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ミッシェル・セール 『分布 〈ヘルメスⅣ〉』 豊田彰 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「子供のままでいるのだ。子供になるのだ。(中略)時間を逆転させるのだ。」
(ミッシェル・セール 『分布』 より)


ミッシェル・セール 
『分布 
〈ヘルメスⅣ〉』 
豊田彰 訳
 
叢書・ウニベルシタス 312 


法政大学出版局
1990年1月30日 初版第1刷発行
iii 429p 人名索引5p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価3,914円(本体3,800円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、ミッシェル・セール『ヘルメスⅣ 分布』(HERMES IV La Distribution, Paris, Les Editions de Minuit, 1977)の全訳である。
 ここには、セール氏が一九七〇年代の中頃に発表した諸論文が収められている。」




セール 分布



目次:




 点、面(網目)、雲

 原動機、(付)後退
小川
 狼、鳩、娘の指し手

カオス
 永劫回帰
分子
 ボルツマンとベルクソン

混合
 スープ、嵐、女
腐敗
 『アンチクリスト』――感覚と概念の化学

襤褸
 言説と行程
群衆、市、荒野
 スペクトル分析

暗騒音
 言語の起源

航海
 船位推算

原注
訳注
訳者あとがき
人名索引




◆本書より◆


「嵐」より:

「歴史の黎明以来、哲学者の仕事は疑うことにある。そしてまた再び、たったひとりで、ひとりで絶望し、一切のグループから離れ、いかなる権力をも永久に剥奪され、たったひとりで、力のどんな見せかけも拒否し、自分らの利益のために辞書を盗んでいった者どもによってあざむきのことばを奪われ、透明になるまでにひとりである私は、すべてを疑っていくであろう。昔の世界、木々、天、地と海だけでもなければ、苦悩と平安に貫かれた私の身体だけでもない。諸々の力が築き上げた世界、単なるイメージであるどころか到るところでしかと見定められる欺瞞の諸力が築き上げた世界を疑うのだ。これらの力がその綺羅を飾っているこの世界という劇場をである。」


「混合」より:

「われわれは世界から排除されている。テキストの中に、単語の中に、文章の中に、言語の中に、語られたものの中に、書かれたものの中に、横たわるものの中に、主体の対象の中に閉じ込められているのだ。諸文化、諸イデオロギー、ひとを締めつけるさまざまないかがわしいしきたりからなる政治的場所(ポリトープ)の中に排除されているのである。われわれが知覚するものはといえば、もはや計算だけである。繁文縟礼、相手の裏をかこうとする駈け引き、嘘の代数学とでもいったもの。哲学はある種の人々(モンド)に迎合して、世界(モンド)を見失った。哲学にはもはや物が見えず、物がこわくなり、物の重さを見積ることも、それらの活発なエネルギーを評価することも、もうできないのである。(中略)主体が私からわれわれに、忠実性から恣意性に、必然性から文化に移動するからといって、観念論の機能の本質的なものが、いささかなりとも変化するわけではない。つまり、対象の世界を括弧に入れて、もはやわれわれの表象だけにしか注意を払わないことにしようというわけである。(中略)物ではなくて、その効果、その語られた効果、その盗まれた効果だけなのである。物理学ではなくて、言語活動なのだ。確かに世界は以前より尊大(アンペリエ)でなくなるが、われわれは世界の支配と引き換えに、人間集団と人文諸科学の帝国主義(アンペリアリスム)を受け入れてしまったのだ。(中略)語られた効果と掲示された諸表象の哲学、そして圧力集団の権力の哲学。ことばの、隔壁の、錯覚の牢獄から自らを解放しなくてはならない。外へ出るのだ。(中略)物じしん。そうだ、唯物論へ、忘れ去られた唯物論へ回帰するのだ。」

「百科学的な系列が再び始まる。天文学。ニュートンの引力は、エンペドクレス的な愛なのだ。(中略)初めてスタート・ラインに立った者にとっての、知の信じ難いまでの陶酔。(中略)毎日が新しく、世界の美しさは増すばかりである。毎朝が彼にとっては(中略)新たな言語の中で万物が結びうる同盟である。(中略)民衆の学問はその振動によって、理論とエロスとの不可避的な混合によって、それと知ることができるであろう。ある体系が誤謬とエロスという二つの振動するためらいを除去するや否や、それは支配階級の産物になるのだ。誤りを犯すことのできない、そして情動的な(パテティック)面を空白にする病んだ理性。パトス、パトスの論理(patho-logique〔=病理学〕)は、認識の健全な部分である。民衆をたわ言や教義によって押しつぶす代わりに、彼らに学問の道を開いてやれば、(中略)権力は感情の洪水の中に崩れてしまうことだろう。(中略)知は歓喜と涙の側に属するものなのだ。(中略)というのも、打ち明けていえば、かつて偏微分方程式が私を感動させたことがあるからであり、そのとき私は潮汐のリズムを計算する前に一個の振動する絃であったからである。」
「百科学も一つのサイクルなのだ。すべてのサイクルのサイクルであり、一切の循環、一切の交換、一切の混合に関する包括的な知なのである。そして、それだからこそ生命が問題になるのだ。循環を停めて見給え。海は塩とごみと結晶とで埋まってしまう。それはごみ箱としての海だ。死んだ海だ。それは死である。海は走り、輸送し、循環し、交換し、混合する。海は生きる。このように知も生きるのである。(中略)百科学とは海なのだ。サイクルのサイクルとしての海なのである。(中略)ライプニッツにとって、知とは、恣意性を伴わずにはエチオピア海とかカレドニア海とかに分割できない海のことである。(中略)ライプニッツにとって、知は分離できないものである。水っぽい環境における結合法の網であって、場所伝いに肥沃になっていくものである。(中略)流動的な百科学者であるライプニッツは、異宗派協調論者(イレニスト)である。海、平和。」

「プラトンの『ティマイオス』。一人の非常に年老いたエジプトの神官が語る。ソロンよ、ソロンよ、あなたがたギリシャ人たちは、いつまでも子供なのだ。ギリシャ人が年をとるということは決してないのだ。あなたがたはことごとく、心が若い。あなたがたには、古い伝統に根ざした昔からの信念もなければ、長い年月を閲した科学もありはしない。それは、火、雷、火災、太陽の息子であるパエトン、それから焰が歴史を破壊するためだ。それは、水、大水、洪水、それに海が歴史を断ち切るためだ。火や水の手から記憶を保護し、血統を守るか、さもなくば、天変地異が起きるごとに再び無知蒙昧になり、永劫回帰のサイクルごとに幼児にかえるかである。ギリシャでは、記録文書は失われてしまった。」
「ギリシャは燃え、アメリカは燃える。文書や古い系図を燃やすのである。ばかげた引き写しの反復を。それは新しい時間を創り出す。幼年期の時間を。(中略)幼年期の時間、科学の黄金時代は、系譜的な時間を逆転させる。プラトンは『政治家』の中で、そのことを語っている。老人が子供になると。(中略)記憶の保管庫をもたない子供の時間。幾何学は子供たちの時間である。ギリシャの少年幾何学者たち。(中略)伝統、規則、規範を屁とも思わぬ新来の、無知で無学な子供たち、水と火の息子たち、(中略)オイディプスから、系譜を抹消し、謎を解決する教育を受けた者たち。化石化したステレオタイプを大口を開いて笑い飛ばすようにと。(中略)最も正確に受信して、伝統的な連鎖の中で次の場所にいる人に順序よく伝達するのではなくて、循環の向きを逆転するのだ。川上に向かって伝達するのだ。老人たちはもはや何も知らない。(中略)エジプトの神官たちも、(中略)ヨーロッパの父祖たちも。ギリシャ人たるものは決して老いることがなく、(中略)子供のままでいるのだ。子供になるのだ。親は消えていく。(中略)時間を逆転させるのだ。驚くべき発見であるが、科学史は系譜学と相い容れないのである。そして多分、歴史とも。」



「暗騒音」より:

「内岸の絶えざる崩潰と山々の非可逆的な侵食の中にあって、流れるけれども安定な川。ひとはつねに同じ川に身を浸すのであるが、同じ岸辺に腰をおろすことは決してないのだ。川の水は、蒸発や雨や雲に対して開いた系として、その流れの中、そのクレオドの行程の中にあって安定している。それはいつでも、しかし確率的に、同一の水をもたらす。徐々に壊れていくのは、固い岸辺の方だ。安定なのは液体で、不安定なのは、磨滅する固体である。ヘラクレイトスとパルメニデスは、二人とも同時に正しかったのである。だからこそ、ホメオレイシス(homéorrhèse)である。生きた系は、ホメオレイシス的なのだ。
 可逆的ではないとはいえ、殆ど安定しているこの川、落ち着きの悪いずれの上で、そして死に向かうその流れの中でほぼ平衡を保っている流水、それはエネルギーと情報、つまりエントロピーとネゲントロピーを、秩序と無秩序を運ぶ。(中略)生きた有機体は、個体発生・系統発生の別なく、あらゆる時間に属している。その意味は、有機体が、永久的なものであるというのではさらさらなくて、われわれの知性が分析し、われわれの実践が識別し、あるいはわれわれの諸空間が支えている一切の時間で織り上げた独特の複体であるということである。ホメオレイシス的ということばは、少なくとも次のことを意味する。流れ(rhèse)は流れていくのだが、類似性が川上に向けて成長し、抵抗するということである。向きあるいは矢印を備えたすべての時間的ベクトルは、ここ、この場所では、星状に配置されている。有機体とは何か。時間の束である。生きた系とは何か。時間の花束である。
 こういう結論がもっと早く出ていなかったのは、全く驚くべきことである。おそらく、多重時間性というのは、直観するのが難しかったのであろう。しかしながら、われわれは、身の回りの事物がすべて同一の時間に属するものではないことを、何の苦もなく受け入れる。エントロピーの海の上あるいは中にあるネゲントロピーの島々、あるいはボルツマンの意味での個々の宇宙、つまり、増大するエントロピーの中における局所的な秩序の溜り場、灰燼のただ中にある結晶の保管庫、これらはどれもこれも、われわれの眉をひそめさせるようなものではないのだ。生きたシレイシスが、海と島々とを再結合する。全く新しい意味で、有機体は共時的なのである。(中略)有機体は、時間的なインターチェンジの上に立っているのだ。いや、有機体は時間のインターチェンジなのである。」

「流れの中にあって、殆んど安定している乱流。今後は、存在するとか認識するとかいうことは、次のようにいい換えられることであろう。ごらん、ここには島々があるよと。稀有な、あるいは幸運に恵まれた島々。偶然的に、あるいは必然的に生じた島々。」



「訳注」より:

「ホメオレイシス(homéorrhèse) セール氏が、恒常的な静止状態を含意するホメオスタシス(homéostasie)に対置するべく作った語。恒常的な流動状態をいう。」









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ミッシェル・セール 『五感 ― 混合体の哲学』 米山親能 訳 (叢書・ウニベルシタス)



















































































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ミッシェル・セール 『五感 ― 混合体の哲学』 米山親能 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「全体としては、われわれがどの程度まで世界に恐怖を与え、どのような暗い穴ぐらのなかに世界を逃げ去らせているのかわからない。この騒音の恐怖ゆえに虎はジャングルのなかをさまよい、鷲は断崖の上に、狐は地下の穴に、猿はどこかの島に引き籠っている。これらの動物たちは今や絶滅の危機に瀕している種である。なぜならわれわれは騒音をさらに広げる手段を学び取ったからである。(中略)ヒロシマの住民たちに聞いてみたまえ、一九四五年の夏のある日に、彼らが世界のいかなる与件を聞いたかを。」
(ミッシェル・セール 『五感』 より)


ミッシェル・セール 
『五感
― 混合体の哲学』 
米山親能 訳
 
叢書・ウニベルシタス 323


法政大学出版局
1991年6月1日 初版第1刷発行
vi 572p 人名索引4p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価4,944円(本体4,800円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Michel Serres, Les Cinq Sens - philosophie des corps mélés I - essai (Editions Grasset et Fasquelle, 1985)の全訳である。」



セール 五感



目次:

ヴェール
 誕生
 入墨
 画布、ヴェール、皮膚
 ヘルメスと孔雀
 繊細さ
 変化(ヴァリアシオン)
 シベリアリスの毛皮
 霧
 共通感覚
 混合、ヴェールを剥がすこと

ボックス
 エピダウロスでの治癒
 三つの可聴音域
 ソフトとハード
 通路(パサージュ)
 細胞

テーブル
 動物精気(エスプリ・アニモー)
 思い出(メモワール)
 石像
 死
 誕生

探訪
 (村々の(ロカル))風景
 (全面的に(グローヴァル))異郷にあること(デペイズマン)
 方法と遊歩道(ランドネ)(全体的なもの(グローヴァル)と局在的なもの(ロカル))
 状況
 混合した場所

歓喜
 ステンドグラス
 フランスでの治癒
 署名

訳者あとがき

人名索引




◆本書より◆


「ヴェール」より:

「否、戦争はあらゆるものの母ではない。戦闘は新たな戦闘以外に何も生みださない。それゆえ戦争の生産性は皆無である。そうなのだ、弁証法は過ちを犯している。(中略)紛争から何か一つでも生産された例を、論争から何かの発明がもたらされた例を示していただきたい。」
「弁証法は大変な成功を収めた。このようにひどい誤りが、哲学的思弁にのみでなく教育にもまた侵入するということが、どうして起こりうるのだろうか。戦うことは良いことであるというこの既成概念に疑いをさしはさむ者が今日、一般大衆のなかで誰がいるだろうか。」
「果てしない戦争によって生じる全世界的な破壊のただなかで、稀に、局部的に維持される相対的な平和、平和の小さなポケットのなかを除けば、何ものも生産されず、何ものも造られない。弁証法は、闘争に対するヒト属の熱烈な愛好という点においてしか成功をもたらさなかった。(中略)したがって彼らは、作品は闘争から生まれると説くあらゆる理論を礼讃する。(中略)作品はすべて静寂と平和の、ありそうもない孤島からしか生まれないにもかかわらず。」



「ボックス」より:

「隠者はこの距離を知っていたのだが、この距離の向こうにあって初めて、うつろいやすい与件の聴取が可能になる。隠者や隠遁した学者たちはこの距離を求めた。」
「静寂に浸ることは治癒することと同価である。人は孤独になることによって、静寂を言語の帝国から救いだすことができる。もし世界が騒音で満たされていれば、誰がそのうちに探求を始めるのだろうか。言語は科学を生みだし、科学は無数の技術を可能にし、無数の技術は相当な騒音をだすので、ついには世界は言語で叫んでいると言われるほどになった。言語はついには理性をもつに充分な働きをした。私はこの理性の外に一つのねぐらを求めているのだ。」
「真の意味での象牙の塔は、孤独な者を取り巻いているのではなく、寄り集まった者たちを閉じ込めているのだ。集団は言語という堅固な壁に囲まれている。誰もことば以外のものに注意を払うことができない。」
「一人野外で、静けさのなかで、イエロー・ブルーの大気に浸り、私は、集団の騒音によって追い払われている与件、言語によって麻酔をされている諸感覚に、再生の機会を与える。集団は自己の喧騒に浸りきっており、自己の歓呼のなかで自己満足し、外部の物事をほとんど知覚しない。(中略)騒々しいコミュニケーションの船のなかで、集団は病気に陥っている以上に酔っており、言語に酔い、騒音に中毒し、美的感覚を欠き、麻酔をかけられている。夜も昼も、おのおのが同じ語で、同じ回路の上で、同じ人物とともに、同じ関係の循環を繰り返しているのだが、彼らはそうしないではいられないのだ。(中略)私も、中毒になったこれらの人間と別な生き方をしているわけではない。ことばに没頭しており、ことばによって五感が麻痺しているのだが、私がそのなかで生きているすべての集団は、ことばを必要としており、ことばを糧としている。この冬の朝、私がアスクレピオスの神に求めた治癒は次のようなものである。それは確かに、外部の静寂と調和した諸器官の静寂なのだが、しかしとりわけ私の内における言語の沈黙である。おそらくは困難なものであろうが、私の初めての解毒治療である。美的感覚を構築しようとする者は、自らの無感覚症が消え去るように祈るのだ。
 濃密な青い太陽のもと、(中略)私は自分を浄化したいと思っている。つまり(中略)私は自らの寄生音(パラジット)から解放されたいと思っているのだ。」

「麻薬におかされて生きている人々よりも、言語におかされて闊歩している人々の方を私は恐れている。」

「治癒するために(中略)やってきたのだが、私は自分の不死や個人の不死を求めているのではなく、いまや危機に瀕している種の不死を求めているのだ。集団全体が自分の死から治癒されなくてはならない。(中略)失われた古い文明の廃墟のなかで、今日の病める文明全体が、どのようにしてまた何に毒されており、どのような刑を宣告されているのかを理解しようと私は試みている。いかにしてこの文明を治癒させ、この文明に原初の素朴さと直接的な活力を取り戻させるために、どのような貢献ができるのかを私は探し求めている。」

「すべてのことがことばで言い表わされ、ことばによって解決されるというこの思想、真の問題は議論を生むという思想、哲学は問答に帰着するという思想、話すことによってしか養生することができないというこの思想、情報はもっぱら言説を通してのみ伝わるという思想、かくも流布しているこの思想、おしゃべりで、演劇的で、宣伝的で、厚かましく、恥じらいのないこの思想は、ぶどう酒やパンの真実の存在、その無口な味や香りを知らず、わずかに示されただけの身振りによる示唆、示し合せ、暗黙の了解を忘れている。すばらしい愛の祈り、雷光のように閃くありえないような直観、立居振舞いのかもしだす魅力を、この思想が知らないことは言うまでもない。司法的なこの思想は、内気な者たち、つねに自分自身の意見をもっているわけではない者たち、自分が何を考えているかを知らない者たち、探求者たちに、有罪を宣告する。」

「学者は退場し、今や子供が登場する。」

「陽光のもとで、私たちは互いに歩み寄っていった。彼はしゃべらなかったし、私ももはやしゃべらなかった。私たちは手を取り合い、そっと円形劇場を離れた。
 暑くもなく寒くもなく、風があたかも皮膚の上に地図を描くかのように顔や腕をなでてゆく。心地よいそよ風は木々の木の葉と、ほとんど音楽的で声にはならない会話を交わし、幹からは渋みを帯びた季節のはしりの香りが発散されている。一本の草を唇の間にくわえ、その草を噛むと収斂剤のような味がする。谷間では、耕作された畑が、眼状斑のある孔雀の尾のように、黄色や青の小さな断片をなし、いかめしさを呈する多岩質の丘に至るまで、神々の風景が開けている。
 来たまえ、来たまえ、私は君に遺贈したいものだ、感覚で捉えうる失われた諸物を、多様な世界とぼかし模様の肉体との内緒話を。私は君に遺贈するだろう、繊細さを、味と香りを、知恵と明敏さを。来たまえ、そしてわれわれが、衣服のように、垂れをもつ皮膚を構築したならば、その後で私は、自分の言語の古い廃墟、死に瀕している私の美しい言語について語るだろう。それは絹布のようにひだをなす水から、無柄の葉がざわめきを立てるポプラの木々から、諸物の心地よい声から、直接に生まれた言語なのだ。来たまえ、略奪され、忘れられ、うち捨てられた二つの楽園の残骸と廃墟のなかへ。言語によって破壊された感覚の楽園、コードによって破壊された私の言語の楽園。来たまえ、まだ時間が残されている間に。私はうまくやれなかったのだが、われわれはもう一度やり直そうではないか。来たまえ、聴いたり見たりすることのできる人間の最後の子供たちよ、感ずるために、触るために来たまえ。」









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ミッシェル・セール 『北西航路 〈ヘルメスⅤ〉』 青木研二 訳 (叢書・ウニベルシタス)



















































ミッシェル・セール 『北西航路 〈ヘルメスⅤ〉』 青木研二 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「今日ここでは、一様な力によって占有されている空間の中には、たぶんその力から逃れるために行なうべき冒険しかもはやないかもしれない。風を調べるために冒すべき危険しかもはやないのかもしれない。」
(ミッシェル・セール 『北西航路』 より)


ミッシェル・セール 
『北西航路 
〈ヘルメスⅤ〉』 
青木研二 訳
 
叢書・ウニベルシタス 328 


法政大学出版局
1991年5月15日 初版第1刷発行
iv 250p 人名索引4p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価2,575円(本体2,500円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、ミッシェル・セール、『ヘルメスⅤ 北西航路』(HERMES V, Le Passage du nord-ouest, Paris, Les Editions de Minuit, 1980)の全訳であり、ヘルメス・シリーズの第五巻にあたる。」



セール 北西航路



目次:

遠歩き(ランドネ)
 新たなゼノン
 北西航路

第一の航路
 注目に値することではあるが、そこから何ごとも起こらない
 正確で人間的
 固体、流体、炎
 空間と時間
 歴史――世界と場所、妨害

遠歩き
 散歩によって展覧会の絵の検討が行なわれる

第二の航路
 妨害――認識論
 科学史
 幾何学の起源 3
 幾何学の起源 4
 幾何学の起源 5

原注
訳注
訳者あとがき
人名索引




◆本書より◆


「北西航路」より:

「私は精密科学と人文科学の間の通路〔航路〕(パッサージュ)を探し求めている。言語、ないしは統制をとり除いたあとの、われわれと世界の間の通路を。
 その経路は、知の分類が予測させるほど単純なものではない。それは有名な北西航路と同じくらい厄介なものである、と私は思う。」
「北西航路は、カナダ北極圏の冷たい海域を経て、大西洋と太平洋を連絡している。パフィン島領域とバンクス島地域の間の湾や水道、海盆や海峡で途方もなく錯綜した迷宮にそって、北極地方のフラクタル的などこまでも広がる群島を横切って、この航路は開かれ、閉ざされ、曲がりくねっている。不確実な分布と強い恒常的な拘束、無秩序と法則。」



「固体、流体、炎」より:

「何百万年にもわたって、カメラがブルターニュの西海岸とそこの入り江や島々を撮影することができ、われわれは数分間でそのフィルムを映写することができると仮定しよう。われわれは炎を見るだろう。太陽の縁を見るだろう。そのコロナの突起は海岸の形をしている。イルワーズの入り江は、大西洋によって、あるいはわれわれのもつ時間のゆるやかさによって凍りついた、燃える火の外観を呈している。」
「われわれにとって、炎の縁は非常に急激な変わりやすさをもつので、炎がそこに存在するのかどうか決定を下すことができない。それは突然不在となったり、他のところへ移ったり、まさしくここに再び現われたりするが、それはもはや同一の炎ではない。(中略)それでもやはり同一である、と私は思う。ただし直前の時における炎の状態とはいかなる関係もない。」
「それは突然分裂するが、分裂の中にあって、しかも分裂するがゆえに同一なのである。逆説的な位相数学。連続していて連続していない。(中略)炎の縁(へり)は――とはいえ炎はそれ自身が縁ではないのか――色合いの曖昧に変化したもののように流動的ではなく、当てのないままゆらいでいるように見える。その縁は偶然性音楽にひきずられるかのようにして踊っていて、予測不可能である。(中略)炎は、境界もなく、まるで当てがないかのようにゆらぎ、のびやかであり、ゼロであり、巨大であり、周縁も余白ももたない。おのれ自身の平衡からいつもずれている。」
「もろもろの対象は、相異なる時間によって凍結させられた炎である。私の身体は、薪を燃やしつくす深紅のカーテンよりもいくぶんゆったりとした炎である。他の物はいっそうゆったりしている。石、他のさらに電撃的なもの、太陽。千の時間がそれらの縁をゆり動かしている。」



「散歩によって展覧会の絵の検討が行なわれる」より:

「われわれが住んでいる人為構造の世界、ほんの少し前から大量にとり入れられているこうした古典主義的合理性のマヨネーズとは、観念論の偶発的な勝利である。(中略)われわれはもはや合理化された対象や関係しかもっていない。加工され、研削され、製造され、橋をわたされ、型枠に流しこまれた対象や関係しかもっていない。応用された合理主義ないしは合理的な物質主義の整然とした世界、これは狂気や詩を、手真似でよその場所へ追いはらう。
 それらの主義が裁断の屑、削り屑、ごみ、廃物を捨てるのである。研削のあとの屑全部のために下水処理の場所や施設を見つけなければならない。合理的ならざるもののために地獄が必要なのだ。すでにプラトンは、髪の毛や泥や垢を欲していなかった。(中略)事物の分割は、破片や灰の粉塵をつくり出す。そして世界が合理的であればあるほど、ますますごみが産出されるのである。われわれは、ピューリタン的な地獄に入りこむ。仕事や定理でおおいつくされたまさしく神学的な空間。汚いものときちんとしたもの、偽と真、曖昧なものと明快なもの、あり得ないものと確実なもの、逆と同一、敵対するものと多数をしめるもの、悪と善、不純なものと純粋なもの、悪魔と善神の根本的な分割、これがすでに排除のすべてを産み出してしまったのだ。(中略)仕事の分割のあとに残った削り屑はいったいどこにあるのか。知や諸科学の分割の残骸はどこにあるのか。いつか、あなたがたは下水処理場で私をまた見出し、そこへやって来て私と一緒になることだろう。切削の工程によって、清掃の仕事によって失われた驚嘆すべきものを見出す可能性があるのもまたそこなのである。」
「切削物のごみ箱の中に、われわれは世界そのものを見出すだろう。」



「科学史」より:

「ウェゲナーの大陸移動の仮説に対する専門家たちの敵意を説明する場合に、一種の文化的無意識の中にあった大陸の構想の暗喩的重要性がいつも忘れられていた。すでに古典主義時代の初めに、分離された諸大陸との比較によって、科学が分割されたり分類されたりしていた。(中略)しかし、もしパンゲアのような大陸から始まる移動があるとすれば、もはや誰も心やすらかではない。定め得る時間の中で、分割されていない空間としてひとつの科学が存在するだろう。したがって、ウェゲナーの考えは、さらに、ある新しい認識論を表わしているが、科学の社会-歴史的な分割は、それを排除したり抑圧したりすることに心を砕いている。」








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ミッシェル・セール 『パラジット』 及川馥/米山親能 訳 (叢書・ウニベルシタス)


















ミッシェル・セール 『パラジット』 及川馥/米山親能 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「食客の理論は、状態の変化の超微細な価値査定へとわれわれを導く。この理論は思いもよらない連鎖を明らかにする。そこでは小さな原因が、あるいはきわめて微細なずれが、なんらの影響も及ぼさない場合もあれば、均衡回復の効果あるいは抵抗力強化という結果をもたらすこともあり、あるいはまた膨大なそして破局的な結果をもたらすこともある。」
(ミッシェル・セール 『パラジット』 より)


ミッシェル・セール 
『パラジット
― 寄食者の論理』 
及川馥/米山親能 訳
 
叢書・ウニベルシタス 222 


法政大学出版局
1987年11月20日 初版第1刷発行
1993年2月10日 第2刷発行
viii 454p 人名索引4p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価4,326円(本体4,200円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Michel Serres, Le Parasite, Grasset, Paris, 1980 の全訳である。」
「パラジット parasite とは食客、居候、寄食者(中略)のことなのだが、これはヨーロッパの伝統ではきわめて古い語であるとともに、セールのいうように最古の職業であって、(中略)ギリシア、ラテンの多くの書物に顔をだすおなじみのものである。ところがこの同じ語が、生物学においては寄生生物、物理学においては雑音あるいは雑音を生じさせる電磁波、情報科学においてはノイズすなわち必要な情報に混ざって出てくる不必要なデーター、等々なのである。このようにこの語は、食客、寄食といった社会現象のみでなく、免疫学、生物学、情報理論、歴史理論など、広い分野をカバーする古くて新しい語である。いわゆる学術用語はもともと厳密な語であったわけではなく、「厳密科学の基礎的語彙は、知ってのとおり、きわめて古風できわめて日常的な習慣や風習から生じたもの」(本書八頁)なのである。(中略)セールがこのような古い語を好んで使ったのは、そうした語のもつ豊かさ、多義性、創造性に注目したからではなかろうか。」
「なお原著にはないが、(中略)扉にラ・フォンテーヌ『寓話』、「都会のネズミと田舎のネズミ」を今野一雄訳、岩波文庫より引用させていただいたこと、および副題「寄食者の論理」をつけたことをお断りしておく。」




セール パラジット



目次:

第一部 中断された食事/もろもろの論理学
 ネズミのごちそう/瀑布
 サチュロスの食事/招待者の二重性
 漸減する生産性/暗闇と混乱
 決定、裁断/包摂された第三者、排除された第三者
 ライオンの食事/一方向への矢印
 闘技者の食事/偏差と現実の構築
 悪漢物とサイバネティックス/新しい均衡
 五旬節

第二部 続・中断された食事/技術、労働
 ネズミのごちそう/二極管、三極管
 ゆらぎ論理
 主人と反-主人
 続・ネズミのごちそう/機械および道具
 手段、中間
 変換空間
 月の形をしたごちそう
 楽園での殿様の食事
 労働
 昆虫たちの食事
 エネルギー、情報
 神々、永遠の招待者

間奏曲 寄食者の全身像
 告白された食事
 ジャン=ジャック、立法者を裁く
 雑音
 音楽

第三部 太った牝牛とやせた牝牛/経済
 サラダの食事/土地私有権の糞尿的起源
 風刺の食事/交換と貨幣、正確とゆらぎ
 兄弟に囲まれての食事/ジョーカーの理論
 栗の実の食事/太陽と記号
 牝牛が川から上がってくる/貯え
 牝牛たちが牝牛たちを喰らう/列〔尻尾〕の理論
 最良の定義
 病気一般について

第四部 夜の宴/社会
 詐欺師の食事/分析する、麻痺させる、触媒作用をする
 招待主本来の名前/主人と奴隷
 準-客体の理論
 空の食卓/愛について
 悪魔/愛について
 最悪の定義
 物語、動物

原註
訳註
訳者あとがき (米山)
人名索引




◆本書より◆


「第一部」より:

「もし招待主(オート)が徴税吏であるならば、私は彼を政治的意味における食客であるとみなす。それは、人間の集団が一方通行の関係において組織化されているという意味である。つまり、一方は他方に寄食するのであるが、後者は前者から何らの利益も得ないという意味で食客なのである。(中略)私はこの半導作用、整流弁、一方向への矢印、方向の逆転なき関係を寄食性〔寄生性〕(パラジテール)と呼ぶ。さらに、招待主(オート)が農業経営者(アグリキュルトゥール)であるならば、私は彼を経済学的意味における食客であるとみなす。(中略)牛乳や住居や仕事や肉を人間に提供してくれる乳牛や樹木や肉牛に、人間は何をあたえるのだろうか。いったい何をあたえてやるというのだろうか。死をである。」

「ところで食客(パラジット)のつくるこの星座はひとつの定数である。われわれはそのことを確かめねばならないであろうが、それは寓話から歴史に至るまで、喜劇から哲学に至るまで、空想から科学に至るまであらゆるところに見出される星座なのである。策略に長けたユリシーズは、羊の長い毛に巣くうもののように、牡牛の腹にしがみついて、片目の巨人キュクロプスの洞窟から脱出する。彼はアルキノオス王の宮殿での祝宴には自らの教訓的な身の上話をもってその支払いとする。(中略)そして最後には、今度はやつらの方が食客として振舞っている求婚者(プレタンダン)と呼ばれる者どもを、自らの弓をもって排除しなくてはならない。西洋のもっとも古いテクストであるこの『オデュッセイア』は本書と同じタイトルをもちえたかもしれない。主題は同じなのだ。おそらく私はもう一つの『オデュッセイア』を書くことになるだろう。」

「一つのシステムはしばしば一つの調和として記述される。(中略)しかしながら、完璧に作動するシステムは一つとしてない。つまり、漏洩も、損耗も、摩滅も、誤りも、アクシデントも、不透明さもないシステムは知られていない。(中略)次のような命題、すなわち「それはうまく作動しないからこそ作動している」という命題が真実であるかのようにすべては生起する。」

「自分たちの理解できないものは壊してしまうような者がどんなに多くいることだろうか。(中略)無秩序と雑音を恐れるあまり、人はどれほど(中略)同質的で冷酷なシステムを構築してきたことだろうか。
 すぐさま問題は一般化される。すなわち、一方の寄生体はシステムを複雑なものへと発展させることにくみし、他方の寄生体はシステムを廃棄する。」



「第二部」より:

「私たちはどんなに幸せだったことだろう。覚えているかい、マルゴ。私たちの問題が、よくいわれるように、未解決なままであった間は。」

「古代および現代の哲学において述べられていることとはまったく逆に、人間は労働する唯一の生物であはない。人間は決してそれほど例外的ではない。動物たちは働いているし、生命ある有機体はすべて同様に働いている。生命は働いている、と私はいいたい。(中略)要するに、ミツバチと建築家との間に私はもはや相違を見ないのである。
 作品は、私の内から、直ちに、蜜のように、クモの糸のように流れでるのだが、いかなる外的な秩序によって私がこの第二の秩序を涵養したのかはわからない。私の身体は絹糸の生成器であり、また言語というこの蜜蠟の生成器である。それは私の五本の指からつむぎだされる長い分泌物である。私は動物のように働いているが、私は労働するのではない。それはゆっくりと、好き勝手にやってくる。動物が本能に導かれてするときもこのようにではないかとふと思う。よくいわれるように、動物にはそれぞれの本能がそなわっているように、私はまさに自らを滲出させる。それは恍惚状態であり、生きもののごく日常的な均衡状態に近寄ることである。私はミツバチであり、クモであり、あるいは木である。私にとって、作品と分泌物との間にはもはや相違はない。しかしそこにはすぐ雑音が存在する。一つの秩序が確立され整えられるその行為のなかにさえ雑音は存在している。」

「人間の寄食は動物の寄生に比較すれば別の等級に属する。後者の単位が一であるとすれば前者の単位は全体であり、(中略)後者の単位が菜園であるとすれば前者の単位は地方全体である。人間にとっては菜園の破壊にすぎなくても、動物にとっては世界の破壊である。
 こういうことはまだ教訓とはなっていないが、しかしそれは重要なものとなっている。自分の菜園を耕すこと、だがまず第一に菜園を破壊しないこと、菜園が破壊されるのを放置しないこと。毒草あるいは雑草という語に相当するギリシア語は毒麦(ジザニー)という語である。毒麦や、雑草を、要するにウサギを畑に入れておくこと。本書は、すでにおわかりのことと思うが、悪の書、悪の問題についての書である。ウサギを追い払わないがよろしい。(中略)やあ、こんにちは、ウサギくん、ずっとここにいてくれたまえ。たまたま菜園にウサギがいるかぎり、いるウサギがほんの一匹であるかぎり、ウサギとうまくやってゆくことである。(中略)これこそ知恵というものだ。(中略)ウサギは魔法使であり、悪魔である。しかし――悪魔ではあっても――良い悪魔である。(中略)ここから寛容が始まるのであり、おそらく教訓もここから始まる。」
「誰が菜園を破壊するのか知りたいものである。確かに、二種類の労働があるらしい。勤労社会の道徳学者(モラリスト)たちは、近頃は危険な存在となっている。」
「われわれの祖先は楽園から追放された。私もまた楽園を去った。われわれはみな追放されているのだ。追い払えば追い払うほど、追い払われる。排除すれば排除するほど排除される。ところが人は排除し続けて生涯をすごすのだ。」



「第三部」より:

「新しいものは外部から起こっている。外部のものは必ずしも否定的なものであるとはかぎらない。(中略)新しいものとは、ごく簡単にいえば、予見できないものである。それは、狂人や、天才や、英雄や、聖人といっしょに、外部に存在している。それらのものが外部に存在しているということはいかにして可能なのだろうか。
 囲いの内部に住まう者は誰であろうと生き長らえ、貯えを食べ、食客となる。そしてそれがシステムの閉鎖を正当化する。(中略)そこから締め出された者は誰であれもはや食べる見通しはたたない。その者はもはや食料貯蔵庫をもたないからである。彼は幸運を探し求めて世をさすらい、自分の見つけたもので自足しなくてはならない。彼は死ぬか狂人となる。彼は手のつけられない狂人となるか、あるいはまた天才の道を歩む。そして彼は生産者となる。土の上で拾い集めた誰の注意も引かないものや、分割の残りものや細胞の残滓や、下水処理場のなかで見つけた汚物や、主人たちの祝宴のパン屑でもって、彼は一つの作品を作ることに成功する。さもなければ彼は死ぬ。作品は彼にとって生か死かの問題である。彼は先ほどの原料のなかに自分の全生命を注ぎ込むことによって生産者となる。私は彼を次のような二重の理由によって大天使と名づける。一つには彼が情報、新しいもの、ニュースをもたらすからであり、もう一つには食客連鎖との関連において彼が必然的に先頭に位置するからである。連鎖の先頭にあること、囲いの外にあること、この二つは一次元か二次元かの相違はあるにせよ同一のイメージである。彼独自の新しさは、選んだ対象から自分の生命を引き出したことではなくて、生産された対象に自分の生命を注ぎ込んだことである。不確定な私の生命、それ以外に新しさは存在しない。
 追放は小さな不幸ではない。われわれは楽園を追放された一組の人間の子孫である。」
「こうして排除された者のなかに死者がおり、、またまれには生産者がいる。そこからふたたび行程が始まる。」









こちらもご参照ください:

ミッシェル・セール 『生成』 及川馥 訳 (叢書・ウニベルシタス)





















ミッシェル・セール 『生成』 及川馥 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「それは灰色の海の響きと微風の音、基調のざわめきの中から生れる。無が存在し、多が存在する、そして両者とも可能性である。」
(ミッシェル・セール 『生成』 より)


ミッシェル・セール 
『生成
― 概念をこえる試み』 
及川馥 訳
 
叢書・ウニベルシタス


法政大学出版局
1983年11月4日 初版第1刷発行
1984年8月20日 第2刷発行
4p+249p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価2,200円



本書「訳註」より:

「noise 「本書はもともとこの語をタイトルとしてもっていた。ノワーズとは古いフランス語の古びた単語、響き(ブリュイ)と怒り(フュルール)、ものの騒がしい混乱と人々の憎しみを表わす語である。ノワーズは渾沌を示す」と裏表紙にあるように、ノワーズは騒々しい雑音と激怒狂乱とを同時に示す本書のキーとなる語である。なおノワズゥはその形容詞の形である。」


Michel Serres: Genèse, 1982

本書にでてくる「ノワズゥな美女」(la belle noiseuse=美しき諍い女)はバルザックの「知られざる傑作」にでてくる未完成の絵のタイトルです。



セール 生成



目次:

短い話
 本書の意図
  1 ノワズゥな美女
   2 アルバのバレー
    3 集団的狂乱
     4 時間の誕生
      夢

       原註
        訳註
         訳者あとがき




◆本書より◆


「ノワズゥな美女」より:

「ライプニッツには混乱、響きと怒り(ノワーズ)、騒音、激怒狂乱を否定しないだけの深さはあった。どうしてもフランス人は 響きと怒り(ノワーズ)という語を保存しなければならない。それは無秩序のように否定的な用語でしか指示されない一つの状態をいうための唯一の肯定的(ポジティヴ)な用語だからである。この 響きと怒り(ノワーズ)の海はいぜんとしてそこにあり、現前し、危険である。もちろん恐怖で戦慄させる何物かがあるのだ。」

「騒々しい、無政府的な、ノワズゥな、色合いの変化する、虎斑(とらふ)のある、縞のある、まぜこぜの、無数の色彩と色調とが入りこんだ多は、可能なものそのものである。それはいくつかの可能なもののひとつの集合であり、可能なもののまさに集合でありうる。
 それは潜在力ではなく、力の逆そのものである、しかしそれは能力(カパシテ)である。この騒音は開口部である。ギリシャ・ローマの古人は渾沌について、それがなかば開いているといったというが、それはもっともである。多は開かれていて、それから自然が生れるが、それはいつでも生れつつある自然なのだ。われわれは多から何が生れるか予言することはできない。多の中で、ここに何があるか、そこに何があるか、われわれは知ることができない。」

「哲学者の役割とすべきこと、哲学者が配慮し情熱をもつべきことは、可能なものをできるだけ保護することである。(中略)哲学者は変種を交配させてふやす庭師であり、原始林の群山を保護し、(中略)歴史と持続の新しい時間をもたらす天候に注意する、哲学者は多様性の牧人である。
 哲学者にはもはや道理がない、彼は存在も真理ももたないのだ。(中略)彼は可能性を自由にのばすことを念願とする。希望はこの周辺部にあるし、また自由もそこにある。」



「アルバのバレー」より:

「「存在」は白くそしてまったく一様に透明である。」

「白く、非限定的なものを「積極的(ポジティフ)」だと私はいいたい。」



「時間の誕生」より:

「時間はまず一つの渾沌である、それはまず無秩序であり雑音である。時間はつねに一つの渾沌であり、それはつねに一つの雑音であり無秩序である。現在、今とは、これらの分離できない混淆である。この渾沌は原始的であるだけではなく、歩くたびに私についてくる、われわれはしばしばそれを忘れている、(中略)渾沌は時間のより大きなかたまりであり、大洋のようなものである。ばら撒かれ、模糊として、ブラウン運動のようである。」

「われわれは哲学に渾沌の概念を導入しなければならない。」
「哲学者は裁判官ではない。もし彼が裁判官や批評家なら、彼は決して生産はしない、彼はもっぱら死をあたえる。(中略)考えようと試みること、生産してみようとすることは、危険を冒すこと、つまり百科全書の分類とは別の波の中でまさに生きることを前提とする。だからこそ渾沌の概念を導入してみよう。
 渾沌は開かれている、それは半開きである、それは閉じた体系ではない。コード化するためには閉ざす必要があり、分類するためには定義するかあるいは境界線で囲わねばなるまい。渾沌は誰の目にも明白である。それは体系ではない、それは多様性である。それは多であり、予期されないものである。渾沌は流れる。それは流れ出る。アルブラ河、白い河。私の耳には、絹のような白い音、ほとんどなめらかな、小さな粒がはねるような、揺れるような音が聞こえる。白い河は方向も正確な岸もなく、ただよい、定まらない。渾沌は漠然たるものである。それは規則に従ったり、掟に従って一定の方向に導かれたり、流れ出たりすることはない。(中略)理性はこぞって抗議する、(中略)われわれの理性はすみずみまで分類され、コード化されており、習慣と方法は外側からあるいは否定によって、つまりアウトローとノンセンスによって、渾沌を語るようにしむける。しかし私は渾沌を肯定的なものとして述べたい。」

「根源的な時間、渾沌に近い時間は動揺によって作られる。それは波動によって作られ、全体化しえないし、量として捉えることも、階級として捉えることもできず、凍結させることもできない。」

「私は発生状態にある知性の行為のごうごうたる叫び、認識の狂乱をじっくり聞いてみたいのだ。」

「時間と空間にかんしては、私は別のところで、問題ははるかに複雑であり、多くの空間が存在すること、おそらく人の望む数だけ空間が存在するし、またいくつもの時間が存在することを証明した。一から多へ、秩序ある状態から無秩序の状態へとさかのぼることには努力がいる。しかしこの無秩序(デゾルドル)という語は最低の語であって、学者からも無学な者からも嘆かわしい反応を引きだすためにのみそこにあるのである。
 私はむしろこの二つの状態を、単一的状態と多様的状態と名づけたい。一方は結合であり、また他方は分布である。
 無秩序ということは、それを考えることを望まないということか、考えることができないということを意味する。それは反秩序ではない、それはおそらくはるかに精巧な秩序であって、すっかり硬直してしまったわれわれの凡庸な悪い頭では捉えられない、しかもそれができないのは、概念つまり秩序にわれわれが身売りしたせいなのだ、ということにまだ気がつかないほどなのである。
 それゆえに私はまず乱流の状態を考えてみようとしたのである。」
「乱流とは何か。それは媒介的状態であり、また混合した集合である。われわれが無秩序の状態と秩序ある状態を区別すると仮定するならば、乱流はこの両者の中間であり、それは考えることがむずかしい、つまり科学的に研究するのが困難な状態であるが、しかし、始動的秩序か終結的な秩序があるところにも、また無秩序や渾沌のあるところにも同時に、共通して、いたるところに広がっている複雑繊細なものである。いつかわれわれは無秩序(デゾルドル)という名称、つまり秩序を措定することによってしかわれわれが考えられないという前提に立つこの否定的な呼称を、はっきり放棄しなければなるまい。乱流の状態は、一と多を、システマチックな結合と分布を、混合するかあるいは連合させる。システムはそこでは分布の中に出現し、またそこで消失する。分布はシステムの中で出現し、そしてそこで消失する。」

「乱流は 響きと怒り(ノワーズ)から生れる。それはいささか一元的に生れ、自分で自分を作る。それは自己形成し、雑音の中で自己を破壊する前に、海から水をしたたらせて立ち上る。」
「乱流は最初の形体であり、それは最初の塔である。」

「海の騒音の上に立ち上る乱流のヴィーナスを想像しなければならない。」



「夢」より:

「私は一つの塔を建てるが、その塔の名前はまだない。」

「人はさまざまの手段によって多様性を排除できるとつねに想定している。私はそんなことはできないと想定し、できないことを確認する。技術や工学の分野においてもできないことを確認する。私は義務論的に政治的にできないことを願う。
 建築中の塔は新しい合理主義である。」

「私は二元論の地獄から自己を解放しようと試みる。」
「科学は必ずしも一とか秩序の側にはないし、多や雑音は必ずしも非合理の側にあるというわけではない。」

「メッセージのためには雑音が必要である、石材のためには砂が必要である、生物にとって無秩序がどんなに必要なことか、歴史にとってざわめきがどんなに必要なことか。」

「私は塔を建てない、私は街みたいなものが建つのを眺めている、私は全然建てはしない、それはできてくるのだ、(中略)あまり多くて算えられないこちらの塔は消えてしまう、崩れてしまう。」

「いや、塔は存在しない、積分は存在しない、身分の上下関係、次元もない、(中略)一般的な秩序の構造は存在しない。(中略)したがって多や雑音や渾沌にひたされた断片的ないくつかの秩序がある。必然性はそこでは偶発事の中にはじけるように輝き、ひとはざわめきのただ中で必然のメッセージを聞く。」

「これらのヴァイオリンの演奏を聞きたまえ、真の音楽的ハーモニーを聞かせる人は、破局的な雑音とすれすれの限界に接近している。彼はその弓でこの境界に火をつける。弓の松脂が溶けるようにこの火をかきたてるのだ。」









こちらもご参照ください:

ミッシェル・セール 『青春 ジュール・ヴェルヌ論』 豊田彰 訳 (叢書・ウニベルシタス)















プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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