J・A・コメニウス 『世界図絵』 井ノ口淳三 訳 (平凡社ライブラリー)

J・A・コメニウス 
『世界図絵』 
井ノ口淳三 訳
 
平凡社ライブラリー 129/こ-4-1

平凡社
1995年12月15日 初版第1刷
2002年1月25日 初版第2刷
385p
B6変型判(16cm) 並装 カバー
定価1,359円(税別)
装幀: 中垣信夫
カバー・マーブル制作: 製本工房リーブル
カバー: 本文中の図版「天空」「寛大」に水月千春が着彩。


「本著作は一九八八年五月、ミネルヴァ書房より刊行されたものです。」



Johann Amos Comenius: Orbis sensualium pictus
図版(モノクロ)多数。


コメニウス 世界図絵 01


カバー文:

「世界ではじめて出版された、子供のための「絵本」「絵入りの教科書」。
17世紀当時の世界観に基づくさまざまな事物を素朴な木版画とやさしい文章でときあかす、教育史・思想史における不朽の古典。」




目次:

読者への序言
入門

1 神
2 世界
3 天空
4 火
5 空気
6 水
7 雲
8 大地
9 大地の作物
10 金属
11 石
12 樹木
13 果樹
14 花
15 野菜
16 穀物
17 灌木[かんぼく]
18 動物と鳥
19 家禽[かきん]
20 啼鳥
21 野鳥
22 猛禽類[もうきんるい]
23 水鳥
24 昆虫
25 四足動物および家畜、その一
26 家畜
27 役畜[えきちく]
28 野性の畜群
29 野獣
30 爬虫類[はちゅうるい]
31 這う虫
32 両棲類[りょうせいるい]
33 川と湖の魚
34 海の魚と貝
35 人間
36 人間の七つの年齢段階
37 人間の身体
38 頭と手
39 筋肉と内臓
40 脈管と骨格
41 外部と内部の感覚
42 人間の魂
43 変形と異常発育の人
44 造園
45 農耕
46 牧畜
47 蜂蜜製造
48 製粉業
49 パン製造
50 漁獲
51 捕鳥
52 狩り
53 肉屋
54 料理
55 ぶどうの収穫
56 ビール醸造
57 会食
58 亜麻つくり
59 織物
60 亜麻布
61 仕立て屋
62 靴屋
63 大工
64 左官
65 機械器具
66 家
67 鉱山
68 鍛冶屋[かじや]
69 指物師[さしものし]とろくろ細工師[さいくし]
70 陶工
71 家の部屋
72 居間と寝室
73 井戸
74 浴場
75 理髪店
76 馬小屋
77 時計
78 絵画
79 鏡
80 おけ屋
81 綱つくり人と革ひも屋
82 旅人
83 馬に乗る人
84 車両
85 運送
86 渡し場
87 水泳
88 ガレー船
89 貨物船
90 難破[なんぱ]
91 書法
92 紙
93 印刷術
94 本屋
95 製本屋
96 本
97 学校
98 書斎
99 文辞
100 楽器
101 哲学
102 測量術
103 天球
104 惑星の位置
105 月の状態
106 日食・月食
107 地球
108 ヨーロッパ
109 倫理学
110 英知
111 勤勉
112 節制
113 勇気
114 忍耐
115 人間性
116 正義
117 寛大
118 結婚
119 親類関係の系統樹
120 両親
121 主従社会
122 都市
123 都市の内部
124 裁判所
125 犯罪者の身体刑
126 商売
127 計量と重さ
128 医術
129 埋葬
130 演劇
131 奇術
132 格闘練習場
133 球技
134 盤上遊戯
135 競走
136 少年の遊び
137 王国と属州
138 王の尊厳
139 兵士
140 陣営
141 軍隊と戦闘
142 海戦
143 都市包囲[としほうい]
144 宗教
145 異教
146 ユダヤ教
147 キリスト教
148 マホメット教
149 神の摂理
150 最後の審判

結び

コメニウスの生涯 (井ノ口淳三)
『世界図絵』の意義 (井ノ口淳三)
訳者あとがき

解説――コメニウス・リヴァイズド (高山宏)




◆本書より◆



コメニウス 世界図絵 02


「41 外部と内部の感覚」。



コメニウス 世界図絵 03


「42 人間の魂」。



コメニウス 世界図絵 04


「43 変形と異常発育の人」より:

異常発育変形の人は、一般の姿と次のように身体が異なっています。
 途方もなく大きな人、とても小さな人二人分の身体が一つになっている人双頭症の人および同様の変形の人。
 少数ですが次のような人もいます。頭の大きすぎる人大きな鼻の人くちびるの厚ぼったい人ほおのふくらんでいる人斜視の人斜頭の人甲状腺腫にかかっている人背中にこぶができた人ひざが内側に曲がった人尖頭体(せんとうたい)の人、そして頭の毛のうすくなった人もここにつけ加えておきましょう。」




コメニウス 世界図絵 05


「87 水泳」。



「125 犯罪者の身体刑」より:

犯罪者は(拷問されるのが常ですが)牢獄から刑吏(けいり)によって処刑場へ連れ出されるか、あるいは馬で引きずられて行きます
 盗人死刑執行人によって絞首台につるされ、
 姦夫(かんぷ)は首をはねられます。
 殺人犯強盗犯(海賊)は、車裂きの刑車の上に足を砕かれて置かれるか、またはくいに突き通され、
 魔女(吸血鬼)は火刑場で焼かれます。
 処刑される前に、舌を抜かれるか、断頭台の上で手を切り落とされるか、あるいは火ばさみでこがされる者もいます。
 命をささげた者は、さらし台にくくりつけられ、つるし刑にされ木馬の刑具に乗せられ、耳をちょん切られ、
 むちで打たれ、焼き印を押され、追放され、ガリー船をこがされるか、永遠に牢獄に入れられるかの罪を宣告されます。」




「150 最後の審判」より:

「最後の日がきっと来るでしょう。」
「その時、敬虔(けいけん)な人(正義の人)と選ばれた人が永遠の生命の中へ、至福の場所へ、および新しいエルサレムへ入っていくでしょう。
 しかし不信心な者やとがめを受けた者悪魔とともに、永遠に責めさいなまれるために、地獄へ突き落とされるでありましょう。」





こちらもご参照ください:

中野美代子/武田雅哉 編訳 『世紀末中国のかわら版 ― 絵入新聞『点石斎画報』の世界』 (中公文庫)




































































































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クリバンスキー/パノフスキー/ザクスル 『土星とメランコリー』 田中英道 監訳

「世間から離れた、とある深い谷間で、
あなたは、頬杖をついて、
最後の微かな光の輝きを眺めて座っている」

(ジョン・ホワイトハウス)


レイモンド・クリバンスキー
アーウィン・パノフスキー
フリッツ・ザクスル
『土星とメランコリー
― 自然哲学、宗教、芸術の歴史における研究』
田中英道 監訳
榎本武文/尾崎彰宏/加藤雅之 訳


晶文社 
1991年4月30日 初版
1991年9月15日 2刷
605p lxix 図版(モノクロ)84p 
「著者・訳者について」1p
菊判 丸背紙装上製本 
本体カバー 函
定価9,800円(本体9,515円)
ブックデザイン: 日下潤一



本書「凡例」より:

「本書は Raymond Klibansky, Erwin Panofsky and Fritz Saxl, Saturn and Melancholy: Studies in the History of Natural Philosophy, Religion and Art (London: Thomas Nelson and Sons Ltd, 1964) の全訳である。」
「翻訳分担は下記の通り。第一部―加藤、第二部・第三部―榎本、第四部―尾崎」



二段組。
別丁図版146点、本文中挿絵5点、「訳者解説」中図版3点。


クリバンスキー他 土星とメランコリー 01


帯文:

「古代ギリシアにおける
その起源から、
それに最高の表現を
あたえたとされる
デューラーまで、
土星の下に
生まれた者の
運命をたどり、
人間の根源的
状態としての
メランコリー像を
発掘した古典的大著。」



帯背:

「二〇世紀を代表する
三人の碩学が精魂を
傾けた古典的大著!」



クリバンスキー他 土星とメランコリー 02


目次:

凡例

はしがき
謝辞

第一部 メランコリーの概念と歴史的発展
 第一章 古代生理学におけるメランコリー
  一 四体液の理論
  二 逍遙学派がメランコリーの概念を一新する――『問題集』三〇・一
  三 逍遙学派以降のメランコリー概念の展開
   a 病としてのメランコリー
    i ストア派の見解
    ii アスクレピアデス、アルキゲネス、ソラノス
    iii エフェソスのルフス
   b 四気質の体系におけるメランコリー
 第二章 中世の医学、科学、哲学におけるメランコリー
  一 中世に息づくアリストテレス学派のメランコリー概念
  二 病としてのメランコリー
   a 神学および倫理哲学におけるメランコリー
   b スコラ学の医学におけるメランコリー
    i 初期のアラビア医学、および西洋への翻訳
         ――コンスタンティヌス・アフリカヌス
    ii 体液病理学に基づく体系化の試み
         ――アヴィケンナの四形態説
    iii 心理学に基づく分類の試み
         ――アヴェロエスとスコラ哲学
  三 四気質の理論体系におけるメランコリー
   a ガレノス医学の伝統、とりわけアラビア学者とコンスタンティヌス・アフリカヌスの場合
   b 十二世紀前半の西洋自然哲学における体液=性格決定説の復活
   c 中世後期における庶民の気質理論とその影響

第二部 土星、メランコリーの星
 第一章 文学的伝統における土星-サトゥルヌス
  一 アラビア占星術における土星-サトゥルヌスの観念
  二 古代文学における土星-サトゥルヌス
   a 神話的存在としてのクロノス-サトゥルヌス
   b 惑星としてのクロノス-サトゥルヌス
    i 古代天体物理学におけるクロノス-サトゥルヌス
    ii 古代占星術におけるクロノス-サトゥルヌス
    iii ネオプラトニズムにおけるクロノス-サトゥルヌス
  三 中世文学における土星-サトゥルヌス
   a 教父たちの論争におけるサトゥルヌス
   b 後期中世思想におけるサトゥルヌス
    i 道徳神学におけるサトゥルヌス
    ii 中世神話学におけるサトゥルヌス
    iii 中世占星術におけるサトゥルヌス
         ――スコラ自然哲学が採用した占星術の教説
 第二章 図像的伝統における土星-サトゥルヌス
  一 古代美術におけるサトゥルヌス、および中世美術に継承されたその伝統的姿像
  二 写本の挿絵と東方からの影響
  三 土星とその子供たちの肖像
  四 中世後期の神話学の挿絵におけるサトゥルヌス
  五 人文主義におけるサトゥルヌス

第三部 「詩的メランコリー」と「高邁なるメランコリア」
 第一章 中世以後の詩歌における「詩的メランコリー」
  一 中世後期の詩における主観的な気分としてのメランコリー
  二 「貴婦人メランコリー」
  三 強められた自己意識としてのメランコリー
 第二章 「高邁なるメランコリア」
        フィレンツェ・ネオプラトニズムのメランコリア・土星-サトゥルヌス礼讃、
        および近代における天才という観念の誕生
  一 新しい教説の知的背景
  二 マルシリオ・フィチーノ

第四部 デューラー
 第一章 コンラート・ツェルテスにおけるメランコリー
        ツェルテス著『愛の四書』の扉絵のデューラーの木版画
        デューラーの著作に見る四気質についての理論
 第二章 銅版画『メレンコリアⅠ』
  一 『メレンコリアⅠ』の歴史的背景
   a 伝統的モチーフ
    i 財布と鍵
    ii 頬杖をつくモチーフ
    iii 握り拳と黒ずんだ顔
   b デューラーの銅版画に含まれた伝統的な画像
    i 病気をあらわす挿絵
    ii 四気質の絵の連作
     Ⅰ 記述的な単身像(四気質と人間の四期)
     Ⅱ 演劇的グループ、すなわち四気質と悪徳
    iii 自由学芸の擬人像
  二 『メレンコリアⅠ』の新しい意味
   a 新しい表現形式 
   b 新しい概念的な内容
    i サトゥルヌスあるいは〈メランコリー〉のシンボル
    ii 〈幾何学〉のシンボル
    iii 〈幾何学〉のシンボルと結びついたサトゥルヌスあるいは〈メランコリー〉のシンボル、すなわち〈神話〉と〈占星術〉の関係――認識論と心理学について
    iv 芸術と実践
   c 『メレンコリアⅠ』の意味
   d 『四人の使徒』
 第三章 『メレンコリアⅠ』の芸術的な遺産
  一 デューラー風に女性の単身像で表現された〈メランコリー〉の擬人像
  二 中世後期の暦に見られる〈メランコリー〉の典型的な擬人像
  三 サトゥルヌスやその子供たちの絵におけるメランコリー
  補遺1 『メレンコリアⅠ』にある多面体
  補遺2 銅版画(B70)の意味



訳者解説 (田中英道)
訳者あとがき (田中英道)

略称・原典一覧
図版目次
写本索引
索引



クリバンスキー他 土星とメランコリー 03



◆本書より◆


「はしがき」より:

「本書では様々な制約から、エリザベス朝とジェームズ朝のメランコリーという複雑で魅力的な主題が見送られた。ロバート・バートンの豊かな文学領域を探索するのは心そそられる仕事だが、われわれはそれを断念し、代わりに本書の扉にかの「偉大な憂鬱症学者」本人の肖像を掲げて敬意を表するにとどめざるを得なかった。」


「第一部」より:

「現代の会話で「メランコリー」と言う場合、それは異なったいくつかの意味で使われている。それはたとえば主に不安の発作や重い鬱屈、疲労からくる心の病を意味する。もっとも最近の研究ではそうした医学上の概念は厳密に固定的なものではなくなってきている。また一般に体型の種類と連動した性格類型を意味することもある。それは多血質、胆汁質、粘液質と共に、古くは「四体液」とか「四気質」とか呼ばれた体系を形成している。さらにそれは一時的な心の状態を意味する。すなわち心に痛みを感じ落ち込んでいたり、単に少しばかり物思いにふけっているとか、望郷の念にかられたりしている時の心の状態である。こういう場合のメランコリーは完全に主観的な心の状態でありながら、転移作用によって客観的事物にも適用できる。「夕暮れのメランコリー」とか「秋のメランコリー」とかさらにシェイクスピアに出てくるハル王子のように「どぶ水のメランコリー」などと使うことができるのである。」

「この『問題集』三〇・一は「黒胆汁論」と呼ばれているが、その中で議論されているのは黒胆汁はどの人間にも存在しており、必ずしもそれがあるからといって体の調子が悪くなるとか特別変わった性格の人間になるというわけではないという点である。体の不調とか変わった性格とかを引き起こす原因は黒胆汁の存在そのものではなくむしろそれが一時的に変質するため(中略)であったり、黒胆汁が構造的、量的に他の体液よりも優位になるためである。黒胆汁の変質は「メランコリー性の病気」を引き起こす。(たとえば癲癇、麻痺、鬱病、恐怖症などがある。また、極端に熱せられる場合には無思慮になったり潰瘍を発生させたり狂乱状態を招来したりする。)量的な変化は人の性質をメランコリックなもの(メランコリコス・ディア・ピュシン)に変える。」
「メランコリックな気質の持ち主が特にメランコリー性の病気にかかりやすい、それも悪性のものにかかりやすくなるというのは当然であった。その逆に、生まれつき正常な体液の割合を持つもの――大多数の者――は元来の性質上、憂鬱質者(メランコリクス)が持つような特徴を獲得することはありえなかった。たしかに正常な人間でもメランコリー性の病気にかかることはあるがそれは一時的な体の不調にとどまり、精神上の問題に及ぶことはない。それによって彼の性質が一生影響され続けるようなことはなかったのである。しかし生まれつきメランコリックな人間の場合には、体調が最高の時であっても、ある特殊な「エスト」を抱えており、それがいかなる現れをしたとしてもその人間を根本的かつ普遍的に「常態」とは異なるものにしてしまう。いわばこの人間は常態として異常なのである。」

「『問題集』三〇・一の作者は(それが誰であれ)人並み外れた人間を理解し、ある程度まで正当化しようとしている。その理由はそうした人間の情熱が普通の人々よりも激しく、そうであるにもかかわらず彼は過度の能力をバランスよく用いることができるからである。アイアスやベレロフォンのみならずプラトンやソクラテスが属していたのもこのタイプである。」

「狂乱の概念を高次の創造的才能の土台と捉えるのはプラトニズムである。次に、プラトンが神話の中でしか述べていない天才と狂気の間の広く認められた神秘的関係を理性の明るい光の下に引きずりだしたのはアリストテレスの功績である。(中略)二人の結びつきにより価値観の変動が起こり、「多数」は「人並み」とみなされるようになり、倫理的な「徳をもて!」に代わり心情的な「個性的であれ!」というスローガンが強調されるようになった。この主観主義がヘレニズム時代の特徴であり、ヘレニズムにどこか現代風の香りがあるとすればそれはおそらくここに起因する。(中略)結果的に『問題集』三〇・一で提示された観念はテオフラストスにつながる。この哲学者は、初めてメランコリーに関するまとまった本を書き、ヘラクレイトスに関してメランコリーゆえに著作の大部分を未完で終えたのだとか、矛盾に陥る議論を展開したのだとかと述べている。
 ここで初めて天才を生み出す暗い源が――その暗さはすでに「メランコリー」という言葉の中に暗示されてはいたが――明らかになった。」



「第二部」より:

「中世後期・ルネサンスのほぼすべての作者は、それが病であれ、体質のひとつであれ、メランコリアが土星(サトゥルヌス)と特別な関係にあること、そして、土星こそが、メランコリア体質の人間の不幸な性格と宿命をもたらす真の原因であることを、疑いのない事実と考えていた。今日でもなお、暗く陰鬱な気質は「土星的」(“Saturninr”)と言われている。また、(中略)十六世紀の画家にとって、メランコリア体質の人間を描くことは、土星の子供を描くことに等しかったのである。」


「第三部 第一章」より:

「ミルトンの二篇の詩においては、「喜び」“Mirth”と「メランコリー」“Melancholy”が、それぞれ「快活な人」と「沈思の人」に呼びかけられている。」
「「メランコリー」の代弁者につけられた、「沈思の人」“Penseroso”という名前(中略)は、「メランコリー」が持つ肯定的な、いわば霊的な価値を表わしており、また、二篇の詩の順序は、「最後に語るものが勝利を得る」という、古くからの詩的論争の規則に従って――「メランコリー」が快活な生の享受にまさることを示しているのである。フランス語ロマンスに現われる「貴婦人メランコリー」が、リーパの「マリンコニア」と同じように、その祖先にあたる「悲しみ(トリステス)」と比べてさえ、さらに大きな恐怖と嫌悪を読者に与える一種の悪夢だったのに対して、ミルトンの「メランコリー」は、「この上なく神々しい」と呼ばれ、「賢明にして神聖なる女神」として、また「敬虔で清らかな、沈思する尼僧」として賛美されている。(中略)かつての「メランコリー」を取り巻いていたのは、「陰鬱な女たち、『疑念』、『怒り』、『絶望』」だったが、いまや彼女は「平和」、「静寂」、「閑暇」、「沈黙」に囲まれ、「観想の智天使」に導かれている。」
「「メランコリックな人」は、孤独の塔で、
 
  ……しばしば、三重にも偉大なるヘルメスとともに、
  大熊座が姿を消すまで見守り、
  あるいは、プラトンの霊魂を天上から招く……
  また、火、空気、水のなかや大地の下に棲む、
  あれらの霊を呼び出す……

しかし、この詩のなかには、もうひとつの世界からの反響を聞き取ることができる。つまり、(中略)強められた感受性の世界、優しい調べや甘い香り、夢や風景が、暗闇や孤独、苦悩そのものと混じり合い、苦くて甘い対立によって、自己の意識を高めている世界である。」

「すでに十五世紀初めのある作家が、死、メランコリー、自己意識という三つの観念の関係を、奇妙な表現で明らかにしていた。ジャック・ルグランは、「死と最後の審判の日についての見解」で次のように言っている。「意識が強くなるにつれて、不安が増す。そして、人は自己の状態について、真の、完全な意識を持つに従って、ますますメランコリックになる。」このような意識は、およそ百年後には、自己意識の重要な一部分となったために、およそ傑出した人間は例外なく、真にメランコリックであるか、少なくとも自他ともにそのように認められるようになった。われわれがまず澄明で幸福な人間であると考えがちなラファエルロでさえ、ある同時代人によって、「並外れた才能の持ち主の常として、メランコリーの傾向がある」と言われている。一方、ミケランジェロにおいては、この感情は、苦々しくはあるが喜ばしいある種の自己意識となるまでに、深められ、強められた。「私の快活さは、メランコリーなのだ」。“La mia allegrezz' è la malinconia.”」



「第三部 第二章」より:

「こうしてフィチーノの体系は、――おそらくこのことが、その最大の成果だったかもしれない――土星(サトゥルヌス)の「内的矛盾」に、ある救済の能力を付け加えることに成功した。天性豊かなメランコリア体質の人間は、――身体および下位の能力を、悲しみ、恐怖、陰鬱さで苛まれるという点では、土星から害悪を受けているが――同じ土星に自ら進んで向かおうとすることによって、自己を救済することができるのである。別の言い方をするならば、メランコリア体質の人は、この崇高な思索の星に固有の領域であり、この惑星が通常の心身機能を害するのと同じくらい大きな援助を与える、あの活動、すなわち、「精神」だけに可能な創造的観想に、自発的に没頭すべきなのである。現世に従属するあらゆる生に敵対し、これを抑圧するものとしての土星は、メランコリアを生み出す。しかし、より高い、純粋に知的な生に好意を送り保護するものとして、土星は、メランコリアを癒すことができるのである。」

「こうして、フィチーノには、この古代の邪悪な霊鬼に対する恐れが絶えずつきまとって離れなかったにもかかわらず、彼の著作は、最後に土星礼讃を謳い上げるにいたった。この年老いた神、世界の支配権を手放して叡智を求め、オリュンポスを去って最高位の天球と地底の最下部での分裂した生活へと向かったサトゥルヌスは、ついに、フィレンツェのプラトン・アカデミーを祝福する第一の守護神となる。この「プラトン一族」が、その名を戴いた英雄をサトゥルヌスの子と考えたように、そのなかには、「サトゥルヌスの子供たち」と称するさらに少数の集団があって、自分たちが神々しいプラトンに対して、またお互いに、特別な絆で結ばれていると感じていたのである。」



クリバンスキー他 土星とメランコリー 04




こちらもご参照ください:

若桑みどり 『イメージを読む ― 美術史入門』 (ちくまプリマーブックス)
アーウィン・パノフスキー 『アルブレヒト・デューラー 生涯と芸術』 中森義宗・清水忠 訳
Robert Burton 『The Anatomy of Melancholy』 (Everyman's University Library)




















































































































マルコ・ポーロ 『完訳 東方見聞録 2』 愛宕松男 訳注 (平凡社ライブラリー)

マルコ・ポーロ 
『完訳 東方見聞録 2』 
愛宕松男 訳注
 
平凡社ライブラリー 327/ま-9-2 

平凡社 
2000年2月15日 初版第1刷
472p
B6変型判(16.0cm) 並装 カバー
定価1,300円(税別)
装幀: 中垣信夫
カバー画: 16世紀に刊行された地図の一部(モンゴル周辺)



「平凡社ライブラリー版 凡例」より:

「本書は、小社より東洋文庫一八三巻として一九七一年三月に刊行されたものの第二三刷(一九九七年十二月刊)を底本としたものである。」


「東洋文庫版 凡例」より:

「本書は、ルイギ・フォスコーロ・ベネデットの手になるイタリア語訳『マルコ・ポーロ旅行記』集成本を、アルド・リッチの英訳――Aldo Ricci: The Travels of Marco Polo, translated into English from the Text of L. F. Benedetto. London, 1931. について全訳したものである。」


本文中図版(モノクロ)。全二冊。


東方見聞録 2


カバー裏文:

「現在の天津郊外より台湾海峡に至る長大な
運河に沿っての福建へのたび、チパング島への
遠征(元寇)、さらには極寒のロシアなど、
広大な地域にわたって産業や宗教、習慣、
迷信などを見聞してゆくマルコ・ポーロ。
インド洋を経由するスパイスコースで帰路に
着き、ヴェニスを発って二十六年という
長い旅の終わりをむかえる。」



目次:

平凡社ライブラリー版 凡例
東洋文庫版 凡例
中世ヨーロッパの度量衡及び貨幣の換算表

地図
マルコ・ポーロ元朝領域行程略図
モンゴル帝国・元朝並びに四カン国世系表

第五章 大運河沿線の公道による福建への旅程
 一四四 カチャンフ市
 一四五 チャンル市
 一四六 チャンリ市
 一四七 タンディンフ市
 一四八 カタイ人の風習
 一四九 続カタイ人の風習
 一五〇 壮麗なる都市シンジュマツー市
 一五一 大都市〔リンジン〕シウジュー
 一五二 ピンジュー市
 一五三 〔シウジュー〕リンジン市
 一五四 カーンの大マンジ国征服
 一五五 コイガンジュー市
 一五六 パウキン市
 一五七 カウイウ市
 一五八 〔ティンジュー〕ティジュー市
 一五九 ヤンジュー市
 一六〇 ナンキン地方
 一六一 サーニァンフ市
 一六二 シンジュー市
 一六三 カイジュー市
 一六四 チンギァンフ市
 一六五 〔カンジュー〕チアンジュー市
 一六六 スージュー市
 一六七 キンサイ市
 一六八 カーンがキンサイ市から徴集する巨額な税収入
 一六九 大都市タンピンジュー
 一七〇 フージュー王国
 一七一 フージュー市
 一七二 ザイトゥン市

第六章 南海経由の帰国航路
 一七三 インドに関する報告、その国のさまざまな人種ともろもろの不思議について、まずインド通いの海船について
 一七四 チパング島
 一七五 暴風雨の中を生き残ったカーンの軍勢が敵地の都市を占領したこと
 一七六 偶像教徒のいろいろ
 一七七 チャンバ国
 一七八 大ジャヴァ島
 一七九 ソンドゥール島とコンドゥール島
 一八〇 ペンタン島およびその他の島々
 一八一 小ジャヴァ島
 一八二 ファーレック王国
 一八三 バスマン王国
 一八四 サマトラ王国
 一八五 ダグロイアン王国
 一八六 ランブリ王国
 一八七 ファンスール王国
 一八八 ネクヴェラン島
 一八九 アンガマン島
 一九〇 セイラン島
 一九一 大マーバール地方
 一九二 ムトフィリ王国
 一九三 使徒聖トーマスの遺体を安置する土地について
 一九四 バラモン教徒の発祥地ラルの地方
 一九五 続セイラン島
 一九六 堂々たるカイル市
 一九七 コイラム王国
 一九八 コマリ国
 一九九 エリ王国
 二〇〇 メリバール王国
 二〇一 ゴズラート王国
 二〇二 ターナ王国
 二〇三 カンバエット王国
 二〇四 セメナット王国
 二〇五 ケスマコラン王国
 二〇六 男島と女島
 二〇七 スコトラ島
 二〇八 モグダシオ島
 二〇九 ザンジバール島
 二一〇 中インド、すなわちアバシュ地方
 二一一 アデン王国
 二一二 エシエル市
 二一三 デュファール市
 二一四 カラトゥ市
 二一五 コルモス市

第七章 大トゥルキー国事情
 二一六 大トゥルキー国
 二一七 カイドゥ王の王女とその勇壮果敢ぶり
 二一八 アバガ・カンが王子アルゴンを派遣して戦わしめた始末
 二一九 王位を求めてアルゴン帰京の途につく
 二二〇 アコマットのアルゴン邀撃
 二二一 アコマット攻撃を議するアルゴン
 二二二 アルゴンに対する将領たちの回答
 二二三 アルゴン、使者をアコマットに派遣す
 二二四 アルゴンの使者に対するアコマットの回答
 二二五 アルゴン軍とアコマット軍の会戦
 二二六 アルゴンを逃さんとひそかに謀る貴族たち
 二二七 アルゴン、自由の身となる
 二二八 アルゴン、その叔父アコマットを死に処せしむ
 二二九 貴族たち、アルゴンに忠誠を誓う
 二三〇 アルゴンの没後、キアカトゥ王位につく
 二三一 キアカトゥの没後、バイドゥ王位につく
 二三二 北地に居住するカンチ王の話
 二三三 「常闇の国」
 二三四 広大なルシア国とその住民
 二三五 「大海」への関門
 二三六 西北タルタール国の歴代諸王
 二三七 アラウとバルカの間に生じた戦争
 二三八 バルカ、諸軍を率いてアラウに向け進撃す
 二三九 部下将兵に対するアラウの訓辞
 二四〇 アラウ軍とバルカ軍の激戦
 二四一 続アラウ軍とバルカ軍の激戦
 二四二 バルカの勇壮な奮戦
 二四三 西北タルタール王国におけるトタマングゥの即位
 二四四 トクタイ、ノガイを召喚してトロブガの死についての釈明を求む
 二四五 トクタイ、使臣をノガイのもとに派遣す
 二四六 トクタイのノガイ親征
 二四七 部下に対するトクタイの訓辞
 二四八 ノガイ王の奮戦

文献解題 (愛宕松男)
索引




◆本書より◆


「一六七 キンサイ市」より:

「この信仰のゆえに、マンジ人たちは死をいささかもおそれない。(中略)更に加えて彼等は、他のどの国人にもまして感情に激し易いから、一時の興奮にかられ悲嘆にくれるのあまり、しばしばよく自殺する。たとえばある男が他人の顔を平手で殴ったとか頭髪を引っぱったとか、あるいはその他の方法でその感情を害し立腹せしめたというような場合、この加害者の身分が高くて仕返しをしようにもできないようだと、被害者は無念のあまり相手の邸の戸口で首を吊り、仕返しにもまさる侮辱と無礼を相手に加えるのである。」

「バヤン将軍がキンサイ市を包囲した時に起こった奇蹟だけはどうしても述べないではいられない。それはファクフール王が都を逃げ出した時のことである。多数のキンサイ市民も船に乗りこみ、市の一辺を流れている幅広く深い河にしたがって脱出した。ところがこの脱出の最中ににわかに河水が干上がって、河床が露呈してしまった。バヤンはこれを聞くと現場に急行し、脱出者をことごとく駆り立てて市内に帰還せしめた。すると見るも奇怪な一匹の魚が河床の彼方から此方にかけて乾いた山のような巨体を横たえているのが見いだされた。この怪魚はたっぷり百ペースの長さをしており、しかも幅は長さに比べて全くふつりあいなもので、全身を毛におおわれていた。若干の大胆な男が向こう見ずにもこの魚の肉を食ったところ、その大部分は命を失ってしまった。ところでわたくし、すなわち本書の著者たるマルコ・ポーロ氏はこの怪魚の首を偶像教の寺院で親しく目覩したものである。」



「一七〇 フージュー王国」より:

「この地方に関して特筆すべきことは、住民がどんな不浄なものでもかまわず食用に供することである。たとえば人肉でも、それが病死者のものでない限り、平気で食用する。すべて天寿を全うせずして横死した人間の肉ならどれでも好んで食用し、とても美味な御馳走だとさえ言う。したがって戦場に赴く男たち、つまり兵士たちであるが、彼等は残忍きわまりない連中であって、頭髪をすっかり刈り込み、顔のまん中に剣の刃のような印を藍色でつけ、隊長以外はみな徒歩で手に手に槍・刀剣をとり、それこそ常に人を殺してまず血をすすり次いで肉を争い食うという輩である。この連中はいつも誰かを殺して血を飲み肉をくらおうとしてその機を狙っているのである。」


「一七五 暴風雨の中を生き残ったカーンの軍勢が敵地の都市を占領したこと」より:

「最後に、これまで言い漏らしていたいま一つの不思議な話を付け加えることにする。チパング島のある町で、敵兵の一隊がカーンの二将軍の手に捕えられた。彼等は投降を拒んだので、両将軍は全員の死刑を宣告し、斬首せよと命令した。この命によって捕虜は次々と首を打ち落とされたが、そのうちの八名だけはどうしても首を斬ることができなかった。これは彼等が身につけているある種の石にそなわる魔力によるものだった。実際のところ、彼等は腕の内側で皮膚の下、肉の上のところに一個の石を挿入し、外部からはわからないようにして身につけていた。この石には呪術がかけられていて魔力を発揮し、刃物では絶対に殺されないことになっている。二将軍は、この八名だけが剣を加えてもいっこうに死なない所以を知るや、あらためて撲殺せよと命じた。すると魔石の威力も利かなくて、たちまち八名は殺されてしまったのである。」


「一七六 偶像教徒のいろいろ」より:

「しかしこの一事だけは是非とも知っておいてもらいたいからお話しするが、チパング諸島の偶像教徒は、自分たちの仲間でない人間を捕虜にした場合、もしその捕虜が身代金を支払いえなければ、彼等はその友人・親戚のすべてに
 「どうかおいで下さい。わが家でいっしょに会食しましょう」
と招待状を発し、かの捕虜を殺して――むろんそれを料理してであるが――皆でその肉を会食する。彼等は人肉がどの肉にもましてうまいと考えているのである。」



「一八六 ランブリ王国」より:

「もう一件とても奇妙なことがらがあるからお伝えしたい。それはほかでもない。この国のたいていの男が長さ一パームの尾をほんとうにつけていることである。もっともかかる男たちは、都邑には住んでいないで、山間の盆地に居る。その尾はほぼ犬の尾ぐらいの大きさで毛がない。
 この地にはまた一角獣が多く棲息している。」



「一八九 アンガマン島」より:

「島民は嘘いつわりではなく全くほんとうに、頭も歯も眼もが犬に類している。頭部は特にそれがはなはだしくて、まるっきり猛犬そっくりである。この島には香料が豊富に産出する。土人の性情は非常に残忍で、人をいけどりにすれば、それが同種族人でない限り、すべてそれを食ってしまう。ここには香料の類ならどんな種類でも多量に産出する。」


「一九一 大マーバール地方」より:

「彼等は動物はもとより、生あるものはどんなものでも殺さない。したがって羊肉が食べたいとか、もしくはその他の獣肉・鳥肉がほしい場合には、サラセン人だとかないしは彼等のこの信仰と習慣とに従わない連中に依頼して屠殺してもらうのである。
 またもう一つの習慣は、男女を問わず毎日朝夕の二回ずつ水浴し、これを済まさなければ飲食しないのである。日に二回の水浴をしない者は、我々が異教徒を見るのとまさに同じように見なされる。
 食事に際して彼等は右手だけを使用し、左手では食物に触れることをいっさいしない。清浄なもの・美麗なものに対しては必ず右手を用いてこれを取り扱い、左手は一般にやむをえずしなければならない厭な行為・不浄な行為、たとえば鼻の孔を掃除するとか尻を拭くとかいった動作にあてる。彼等はまた飲み物の場合、必ず各自にめいめいのカップを使い、決して他人のカップで飲むことをしない。飲み方にもきまりがあって、唇をカップに付けるようなことなく、ただカップを高く差し上げてそこから飲み物を口中に流しこむ。どんなことがあってもカップに唇を付けたり、自分のカップで他人に飲ませるようなことはやらない。」

「この王国の裁判は、殺人者・盗竊(とうせつ)者その他の犯罪者に対してとても厳重な処罰を加える。負債についても次のような法規と習慣とが行なわれている。すなわち債権者から何度も繰り返し返済を催促された債務者が、いつも弁済を約束しておきながら一日延ばしに支払いを怠っているような場合、債権者は次の方法をとるのに成功すれば、有効な請求ができるのである。それはほかでもない、債権者が債務者の周囲に円を描くのである。こうされると債務者は、支払いを完了するか、ないしは少なくともその日のうちに全負債を返済できるに足るだけの担保を提供しない限り、この円から外へ出ることが許されない。それにもかかわらず負債者が返還もせず、またその日の中に支払いを完了するだけの担保をも提供しないで、ずうずうしくもこの円から外へ出るようなことがあれば、彼は法規と正義の違反者となるわけで、王は即刻これに所定の処罰たる死刑を科するのである。
 ところでマルコ氏は、王自身がこの種債務督促手段に訴えられた実例を目覩(もくと)した。それは王が外国商人からある物品を購入しながら、手もとの不如意により代価を支払わず、度重なる商人の督促をほったらかしていたところ、これでは商売の損失がたまらないとして、その商人が、王の城外出遊を伺い王とその乗馬の周囲にすばやく円を描いてしまったのである。王はこうされるや、手綱をしめて前進するのをやめた。こうなっては商人が満足するだけの支払いを済まさない限り、その場から動くわけにはゆかない。折から近傍でこの様子を見ていた民衆は大いに驚き、口々に言い合った。
 「御覧よ、王だってあのように法律に従っておられるよ」
王はこれに答えて言った。
 「この法規を制定した余が、自分に不都合だからといってそれを破ってよいものだろうか。
 否、余は誰にもましてこの法規をよく守らねばならないのだ」」

「またこの地の住民の間には、いわゆる観相術に通じた者が少なくない。観相術とは、相手が男であれ女であれ、その性格が善であるか悪であるかを洞察する術であって、彼等は相手を一見するなり、ただちにその性格を識別してしまう。誰かがある獣や鳥を見かけた場合でも、彼等はその意味を的確に測知できる。彼等は誰よりもよく各種の兆候に注意を払い、それが吉兆であるか凶兆であるかを誤たず予告する。かかる次第だから、この地の住民は誰でも、彼がどこかに出かける場合、その途上で鼾(いびき)やくさめの声でも聞こうものなら、さっそくその場に坐りこんで一歩も前進しようとしない。そしてもう一度くさめの声が聞こえると、初めて起ち上がって歩みを続けるが、二度目のくさめがどうしても耳に入らなければ、彼はその旅行を断念して帰宅するのである。
 更にまた彼等に言わしむれば、日々にチョイアックという不吉な時刻がある。たとえば月曜日では昼間の第一時半が、火曜日では第三時がそれに当たり、水曜日だけにはこの不吉の時刻がないといったぐあいに、年間を通じての毎日についてそれぞれの不吉時刻があるとする。この不吉時刻に関しては、もっぱらその詳細と意義とを記録した書物が発行されている。」



「一九三 使徒聖トーマスの遺体を安置する土地について」より:

「奇蹟については以上で十分申し述べたから、次には聖トーマスが殺害された模様を、土地の人々の伝えによって記述してみよう。その時、聖トーマスは森の庵から戸外に出て神への祈りをささげていた。ところでこの地方は名に負う世界一の孔雀多棲地であるから、聖トーマスの周りにはあちこち多数の孔雀が群がっていた。彼がこうして祈りをささげつつあった時、ガヴィ族に属するさる異教徒が、聖人の周りに群がる孔雀を仕とめようとして矢を射こんだのである。このガヴィ族は、元来そこに聖人が居るとは気がつかなかった。彼は確かに孔雀に射当てたと思ったが、しかし矢は孔雀にではなくて聖人の右脇にぷっつりと命中していた。このような次第で矢傷を受けた聖人は、それでもなお静かに神への祈りを続けていたが、結局この傷が因となって死んだのである。」


「二〇七 スコトラ島」より:

「またこの島のキリスト教徒は世界でも類のない魔術師である。大司教は彼等にかかる魔法を使わせたくはないので、彼等に警告し勧告するのであるが、聴かれないのがその実状である。島民に言わすれば、彼等の祖先が昔から行なってきた所だから、自分たちも同様にそれを行ないたいというのである。島民がこのように魔術を行ないたがるので、大司教もそれをなんともできず、ほかに方法がないままに黙過している。かくしてこの島のキリスト教徒はほしいままに魔術を行なっているわけなのである。
 以下少しくこの魔術について説明しよう。この魔術師たちは実に不可思議の術を心得ていて、欲する所はほとんどなんでも行なうことができる。たとえば、海賊船が島民に何か危害を加えようものなら、彼等はさっそくこの術によって海賊船を抑留し、完全な賠償がなされるまでは決して島を去らしめない。あるいは海賊船が既に島を離れて航海中であるようなら、たとえ順風が吹いていても、彼等はただちにそれを逆風に変え、その結果やむなく島に引き返さざるを得なくさせてしまう。このように彼等は欲するがままの風を吹かせることができるのである。」




こちらもご参照下さい:

マルコ・ポーロ 『完訳 東方見聞録 1』 愛宕松男 訳注 (平凡社ライブラリー)
フランセス・イエイツ 『シェイクスピア最後の夢』 藤田実 訳











































































マルコ・ポーロ 『完訳 東方見聞録 1』 愛宕松男 訳注 (平凡社ライブラリー)

マルコ・ポーロ 
『完訳 東方見聞録 1』 
愛宕松男 訳注
 
平凡社ライブラリー 326/ま-9-1 

平凡社 
2000年2月15日 初版第1刷
476p
B6変型判(16.0cm) 並装 カバー
定価1,300円(税別)
装幀: 中垣信夫
カバー画: 1503年に刊行された『東方見聞録』のタイトルページ



「平凡社ライブラリー版 凡例」より:

「本書は、小社より東洋文庫一五八巻として一九七〇年三月に刊行されたものの第二七刷(一九九八年四月刊)を底本としたものである。」


「東洋文庫版 凡例」より:

「本書は、ルイギ・フォスコーロ・ベネデットの手になるイタリア語訳『マルコ・ポーロ旅行記』集成本を、アルド・リッチの英訳――Aldo Ricci: The Travels of Marco Polo, translated into English from the Text of L. F. Benedetto. London, 1931. について全訳したものである。」


本文中図版(モノクロ)。全二冊。


東方見聞録 1


カバー裏文:

「十三世紀、全アジアを支配下におくフビライ・
カーンの寵愛を受けて、マルコ・ポーロは
二十歳そこそこから十七年間、使者として
元朝諸方へ派遣され、各地を踏査する。
未曽有の繁栄を誇るシルクロードを採った
往路の様子から、現在のミャンマーあたりにまで
至る雲南への使節行、さらには元朝の
宮廷事情にまで及ぶ見聞記。」



目次:

平凡社ライブラリー版 凡例
東洋文庫版 凡例
中世ヨーロッパの度量衡及び貨幣の換算表

地図
マルコ・ポーロ元朝領域行程略図
モンゴル帝国・元朝並びに四カン国世系表

序章
 一 はしがき
 二 ニコロ氏とマテオ氏、コンスタンチノープルをたって世界探検の旅にのぼる
 三 ニコロ氏とマテオ氏、ソルダイアを去る
 四 両兄弟、砂漠を横断してブカラ市に着く
 五 両兄弟、カーン宮廷に赴く使節の慫慂(しょうよう)に応じる
 六 両兄弟、カーン宮廷に到着する
 七 カーンより両兄弟に対してキリスト教徒の事情を下問する
 八 カーンは両兄弟を使節としてローマ教皇のもとに派遣する
 九 両兄弟、カーンより権威の標識たる黄金牌子(はいし)を受ける
 一〇 両兄弟のアークル市到着
 一一 両兄弟、ヴェニスを去ってカーンのもとに帰還するに際し、ニコロの息子マルコを同伴する
 一二 両兄弟とマルコの一行、アークルをたつ
 一三 両兄弟、ローマ教皇のもとに赴く
 一四 両兄弟、マルコを伴ってカーンの都城たるケーメンフに至る
 一五 両兄弟とマルコの三名、カーン宮廷に召されて拝謁を賜う
 一六 マルコ、カーンの使節となって出使する
 一七 マルコ、使節行より帰還してカーンに復命する
 一八 ニコロ、マテオ、マルコの三氏、カーンに帰国の許可を請う
 一九 ニコロ、マテオ、マルコの三氏、カーンのもとを辞去する

第一章 西アジアから中央アジアを縦断して
 二〇 小アルメニアについて
 二一 トゥルコマニア地方について
 二二 大アルメニアについて
 二三 ジョルジア人とその国王、及び彼らについての事情
 二四 モスール王国について
 二五 大都市バウダックの陥落
 二六 バウダックに起きた山の大奇跡
 二七 キリスト教徒たち、カリフの言に驚愕する
 二八 司教は幻想の中で、靴屋の祈りが山を動かすであろうことを見る
 二九 キリスト教徒の祈りよく山を動かす
 三〇 由緒ある都市トーリスについて
 三一 聖バルサモ僧院について
 三二 広大な国ペルシア
 三三 神を称えようとしてやって来た三人の聖者
 三四 ペルシアの八王国について
 三五 都市ヤスディについて
 三六 ケルマン王国について
 三七 都市カマディについて
 三八 大傾斜地帯について
 三九 荒涼たる瘠せ地を行く
 四〇 由緒ある大都市コビナンについて
 四一 第二の砂漠を渡る
 四二 《山の老人》と配下の刺客たちについて
 四三 《山の老人》が刺客を養成し、彼らを心服せしめる方法
 四四 《山の老人》の討滅
 四五 都市サプルガンについて
 四六 由緒ある大都市バルクについて
 四七 タイカン地方、その地の山々は塩から成っている
 四八 バラシャンという広大な国
 四九 パシャイ地方
 五〇 ケシムール国について
 五一 ヴォカンという地域
 五二 パミュル地方
 五三 ベロールという地域

第二章 中国の西北辺境(新疆・甘粛・寧夏・内モンゴリア)を行く
 五四 カスカール王国
 五五 大都市サマルカン
 五六 ヤルカン地方
 五七 大国コータン
 五八 ペム地方
 五九 チャルチャン地方
 六〇 ロプ市
 六一 タングート大州
 六二 カムール国
 六三 イコグリスターン国
 六四 ギンギンタラス地方
 六五 スチュー地方
 六六 カンプチュー市
 六七 エチナ市
 六八 カラコロン市
 六九 タルタール人がプレスター・ジョンに反旗を翻した次第
 七〇 チンギス、初代タルタール人のカーンとなる
 七一 チンギス・カーン、部下を召集してプレスター・ジョンを攻撃する
 七二 プレスター・ジョン、軍を率いてチンギス・カーンを迎え撃つ
 七三 プレスター・ジョンとチンギス・カーンの大決戦
 七四 チンギス・カーンを継承する諸カーンについて
 七五 タルタール人の神及び彼らの掟
 七六 バルグ平原とその住民の諸習俗
 七七 広大なエルギヌール王国
 七八 エグリガイア国
 七九 広大なテンドゥク国
 八〇 シンダチュー市及びその他の諸地方
 八一 チャガンノール市
 八二 首都シャンドゥ市とカーンの壮麗な宮殿

第三章 フビライ・カーンの宮廷事情
 八三 今上皇帝クブライ・カーンその人について、又その宮廷行事、国内統治及び屡次(るじ)の外征について
 八四 カーンの叔父ナイアンの企てた反乱
 八五 カーンのナイアン親征
 八六 カーンと叔父ナイアンとの合戦
 八七 カーンはどのようにしてナイアンを死に処したか
 八八 カーンが十字架を弁護せる次第
 八九 カーンがキリスト教徒にならなかった理由
 九〇 合戦に武勲を立てた諸臣への恩賞
 九一 カーンの容貌と行状
 九二 カーンの諸皇子たち
 九三 カーンの宮廷について
 九四 カーンの後継者たるべき皇太子の宮殿
 九五 首都タイドゥ市
 九六 タイドゥ市におけるカタイ人の謀反
 九七 一万二千騎からなるカーンの禁衛軍
 九八 カーンの主催する種々の大饗宴
 九九 カーン生誕節の大祝宴
 一〇〇 カーンが挙行する元旦節の盛大な祝典
 一〇一 大饗宴に陪食を許される一万二千名の重臣たち、及びカーンより彼らに賜与(しよ)される宴服
 一〇二 カーンが国民に向かって、狩猟の獲物を献上するよう命令したこと
 一〇三 カーンの狩猟用に訓練された獅子とヒョウとヤマネコについて、更にまたワシについて
 一〇四 猟犬の管理に任ずる兄弟二人の飼育係
 一〇五 カーンが出猟して鳥獣を捕捉する実況
 一〇六 大都市カンバルック、その殷盛(いんせい)な人口と将来される多量の奢侈物資
 一〇七 カーンが国民に使用せしめている紙製の貨幣について
 一〇八 カーンの政務いっさいを総轄する二つの重臣議政会議
 一〇九 首都カンバルックを起点として国内各地に通ずる多数の公道
 一一〇 凶年並びに家畜の斃死(へいし)に際して行なわれるカーンの賑恤(しんじゅつ)
 一一一 カーンの命によって公道の沿路すべてに植えられた並み木
 一一二 カタイ人の飲用する酒について
 一一三 薪のように燃える一種の石について
 一一四 国民の救済に資せんがためにカーンが集積している莫大な貯蔵穀物について
 一一五 貧民に対するカーンの莫大な施与8しよ)
 一一六 カンバルックの占星師たち
 一一七 カタイ人の掟と慣習

第四章 雲南への使節行
 一一八 これより大カタイ地方の話にはいる。まず最初にプリサンギンについて
 一一九 大都市ジョンジュー
 一二〇 タイユァンフ王国
 一二一 タイユァンフ地方のさる古城の話
 一二二 プレスター・ジョンが《金王》を捕虜にした次第
 一二三 カラモラン大河
 一二四 大都市ケンジャンフ
 一二五 カタイとマンジの国境、特にクンクン地方について
 一二六 アクバルック・マンジ地方
 一二七 広大なシンドゥフ地方
 一二八 テベット地方
 一二九 続テベット地方
 一三〇 ガインドゥ地方
 一三一 大カラジャン地方
 一三二 続カラジャン地方
 一三三 大ザルダンダン地方
 一三四 カーンによるミエン王国・バンガラ王国の征服
 一三五 カーンの軍隊とミエン王との戦闘
 一三六 続ミエン王との戦闘
 一三七 大傾斜地帯
 一三八 ミエン市
 一三九 大バンガラ地方
 一四〇 大カウジグー地方
 一四一 アニウ地方
 一四二 トロマン地方
 一四三 チュージュー地方

解説 (愛宕松男)




◆本書より◆


「五六 ヤルカン地方」より:

「住民の大部分はその一方の足がとても大きく、これに対して片足が小さい。しかしそれでも結構うまく歩行する。更に又たいていの者が甲状腺の肥大で喉に瘤(こぶ)をこしらえている。いずれも飲料水のせいである。」


「六〇 ロプ市」より:

「夜間この砂漠を横断している際、たまたま眠り込んでしまったとか、あるいはほかの理由によって仲間から遅れたり取り残されたりして、なんとか一行に追い付こうとしているような時、多数の精霊が彼に向かって仲間のような声で話しかけて来たり、時には彼の名前を呼んだりする。すると旅人は往々これに惑わされてあらぬ方向に誘い込まれ、二度と姿を見せなくなってしまう。このようにして命を落としたり行方不明になった旅行者は決して少なくない。しかもこれら精霊たちの声は、なにも夜間のみとはかぎらないで、昼間でも聞こえてくるし、時によると種々な楽器の音、とりわけ太鼓の音を耳にするような場合もある。このために裁く横断の旅行者たちは精霊に惑わされないようにとの用心から、夜になるとどのウマの頸にも鈴を釣り下げる。」

「更に申し述べたいことは、これら偶像教徒が死ぬと、占星師がさっそく呼ばれ、死者の出生が何月の何日何時であったかが告げられる。占星師はこれを確かめると、(中略)魔術を行ない、それによって遺体の火葬日は何日でなければならないと告げる。その結果、一週間も死体を焼かないでおいたり、時には一ヵ月から半年間もそのままにしておく場合が往々にして生ずる。家人はこの間ずっと死体を家に停めておかねばならないが、彼らは魔術師からそうしてもよろしいと告げられるまでは、これを焼こうなどとは毛頭考えない。彼らの信ずるところによれば、故人の生まれた年月時を支配したその星の下でか、さもなければせめてそれに逆らわない星の下においてでなければ、遺体はその家から運び出すことはできないと言う。もしそうしなければ、死者がさまざまな禍をその家に誘致すると信じ込んでおり、それだからこそ悪魔のためにしばしば人々が家の中で殺されたり傷つけられたりすることが起こるが、それらの原因はまさしく死者が禍を致しているのだと解して疑わないのである。さて所定の日まで死体を焼かないまま家に横たえておくには、まず一スパン幅の板を樹脂や漆喰で密着して棺を造り、棺の表面に美々しく画を描く。屋内に住む人々に死臭を感ぜしめない用心から、特に樟脳そのほかの香料を填(つ)めた衣服をしつらえて死体をすっかり巻き込み、これを棺に収める。それから毎日この死体が家に安置されている間を通じて、遺族の者たちはまるで生きている人間に対するがごとく、飲食物を並べた膳を死者のために調(ととの)えて棺前に供え、死者が食事するに必要なだけの間、これを供えたままにしておく。それというのも彼らの信念では、死者の魂が実際にこの食物を摂るのだというのである。安置された死体はずっとこんなふうに取り扱われた末、いよいよ所定の日に運び出して火葬に付されるのである。ところで偶像教徒のこういった習慣の中で、もう一つ言い残していることは、これら占星師がしばしば家人に対して、ある種の星だとか感応力が逆の方向に当たっているからという理由で、死体を玄関から出してはいけないと告げることである。すると家人たちはそれに従って別の出口から死体を運び出したり、時にはわざわざ壁を毀してその穴から戸外に持ち出したりすらするのである。」



「七四 チンギス・カーンを継承する諸カーンについて」より:

「チンギス・カーンの血統を引く大王たちは、すべてアルタイという大きな山に埋葬されることになっている。したがってカーンたる者は、たとえこの山から百日行程の遠距離で没するようなことがあっても、遺体は必ずここまで運ばれて埋葬されるわけである。それに付随してもう一つ奇異な風習を紹介しよう。それは、遠隔の土地で没したこれらカーンの遺体がこの山まで運ばれてくる際、たとえばそれが四十日前後もかかる長い期間だったとしても、その途上で行きあう人々は
 「あの世に行って御主君にお仕え申せ」
と言われてだれ彼の容赦もなくすべて、遺体を護送する従者の手に斬殺されることである。これはつまり、かくして斬殺された人々はきっと冥土でその主君に扈従(こじゅう)するに違いないとタルタール人が信じているからなのである。」



「七五 タルタール人の神及び彼らの掟」より:

「最後に一つ、とても奇妙な風習で今までに述べ漏らしていた点を追記してみよう。ほかでもないそれは、一方が息子を他方が娘を、それぞれ幼い年頃かもしくは結婚するまでの年配で亡くした二人の親が、死亡した息子と娘を結婚せしめて両家族が姻戚関係を結ぶことである。この場合、彼らは実際そのままに死んだ娘を死んだ息子の花嫁として与え、結婚契約書を作成する。しかる後、彼らはこの契約書を焼き捨てるのだが、その際、
 「空に立ち昇る煙はきっとあの世の子供たちのもとに届くから、それで両人は結婚の事実を知って互いに夫婦であることを自覚するのだ」
と言うのである。次いで彼らは盛大な結婚式と披露宴を催し、御馳走の一部をここかしこに散布するが、これはかくすることによって御馳走があの世の子供たちに届くと信じてのことである。彼らはまた次いで奴僕の格好をした人間・ウマ・衣類・貨幣そのほかさまざまな物品を紙に描き、しかる後これを焚焼(ふんしょう)する。これもまた彼らが描いて焚焼した諸物が、すべてあの世の子供たちの所有物になるとの信念からである。かかる手段を全部済ますと、彼らは互いに姻戚になったと信じ、あたかも息子・娘が生きているかのごとくこの姻戚関係を尊重する。」



「七九 広大なテンドゥク国」より:

「この地方には瑠璃色の顔料、すなわち群青(ぐんじょう)の原料となる石を産するが、質といい量といいすばらしいものである。ラクダの毛で織った色さまざまな良質の駝毛布も又この地の特産をなす。」


「八一 チャガンノール市」より:

「この地には五種類のツルが棲息している。第一はカラスのように全身が黒くて大型のもの。第二は全身が真っ白で最も大柄のもの。この種は翼がとても美しく、両翼一面にクジャクに見られるような円環の斑紋が黄金色に輝き、頭は赤と黒、頸は黒と白とで彩られている。第三はヨーロッパにもいるのと同類のもの。第四は長く美しい垂毛を持ち耳のあたりが黒色を呈している小型のもの。第五は全身灰色で、赤に黒を配してとても格好のいい頭をしたごく大型のものである。
 この城市の近郊に渓谷があるが、カーンはここに、われわれがオオシャコと呼んでいるのに相当するウズラの大群を飼養している。渓谷をはさむ両側の丘陵には、かねてカーンがヒエ・アワそのほかこの鳥が嗜好する草を播種せしめ、摘み取ることを厳禁しているので、夏期にはそれが繁茂してウズラの餌は十分となるし、冬ともなればアワをこれに投げ与えて餌(えば)せしめている。ウズラは平素からこのように飼い馴らされているから、アワがまき与えられ係の者が口笛を吹くと、どこからでもすぐ集まってくる。更にカーンはウズラたちの夜の塒(ねぐら)として多数の小屋を設け、多数の係員を任命して世話に当たらしめている。したがってカーンはここにやって来さえすれば、いつでも欲しいだけのウズラが手にはいるわけである。しかし冬になってウズラがよく肥える候になると、酷寒を避けてカーンもこの地に逗留しないが、その際は大量のウズラをラクダに積載し、至る所彼の赴く先々に持参するのである。」



「八二 首都シャンドゥ市とカーンの壮麗な宮殿」より:

「クブライ・カーンは城内に大理石をも使用した石造の一大宮殿を営造したが、数ある広間や部屋はすべて金箔を張り鳥獣細工を嵌め込み各種の花卉(かき)草木を描いて装飾されている。全く華麗を窮め善美を尽くした輪奐(りんかん)である。」

「この種の不思議を行なう賢人たちはチベットとかケスムールとか称せられているが、これはともに偶像教を奉ずる二種族の名前である。彼らの妖術・魔法といったら、それこそ世界のどの民族にもひけをとらない。彼らの行なうところは要するに悪魔の術を使っているのだが、しかし彼らは決してそうは認めず、もっぱら神の助力と自己の神聖さによって演ぜられるところだと一般に信じこませている。彼らは体面や外聞にはいっさい無頓着で、薄汚れ垢じみた身なりをして徘徊している。顔は垢にまみれ頭髪は洗いもしなければ梳(けず)ることもないまま、全く見苦しい風体で歩き回っているのである。更にまた彼らにはこんな風習さえもある。すなわち死罪を宣告され有司の手で処刑された者があれば、その死体を料理して食ってしまうのである。ただし天寿を全うして死んだ人間ならば、食らうことはしないのである。
 上記のような各種の妖術に長(た)けた連中をバクシと称するが、彼らはまた次に述べるような不思議をも演ずるのである。それはカーンが正殿に出御して宴席に臨まれる時のことであるが、正殿の中央にはブドウ酒・乳そのほかの飲み物を満々と満たした杯が並べられ、そこから少なくとも十ペースの距離に高さ八キュービットもあるカーンのテーブルがすえつけられている。バクシと称する上記の魔術師がここでその妖術・呪文を行なうと、飲み物を満たした杯はひとりでに床を離れて浮き上がり、だれも手を触れないままにカーンの御前に至らされる。次いでカーンがこれを飲み干すと杯は再び元の場所にひとりでに戻るのである。このことは一万人からの人々の眼前で行なわれるものであって、一点の嘘もない確かな事実なのである。」




こちらもご参照下さい:

マルコ・ポーロ 『完訳 東方見聞録 2』 愛宕松男 訳注 (平凡社ライブラリー)
玄奘 『大唐西域記』 水谷真成 訳 (中国古典文学大系)














































ペトラルカ 『わが秘密』 近藤恒一 訳 (岩波文庫)

「ある致命的な魂の悪疫(ペスト)がきみをとらえている。近代人はこれを鬱病とよび、古代人は煩悶(はんもん)とよんだ。」
(ペトラルカ 『わが秘密』 より)


ペトラルカ 
『わが秘密』 
近藤恒一 訳
 
岩波文庫 赤/32-712-2 

岩波書店 
1996年3月18日 第1刷発行
348p
文庫判 並装 カバー
定価670円(本体650円)
カバーカット: アンドレア・ボナイウーティ「ドミニコ会の伝道活動と勝利」(部分)



本書「凡例」より:

「本書はフランチェスコ・ペトラルカのラテン語対話篇『わが秘密』(Secretum)の全訳である。」
「原著の叙述内容に即して各巻に題名をつけた。また各巻をいくつかの章にわけ、それぞれに題名をつけた。各巻の題名も章わけも原著にはないが、読者の便宜を考えて訳者がこころみたものである。」



本書「解説」より:

「このようにペトラルカにおいては、ほとんどいつも、複数の相反する主導的関心や思想傾向が併存していた。そのどれもが、ときにより強弱の差こそあれ、真実のペトラルカ思想なのである。(中略)しかもかれは、相反する関心や思想傾向を、しばしば自覚的に、矛盾するままに共存させ、生活次元や実存次元において調和させようとする。これもまた、きわめてペトラルカ的な生きかたといえよう。(中略)つまり、対話者アウグスティヌスからみれば相容れない二つの願望を、どちらも満足させようとするのである。」
「しかしそのため、しばしばどの願望も充分に満足させることができないし、願望相互の葛藤のうちに憔悴することもある。あるいは何ひとつ根本的決断ができないこともある。――ここに詩人の慢性的な「鬱病」はおもに起因していた。したがって対話篇の最終的解決は、むしろ解決ではなく、詩人がついに「鬱病」から解放されないだろうことを示唆し、その意味では自己救済の試みの徒労を暗示している。」
「にもかかわらず、この徒労は、たんなる徒労ではないようにおもわれる。――内面の葛藤や悩みをむしろ自己の個性的でしかも普遍的な現実として受けいれ、この現実を積極的に生きぬこうとする自覚的決意と不可分にむすびついているようにおもわれる。『わが秘密』は、このことの自己確認の書でもあろう。それはつまり、内面の葛藤を葛藤のままに調和させようとすること。あるいは、自分の苦悩や悲しみをも自分固有の〈伴侶(とも)〉として受けいれ、この〈伴侶〉をおのれの宿命ともよろこびともすること。」



口絵(モノクロ)1点。巻末地図2点。


ペトラルカ わが秘密 01


カバー文:

「アウグスティヌスの『告白』を座右の書としていたペトラルカ(1304-74)が、精神的な危機に直面していた自己を救済するために自分とアウグスティヌスとの対話形式で、人間の不幸、罪、救いなどを論じた書。ペトラルkの散文の最高傑作といわれ、徹底した自己分析がなされたこの書物は、ペトラルカという人物やその文学の秘密を解き明かす鍵となるものとしても興味ぶかい。」


目次:

凡例


第一巻 人間のみじめさと救い
 一 救いの根源
 二 幸不幸と意志
 三 死の省察
 四 省察を妨げるもの――ファンタスマの病気
第二巻 魂の病気
 一 高慢
 二 妬み・貪欲
 三 野心・大食・怒り
 四 情欲
 五 鬱病
第三巻 愛と名誉欲
 一 二つの鉄鎖
 二 愛とその実相
 三 愛の治療法
 四 名誉欲

訳註
解説
地図



ペトラルカ わが秘密 02



◆本書より◆


アウグスティヌス だから、あらゆる欲望という欲望――それらを絶滅するのはむろんのこと、いちいち数えあげるだけでもたいへんなことだが――それらをすべて絶滅し、自分の心を理性の手綱にゆだね、そしてつぎのように言える人、そういう人はどんなに稀(まれ)なことだろう。「わたしはもう肉体とはなんのかかわりもない。この肉眼にみえるものはすべて、いとわしいかぎりだ。わたしはもっと幸福なものに憧れている」。
フランチェスコ そのような人はごく稀です。さきほどおっしゃった困難というのが、やっとわかってきました。
アウグスティヌス もちろん、これらの欲望がなくなっても、あの熱望はまだ完全でも安全でもないだろう。魂が高貴な本性ゆえに天上をめざしてのぼってゆけばゆくほど、とうぜん、それだけ肉体の重みや地上の誘惑はひどくなってくるからね。こうしてきみたちは、のぼることを切望したり、低きにとどまることを切望したりしているうちは、その双方にひきさかれ、どちらも成しとげることができない。
フランチェスコ では、魂が地上の足枷(あしかせ)を打ちくだき、ひたすら天上的なものをめざして高まっていくには、どうすべきだと思われますか。
アウグスティヌス この目標へと導いてくれるのは、むろん省察にほかならない。わたしがまっさきに勧めておいたあの省察。つまり、きみたちが死すべきものであることを絶えず思いおこすこと。」

アウグスティヌス これに加えて、野獣ばかりか人間の凶暴があり、戦争の暴威がある。(中略)さらに、不吉な星のために起こる大気の変動、天界のおよぼす有害な影響、そして数えきれないほどの海陸の危険。――いたるところ、こうした危険に取りかこまれているので、どこを向いてもきみたちの目に映るのは、きみたち自身の死の似姿にほかならない。」

アウグスティヌス きみがつぎのような人を見かけるとしよう。すなわち、自分の理性をよく用いて、理性によって自分の生をつくりあげ、自分の欲望を理性にのみ従属させ、心の動きを理性の手綱で制御(せいぎょ)している。そして自分はただ理性のゆえにのみ野獣の獣性から区別されるということ、自分が人間という名にあたいするのはただ理性的に生きるかぎりにおいてだということを理解している。さらに、自分が死すべきものであることをよく自覚して、日々これを見つめ、これに照らして自己自身を統御している。また、はかないこの世のものを蔑視して、あの別の生、そこでは理性が圧倒的に増大して人間は死すべきものであることをやめるだろうが、そのような別の生を憧れもとめている。――このような人を見かけたなら、そのときはじめて言うがいい。この人こそ人間の定義について有益な真の認識をもっていると。」

アウグスティヌス では聞きたまえ。きみの霊魂が天上的な善いものとしてつくられていることは否定できないが、肉体のうちに閉じこめられ、肉体と接触することによって、もとの高貴さからひどく堕落してしまったことも疑えない。いや、ただ堕落したばかりではない。すでに長いあいだ無感覚になり、自己の起源をも至高の創り主をもいわば忘却している。」
「可視的事物の形姿や像が無数に取りあつめられ、肉体のあらゆる感覚をとおってはいりこみ、つぎつぎに内部に受けとられたのち、魂の奥底にぎっしりと溜まる。すると魂は、もともとこのために創られているのではないし、これほどたくさんの異物を受けいれることもできないので、圧迫されて混乱してしまう。ここから想念(ファンタスマ)の悪疫(ペスト)が生じて、きみたちの思考をずたずたにひきさき、唯一最高の光へと昇りゆくための明晰な省察にいたる歩みを、致命的な多様錯綜(さくそう)によって、さえぎってしまう。」

アウグスティヌス 絶望はあらゆる悪のうちでも究極のもので、絶望した人はみな早まったことをしたことになる。だから、なによりもまず知っておいてほしいが、絶望すべきことはなにひとつない。」

アウグスティヌス きみが人間共通の自然本性を考えてみさえすれば、それはわずかなもので満足できるものだということがわかろう。さらに、わが身をふりかえって自分自身の天性を考えてみればわかるだろうが、もし大衆の迷妄にまどわされさえしなければ、きみほどわずかなもので満足できる人はめったにいない。(中略)なのに、どうして苦しむのか。きみ自身の天性に照らせば、きみはとうのむかしから富んでいた。大衆の賛同を尺度にすれば、けっして裕福であることはできないだろう。いつも何かしら欠乏していて、それを追いもとめつつ欲望の断崖をひきずりおろされていくことになろう。」

アウグスティヌス この地上的関心こそはいわば、有害な魂の重荷だ。いいかね、これを振りおとしたまえ。それに、これを振りおとすのは、たいして骨の折れることではなかろう。ただしそのためには、きみは自分を自己の天性に合わせ、俗衆の狂気にではなく自己の天性にしたがって自分を導き治めなければならない。」

アウグスティヌス ある致命的な魂の悪疫(ペスト)がきみをとらえている。近代人はこれを鬱病とよび、古代人は煩悶(はんもん)とよんだ。
フランチェスコ この病気は名前をきくだけでもぞっとします。
アウグスティヌス もっともだ。きみは長いあいだ、この病気にひどく苦しめられてきた。
フランチェスコ そのとおりです。そればかりではありません。およそわたしを苦しめるあらゆる病気は、なにかしら甘美さ、たとえにせものにもせよ甘美さが混じっているのがつねなのに、この憂鬱においては、すべてがにがく、みじめで、おそろしく、そして道はつねに絶望へ、不幸な魂を破滅に追いやるものへと開かれているのです。そればかりか、わたしがほかの情念で経験する発作は、ひんぱんではあっても短く一時的なのに、この悪疫(ペスト)はときどき非常にわたしをとらえて放さないので、わたしはそのとりこになって夜となく昼となく苦しめられます。そういうとき、わたしの一日は、およそ光や生とは無縁で、地獄の夜や冷酷な死も同然です。しかも、これこそ不幸のきわみといえますが、わたしは涙や悲嘆でわが身をやしないつつ何かしら暗い快楽にひたるので、これからのがれるのがいやなのです。
アウグスティヌス きみは自分の病気がよくわかっている。すぐに原因もわかるだろうよ。それでは答えてくれたまえ。きみをこれほど滅入(めい)らせるものは、なんなのだろう。この世の無常か。からだの苦痛か。それともなにか、苛酷な運命のふるう暴威か。
フランチェスコ それらのひとつだけなら、どれもそれほど強力ではないでしょう。個々の試練には、わたしもきっと耐えられましょう。ところが今は、それらがすべて一団となって襲いかかってきているのです。」

アウグスティヌス わたしは答えよう。きみはもはや長たらしい忠告など必要としない。ただ、きみの霊に耳をかたむけたまえ。霊は絶えずきみに呼びかけ、きみを励まして語りかけている。「ここに母国への道がある」。」




,こちらもご参照下さい:

『ペトラルカ ルネサンス書簡集』 近藤恒一 編訳 (岩波文庫)
近藤恒一 『ペトラルカ研究』




























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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