伊藤勲 『ペイタリアン 西脇順三郎』

「ワイルドの存在の最大なところは機知である。」
「こういう存在はちょっとない。ちょっと頭が変、どうかしているということは確かである。人はワイルドのことを、あれはちょっとね、と言うことがあるが、ある視点から見ると非常に優れている。病的であると言うかもしれないが、人のまねはできないすばらしい脳髄を持っている。今日はその話をするためだけに来た。」

(西脇順三郎 講演「オスカー・ワイルドの機知」 より)


伊藤勲 
『ペイタリアン 
西脇順三郎』


小沢書店
1999年8月20日 初版発行
315p 口絵(モノクロ)1葉
A5判 丸背布装上製本 カバー
定価4,000円+税
装画: ウィリアム・モリス



附録資料として西脇順三郎「オスカー・ワイルドの機知」(昭和51年12月4日「第2回日本ワイルド協会大会」での講演。著者による書き起こし)が掲載されています。


伊藤勲 ペイタリアン西脇順三郎 01


内容(「BOOK」データベースより):

「詩人の文明・芸術観に最大の影響をあたえたペイターの批評精神。西脇詩の核心を衝く。」


内容(「MARC」データベースより):

「古代と現代、東洋と西洋、時空を超えて往還する柔軟な批評精神。芸術・文明観に即して、西脇とペイターという二つの魂の類縁性を解読する、気鋭の論考。」


目次:

はじめに

Ⅰ 仮面としての文体
Ⅱ 透明な受容体と直観
Ⅲ 順三郎におけるワイルド
Ⅳ 「幻影の人」と近代科学的合理主義
Ⅴ 透明性と文体の魂
Ⅵ 世紀末藝術と魂の恢復
Ⅶ 順三郎――その批評主義の成り立ち
Ⅷ 藝術形態としての幻影
Ⅸ 逆説と巧まれた渾沌

〔附録資料〕
 オスカー・ワイルドの機知 (西脇順三郎)

あとがき
初出一覧



伊藤勲 ペイタリアン西脇順三郎 02



◆本書より◆


「はじめに」より:

「羞恥心の強い田舎少年と都会との出合いは大きな事件であったにちがいない。さらに、ヨーロッパの文藝思想を全身に帯びて帰国した西脇順三郎は、かくして生涯モダニズムの衣を纏った徹底した野人となる。東京の空の下でどれほどの年月を閲しようと、そこは飽くまでも異郷の地でしかなく、放浪者、即ち旅人の意識が心に深く根を張っていた。真にすぐれた藝術家はいかなる集団にも属さないボヘミアンである。真の藝術は権力に阿るところからは生まれてこない。藝術家の精神は権力の側にも民衆の側にも、どちらにも帰属してはならないのだ。彼は、「詩の目的は supernal beauty (崇高な美)を表すことである。詩に社会性を出してはいけない」と言う。こうした考え方はさらに、文語体でも口語体でもない、その中間を行くような文体を求めるというこの詩人の文体論にも通じていく。
 西脇順三郎は役人嫌いであった。(中略)しばしば東京大学を俎上に載せ、子供が東大に合格すると、親が赤飯を炊いて祝うと言って笑った。彼は官学を嫌い私学を好んだ。」



「仮面としての文体」より:

「彼は三島由紀夫について、「切腹した男だから、えらい奴だ、バカだ、精神病者だ。精神病者の考えは超自然であるが、精神病自体が自然なのだから自然にすぎない(2)」と言った。」
「(2) 昭和四十八年十一月六日、明治学院大学大学院、西脇順三郎担当講座「ヨーロッパ文学」の講義のときの、筆者の「三島由紀夫には超自然と自然の連結がなされていると思うが……」という発言に対する順三郎の返答である。ただしこの日の講義は筆者を含めて二人しか出席者がいなかったので、実際には講義は行なわれず、先生との雑談で終わった。」

「すべてが渾然一体となっていくとき自我も溶けて流れる。自我の拡散と消滅がある。自己であって自己でない。円心であると同時に円周である広漠たる世界は、ここに実現される。
 一体順三郎ほど「淋しい」とか「悲しい」とか「永遠」という言葉を頻繁に使いながら、湿って重いあだなるセンチメンタリズムに陥ることがないのは何故か。それは先づ第一にこのように自我を滅却して感情を客観化しているからである。感情が詩を濁すこともなく、却って理智の明晰が感情を清め、詩は地上的な負荷を捨て肉体を去ってエーテルと化す。」



「透明な受容体と直観」より:

「ボードレール、ランボー、マラルメは、西脇詩を考える上で確かに重大な存在ではあろう。しかし西脇順三郎の藝術観の形成に多大な影響を及ぼしたのは、これらの詩人よりも、言及されることの少ないウォルター・ペイターではないだろうか。事実順三郎は自ら、「自分はペイターに始まりペイターに終わった」と言った。「私の一生に影響を与えた書物は恐らくたくさんあったと思うが、その中でも最大に与えたものはウォルター・ペイター」(『あざみの衣』、「私の愛読書」)であり、「ペーターの全集を読んで、ぼくは文学を覚えた」(『西脇順三郎対談集』)とも語っている。また彼は、「ペイターの『享楽主義者マリウス』は何回も繰り返し読んで暗記してしまった」と、若き日を振り返りながら、誇張とも思えるほどの発言をしたこともある。」


「順三郎――その批評主義の成り立ち」より:

「ワイルドのこうした社会主義的傾向から生まれたのが、一八九一年二月に『フォートナイトリ・リヴュー』誌上に発表された「社会主義下の人間の魂」である。」
「「社会主義下の人間の魂」は、社会主義の名を借りた一種の藝術論とも言えるものであり、これが欧米でよく売れたのは、(中略)社会主義の気運に促されたからであり、この藝術論が求められたからというわけではなかろう。ところが順三郎はまさにこの藝術論ゆえに高い評価を下した。社会主義における私有財産の否定が、内面的本質ではなく偶然的な所有物を一切排除することによって実現できるとする禁欲的な個人主義と合致する点があるという点から、ワイルドは社会主義への共鳴を示しているにすぎないのであって、彼の目的は社会主義そのものというより、個人主義なのである。「社会主義それ自体は、それが個人主義へとつながってゆくからこそ価値があるのである」と、ワイルドはそのエセーの中で社会主義は個人主義への過程と見ている。(中略)そしてワイルドがニューヘレニズムと呼ぶこの新個人主義のドグマは、「自分自身になれ」である。順三郎が「オスカー・ワイルドの機知」で伝えたかったのは、自分自身になることの重要性と意義である。」



「逆説と巧まれた渾沌」より:

「順三郎の文体は種々雑多な草が生い茂る野原を具現している。この詩人にとって、野原はまた生命を生む原初の世界でもある。そのような形態をとることによって、この詩人は人間も雑草と同一視され、渾然一体となって連続し、相反するものさえ取り込んだひとつの生命体をなしている世界を表現した。人間の目には飛躍に見えても、生命体としてはそうではなく、そう見えるのは錯覚でしかないことがある。ユングの言う通り、理性など「偏見と近視眼の集まり以外の何ものでもない」。排他的競争原理に基づくダーウィニズムに代表されるような従来の科学的思考だけに依存することの危険性と、生命的な飛躍と和のある世界の重要性を、この詩人は内容のみならず文体にまで形象化して現代人を啓発している。更にまた、ペイター同様に自意識藝術の結果として自画像を描きながらも、人間を枯れては生うる草と変わらぬつまらない存在として人間中心主義は排除し、あの循環的な流動性と遠心力によって、最大限に自我を脱却したことは、ペイター思想をさらに高次なものに昇華したと見ていいだろう。
 ペイターは人間を絶えず集合離散を繰返している天然の元素の一時的な結合物にすぎないと言い、順三郎は日本の伝統の植物的観点からその無常とつまらなさを見た。見ると同時に、生いては枯れることは宇宙の営みであることを知っている。人は草でしかないと認識することは、煩悩そのものと言うべき自我を脱して宇宙、即ち永遠と一体化することである。巨視的に見れば、このふたりは物質的、或いは植物的に人の生のむなしさを見て、有機的組織としての環境、自然との相互滲透的な繋がりを深めてゆくことの重要性を示すとともに、科学主義に陥った時代に宗教の新たな相を見出してゆくことの必要性を暗示している。」




◆感想◆


「自分自身になること」と「自我の脱却」とは矛盾しているようですがそうではないです。夏目漱石も「個人主義」を説きつつ「則天去私」を説きました。「自我」「私」は人間社会において後天的に生成されるものですが、人間社会的でない個人すなわち「自分自身」はそのまま「天」あるいは「自然」だからです。
それはそれとして、著者は「日本ペイター協会理事」「日本ワイルド協会理事」であり、本書ではウォルター・ペイター(とその展開であるオスカー・ワイルド)がどのような影響を西脇順三郎に与えたか(あるいは与えていないか)、かれらと西脇の類似と相違が論じられています。著者は三島由紀夫に興味があるらしく、ペイター/ワイルドを共通項として三島と西脇を比較していますが、西脇詩学の根幹である「遠いものの連結」ということでしょうか。しかしそれは無理だとおもいます。そもそも西脇順三郎は同郷の坂口安吾さえ知らなかったくらいだから、三島由紀夫もテレビでしか知らなかったのではないでしょうか。
とはいえ、大きな家に生まれた「家の子ども」(ペイターの小説のタイトル)であり、人間社会に深い違和感を抱く厭世的な二人の子ども(将来の「ノーベル賞候補」)が、一方では三島由紀夫になり他方では西脇順三郎になるというのはたいへん興味深いです。




























































































































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金田弘 『旅人つひにかへらず ― ニシワキ宇宙の一星雲から』

金田弘 
『旅人つひにかへらず
― ニシワキ宇宙の一星雲から』


筑摩書房
1987年7月10日 初版第1刷発行
276p 
口絵4p(カラー2p/モノクロ2p)
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,500円
カバー装画: 西脇順三郎「はりまの春」
カバー写真: 代々木八幡にて著者撮影
扉: 西脇順三郎「パーマネントをかけた女の首」



口絵は「瀟湘八景図」とその裏面に描かれたジョットの模写「マントを施す聖フランチェスコ」、「虎図」「龍図」です。これらの図版についての詳細は本文に書かれています。

本書はアマゾンマケプレで298円(送料込)で売られていたので注文しておいたのが届いたのでよんでみました。


金田弘 旅人つひにかへらず 01


帯文:

「若い日に『旅人かへらず』の詩人西脇順三郎に出会って以来三十余年にわたる脱俗的交遊と、西脇の強い影響を蒙り、引かれ、また反撥しつつ屈折した軌跡を描く強烈な個性の詩友たちの肖像。」


金田弘 旅人つひにかへらず 02


目次:

追悼 西脇順三郎
愛らしい天気
天蓋一座
 Ⅰ ニシワキの呪文
 Ⅱ 丹波へ行く道
ニシワキ曼陀羅
カルソンの紐が一直線になった
GAULOISES の煙
カイクワウジの坊主
 一 「龍虎の図」開眼
 二 「瀟湘八景の図」の行方
 三 異聞「瀟湘八景」
蜃気楼
 Ⅰ 怖るべき子供ら
 Ⅱ なめり川のセレナード
原風景
鹿の鳴く

あとがき



金田弘 旅人つひにかへらず 03



◆本書収録エッセイ◆


「追悼 西脇順三郎」

追悼文です。見舞にいったら唐突に「テルテルボオイを知っているかね」と詰問されたそうです。「それにしてもテルテルボオイとは一体何のことか、今もって分らないままである。」
テルテルボオイはなんかかわいいですが、「telltale boy」だったら「告げ口小僧」です。


「愛らしい天気」

神戸の旅館に残された「名士落穂集」に西脇順三郎が書き写したディラン・トマスの詩「ロンドンの空襲で焼死した子供の悼みを拒否する詩」(昭和32年5月)。「神戸大学の学長じきじきの歓迎の宴席で、西脇さんが、何故にこのような詩をサインブックに選び書したのか。」その前の頁には学長が映画「会議は踊る」の歌をドイツ語で書いていて、著者は、西脇順三郎にはそのような「青春を回顧しての放歌」「刹那的な興奮は不可解であった。だんだんと憂欝に身をつつまれていった。(中略)そこで、思い浮かんだ詩を書いた。」「己れの拒否反応を、自作ではなくディラン・トマスの詩に託したのは、学者としての、学者に対する礼儀であったのだろう」と推測しています。「「会議は踊る」のあの歌」としか書かれてないですが「唯一度だけ」(Das gibt's nur einmal)のことだと思うので、そこから「ロンドンの空襲」の詩の最終行「After the first death, there is no other.」(この部分は本書では引用されていないですが)を連想したのでしょう。


「天蓋一座」

「天蓋」は著者が皆光茂、羊歯三郎とやっていた詩の雑誌で、西脇も積極的に寄稿しています。

「ある日、西脇さんがぽつりともらした言葉に驚いたことがある。
 「私の詩を理解する人はきわめて少ない」
 沈痛な声であった。すでに『あむばるわりあ』『旅人かへらず』を出した詩人とも思えぬ言葉だった。
 後に皆光が上京して慶応大学文学部長室に初めて西脇さんを訪ねた時、「僕の詩をわかってくれるのは吉田一穂と金田弘と広島の秋山某だ」と言って皆光を驚かせたともいう。」
「西脇さんには、自分の詩が詩壇で正当に評価されていないという根深い不満があったようだ。私の眼を高くかってくれたのも、まだ西脇さんの詩があまり理解されていなかった早い時期に熱烈な支持を寄せたことが、西脇さんの心に焼きついているからではないだろうか。」


本書には「天蓋」掲載形の「秋」(詩集収録形では「Ⅰ章はまるで変っているし、Ⅱ章も終りの二行があらたに加わっている。」)が引用されていて興味深いです。

「秋

 Ⅰ

人の偶像をかくとき
セザンヌは「林檎になったつもりで
坐っていて下さい」という
ピカソは「出来るだけ人間らしく
ないように花崗岩か火山の熔岩の
ような顔をしていて下さい」という
巴里を栗をたべながら歩いていた

 Ⅱ

タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずった木屑を燃やすと
バラモンのにほいがする」



「カルソンの紐が一直線になった」

著者と羊歯三郎の合作詩集(二人が交互に一行ずつ書いた詩)『CALEÇON』(昭和38年1月1日刊)について。

「西脇さんが面白いと言ったのは、
 「自分が一人でやっていることを、君達は二人でやっている。私の詩の考え方と同じだが、激烈さは君達の方が上だ。
 しかし、私は一人でそれをやっている。自分で自分の脳髄を破壊して、私自身が君達のように二人になるのだ。」
というような点だった。」



「カイクワウジの坊主」

西脇の詩に「貝光寺の坊主」として登場する皆光茂と、その所蔵にかかる西脇画「龍虎の図」について。また皆光の弟・羊歯三郎が所蔵していた「瀟湘八景の図」について。


「蜃気楼」

西脇の教え子、三浦孝之助について。


「鹿の鳴く」

著者が早稲田大学で教えを受けた會津八一について。
















































































西脇順三郎 『近代の寓話』 (復刻版)

「人間でないものを愛する人間の
秋の髪をかすかに吹きあげる風は
音もなく流れて去ってしまう。」

(西脇順三郎 「山櫨の実」 より)


西脇順三郎 
『近代の寓話』 
(復刻版)


恒文社
1995年2月20日 発行
220p 口絵(モノクロ)1葉 
22.6×14.6cm
丸背バクラム装上製本 カバー 
機械函
定価5,000円(本体4,854円)


「本書は昭和28年発行創元社版の復刻です。」



西脇順三郎 近代の寓話 06


復刻版函。題箋が貼付されています。


西脇順三郎 近代の寓話 01


カバー表。


西脇順三郎 近代の寓話 02


カバー裏。


西脇順三郎 近代の寓話 03


目次:

近代の寓話
キァサリン
アン・ヴァロニカ
冬の日

秋の写真
梅のにがさ
南画の人間
☆(マチスのデッサンに)
桃の国
無常
冬の日

山櫨の実
人間の記念として
磁器
午後の訪問
甲州街道を

山の酒
アタランタのカリドン
かなしみ
粘土
ナラ
一月
枇杷
庭に菫が咲くのも
道路
五月
冬の会話
夏から秋へ

地獄の旱魃
フェト・シャンペエトル
呼びとめられて
草の葉
夏の日
花や毛虫
燈台へ行く道
山の暦
イフィヂェネアの剥脱
生命の祭祀
野の会話
留守
プロサラミヨン
たおやめ
かざり
紀行
修辞学
自然詩人ドルベンの悲しみ
体裁のいゝ景色
ESTHETIQUE FORAINE



西脇順三郎 近代の寓話 04



◆本書より◆


「近代の寓話」より:

「四月の末の寓話は線的なものだ
半島には青銅色の麦とキャラ色の油菜
たおやめの衣のようにさびれていた
考える故に存在はなくなる
人間の存在は死後にあるのだ
人間でなくなる時に最大な存在
に合流するのだ私はいま
あまり多くを語りたくない」

「アンドロメダのことを私はひそかに思う
向うの家ではたおやめが横になり
女同士で碁をうっている」



「キァサリン」より:

「杏子色の夕焼け
露のような女は
山猫のような影になる
春から夏へ夏から秋へ
このコンクリートの路の上で
人間は恐ろしくしゃべっていた。」



「アン・ヴァロニカ」:

「男と一緒に――
その男は生物学の教授――
アルプスへかけおちする前
の一週、女は故郷の家にひそかな
離別の気持を味うので来ていた。
昔の通りの庭でその秘密をかくして
恋心に唇をとがらしていた。
鬼百合の花をしゃぶってみた。
「壁のところで小供の時

地蜂
おやじ
の怒りにもかゝわらず
梅の実をぬすんでたべたこともあったわ。」
この女にその村であった
村の宿屋でスグリ酒と蟹をたべながら
紅玉のようなランポスの光の中で
髪を細い指でかきあげながら話をした
「肉体も草花もあたしには同じだわ」」



「秋Ⅱ」:

「タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずった木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明朝はもう秋だ」



「秋の写真」より:

「十一月の初めに
歩く朝の孤独のために
この一生のたくらみを
記するだけのことだ。」



「無常」より:

「バルコニーの手すりによりかかる
この悲しい歴史
水仙の咲くこの目黒の山
笹やぶの生えた赤土のくずれ。
この真白い斜塔から眺めるのだ
枯れ果てた庭園の芝生のプールの中に
蓮華のような夕陽が濡れている。」



「冬の日」より:

「すべてを失った今宵こそ
ささげたい
生垣をめぐり蝶と戯れる人のため
迷って来る魚狗(かわせみ)と人間のため
はてしない女のため
この冬の日のために
高楼のような柄の長いコップに
さんざしの実と涙を入れて。」



「山櫨の実」:

「なぜ私はダンテを読みながら
深沢に住む人々の生垣を
徘徊しなければならないのか
追放された魂のように。
青黒い尖った葉と猪の牙のような
とげのある山櫨(さんざし)の藪になっている
十月の末のマジエンタ色の実のあの
山櫨の実を摘みとって
蒼白い恋人と秋の夜に捧げる
だけのことだ。
なぜ生垣の樹々になる実が
あれ程心をひくものか神々を通貫
する光線のようなものだ。
心を分解すればする程心は寂光
の無にむいてしまうのだ。
梨色になるイバラの実も
山櫨の実もあれ程 Romantique なものはない。
これほど夢のような現実はない。
これほど人間から遠いものはない。
人間でないものを愛する人間の
秋の髪をかすかに吹きあげる風は
音もなく流れて去ってしまう。」



「呼びとめられて」より:

「菜種の畑を
蛇のようにはってみた。」



「夏の日」より:

「夕べにはつばめの翼
我が心はかたむく
草の茎に沈む日をみて」



西脇順三郎 近代の寓話 05










































































































『馥郁タル火夫ヨ ― 西脇順三郎』 (神奈川県立近代美術館 1994年)

『馥郁タル火夫ヨ
― 西脇順三郎
Junzaburo Nishiwaki (1894-1982)
生誕100年 西脇順三郎 
その詩と絵画』


編集・発行: 神奈川近代文学館・財団法人神奈川文学振興会/神奈川県立近代美術館
制作: 大塚巧藝社
1994年
136p 
27×20cm 並装(フランス表紙)


主催: 神奈川近代文学館・財団法人神奈川文学振興会/神奈川県立近代美術館
後援: 小千谷市教育委員会/朝日新聞社/神奈川新聞社
会期: 1994年(平成6)5月28日(土)~7月3日(日)
会場: 神奈川県立近代美術館

 

西脇順三郎 馥郁タル火夫ヨ 01


目次:
 
開催にあたって
 
無類の詩人 (粟津則雄)
煙っている光線 (飯田善國)
詩人西脇の孤独 (中村真一郎)
マージョリとの出会い (西脇緑)
昭和十年代の西脇順三郎 (那珂太郎)
詩集『失われた時』 (江森國友)
『壤歌』・天体的意識のパーカッション (渋沢孝輔)
晩年の西脇さん (飯島耕一)
西脇絵画の透明感 (岡田隆彦)
画家としての西脇順三郎 (池田満寿夫)
文学部門 (解説・新倉俊一)
 馥郁タル火夫ヨ 1894―1934
 幻影の人 1935―1949
 豊饒の女神 1950―1962
 永遠の旅人 1963―1982
美術部門 (解説・橋秀文)
詩 (粟津則雄・選)
画論 (酒井忠康・選)
著書目録・美術関係文献目録 (新倉俊一・編)
年譜 (新倉俊一・編)
出品目録 文学関係/美術関係
展覧会協力者



西脇順三郎 馥郁タル火夫ヨ 02


西脇順三郎 馥郁タル火夫 06


「マージョリー・ビッドルと結婚
1924年(大正13)7月25日、イギリス人で6歳年下の画家マージョリーと結婚。」


「マージョリー(1900―1988)
ロンドン大学で美術を学んだマージョリーは、来日後挿絵や装幀の分野で活躍、二科展会友にも選ばれた。また文化学院で教鞭を執り、英語と美術を担当した。1932年に離婚、戦争前に帰国した。マチスを思わせる色彩豊かな作品を描いた。」



西脇緑「マージョリとの出会い」より:

「今から十二年前の早春、(中略)私は英国にマージョリを訪ねる機会に恵まれた。なだらかな丘陵が延々と続くハンプシャーの田園風景の中にぽつんと存在する小さな村、ハーストボーン・タラントでマージョリは晩年を過し、亡くなった。母の死を報告したのをきっかけに手紙のやりとりが続いていたので、旧友に会う感じでマージョリは私を温かく迎えてくれた。
 背はそれほど高くないが、骨組のしっかりした、男性的な体つきで、若い頃美人であったと思わせる顔だちは力強かった。幾重にも変化した人生を見て来た眼差しは同時に鋭くもあり、優しくもあった。白髪に真紅のカーディガン、同色のスラックスという出で立ちは無意識に画家の色彩感覚を伝えた。この頃父はどんな物を朝食に食べるかと聞かれて一瞬拍子抜けしたが、彼女は時には懐かしそうに、時には急に活気を持って昔の話をしてくれた。
 「お互い、一目惚れだったのよ。」正にドラマティックな開幕である。ロンドンの中心、ピカデリーサーカスにある、カフェ・ロワイヤールでの出来事であった。この劇的な場面に関して、父の方では父特有の軽べつ的沈黙を守ったに相違ないが、彼女としては、部屋の反対側にいた、文学青年のグループの中に父を見出し、この人以外にない、と心に決めたそうである。」



西脇順三郎 馥郁タル火夫 07


「慶大の学生たちと
1925年11月に帰国した西脇は、翌年4月慶大文学部教授に就任した。ソフト帽に鼻めがね、ニッカボッカにステッキという英国紳士風の出立ちで異彩をはなった。」



西脇順三郎 馥郁タル火夫 10


「四月の寓話」詩稿。


西脇順三郎 馥郁タル火夫ヨ 04


西脇順三郎 馥郁タル火夫ヨ 05


ちらし:

西脇順三郎 馥郁タル火夫ヨ 01

西脇順三郎 馥郁タル火夫ヨ 02



こちらもご参照下さい:

『永遠の旅人 西脇順三郎 詩・絵画・その周辺』 (新潟市美術館 1989年)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

西脇順三郎 『詩の歓び』

「いや、あまりにセンチメンタル……おそらく自分が、病的なセンチメンタルみたいなものを持っているからだかもしれないけれども、そういうものに反発するのかもしれません。」
(西脇順三郎)


西脇順三郎
加藤郁乎/鍵谷幸信/窪田般弥/那珂太郎
シンポジウム 
『詩の歓び』


徳間書店 
昭和45年6月24日 初版第1刷印刷
昭和45年6月30日 初版第1刷発行 
290p
四六判 並装(フランス表紙) ビニールカバー
定価880円
装幀: 道吉剛

「このシンポジウムは昭和四十四年十一月、東京紀尾井町・福田屋で行なわれた。」



本書は西脇順三郎の詩篇「天気」「雨」「太陽」「馥郁タル火夫」「世界開闢説」「旅人かへらず」「近代の寓話」「プレリュード」「失われた時」「最終講義」「田園の憂欝」「野原の夢」をめぐって、英文学者の鍵谷幸信、俳人の加藤郁乎、詩人の那珂太郎、仏文学者で詩人の窪田般彌が、作者である西脇順三郎を中心に雑談する本です。

本文二段組。


西脇順三郎 詩の歓び


目次
 
ことばの衝撃力
玄の思想
永遠の転位
消滅への情熱
ポイエーシスによる夢




◆本書より◆


西脇 (中略)まず古代篇という、大体名前をつけたのは、(中略)私は大体古いものがわりあいに好きだったものですから。古いといっても日本のものは入らないんですけど、ヨーロッパの古いことなんですが、(中略)どうしても私のギリシャ文学に対する態度は、一つの古代として見ているので、(中略)どうしても原始人という立場で、いつもギリシャ人を見ようとしておるんです。(中略)不幸にして(中略)もうすでに文献に残ってるようなギリシャ文学ってものは、実はあまり、私の考えてるような原始人がないんですね。ないけれども、それを私は無理に原始人というふうにしたのかもしれませんが、とにかく、一般の、いわゆるヨーロッパの古典学者が考えてるようなギリシャ文学とは、非常に違うんです。」
「『ギリシャ詞華集』という、ギリシャの大衆文学の残したものがあるんです。それはたとえば、外国じゃ、石碑にちょっと書くのは諧謔が入ってますね。日本みたいに人情的な石碑はないんです。そういうことが非常に面白いんで、アンソロジーを非常に読んだ結果なんですけれども、「天気」とか「雨」とか「太陽」はね。(中略)「天気」というのは、古代篇の序説として書いてあるわけです。(中略)ですから「神」ということが、非常に大切になるわけです。原始人というのは「神」ということはひとつの生命なんですから、みんなアニマーを非常に信じた時代ですから、何でも神に見える。「存在」といったら「神」というような意味になるわけです。(中略)人間でないもの、みんな神というわけ。(中略)近代人の「神」という考え方は、キリスト教的な神と、すぐなるんですけれどもね、しかし私のいう「神」というのは、古代人の考えている神の意味なんです。」

「太陽

カルモジインの田舎は大理石の産地で
其処で私は夏をすごしたことがあった
ヒバリもいないし 蛇も出ない
ただ青いスモモの藪から太陽が出て
またスモモの藪へ沈む
少年は小川でドルフィンを捉えて笑った」

鍵谷 「カルモチン」という睡眠薬がありましょう。
 西脇 で、イタリアでミケランジェロが彫刻に使った石材の産地というのは、「カルラーラ」といい、「カル」の音だけは似ているんですよ、「カルモジイン」と。「カル」だけ似ていて、「カルララ」というとあまり露骨になるから、あまり明らかだからおもしろくないので、そうかといって「カル」まではどうしても書くつもりだったから、そうすると「カルモチン」というようになって、(笑)「カルモチン」というとまた悪くとられるから、で、「カルモジイン」と濁らせただけです。
 那珂 でも、「カルモチン」というのは、白い結晶の粉末でしょう。だからやはり大理石のイメージと結びつきますよね。ぼくはそれに驚いたんですけれども。
 西脇 有名な大理石の産地というのは、「カルラーラ」で有名ですけれども。いまでも世界的な大理石の産地ですよ。いまのルネッサンス、十五世紀から、寺院がたくさんできて、みんな「カルラーラ」から産しているんです。
 鍵谷 先生は、これについては、あるところで書いておられるんです。こういうことはあまり先生、なさらないのだけれども、「自作のうちあけ」ということをいわれて、
  『「太陽」という詩は、オセアニアという海岸のある孤島の風景を描きたかったのである。少年連中が裸でイルカを肩にかついで遊んでいるところであり、またこれは大理石の産地であるイタリアのいなかと連結して、一つの心の夏を暗示しようとした』
というふうに、文章に書かれているのです。」
西脇 ぼくは土人が好きですから、昔は、土人のことを書いたものをたくさん持っていたんですよ。
 で、ある南洋のどこの島かな、子供がイルカをとって遊んでいるんですよ。
 だっていまローマへ行っても、有名なルフィシーの博物館なんかで、まん中へ入ると、有名な、イルカを持っている子供がいますがね。あれはやっぱりイルカを持って遊んでいるんです。笑っているんですよ、「ウエルカム」といって。」

西脇 おそらく萩原朔太郎という人も、ぼくと同じように、どちらかというと、むしろ感覚的に弱い人ですね。だから、一応肺病みたいになったんじゃないのかな。だから、すぐわかるんですよね、彼のじめじめしたところというものは。これは病的だってことがね。だから、いやなんです。だけども、それを救う、もう一つのすばらしい力が入ってるわけですね、朔太郎にはね。ところが世間では、じめじめしたところの朔太郎を好きな人が多いでしょう。それは肺病じゃない人が好きです。人間というのは、肺病の傾向のある人は、じめじめしたことが逆にきらいになるんですね。」

「西脇 だから、あの時代でもって上田敏の調子をとらなかったということは、すばらしいですね。上田敏流に、彼は書かなかったんですよ。書けなかったの、書こうと思っても。ぼくと同じように、書こうと思ってもね。だけど一生懸命に書こうと思ったら、勉強してあのことばづかいを覚えるでしょう。やっぱり好きじゃなかったってことが、大きな原因だろうと思います。その点で、萩原というのは、なるほどおもしろいと思うんですがね。ことばの改革者です。」

西脇 (中略)文学というものはやっぱり人間の心の欲求からみんなきてますね。というのは、人間には哀愁を求める気持ちというのは非常に多いんです。それと同時に正反対の笑いを求める。哀愁と笑いというのは正反対なものですよ。正反対なものだけれども、人間は両方を求めるんですよ。ぼくだってそうなんです。非常に哀愁を求めることも、哀愁の美というものも知っているし、笑いの美ということも知っているから、こういうふうになるんですよ。両方入ってしまう。哀愁だけでもいけないし、笑いだけでもいけない。笑いと哀愁というもの、そこにまた遠いものの連結が、一番そこが、何といっても、ほんとうの現実です。人間は哀愁を求めるってことはだれもいう人はいない。ぼくは、人間の神経に、哀愁……笑いは笑いをつかさどる神経があるんだけれども、哀愁を求める神経、哀愁をつかさどる神経はあると思うんですよ。いままでそういうことをいった人はありませんが……」

西脇 ヴィジョンというか、実際そう思うんですよ。なぜぼくは道を歩いて、ススキだとかそういうものにさびしさを感ずるのか。これは、われわれススキだとか、そういうところばかりにいた、古い原始人の遺伝だろうと思うんですよ。そういう自然を見てさびしく思うのは。思い出とはみんなさびしくなるもんですよ。思い出が出る。だからぼくにも原始人の、何かが残っているというふうに感じたんです。なぜ、ぼくは、自然の景色や、そういう現実的な風景とか、そういうのを見るとさびしく感ずるか。それはやっぱり原始人の思い出、ぼくの中に原始人が残っているから、原始人がぼくをさびしくさしたとか、思い出を与えてくれるというふうに解釈せざるを得なかった。」
「ぼくは低血圧だということでね。昔の人はみんな低血圧であったと考えるようになったんですよ。というのは、ぼくなんか栄養のあるものはきらいで食べなかったでしょう。栄養にならないようなものだけは好きなんですよ。食べものとしては。だから低血圧になるんですね。やっぱり低血圧というのは、血が足りないというか、からだに活力がないんですね。だから活力がないということは、どうしても哀愁を早く感ずるんですね。何でも哀愁に感ずる傾向があるでしょう。哀愁を求めざるを……だから求めるというのは、この間自分が考えたことですけれども、ぼくなんかが求める哀愁が…美の本質というのは、一種の哀愁じゃないかとさえ思ったことがある。」





































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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