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スウィフト 『ガリヴァ旅行記』 中野好夫 訳 (新潮文庫)

「我輩は、自分の家族、友人、同胞、あるいは人類一般といったものを反省してみると、どうもその形態からみても、性質からみても、まぎれもなくヤフーに相違ないように思えるのである。ただほんの少しばかり開けていて、言葉を話す能力を持っているとはいうものの、理性はかえって悪徳を助長、倍加することに悪用されるだけで、その点では、自然が与えただけの悪徳を、ただそのままで持っているこの国のヤフーどもの方が、まだましなくらいであった。」
(スウィフト 『ガリヴァ旅行記』 より)


スウィフト 
『ガリヴァ旅行記』 
中野好夫 訳
 
新潮文庫 209/ス-3-1 


新潮社 
昭和26年7月30日 発行
平成4年5月30日 72刷改版
平成16年4月30日 89刷
423p 
文庫判 並装 カバー 
定価590円(税別)
カバーデザイン: 磯田和一
カバーイラスト: ひらいたかこ


「Title: GULLIVER'S TRAVELS
Author: Jonathan Swift」



本文中に地図5点、図版1点。



スウィフト ガリヴァ旅行記



カバー裏文:

「スウィフトの諷刺は、一点の感傷も交えない骨を刺す体のものであり、直接の対象は当時のイギリス社会の具体的事件や風俗であるが、それらは常に人間性一般への諷刺にまで高められており、そこに彼の作品の永遠性、普遍性がある。本書は、船員ガリヴァの漂流記に仮託した『小人国』『大人国』『飛島』『馬の国』の四部の物語からなり、古今東西を通じての諷刺文学の傑作である。」


目次:

刊行者の言葉
第一篇 リリパット(小人国)渡航記
第二篇 ブロブディンナグ(大人国)渡航記
第三篇 ラピュタ、バルニバービ、グラブダブドリッブ、ラグナグおよび日本渡航記
第四篇 フウイヌム国渡航記

注解
追注

解説 (中野好夫)




◆本書より◆


「第一篇」より:

「住民の平均身長はまず六インチ以下、したがってその他の動物もすべてこの比例でできている。たとえば最も大きい牛馬でせいぜい高さ四、五インチの間、羊は一インチ半内外、鵞鳥(がちょう)などはほとんど雀(すずめ)くらい、だんだん、そういったあんばいに小さくなって、いちばん小さいものなどは我輩の視力ではほとんど見えない。ところが自然という奴(やつ)は、リリパット人の眼を、ちゃんとそういった物体を見るようにこしらえているのだ。つまり細かいものを見るには実に精確だが、遠くは見えない。近くを見る眼がいかに精確であるかは、たとえばまず料理人が普通の蠅(はえ)ほどもない雲雀(ひばり)の毛を毮(むし)っているのを見たこともあれば、また若い娘が見えない針に見えない糸を通しているのを見て、たいへん面白く思ったことがある。」

「死人は頭を下にして逆さまに埋める。彼らの考えによると、死人は一万一千月たつと蘇生(よみが)える、だがその時にはこの世界(むろん、彼らは平ったいものだと思っているのだが)は引っくりかえっているだろう、だからこうしてさえおけば、生き返った時にちゃんと立っていることになるだろうから、というのである。もっとも学者たちはそんな馬鹿なことはないというのだが、依然俗間信仰に従ってこの慣習が行われているのだ。」



「第二篇」より:

「我輩は考えた、ちょうど、あのリリパット人がわれわれの間にただひとり立ち交ったと同じように、この国民の中にただひとり芥子粒(けしつぶ)みたいな存在をつづけなければならないとしたら、それはきっとどんなに屈辱だろう。だが考えてみれば、それなどはまだ一番いい方だ。人間という奴は図体(ずうたい)に比例していよいよ野蛮残忍なものと決っているようだから、だれかこの巨大な野蛮人のひとりにでも捕まろうものなら、一口に喰(く)われてしまうことは火を見るよりも明らかだ。大小は要するに比較の問題だと哲学者は言うが、まことにもってそのとおり。運命という奴は、あるいは何処(どこ)かでリリパット人に、さらに彼らよりも小さい、ちょうど彼らが我輩に対してそうだったと同じような、小っぽけな人間を発見させるという、そんな悪戯(いたずら)をしないとも限らない。と同時に、この厖大(ぼうだい)な種族といえども、あるいはどこかわれわれのまだ知らない世界の果てで、同じようにてんで問題にもならないという超巨大の怪物に出くわさないとはだれが保証できよう。」

「彼らは中国人と同様、有史以前から印刷術を知っている。だが彼らの図書館は決して大きいとは言えない。最大といわれる王宮のそれでも蔵書数千冊を越えないのだから。ここの書物は長さ千二百フィートの廻廊(ギャラリー)に並べられていて、我輩は自由に借覧できることになっていた。例の王妃御用の指物師がグラムダルクリッチの一室に、高さ二十五フィート、各階段の幅は五十フィート、形はちょっと梯子(はしご)に似た木造器具をひとつ作ってくれた。その下端を壁から十フィート離しておくと、いわば一種の移動階段とでもいうべきものができる。読みたいと思う本をまず壁に立てかける。それからまず最上段に登って行くと、顔を本の方へ向けて、ページの上の端から読みはじめる。行の長さによって違うが、だいたい八歩ないし十歩くらいずつ左右に歩きながら、眼の線からやや下まで読んで行く、それから段々を降りて行って、ついに下まで達する。とまた登って、次のページを同じようにして読んで行って、いよいよページをめくる。ページをめくるのは両手で案外ぞうさなくできた。というのは紙がまるで厚紙のように硬いうえに、とびきり大型本といっても高させいぜい二十フィートを出なかったからだ。」



「第三篇」より:

「我輩はしばらく岩の間を歩き廻(まわ)った。空には雲ひとつなく、ギラギラ照りつける太陽は顔を向けることもできなかった。その時だった、突然四辺(あたり)が暗くなった、しかもどうやらそれはただの雲に遮(さえぎ)られた時の暗さではない。我輩は振り返って見た、とこれはまた我輩と太陽との間を、なにかとほうもなく巨大な不透明体がずんずん島の方に向って進んで来るではないか。高さは二マイルばかりかと思えた。そして六、七分間というものは、すっかり太陽を隠してしまったのだ。(中略)やがて我輩の頭の上まで来たのを見ると、どうやらそれは固体物らしいのだ、しかもその底面は平滑で、下の海面からの反射を受けて燦然(さんぜん)と輝いている。」

「ところどころに召使らしい服装をした男がだいぶいた、それらはみんな手に、膀胱(ぼうこう)をふくらませたのを、(中略)短い棒の先につけて持っている。膀胱のなかには、(中略)乾いた豆と礫(つぶて)とが少しばかり入っている。ところで彼らはこの膀胱でもって、しきりに傍(そば)に立っている男の口や耳をたたくのだ。(中略)これは思うに、この国の人間というのは、始終なにか深い思索に熱中していて、なにか外からそれぞれの器官に刺激を与えてでもやらなければ、物も言えなければ、他人の話に耳を傾けることもできないらしい。そこで金に余裕のある人は、こうやってたたき(引用者注:「たたき」に傍点)役(原語はクリメノールだ)を一人、召使として常傭(じょうよう)して置き、外出、訪問といえばむろん同伴を忘れることは決してない。つまり彼らの役目というのは、二人以上の人間が寄ると、この膀胱でもって、話し手の口と、それから聞き手側、それは時には聴衆という場合もあるが、その右の耳とを静かにたたくのである。またこのたたき役は、主人の外出にもきっと付添って、ときどき、その眼を軽くたたいてやる。というのは、なにしろ例の瞑想(めいそう)に夢中になっているのだから、崖(がけ)から落っこちたり、柱に頭を打ちつけたり、それに往来を歩けば人に突き当ったり、あるいはこっちが突きとばされて溝(みぞ)に転げ落ちたり、そうした危険が大いにあるからである。」

「彼らの観念は絶えず線と形に関連している。たとえば女、あるいはその他の動物の美しさを褒(ほ)める時にも、彼らは菱形だとか、円だとか、平行四辺形だとか、楕円(だえん)形だとか、そういった幾何学用語、でなければ音楽から来たいろんな術語(中略)で言い表わすのだ。」

「ある日のことだった、たくさん集まっている中で、一人の紳士がとつぜん我輩に、この国のストラルドブラグ、すなわちいわゆる不死人間なるものを見たかと聞くので、むろんまだ見ないと答えた、(中略)すると彼の言うには、それはごく稀(まれ)ではあるが、時にこの前額、それも左の眉毛(まゆげ)のすぐ上に、赤い円痣(まるあざ)のついた子供が生れることがある、これはすなわちこの子供が不死であるという最も明瞭(めいりょう)な徴(しるし)である、というのだ。この斑点(はんてん)というのは、彼の説明によると、約三ペンス銀貨大のもので、しかも年とともに大きくなり、そして変色するのだそうである、すなわち十二歳になると緑色になり、そのまま二十五歳までつづいて、今度は濃紺色に変る。さらに四十五歳になると漆黒色になり、大きさも英シリング銀貨くらいになるが、それからはもう変化しないということだった。(中略)またこの種の子供の生れるのは、なにも特定の家系にきまっているわけではなく、まったく偶然の結果であり、だからストラルドブラグを親に持ったからといって、その子供はやはり他の人間同様、寿命には限りがあった。」
「彼はこの国のストラルドブラグの模様を詳しく話してくれた。それによると、通常彼らは三十歳ごろまでは挙動すべて常人と同じことだが、それからは漸次意気銷沈(しょうちん)しはじめて、その後はそれが昂(こう)じるばかりで、やがて八十歳に達する、(中略)八十歳――それはこの国では普通最高齢とされているのだが――になると、彼らはもう他の一般老人のあらゆる痴愚と弱点とを網羅(もうら)しているばかりでなく、おまけに決して死なないという恐るべき見込みから来る、まだまだたくさんの弱点を併せ持つことになる。」
「九十になると歯と頭髪が脱落する。この齡になると、もう味の感覚などもなくなってしまい、ただなんでも手当りしだいに、味も食欲もなく飲み食いするにすぎない。(中略)話ひとつしても、日常普通の物の名は忘れる、人の名前は忘れる、(中略)本を読んでも同じ理由でいっこうに面白くない、なにしろかんじんの記憶力がわずか一文章の最初から終りまでさえもたないのだから。」
「それにこの国の言語はたえず動いている。だから甲の時代のストラルドブラグと、乙の時代のストラルドブラグとでは少しも言葉が通じない。そのうえ、ものの二百年もたてば、もはやその隣人とさえ(ごく普通な二、三の単語を除いては)会話ひとつできない有様で、結局、彼らは祖国に住みながら、まるで異邦人同様の不便な生活をしているのである。」


















































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スウィフト 『奴婢訓』 深町弘三 訳 (岩波文庫)

「ロンドンで知合になった大變物識のアメリカ人の話によると、よく育った健康な赤ん坊は丸一歳になると、大變美味(うま)い滋養のある食物になる。スチューにしても燒いても炙(あぶ)っても茹(ゆ)でてもいいそうだが、フリカシーやラグーにしてもやはり結構だろうと思う。」
(スウィフト 「貧家の子女がその兩親並びに祖國にとっての重荷となることを防止し、且社會に對して有用ならしめんとする方法についての私案」 より)


スウィフト 
『奴婢訓』 
深町弘三 訳
 
岩波文庫 赤/32-209-2 


岩波書店
昭和25年5月30日 第1刷発行
昭和49年10月20日 第11刷発行
122p 
文庫判 並装
定価 ★



旧字・新かな。



スウィフト 奴婢訓



帯文:

「惡召使必携ともいうべき本書は、召使の惡習と主人の心理を徹底的に暴露しており、諷刺作家スウィフトの面目躍如たるものがある。」


目次:

奴婢訓
 奴婢一般に關する總則
   細則篇
  第一章 召使頭(バトラア)
  第二章 料理人(コック)
  第三章 從僕
  第四章 馭者
  第五章 別當
  第六章 家屋並びに土地管理人
  第七章 玄關番
  第八章 小間使
  第九章 腰元
  第十章 女中
  第十一章 乳搾り女
  第十二章 子供附の女中
  第十三章 乳母
  第十四章 洗濯女
  第十五章 女中頭
  第十六章 家庭教師
  宿屋における召使のつとめ
 譯者註

貧家の子女がその兩親並びに祖國にとっての重荷となることを防止し、且社會に對して有用ならしめんとする方法についての私案
 譯者註

解説




◆本書より◆


「奴婢訓」「奴婢一般に關する總則」より:

「使いに出た召使が必要以上に手間取って、二時間、四時間、六時間、八時間、かそこいら歸って來ないことがよくある。誘惑は強く、木石ならぬ身の抗し難きこともあろうというもの。歸ると、旦那樣は怒鳴る、奧樣はお小言。裸にするの、ぶんなぐるの、お拂い箱だの、お定まり文句。だが、ここで、あらゆる場合に通用する言譯を用意しておかねばならぬ。例えば、伯父さんが今朝八十哩の遠方からはるばる會いに來て下さって、明日夜明けに歸られるのです。困っている時に金を貸してやった或る朋輩が愛蘭へ逃げようとしていたのです。西印度のバアベイドウズ島へ出稼に行く昔馴染とお別れをしておりました。父親が牝牛を送ってよこして賣ってくれというのですが、夜の九時まで商人が見つかりませんで。今度の土曜日に縛り首になる從弟と最後のお別れをしておりました。石ころで足を挫いて、店で三時間休んでからでないと一歩も動けませんでした。屋根裏部屋の窓から汚物を投げかけられまして、洗濯して臭いの抜けるまでは恥ずかしくて歸れませんでした。水夫になれといわれて治安判事樣の前へ引張っていかれ、お取調までに三時間待たされ、やっとこさ放免されて來ました。支拂不能者と間違えられて執行吏に捕まり、一晩中收容所にとめておかれました。旦那樣が酒場へ行かれ災難にお會いになったと教えられ、悲しくてたまらず、ペルメルとテムプル・バアの間の酒場を軒並探し歩いておりました。」

「自分が雇われている當面の仕事以外には指一本動かしてはならない。例えば、別當が醉ぱらっているか留守かで、バトラアが厩の戸を閉めろと命令されたら、「旦那樣、私は馬のことはさっぱり存じませんので」と、直ぐ答える。掛布の片隅に釘一本打てば留められるという時、從僕がそれを命ぜられたら、そういう仕事は私にはわかりません。家具屋をお呼び下さい、と申上げる。
 出たあとの扉を閉めないといって御主人方はよく召使相手に口喧嘩をなさるが、扉は閉めるためには開いていなくちゃならない、開けて閉めるのは二重の手數だ、だから、最善最短、最も容易な方法はどちらもやらないことだ、とは旦那樣も奧樣も考えない。だけど、あんまりうるさく扉を閉めろといわれて、簡單に忘れることが出來なくなった場合は、家鳴震動物凄く思い切り扉を叩きつけて、御命令を守っておりますということを、旦那樣と奧樣に思い知らせてやることだ。」



「貧家の子女がその兩親並びに祖國にとっての重荷となることを防止し、且社會に對して有用ならしめんとする方法についての私案」より:

「ロンドンで知合になった大變物識のアメリカ人の話によると、よく育った健康な赤ん坊は丸一歳になると、大變美味(うま)い滋養のある食物になる。スチューにしても燒いても炙(あぶ)っても茹(ゆ)でてもいいそうだが、フリカシーやラグーにしてもやはり結構だろうと思う。
 それ故、以下私見を述べて大方の御考慮を煩わす次第である。先に計算した十二萬の子供の中二萬は子孫繁殖用に保留しておく、男はその四分の一でよろしい、それでも、羊や牛や豚よりも割がいい。(中略)殘った十萬を丸一歳になったら國中の貴族、富豪に賣りつける。母親に忠告して、最後の一月(ひとつき)はたっぷり乳を飲ませ、どんな立派なお獻立にも出せるように丸々と肥らしておくことが肝要である。友人を招待するなら赤ん坊一人で二品の料理が出來る。家族だけなら、頭の方でも脚の方でも四半分で相當の料理が出來る。少量の胡椒、鹽で味をつけ、殺してから四日目に茹(ゆ)でると丁度よい、特に冬分はそうである。
 私の計算では、生れ立ての赤ん坊は平均重さ十二封度、普通に育てて丸一年で二十八封度に增える。
 この食物が少々お高いものになることは事實である、だから地主さん方に適當な食物で、親達の膏血をすでに絞った彼等だから子供を食う資格も一番あるというものだろう。」

「私案を毛嫌いし、敢て反駁を試みようとなさるであろう當路の方々にお願いしたい、先ずこれらの子供の兩親たちにこういって訊いてみてもらいたい――私のすすめているような風に丸一歳の時食べ物として賣られて、そうすることによって、その後經驗した數々の不幸の連續を避けた方が、ずっと幸福だったと今彼等は考えはしないだろうか。地主の暴虐に苦められ、金も仕事もなくて地代が拂えず、命をつなぐ糧(かて)に事缺き、住むに家なく、寒さを凌ぐ着物もない、しかも、同じ或いはもっとひどいみじめな暮らしを子供達が永久に續けていかねばならないという先の見通しを避けることも出來ない、これでも生きていた方がよかったかどうか。
 最後に、衷心から申上げておきたいことは、この私案を提出し主張するに際し、私は少しも個人的利害を持たないということである。祖國の公共的利益のため、商業を振興し、幼兒のため後圖を策し、貧民を救濟し、富者に若干の快樂を與える、それ以外に何の動機も私は持たない。一文の金を儲けようにも、それに必要な赤ん坊が私にはない。私の末の子は九つになり、妻はもう子供を生む年ではない。」



「解説」より:

「「奴婢訓」
 これは一七四五年スウィフトが死んだ直後に初めて出版された遺稿であり、且(遺憾ながら)未完成品である(未完成であることは、本文の六、七章や第十一章以後が殆ど覺え書の程度を出ていないことを見ても、明瞭である)。しかしこれをスウィフトが書き初めたのは可成り早い頃だったらしい。」
「或るスウィフト全集の編纂者も言っているように、スウィフトは初め、「宿屋における召使のつとめ」のように正面から眞面目(まじめ)に奴婢に教え指圖する文章を書いている中に、皮肉に裏から僕婢の惡習を發(あば)く形式の方が一層効果的で且面白いものが出來ると考えて、途中から趣向を變えたものらしい(中略)。嘗て自ら從僕をやつたことがあり、下僕生活の表裏によく通じた一人の男がこれを書いたことになっている(中略)。その男が、現在下僕をしている仲間の者達に與える指圖の形で、自分の過去の經驗から割出して、どうしたら主人を胡麻化し欺くことが出來るか、主人に氣取られずに骨惜みをするにはどうするか、役得をせしめるにはどうしたらよいか、などを教えるのである。」
「「貧家の子女を有用ならしむる方法についての私案」
 これは一七二九年の作である。一七一四年、トリイ黨政府の瓦解と共に政界に希望を失ったスウィフトはダブリンに引込み、聖パトリック寺院のディーンとしての靜かな生活を送っていたが、英國政府の誤った政策のために窮乏悲慘の極に陷っていたアイルランドの樣子を見るに見かね、持前の義俠心に驅られ、アイルランド愛國の志士として、時の英國政府に對し一矢を放つべく、筆を取って立った。そこから生れた一聯の作品があるが、その中でも諷刺の辛辣さにおいて最も秀れているのが、この「私案」である。」























































スウィフト 『桶物語・書物戦争 他一篇』 深町弘三 訳 (岩波文庫)

「スウィフトは自尊心が強く敏感であった、逞しき理智と繊細な神経の持ち主であった。センチメンタリズムを嫌った、自己の感情を素直に表白することの出来ない人間だった、常に皮肉と嘲笑の仮面を被っていた、高慢と冷酷の表面の下に敏感と神経質をそっと隠していた。偽善と虚偽を恐れ憎むあまりにややもすると露悪家となった。学生時代からの哲学嫌いは彼の天性の一つであった、抽象と概括を嫌い、例外を証明する珍奇な事実を見出すことを喜ぶモンテェヌ的実証精神の持ち主だった。」
(深町弘三 『桶物語・書物戦争 他一篇』 「解説」 より)


スウィフト
『桶物語 
書物戦争 
他一篇』 
深町弘三 訳
 
岩波文庫 赤/32-209-1 


岩波書店 
1968年1月16日 第1刷発行
1988年7月5日 第7刷発行
281p 
文庫判 並装 カバー
定価450円



本書「訳者まえがき」より:

「本書は、(中略)ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift, 1667-1745)の初期の大作「桶物語」(A Tale of a Tub)、「書物戦争」(The Battle of the Books)、他一篇の全訳である。」
「本書は昭和二十八年刊行の岩波文庫「桶物語」に修正を施し、新たに「書物戦争」他一篇を加えたものである。原著も一七〇四年の初版以来この形が普通である。」




スウィフト 桶物語



カバー文:

「人間は本当は卑しい現世的欲望に動かされている、もったいぶった体裁はそれを隠すための巧みな仮面にすぎないと喝破して、宗教界の争いを徹底的に諷刺した『桶物語』。近代と古代の学問の愚劣な優劣論争を痛烈に暴露した『書物戦争』。いずれにも、若き日のスウィフト(1667-1745)の自信に満ちた諧謔と皮肉が躍動している。」


目次:

訳者まえがき

桶物語
 書店主よりジョン・サマァズ卿閣下に奉る辞
 書店主より読者へ
 後世王子殿下へ書翰体献辞
 緒言
 第一章 序論
 第二章 桶物語
 第三章 批評家について
 第四章 桶物語
 第五章 近代的脱線
 第六章 桶物語
 第七章 脱線讃美の脱線
 第八章 桶物語
 第九章 社会における狂気の起源と効用と利用について
 第十章 続脱線
 第十一章 桶物語
 結語

書物戦争
 出版社より読者へ
 作者の序
 聖ジェームズ図書館において先週金曜日古代と近代の書物の間に戦われた戦争の一部始終の顚末物語

人工神憑の説
 刊行者の辞
 人工神憑の説

訳者註
解説




◆本書より◆


「桶物語」「第七章 脱線讃美の脱線」より:

「胡桃(くるみ)の殻の中のイリャッド(*)のことは聞いているが、私の場合はイリャッドの中に胡桃の殻を見た方が多かった。(中略)(イリャッド然たる)大冊創造の点では、学界は主として脱線の近代的進歩に負うところが大きい。」

「ギリシャ、ローマ時代のごとく学問がまだ赤ん坊で、食べる物も着る物もすべて創造力一点ばりで育てる--這般(しゃはん)の事情が今も変らぬものなら、その時々の場合に応じて本のページを埋めるのも容易(たやす)いこと、本論を進め明らかにする助けに適度の散歩をするだけで、そうむやみに本題を離れて遠くまで歩き出すにも及ぶまい。ところが、知識の場合にも肥沃な土地に陣営を張る大軍と同じ事情が生ずる。最初の数日は滞在する土地の産物で食いつないでいるものの、糧食が尽きて来ると何マイルも離れた遠方まで味方であれ敵であれいっさい構わず掠奪に行かねばならない。近くの田畑は荒らされ踏みにじられ、作物は出来ず乾き切って濛々たる砂塵をあげるだけ、生命をつなぐ足(た)しには少しもならぬ。
 近代と古代とではかくのごとく万事状況が一変しているので、それを心得ている現代は読んだり考えたりする面倒なしに学者才人になりすます簡単、りこうな方法を発見した。現今書物の扱い方で一番申し分のない方法は二つある。一つは、或る人々の貴族に対するやり方、名前をはっきり覚えておいて昵懇(じっこん)だと吹聴する。も一つの方が実はもっと上等で高尚かつ上品な方法だが、索引に全部目を通すこと。尻尾で魚をぶら下げるように本は索引で思うさま引き廻すことが出来る。学問の宮殿は表門から入るには時間と礼儀が必要だから、気の短い不作法者は裏門から入って満足する。」
「さて、賢明、博学、偉大となる方法はかく平凡事となりその形式も確定したので、それに応じて作者の数がいやでも増え、その結果始終相互の衝突を起こすことは免れ難い形勢となった。更に、或る特殊題目を装い飾って一冊の本に仕上げるだけの新材料がもう自然界には無くなったらしい。これを私に話してくれたのはたいへん計算の上手な人で、数学の法則からこの事も完全に証明して下された。」
「出来たら、何か新しい機智の fonde (源)が供給されなければならぬ、さもないと我々は他の多くの場合と同様ここでも繰り返しで満足しなければならなくなる恐れがある。」
「しからば、最後の頼みの綱は厖大なる索引と圧縮せる梗概の外にはないということになるのではないか。引用文を豊富に集めてアルファベット順に記入する、このために原本はあまり調べる必要がないが、批評家、註釈者、辞書類は入念に見る、なかんずく、選集、文選、詞華集の類をたんねんに漁(あさ)らねばならぬ。これらを学問の篩(ふるい)と釣り糸に譬えている人もある、但し、篩われるのが真珠だか碾割粉(ひきわりこ)だかはっきりしないから、篩の目を通ったのが大切なのか、通らずに残った方が大切なのか、決められない憾(うら)みがある。」



「桶物語」「訳者註」より:

「Iliad in a nutshell 紀元一世紀頃のローマの文人プリニィがその「博物学史」の中で胡桃(くるみ)の殻の中へ入るくらい小さいホーマァの「イリャッド」のあったことを語っている。それから出た言葉で、胡桃の殻のような小さな(つまらぬ)ものの中に「イリャッド」のような大きな(価値ある)ものが入っている意。スウィフトはその反対に、見掛けだけは「イリャッド」然とした大冊美本の中に(胡桃の殻みたいな小さなつまらぬ内容しか発見出来ない場合が多いと言い、近代三文文士の雑文学を嘲笑したのである。」


「桶物語」「結語」より:

「頭脳の働きの配置では、発明を主人(あるじ)とし、方法と理窟はその下僕(しもべ)とするを適当と考えた。こういう配置をするわけは、私という人間が、当面の問題について賢い事や正しい事を何も言えないような場合にも、機智に富んだことだけは言いたい誘惑をしばしば感ずるような人間であることを承知しているからである。そして、近代的方法の忠実な僕(しもべ)としては、そんな誘惑があると、どんなに骨が折れ不都合なことがあろうと、与えられた機会をみすみす逃がす気にはとうていなれない。それというのも、近代一流作者の秀句名文の類(たぐい)、七百三十八を広く渉猟した結果を覚え書帳に収録してあるが、その中普通の会話の中へ引き入れたり、引っかけたり、押し込んだりすることの出来たものは、五年間でわずか一ダースを出ない。その一ダースも、一部はたまたま持ち出された一座が不適当な連中の集りだったので不成功に終ってしまったし、後の部分は持ち込むのに無理をしたり、罠(わな)を掛けたり、廻り路をしたり、えらく骨が折れて、結局断念せざるを得なかった。」


「解説」より:

「「桶物語」は教会の歴史の寓意物語と当時の英国文壇に対する諷刺が主体であって、純文学作品として見れば、抽象的真理と普遍的人間性の上に円熟した諷刺の筆を揮っている晩年の「ガリヴァ旅行記」に劣ると言わなければなるまい。(中略)しかし(中略)、スウィフトという人間を知るためには逸すべからざる作品である。恐るべき厭世家、嫌人主義者スウィフトはいかにして出来たかを知るためには、「桶物語」における若きスウィフトを考えなければならない。スウィフトは自尊心が強く敏感であった、逞しき理智と繊細な神経の持ち主であった。センチメンタリズムを嫌った、自己の感情を素直に表白することの出来ない人間だった、常に皮肉と嘲笑の仮面を被っていた、高慢と冷酷の表面の下に敏感と神経質をそっと隠していた。偽善と虚偽を恐れ憎むあまりにややもすると露悪家となった。学生時代からの哲学嫌いは彼の天性の一つであった、抽象と概括を嫌い、例外を証明する珍奇な事実を見出すことを喜ぶモンテェヌ的実証精神の持ち主だった。そこにはまた、彼の性格の根本的欠陥というべき想像の欠除が結び附いていた。彼自身が持てあますほどの熾烈な世間的野心、立身出世欲に駆り立てられる徹底的な実際家だった。彼にとっては、花鳥風月の趣味は詩と呼ぶセンチメンタリズムに過ぎず、文学ですら非実際的な空想、従って軽蔑すべきものであった。彼にとっては、実際的効果を主眼とした「言葉というよりは行為である」政治的パンフレットの方が真剣に生命を注ぐに足る作品なのであった。この武器を揮って論敵の胸元を刳(えぐ)ることこそ男子に相応(ふさわ)しき仕事であった――こういう人間スウィフトをこの「桶物語」はまざまざと我々の眼前に示してくれる。そこに「桶物語」のスウィフト研究者にとっての貴重な価値が存する。」
「次に、「書物戦争」(中略)であるが、これが実際に書かれたのは一六九七年で、前年の「桶物語」に引き続いて執筆され、その間に殆んど時間的途切れがなかったことは、二つの作の手法や文体や気分の一致から見て明瞭である。
 「桶物語」と同様、「書物戦争」もその作の基調をなす作的気分は虚偽と偽善に対する諷刺と嘲笑であると言って差し支えないが、「書物戦争」にはその直接動機となった一つの挿話がある。それは古代と近代の学問の優劣論という、それ自体は下らぬ論争である。」
「この作品の表面の形ではたしかに作者は、「古代派の一人」として発言しているのであるが、作者スウィフトが真剣に「古代派の一人となって」議論をしていると考えるのは間違いである。スウィフトは古代派の三文文士の文体や論法のパロディを書いてみせているのである。ここにスウィフトの諷刺の手法の特徴と秘密がある。スウィフトは決して正面から物を言わない。常に仮面をかぶって現われる。常に仮想の人物が作者となって滑稽愚劣な発言をする。これがスウィフトの諷刺的手法の特徴である。(中略)作品そのものが愚劣と誤謬の直接の暴露である。その意味で初期の作品は皆一種のパロディだと言える。
 「桶物語」を書いているのは(スウィフト自身ではなく)ロンドンのグラブ街に住む低級愚劣な三文文士、近代主義者で唯物論的無神論者で、かつて狂院生活を送ったことのある狂人である。従って、作品全体が愚劣な三文文士の世迷い言、古代主義者への罵詈雑言(ばりぞうごん)、無神論者の罰当り、狂人の囈言(たわごと)、の連続なのである。同様に、「書物戦争」の場合は、スウィフトは古代主義の作者を設定して近代主義罵倒を行わしめる。作者はグラブ街に住む三文文士で、今度は(「桶物語」の場合とは逆に)古代主義盲信者で、だから、無茶苦茶に近代派をやっつけ嘲笑し罵倒する。我々読者はその叙述のおかしさを笑いながら、やっつけられている近代派の愚劣さと同じ程度に、やっつけることに夢中になっている古代主義者の愚かさを感得する。ひいては、こういう愚劣な論争に躍起になっている古代近代両派の誤謬をおのずから悟るようになる。これがスウィフトの諷刺の効果である。」
「一七〇四年の出版本には、「桶物語」と「書物戦争」の外にもう一篇、A Discourse concerning the Mechanical Operation of the Spirit, In a Letter to a Friend. A Fragment. というのが加わっている。書かれたのは前二者と同じく一六九六―七年の頃で、作的動機も気分も同じである。その内容から「人工神憑(かみがかり)の説」と訳しておいた未完の断片で、霊魂の機械作用を説き、霊感は人工的神憑現象に過ぎないと主張し、牧師仲間の偽善的な聖者気取りをはげしく罵倒した文章で、自ら僧職にある者がこういうとほうもない(と一見思われる)ものを書いたことは、(中略)作者スウィフトの信仰を世人が疑う原因となり、ひいてはスウィフトの宗教界における栄達を阻む大きな障害となった。」
「「人工神憑の説」の作者はやはりスウィフト自身ではなく、スウィフトによって設定された機械的唯物論を盲信する無神論者の三文文士である。この愚劣な三文文士が偽善的な聖者気取りの牧師を口汚なく罵倒するのである。」










































中野好夫 『スウィフト考』 (岩波新書)

「その後の病状は、あたかも枯木のように、痴呆状態が進行するばかりだったらしい。言語を発することが極度に困難になった。これも今日記録されている最後の言葉というのは、死に先立つ一年半、一七四四年四月の某日、召使を呼んで何か伝えようとしたらしい。だが、どうしても言葉が出てこない。いくどかもどかしそうに苦悶したあと、「阿呆だ、おれは」という一語がそれである。」
(中野好夫 『スウィフト考』 より)


中野好夫 
『スウィフト考』
 
岩波新書 (青版) 718/E9


岩波書店 
1969年6月20日 第1刷発行
1988年3月3日 第10刷発行
ii 218p 
新書判 並装 カバー
定価480円



本書「序章にもなるまえがき」より:

「ここに収めた文章は、二篇をのぞいて、すべて岩波書店のPR雑誌「図書」に載せたものである。
 最初はごく簡単に、いわば雑誌編集の色どりのようなつもりで書いた。その後、編集部からの注文もあり、おりおりにつけ、いくらか一般の読者諸君にも興味のありそうな話題だけを、行き当りばったりに選び出して、書きついできたわけだが、一冊の本にするつもりなど、微塵もなかった。したがって、首尾一貫した評伝にもなっていなければ、まして研究などという事々しいものでは、ゆめさらない。」



本文中図版7点、章扉図版10点。



中野好夫 スウィフト考



カバーそで文:

「鋭い諷刺で名高いアイルランド出身の作家スウィフト。出生の奇説をはじめ、傑作『ガリヴァー旅行記』を生み出した構想力、またそれと平行してイギリス本国政府のアイルランド政策に対してふるった糾弾の筆致、さらに謎の女性ステラとの関係等々、複雑で矛盾を極めたスウィフトの多面的な性格と行動をあますところなく描く。」


目次:

序章にもなるまえがき
スウィフト、母を恋うるの記
パートリッジ事件とスウィフト
スウィフトと「ドレイピア書簡」――愛国者マルグレ・リュイ
ガリヴァーが生まれるまで
スウィフトと女性呪詛
スウィフトの遺言書、その他
ヤフーのしゃれこうべ
「僕婢奉公訓」抄
Reductio ad absurdum――諷刺文学の方法論として

あとがき




◆本書より◆


「スウィフトと「ドレイピア書簡」より:

「だが、では、スウィフトは、それほどアイルランドを愛し、アイルランド人が好きであったのかというと、そこで奇妙な事実にぶつかるのである。まず最初に断っておくが、彼はダブリン生まれではあったが、決してアイルランド人ではなかった。彼とアイルランドとの繫りは、やっと彼の父以来のものにしかすぎなかった。彼の祖父というのが、頑強な国教派牧師で、クロムウェルの清教徒革命に最後まで抵抗したために、その息子たちの何人かがアイルランドへ逃亡移民をした。その末弟の遺児がわがスウィフトだったのである。
 したがって、この純血種イングランド人であるスウィフトにとり、最初からあまり生まれ故郷の印象はよくなかったらしい。だが、そんな古いことは問わず、もっと後年の文献に見ても、彼のアイルランド評、そしてアイルランド人への感情には、あまり好もしいものはない。二十八歳のとき、一度アイルランドで聖職に就くが、一年半ばかりで早くもイングランドへ舞い戻っている。一七一四年、いやでもダブリンを終生流謫の地と定めるよりほかなくなったのは、政治に敗れ、栄達の望みに終止符を打たれた、敗残四十八歳のスウィフトであったが、いかにそれを嫌がっていたかは、愛人ステラその他への書簡にくりかえし見える。「みじめなアイルランド、たまらないダブリン」であった。永住二十五年を過ぎたあとでも、まだ「こんな国に生まれ落ちたのは全くの偶然だ」と述べている彼である。ロンドン政界で華やかに活動していた時期などは、アイルランド問題などには全く関心がないと、これはまた正直すぎるほどはっきり言明している。
 そろそろもう死期を予感しだした一七三一年に物した自嘲的戯詩「スウィフト博士の死」は、もちろん彼がアイルランド愛国者として名声の絶頂にあった時期であるが、その中ですら、アイルランドは(他人の口をかりて、という形にはなっているが)「沼沢と奴隷の国、虐げられれば虐げられるほどお追従口をたたく、愚昧、性となった卑屈な国民」ということになっている。さらに同じ詩の末尾に、「彼はその僅かな財産を白痴、狂人を収容する病院を建設するために贈った。もっともそれを必要とする国だから」とあるのは、もちろん文字通り彼が遺言状で、そうした施設建設への金を寄附した事実にも言及しているが、言外にはまた「白痴の収容所」アイルランドそのものへの痛罵も含まれているとする論者もある。
 だが、そのアイルランド嫌いの彼が、一七二〇年以来、突如としてアイルランド愛国者として立ち上ったのである。」



「スウィフトと女性呪詛」より:

「ジョナサン・スウイフトという男は、いったいどんな人間であったのか、これがどうも、見る人次第で、実にまちまちなのである。生前から今日まで、彼の人間にあたえられた評語を、かりに並べてみると、これがまた実に多岐多様で、厭人家、自由のための闘士などというのは、ごく通俗な方で、傲岸不遜というのがあるかと思えば、逆にやさしい心情の持主であったというのもある。そのほか野心家、破戒僧、女性の敵などというのから、ひどいのは狂人扱いまである。しかも、困ったことに、これらの人物評価、それぞれ判断の根拠になっている彼の言動や、書いたものの一節などを、それだけ採って考えると、すべて必ずしも当らないとは言い切れないから、困るのである。
 どうせ人間に対する評価など、見る人次第で判断の異なることは、わたしたちだとて日常いくらでも経験する話だが、それにしても、スウィフトの場合はあまりにもひどい。もちろん彼のような、悪くいえばひどくアクの強い、よくいえば個性の強烈な人間が相手のことだから、当然それもやむをえないかもしらぬが、とにかくいまなおある意味では、謎の人間像といってよい。」



「ヤフーのしゃれこうべ」より:

「七十八年の生涯というのは、まさしく天寿を全うしてのそれであったに相違ない。だが、その真実についてみれば、おそらくこれほど不幸に充ちたみじめな晩年も稀であったかもしれぬ。一七三八年夏、七十歳の彼はすでに友人ポープに、「もはやわたしは齡のせいばかりでなく、公私の所労で衰え果てています。完全に記憶力はなくなり、つんぼのために話もできません。もう一年近くこの状態がつづいていますが、もはや回復は絶望です」と書き送っている。そして四年後の一七四二年には完全な痴呆状態に陥っていたばかりか、狂気の疑いさえしばしば取沙汰された。専門医の委員会による精神鑑定まで行われたのが、この年の夏であった。結論は、もはや公人としても、私人としても、責任負担能力なしということであった。後見人が決められ、ここに彼は全面的に社会人たるの資格を奪われた。死後数年にして出た最初の伝記の著者が、「彼自身のつくった精神病院の、まぎれもない最初の住人たるべき患者」という皮肉な判定を下したのも、この時期であった。(つまり、スウィフトは、かねがねおのれの狂気への不安から、多額の金をおくって精神病患者のための病院をつくらせておいたのである。)
 その後の病状は、あたかも枯木のように、痴呆状態が進行するばかりだったらしい。言語を発することが極度に困難になった。これも今日記録されている最後の言葉というのは、死に先立つ一年半、一七四四年四月の某日、召使を呼んで何か伝えようとしたらしい。だが、どうしても言葉が出てこない。いくどかもどかしそうに苦悶したあと、「阿呆だ、おれは」という一語がそれである。」
「残念ながら――という言い方が当るかどうか、それは別として――彼は生きすぎた。そして悲劇的な、などというのは、傍観者の無責任な興味でまことに相済まぬが、事実はまさにその通り、おそらく彼自身もっともおそれていた老醜だけをさらす結果になったともいえよう。「ガリヴァー」の読者なら誰でも知っているはずだが、彼はその第三篇の中で、ただ長寿不死だけには恵まれているが、不老ということを忘れていた人間ストラルドブラグの老醜と悲惨さとを、例によって痛烈なまでに描き出しているのである。歯も頭の髪も一本残らず脱け落ちる。味覚もなければ食欲もない。ただ機械のように食いつづけるだけ。記憶力は完全に失われており、「わずか一文章の最初から終りまでも」記憶力がもたないのである。隣人との会話は全然不能、しかもなお彼等は生きつづけねばならないのであった。」



「スウィフトの遺言書、その他」より:

「彼自身がのこしている自叙伝の断片によると、彼は二十歳以前からすでに持病の目まいと吐き気に悩まされていたらしい。(中略)これらは結局彼一生の痼疾になったもので、しかも彼自身は、あくまでこれを狂気の兆候と信じており、たえず極度の不安と恐怖に苦しんでいたらしい。」
「しかも病状は、年とともに悪化こそすれ、軽減の気配は微塵もなかった。すでに老年になってからではあるが、ある友人と田舎道を散歩中、行く手に見える老大木、しかもてっぺんの方から枯れかかっているのを見ると、彼は憮然として、あれがそのままわたしの姿だと、深い溜息を吐いたという逸話まで伝えられている。頭の方から立ち枯れる老木、それがまさしく彼のたえず思い描いていた自身の幻影だったのである。」














































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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