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礒山雅 『マタイ受難曲』


礒山雅 
『マタイ受難曲』
Johann Sebastian Bach: Matthäus-Passion


東京書籍 
1994年10月31日 第1刷発行
2009年8月10日 第10刷発行
492p+57p 口絵(カラー)4p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,200円(税別)
ブックデザイン: 東京書籍AD課 金子裕
表紙: 舟越保武作「十字架上のキリスト」(1960年)



いそやま・ただし。
本文中図版(モノクロ)・譜例多数。


礒山雅 マタイ受難曲 01


礒山雅 マタイ受難曲 02


帯文:

「イエスに寄せるいたましい思い、
内なる罪への悔悛――
バッハの音楽の襞(ひだ)へと分け入る、
画期的な作品研究」



帯背:

「バッハのメッセージ
に迫る」



帯裏:

「私は、構想の雄大さと親しみやすさ、人間的な問題意識の鋭さにおいて、《マタイ受難曲》こそバッハの最高傑作であると思っている。
この作品には、罪を、死を、犠牲を、救済をめぐる人間のドラマがあり、単に音楽であることをはるかに超えて、存在そのものの深みに迫ってゆく力がある。それはわれわれをいったん深淵へと投げ込み、ゆさぶり、ゆるがしたあげく、すがすがしい新生の喜びへと、解き放ってくれる。研究者としての私にとって、《マタイ》はいつも、大きな目標として、頭の上にあった。
――「はじめに」より」



目次:

はじめに

序論
 第Ⅰ章 受難と受難曲の歴史――バッハまで
  受難と十字架
  イエスの活動と死
  福音書の受難記事
  四つの福音書
  朗誦される受難記事
  多声化の始まり
  ルネサンスの応唱風受難曲
  ルネサンスの通作受難曲
  宗教改革初期のルター派受難曲
  応唱風受難曲のバロックにおける発展
  オラトリオ受難曲の成立と発展
  一八世紀初めのライプツィヒにおける受難曲
 第Ⅱ章 《マタイ受難曲》の資料と作曲年代
  バッハの《マルコ受難曲》
  《ルカ受難曲》をめぐって
  《ヴァイマル受難曲》
  《ヨハネ受難曲》の変遷
  《マタイ受難曲》の資料――自筆総譜
  オリジナル・パート譜
  初稿を伝える『アルトニコル筆写譜』
  《マタイ受難曲》の作曲年代――修正された通説
  リフキンの新説
  初演時の《マタイ受難曲》
  《ケーテン侯のための追悼音楽》との関係
 第Ⅲ章 ピカンダーによる自由詩
  ピカンダーの役割
  二つのキャラクター
  歌詞の構成
  詩人ピカンダー
  ピカンダーの評価
 第Ⅳ章 歌詞のルーツを探って
  自由詩の背後にあるもの
  ルター派神学とバッハ
  八一冊の神学書コレクション
  蔵書を開いて
  コレクションの内容
  ミュラーとランバッハ
  蔵書研究の問題点
 第Ⅴ章 受け継がれるコラールの伝統
  聴き手に訴えるコラール
  コラールの誕生
  《マタイ受難曲》におけるコラール
  ゲールハルトの受難コラール
  和声化されるコラール

本論
 第Ⅰ章 花婿が、小羊のように――冒頭合唱曲の世界 〈第1曲〉
  大胆な導入
  花婿のたとえ
  雅歌のメッセージ
  小羊の婚姻
  コラール
  導入部の分析
  応答する合唱楽節
 第Ⅱ章 受難の預言 〈第2曲―第4曲b〉
  聖書場面の始まり
  通奏低音と「光背」
  コラールの介入
  祭司たちの謀略
 第Ⅲ章 香油を注ぐ女 〈第4曲c―第6曲〉
  ベタニアにて
  香油を注いだのは誰か
  マグダラのマリア
  もう一人のマリア
  福音書記者の調和
  バッハの聖書場面
  注がれる涙
  愛ゆえに
  目に見える歌詞の表現
  感情を扱うやさしさ
  ダ・カーポ・アリア
 第Ⅳ章 血を流すイエスの心 〈第7曲―第8曲〉
  密告者の出現
  血を流すのは誰か
  母なるイエス
  痛ましさの表現
  ロ短調の使用
  いくつかの演奏
 第Ⅴ章 最後の晩餐 〈第9曲―第13曲〉
  過越祭の喜び
  裏切りの告知
  ラビよ、私ですか?
  パンとぶどう酒の意味するもの
  涙の海で味わう喜び
  神学論争に代わるアリア
 第Ⅵ章 オリーブ山にて 〈第14曲―第17曲〉
  バッハはイエスの十字架?
  復活の預言
  受難コラールの介入
  ホ長調の役割
  つまずきの預言
  受難コラールの再現
 第Ⅶ章 ゲツセマネの園の苦悩 〈第18曲―第25曲〉
  悲しみの始まり
  雷の子らの野心
  痛ましいおののき
  イエスのもとでの目覚め
  ヤコブのはしご
  ひれ伏し、祈るイエス
  苦い杯
  眠る弟子たち
 第Ⅷ章 捕縛 〈第26曲―第29曲〉
  ユダの接吻
  ヨハネ福音書の対応箇所
  二重唱に合唱が加わって
  このタイミングでこそ
  争わぬイエス
  大コラール楽曲の導入
  整然とした構成
  復活を見据えて
 第Ⅸ章 イエスを探す美女 〈第30曲―第37曲〉
  対話する美女たち
  疑問文がアリアに
  大祭司邸での審問
  苦しい証言
  沈黙するイエス
  四音符の表現力
  引き出された瀆神の言葉
 第Ⅹ章 明暗を分けた悔い改め 〈第38曲―第42曲〉
   〔その一〕 ペトロの否認
  浮かび上がるペトロの姿
  三つの応答
  良心を目覚めさせる鶏鳴
  まなざしの溶かす涙
  アリアへの視点
  隠された受難コラール
  コラールによる意味づけ
   〔その二〕 ユダの自殺
  後悔するユダ
  明るいアリアの侵入
  「私」とは誰か
  放蕩息子としてのユダ解釈
  ユダの復権
  ランバッハのユダ論
 第Ⅺ章 流れ下る愛 〈第43曲―第49曲〉
  「心臓部」の仮説
  血の畑の由来
  王の称号をめぐる対話
  受難コラールのヴァリエーション
  バラバを!
  驚くべき刑罰
  良き行いの数々
  清らかな愛
  愛の表象のルーツ
  愛とは何か
 第Ⅻ章 血にまみれた十字架 〈第50曲―第58曲〉
  血の報復
  鞭打ち
  内面化される鞭打ち
  着想の源泉
  ユダヤ人の王様
  血と傷にまみれた御頭
  十字架の道行
  甘美なる十字架
  ゴルゴタへ
  私は神の子だ
 第XIII章 イエスの死 〈第59曲―第63曲b〉
  鳴り響く弔鐘
  手を広げるイエス
  覆う暗闇
  消えた光背
  詩篇の引用?
  ルター正統派の立場
  なぜ対訳か
  追悼のコラール
  地震の描き方
  地震の数象徴
  神の子の認識
  浮かび上がる十字架
  I・N・R・Iの銘
  天変地異の語ること
  ランバッハの天変地異論
 第XIV章 おのが心への埋葬 〈第63曲c―第68曲〉
  たたずむ女性たち
  夕暮れ、涼しい時
  そよぐオリーブの葉
  おのが心を墓として
  キリスト哀悼の情景
  悩める良心の憩い

補章 レコード/CDによる演奏の歴史
 1―37
 【補遺1】 本書を出版後二〇〇〇年までに国内発売された全曲盤
 【補遺2】 二〇〇〇~〇七年に国内発売された全曲版と、〇七年末時点で入手できるDVD

あとがき

バッハの神学蔵書一覧
《マタイ受難曲》パート譜一覧
《マタイ受難曲》の数象徴に関するマルティーン・ヤンゼンの説
バッハ以前の主な《マタイ受難曲》
文献目録
人名索引
《マタイ受難曲》対訳



礒山雅 マタイ受難曲 03



◆本書より◆


「第Ⅰ章 花婿が、小羊のように――冒頭合唱曲の世界」より:

では、音楽を見よう。冒頭には、一六小節の序奏が置かれている。われわれは、テキストが語り出されるのに先立って、ゴルゴタへ向けてのイエスの一行の、重い歩みを聴く。調性はホ短調であり、行進の基礎となるのは、八分の一二拍子のリズムである。ホ短調という調性は、教会旋法のフリギア調(ミを音階の主音とする旋法)の流れをくむものであるが、バッハと同時代の音楽理論家、ヨーハン・マッテゾンは、その特徴を次のように規定している。「ホ短調に楽しげな要素を与えることは、たとえそれを望んで試みたとしても、ほとんどむずかしいだろう。ホ短調は、非常に考え込み、深く沈み、悄然(しょうぜん)とし、悲しげな状態を作り出すのが常であるからである。だがそれは、人がなお慰めを期待しうる程度のものである。――キルヒャーに言わせると、これは憂愁と苦痛に適した調である。またこれは、ルチアーヌスによれば激しい性質を、グラレアーヌスによれば悲嘆にくれた性質を備えている。」(一七一三年にハンブルクで出版された『新設のオルケストラ』から、山下道子訳)。
 もちろん、バッハがこれと同じ感じ方をしていたかどうかはわからない。しかし、この受難曲の中心的な調性がホ短調であり、それが受難の基調を表現していることは、確かである。主音となるホ音(ドイツ音名E)は、まず通奏低音パートで、五小節にわたってえんえんと保続される。第6小節に至るとそれは一転して力強く身を起こすような上行の歩みを見せ、一三度上行して、ハ音(C)へと達する。このハ音はすなわち、受難曲が最後に到達する、ハ短調の主音にほかならない。このEを大地=この世(Erde)の象徴、Cをキリスト(Christus)の象徴とする杉山好氏の解釈は、一考に値するものだろう。
 この間、上声部には、重荷をひきずりながらはい登ろうとするかのような音型が出る。」



「補章 レコード/CDによる演奏の歴史」より:

「以上の演奏のどれをよしとされ、どれを鑑賞されるかは、もちろん読者の自由である。(中略)しかし興味のある読者のために、私の個人的な推薦盤を、最後にあげておきたい。観点を変えたベストを三つ選ぶとすれば、私は、歴史的演奏の中からリヒターの旧盤を、大オーケストラ型の演奏からショルティを、古楽器グループの録音からレオンハルトをとる。マウエルスベルガー、ガーディナー、ヘレヴェッヘも候補になるだろう。その中からさらに一つを選んで読者にお薦めするとすれば、流行の古楽器演奏に親しむ意味でも、私はレオンハルト盤がいいと思う。」


礒山雅 マタイ受難曲 04




こちらもご参照ください:

今谷和徳 『ルネサンスの音楽家たち Ⅰ』
J・シャイエ 『魔笛 ― 秘教オペラ』 高橋英郎/藤井康生 訳
『名作オペラ ブックス 26 ベルク ヴォツェック』
ジョスリン・ゴドウィン 『キルヒャーの世界図鑑』 川島昭夫 訳













































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皆川達夫 『バロック音楽』 (講談社現代新書)

「二つの極の断続した対比を効果的に強調することによって、バロック音楽はその独自の音楽語法をつくりだしていった。これは同時代のバロックの美術家たちが、明と暗といった対比から、ルネッサンス美術にはない新しい表現の世界を開拓していったのと、同一次元のものといってよいかもしれない。」
(皆川達夫 『バロック音楽』 より)


皆川達夫 
『バロック音楽』
 
講談社現代新書 291 


講談社 
昭和47年11月20日 第1刷発行
昭和54年5月4日 第16刷発行
269p 
新書判 並装 カバー 
定価390円 
装幀: 杉浦康平+辻修平
カバー写真: メンツェル・演奏会――フルートを吹くフリードリヒ大王〈部分〉
カバー裏: 目で見るバロック音楽



本文中に図版(モノクロ)、図、楽譜。カバー内側に「目で見るバロック音楽」図版(モノクロ)26点。


皆川達夫 バロック音楽 01


カバー文:

「バロック音楽は、ある意味で
もっとも現代的な音楽である。
いっさいの先入観を必要とせず、
虚心に音の美しさにひたりきらせる純粋さ。
楽譜は見取り図にすぎず、
ジャズにも似て即興演奏が重視され、
聞く者の心に応じた多様な接近が可能となる。
バッハやヴィヴァルディに象徴されるように
ロック・ファン、ポピュラー・ファンにまで幅広く愛されている理由であろう。
本書は、バロック音楽に関する最良の
解説書であり、ファン待望の書である。」



カバーそで文:

「現代に生きるバッハ――最近おもしろいレコードを聞いた。バージル・フォックスという
教会オルガニストがロックの会場で、何万というロック・ファンの若者たちに
バッハのオルガン曲を聞かせている実況録音レコードである。まともなバッハである。
正統的な演奏といってしまってさしつかえないだろう。多少リズムを鋭くし、テンポを
いくぶん速目にとっているが、バッハの音楽には何の変形も加えていない。
ところが、若者たちはフォックスの演奏を口笛をもって迎え、バッハの音楽の展開につれ、
だんだん興奮し、あげくのはては手拍子までとって熱狂してゆくあり様である。
わたくし自身、彼の演奏を生で聞いているが、バッハの音楽との違和感を
覚えないばかりか、むしろバッハの音楽の普遍性というか、
包容性というものにあらためて感嘆してしまったのである。
――本書より」



目次:

バロック音楽との出会い
1 ヨーロッパ音楽の流れ
 バロック以前の音楽
 バッハ以後の音楽
2 バロック音楽の魅力
 バロック音楽の時代
 音楽としての特徴
3 楽器が語るバロック音楽
 鍵盤楽器の活躍
 色どりをそえる管弦楽器
4 オペラと宗教音楽――イタリアの声楽音楽
 オペラが開いたバロックの時代
 宗教音楽の展開
5 新しい様式をもとめて――イタリアの器楽音楽
 さまざまな器楽合奏様式
 器楽音楽の充実
6 優雅な宮廷音楽――フランス
 音楽好きの王様たち
 フランス的ということ
7 革命と音楽の運命――イギリス・スペイン
 音楽不毛の時代
 音楽復興の波
8 「音楽の国」の誕生――ドイツ
 バッハを準備した人々
 ドイツらしさと外国の影響
9 バロック音楽の完成――バッハとヘンデル
 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
バロック音楽と日本人

あとがき
バロック音楽史年表
索引

目で見るバロック音楽 (カバー裏)



皆川達夫 バロック音楽 02



◆本書より◆


「バロック音楽の魅力」より:

「バロック音楽は、ルネッサンス音楽とも古典派の音楽とも異なり、二つの対立する中心ないし極の緊張関係から成立する。したがって、それは一種のポリフォニーであり、同時にホモフォニーの要素も内蔵するものである。
 ルネッサンスのポリフォニー書法は、バロック期にも継承されているが、それは調性によって垂直的に規定されるものに変形してしまった。太陽光線がプリズムを通って七色の光に分かれるように、バロックの楽曲は縦と横との何重もの線に分光してゆく。縦と横との精緻な音の網目――バッハの作品などにそれはもっともいちじるしく、もっとも典型的に示されており、それなればこそ、バッハの音楽は聞くたびに新鮮なよろこびと発見とを、わたくしたちに与えてくれることになるのである。
 二つの対立する極の緊張関係――このことは通奏低音や構成法ばかりではなく、バロック音楽の表現の手段としてあらゆる面に活用されており、バロック音楽の本質的な特徴となっている。たとえば、バロック器楽音楽の主要な曲種に、コンチェルトがある。協奏曲と訳される楽曲だが、その名のように二つの対立する要素の競奏である。この時代にはコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)といって、少数の独奏者のグループと全体の合奏とが対立するものと、もうひとつ、ソロ・コンチェルト(独奏協奏曲)とよばれ、一人の独奏者と全体の合奏とが対立する形のものとがあった。
 いずれにしても独奏者(ソロ)あるいは独奏者たち(ソリ)と合奏(トウッティ)との対立からなるもので、ここでは演奏者の数の対比が楽曲構成の方法となっているわけである。
 また、バロック音楽では、強奏(フォルテ)と弱奏(ピアノ)という、二つの音色の対比を好んで用いる。
 そこには、古典派にみられるような漸強(クレッシェンド)、つまり弱奏(ピアノ)からすこしずつ音色をふやして強奏(フォルテ)にいたるとか、その逆の漸弱(ディミヌエンド)といった連続的な変化はない。音楽は、強(フォルテ)と弱(ピアノ)との間を断続的に、あるいは断層的に移り変わるのである。当時の楽器の機構にもそのことは明瞭に反映されている。たとえば、イタリア語でチェンバロ(英語ではハープシコード、フランス語ではクラヴサン)と呼びならわされている鍵盤楽器には二段の鍵盤があって、ひとつの鍵盤はどんなに強く指で押しても弱音(ピアノ)しか奏せないし、もうひとつの鍵盤ではその逆となる。
 演奏者はこの二つの鍵盤を使いわけて強(フォルテ)と弱(ピアノ)との対比を作りだすのであって、その中間のニュアンスというものは、この楽器には存在しない。」
「二つの極の断続した対比を効果的に強調することによって、バロック音楽はその独自の音楽語法をつくりだしていった。これは同時代のバロックの美術家たちが、明と暗といった対比から、ルネッサンス美術にはない新しい表現の世界を開拓していったのと、同一次元のものといってよいかもしれない。」





Virgil Fox - Fanfare: Toccata in D Minor
Live at Fillmore East






こちらもご参照ください:

皆川達夫 『中世・ルネサンスの音楽』 (講談社現代新書)
エウヘーニオ・ドールス 『バロック論』 神吉敬三 訳




























今谷和徳 『ルネサンスの音楽家たち Ⅱ』


今谷和徳 
『ルネサンスの
音楽家たち Ⅱ』


ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ
オルランドゥス・ラッスス
ウィリアム・バード
トマス・ルイス・デ・ビクトリア
カルロ・ジェズアルド
ジョン・ダウランド


東京書籍 
1996年12月2日 第1刷発行
327p+132p 口絵4p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,000円(本体2,913円)
装幀: 東京書籍AD課・金子裕



本書「あとがき」より:

「本書は、二巻からなる『ルネサンスの音楽家たち』の第二巻である。」
「この企画の最初の段階では、ルネサンス時代の何人かの音楽家たちについて、一冊の本にまとめるという話だった。しかし、とりあげるべき人物を想定し、その内容を考えてみた時、とても一冊にはまとめきれないことが分かり、結局は二巻本とし、それぞれ六人ずつ、合計十二人の音楽家をとりあげる形に落ち着いた。(中略)実際にとりあげることにした十二人の音楽家の選択基準は、まずわが国で比較的よく知られている人物であること、重要な作曲家であること、その経歴が変化に富んでいること、そして、十五、十六世紀のヨーロッパ社会の動きが、その生涯を描くことで浮き彫りにできることなどで、それらの要素を総合的に判断した結果、この十二人となった。」



本文中図版(モノクロ)89点、家系図4点、地図3点。口絵図版カラー8点、モノクロ2点。


今谷和徳 ルネサンスの音楽家たち 02 01


帯文:

「政治的、社会的変動に
翻弄されながらも
人生を乗り切り
数々の名曲を残していった
波乱の時代の証言者たち

作品総覧、CD紹介付」



目次:

ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ
 1 伝説と理想像から再評価へ
  オペラ《パレストリーナ》
  今日のパレストリーナの評価
  対抗宗教改革の精神に沿った音楽
 2 ローマ劫掠
  不明の出生
  ローマの悲劇
 3 人生の第一歩
  少年聖歌隊員として
  影響を与えた二人の音楽家
  枢機卿デル・モンテとの出会い
  結婚
 4 教皇庁の音楽家
  教皇ユリウス三世
  少ないイタリア人の音楽家
  『ミサ曲集第一巻』
  マドリガーレも作曲
 5 最高の地位
  ローマ音楽家の最高の地位に
  相次ぐ教皇の死
  《教皇マルケルスのミサ曲》
 6 解任と新たな職場
  システィナ礼拝堂聖歌隊歌手解任
  サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ教会楽長に
  世俗曲集の出版
  楽長を辞任
 7 転職と出会い
  『年間の祝日用のモテトゥス集』
  枢機卿イッポーリト・デステとの出会い
  器楽合奏曲作曲の可能性
 8 トレント公会議とその影響
  ローマのミサ曲の変化
  セミナリオの音楽教師に
  ミサ曲とマドリガーレ集の出版
  高まる名声
 9 教皇庁復帰
  再びカペルラ・ジュリアの楽長に
  カペルラ・ジュリアの構成
  《エウジーノの海岸の周囲に》
  マントヴァ公グリエルモ・ゴンザーガとの会見
  息子と弟の死
  サンタ・バルバラ礼拝堂のための曲
 10 大役と私生活上の悲劇
  相次ぐ肉親の死
  伝統を守る作風
  《エレミアの哀歌》
  聖歌集の改訂に着手、そして妻の死
 11 再婚と出版への情熱
  再婚
  数多くの自作曲集の出版
 12 最後の十年間
  〈ローマ音楽家団体〉のメンバーに
  天正遣欧少年使節
  充実する作曲活動
  死
  不明の墓所

オルランドゥス・ラッスス
 1 多作家ラッスス
  パレストリーナとの共通点と相違点
  〈ラッスス〉という名前
 2 フェルランテ・ゴンザーガとともに
  美声のために誘拐される?
  君主フェルランテ・ゴンザーガ
  ミラノへ
 3 ナポリからローマへ
  作曲活動を始める
  ローマ
  《シビュラの予言》
 4 故郷フランドルで
  両親の死
  相次ぐ曲集の出版
 5 ミュンヘンの宮廷音楽家
  バイエルンの宮廷へ
  アルブレヒト五世との親交
  各国での出版活動
  二つの重要な作品
 6 宮廷楽長就任
  宮廷楽長に
  プロテスタントと宮廷の確執
  ドイツにおける最初の曲集出版
  シャンソンの代表的作曲家に
 7 諸侯とのつながり
  貴族に列なる
  フランス王シャルル九世
  〈詩と音楽のアカデミー〉と作曲コンクール優勝
  黄金拍車勲章を受ける
 8 作曲活動の充実
  『新ドイツ・リート集』
  フッガー家とのつながりと『音楽の守護』刊行開始
 9 宮廷の財政危機の中で
  ガブリエリの影響
  《レクイエム》
  通りに今も残る名前
 10 ヴィルヘルム五世の時代
  君主の死
  新君主の改革
  二つの曲集
 11 最後の十年
  息子たちの活動
  各地への旅
  《エレミアの哀歌》、『音楽の守護、マニフィカト集』
  死
  相次ぐ出版

ウィリアム・バード
 1 カトリックを守り続けた音楽家
  音楽家と宗教
  トマス・タリスの同僚の息子?
  生地はどこか
 2 リンカン時代
  エリザベス一世
  結婚と作曲活動
  ジェントルマンに
 3 王室礼拝堂の音楽家
  カトリックの重要人物たちとの交流
  変化する情勢
  バードとタリスの『モテトゥス集』
 4 ハーリントン時代の活動
  カトリックに対する弾圧
  出版活動
  様々なジャンルでの活躍
 5 続発する大事件の中で
  エリザベス女王暗殺計画
  イギリス、無敵艦隊を撃破
  国教会に対する挑戦
 6 ストンドン・マッシへの移住
  弾圧に反発し住居を移す
  傑作三つのミサ曲の謎
 7 『グラドゥアリア』の出版
  エリザベス女王の死
  『グラドゥアリア第一巻』
  合法的出版
  地下活動から生まれた『グラドゥアリア第二巻』
  隠れた多くの購買層
 8 最後の作品集と『パーセニア』
  合奏用の作品
  『パーセニア』
  戦う音楽家の死

トマス・ルイス・デ・ビクトリア
 1 カトリックに身を捧げた音楽家
  スペインの対抗宗教改革
  宗教曲のみの作曲家
 2 少年時代
  遣欧少年使節との接点
  名門の家系
  少年聖歌隊員、そしてイエズス会の教育
 3 ローマへの留学
  ローマへ
  パレストリーナとの出会い
  開ける道
  初めての曲集の出版
 4 聖職者の道
  聖職者としての成功
  曲集出版
  続く二巻の曲集
 5 創作活動の充実
  故国への帰郷願いの曲集
  『聖週間聖務曲集』
  《エレミアの哀歌》
  二つの受難曲
 6 皇太后マリアのもとで
  スペインへの帰郷
  聖職者として楽長として
 7 最後の創作活動
  曲集の出版
  『死者のための聖務曲集』

カルロ・ジェズアルド
 1 殺害
  決行
  マドリガーレの作曲家
 2 名門の次男
  スペイン属国のナポリ王国
  名門の家柄
  周囲の多くの音楽家
  音楽に囲まれた暮らし
 3 結婚と悲劇
  不幸な結婚
  世間の評判
 4 フェラーラ
  エステ家との婚姻
  フェラーラへ
  音楽家ジェズアルドの姿
 5 マドリガーレ集の出版
  フェラーラ宮廷の音楽と文学
  二つのマドリガーレ集
 6 フェラーラから故郷へ
  帰郷
  故郷での姿
  フィレンツェでの体験
 7 新しいマドリガーレ
  『五声のマドリガーレ集第三巻・第四巻』
  妻エレオノーラとジェズアルド
  エステ家の危機
 8 ジェズアルドの城で
  鬱病の悪化
  相次ぐ曲集出版
  斬新な手法の作品
  死
  異色の音楽家

ジョン・ダウランド
 1 「ラクリメ」の作曲家
  人々の心をとらえる作品
  「ラクリメのダウランド」
 2 パリへ
  パリへの音楽修業に?
  パリでの活動
 3 音楽家としての出発
  オックスフォード大学で学ぶ
  王室とのつながり
  国教会のための宗教曲
 4 ドイツの宮廷で
  就職活動の失敗
  ヴォルフェンビュッテルへ
  カッセルの宮廷
 5 事件と釈明
  ヴェネツィアからフェラーラへ
  フィレンツェでの事件
  釈明
 6 『歌曲集第一巻』
  帰国
  最初の曲集の出版
  名曲が多い曲集
 7 デンマーク王のリュート奏者
  デンマーク王の誘い
  デンマークの宮廷
  二番目の曲集
  ヒット・ソングのような
 8 新しい曲集と女王の死
  宮廷に働きかけた『歌曲集第三巻』
  エリザベス女王の死
  哀愁あふれる曲
 9 『ラクリメ、あるいは七つの涙』
  イギリス王妃に接近
  『ラクリメ、あるいは七つの涙』
 10 夢の実現
  デンマーク王室解任
  最後の曲集『巡礼の慰め』
  念願のイギリス王室リュート奏者に
  失意の音楽家

終章――ルネサンスからバロックへ
  宗教に翻弄される音楽家たち
  器楽曲の発展
  モンテヴェルディの登場
  オペラ《オルフェオ》
  ルネサンスとバロックの分水嶺《聖母マリアのための晩課》

あとがき
参考文献・図版出典一覧
人名索引

作品総覧
 凡例
 ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ
 オルランドゥス・ラッスス
 ウィリアム・バード
 トマス・ルイス・デ・ビクトリア
 カルロ・ジェズアルド
 ジョン・ダウランド



今谷和徳 ルネサンスの音楽家たち 02 02



◆本書より◆


「オルランドゥス・ラッスス」より:

「十五、十六世紀にヨーロッパの音楽界をリードしていったフランドル出身の音楽家たちの多くは、出身地であるフランドルばかりでなく、ヨーロッパ各地の宮廷や教会で活動を行なったため、それぞれの地域の言葉でその名が呼ばれることが多い。ラッススの場合も例外ではなかった。フランドル出身であるラッススの母国語はフランス語だが、フランス語による彼の名前は、オルランド・ド・ラッシュ Orlande de Lassus とロラン・ドラ・ラッシュ Roland de Lassus という二種類が伝えられている。(中略)一方、オルランド・ディ・ラッソ Orlando di Lasso というイタリア語の言い方もある。これは、この音楽家自身が晩年に用いていたもので、現在一般に最も多く使用されており、(中略)いずれも、それぞれにきちんとした理由があってその名を採用しているわけで、ここでそのどれかひとつを採用しようとするのはまことに難しいところなのである。そこでここでは、当時の公式用語であったラテン語による名前オルランドゥス・ラッスス Orlandus Lassus を用いることにしたい。」


「トマス・ルイス・デ・ビクトリア」より:

「ビクトリアは、作曲家として数多くの作品を書いたが、当時の作曲家としてはきわめて異例なことに、世俗音楽は一切手がけていない。残された彼の作品は、すべてラテン語で歌われる典礼のための宗教曲なのである。(中略)一般にルネサンス時代の作曲家は、宗教音楽も世俗音楽も書くのがふつうで、ビクトリアのような例はほとんど見られない。ビクトリアは、たしかに単なる音楽家ではなく、まず聖職者であった。しかし、聖職者であっても、世俗音楽を手がけてはいけないということはない。それどころか、たとえば十五世紀の最大の作曲家デュファイとか、十六世紀のフランスの作曲家ジャヌカンなどの例をみてもわかるように、宗教曲ばかりでなく、男女の間の世俗的な愛の姿を歌ったシャンソンを数多く書いている聖職者はたくさんいる。それがふつうだったのである。ところがビクトリアは、世俗音楽には見向きもしなかった。ひたすらカトリックの教会のために身を捧げたのである。彼は音楽の分野における対抗宗教改革の旗手の一人だったといえよう。」

「ビクトリアが生まれた翌年にあたる一五四九年、はるか遠い日本の鹿児島に、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(一五〇六―一五五二)が上陸し、日本でのキリスト教の布教への第一歩を印している。ザビエルは、パリでロヨラとともに最初に団結を誓い合ったスペイン人の一人で、彼が日本で始めた伝道の芽がやがて育ち、一五八二年(天正十年)の四人の遣欧少年使節の派遣へとつながり、彼ら日本の少年たちが、その三年後の一五八五年に、音楽家ビクトリアとおそらく出会うことになるのである。」



「カルロ・ジェズアルド」より:

「このナポリの貴族カルロ・ジェズアルドによる、妻とその愛人殺害事件は、当時のイタリアでは知らない者もないほどの出来事で、何人もの詩人がそれを詩に残している。しかも、この事件は外国にまで知られるようになり、フランスでは、十六世紀後半の王家とそれにつながる貴族たちの愛の交歓の有様を赤裸々に描いた、ブラントーム(一五四〇頃―一六一四)の名高い『艶婦伝』の中にも、ごく最近の出来事として、この事件が紹介されているほどである。」
「こうして、カルロ・ジェズアルドは、この不幸な事件によって有名になってしまったのだが、同時に彼は、作曲家としても重要な存在だった。とくにそのマドリガーレは、当時としては極めて大胆な半音階的技法、あるいは、不安定な感じを与える和声の連結などを特徴とした、実に特異な表現法に満ちており、二十世紀の大作曲家イーゴリ・ストラヴィーンスキイ(一八八二―一九七一)さえ、その音楽に注目して、ジェズアルドが不完全な形で残したマドリガーレの編曲を行なったほどである。」

「一五九〇年十月十六日、ジェズアルドは、部下とともに妻の密会の現場に乗り込み、妻マリアを愛人のカラッファともども殺害した。ただし、ジェズアルド自身は手を下さず、部下がその始末をつけたのである。ジェズアルドはさらに、妻マリアとの間に生まれた二番目の娘の出生に疑いを抱き、娘をも殺してしまった。」
「当時のイタリアの風習では、不義密通を犯した妻をその夫が成敗するというのは、ごく普通で当然のことと考えられていた。したがって、ある意味では被害者であるジェズアルドがとった行動は、決して非難されるべきものではなかった。だが、この事件に対する人々の目は、ジェズアルドにとって決して好意的なものではなかった。それどころか、不義の妻の成敗を彼自身が行なわず、部下にやらせたこと、さらに子供まで殺してしまったことなどが、世間の人々の心証を悪くしたのである。世間は逆に殺害された恋人たちの方に同情を寄せてしまった。
 ジェズアルドにとってさらに不運だったのは、妻の相手が自分と同じ名門貴族だったことである。いくら事情が事情とはいえ、身内を殺されたカラッファ家としては、ジェズアルドに対して復讐しようと考えるのは当然であろう。その動きを察したジェズアルドは、ナポリを出て、自分の本拠地であるジェズアルドの城に籠ってしまったのである。カラッファ家の復讐を恐れたと同時に、世間の目から逃れたいという気持がそうさせたのだった。こうしてジェズアルドは、この事件のほとぼりが冷めるまで、この城の中で暮らすことになる。(中略)この城での生活は、およそ二年ほどにもなってしまうのだが、やがて彼の新しい人生の歩みが始まることになる。」

「ジェズアルドにとっては、フェラーラはまさにあこがれの地であった。当時イタリア各地の宮廷では様々な音楽活動が行なわれていたが、フェラーラの宮廷はとくに音楽の中心地として評判が高く、(中略)すぐれた音楽家が何人も活躍し、新しい音楽の発信地としての役割を果たしていたのである。」
「フェラーラはまた、十六世紀のイタリアにおける文学活動の中心地でもあった。十六世紀の前半には、当時最大の詩人であったルドヴィコ・アリオスト(一四七四―一五三三)がこの宮廷で活躍していたし、十六世紀後半のアルフォンソ二世時代になってからは、やはりこの時期最大の詩人であるトルクヮート・タッソ(一五四四―一五九五)が、ここの宮廷詩人として活動したのである。タッソは、(中略)精神的な病に冒され、一五七九年に公によって精神病院に収容させられた。しかし一五八六年に退院した彼は、フェラーラを出てイタリア各地を転々と死、一五八八年にはナポリを訪れてジェズアルドと会ったのである。以来タッソは、ジェズアルドと親しく交わり、各地から書簡を交わし合ったり、多くの詩をジェズアルドに捧げたりした。一五九〇年のジェズアルドの不幸な事件に際しても、彼はその出来事を一篇の詩に綴っていたのである。したがって、このタッソを通じて、ジェズアルドはすでにフェラーラの宮廷文化に深く触れていたということが言えるのである。」

「ジェズアルドは、初めのうちは、単なる貴族のアマチュア作曲家としかみられていなかったが、フェラーラで四巻のマドリガーレ集を出版した頃から、プロの作曲家としての名声を確立していった。しかし彼は、当時の数多くの音楽家たちとは異なり、れっきとした貴族であり、それ故に政略結婚も余儀なくされ、その結果悲劇を体験もし、また当時の芸術の中心地で多くの経験をすることができたのである。本来ならば、ナポリ王国の宮廷で活動すべき一君主であったのだが、そのあまりにも消極的な性格のために、結局は好きな音楽の世界に逃避することとなり、逆にそれが音楽史に作曲家として名を残す大きな原因となったのだった。十六世紀の初め以来、次第に職業としての作曲家が広く認められるようになり、音楽家の地位も少しずつ変わってきたのだが、その中では、ジェズアルドは全く異色の存在だったといえよう。」



「ジョン・ダウランド」より:

  「流れよ わが涙 泉より滝となって!
  永遠に追放されて ぼくは歎きに浸ろう
  夜の黒い鳥が 悲しい辱めを歌っている
  その闇の中で ぼくはひとり打ちしおれて生きよう

  失せよ むなしい星たち もう輝くな
  夜の闇は いかに深くとも 深すぎはしない
  絶望の渕で 運命の末期を歎く者にとっては
  光はただ恥辱を照し出すばかり

  この悲しみ けっして癒される日は来まい
  なぜなら 憐れみはもはやあとかたもなく
  涙と溜息と呻きが ぼくのうとましい日々から
  あらゆる喜びを奪ってしまったのだから

  こよなき幸せの絶頂から
  ぼくの運命は転落してしまった
  恐れと歎きと痛みが 蔑みのうちに
  消え去った望みに代って ぼくの望みうるすべて

  聞け 暗闇に住まう影たちよ
  光を忌み嫌うがいい
  幸いなるかな 地獄に落ちて
  この世の蔑みをもはや感じえぬ者よ
                  (高橋康也・訳)

 これは、ルネサンス時代のイギリスにおける代表的作曲家の一人、ジョン・ダウランドが書いた、リュート伴奏付き歌曲の歌詞である。この曲は、一六〇〇年にロンドンで出版されたダウランドの『歌曲集第二巻』の中に含まれているが、ダウランドの作品の中で最もよく知られたものといえよう。ところがダウランドは、この歌曲とほとんど同じ構成によるリュート独奏曲《涙のパヴァーン》も残している。(中略)ともかくこの二つの曲は、当時発表されるとたちまち人々の心をとらえ、たいへんな人気を博したものであった。とくにその冒頭の旋律、つまり下行してゆく四つの音符からなる動機は、涙のモティーフとして当時から有名であったらしい。全体にその旋律は哀愁を帯びた性格をもっていて、当時のイギリスの人々の心にしみ込んでいったのである。
 そのため、この旋律をもとに、当時の多くの作曲家たちが、様々な形でその編曲を試みているし、特徴のある最初のモティーフにもとづいた器楽曲を書いたりしているのである。」
「こうした歌曲《流れよ、わが涙》、あるいはリュート曲《涙のパヴァーン》の人気のほどは、ダウランド自身もよく自覚していたようで、自ら器楽合奏曲として編曲したばかりか、この曲と共通の主題にもとづく合奏曲をさらに六曲加え、それに自作のその他の器楽合奏曲も含めた、『ラクリメ、あるいは七つの涙』と題する曲集を一六〇四年に出版している。また彼は、「ラクリメ(涙)のダウランド」と署名したこともあり、そこからもわかるように、当時「ラクリメ」の作曲家としてその名を知られていたのであった。」





こちらもご参照ください:

今谷和徳 『ルネサンスの音楽家たち Ⅰ』
皆川達夫 『中世・ルネサンスの音楽』 (講談社現代新書)
Robert Burton 『The Anatomy of Melancholy』 (Everyman's University Library)
『アリオスト 狂えるオルランド』 脇功 訳




































今谷和徳 『ルネサンスの音楽家たち Ⅰ』


今谷和徳 
『ルネサンスの
音楽家たち Ⅰ』


ギヨーム・デュファイ
ヨハンネス・オケゲム
ジョスカン・デ・プレ
ハインリヒ・イザーク
クレマン・ジャヌカン
トマス・タリス


東京書籍 
1993年10月29日 第1刷発行
290p+111p 口絵4p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,800円(本体2,718円)
装幀: 東京書籍AD課・金子裕



本書「あとがき」より:

「本書は、二巻からなる『ルネサンスの音楽家たち』の第一巻である。この二巻本では、ヨーロッパのルネサンス時代、すなわち十五、十六世紀の数多くの音楽家たちの中から、とくに重要な人物十二人を選び、その生涯の素描を試みた。十二人は生年順に並べ、それを二巻に振り分けたが、第一巻の本書は、十五世紀のデュファイから十六世紀の後半まで活動したタリスまでを含んでいるため、時代的にかなり範囲が広くなった。」


本文中図版(モノクロ)67点、家系図8点。口絵図版カラー6点、モノクロ3点。


今谷和徳 ルネサンスの音楽家たち 01 01


帯文:

「激動の時代を生きた音楽家たちの
未だ知られざる生涯と素顔
そして、
作品の全貌を
ここにはじめて集成

全作品解説、ディスコ・グラフィー付」



目次:

序章 
 現代の「作曲家」の概念ではとらえられないルネサンス時代
 中世の音楽と音楽家たち
 ルネサンスの社会情況
 関連地図

ギヨーム・デュファイ
 1 転換期の作曲家
  ルネサンス音楽の始まり
  国際様式への高まり
 2 カンブレ大聖堂での修業
  少年時代
  コンスタンツ公会議
 3 マラテスタ家の宮廷で
  ビザンツ教会とカトリック教会の結婚
  《喜べ、ビザンツ帝国の妃》
  《目を覚ましなさい、そして晴れやかな顔をして》
  当時の楽器
  イタリアの宮廷で歌われるフランス語のシャンソン
 4 聖職者、そして教皇庁の音楽家
  酒の歌
  当時の「作曲家」
  エステ家との結びつき
 5 サヴォワ公国の宮廷音楽家
  サヴォワの宮廷へ
  当時の宮廷音楽の規模
  フランス音楽の移入
  バンショワとの親交
 6 再び教皇庁聖歌隊へ
  教皇とともにフィレンツェへ
  大聖堂献堂式・祝典モテトゥス《ばらの花が先ごろ》
  数学的なる音楽
 7 政治上の微妙な立場
  聖職者としての職務
  人生の岐路
 8 カンブレ大聖堂を中心として
  ワイン通、デュファイ
  母の死
  ブルゴーニュ宮廷音楽の影響
 9 再びサヴォワの宮廷へ
  バーゼル公会議の終結
  ルネサンス時代のミサ曲
  《ミサ・ス・ラ・ファス・エ・パル》
  ビザンツ帝国滅亡
  《コンスタンティノポリスの聖母教会の歎き》
  中世からルネサンスへの橋渡し
  陽気な性格の人
 10 晩年の活動
  故郷カンブレでの晩年
  晩年の作品群
  オケゲムの訪問
  「死にゆくデュファイをあわれみたまえ」

ヨハンネス・オケゲム
 1 フランスの宮廷音楽家
  中世とルネサンスの間で
  不明の少年・青年時代
 2 ムランの宮廷で
  ブルボン公宮廷礼拝堂聖歌隊員
  ブルボン公とブルゴーニュ公
  初期の作曲活動
 3 王室の主席シャプレン
  国王宮廷へ
  高まる地位
  シャルル七世時代の作品
 4 ルイ十一世の時代
  変わらぬ地位
  外交官としてスペインへ
 5 作曲家オケゲムの業績
  王の信頼に対して
  作品の特徴
  《ミサ・カプト》
  数学的発想の構成
  高度な技法の作品
  《レクイエム》
  モテトゥスとシャンソン
 6 晩年と死
  シャルル八世の宮廷で
  オケゲムの死を悼む挽歌

ジョスカン・デ・プレ
 1 ルネサンス最大の作曲家
  暗殺
  ヨーロッパ音楽の縮図
  謎の多い生涯
 2 出身地の推定
  出生地の謎
  フランス人、ジョスカン
 3 ミラノ時代
  ミラノ大聖堂聖歌隊
  ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ
  宮廷カペルラのメンバーとして
  新しい説
  一流の音楽家たちとの活動
  宮廷カペルラの縮小
 4 ジョスカンが仕えた三人の人物
  不明の時期
  再びミラノへ
  ルイ十一世の宮廷へ――オケゲムとともに働く?
 5 アスカニオ・スフォルツァの音楽家
  アスカニオ・スフォルツァのもとへ
  《こおろぎは良い歌い手》――現実主義者としての側面
  多くの宗教作品
 6 教皇庁聖歌隊時代
  ローマ教皇庁付属礼拝堂聖歌隊歌手に
  空白の時期――政治的活動
  レオナルド・ダ・ヴィンチとともに
 7 アレクサンデル六世のもとで
  新教皇アレクサンデル六世
  フアン・ボルジア暗殺の波紋
  《わが子、アブサロン》
 8 一四九七年――傑作の年
  傑作《アヴェ・マリア》《ミサ・デ・ベアタ・ヴィルジネ》
  《オケゲムの死を悼む挽歌》
 9 ルイ十二世の宮廷で
  フランス宮廷の音楽
  ルネサンス時代の器楽曲
  新しい自由な形式のシャンソンへの過渡期
  アスカニオの身に近く
 10 フェラーラの宮廷楽長
  エルコーレ一世とのつながり
  《ミサ・エルクレス・ドゥクス・フェラリエ》
  フェラーラ宮廷での音楽活動
  妥協を好まぬ性格
  ペスト――フェラーラ宮廷楽長辞任
 11 晩年の活動
  フランドルへ
  アスカニオ・スフォルツァの死
  マルグリットの宮廷との関係
  晩年の傑作群、そして死
  「作曲家」という認識の成立

ハインリヒ・イザーク
 1 ジョスカンの同時代人
  人を楽しませる曲づくり
  作曲家としての活動
 2 インスブルックからフィレンツェへ
  最初の記録――インスブルック
  フィレンツェへ
  「サン・ジョヴァンニの歌手たち」、そしてオルガニストとして
 3 フィレンツェでの創作活動
  メディチ家の私的な音楽家として
  「メディチ・シャンソニエ」
  ジョスカンに共通する性格
 4 激動の中で
  結婚
  ロレンツォの死と「サン・ジョヴァンニの歌手たち」の解散
  マクシミリアン一世との出会い
 5 皇帝の宮廷作曲家
  宮廷作曲家として契約
  《インスブルックよ、私はお前のところから去らねばならない》
  作曲家としての柔軟性
 6 フィレンツェへの帰郷とコンスタンツ滞在
  家族への愛
  マキアヴェリの手紙
  隠れた名作《コラーリス・コンスタンティヌス》
 7 晩年と死
  メディチ家の復帰
  教皇と皇帝の祝典音楽
  晩年
  「作曲家」イザーク

クレマン・ジャヌカン
 1 新しいシャンソンの大家
  フランス・ルネサンスの中で
  シャンソンの大いなる変化
 2 ボルドーでの最初の成功
  生地、シャテルロー
  最初の記録
  《戦争》
 3 聖職者、そしてシャンソン作曲家
  様々な重要な地位に
  出版されたシャンソン集
  《鳥の歌》
 4 ボルドーからアンジェへ
  アテニャンとの関係
  出世の第一歩《歌え、吹き鳴らせ、トランペットを》
  アンジェ大聖堂楽長に
 5 アンジェ時代の活動
  教会音楽の仕事
  最先端のシャンソンの様式――国王宮廷への接近
  《美しい乳房》
  好色家フランソワ一世の宮廷
 6 アンジェからパリへ
  大学に入学
  『マロ訳詩篇曲集 第一巻』
 7 晩年
  王家や貴族への運動
  国王常任作曲家に
  サン・バルテルミーの大虐殺

トマス・タリス
 1 激動の時代に生きた作曲家
  イギリス音楽の黄金時代
  歴史に翻弄された生涯
 2 ドーヴァーの小修道院で
  イギリスにおける宗教改革
  もう一つの宗教改革
 3 ウォルサムからカンタベリーへ
  ロンドンへ
  初期の作曲活動
  クランマーとの出会い
 4 王室礼拝堂の音楽家
  国王宮廷音楽家に
  伝統的な音楽形式
  新国王エドワード六世
  英語による教会音楽
 5 メアリー一世の時代
  メアリー一世と反動政策
  メアリー一世時代の作品
 6 エリザベス一世の登場
  聡明なる女王、エリザベス一世
  エリザベス一世時代の作品
  《エレミアの哀歌》
  世俗歌曲と器楽合奏曲
  バードとの友情
  静かな人、タリス

あとがき
参考文献・図版出典一覧
人名索引

作品総覧
 凡例
 ギヨーム・デュファイ
 ヨハンネス・オケゲム
 ジョスカン・デ・プレ
 ハインリヒ・イザーク
 クレマン・ジャヌカン
 トマス・タリス
 ディスコグラフィー 略号表



今谷和徳 ルネサンスの音楽家たち 01 02



◆本書より◆


「ギヨーム・デュファイ」より:

「当時、作曲家という職業はなかったといってよい。十九世紀以後の作曲家のように、その作品によって生活をしてゆくという観念はなかったのである。では、われわれが作曲家と考えている人たちの本職は何だったのだろうか。人によって様々だが、十四世紀までの人たちをみると、まず聖職者が多い。それから政治家、あるいは領主、そして教会や宮廷などに雇われている歌手である。デュファイの同時代者で最も重要な作曲家といえば、何といってもジル・バンショワ(一四〇〇頃―一四六〇)だが、彼は、ブルゴーニュの宮廷礼拝堂聖歌隊の歌手であった。実はデュファイも、聖職者となったすぐあとに歌手となるのだが、聖職者の資格をもちながら、同時に歌手としての仕事もしていった、というのが本当のところであろう。作曲は、そうした仕事に付随する行為とでもいえるだろうか。」

「オケゲムは一四六二年六月にまずカンブレを訪れ、デュファイを訪問したが、二年後の一四六四年に再びカンブレにやってきて、二月から三月にかけて、二週間デュファイの家に滞在している。オケゲムは、デュファイの音楽を受け継いで、さらに新しい音楽を書いていった作曲家だが、こうして、直接デュファイと会って、その影響を受けているのである。カンブレ大聖堂は、かつてはすぐれた歌手を送り出す重要な場所の一つとして知られていたが、十五世紀の後半には、デュファイという巨星のおかげで、ヨーロッパの新しい音楽の発信地となり、ここを拠点としてルネサンスの音楽が各地に広まっていったといえるのである。」



「ジョスカン・デ・プレ」より:

「十五、十六世紀のルネサンス時代には、実に数多くの作曲家が活躍し、様々な種類の作品を生み出していったが、もしその中からルネサンス音楽の代表者を唯一人選ぶとしたら、十五世紀の後半から十六世紀の初めにかけて活躍したこのジョスカン・デ・プレを挙げるのが妥当であろう。ルネサンスの音楽は、デュファイを中心に始まり、オケゲムの世代に受け継がれて、やがてジョスカン・デ・プレの世代の作曲家たちの手で、十六世紀を通じて展開されるルネサンス音楽の中心となる通模倣書法という作曲原理が確立されたのだが、その世代の多くの作曲家たちの頂点に立つ最もすぐれた存在がジョスカン・デ・プレであったからである。
 通模倣書法というのは、各声部がお互いに模倣し合いながら、それぞれ独自の旋律を展開してゆくという書法で、特定の声部のみが重要な役割を果たすということはなく、すべての声部がみな平等に重要な役割を担ってゆくという作曲方法である。この形がのちの作曲家たちに受け継がれ、たとえば十六世紀後半に活躍する作曲家パレストリーナらが、それにさらに充実した和声やなめらかな旋律線による動きなどを付け加えることによって、より一層完璧なものになっていったのである。」

「こうしてジョスカン・デ・プレの生涯をたどってみてわかることは、当時の多くの作曲家と同じように、彼がまず宮廷や教会の歌手として活動を行ないながら、作曲もしたということである。同時にまた、コンデの教会の主任司祭となっていることから、聖職者でもあったということになる。つまり、大先輩のデュファイの立場とよく似ているといえよう。しかし、デュファイがまず第一に聖職者であり、そのかたわら音楽活動も行なった人物とみることができるのに対し、ジョスカンの場合は、どうも音楽家としての活動の方が主な仕事であったような感じがする。しかも、興味深いことに、(中略)ジョスカンはどうやら「作曲家」として注目されていたと考えられるのである。少なくともデュファイの時代には、まだ「作曲家」という職業が意識されていたとは思えない。しかし、ジョスカンの時代になると、どうも「作曲家」という存在が大きく浮かびあがってくるようである。(中略)ジョスカン・デ・プレは、そうした意識の変わり目に活躍した音楽家だったのである。」



「ハインリヒ・イザーク」より:

「イザークはまた、ドイツ語の俗謡にも大きな関心を抱いていたようだ。たとえば、彼がインスブルックの宮廷に滞在した一五〇〇年頃までには書かれていたとされる、四声の《ミサ・カルミヌム》という作品には、少なくとも十二のドイツ語の歌の旋律が素材として用いられているという。そして、その一つに《インスブルックよ、私はお前のところから去らねばならない》の旋律が含まれているのである。このように既に歌われている旋律をいくつも織り込んで一つの曲を作るという手法は、クオドリベットと呼ばれているが、これは当時のドイツでとてもはやっていたものであった。(中略)イザークは、その手法をさっそく取り入れて一つのミサ曲を作ったのである。教会でこのミサ曲を聴いた人々は、自分たちが良く知っている旋律が次々と出てくるので、とても親しみを覚えたにちがいない。」


「クレマン・ジャヌカン」より:

「この四曲の標題シャンソンのうち、《戦争》と並んでとくによく知られているのは《鳥の歌》だが、これは《戦争》以上に見事な作品である。題名の通り、ここでは、五月の最初の日、うららかな春の季節に野山で鳴いている鳥たち、つむぎ、むくどり、小夜鳴き鳥、かっこうなどの鳴き声が、擬音効果たっぷりに歌われてゆく。しかし、ここでジャヌカンの本領が発揮されているのは、単にこうした鳥たちの鳴き声だけを聞かせているわけではないという点であろう。鳥たちの行動を、人間の営みになぞらえているのである。たとえばかっこうという鳥は、他の鳥の巣にちゃっかりと卵を生んで育ててもらう、という習性をもっているが、このことからかっこうは、寝取られ亭主の代名詞にもなっており、ジャヌカンはそうしたことを歌い込んでいて、結局このシャンソンは、鳥たちの鳴き声を面白おかしく聞かせながら、実際には市井の男女の愛の姿を歌っているのである。
 作曲家としてジャヌカンは、このボルドー時代の後半に大きな名声を獲得したといえるが、聖職者でありながら、同時にこうしたシャンソンを書いていたというのは、決して不思議なことではなく、たとえばデュファイなども同じだったわけで、むしろこうしたシャンソンを披露することで、教会と信者の間の関係がさらに密接なものとなったのではないかと考えられる。」





こちらもご参照ください:

谷和徳 『ルネサンスの音楽家たち Ⅱ』
皆川達夫 『西洋音楽史 中世・ルネサンス』
伊藤博明 『神々の再生 ― ルネサンスの神秘思想』






































皆川達夫 『西洋音楽史 中世・ルネサンス』

「むしろ遊芸人たちは教会そして為政者たちから有害視され、圧迫されており、民衆音楽が音楽史の表面に姿を現わすことはほとんどなかった。しかし、それはつねに地下水のようになって背後に流れており、なんらかのチャンスに教会音楽ないし貴族たちの音楽に刺激をあたえ、新しい生命力を付与することになったのである。」
(皆川達夫 『西洋音楽史 中世・ルネサンス』 より)


皆川達夫 
『西洋音楽史 
中世・ルネサンス』
 


音楽之友社 
1986年7月20日 第1刷発行
1991年4月20日 第5刷発行
552p 索引xxx 
四六判 丸背バクラム装上製本 函
定価4,300円(本体4,175円)
装幀: 志賀紀子



本書「あとがき」より:

「この本は、音楽之友社〈西洋音楽史〉シリーズのうちの第一巻〈中世・ルネサンス〉である。その骨組となったのは、雑誌〈音楽芸術〉一九七一年(昭和四十六年)一月号から一九七四年(昭和四十九年)十二月号まで全四十五回にわたって連載された〈中世・ルネサンスの音楽史〉であって、そのすくなからぬ部分に訂正補筆を加えて、本書が成立した。」


本文中参考楽譜多数。


皆川達夫 西洋音楽史 中世ルネサンス 01


帯文:

「中世から、〈新生〉のルネサンスへ――
吟遊詩人、マショー、デュファイ、ジョスカン……
彼らはなにを考え、なにを歌い、そしてどう生きたか。
ミサ曲、宮廷恋愛歌、シャンソン、マドリガーレ……
豊かに響く楽の音に、現代のわれわれはなにを聴くか。

広い文化史的視野・最新の研究成果・日本語による中世ルネサンス音楽史の決定版」



目次:

第一章 キリスト教聖歌の成立、東方教会聖歌
第二章 グレゴリオ聖歌
第三章 グレゴリオ聖歌の周辺と典礼劇
第四章 中世の音楽観
第五章 中世世俗歌曲
第六章 初期多声音楽
第七章 ノートル・ダム楽派
第八章 十四世紀フランス音楽
第九章 十四世紀、十五世紀前半のイタリア、イギリス音楽
第十章 ブルゴーニュ楽派
第十一章 フランドル楽派(上)
第十二章 フランドル楽派(下)
第十三章 フランス・ルネサンス音楽
第十四章 イタリア・ルネサンス音楽(上)
第十五章 イタリア・ルネサンス音楽(下)
第十六章 スペイン・ルネサンス音楽
第十七章 ドイツ・ルネサンス音楽
第十八章 イギリス・ルネサンス音楽
むすび ルネサンス音楽の展望

あとがき
索引Ⅰ
索引Ⅱ 作品名欧文索引



皆川達夫 西洋音楽史 中世ルネサンス 02



◆本書より◆


「第二章 グレゴリオ聖歌」より:

「けっきょく、グレゴリオ聖歌の成立を一元的にとらえようとするのは不可能であり、また無意味でもある。キリスト教が、ユダヤ教を母胎としながらも、ヘレニズム世界、ローマ帝国、さらに西流して中世西欧世界で、ひろい地域にわたって長い時間を要しつつ、もろもろの要素を同化しながら発展し、次第次第にローマ・カトリック教会の伝統を確立していったように、グレゴリオ聖歌もまたひろい地域と長い時期にもろもろの要素をアマルガメイトしつつ、徐々に形成されていった音楽なのである。」

「グレゴリオ聖歌は、ヨーロッパ音楽の源流である。それは、世界の現存する音楽のなかでももっとも古いものの一つであり、しかも今日なお演奏されつづけて、人びとにふかい感銘をあたえつつある、新しい生命力にみちた音楽でもある。同時に、グレゴリオ聖歌は、祈りの音楽である。それはローマ・カトリック教会の典礼とふかく結びついて、歌われつつ祈られ、祈られつつ歌われる音楽である。キリスト教が今日なおヨーロッパ精神の中核の一つであるというのと同じ意味で、グレゴリオ聖歌はヨーロッパ音楽の精神的中核の一つといえる。中世から現代にいたるまで、それぞれの時代の作曲家たちは、グレゴリオ聖歌から新しい霊感をうけとめ、それを作曲の模範とし、またそれを楽曲構成の素材として借用してきた。
 しかも、グレゴリオ聖歌は、その成立事情からも明らかなように、東方的要素も著しく認められる。いわば東と西との音楽的融合、同化のうえに形づくられてきたものである。」



「第五章 中世世俗歌曲」より:

「中世は世俗歌曲の面でも、注目すべき時代であった。中世ヨーロッパ音楽にたいするわが国の一般的イメージからすると、すべては教会に従属していたように考えられがちであるが、当時の記録や伝承によれば、民衆の日々の生活に結びついて民謡や踊りが行なわれていたこと、またジョングルール jongleur とよばれた遊芸の賤民たちが活躍していたことなどが、知られる。
 残念ながら、中世ヨーロッパの民衆音楽は今日そのままの形ではまったく残されていない。当時、音楽について記録をのこし、また記譜する能力をもっていたのは主として聖職者ないし上流の知識層に限られ、民衆の音楽について関心をしめし、それを記録し記譜する労を払う者はほとんどなかったからである。
 むしろ遊芸人たちは教会そして為政者たちから有害視され、圧迫されており、民衆音楽が音楽史の表面に姿を現わすことはほとんどなかった。しかし、それはつねに地下水のようになって背後に流れており、なんらかのチャンスに教会音楽ないし貴族たちの音楽に刺激をあたえ、新しい生命力を付与することになったのである。」



「第七章 ノートル・ダム楽派」より:

「全体として現存する中世の器楽作品は、声楽のための作品に比較して、きわめて数がすくない。しかしその事実から、中世ヨーロッパ世界では楽器のための音楽が不毛であったと、速断すべきではない。
 この時代にはキリスト教の楽器にたいする姿勢を反映して、器楽を声楽の下位におく傾向があったことは否めないが、しかし楽器は中世の人びと、とくに職業音楽家であったジョングルールたちによってさかんに演奏されていたのである。
 ただし彼らジョングルールたちは、一般的にいって楽譜を必要としなかった。彼らの演奏はもっぱら記憶および即興によっており、楽譜とは無縁であった。奏楽によって生活の糧をえていた彼らにしてみれば、自分たちのレパートリーを楽譜に書きとめて、他人に盗ませる愚をおかすはずがなかったとも言える。」
「もろもろの記録や伝承のしめすように、中世は器楽音楽の面でもゆたかな繁栄の時代であったにちがいないのだが、例外的に楽譜に書きとめられたごく少数の上述の器楽作品をのぞいて、すべては消滅し、永遠に沈黙してしまっているのである。」



「第十一章 フランドル楽派(上)」より:

「まことに十五世紀から十六世紀にかけてのフランドル音楽の国際的繁栄は、十七世紀から十八世紀にかけてのイタリア音楽、また十八世紀から十九世紀にかけてのドイツ音楽のそれと、比せられるべきものがある。」
「彼らフランドル楽派の音楽家たちの舞台は、全ヨーロッパにわたっており、個々の作曲家の活躍した地域にしたがって、イタリア、フランス、ドイツなどの地域的傾向――たとえばジョスカンにイタリア的傾向、イザークにドイツ的傾向を指摘することもある程度までは可能であるが、しかし一貫してみとめられるのは、きわだった〈フランドル的〉特質である。
 フランドル楽派のきわだった特徴、それは一口でいえば、厳格な声楽ポリフォニー様式である。各声部はそれぞれ平等な扱いをうけ、固有のリズムをもって独立し、複雑にからみあってゆく。一つの声部のリズム(小(ミクロ)リズム)と全体のリズム(大(マクロ)リズム)とのくいちがいはひんぱんに生じ、またそのリズムも近代音楽のようにシンメトリックな韻律ではなく、むしろ〈散文リズム〉とでもいうべき動きによって流れてゆく。」
「一口にいえばフランドル楽派の音楽は、ルネサンスの合理的思考を基調にした芸術であって、その点で中世の音楽とはきわだった対照をしめす。シャンソンなどでは中世騎士歌曲の伝統が継承されている面もあるが、しかしフランドルの音楽家は意識的に一歩へだたって、独特のポリフォニー書法を強調する方向を開拓している。それは換言すれば、音楽の自律性の追求ということである。そのゆえに、フランドル楽派はジョスカンを頂点とする古典的ないしルネサンス的な完結した作品を生みだし、フランドル的であると同時に、普遍的かつ国際的でもある音楽をつくりえたのである。
 しかし一方、フランドル楽派の音楽には、美術の場合と同じく、中世的な要素もいちじるしく残存している。早くから都市が発達し、長い間自治の特権を享受してきたフランドルでは中世とルネサンスとは必ずしも対立概念とはなりえず、中世的ないしゴチック的要素とルネサンス的ないし古典的傾向とが混在していたのである。ガンの聖バロ、リエージュの聖ヤコブなどの大聖堂、ガンやブリュージュやルーヴァンなどの市庁舎にみられるように、フランドルでは、十六世紀の中頃までゴチックの建築が作りだされていた。
 フランドル楽派の音楽作品における定旋律の複雑な変奏、音によるシンボリズム、音楽を中世特有の数理論にしたがって構成する傾向、オケゲムなどにとくにいちじるしい精緻な対位法書法、複雑なカノン手法、謎々や指示句(カノン)、プロポルツィオなど、これらは一面ではフランドル芸術特有のゴチック的表現の反映、一面ではこの地の商工業ギルドの磨かれた職人精神と、無縁のものではない。
 またフランドル画派の宗教画にみられる世俗的ないし現世的傾向も、フランドル楽派の音楽作品にいちじるしい。ミサ曲の定旋律に世俗旋律を多用する傾向、また私的な祈禱に結びついたマリア・モテトゥスの世俗歌曲ふうの旋律、舞曲のリズムをひんぱんに使用する傾向などが、それである。このような意味合いで、フランドル楽派の音楽は、当時のフランドル市民精神にささえられ、基礎づけられた芸術とみなすことができるのである。」





こちらもご参照ください:

皆川達夫 『中世・ルネサンスの音楽』 (講談社現代新書)
今谷和徳 『ルネサンスの音楽家たち Ⅰ』
岡部紘三 『フランドルの祭壇画』
Lorne Campbell/Jan Van der Stock 『Rogier van der Weyden 1400|1464: Master of Passions』
五来重 『増補 高野聖』 (角川選書)



























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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

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好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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