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フリードリヒ・グラウザー  『老魔法使い』 種村季弘 訳

「「人間はどこでも同じです」、とシュトゥーダーはため息をついた。」
(フリードリヒ・グラウザー 「シュルンプ・エルヴィンの殺人事件――シュトゥーダー刑事」 より)


フリードリヒ・グラウザー 
『老魔法使い
― 種村季弘
遺稿翻訳集』 
種村季弘 訳



国書刊行会 
2008年6月10日 初版第1刷印刷
2008年6月18日 初版第1刷発行
546p 
A5判 角背紙装上製本 カバー 
定価3,800円+税
装幀・コラージュ: 間村俊一



「BOOK」データベースより:

「犯人探しや謎解きの背後に人間存在の深淵を垣間見させ、“スイスのシムノン”との絶賛を浴びたドイツ語ミステリの先駆シュトゥーダー刑事シリーズ。青髭農夫による四人の女房の死の真相を暴く表題作をはじめ、短篇12編と長篇2編を収録。異色のアウトサイダー作家として大きな注目を集めるグラウザーの傑作小説集成、全編本邦初訳。」



グラウザー 老魔法使い 01



「カバー図版
「出現」(2008)
コラージュ=間村俊一」



帯文:

「最後のタネムラ・ラビリントス

怪物、人形、奇人、温泉、錬金術、幻想文学――
驚異的な博識のもとに万華鏡のごとき多彩な作品を
遺して逝った種村季弘の遺稿翻訳集成。
怪人タネラムネラの最後の迷宮世界。」



目次:

シュトゥーダー初期の諸事件
 老魔法使い
 尋問
 犯罪学
 はぐれた恋人たち
 不運
 砂糖のキング
 死者の訴え
 ギシギシ鳴る靴
 世界没落
 千里眼伍長
 黒人の死
 殺人――外人部隊のある物語

シュルンプ・エルヴィンの殺人事件――シュトゥーダー刑事

シナ人

解説 種村季弘と翻訳 (池田香代子)




◆本書より◆


「シュルンプ・エルヴィンの殺人事件」より:

「「狂ってる、バカな、気ちがいじみている!」予審判事はささやき声で言い、上着の袖がほとんど肘までずれ込むほど、ぐいと腕を伸ばして両手を空中でふりまわした。「これはその……あなたのご意見はいかがです、シュトゥーダーさん?……」
 「ロカール、つまりあのリヨンのロカール博士ですが、ご存じでしょうな、予審判事殿、そのロカール博士が彼の本の一つのなかでこう書いています――(わたしの友人のマドラン警視正はこの箴言を引くのがお得意なのですがね)――正常な人間が存在する、と思うのはまちがいだ。すべての人間はすくなくとも半分は気ちがいだ。この事実をいかなる捜査においても忘れてはならない……あなたもたぶんあのオーストリアの歯科技工の事件はおぼえておいでですよね。あの男は丸太の上に自分の足をのせ、かろうじて肉の一片しか残らぬまでそれを斧で細工しました――莫大な額に上る事故保険をわがものにするためだけに……当時、大訴訟になりましたね……」
 「そう、そう」、と予審判事は言った。「オーストリアでね! しかしわれわれがいまいるところはスイスですぞ!」
 「人間はどこでも同じです」、とシュトゥーダーはため息をついた。」



「シナ人」より:

「「養父はぼくを家に置きたがらず、それで母はぼくをオールドミス二人の田舎の親類にあずけたんです。オールドミスのマルタとエリカは二人とも救世軍に入っていて、ぼくは日曜日になると一緒に集会に行かなければなりませんでした。でもやがてエリカは病気になりました。ご存じかどうか知りませんが、それは肉体の病気ではなかったのです。エリカはもう口をききたがらなくなり、黙って家の中を徘徊していました。あるとき何人かの女の人がエリカを連れにきました。その女の人たちの言うには、エリカは森で首を吊ろうとしたのだそうです。そこで母はぼくをこれ以上マルタの家に置いておきたがらず、ぼくはさる農夫の家に小僧奉公(ヴェルディングブーブ)に出されました……山羊の番、厩の掃除。日曜日になると農夫は居酒屋に行き、帰ってくると自分の子供がいないものですからぼくを鞭打つんです。それがどうも」、ルートヴィヒの口元にうっすらと微笑が浮かび、「農夫のつもりでは女房に鞭をくれてやりたいんだけど、女房のほうが腕力が強いんです。それでぼくを追っかけまわした。シュトゥーダーさん、日曜日ごとに、だけではなくて週日にも鞭をくわされ、一年中たのしいことが何もなくて、クリスマスにさえ母は会いにきてくれない。ひどいものでした。そのうち十二歳になりました。ぼくは腹ペコでした。ときにはチーズを一切れ、またときには肉を一切れ盗み食いしました――ひたすら空腹だったからです。ぼくは、農夫は文句を言わないだろう――鞭をくわせられる人間がいさえすればうれしがっているんだ、と思ったんです。だけど女房のほうがぼくを市町村長に告訴したんです。彼女の吝嗇(りんしょく)がそうさせて、ぼくは鑑別所入りになりました。これまたひどいものでした、シュトゥーダーさん、ほんとうですよ。大人になって新聞をよく読むことがあって、あるときぼくらの施設の写真が出ている絵入り新聞を見つけたことがあります。絵入り新聞のなかのぼくらは美しく写ってました。でもその施設でぼくらは正しいことばかり学んだわけじゃありません。先生方も院長も、みんな、ぼくが白痴(ばか)だとおっしゃいましたが、でも実際にはぼくは特別の白痴というわけじゃありませんよ、シュトゥーダーさん……ぼくが字を書きまちがえるのはわかってます。でも、結局のところ、字を書きまちがえたからといって、なにも罪じゃありませんよね? そういうわけでぼくは農業経営を手伝わされました。これは気に入りました。動物が好きなんです、牛とか山羊とか馬とか。そのうち施設はとうとうぼくを釈放してくれたので、ぼくは仕事を探しました。おわかりでしょう、シュトゥーダーさん、ぼくはあんまり外へ出たくなかったんです。賃金と労働があれば、ほかは何も要らない。でもそれから病気になり――あるとき冬場に――、肺をやられたんです。喀血して、しょっちゅうだるくて、夜中に発汗して――そこで医者が療養所に送ってくれました。二年間も! そして戻ってくると仕事をすっかり忘れてました。ある農家で働こうとしましたが、二日後には追い出されました。てんで役立たずだったんです!
 そこで政府がプリュンディスベルクの救貧院送りにしたわけです。ねえ、よく思ったものですよ、これは監獄より悪いって。院長、というより家父――あの人は特に講演をされる、その貧(パウ)……貧(パウ)……」
 「貧困問題(パウペリスムス)」、とシュトゥーダーがさえぎった。
 「それ、それです! 貧困問題! それでいてここで覚えることはただ一つ、安焼酎を飲(や)ることだけ……」
 この単純な語り方にはなにか人をつらくさせるものがあった。シュトゥーダーはやわらかい心の持ち主だった。彼は頰に汗の粒の流れるのを感じ、それを暖炉の過熱のせいにした。それは一瞬のことにすぎなくて――やがて自分の顔を汗ばませたのはルートヴィヒの物語だとわかった。「まだ先が長いのかね?」彼はしゃがれた声でたずねた。
 「つまり、おまえの話のことだよ。」
 「いいえ、シュトゥーダーさん……」――それにしてもこの若者は、なんというおだやかな声をしていることだろう!――「でもまだバルバーラの話を聞いていただきたいんです。バルバーラは跛(びっこ)でした。それ以外の点ではあのフルディーにそっくりでした。顔もあんなふうに大きいし、ねえそうでしょう、顔色もあんなふうに蒼いし、あんな長い弁髪をしてるんです。バルバーラも救貧院にいました。ぼくは日曜日にだけ彼女と遭って一緒に森を散歩しました。バルバーラは自分の家のことを話してくれました。彼女の家もひどいものでした。ある日曜日の晩、女看守に連れられて施設に帰る途中でぼくたちはたまたま出遭いました。するとバルバーラが、もう施設には戻りたくないと言うのです。ぼくと一緒に出かけるものだからみんなに冷やかされるって。ぼくは彼女をなぐさめようとしましたが無駄でした……ご存じでしょうけど、こんな諺があります。自分で蒔いた種子(たね)は自分で刈り取らねばならぬ。バルバーラがもう施設に戻りたくないとわかって、ぼくたちはいっしょに逃げました。晩の六時。六月三日のことでした。ぼくはいまだにあれがよくわかりません。だって家父の自動車に出くわしたんです。ところが向こうはぼくたちに気がつかずに前を通りすぎていったんです。ぼくたちは歩きに歩きました。バルバーラは走れないので、ときにはぼくが背負ってやった……ぼくたちはユーラ州[スイス北西部の州]に、つまりロマン語系の州にたどり着きました。あそこの農民はほかよりましだった。ぼくは仕事を見つけました。というのもあそこの山地では干草刈りがやっと七月半ばになってからはじまるんです。ぼくはいつもまずひとりで行って自己紹介し、一日働いて、それから妻もいっしょだと話すんです。すると農民たちは大概、連れてきたらいい、家事の手伝いをしてもらうからと言ってくれました……バルバーラは仕事熱心な娘で、ぼくたちは八日間も同じところにいたことがよくありました……でも、ぼくたちにはパスポートがありません。パスポートがなければこの世では売りものになりません。世間は人間を見て、使いものになるか正直かを決めるわけじゃありません。スタンプと署名のある、写真付きの茶色の小冊子を持っているかどうかを世間は見るんです…… 秋がきました――山地は秋がくるのが早いんです。するとぼくたちはこんなふうにしました。柳の枝が刈り頃になるとそれを集めてきて、バルバーラとぼくの二人で籠を編み、それを村々に売り歩くんです。ふつうはぼく(引用者注:「ぼく」に傍点)が行きました。だってバルバーラは足早に歩けませんからね。彼女は家で留守番です……家で! そう、森の真ん中の木樵小屋……夏中せっせと倹約して薬鑵(やかん)と毛布を冬に備えて手に入れました。薪はたっぷりありました。小屋のすぐ近くには小川が流れていました。小屋はいつも清潔で、ぼくたちは、シュトゥーダーさん、アダムとイヴみたいに生きていました。
 でもホルンでバルバーラが病気になってしまいました――その病気のことなら知ってました。彼女は夜中に汗をかいて、咳をして、血啖を吐きました。ぼくはできるかぎりの看病をしました。ぼくたちは樅(もみ)の柴をベッド代わりにして寝ました。けれども何をやっても無駄でした。それから四月の終りに彼女は死にました。」」




グラウザー 老魔法使い 02



「表紙図版
「朝の椿事」(2008)
コラージュ=間村俊一」











こちらもご参照ください:

フリードリヒ・グラウザー 『外人部隊』 種村季弘 訳



















































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種村季弘 編 『東京百話 人の巻』 (ちくま文庫)

「「物心ついてからこの方、百年間、医者に見てもらったのは去年が始めてじゃ……さよう、あれは三十代のころかな、馬から飛降りる拍子に、左の膝(ひざ)を怪我したのじゃ、その時、抜けた関節を、自分ではめ込んで、歩いて帰った。その痛みが、七十余年後の今日(こんにち)出たので、去年、医者に見てもらったのじゃ。」」
(白石実三 「西ヶ原貝塚」 より)


種村季弘 編 
『東京百話 
人の巻』
 
ちくま文庫 た 1-5


筑摩書房
1987年2月24日 第1刷発行
1987年11月5日 第2刷発行
459p
文庫判 並装 カバー
定価700円(本体680円)
装幀: 安野光雅
カバー装画: 安野光雅「黄金街道」(講談社)より



アンソロジー全三冊。



種村季弘 東京百話 05



カバー裏文:

「昭和の東京について書かれた名エッセイ(短篇小説)を選りすぐり〈天〉〈地〉〈人〉の3冊にまとめるアンソロジー。――芸者、芸人、職人と、東京をいろどる人々。さらに、大都市ならでは存在しえない奇人変人たち――本巻では、〈職人・商人〉〈芸人〉〈遊び人〉〈怪人奇人〉〈文士・学者・画家〉〈女たち〉〈庶民〉などを収録する。」


目次:

1 職人・商人
 竿忠の家 (海老名香葉子)
 松本兼吉のこと (内田栄一)
 豆腐屋のお父さん (庄野潤三)
 斎藤銀造伝 (加太こうじ)
 繊細の妙 (中村雄昂)
 さぶ (山口瞳)
 車中の皆様 (向田邦子)
 消えた来世の古本屋 (結城信一)
 ある古本屋 (山田風太郎)

2 芸人
 百面相貞丈 (金子光晴)
 喜劇役者の頭髪 (吉村昭)
 路地の痴話 (宇野信夫)
 柳一という芸人 (林家彦六)
 旗本くずれの噺家・古今亭 (吉川義雄)
 実在する「つるつる」の旦那 (桂文楽)
 泥棒だってしてらァ! (大西信行)
 零落 (宇野信夫)
 寄席 (結城孫三郎)

3 遊び人
 ある亡友 (野尻抱影)
 浅草なつかしい人・なつかしい店 (益田喜頓)
 不良少年今昔記 (佐藤節)
 僕の浅草 (サトウ・ハチロー)
 トニー谷とお祭りの辰 (野一色幹夫)
 博奕場を見る (宇野信夫)
 奥山の大締め師金井兼信 (坂野比呂志)

4 怪人奇人
 変装狂 (金子光晴)
 浅草の乞食 (岡野イネ子)
 西ヶ原貝塚 (白石実三)
 蘆原将軍・ラッパ節の事 (徳川夢声)
 蘆原将軍考 (種村季弘)
 元横綱の眼 (吉村昭)
 説教強盗の春秋 (小沢信男)
 阿部定事件予審調書 (阿部定)

5 文士・学者・画家
 菊池先生の憶い出 (古川緑波)
 空點房 (内田百閒)
 四霊会 抄 (内田百閒)
 甲斐先生の思い出 (谷川晃一)
 会津八一 (結城信一)
 ゆでたまご (森銑三)
 阿佐ヶ谷案内 (上林暁)
 古き日のこと (伊藤整)
 一平、かの子、太郎 (川口松太郎)
 菊富士時代 (広津和郎)

6 女たち
 枯葉 (山本嘉次郎)
 東京マネキン倶楽部 (丸山三四子)
 宮崎モデル紹介所 (勅使河原純)
 榎稲荷 (獅子文六)
 柳橋のモダン芸者 (榎本よしゑ)

7 庶民
 汁粉の殿様 (野尻抱影)
 クマさんと酎ハイ (田中小実昌)
 おでんや 刺青 家主 (内田栄一)
 夜の占 (三島由紀夫)
 鬼子母神そばの家の人 (中野重治)
 茶番 (池田弥三郎)
 ちちははの記 (小沢信男)
 横丁の粋人 (沢村貞子)
 わがまち・消えた野球場 (片山健)
 善人ハム (色川武大)

編者あとがき
 誰でもない人まで (種村季弘)




◆本書より◆


「編者あとがき」より:

「『東京百話』昭和篇と看板を上げながら、人の巻に限っては時代区分では割り切れない明治大正が混入してくる。個人の寿命はかならずしも歴史的時代区分と一致しないからである。明治人、大正人は、すくなくとも戦前の東京には大震災の区切りをすり抜けて生き永らえていた。(中略)七十年に近い昭和という時代には実にさまざまの世代の人が押しひしめいていたのだった。」
「生き永らえた前代の人びとは、どことなくノアの大洪水以前の生き物を思わせる。どこか珍妙で滑稽ですらあり、それでいて冒すべからざる巨人的な偉大さの風格がある。いずれにせよガラリと一変したご時世に違和感があり、ことごとに新時代とは肌が合わないので、言行がいちいち時代錯誤的にならざるを得ない。ご当人の望むと望まざるとにかかわらず、新世代からは奇人とそしられ変人と嘲笑われる。別段、その人自身が奇を衒(てら)ったのではない。彼は旧い生き方にひたすら忠実だっただけなのに、時代背景の方が動いてしまったので、新世代の方から見ると彼らのまっとうさが奇矯に見えた。」

「そして誰もいなくなった。存在自体が個性的であるような人物はもはやいない。」
「そして誰もいなくなったその後には、誰かである人はいなくても、誰でもない人が登場してくる。けだしそれは、近代の進化論が予想した、人間の死の後にくる超人ではあるまい。誰でもない人(ニーマント)は中世のフォークロアの世界からよみがえって、現代の情報ネットワークにわるさを仕掛ける悪戯(いたずら)者である。」



「浅草なつかしい人・なつかしい店」(益田喜頓)より:

「浅草に出てきた当初、「ハトヤ」という喫茶店でブレックファストをとるのが習慣だったことはもう書いたが、この「ハトヤ」にまつわる話はいくらでもある。」
「この「ハトヤ」に、スリの少年が毎日のように姿を現した。といっても、貧乏な役者や裏方衆のフトコロ狙(ねら)いなどという、不心得が目的ではむろんない。客として、コーヒーを飲みにくるのである。(中略)身なりもきちんとしており、年のころは十三、四歳といったところ。(中略)いかにも利発そうな目鼻立ちからは、六区の劇場を縄張りにする巾着切(きんちゃっき)りにはとうてい見えない。
 この巾着切りの坊やは、たいへん変わっているところがあった。食事といったら豆腐しか食べないというのだ。(中略)この子の場合、豆腐好きというより、豆腐以外の食い物はいっさい嫌いというのだから、驚くというより不思議な子供だ。(中略)豆腐食いの巾着切り坊やは、腕前のほうは大したものらしかった。(中略)戦利品を見せるようなことはなかったが、(中略)「今日はよかった」とか、「まあまあだったよ」と、天気の話でもするような調子で戦果を披瀝していた。
 ある日のこと、
 「まいっちゃったよ、こんなものをやっちゃったんだ」
 片方の手で頭をかきかき群れいる客の前に披露したのは、なんと警察手帳ではないか。スリの現行犯を挙げようと、劇場内に張り込んでいた刑事からスリ取ったというわけだ。」
「居合わせた裏方のひとりが、「ばかやろう、そんな金にもならないもの、スッてくるやつがあるかよ」と言った。「わかったよ、じゃ、戻してくる」こう言うなり店を飛び出していったのには、皆あっけにとられるばかりだった。」



「変装狂」(金子光晴)より:

「世にはへんてこりんな癖のある人物がある。癖のこうじたものを狂という。その人は、永尾某という、僕よりは二十四五歳も年上の人で、その人が死んでから三十年になる。職業もよくわからない。どういう素性の人なのかもききそこねた。どうして知りあいになったかというと、その人とは、牛込肴町のトモさんの家で知りあった。このトモさんも、大弓場をあるいて、いろいろ手つだいをしているというだけで、なにを、どういろいろなのか、よくわからない。」
「彼の癖は、風体を変えることだった。どこからその衣裳を手に入れるのかしらないが、支那服を着ていたかとおもうと、ハッピ、もも引姿で、吉原でドブさらいをしている。なんとかいう吉原の幇間(ほうかん)に、先生は「奴(やっこ)、奴、あげ板の下の泥(どろ)をかいときな」などと言われて、「へい、へい」とつかい廻されながら、内心は騙(だま)しおおせた変相の効果に、ほくほくとしているといったお人だった。」
「永尾先生は、いまでいうちんどんやのような仕事にやとわれてもいた。横浜の開港記念の仮装行列には、鉛筆の広告で、一ダース十二人が、鉛筆の中に入ってあるく一人にやとわれたし、向島の花見には、乞食の痴漢に扮装して、娘っ子たちをいやがらせて、遂に、拘引されてしまった。最後にみかけたのは、飯田ばしのそばの江戸川の下流で、泥水のなかに腰までつかって、なにかさがしていた。声をかけたが、きこえたか、きこえなかったのか返事もしなかった。」
「どういう人だか、さっぱりいまだにつかめないが、とにかく奇人ではあった。トモさんの話によると、大へん学問のあるえらい人で、大学で英語を教えていたこともあるが、あたまがすこしへんになってつかいものにならなくなったのだというのだが、明治に、よくあった、ちょっとした不平から世のなかをすねたというような人のようでもある。そういう人間はたくさんいたが、だいたい、いまから考えるとぜいたくな人たちだ。先生はずいぶん、言うことすることはヒワイだが、女の問題なんかはなかったようだし、一面、へんに清潔な感じのする人だった。もっとも、あれでは女の方から閉口して、よりつかなかったのかもしれない。」



「浅草の乞食」(岡野イネ子)より:

「私の知っている浅草の乞食は、今から五十年近くも前の、私の子供の頃の乞食である。」
「台所に廻り、毎日女中さんから食物の残りを貰(もら)ってゆくのだから、文字どおりの乞食さんだ。」
「イーさんという乞食さんが毎日きていた。
 外で会うと「イー」といって笑うので「イーさん」といっていた。
 雲の上を歩くように、フワフワととび上がって歩くので、おしゃまだった私は、
 「イーさん、どうしてそうやって歩くの?」
 ときいてみた。その返事がたまらなくよい。
 「おなかがすいて、足が地へつかないとこなんです」」



「西ヶ原貝塚」(白石実三)より:

「「西ヶ原の貝塚といっても、ごらんのとおり住宅地になりましてねえ、でも雨降りの日は、今でも貝や、鹿、猪(いのしし)の骨で、界隈(かいわい)が真白になりますよ。学者連が、車に三台も積んでさらって行ったあとがまだこうですからね、おまけに、その貝の層が、実に深井。貝塚として完全に保存されているのは、この寺の境内だけですが、発掘したら、貝の層は何十尺の厚みでしょう。その証拠には、ごらんなさい、この庭の地盤は、樹の根を受けつけないで、皆な撥(は)ね返してしまうので、樹がこんなに痩(や)せています。」
 「つまり、それだけ長く、アイヌがここに住んで、貝を喰べたわけですね。ところで、この近所から亜炭の出るところは、ありませんか。」
 「よくご存じだ! 掘ってはみませんが、この辺から王子へかけて、地下に埋れ木があるという言伝えがあります。」
 それは、古代の大森林が埋もれていたんだ。その森に棲んだ鹿や熊や猪をとって、多数のアイヌは、この辺に何千年となく生活していたのだ。」



「夜の占」(三島由紀夫)より:

「中に何一つ当てず、何一つまとまったことを言わずに、百円をふんだくった占師がいる。五十恰好の婆(ばば)あである。目つきが大そうジプシイじみている。」
「「お前さんは利巧そうにみえて、実は利巧ではない。他人もお前さんを頭がよいと思っているが、頭がよさそうにみえて、実はそうじゃない」
 「つまり頭が悪いんだね」
 婆あは、イヒヒヒという笑い方をして、上目づかいに私を見つめてうなずいた。」



「ちちははの記」(小沢信男)より:

「先日、老父から電話が掛かった。巣鴨の寺に墓参にゆくから、その帰りにおまえの家に寄るという。(中略)父には私にたいする固定観念があって、墓参などにさそっても、つきあうはずがないと思っており、じっさい私は、歩いてもいけるその寺へ、行ったこともなかったのだ。だが、寄る年波の老父の足許が気がかりだから、このときは私から同道を申し出た。そうして一緒に寺にゆき、何度きても迷うものらしい墓地のなかのその墓を、やっと探しあてた。すると父は、やにわに「山田さん、ごぶさたしました。小沢が参りました」大きな声で挨拶して、まめまめしく墓の掃除などをはじめたのだった。
 そういえば亡母の墓の前でも、なにか呟(つぶや)く癖があったようだが。どうしてそんな大声だすのかと私が訊(たず)ねると、父はてれくさそうに答えた。「山田さんは耳が遠いからな」」








こちらもご参照ください:

種村季弘 編 『東京百話 天の巻』 (ちくま文庫)
イーディス・シットウェル 『英国畸人伝』 松島正一・橋本槇矩 訳 (新装版)
馬場あき子 『世捨て奇譚 ― 発心往生論』 (角川選書)
伴蒿蹊 『近世畸人伝』 森銑三 校註 (岩波文庫)
料治熊太 『谷中安規 版画天国』 (双書 美術の泉)






























































種村季弘 編 『東京百話 地の巻』 (ちくま文庫)

「私は農村の模範少年よりも東京の不良少年が好きである。」
(坂口安吾 「焼夷弾のふりしきる頃」 より)


種村季弘 編 
『東京百話 
地の巻』
 
ちくま文庫 た 1-4


筑摩書房
1987年1月27日 第1刷発行
458p
文庫判 並装 カバー
定価700円(本体680円)
装幀: 安野光雅
カバー装画: 安野光雅「黄金街道」(講談社)より



アンソロジー全三冊。
「木場/日本橋檜物町」に挿絵図版2点。「三分坂」に挿絵図版11点。



種村季弘 東京百話 02



カバー裏文:

「昭和の東京について書かれた名エッセイ(短篇小説)を選りすぐり〈天〉〈地〉〈人〉の3冊にまとめるアンソロジー。――浅草界隈の店々、路地裏。山の手郊外の暮らし。そして日本の顔・銀座。そこには江戸と文明開化の東京が生きていた――本巻では、〈路地と散歩〉〈銀座〉〈上野・浅草〉〈下町〉〈坂・橋・川〉〈新宿・渋谷・池袋〉〈山の手線うちそと〉〈新開地〉〈郊外の生活〉などを収録する。」


目次:

1 路地と散歩
 銀座の横丁 (池田弥三郎)
 路地 (松山巌)
 見えない場所へ (津島佑子)
 路地について (吉行淳之介)
 電車から見えた (串田孫一)
 東京過去景 (安野光雅)
 新生活 抄 (坂口三千代)
 飾窓を見る事の面白さ (佐藤春夫)
 ステッキ (小島政二郎)
 東京散歩三話 (小沢信男)
 あぶない散歩 (武田泰淳)

2 銀座
 わが銀座 (三島由紀夫)
 銀座と私 (吉行淳之介)
 文芸年鑑の如き銀座 (野坂昭如)
 銀座の露店 (横井弘三)
 銀座は汚ない処 (堺利彦)
 銀座祭の幻想シーン (村松友視)

3 上野・浅草
 扇風機 (永井龍男)
 ひゃら~り、ひゃらり~こ (四谷シモン)
 「花ざかりの森」のころ (三島由紀夫)
 あさくさの祭り (吉岡実)
 浅草を食べる (古川緑波)
 デラシネについて (北村太郎)
 夜の浅草三つ (サトウハチロー)
 モン・アサクサ (坂口安吾)
 仲みせ所見 (網野菊)

4 下町
 町名 (森繁久弥)
 木場/日本橋檜物町 (小村雪岱)
 下谷坂本界隈 (結城昌治)
 寄席 (安岡章太郎)
 日本橋のライオンやキリンと遊んだ日々 (青島幸男)
 貧窮問答 (石川淳)

5 坂・橋・川
 東京の坂 (池田弥三郎)
 三分坂 (井上洋介)
 バアサンの町 (柴門ふみ)
 せまい坂道での島崎藤村 (伊藤整)
 橋の名 (宮川曼魚)
 駒形橋 (安藤鶴夫)
 隅田川 (佐多稲子)
 泥都礼讃 (水島爾保布)
 水上バス (花森安治)
 下水道 (曾野綾子)

6 新宿・渋谷・池袋
 SF肉体 (吉行淳之介)
 屋台サロン (伊藤整)
 歌舞伎町 (龍胆寺雄)
 悲しい新宿 (萩原朔太郎)
 ポクポク小馬 (田中小実昌)
 不案内 (庄野潤三)
 渋谷 (三島由紀夫)
 美少女 (高田宏)
 「ハイッ」 (吉村昭)

7 山の手線うちそと
 町ッ子 (獅子文六)
 三田の思い出 (小島政二郎)
 ぼくの田舎 (神吉拓郎)
 麻布の思い出 (高見順)
 神楽坂通り (大宅壮一)
 神楽坂 (関根弘)
 本郷龍岡町界隈 (吉岡実)
 足穂ヒコーキ (丸山三四子)
 天使よ、故郷を見よ (田村隆一)
 私の生れた家 (吉村昭)

8 新開地
 焼夷弾のふりしきる頃 (坂口安吾)
 錦糸町 (関根弘)
 断片的回想記 (つげ義春)
 硝子障子のシルエット (島尾敏雄)
 王子 (佐多稲子)
 生まれ、少年時代 (長井勝一)

9 郊外の生活
 東京の「隠れ里」 (川本三郎)
 琉球庵 (木山捷平)
 謎の十字路の謎 (赤瀬川原平)
 荻窪の古本市 (上林暁)
 西荻随筆 (坂口安吾)
 十一月の新年 (大岡昇平)
 ぼろ市・嫁市 (野尻抱影)
 郊外生活の一年 (岡本綺堂)
 山羊を飼う (高田博厚)
 多摩川探検隊 (辻まこと)

編者あとがき
 妖怪・犯罪・日常 (種村季弘)




◆本書より◆


「編者あとがき」より:

「入り組んだ洪積台地とその下の低地との複合体からなる東京の地質学的構造そのものは、震災があろうと東京爆撃があろうと、いまも昔も変りようがない。しかし高台が山の手、主として旧千代田城前の低地が下町という江戸以来の面影をとどめた区分は、関東大震災の下町焼亡とともにほぼ終った。続いて一九四五年大空襲によって山の手が消え、残存した地域も戦後高度成長期とげんに進行しつつある都心部再開発によって見る影もなく消失してゆく。東京の全体像は山の手、下町の区分ではとうていつかめなくなっている。
 とはいえかつては東京の境界というものがあったのである。それがあることによって東京の内実が充実するような境界が、東京の周縁にも、山の手、下町の間にもはっきり引かれていた。洪積台地と低地とをつなぐ坂(引用者注:「坂」に傍点)、東京を近県と分つ川(引用者注:「川」に傍点)、その間をつなぐ橋(引用者注:「橋」に傍点)がこれであって、その坂、川、橋のあたりにはかならず妖怪が出た。どこそこの七不思議というのがそれである。」
「このような土地の精霊(ゲニウス・ロキ)の支配していた、坂、橋、川のような境が大正時代を限りに消失すると、地形にそって不動に形作られていた境界は浮遊の状態に入り、土地にまつわる妖怪に代って流れ者の突発的な犯罪が、あるいは犯罪多発地帯が、それ自体浮遊的な境界をその都度成り立たせる。昭和の東京はつかみどころのない流れ者の犯罪を周縁にしてアミーバのように蠕動するかのようだ。赤マント、説教強盗、阿部定、玉の井バラバラ事件――こうした犯罪事件が、かつての土地に根づいた妖怪=共同幻覚にかわって東京を限界づける。そこではかつての土地の古老口伝ての伝説や説話にかわって、ラジオや新聞の情報ネットワークが、刻々に変る浮遊する周縁を、したがってそれに限界づけられた東京を作り上げるのである。」

「いつどこで何が起るか知れず、それゆえにどこからどこまでが東京と特定できないのが、たえず生成しつつある東京の現在ということになろうか。」



「銀座の横丁」(池田弥三郎)より:

「この通りを、板新道、すなわち、どぶ板新道と呼んだというのは、その説は正しいかも知れぬと思う。というのは、この通りに近いあちこちの店の地下室は、店によっては、香をたくほどに、どぶ臭い匂いが時によってしたものだった。その時分は、まだ、新橋・難波橋・土橋があって、その下の水路は、虎の門の方から、赤坂の堀の水が流入し、また反対の方からは、潮がさして来ていた。もの知りの話によると、このあたりの地下室が、どぶの匂いで臭くなるのは、ちょうど上げ潮になる時刻で、どうもその匂いは、その水の動きと関係があったらしいという。すると、銀座の繁華街も、その地下の目に触れぬところには、水の流れ路があって、それが、昔のどぶ板新道の名の起こりになった、どぶの水筋だったのかも知れぬ。臭い匂いは、そのどぶの、失地回復の動きだったのかも知れぬ。」


「路地について」(吉行淳之介)より:

「沼津から静岡までのあいだの国道が、海に沿っているところがある。一昨年の正月だったか、車を運転してその箇所にさしかかると、交通が渋滞した。(中略)停っている時間が長いので、頭を左右に向けてあたりの様子を眺めてみた。
 右は山がつづいており、左手は家屋が立並んでいる。建物にさえぎられて海はみえないとおもったとき、私の眼に青く光っている昼の海が映ってきた。なぜ、海がみえたか。建物の横腹と横腹とのあいだに隙間が、人間一人通れるくらいの幅の路地になっており、その路地の尽きるところに植木鉢が一つ置かれてある。そのむこうに、海がみえた。崖の上に建っている家屋なので、砂浜はみえず、いきなり青い水である。
 暗い路地と、そのむこうの明るい海と、その境目にある植木鉢、という景色は印象的で、それも交通が渋滞していなかったら見る筈のなかったもの、とおもうと一層印象に残った。」

「銀座の路地、というか、建物と建物とのあいだの隙間というか、そういうところが好きだといったのは、友人に気を使わせまいとおもったためではなく、本当に好きなのである。大通りや並木通りと並行している道が幾本かあり、これを仮に横の銀座とすれば、これらの道と直角に交る縦の道が幾本かある。私は、この縦の銀座を歩くときには、わざわざ路地を選んで歩くことが多い。そして、いくつかのささやかな体験をしたり、空想をしたりする。
 たとえば、その薄暗い路地の両側には、板張りの家屋の横腹がつづいていた。その横腹から、いきなり人間の手首だけが突出てきた。一つだけ窓が開いていたわけで、その手から白い光ったものが離れて落ちた。落ちたところは、コールタール塗りの大きなゴミ箱だったのだが、蓋(ふた)が閉まっている。その蓋の上に、いま身を剝(は)ぎ取ったばかりの大きな魚の骨が載っている。背骨から左右に幾対もの骨が葉脈のように突出ている魚の骨が、薄暗い中で白く光っていた、そういう光景に出会ったりする。」



「木場」(小村雪岱):

「木場は東京のうちで私の最も好きな景色の一つであります。震災の以前にはよく好い日和(ひより)に、雨の日、雪降りに、また月夜に、此(この)辺へ遊びに参りますのが楽しみでありましたが、震災の後はいつとはなしに遠々しくなり、八幡様、不動尊、又宮川曼魚氏の許(もと)へは時々参りましても遂に木場へは足を入れたことはありませんでした。此程不図(ふと)思いたち誠に久しぶりに木場へ参りました。近年至る所の町の様子がひどく変っておりますので、木場などは特に非常な変り方でしょうと思って居(お)りましたが、是(これ)は意外に変っておりませんでした。町の筋が多少変ったり、木の橋が鉄橋になり、大きな邸がなくなったり、あった筈(はず)のお社(やしろ)が見えなくなったりしてはおりますが、木場の心持は元と少しも変らず、八幡前の大通りの賑いを境として、別の世の中を見せて居ります。北町の静(しずか)さを何と申しましょうか、木の香は鼻のしんまで沁(し)み通り堀一杯の材木や道を圧して林立する裸の木材を見て居りますと、妙に深山幽谷が想われます。しかしながら、四通八達の掘割には、筏(いかだ)を分けて通う舟の艪(ろ)の音、道には材木を運ぶ自動車、自転車、手細の絆纏(はんてん)に紺の股引(ももひき)紺足袋(こんたび)の人々が材木を担ったり長い鳶口(とびぐち)を持ったり高い高い木小屋の上に上ったり、縦に横に十文字に動いて居りながら、妙に音が聞えず、反(かえっ)て材木をひく鋸(のこぎり)の音が不思議な程耳に立ち、鋸屑(のこくず)の舞い上ったり材木の間の鉢植えの春蘭の花や、材木の下積の間から思いがけなく芽を出す春草などが目立ちまして、誠に威勢能(よ)くも寂漠な眺めであります。色といえば空の色と、白木の材木と、掘割の水の色で、道端に落ちた一片の蜜柑の皮の橙色(だいだいいろ)さえ非常に眼につくのであります。
 あまり歩いて少し草臥(くたび)れました。或(あ)る小さな橋の上に休んで、一面に材木を浮せた堀を見ますと材木を山程積んだ舟が一艘(そう)岸につないでありまして、岸の石垣の上から舟へ細い歩み板が渡してあります。折柄降り出した糸の様な春雨の中を、材木問屋の娘さんでもありましょうか、一人は島田、一人は断髪の年頃の女が、お揃(そろい)の蛇(じゃ)の目の傘を肩にしてその細い板をしなわせながら丁度球乗りの女の様な格好で笑いながら遊んで居りました。妙齢の娘さんのその様子がいかにも木場の娘らしく見えました。」



「三分坂」(井上洋介)より:

「変人(へんじん)さん

新町(しんまち)
しもたやの
二階(にかい)に
住(す)まう
青(あお)い顔(かお)した
着流(きなが)しの
オールバックの
変人(へんじん)さん
一(ひと)つ木通(きどお)りの
縁日(えんにち)で
オールバックを
はらりとたらし
金魚(きんぎょ)を じっと
しゃがんで見(み)てた

オールバックの
変人(へんじん)さん
三分坂(さんぷんざか)に
しゃがんでた
夏(なつ)の夕方(ゆうがた)
しゃがんでた
洋傘(コーモリ)さして
しゃがんでた」




種村季弘 東京百話 03



種村季弘 東京百話 04







こちらもご参照ください:

種村季弘 編 『東京百話 人の巻』 (ちくま文庫)
桑原甲子雄 『東京下町 1930』
松山巖 『乱歩と東京』 (PARCO PICTURE BACKS)
池内紀 編訳 『ウィーン世紀末文学選』 (岩波文庫)







































































種村季弘 編 『東京百話 天の巻』 (ちくま文庫)

「浅草というところはヘンな処です。毎日が公休日みたいなのです。あそこにいると。」
(木葉井悦子 「毎日公休日」 より)


種村季弘 編 
『東京百話 
天の巻』
 
ちくま文庫 た 1-3


筑摩書房
1986年12月1日 第1刷発行
1990年3月20日 第4刷発行
516p
文庫判 並装 カバー
定価700円(本体680円)
装幀: 安野光雅
カバー装画: 安野光雅「黄金街道」(講談社)より



アンソロジー全三冊。「毎日公休日」に挿絵モノクロ図版1点。
本書はまだよんでなかったので三冊セットがヤフオクで400円(+送料188円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。



種村季弘 東京百話 01



カバー裏文:

「今、人びとの熱い関心をよんでいる、ワンダーシティ・TOKYO。そこでは、震災復興から戦災、高度成長へと時代がめまぐるしく変化していく中で、街と人びとの織りなすさまざまなシーン、さまざまなドラマが演じられていた。昭和の東京について書かれた名エッセイ(短篇小説)を選りすぐり〈天〉〈地〉〈人〉の3冊にまとめるアンソロジー。――本巻〈天の巻〉では、〈大道〉〈見せ物〉〈食べ物〉〈カフェ〉〈色街〉〈博物誌〉〈お化け〉〈夢〉など、東京の都市空間でくりひろげられる劇的なるものを集める。」


目次:

1 大道の上で
 チンドン屋のこと (澁澤龍彦)
 夜の紙芝居 (小沢信男)
 下駄の連想 (佐多稲子)
 物売りの声 (寺田寅彦)
 なぜ都電が好きなのか (獅子文六)
 円タク助手の一夜 (大宅壮一)
 銀座の夜店と郵便切手 (植草甚一)
 銀座の靴磨き兄弟 (長谷川伸)
 並木通りの超掃除 (尾辻克彦)

2 見せ物・娯楽
 木馬館 (網野菊)
 レビューくさぐさ (野口富士男)
 浅草と私 (梅崎春生)
 故郷の劇場 (山田太一)
 新宿ムーラン・ルージュ抄 (中江良夫)
 演芸・大相撲 (吉村昭)
 私の映画遍歴 (都筑道夫)
 月は東に陽は西に (色川武大)
 後楽園元旦 (武田百合子)

3 食べ物ばなし
 ラムネ (吉行淳之介)
 ビスケット (森茉莉)
 谷中の桜 (金子信雄)
 “蕪”変じて“家富”せんべい (鳥海青児)
 コロッケ/アブラアゲ (山本嘉次郎)
 おでん (獅子文六)
 そばの都、東京 (尾辻克彦)
 上野とたべもの (野口富士男)
 夏の終り (武田百合子)
 鮨 (岡本かの子)

4 カフェ・飲み屋
 性の交換 (上司小剣)
 妙な名前 (高見順)
 浅草橋 (安岡章太郎)
 蝙蝠傘の使い方 (種村季弘)
 私たちの夜の大学 (五木寛之)
 毎日公休日 (木葉井悦子)
 喫茶店学 (井上ひさし)
 ホステスは上等の友人である (吉行淳之介)
 ショーベンサイド (井上和男)
 吉原紫雲荘 (草野心平)

5 色街・赤線
 吉原 (萩原朔太郎)
 寺じまの記 (永井荷風)
 わがヰタ・セクスアリス (滝田ゆう)
 戦色玉の井 (山本嘉次郎)
 田園ハレム (坂口安吾)
 連呼 (吉行淳之介)
 線路渡れば夢うつつ (野坂昭如)

6 あの店この店
 三越今昔 (中井英夫)
 人形綺談 (飯田美稲)
 丸善書店 (森茉莉)
 ブティックをのぞく一人の男 (植草甚一)
 箱庭 (内田栄一)
 駄菓子屋文化「子供の領分」 (秋山祐徳太子)
 人形町床屋潜り (鈴木志郎康)
 銭湯/花嫁 (石垣りん)

7 博物誌
 ゆきのした (宇野信夫)
 雑草の美学/街路の雑草 (西脇順三郎)
 六義園の小さな生物 (奥本大三郎)
 芋虫 (徳川夢声)
 なめくじ長屋 (古今亭志ん生)
 殿様がえるの命名 (草野心平)
 雀の話 (志賀直哉)
 鼬の道切り (内田百閒)
 兎の挽歌 (円地文子)
 わが鳥ダル (吉岡実)
 桜新町 (野尻抱影)
 虫の声 (永井荷風)

8 お化け・夢
 国技館でお化け大会 (久保田二郎)
 麻布七不思議 (山本嘉次郎)
 バガブー (野尻抱影)
 化物屋敷 (佐藤春夫)
 東京日記抄 (内田百閒)
 夢三度 (瀧口修造)
 鬼 (小沢信男)
 浴式水洗便器の失敗 (赤瀬川原平)
 夢日記 (横尾忠則)

編者あとがき
 野暮の効用 (種村季弘)




◆本書より◆


「編者あとがき」より:

「通人、半可通が、生れながらにしてどっぷり浸っているためにそちら側からは死角になって見えない東京の構造が、野暮なればこそ見えてしまうということがあるらしいのである。」
「野暮でいこう、ときまった。」
「昭和というのを内容的にはほぼ大震災以後の大正十三、四年頃からはじまる時代とみなす。それから六十余年におよぶ昭和の東京像を、詩、小説、随筆、ルポ、研究論文のような多様なジャンルから、それも小品ばかりを選んでアンソロジーに編んでみよう。」
「一応の基礎資料を集めたところで、さてどれを択(と)ってどれを捨てるか。その目安になったのが、先の「野暮」であった。早い話が、江戸趣味や東京情緒から入ってはいかないということである。」
「その上で基本的には、東京という怪物をこれにはじめて接した人の視点で見る。これが一応の編集ポリシーらしいものとなった。」
「とば口はまず入場料の要らない、ロハの大道からはじまる。ロハの空間は子供や年少者の特権的場である。それからすこしずつお小遣いがふえると、見せ物、買い食い(食べ物)。ちょっと小生意気になるとカフェ・飲み屋ときて、色街・赤線はずぶずぶと深間にはまってあがきがとれなくなるおそれがあるから、もう要注意だ。あとは自前の小金もできて、その懐具合に応じてのお買い物。このあたりでそろそろ生(なま)臭いものにも飽き、現世(うつしよ)にむなしさを覚えるはずなので、ふたたびロハの空間に戻って、博物誌、お化け・夢と続く。」
「天・地・人、ととりあえず三分冊に編んだ。「地」と「人」が何を意味するかは自明である。だから天は「地」と「人」を引き算して残った何か、と逃げておきたいところであるが、それでは頼りないことおびただしい。平らかな「地」の上で「人」の目線の高さで見るのではない、もうすこし上でなければ、もしくはもうすこし違う視点からでなければ見えないもの、空、舞台、スクリーン、ネオンやショーウィンド、あるいはすこしばかりよそゆきのお店、要するに、日常からちょっと爪先立ったあたりに浮んだ東京の破片を集めた。その界隈には狐や狸やお化けが出る。鳥が飛んだり、虫がうごめいたりもする。地上の現実の事象とは異る夢を見るのもここだ。それを都市の祝祭空間などと言ってしまうと、少々割り切りすぎる趣もなくはない。」
「東京の、あるいは東京をめぐるジャーナリズムの怪物性は、いまに始まったことではない。
 しかしその怪物性はあくまでも多様性としての怪物性であって、この巨大都市が一つの方向に向ってだけ直進もしくは後退しはじめるとき、すくなくとも多様性としての怪物性は影をひそめてしまう。戦中や高度成長期の、一方的に直進して多様性を粛清してしまう東京がこれである。そこにはおきまりの退行性の単純生活やご当人だけが得意顔の退屈なサクセス・ストーリーしか生れない。戦中の苦労話や高度成長期のごたごたには立ち入らなかったゆえんである。
 これをいいかえれば、東京が多様性の怪物であるならば、その怪物の日常(引用者注:「日常」に傍点)についての記録を編んだということである。(中略)私たちがここで立ち合うのは、あくまでも「怪物の日常」である。ご存知のように、この怪物は日常こそが驚異に満ちている怪物なのだから。そしてその日常が驚異に満ちていることを発見するのが、くり返すまでもないことながら、あの野暮の眼なのである。」



「チンドン屋のこと」(澁澤龍彦)より:

「チンドン屋の奏楽は、必ずしも陽気でにぎにぎしいとはかぎらない。いまも述べたように、へんに物悲しいところもあって、ハメルンの笛吹きのように、子どもたちを否応なく惹(ひ)きつけるのである。私はチンドン屋のあとについて、街をどこまでも歩いていった記憶がある。もう帰らなければ、と何度も思いながら、ついつい見知らぬ街まで来てしまったときの心細さをよくおぼえている。」
「伴蒿蹊(ばんこうけい)の『近世畸人伝』に、金蘭斎という人物のエピソードが出ている。元禄正徳のころ、京都に金蘭斎と称する老荘の学をきわめた人物が住んでいて、ひろく世に知られていた。ひどい貧乏で、本でも衣服でも、手にはいればすぐ売って米に代えてしまう。そこで門人が背中に円形を白く染めぬき、なかに金蘭斎と書いた着物を送ると、それを着て平然と街を歩きまわっていた。こればっかりは売れなかったものと見える。
 あるとき、講義の最中に、代神楽(だいかぐら)というもの、笛を吹き鼓を鳴らして、にぎやかに街を通るけはいがすると、この金蘭斎は急にそわそわしはじめ、門人になんの挨拶もせず、ただちに外へ走り出して、子どもといっしょに彼らのあとについてまわったという。片足には下駄をはき、片足には草履(ぞうり)をはいたままの姿だった。
 私はこの金蘭斎のエピソードが大好きなのである。代神楽というのは、獅子舞や曲芸を主とする一種の門付芸で、やはり街を流して歩くものだから、まあ昭和のチンドン屋に似たようなものだといえばいえないこともないであろう。大人になっても子どもの心を失わず、思わずふらふらチンドン屋のあとをついてまわった金蘭斎、さすが老荘の学をきわめた人物だけのことはあった。
 私は前に、チンドン屋のクラリネットに物悲しい情緒を感じると述べたが、あらためて考えてみると、単に物悲しいというだけではまだ足りないような気がする。なにか不気味な、白昼の狂気とでもいった情緒に私たちを誘いこむ、面妖な気分を伝播していたように思われてならないのだ。」



「下駄の連想」(佐多稲子)より:

「戦争中のことだったが私の女友達のひとりに悲しいことがあって、死のうとした人がいる。下駄を履いたまま海の中に、だんだん深みへと歩いて行ったのだという。胸元まで海につかったとき、履いていた下駄の片方が脱げて、ぽかっと目の前に、裏返しになって浮いたそうだ。(中略)浮いた下駄を拾って彼女は海からあがってきた。その話を私にして、なんだかへんねえ、でも、下駄が脱げて、それが目の前に浮いたとき、急にこわくなったのよ、とその人はまだ暗い表情のまま、微かな笑いを浮べた。履物にもいろんな女の想いがある、と気づくと、映画「モロッコ」でデートリッヒはゲーリー・クーパーを追ってゆくとき靴を脱いで歩き出した、とおもい出す。」


「物売りの声」(寺田寅彦)より:

「つい二三年前までは毎年初夏になるとあの感傷的な苗売りの声を聞いたような気がする。「ナスービノーナエヤーア、キュウリノーナエヤ、トオーガン、トオーナス、トオーモローコシノーナエ」という、長くゆるやかに引き延ばしたアダジオの節回しを聞いていると、眠いようなうら悲しいようなやるせのないような、しかしまた日本の初夏の自然に特有なあらゆる美しさの夢の世界を眼前に浮かばせるような気のするものであった。」


「鮨」(岡本かの子)より:

「その子供には、実際、食事が苦痛だった。体内へ、色、香、味のある塊団(かたまり)を入れると、何か身が穢(けが)れるような気がした。空気のような喰べものは無いかと思う。腹が減ると餓(う)えは充分感じるのだが、うっかり喰べる気はしなかった。床の間の冷たく透き通った水晶の置きものに、舌を当てたり、頰をつけたりした。餓えぬいて、頭の中が澄み切ったまま、だんだん、気が遠くなって行く。それが谷地(やち)の池水を距ててA――丘の後へ入りかける夕陽を眺めているときでもあると(中略)子どもはこのままのめり倒れて死んでも関(かま)わないとさえ思う。だが、この場合は窪んだ腹に緊(きつ)く締めつけてある帯の間に両手を無理にさし込み、体は前のめりのまま首だけ仰(あお)のいて
 「お母さあん」
 と呼ぶ。子供の呼んだのは、現在の生みの母のことではなかった。子供は現在の生みの母は家族じゅうで一番好きである。けれども子供にはまだ他に自分に「お母さん」と呼ばれる女性があって、どこかに居そうな気がした。」



「毎日公休日」(木葉井悦子)より:

「わたしは絵では精密な風景画が一番好きです。そこには作者の感情などなくてえんえんと出来上がるまでに費(ついや)された時間がみえて好きなのです。」

「浅草というところはヘンな処です。毎日が公休日みたいなのです。あそこにいると。」



「鬼」(小沢信男)より:

「ぼくはよく夢をみた。(中略)きまってこわい夢だった。ぼくはほとほと閉口して、せめてこわくないたのしい夢をみたいと切に念じた。すると、夢の入口のところだけ、申しわけみたいにたのしそうで、じきにおそろしい状態に変化するのだった。」
「こわい夢は、大別すれば二た通りあった。ひとつは、(中略)アブストラクト・ドリームとでもいうやつで、人間がよじれたような奇妙な形の、色のない物体が、ベルトで運ばれるようにぼくの眼の前をすうっすうっときりもなく通過してゆく。ぼくはそれを見ていなければならない。果てもないその行列が通りすぎるまでは、ぼくはこの夢からさめて現実の父母のいる世界にもどることができない。(中略)またある時は、ぼくは無数の壁にとりまかれる、その壁はほとんど抵抗なしに通りぬけられるのだが、一枚通りぬけるたびに外側の方で更に巨大な壁が一枚そそりたつので、ぼくはいつまでもキャベツの芯にいる状態になる。」
「これらの夢は、病気になる時と治りぎわとによく見た。ぼくはたびたび病気になったから、たびたび見なければならなかった。けれどもこの種の夢は、どこか頭のすみでかすかに夢だと承知しているので、まだしも堪えやすかった。恐怖よりも、圧迫や焦燥や絶望感が迫る変に漠々たる灰色の世界だった。この夢がさめたあとは、電燈や天井が、非常に遠くに見えることがあった。(中略)瞼(まぶた)をとじると、自分の足の先がやはり遠くに感じられる。この感じにはぼくはいつのまにか慣れて、(中略)体に重味のなくなったような、ふわりとした妙ななつかしささえあった。
 もうひとつの方の夢がいけなかった。お化けの夢だ。
 お化けはじつにさまざまな現れ方をした。」
「お化けはぼくの身辺に、じつになれなれしげにやってくるのだ。たとえば、兄キが乱視の眼鏡をはずしていじりまわしていると思うと、それがじつは眼玉で、兄キの顔にはのこりの眼玉がひとつしかついていない。たいへんだよ、早くもとの所にはめこまなくちゃ一つ目小僧になっちゃうよと、ぼくが叫ぶのに、兄キはしんねりとだまりこんで眼玉をいじりつづける。」
「またたとえば、裏隣りの芸者屋の二階の窓があいて、きれいな着物の女の人が首をだす。と、その首がするするとうどんのようにのびて、重い頭がタランと手すりから垂れさがる。ぼくは物干台からそれを目撃して、狼狽の声をはりあげるのだが、その間にも首はのびて、とうとうぼくの家との間の狭い路地のごみ箱のわきに、コロンと顔が着陸する。」
「直接ぼくをめあてにやってくるのは、どうやらお化けというより、鬼たちの方だった。話にきく人さらいの、変形だったのだろう。それと、昼間の鬼ごっこがまざりあうのか、ぼくは夢の中で鬼に追われ、うまい工合にかくれたつもりでも、鬼はほかの子をつかまえるようなふりをしながら、しだいにぼくの方に迫ってくるのだった。」
「またある時は、二人づれのサンタ・クロースが、物干台の方からぼくらの寝ているところへ入ってきた。愛想のいい身ぶりだが、白いつけ髯(ひげ)の下に、ぼくはじきに邪悪な鬼の相を感じとった。(中略)さすがにおやじは恐れる風もなくむっくり起き直り、枕許にしゃがみこんだ鬼たちとなにか談合している。(中略)お父さんだまされちゃいけないよ。とぼくはひたすら念じた。彼らがかついだ白い袋は、ぼくを押しこめて持ちさるためのものだということが、ぼくには痛いほどわかっているからだ。」
「現れ方に手がこむだけ、こちらの気のもみようもはなはだしく、(中略)あげくに眼がさめると、ぼくはもうへとへとになっていた。そして布団にすっぽりもぐりこみ、えびのように体をまるめて、いやだなぁいやだなぁいやだなぁとくりかえし、体中がいやだなぁの塊りになる。
 その塊りはかんがえる。どうしてこの世にこんないやな夢なんかがあるのだろう。眠るからいけないんだな。眠らなければ夢の世界にひきこまれなくてもすむわけだ。だが、夜になると、(中略)眠りたくないと思っても、いつのまにか前後不覚になってしまう。だいいち皆が眠ってしまった真っ暗がりの中で、とてもひとりで起きてなどいられない。やっぱり夜のくるのがいけないのだ。昼と昼のあいだに、どうして夜がはさまるのだろう。ずうっとのっぺらぼうに明るくたっていいじゃないか。(中略)外の世界がカンカン明るければ、鬼だってお化けだって、やってこられないにちがいない。」
「夜の時間が、おしなべてこわいわけではなかった。」
「あかるい照明と人々の遊弋(ゆうよく)のあるかぎり、ちっともこわくなかった。夜は海のようにひたひたと街全体を黒い空の下に沈めてしまうが、街のあかりはいっせいに夜をはじきとばしていた。うす靄(もや)のおりた夜など、街路燈たちはいっせいに鰓蓋(えらぶた)をそよがせて息づき、街も人もおぼろにとけあい、ものみながそこにあるのがあたりまえといった昼の景色より、よほどなつかしかった。」
「そのかわり、夜の闇は、電光のとどかないかぎりどこへでも、容赦なくもぐりこんだ。」
「ぼくはしだいにふしぎな考えにとりつかれだした。」
「……ぼくはこの世界にいて、この世界に夜がきて、そしてこの世界で眠っているつもりでいるが、じつはこれがちがうのではあるまいか。(中略)この方がじつはみんな夢なのではあるまいか。ぼくはぜんぜんちがう世界に眠っていて、そしてこんな夢をみているのではあるまいか。」
「ぼくが思うに、ほんとうのぼくはむこうの世界の病院に入院していて、ベッドに寝ついたきりでいる。そしてぼくがこっちの世界にいるのだと思いこんでいる昼間は、じつはむこうでひどいコンスイ状態の時で、こっちの夜中にうなされている時は、むこうでちょっと意識がもどりかけているので、(中略)むこうの世界のお医者さんやお父さんやお母さんが、いそいでぼくの顔をのぞきこみ、意識をもどそうと呼びかけたりする。それがかすかに耳や眼に入って、こっちの方の鬼の夢になるのかもしれない。」
「とすると、いつかむこうに眼がさめるにちがいない。むこうはいったいどんな世界なのだろうか。」









こちらもご参照ください:

種村季弘 編 『東京百話 地の巻』 (ちくま文庫)
種村季弘 対談集 『東京迷宮考』
海野弘 『モダン都市東京』 (中公文庫 改版)
堀切直人 『浅草』
『種村季弘 ぼくたちの伯父さん』 (KAWADE 道の手帖)




























































『種村季弘 ぼくたちの伯父さん』 (KAWADE 道の手帖)

「町というのは正しさとか明るさばかりではつまらない。そこに少し悪意のようなものが混じっていると面白くなるんです。」
(種村季弘 「「家」の履歴書」 より)


『種村季弘 
ぼくたちの伯父さん』
 
KAWADE 道の手帖


河出書房新社
2006年1月20日 初版印刷
2006年1月30日 初版発行
191p
A5判 並装 カバー
定価1,500円(税別)



口絵図版(モノクロ)12点、本文中図版(モノクロ)22点。扉・目次に図版(モノクロ)各1点。
本書はまだよんでいなかったのでアマゾンマケプレで最安値のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



種村季弘 道の手帖 01



内容:

アルバム
 「顔」の履歴書 種村季弘 1933―2004

エッセイ
 澁澤龍彦 種村季弘について (種村季弘『怪物のユートピア』三一書房、68・4「あとがき」)

編集者の思い出
 桑原茂夫 種村さんのいる風景
 松田哲夫 編集者として大切なことはみんな種村さんに教わった
 西館一郎 豪放と緻密

総論対談
 松山巖・坪内祐三 大隠は市に隠れる 種村さんが与えてくれたもの

タネラムネラ・ワールド: 種村季弘を読み解く10の鍵
 【詩】 正津勉 へゝゝゝゝ
 【映画】 福間健二 生の全体の中に
 【翻訳】 高山宏 マニエリスムの翻訳、翻訳のマニエリスム
 【神秘思想】 安藤礼二 種村季弘と錬金術
 【路地】 川本三郎 路地裏の散歩者
 【江戸東京】 高山宗東 浮上する混沌
 【アングラ】 堀切直人 アングラ時代の種村季弘
 【温泉】 池内紀 種村さんと温泉
 【美術】 谷川渥 種村季弘とマニエリスム美術
 【民俗】 高山宗東 ほしいままなフィールドワーク

種村季弘・単行本未収録コレクション
 種村季弘 奈良王の隠れ里 (「ラパン」99・1月号)
 種村季弘 「家」の履歴書 (「週刊文春」97・10・30日号)
 種村季弘・池内紀 書物の森の散歩術、あるいはアンソロジストの秘かなよろこび (「i feel」04・春号)

温泉漫遊記
 大空咲穂 種村さんゆかりの温泉をたずねて 相模灘三湯遠足記

種村季弘フェイヴァリット・アンソロジー
 〈放浪〉 添田啞蟬坊 いろは長屋
 〈幻想〉 幸田露伴 ウッチャリ拾い
 〈怪談〉 森鴎外 鼠坂
 〈怪談〉 田中貢太郎 竈の中の顔
 〈怪談〉 芥川龍之介 妙な話
 〈温泉〉 岡本綺堂 温泉雑記
 〈推理〉 小栗虫太郎 失楽園殺人事件

資料
 種村季弘著作目録 齋藤靖朗 編
 種村季弘ブックガイド 齋藤靖郎・高山宗東
 種村季弘略年譜




◆本書より◆


「種村季弘について」(澁澤龍彦)より:

「事程さように、種村季弘の書く評論は、片カナの西洋人名がやたらに出てきて、いろんなテーマが押し合いへし合い、ひしめき合っているような盛り沢山の印象をあたえる。なにしろ暴力映画について論じながら、いつしかギリシア神話の世界に遊んでいたり、お化け映画について語りながら、突如として終末論とかユートピアの弁証法にふけったりするというのが、彼の常套手段だからである。そのロジックは強引でもあるが、巧妙でもあり、いささか眉唾物のようでもあるが、ぴたりと正鵠を射ているようにも思われる――そこに彼の書く評論の、いわば遊びに徹した独特の面白さがあるといえよう。やくざっぽい口調でペダントリーを次々に吐き出す操作を、彼は真実、楽しんでいるように見える。
 そういっても、彼に確固とした思想の核がないということではない。種村季弘の思想の核は、一言でいえば、この本の表題になっている「怪物のユートピア」という言葉に端的に示されているごとく、アンチ・ヒューマニズムに立脚したユートピア待望の情念である。すなわち人間は変身しなければならず、この世は顚倒されなければならない、――これが彼の信念だ。」



「「家」の履歴書」(種村季弘)より:

「[一九七〇年学園紛争のころ都立大学を辞めた種村さんは、学生が見つけてきた秩父の農家を買うことにした。]」

「翻訳の収入もあったので買えたんですよ。いいとこでしたよ。ただ、昼間は本を読んだり縁側に寝そべっていて、夜にさあ仕事をしようとすると近所の人が酒もって来るんだな。「飲もう」って。それはいいんだけど仕事ができない(笑)。
 近所の人は僕がいつも家にいるもんだから何の仕事しているのか不思議らしくてね。「本を書いている」と言ったら「それは印刷屋みたいなもんか」って聞くから「印刷屋の下請けだね」って答えたら納得してた(笑)。」

「[真鶴の山の上にあるお宅はみかん畑もほど近い環境のいい土地だ。種村さんは二年ほど前、脳梗塞で倒れ、一時は右半身がほとんど動かない状態だったが、その後のリハビリで現在はすっかり回復なさったご様子だ。]」

「病気になったことで直接何かが変わったということはないんです。だけれどもそれまで自覚しなかった“老い”というものがはっきり目に見える形にはなりましたね。たとえば、若い頃のことが今と連続しているという感じではなくて、回想の空間に入ってしまった。戦後からの自分の生きてきた連続性というのはどこかで終わってしまった感じがします。」
「何だか自分が経験した過去が本当にあったことなのか、夢の中の出来事のように思えてきます。
 前はもっと現実と関わっていたという気があったんですが、それも変わってきた。いまは現実に対して半覚半睡の状態で付き合っているという気がしますね。」



「大隠は市に隠れる」(松山巖・坪内祐三)より:

松山 (中略)種村さんの変なものへの関心というのかな、(中略)まあそれは職人さんともちょっと違って、人があるもので工夫する、ブリコラージュする感覚かな。無邪気に物をつくっている人たちがものすごい好きじゃないですか。子どもじみているというか、あまり成長しないというか。それで偉くもならない人たちがとても好きだから。」

坪内 種村さんは交友範囲もすごいですけど、人間に関する情報もすごかったですよね。普通の人物名鑑だとか本には決して載ってないような種村さん独自の興信録みたいなのを持ってたみたいで。
松山 噂話が本当に好きな人でしたね(笑)。」
坪内 大学で同級生だった松山俊太郎さんのエピソードが、(中略)いろんな作品に載っているじゃないですか。そこで描かれたエピソードを一つ一つ俊太郎さんに聞いたことがあるんです。そうしたら「それは嘘」「これも嘘」って全部嘘、みたいになって(笑)。
松山 俊太郎さん自身よくわからないんじゃあないのかなあ、伝説の多い人だから(笑)。」

松山 種村さんはある意味でシャイな人だからね。」

松山 最後に書かれたあれ、すごい本だよな。『ユリイカ』連載の「畸形の神 あるいは魔術的跛者」。身障者こそ創造者だという、古今東西の神話、物語を自由自在に取り出す感じで、華やかだし愉しい。これを最後に書かれたというのはすごいなってやっぱり思いますね。」



「浮上する混沌」(高山宗東)より:

「先生が亡くなるひと月ほど前だから、二〇〇四年の七月末であったか、入院されていた病院の、個人病室のベッドの上で書類に書き込みをしておられた先生は、ふと眼をあげて窓の外を眺めると、こう呟いたのである。
 「まるで箱庭……だな。」
「すると先生はまた、「グラウザーは庭師でもあったんだ。」と、続けた。
 フリードリヒ・グライザー――四歳で母と死に別れ、学校では問題行動ばかり引き起こし、モルヒネ依存症になり、入退院と自殺未遂を繰返し、一九三八年に四十二歳で襤褸布のようになって死んだ、スイス出身のミステリー作家である。」
「亡母の思い出を引きずりつつ、厳格な父には無理矢理精神病院に収監された。やがて、様々な職業を転々としながら小説家を目指すようになり、アウトサイダー作家として評価を得はじめたまさにその矢先、ぽっくりと突然死んでしまう。ようやくめぐり会った生涯の伴侶との結婚式を明日に控えた前日に……先生ご自身も書いておられるように、「精神病院、外人部隊、炭鉱夫、庭師、のような二十世紀初頭の独身者集団のあいだを転々と流浪」(『外人部隊』解説)した、まさに最後の最後まで独身者として巷間を彷徨い続けたダメ男、それがグラウザーなのだ。
 「僕は、グラウザーみたいに生きるもんだと思っていたよ。」」



「書物の森の散歩術、あるいはアンソロジストの秘かなよろこび」(種村季弘・池内紀)より:

種村 十年ほど前ドイツに行ったとき、本屋で犬のアンソロジーを見つけたんです。(中略)犬のアンソロジーだからといって、犬好きのためのアンソロジーではつまらない。犬嫌いのための小説も入っていないと(笑)。
池内 楽しいのもそこですね。律儀にテーマにこだわったり、秀作ばかりを集めたりした、由緒正しいアンソロジーなんて、読めたものじゃない。「なんていうことのない作品」が適度に混じっていないと。
種村 結局、編者があまりまじめな人だと、おもしろいアンソロジーにはならないのでしょうね。冗談のわかる人がいいアンソロジーを編む。いなすというか、脱力化するような身ぶりがなくては、ね。はじめから、犬というものはかくかくしかじかのものであるというふうに凝り固まっちゃうと、お説教になってしまう。」
池内 アンソロジーを通じて、定まった評価を逆転させる、そうでなくてはおもしろくないですね。アンソロジーは一種の批評の道具ともなりますから。」
種村 ぼくはそのうち『人生散歩論』という本を書こうと思っています。人生というのは「散歩」であって、本道を歩いてもいいけど、疲れたら横町のおでん屋でちょっと飲んで、それからパチンコ屋で五万か六万稼いで、向かいの大衆酒場に入って、またふらふら本道にもどればいいと。わき道でも本道でもそのとき好きなほうを歩めばいい。もちろん本道というものがあるとすればですよ。気の向くまま、足の向くまま。これがアンソロジーの編み方、読み方の極意かもしれない。」



「ウッチャリ拾い」(幸田露伴)より:

「予の対(むか)い側には七山生が矢張(やはり)予と同じように胴梁(どうばり)に片肘持たせて居る。(中略)彼も矢張り初夏の此の晴れ渡った日の、快い空気と快い日光と快い気候との間に抱かれて居るので、母の温い懐(ふところ)に抱かれた罪の無い赤子のような気になって、今日の朝からの舟遊びに満足し切って、而(しか)もかく穏やかに帰路に就きつつあるのを悦んでいるのであろう。」
「ふり反(かえ)って見ると沖の方は軽い南風(みなみ)が吹いて居るので、安房(あわ)上総(かずさ)の山々がボンヤリと薄青く見えて居るばかり、一体にボーッと霞んで、ただもう平和と安寧とが、上は半透明的の青い美しい空から下は紺に近い程濃い青色の熨(の)したように平らかな海までの間を塡(うず)め尽して居て、自分等(ら)の乗って居る船の帆さえダルイような此の気色に相応すべくダラケ切って居るのみか、時にはそれどころの段では無い、ややもすると全くブラリとなって仕舞(しま)って、(中略)幸(さいわい)に潮が背後から推すから宜(よ)いようなものの、然(さ)もなければ船は後(うしろ)へと戻りそうな位の勢(いきおい)である。」
「そして船頭の居る舳(とも)の方を見た次(ついで)にずっと見渡すと、直(すぐ)鼻の先の芝から愛宕(あたご)高輪(たかなわ)品川鮫洲(さめず)大森羽田の方まで、陸地の段々に薄くなって行って終(つい)に水天の間(かん)に消える、芝居の書割(かきわり)とでも云おうか又パノラマとでも云おうか何とも云いようの無い自然の画(え)が、今日は取分け色工合(いろぐあい)好く現れて、毎々の事ではあるが、人をして「平凡の妙」は到る処に在るものであるということを強く感ぜしめるのである。で、思わず知らずに又洲崎(すさき)の方を見ると、近い洲崎の遊郭の青楼(せいろう)の屋根などの異様な形をしたのが、霞んだ海面(うみづら)の彼方に、草紙の画(え)の竜宮城かなんぞのように見えて、それから右手へ続いて飛び飛びに元八幡(もとはちまん)の森だの、疝気(せんき)の稲荷(いなり)の森だの、ずっと東の端(はし)に浮田(うきた)長島(ながしま)の方の陸地が、まるで中途で断(き)れでも仕て居るように点々断続して見え渡るさまは、天(あま)の橋立(はしだて)の景色を夢にでも見るようである。
 が、東京百幾万の人間の中で、海へ遊びに出る事を知らずに塵埃(ほこり)の中で鼻うごめかして怜悧がって居る人達は、全く此様(こう)いう好い景色の有る事を知らぬばかりか、有ると云っても真(まこと)に仕無(しな)いのである。ただ少数の人々は之を知って居るが、知り切って居るので却(かえっ)てまた珍しいともせず、何とも思わずに居るのである。」

「こういうわけでウッチャリ拾いの称は、人の打棄(うっちゃ)ったものを拾うから起った称なのである。百幾万の人が打棄ったものの自然に流れ着くべきところを考えて、これを拾い上ぐるというがウッチャリ拾い先生の本願なのである。」
「船は遅々として居る。(中略)ウッチャリ拾い先生は頻(しき)りに何か拾っている。(中略)先生の水に立って従容として「会者(えしゃ)は忙(ぼう)せず」に俯仰(ふぎょう)するさまは、美わしい天(そら)や海や暖かい日光や和(やわ)らかい風やの中に、古昔(いにしえ)の逸人畸士(いつじんきし)を画(え)にしたかの如くに見えた。特(こと)に濡れしょぼたれて居ながら濡れしょぼたれたとも思わぬようで、汚(むさ)い事をしながら汚い事をも忘れて、脱然として平気で、ガサボチャ、ヂタブタやって居る容態(ようだい)は慥(たしか)に一種のおもしろいところが有るように思えた。
 「ウッチャリ拾いなる哉とは何様(どう)だ、賛成する気は無いかネ。」
 予は七山生に戯れて斯様(こう)云うと、七山生も戯れて、
 「実にウッチャリ拾いなる哉です、賛成です。」
と笑った。」







こちらもご参照ください:

種村季弘 編 『ドイツ怪談集』 (河出文庫)
フリードリヒ・グラウザー 『外人部隊』 種村季弘 訳
種村季弘 『澁澤さん家で午後五時にお茶を』
別冊幻想文学 『中井英夫スペシャル I』 (改訂版)



























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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