などが目立った別の仮面。」



カルペンティエール バロック協奏曲 02















































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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