ウド・トゥウォルシュカ 『遍歴』 種村季弘 訳 (【叢書】象徴のラビリンス)

「すなわち、大本のところでは多くの宗教は皆一つなのだ、と。それらは皆、同じ目的に通じる複数の道と見られるのである。」
(ウド・トゥウゥルシュカ 『遍歴』 より)


ウド・トゥウォルシュカ 
『遍歴
― 約束の土地を求めて』 
種村季弘 訳
 
【叢書】象徴のラビリンス

青土社
1996年11月10日 第1刷印刷
1996年11月20日 第1刷発行
337p 別丁図版(カラー)6葉
四六判 丸背紙装上製本 カバー
装幀: 戸田ツトム+岡孝治



本書「訳者あとがき」より:

「本書は以下のテクストの全訳である。
 Udo Tworuschka: Sucher, Pilger, Himmelsstürmer. Reisen im Diesseits und Jenseits. Kreuz Verlag. Stuttgart 1991.
 題名を文字通りに訳せば、『探究者、巡礼、天界突撃者――此岸の旅と彼岸の旅』とでもなろうか。」
「もっとも本書はかならずしも聖地詣でのみをモティーフにしていない。副題にもあるように「此岸の旅と彼岸の旅」であり、天上界を経めぐる旅がそのまま模型的に地上を漂泊する各種の旅になり、その逆もまた真、という、上にあるものと下にあるものとの錬金術的対応の原理から構想されている。それかあらぬか、伝統的な聖地詣で、神社仏閣めぐりに加えて、きわめて現代的擬似イヴェント的聖地詣でとしてのディズニーランドなどのテーマ・パーク詣でが顔を見せたりもする。こうして、マス・トゥーリズムが繁盛し旅行がパック商品化し尽くすと、かえって「最後の楽園」式のコピーにつれてたましいの古層が浮かび上がってくるというパラドックスに読者はあらためて当面させられる。」



本文中図版(モノクロ)多数。


トゥウゥルシュカ 遍歴 01


カバー文:

「楽園表象の起原はどこにあるのか? 楽園――それは宗教史の最古の日々から伝えられてきた、
約束という魔法の呪文だ。もともとは――古代イランでは――楽園とは、生垣で囲われて塀囲いをした庭園を意味した。
庭園を造営すること――はじまりのカオスの世界に型を組み入れ、不要のものを排除して、秩序、すなわちコスモスを創出すること――、
秩序づける創造という思想が楽園思想と大いに関わっている。」



目次:



探究の旅
 回り道を経て目的地へ
 楽園の旅
  ザラスシュトラと神の王国
  阿弥陀と浄土への旅
  イスラームの「平和の家」
 幸福の旅
 約束の地
  「あなたは国を出て……」
  「アブラハムの脱出」――約束の地と神殿共同体
  「第二のイスラエルのように……」
 天上のエルサレム
 西方の救済
  「虹の端に至るまで……」
  モルモン教徒の西部移住
  「はるか海のなか、スペインの西に、その名もコカーニエンという国ぞある」
  ユートピア
 救世主をもとめて
  聖なる三人の王の探究
  「魔術師の旅」
  シメオンとアジタ
 牛探し

脱出と逃走
 逃走の理由
 動物のパニック逃走
 家出と帰宅: 放蕩息子
 エクソダス(脱出)
 エジプト逃亡
 教祖の放浪と逃亡
  ムハンマドのヒジュラとその象徴表現
  ザラスシュトラ(ゾロアスター)の逃亡

先に立つ者と後に従う者
 教祖の「さすらいの運命」
  イエス――放浪の奇蹟救済者
  「我が騎獣は我が足なり」
  仏陀の出家遁世の旅
  老子出関
 イエスと仏陀における後に従う思想
  イエス
  仏陀
 十字架への道の祈禱とボロブドゥール

巡礼旅行
 世俗的巡礼旅行
 聖地詣で
 探究の道
 イスラームのハジュ
 トゥーリズムと巡礼旅行

内部への道、上方への道
 神秘の旅
 神秘的上昇と神秘的合一の舞踏
 『闇の奥』
 「たましい」のさすらいと旅
 天界旅行と脱魂
 イエスとムハンマドの天路歴程
 グノーシスの天界旅行
 シャーマンの天界旅行
 トランスパーソナル体験旅行

人生行路のイメージ
 卓越せる人生-象徴
 「さすらう神の民」
 巡礼旅行としての生
 ジョン・バニヤンの『天路歴程』
 世界旅行者と諸世界旅行者
  生きものの諸世界迷行(輪廻転生)
  筏と船について: 災厄の大海を渉る海


 道と街道の象徴表現
 「天のタオ」と「地のタオ」
 「故郷を出て無故郷に入るあゆみ」、「覚醒への道」と「禅-仏教の道」
 「精霊たちの道」
 ヒンドゥーのマルガ
 「神の道と人間の道」
 「道に所属する者たち」
 イニシエーションの道
 コーランの道
 「岐路」
 救済にいたる多くの道

原註

訳者あとがき



トゥウゥルシュカ 遍歴 02



◆本書より◆


「探究の旅」より:

「古代チグリス、ユーフラテスの住人たち、エジプト人、ギリシア人、ローマ人、またケルト人も、その時々に、楽園の庭という夢想を夢見た。古代ヘブライ人は「エデンの園」の光景をまざまざと思い浮べた。個々の楽園にどれだけ差異があろうと、すべて楽園は創造の朝の時刻のうちにある。楽園の再帰は、しばしばあらゆる時代の暮れ方に待望されるのである。」


「内部への旅、上方への旅」より:

「アッタールは旅をするたましいを鳥になぞらえる。鳥は宗教説話にしばしば登場する形象である。薬物学者にして壮大な物語作家たるアッタールは慰撫への旅のための一種の時刻表をのこした。地上の鳥たちが、とアッタールはその『鳥の言葉』のなかで語っている、むかし自分たちの王様をみつけに一堂に会した。地上のどの国にも王様のいない国はないからだ。集まった鳥たちにヤツガシラが重要な情報を教えてくれた。鳥たちの神秘的な王様はシムルグという名だというのだ。シムルグは、聞くところによれば、世界を包む山であるクアフに棲んでいる。そこまでたどりつく旅は長く、不案内で、危険に満ちている。すでに命を落としたものがすくなくない。結局何千羽という鳥がヤツガシラの案内で飛び立ってゆく。旅は七つの谷を横断しなくてはならない。愛の谷、悟りの、無欲の、一体性の、奇蹟と驚異の、最後に無と死の谷の七つである。鳥たちの旅はまことに長かった。(中略)旅路の終わりまできても鳥はまだ三十羽いた。シムルグの許まできて彼らは、シムルグとは彼ら自身にほかならないと分かる。つまり、シムルグとは語義的には「三十羽の鳥」という意味なのだ。

  彼らはいまや至高の平和のうちにあった。ある新たな生命がシムルグとともに彼らに語りかけていた。これまでの旅のあらゆる心労、あらゆる苦難が一挙にけしとんだ。彼らは驚きのうちに、自分たちがシムルグそっくりであり、シムルグが自分たちにそっくりなのに気がついた。そしてもう、自分たちがシムルグなのか、シムルグが自分たちなのか、訳が分からなかった……。汝らの存在を我がうちによろこんで消滅せしめよ、さすれば汝らは我がうちにて汝ら自身を見出すであろう。」

「ギリシア人の間では美しい調和的神的秩序の総括概念であったコスモスは「闇の住い」と化し、「牢獄」と化す。人間の肉体はこの疎ましいコスモスの一部と目され、救済を必要とする自己が解放されるのを待ってひそんでいる「悪臭を放つ肉体」として蔑視される。この未救済の孤立している光の火花は痛切な悲嘆に暮れて根源的故郷を思い出しており、マンダ教のさるテクストでは次のように絶望的に問いかける。「世界の苦患に私を投げ入れたのは何者なのか?」、「なにゆえにそなたたちは私を私の場所から離して牢獄に入れ、悪臭を放つ肉体に投げ入れたのか?」。みずからに何の負い目もないのに、自己はみずからが遠方と故郷喪失に「投げ込まれている」のを目のあたりにし、そこで孤独に救出を待ち焦がれている。分離の苦痛と憧憬――この対照をなす感情が、超越的な光の火花の実存的孤独体験を創出する。(中略)グノーシス主義者は、かつて光の火花が生まれてきた場所へこそふたたび立ち帰らんとするのである。」



「道」より:

「いかなる宗教伝統も人間に、その信仰を生き、みずからにふさわしい道を見出す一連の可能性をゆだねている。ある人に適合するものが、他の人にはまるでしっくりこないこともあるかもしれない。結局、宗教の道はほとんど無限に多数主義(プルラリスムス)化する傾向があるのである。

 神に向かう道は、人類一人ひとりのたましいの数とほぼ同数なのである。」



























































































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種村季弘 『東海道寄り道紀行』

「旅は一直線ではなく、方々に好奇心を引っ張られて寄り道をするのがおもしろい。また現地のほうも思いもかけない隅々まで寄り道をしてもらわなければ、うれしくないだろう。私はむしろ不器用な旅をするのが好きだ。」
(種村季弘 「水源は富士山」の錯覚」 より)


種村季弘 
『東海道寄り道紀行』


河出書房新社 
2012年7月20日 初版印刷
2012年7月30日 初版発行
156p 初出一覧ほか2p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,600円(税別)
装幀: 山元伸子


「*本書は単行本未収録のエッセイ集です。」



没後刊行紀行文集。本文中地図14点、図版3点。


種村季弘 東海道寄り道紀行 01


帯文:

「探索踏査の途中下車旅!
待望の単行本未収録紀行集ついに刊行
歴史・民俗・伝説・温泉・酒を訪ねて出かけよう。
鉄道に揺られて街道の奥のまた奥へ、まだまだ知らない日本に出会う。」



目次 (初出):

「水源は富士山」の錯覚 狩野川流域 (〈東海道寄り道紀行〉 1 『ラパン』 1998. 11)
奈良王の隠れ里 富士川・早川を上って西山・奈良田温泉へ (2、同上、1999. 1)
湯中浮遊の極楽 奥大井の旅 (3、同上、1999. 5)
花祭の里紀行 天竜の支流 (4、同上、1999. 7)
今昔木曾街道繁盛記 名古屋駅から中央線へ (5、同上、2000. 1)
奥美濃 花奪い祭の里 美濃白山馬場への道 (6、同上、2000. 4)
だじゃの木訪問記 美濃・揖斐川流域 (7、同上、2000. 7)
足助街道 塩の道 矢作川・巴川流域 (8、同上、2001, 1)
塩の道・星の糞 水窪から青崩峠へ (9、同上、2001. 7)
妖怪かワニか 川の町・三次散策 JR三江駅・三次駅 (『ラパン』 1999. 3)
列車は我輩と同年配 高山本線・奥飛騨列車旅行 (『ラパン』 1999. 10)
鬼ノ城 古代山城と桃太郎伝説 (『ラパン』 2000. 10)
おむすび温泉 倉真温泉+法泉寺温泉 (『うるおい倶楽部』 1998. 1号)
金色の極楽浄土 芝川・瓜島温泉 (『うるおい倶楽部』 1998. 2号)
縮地気妖の怪 (『群像』 1988. 9)



種村季弘 東海道寄り道紀行 02



◆本書より◆


「鬼ノ城」より:

「ところで、桃太郎の鬼ヶ島征伐の話はどなたもご存じだろう。(中略)このおとぎ話の桃太郎が大和朝廷から派遣された吉備津彦(きびつのひこ)、征伐される鬼のほうは製鉄技術に長けた温羅(うら)という渡来人だったという、いわばある種の原話が吉備国に古くから行われていたらしい。そしてその温羅が立てこもって吉備津彦軍を迎えたのが、今回探訪する謎の山城=鬼の城だというのである。」

「吉備津彦が温羅を捕らえて首をさらし物にした。それでも温羅の首がうなり続けたので、首を犬に食わせてこの釜の下に埋めた。それでもまだ首は十三年間うなり続けた。よくよく「まつろわぬ民」だったのだ。」

「そういえばご当地のパンフレットに、表紙からは「桃太郎伝説――ヒーロー・吉備津彦」の物語、裏表紙からは「温羅伝説――アンチヒーロー・温羅」の物語が読める、リヴァーシブルな編集をした一冊がある。体制好きと反体制ファン、その両者とも無関心ではいられない鬼ノ城の謎というわけだ。その謎はしかし簡単には解けそうにない。」




◆感想◆


「妖怪や盗賊が出現しやすい」「境になる場所」「血なまぐさい戦争の地」であり、そこでは「熊坂長範」(盗賊)が旅人を襲い、「吉備津彦」「ヒーロー」「体制」)が「温羅」「アンチヒーロー」「反体制」)を退治する。とはいうものの、「いまや正義の味方の桃太郎=吉備津彦より鬼の温羅に人気がある」。そうすると、「ヤクザ」を殺して温泉客を人質に籠城した「金嬉老」はヒーローなのかアンチヒーローなのか。「日光の射し加減で」人が「異形の化物」に見える「四五六(しごろく)谷」や、遠くのものが近くに見える「縮地気妖の怪」のように、対立する二元が入りまじり、「稲生物怪録」の武勇少年「稲生武太夫」と魔王「山本太郎左衛門」が友情を交わす、人も妖怪も悪も正義も体制も反体制も現実も夢も生も死もリヴァーシブルな「極楽浄土」「温泉」こそが、寄り道しつつ到達すべき目的地だということなのでしょうか。

















































































































































フリードリヒ・グラウザー 『外人部隊』 種村季弘 訳

「「いつもこうだったんだよ」と彼は言った、「ごく小さいときからだ。皆がおれを憎むんだ。(中略)おれにはどうしようもないし、他の人たちもどうしようもない……根っからこういうふうらしいんだ。おれには他人(ひと)を苛立たせる何かがあるみたいだな。これはもうどうしようもないことなんだよ。」」
(フリードリヒ・グラウザー 「贖罪の山羊」 より)


フリードリヒ・グラウザー 
『外人部隊』 
種村季弘 訳

文学の冒険 第58回配本

国書刊行会 
2004年7月20日 初版第1刷発行
484p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,600円+税
装幀・造本: 前田英造
装画: 勝本みつる



本書「解説」より:

「四歳で生母と死別した。ウィーンで高等学校(ギムナジウム)第三級まで履修してからスイスの田園教育舎、さらにジュネーヴのコレージュに学び、そこで教師と悶着を起こす。次いでチューリヒ・ダダに最年少のメンバーとして加わる。やがてモルヒネ依存症になり、それが原因でウィーン商科大学フランス語教授だった父親により精神病院に強制隔離される。以後は精神病院、外人部隊、炭坑夫、庭師、のような二十世紀初頭の独身者集団のあいだを転々と放浪する。以上の消息は本書(中略)「自伝的ノート」に報告されている。
 生前はもっぱら特異なミステリー作家として知られていた。だが死後出版された一連の作品によって、狂気作家ローベルト・ヴァルザーと戦後の不条理劇作家フリードリヒ・デュレンマットを結ぶ二十世紀スイスの先駆的アウトサイダー作家として評価される。これがフリードリヒ・グラウザーの簡略なポートレートである。
 訳出したのは『外人部隊』、ほかに自伝『ダダ、アスコーナ、その他の思い出』、短篇小説集『モルヒネ、および自伝的テクスト』。いずれも自伝的要素の色濃い作品である。」



グラウザー 外人部隊


帯文:

「ランボーのほのめく光を盾に
プルーストの主題を
コンラッドの文体で書く」



帯背:

「ダダイストの生涯」


カバー裏文:

「男爵家の血筋を引きながら殺人犯として外人部隊に逃げ込んできたピエラール、
麻薬売人のスミス、少年たちを漁った男色家のシラスキー、
オスカー・ワイルドに愛されたと自称するパチョウリ……
ヨーロッパ、スラブ、アフリカから集まった人間たちの奇怪な絵模様が渦巻く
フランス外人部隊を舞台に、みずからの破天荒な生を描き、
セリーヌやブレーズ・サンドラールの精神的系譜に連なる傑作長篇小説『外人部隊』。
他に、モルヒネ依存症だった自己の生涯を濃密に反映させた短篇小説集『モルヒネ』と、
ダダイズム運動の貴重な証言『ダダ、アスコーナ、その他の思い出』を収録。
先駆的アウトサイダー作家の待望の作品集。」



目次:

外人部隊

モルヒネ
 割れたグラス
 書く……
 精神病院日記
 七月十四日
 コロン-ベシャール-オラン
 簡易宿泊施設
 秩序攪乱者
 園芸場
 音楽
 パリの舞踏場
 モルヒネ――ある告白
 贖罪の山羊
 道路
 同僚
 忘れられた殉教者
 隣人
 村祭
 自動車事故
 十一月十一日
 鶏の運動場
 夏の夜
 インシュリン
 魔女とジプシー
 旅行会社
 ネルヴィの六月

ダダ、アスコーナ、その他の思い出
 [自伝的ノート]
 田園教育舎で
 ダダ、ダダ
 アスコーナ――精神の市場
 アフリカの岩石の谷間にて
 階級と階級の間で
 付録(「探偵小説のための十戒」に関する公開状)

解説 (種村季弘)




◆本書より◆


「精神病院日記」より:

「しばらくきみに手紙を書かなかったね。ぼくはとても落ち込んでいた。ついこのあいだのぼくの診断調書でジュネーヴで下された診断を読んだ。早発性痴呆症(ディメンティア・プラエコックス)ならびに体質的精神病質。合併症:モルヒネ依存症。この診断書を消化するには二三日余裕が必要だ。この問題では特にH・シュテーリが助けになってくれた。われわれはヘルダーリンのことを話し合った。ヘルダーリンの場合どんな精神病が認められたのですか、とぼくは質問した。きみのと同じさ。それはすべての詩人の場合に起こるものと立証できるよ、ゲーテを除けばね、と彼はイーロニッシュにつけ加えた。これですこしはなぐさめられた。それからやってきたのは、精神医学に対する反抗と正当な異議申し立てだった。きみに会えさえしたらなあ。(中略)ぼくはときどき、気が狂うんじゃないかと不安になる。たえずおろかな質問が鎌首をもたげる。やっぱりみんなの言うことが正しいんじゃないか? 助けてくれ、ねえ、ぼくは弱い、きみは大きい。ときにはぼくのことを考えてくれてるかい? それはそうと狂気ってのは実現なんじゃないのかな? ヘルダーリンの場合はまちがいなくそうだ。『盲目の歌い手』草稿(狂気の時代の前)と『ヒュロン』(同じ『盲目の歌い手』を狂気のさなかで新たに、われわれ向きに改変したもの。第一稿はこれに対して、蒼白で、理想主義的-ギリシア的)を読みくらべて見給え。ぼくはヘルダーリンとショーペンハウアーを読んでいる。なぐさめになる、とても。」


「秩序攪乱者」より:

「世にはいわゆる反社会的分子なるものが存在する。小文の冒頭に申したようなタイプの人間、つまり泥棒常習犯、強盗殺人犯、風俗犯罪者など、この種のタイプをきちんと認識すべく、人びとはずっと彼らを観察し彼らについて論じてきた。社会秩序の代表者たちのこの種の人間たちに対する考え方は、信じられないほど混乱し不安定だ。」
「わたしはさしたる政治的信念を持っていない。永遠の平和を信じることもできない。現政権とは別の政党が実権を握れば生活がより公正になるかと言えば、これは絵空事もはなはだしいと思う。陳腐な言い種(ぐさ)ではあるが、存在の全体は、それが対立物の組み合わせであるからこそ存立する。光はそれだけで存在するのではなく、わたしたちが光を認識するのはその反対物である闇を通じてこそなのである。単独の慈悲としての神というものは考えられない、神は悪魔の悪業にその補完物を有するにちがいないとは、つとに神智学者ヤーコプ・ベーメの説くところだ。されば神も悪魔も根底においては一者である、と。おそらくいかなる体(てい)の秩序もこれと同断であろう。秩序は混沌なしには知覚され得ない。これで実際もう一歩で次のように言えなくもないのである。「反社会的分子」は、その名がすでに語っているように無秩序の代表者であり、それゆえに必要不可欠であって根絶し難く、それがなくては秩序が存在しないのだから、彼らを根絶することは不可能だと。誠実たらんとするならば、わたしたちは自分のなかにも例外なく犯罪者が巣くっているのを認めないわけには行かないことも、先に確認したとおりである。」



「モルヒネ――ある告白」より:

「わがヨーロッパ社会はモルヒネ中毒者があらかじめ「アブノーマル」と見なされるような仕組みにでき上がっている。おそらくこの薬物が人をあまりにも個人主義的にしてしまうからだろう。アルコールは人づきあいを促し、ある種の残忍さを促す。阿片は劣等感を生じさせる。いや、おそらくそれ以上なのだ。そう、あまりにも強い劣等感にさいなまれている人だけがモルヒネをやるのだ。」


「贖罪の山羊」より:

「寛容は今日では評判がよくない。それは承知だ。寛容を云々すると、自堕落、卑怯、無責任、のそしりを招きかねない……本当にそうなのかどうか、ぼくは疑問に思う。具体例がないとうまく説明しにくい。そこでこの種の具体例を一つ挙げる。外人部隊に部隊の憎まれ者随一の将校がいた。なぜ憎まれ者なのか、だれにもわからない。(中略)当の将校はそれに気がつかないふりをした。ある行進の際に一度ぼくと話をしたことがある。そこでぼくはたずねた。どうしてこうなったんでしょう、だってあなたはだれ一人いじめたわけじゃないのに。将校はちょっと悲しげな顔をした。「いつもこうだったんだよ」と彼は言った、「ごく小さいときからだ。皆がおれを憎むんだ。(中略)おれにはどうしようもないし、他の人たちもどうしようもない……根っからこういうふうらしいんだ。おれには他人(ひと)を苛立たせる何かがあるみたいだな。これはもうどうしようもないことなんだよ。」その後のある戦闘で将校は射殺された。(中略)しかしこの将校の寛容は、本当に卑怯と見まがいかねなかったものなのか?」
「人びとをあるがままに受け入れること、彼らを自分の好みに合わせようとしないこと、これは至難の業だろう。しかしすべての人間がお互いに似てしまったらどうなるか、という問題を、いつかはよく考えてみなければならない――」



「解説」より:

「しかしもう時間がなかった。生き永らえてそこそこ小市民的な作家生活に安住するつもりもなかった。「文学三昧の生活なんかぞっとする」と、筋金入りの放浪詩人はうそぶき、結婚後は新たな伴侶ベルタ・ベンデルとともにチュニジアに渡って病院看護士として生きる計画を抱いていたという。
 
 おれたちは断じて角縁眼鏡なんぞ掛けやしない、
 おれたちは虫けら、そこらのだれか、いやまったく。
 おれたちは子供たちが、犬が、海が、大好き。
 人類の目的なんて知ったことかよ。

 動物と子供たちと老婦人が大好き。「シャツを着ていない人がいたら、自分のシャツを脱いでその人に上げてしまうだろう」、と身近の友人はグラウザーの人となりを評した。
 「彼はやさしすぎて生きて行くことができなかった」とも。
 どのみち念願の作家生活は永くなかった。一九三八年十二月八日、イタリア、ジェノヴァ郊外ネルヴィの寓居で、ミュンジンゲン精神病院の看護婦として知り合ったベルタ・ベンデルとの「永い春」のあげくの結婚式を明日に控えながら、夕食の席で突然意識を失って帰らぬ人となった。享年四十二歳。」




























































































フリードリヒ・グラウザー 『狂気の王国』 種村季弘 訳

「われわれは皆、人殺しであり、泥棒であり、姦夫姦婦なのです」
(フリードリヒ・グラウザー 『狂気の王国』 より)


フリードリヒ・グラウザー 
『狂気の王国』 
種村季弘 訳


作品社 
1998年9月30日 初版第1刷発行
1999年1月25日 初版第2刷発行
310p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,400円+税
装丁・コラージュ: 間村俊一



本書「訳者解説」より:

「本訳書『狂気の王国』(一九三六)は、(中略)「シュトゥーダー刑事」物の第四作。シリーズでは四番目だが本邦公開はこれが第一回目である。原題は《Matto regiert》。Matto=マットは文中にもあるようにイタリア語で「狂人」、タロット・カードでは「愚者」の絵札、「道化」を意味する場合もある。英語のマッドといえば話は早いだろう。だからタイトルは、文字通りには「狂人が支配する」だ。つまりは「狂人の王国」、転じて「狂気の王国」。」


グラウザー 狂気の王国 01


内容(「BOOK」データベースより):

「この探偵小説の舞台は精神病院、それも20年代の先鋭に改革の進められつつあった施設である。今世紀初頭のスイスの精神病院は、他国に類を見ない、いささか語弊はあるが、名だたる大物精神病者たちと医師団を抱えた、精神病院のメッカであった。大狂気画家アドルフ・ヴェルフリ、元名ヴァイオリニストの狂気画家ルイ・ステー、永久機関の発明者=車輪狂アントン・ハインリヒ・ミュラーなど、後にシュルレアリストたちが随喜の涙を流すことになる、これらの狂気芸術家たちとその作品の面影は、この小説のどこかに描き込まれているはずだ。」


内容(「MARC」データベースより):

「精神医学花盛りの1930年代、スイスの精神病院を舞台に繰り広げられる異色の探偵小説。狂気の精霊マットの支配するむき出しの無意識の世界を描く。スイスの名刑事シュトゥーダー、日本初登場作品。」


グラウザー 狂気の王国 02


目次:

狂気の王国
 不良少年
 パンと塩
 犯行現場と祝祭ホール
 白い猊下(げいか)
 監視ホールB
 マット、そして赤毛のギルゲン
 ある昼食
 故ウルリヒ・ボルストリ院長
 三部構成の短い間奏曲
 実物教授用標本、ピーターレン
 熟考
 夜間監視人ボーネンブルーストとの対話
 シュトゥーダー最初の精神療法の試み
 紙入れ
 ささやかな難問二題
 シュトゥーダーの良心の葛藤
 愛らしく善良な(リーブ・ウント・グート)
 泥棒が入る
 同僚
 マット登場
 日曜日の影絵芝居
 マットの人形芝居
 シナのことわざ
 七分
 四十五分
 孤独の歌

訳者解説



グラウザー 狂気の王国 03



◆本書より◆


「いつだってこうなのだ!だれかが何か斬新なこと、有益なこと、何かまともなことをはじめる。二年経ち、三年経つ……するとそのだれかは突然消え、没落してしまう。」

「「ともかく、現実世界とわが王国の間には食いちがいがあります」、とラードゥナー博士はいいながらゆっくり表門に通じる階段をのぼった、「はじめのうちは、それがあなたを不安にさせるでしょう。あなたは不快な気持になる。はじめて精神病院を訪れる人はだれでもそうなります。でもやがて治ってきます。そしてあなたの役所のだれか気まぐれな書記とB病棟の毛織物をむしる緊張病(カタトニー)患者との間に、もうあんまり差はないとおわかりになりましょう」」

「「狂人たちと永らく関わり合っていると、だれだってヤラれないではいられないと、本当はそう思ってるんじゃありませんか、シュトゥーダー? つき合ってると狂気が伝染すると? ぼくはよく、それはどうも逆なんじゃないかと自問自答したものです。看護士として、医師として、精神病院に入って行くのはどのみち、俗にいう、頭に鳥を飼っている[頭がどうかしている]人間にかぎられているんじゃないかってね。マットの王国に参入せんとする衝動に駆られている人たちは、自分たちが何かおかしなところがあるのをわきまえている。ぼく流にいえば無意識にね。でもわかってるんです。それは逃避なんです……外の娑婆(しゃば)のほかの連中にしたって、まさるとも劣らぬほどの鳥を飼っていることがよくあります。でも彼らはそれがわかっていない。無意識にすらわかっていないんです……」」
「「マットの王国の境界線はどこにあるのでしょう、シュトゥーダー?」医師は声をひそめてたずねた。「(中略)あなたはいつか、おのれの網のまん真ん中に巣くっている蜘蛛のことを話しておられた。その糸は遠くまでのびている。地上全体をすっぽり包むまでのびている……(中略)きっとぼくを詩人肌の精神医だとお思いでしょうね……それも悪くないでしょう……われわれの望みなどたかが知れたものです……世界にほんのすこし理性を持ち込むこと……それもフランス啓蒙主義の理性ではなく、それとは別種の理性です、現代の……暗い内部に龕燈提灯(がんとうちょうちん)を点(とも)し、ちょっぴり明るませ……虚偽をほんのすこし追い払うことができるような、そんな理性……義務だの、真理だの、誠実だのといった、ごりっぱなことばは脇にのけておいて……もっと控えめなことをするんです……――われわれは皆、人殺しであり、泥棒であり、姦夫姦婦なのです……マットは暗闇でじっと様子をうかがっています……悪魔は死んでしまってもう久しいけれど、マットはげんに生きています。」」
 


「訳者解説」より:

「死の年の二年半前、一九三六年に「ABC」紙のために書いた履歴書である。(中略)とりあえずこれを紹介しておこう。

 一八九六年ウィーン生。母はオーストリア人、父はスイス人。(中略)ギムナジウム卒業試験直前に放校処分になる。(中略)チューリッヒ大学にて化学専攻一学期。それからダダイズム。父はぼくを(精神病院に)監禁させ、当局の後見を受けさせようとする。ジュネーヴへ逃亡。(中略)ミュンジンゲン精神病院に監禁一年間(一九一九年)。同院を脱走。アスコーナに一年。Mo.(モルヒネ)の一件で逮捕。返還移送。ブルクヘルツリ精神病院に三ヵ月。(中略)一九二一―二三年、外人部隊。それからパリで皿洗い。ベルギーの炭坑。後にシャルルロワの病院看護士。またしてもモルヒネ。ベルギーにて監禁。スイスへ返還移送。一年間行政管理の下でヴィッツヴィル刑務所。その後さる庭師の下働き一年。」

「いったんドロップアウトすると放浪生活はどこまでも転がり続けた。」



グラウザー 狂気の王国 04











































































フリードリヒ・グラウザー 『クロック商会』 種村季弘 訳

「しかし美男だろうが、醜男だろうが、動物たちならべつに気にはすまい?――動物たちは、二本脚どもがご同類を知っているのよりずっと人間通だ。」
(フリードリヒ・グラウザー 『クロック商会』 より)


フリードリヒ・グラウザー 
『クロック商会』 
種村季弘 訳


作品社 
1999年7月15日 初版第1刷印刷
1999年7月20日 初版第1刷発行
211p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,000円+税
装丁・コラージュ: 間村俊一

Friedrich Glauser : Krock & Co., 1937



グラウザー クロック商会 01


帯文:

「真っ赤なマニキュアにシルクのドレス、ショートヘアのモダン・ガール。
鉄屑と動物たちに囲まれて暮らす変人の自転車屋。
これみよがしの大きなダイヤをきらめかす二重顎の借金取立屋。

アルプスの寒村を脅かす金融資本の魔手
奇妙な男女が引き起こす田園殺人事件
名刑事シュトゥーダーの推理が冴えるシリーズ第2弾!」



帯背:

「名刑事シュトゥーダー
シリーズ第2弾!」



帯裏:

「クロック商会という地方規模の取立屋、だがその背後には国際的なシンジケートとしての金融資本が控えていて、汚れなきアルプスの小村はこの金融資本に汚染され、地場産業の刺繍工業まで破壊されて、その軋轢がついに殺人事件まで引き起こす。とすれば、『クロック商会』の田園殺人事件は伝来の手工業が国際金融資本の手でつぶされて行く、二〇世紀的グロバリゼーションの過程の寓話であるといえようか。――「訳者あとがき」より」


グラウザー クロック商会 02


内容:

クロック商会

訳者あとがき



グラウザー クロック商会 03



◆本書より◆


「「わたしたち二人は、刑事さん」と暗闇のなかの声はいった、「あのエルンストとわたしのことですが、二人ともこんなへんてこな人間になっちまったのは、父親にしょっちゅう殴られたからなんです。(中略)わたしたちは実直な労働者になりました――でも人前に出るのが怖かったんです。わたしは工場で働きました。(中略)でも長続きしませんでした。仲間たちにいつもかつがれて――あれは人生ってなもんじゃありませんや、刑事さん!」

「……二人兄弟――(中略)どうやら二番目のほうが兄貴より不幸で、こちらは唇を人に見られるとどもらないではいられない。――しかし美男だろうが、醜男だろうが、動物たちならべつに気にはすまい?――動物たちは、二本脚どもがご同類を知っているのよりずっと人間通だ。山羊や羊や犬どもの円陣にとらえられてシュトゥーダーはなにやら誇りのようなものを感じた……」



「訳者あとがき」より:

「しかし快癒すれば実現していたかもしれないそれらのプランは、ついに実現しなかった。モルヒネ依存は重症だった。フリードマットの病院記録によれば、患者は「ぷるぷる震え、蒼白で、瞳孔は狭く、ほとんど無反応、発汗し、食欲なく、便秘し、極度に疲労していた」という。
 入院直前のモルヒネ服用量は、日に三〇から四〇グラム。フリードマット入院十二日目の二月十五日、グラウザーは浴室で転倒して頭蓋底骨折を負う。六分間から七分間の意識不明。越えて十数日もたたない三月三日、看護人のきびしい制止を押してベッドを抜けて便所に行く。看護人が異様な物音を耳にして現場に駆けつけると、グラウザーが額の横に打撲傷を負って倒れていた。三分間の意識不明。自殺の試みの疑い。再起を望んでいるのか、それともここでピリオドを打ちたいのか。
 とまれフリードマットのインスリン教育療法は失敗に終わる。そして病院で転んだショックが、この年十二月六日の、行年四十二歳という早すぎた死の引き金になった。
 だがいずれにせよ『クロック商会』は最後から二番目のシュトゥーダー刑事物となり、難渋をきわめた『体温曲線表』と二週間の徹夜につぐ徹夜のあげくに書き上げた『シナ人』という二つの悪天候の谷間に、小春日和のようにうららかにやってきた、スイス東北部――ボーデン湖を望んでドイツ、オーストリア、リヒテンシュタインに境を接した国境の――アッペンツェル州の保養地ホテルを舞台にした作品だったのである。」



グラウザー クロック商会 04





































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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