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カンパネッラ 『太陽の都・詩篇』 坂本鉄男 訳 (古典文庫)

「つまり、彼らはこの世の再生、いや恐らくこの世の終りを待っているのです。」
(カンパネッラ 「太陽の都」 より)


カンパネッラ 
『太陽の都・詩篇』 
坂本鉄男 訳
 
古典文庫


現代思潮社 
1984年7月20日 第4刷発行
185p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,400円


Tommaso Campanella
La Cittá del Sole
poesie



本書奥付には第1刷発行年月日(現代思潮新社サイトによれば1967年9月1日)の記載がありません。



カンパネッラ 太陽の都



カバー裏文:

「夢と情熱で透視する理想社会!
ルネサンス期の哲学僧カンパネッラが、
教皇を首長とし、生産財の国有化と
結婚管理などに基づく理想社会の
イメージを展開した、
近世ユートピア思想の源。」



目次:

太陽の都
訳註

詩篇

解説




◆本書より◆


「太陽の都」より:

「その広い平原の中に一つの丘がそびえております。都の大部分はその丘の上に建てられているのですが、都をめぐる幾重もの城壁は、丘の麓のそと遠くまで拡がっています。都は直径二マイル以上で、周囲は七マイルあります。だが、この都は丘の斜面に作られているので、平地よりもずっと多くの家が建っているのです。
 都はそれぞれ違った惑星の名前がついた非常に大きな七つの環状地帯からできています。人々が、これらの地区の間を往来するために、東西南北四本の道路と四つの門があります。これは、もし一番外側の環状地帯の城壁が占領されたとしても、第二の環状地帯を占領するのはもっと大へんだし、それ以後のものになればなるほど、占領するのにさらに苦労しなければならない、つまり、都を征服するためには、七回も占領をくり返さなければならないように都ができていることを意味しています。だが、私の考えでは、第一の環状地帯を占領することさえできないのではないでしょうか。城壁は、中に土が詰められたどっしりしたもので、とりで、塔、大砲を備え、外側には壕がめぐらされていますから。」

「彼らには、一人の神官君主がおり、「太陽(ソーレ)」と呼んでいますが、これはわれわれの言葉でいえば「形而上学者」のことです。」
「彼には三人の補佐役的高官がいます。この三人は「ポン」、「シン」、「モル」と呼ばれそれぞれ「権力」、「知識」、「愛」を意味しています。」
「「知識」はすべての学問について記したただ一冊の本を持ち、これをピュタゴラスとその弟子たちのような方法で全市民に読んで聞かせます。また、城壁の内外壁全部と、とりでの上にもあらゆる学問を絵で描かせました。
 神殿の外壁と、神官が説教をするとき声が散らないように垂らすカーテンには、あらゆる星が順序よく描かれており、それぞれ三行の韻文で説明されています。
 第一の城壁の内側には、エウクレイデスやアルキメデスが書き残したものより多い数学の図式が、その定義や定理と共に描かれています。外壁には世界地図と、あらゆる地方の地図がそれぞれの慣習、風俗、法律などの説明と共に描かれているほか、各国語のアルファベットがこの都の住民のアルファベットと並べて書かれています。
 第二の城壁の内側には、ありとあらゆる宝石、普通の石、鉱石、金属などが標本と図とで示され、それぞれ二行の韻文で説明が書かれています。外側の壁には、あらゆる種類の湖沼、海洋、河川が描かれ、ぶどう酒、油、酒類の説明があって、その効果や原産地や特質が述べられています。そして百年、三百年もたった各種の酒類の入った長頸のビンが並び、これらでほとんどすべての病気を治します。
 第三の城壁の内側には、世界中のあらゆる草木が描かれると共に、とりでの上の素焼の鉢にはその実物が植えられており、原産地や効用の説明のほか、それらの草木と星、金属、人体各部との類似、および薬としての使用法が説明されています。外側の壁には、海洋、湖沼、河川に住むあらゆる魚類がそれらの性質、生棲・繁殖・成長の方法、人間にとっての効用、天地や地上の諸物との形態上の類似、自然の産物や人工の産物との形態上の類似などと共に示されています。実際、私は本物とそっくりな形をした「司教」、「鎖」、「釘」、「星」などと呼ばれる魚類を見たときはびっくりしました。また、雲丹(うに)や面貝やその他知るに値するすべてのものが、驚くほど巧みに描かれ説明されているのです。
 第四の城壁の内側には、あらゆる種類の鳥類が描かれ、それらの性質、大きさ、習性などが説明されていますが、ここでは「不死鳥(フェニックス)」は全く実在の鳥として扱われています。壁の外側には、すべての種類の爬虫類、蛇、竜、うじ虫、昆虫、蝿、虻その他が、その特徴、毒性、効用などと共に描かれていますが、その数はわれわれが知っているものよりずっと多いのです。
 第五の城壁の内側には、全く驚くほどたくさんのあらゆる地上の動物が描かれており、われわれはその千分の一も知っていません。」
「第六の城壁の内側には、すべての種類の技術とそれを発明した人、世界各地でのその様々な使い方が描かれています。外側の壁には、立法者、学問の創始者、武器の発明家のすべてが描かれています。(中略)子供たちは十歳になるまでに絵を通じて遊びながらにすべての学問を習得してしまうのです。」

「ここの種族は元来インドからやって来たのでして、モゴール人やその他の略奪者、暴君たちの暴虐破壊から逃れてきた賢者たちなのです。そこで、彼らは理想的な方法で共同生活をすることにしたわけです。(中略)すべてのものは共有になっており、必要な物の配分は役人の手にゆだねられています。こうして、食糧のほか学問や栄誉やいろいろな娯楽なども共有で、決して何物も個人の所有にはできないようになっています。
 彼らによると、すべて所有観念というものは、自己の家を持ち自分の妻と子供を持つことから生じ、ここから利己主義が生まれるのです。」

「人々の名前は思いつきで付けられるのではなく、古代ローマ人たちがやっていたように、各人が持つ外見上の特徴により「形而上学者」によって付けられます。こうして「美男」と呼ばれる者、「大鼻」、「大足」、「やぶにらみ」、「でぶ」などと呼ばれる者もいるわけですが、やがて彼らが職業や戦争などで非凡な腕前を見せるようになると、その職業に応じて「大画伯」、「黄金のような画伯」、「卓越せる画伯」、「堂々たる画伯」などの姓が付け加えられ、「黄金のようなでぶ」などと呼ばれるのです。またその行為からも「強いでぶ」、「抜け目のないでぶ」、「勝利者のでぶ」、「偉大なでぶ」、「すぐれたでぶ」などの姓が、または征服した敵の名から「アフリカの」、「アジアの」、「トスカーナの」などの姓が付けられ、マンフレーディ、トルテリオに打ち勝ったために、「マンフレーディ」、「トルテリオ」などの姓が付けられる者もおります。」

「ここの人たちは、日中および町の中では全員白い着物をきていますが、夜や町の外では、絹や毛の赤い着物をきるのです。黒い色は物のカスとして嫌われているため、黒を好む日本人はここの人たちから憎まれています。」

「彼らは、二つの物質的原理を考えています。すなわち、太陽は父で、大地は母で、空気は濁った天、火は太陽より生じ、海は太陽により液体となった大地の汗であって、血が魂と肉体を結びつけているように、それが空気と大地を結びつけている地球は一匹の巨大な獣で、われわれ人間は人体に巣を喰う寄生虫のように、その獣の中にいるのである。」



「詩篇」より:

「六 世界とその部分について

世界は大きくしかも完全なる生き物、
神の御姿(みすがた)にして、神を讃え、神に似たるもの。
われらは不完全なる虫にして、いやしき生き物、
われらは世界の体内に巣喰いて生活(いき)るもの。

われらが世界の愛と智を知らざる如く、
わが腹中の虫もわれを知らんと努めず、
ただわれに害を与えんとするのみ。
されば、いざ大いなる尊敬の念を持つべし。

巨大なる宇宙の中の大きな生き物たる
地球に住めるわれらは、われらが体に住み
われらに害をなす虱(しらみ)に同じ。

おごれる人々よ、われと共に目を上げて
あらゆる存在の如何に貴きかを計るべし、
かくて、汝らは自己の属せるところを知るべし。」

「このソネットのよまれた正確な年は判明しておらず、恐らく一六〇二年から三年の間と考えられている。この詩にもカンパネッラの哲学の重要な根源の一つである汎感覚論が見られ、地球も星も宇宙も全て感覚を有するものであり、その中に住む人間が如何に微小なるものであるかを教え、人間の慢心をいましめたものである。」






こちらもご参照ください:

D・P・ウォーカー 『ルネサンスの魔術思想』 田口清一 訳 (ヴァールブルク・コレクション)
Frances Yates 『Giordano Bruno and the Hermetic Tradition』
シラノ・ド・ベルジュラック 『日月両世界旅行記 第二部』 有永弘人 訳 (岩波文庫)






































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『The Prayer Book of Michelino da Besozzo』

「When Longhi wrote about the Morgan prayer book, he characterized Michelino as a Watteau of the International Style - an artist with a faint but eloquent reticence, a delicate quality of courtly melancholy.」
(Colin Eisler 「Introduction」 より)


『The Prayer Book of
Michelino da Besozzo』

Introduction by Colin Eisler
Legends by Patricia Corbett and Colin Eisler


George Braziller, New York
147pp, 18.5x13.3cm, hardcover (clothbound), dust jacket
Reproduced from the Illuminated Manuscript (M 944) belonging to The Pierpont Morgan Library in New York
Printed in Switzerland by Imprimeries Reunies
Miniatures photographed by Charles Passela
Book design by Rita Grasso



本書には発行年月日の記載がありませんが、元版(貼函入)は1981年、新装版(本書、カバー装、本体は元版と同じです)は1995年の刊行です。



prayer book of michelino da besozzo 01



本書は1410年頃(ウィキペディアによると1420年以降、モルガン・ライブラリーのサイトによると1430年頃)に作成された装飾写本『ミケリーノ・ダ・ベソッツォの祈祷書』(ニューヨーク、モルガン・ライブラリー所蔵)の内容を92点の原寸大カラー図版(含ゴールド)と序文・図版解説で紹介する本です。装飾頭文字(initial)を含むボーダー(縁取り)装飾付き文字ページ図版47点(うち頭文字にキリスト磔刑図が描き込まれた「historiated initial」を含むもの1点)、ボーダーのない文字だけのページ図版23点、フルページ装飾画図版22点。元は収録されている47の祈祷文すべてに装飾画が付されていたようですが残りの25点は現存しません。ボーダー装飾(および聖人画背景)は各々一種類の花(根がついているのが特徴的です)で統一されています。
装飾画とボーダーの大部分を手がけたと推定されるミケリーノ・ダ・ベソッツォは15世紀前半に活動したイタリアの「国際ゴシック様式」の画家で、フレスコ画、祭壇画、装飾写本、ステンドグラスなどを作成、そして個人的に興味深いのは1449年にルネ・ダンジューの妻イザベルに自作の「playing cards」(タロット)を贈ったとあることですが、それも現存しないようなので残念です。



prayer book of michelino da besozzo 03



深緑色ビロード装。手触りがたいへんよいです。



prayer book of michelino da besozzo 09



Contents:

Acknowledgments (C.E.)
Introduction (Colin Eisler)
Selected Bibiography

Plates and Legends
 The Nativity, December 25 (fols. 2v-3)
 Circumcision, January 1 (fol. 5)
 The Adoration of the Magi, January 6 (fols. 6v-7v)
 Saint Anthony, January 17 (fols. 8v-9)
 St. Agnes, January 21 (fol. 10) [border page]
 The Purification of the Virgin, February 2 (fols. 11v-12v)
 Saint Blaise, February 3 (fols. 14v-15v)
 The Annunciation, March 25 (fols. 16v-17v)
 Christ Washing the Feet of the Apostles, Thursday of Holy Week (fos. 19v-20v)
 Christ Bearing the Cross, Good Friday (?) (fol. 21) [border page]
 Crucifixation, Good Friday (?) (fol. 22) [border page]
 The Entombment, Saturday of Easter Week (fols. 24v-25v)
 The Resurrection, Easter Sunday (fols. 26v-27)
 St. George of Cappadocia, April 23 (fol. 29)
 Saint Philip and Saint James Minor, May 1 (fols. 30v-31v)
 The Finding of the True Cross, May 3 (fols. 33v-34v)
 The Ascension, Forty days after Easter (fols. 35v-36)
 Pentecost, Fifty Days after Easter (fol. 37)
 Holy Trinity, First Sunday after Pentecost (fols. 39v-40v)
 Corpus Christi, Thursday after Trinity Sunday (fols. 42-42v) [border page]
 St. Anthony of Padua, May 10 (fol. 44) [border page]
 St. John the Baptist, June 24 (fol. 45) [border page]
 Saint Peter, June 29 (fols. 46v-47v)
 Saint Paul, June 30 (fols, 49v-50v)
 The Visitation, July 2 (fols. 52v-53)
 Mary Magdalen, July 22 (fol. 54) [border page]
 Saint James the Apostle, July 25 (fols. 56v-57)
 St. Christopher, July 25 (fols. 58-58v) [border page]
 Assumption, August 15 (fols. 59-59v) [border page]
 St. Louis of Toulouse, August 19 (fols. 61-61v) [border page]
 St. Louis, King of France, August 25 (fols. 62-62v) [border page]
 St. Augustine of Hippo, August 28 (fols. 63-63v) [border page]
 Birth of Virgin, September 8 (fols. 65-65v) [border page]
 St. Nicholas of Tolentino, September 10 (fols. 67-67v) [border page]
 Exaltation of the Cross, September 14 (fol. 70) [border page]
 St. Francis of Assisi, September 17 (?) (fol. 72) [border page]
 Saint Gall, October 16 (fols. 73v-74v)
 Saint Luke, October 18 (fols. 75v-76)
 All Saints, November 1 (fol. 78) [border page]
 Saint Martin, November 11 (fols. 80v-81)
 Presentation of the Virgin, November 21 (fol. 82) [border page]
 St. Ambrose, December 7 (fol. 85) [border page]
 Saint Catherine, November 25 (fols. 83v-84v)
 Immaculate Conception, December 8 (fol. 87) [border page]
 Saint Lucy, December 13 (fols. 89v-90v)
 St. John the Evangelist, December 27 (fol. 91-91v) [border page]
 St. Monica, May 4 (fol. 93) [border page]




◆本書より◆



prayer book of michelino da besozzo 02



聖アントニウス(記念日は1月17日)。
左手には杖と本、右手には銀の鈴(悪魔除け)を持っています。



prayer book of michelino da besozzo 06



prayer book of michelino da besozzo 06b



マリアのエリサベト訪問(7月2日)。
マリアはイエス(キリスト)のお母さん、その従姉エリサベトは洗礼者ヨハネのお母さんです。二人とも身籠っています。



prayer book of michelino da besozzo 05



聖十字架の発見(3月3日)。
聖ヘレナ(コンスタンティヌス一世の母)がエルサレムでキリスト磔刑に使われた十字架を発見する場面ですが、ヘレナが十字架の在処を知るヘブライ人ユダを火と井戸を指さして脅迫する場面(教えなければ火炙りにすると脅し、涸れ井戸に七日間閉じ込めた)と、聖十字架を含めて三つの十字架が掘り出される場面が同一画面に描かれています。



prayer book of michelino da besozzo 07



prayer book of michelino da besozzo 07b



福音史家ルカ(10月18日)。
聖ルカは最初のイコン画家であるとみなされているので、聖母子像を描く姿で描かれています。



prayer book of michelino da besozzo 08



聖ルチア(記念日は12月13日)。
聖ルチアは両眼をえぐり取られて殉教したのでアトリビュートとしてお皿(プレート)に盛られた目玉が描かれることが多いですが、本書はたいへんエレガントで洗練された(ファッションプレート的なといってもよいです)装飾写本なので、目玉ではなくランプが描かれています。

シラクサのルチア(ウィキペディア)






こちらもご参照ください:

ヤコブス・デ・ウォラギネ 『黄金伝説 1』 前田敬作・今村孝 訳
Millard Meiss and Edith W. Kirsch 『The Visconti Hours』











































 




礒山雅 『マタイ受難曲』


礒山雅 
『マタイ受難曲』
Johann Sebastian Bach: Matthäus-Passion


東京書籍 
1994年10月31日 第1刷発行
2009年8月10日 第10刷発行
492p+57p 口絵(カラー)4p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,200円(税別)
ブックデザイン: 東京書籍AD課 金子裕
表紙: 舟越保武作「十字架上のキリスト」(1960年)



いそやま・ただし。
本文中図版(モノクロ)・譜例多数。


礒山雅 マタイ受難曲 01


礒山雅 マタイ受難曲 02


帯文:

「イエスに寄せるいたましい思い、
内なる罪への悔悛――
バッハの音楽の襞(ひだ)へと分け入る、
画期的な作品研究」



帯背:

「バッハのメッセージ
に迫る」



帯裏:

「私は、構想の雄大さと親しみやすさ、人間的な問題意識の鋭さにおいて、《マタイ受難曲》こそバッハの最高傑作であると思っている。
この作品には、罪を、死を、犠牲を、救済をめぐる人間のドラマがあり、単に音楽であることをはるかに超えて、存在そのものの深みに迫ってゆく力がある。それはわれわれをいったん深淵へと投げ込み、ゆさぶり、ゆるがしたあげく、すがすがしい新生の喜びへと、解き放ってくれる。研究者としての私にとって、《マタイ》はいつも、大きな目標として、頭の上にあった。
――「はじめに」より」



目次:

はじめに

序論
 第Ⅰ章 受難と受難曲の歴史――バッハまで
  受難と十字架
  イエスの活動と死
  福音書の受難記事
  四つの福音書
  朗誦される受難記事
  多声化の始まり
  ルネサンスの応唱風受難曲
  ルネサンスの通作受難曲
  宗教改革初期のルター派受難曲
  応唱風受難曲のバロックにおける発展
  オラトリオ受難曲の成立と発展
  一八世紀初めのライプツィヒにおける受難曲
 第Ⅱ章 《マタイ受難曲》の資料と作曲年代
  バッハの《マルコ受難曲》
  《ルカ受難曲》をめぐって
  《ヴァイマル受難曲》
  《ヨハネ受難曲》の変遷
  《マタイ受難曲》の資料――自筆総譜
  オリジナル・パート譜
  初稿を伝える『アルトニコル筆写譜』
  《マタイ受難曲》の作曲年代――修正された通説
  リフキンの新説
  初演時の《マタイ受難曲》
  《ケーテン侯のための追悼音楽》との関係
 第Ⅲ章 ピカンダーによる自由詩
  ピカンダーの役割
  二つのキャラクター
  歌詞の構成
  詩人ピカンダー
  ピカンダーの評価
 第Ⅳ章 歌詞のルーツを探って
  自由詩の背後にあるもの
  ルター派神学とバッハ
  八一冊の神学書コレクション
  蔵書を開いて
  コレクションの内容
  ミュラーとランバッハ
  蔵書研究の問題点
 第Ⅴ章 受け継がれるコラールの伝統
  聴き手に訴えるコラール
  コラールの誕生
  《マタイ受難曲》におけるコラール
  ゲールハルトの受難コラール
  和声化されるコラール

本論
 第Ⅰ章 花婿が、小羊のように――冒頭合唱曲の世界 〈第1曲〉
  大胆な導入
  花婿のたとえ
  雅歌のメッセージ
  小羊の婚姻
  コラール
  導入部の分析
  応答する合唱楽節
 第Ⅱ章 受難の預言 〈第2曲―第4曲b〉
  聖書場面の始まり
  通奏低音と「光背」
  コラールの介入
  祭司たちの謀略
 第Ⅲ章 香油を注ぐ女 〈第4曲c―第6曲〉
  ベタニアにて
  香油を注いだのは誰か
  マグダラのマリア
  もう一人のマリア
  福音書記者の調和
  バッハの聖書場面
  注がれる涙
  愛ゆえに
  目に見える歌詞の表現
  感情を扱うやさしさ
  ダ・カーポ・アリア
 第Ⅳ章 血を流すイエスの心 〈第7曲―第8曲〉
  密告者の出現
  血を流すのは誰か
  母なるイエス
  痛ましさの表現
  ロ短調の使用
  いくつかの演奏
 第Ⅴ章 最後の晩餐 〈第9曲―第13曲〉
  過越祭の喜び
  裏切りの告知
  ラビよ、私ですか?
  パンとぶどう酒の意味するもの
  涙の海で味わう喜び
  神学論争に代わるアリア
 第Ⅵ章 オリーブ山にて 〈第14曲―第17曲〉
  バッハはイエスの十字架?
  復活の預言
  受難コラールの介入
  ホ長調の役割
  つまずきの預言
  受難コラールの再現
 第Ⅶ章 ゲツセマネの園の苦悩 〈第18曲―第25曲〉
  悲しみの始まり
  雷の子らの野心
  痛ましいおののき
  イエスのもとでの目覚め
  ヤコブのはしご
  ひれ伏し、祈るイエス
  苦い杯
  眠る弟子たち
 第Ⅷ章 捕縛 〈第26曲―第29曲〉
  ユダの接吻
  ヨハネ福音書の対応箇所
  二重唱に合唱が加わって
  このタイミングでこそ
  争わぬイエス
  大コラール楽曲の導入
  整然とした構成
  復活を見据えて
 第Ⅸ章 イエスを探す美女 〈第30曲―第37曲〉
  対話する美女たち
  疑問文がアリアに
  大祭司邸での審問
  苦しい証言
  沈黙するイエス
  四音符の表現力
  引き出された瀆神の言葉
 第Ⅹ章 明暗を分けた悔い改め 〈第38曲―第42曲〉
   〔その一〕 ペトロの否認
  浮かび上がるペトロの姿
  三つの応答
  良心を目覚めさせる鶏鳴
  まなざしの溶かす涙
  アリアへの視点
  隠された受難コラール
  コラールによる意味づけ
   〔その二〕 ユダの自殺
  後悔するユダ
  明るいアリアの侵入
  「私」とは誰か
  放蕩息子としてのユダ解釈
  ユダの復権
  ランバッハのユダ論
 第Ⅺ章 流れ下る愛 〈第43曲―第49曲〉
  「心臓部」の仮説
  血の畑の由来
  王の称号をめぐる対話
  受難コラールのヴァリエーション
  バラバを!
  驚くべき刑罰
  良き行いの数々
  清らかな愛
  愛の表象のルーツ
  愛とは何か
 第Ⅻ章 血にまみれた十字架 〈第50曲―第58曲〉
  血の報復
  鞭打ち
  内面化される鞭打ち
  着想の源泉
  ユダヤ人の王様
  血と傷にまみれた御頭
  十字架の道行
  甘美なる十字架
  ゴルゴタへ
  私は神の子だ
 第XIII章 イエスの死 〈第59曲―第63曲b〉
  鳴り響く弔鐘
  手を広げるイエス
  覆う暗闇
  消えた光背
  詩篇の引用?
  ルター正統派の立場
  なぜ対訳か
  追悼のコラール
  地震の描き方
  地震の数象徴
  神の子の認識
  浮かび上がる十字架
  I・N・R・Iの銘
  天変地異の語ること
  ランバッハの天変地異論
 第XIV章 おのが心への埋葬 〈第63曲c―第68曲〉
  たたずむ女性たち
  夕暮れ、涼しい時
  そよぐオリーブの葉
  おのが心を墓として
  キリスト哀悼の情景
  悩める良心の憩い

補章 レコード/CDによる演奏の歴史
 1―37
 【補遺1】 本書を出版後二〇〇〇年までに国内発売された全曲盤
 【補遺2】 二〇〇〇~〇七年に国内発売された全曲版と、〇七年末時点で入手できるDVD

あとがき

バッハの神学蔵書一覧
《マタイ受難曲》パート譜一覧
《マタイ受難曲》の数象徴に関するマルティーン・ヤンゼンの説
バッハ以前の主な《マタイ受難曲》
文献目録
人名索引
《マタイ受難曲》対訳



礒山雅 マタイ受難曲 03



◆本書より◆


「第Ⅰ章 花婿が、小羊のように――冒頭合唱曲の世界」より:

では、音楽を見よう。冒頭には、一六小節の序奏が置かれている。われわれは、テキストが語り出されるのに先立って、ゴルゴタへ向けてのイエスの一行の、重い歩みを聴く。調性はホ短調であり、行進の基礎となるのは、八分の一二拍子のリズムである。ホ短調という調性は、教会旋法のフリギア調(ミを音階の主音とする旋法)の流れをくむものであるが、バッハと同時代の音楽理論家、ヨーハン・マッテゾンは、その特徴を次のように規定している。「ホ短調に楽しげな要素を与えることは、たとえそれを望んで試みたとしても、ほとんどむずかしいだろう。ホ短調は、非常に考え込み、深く沈み、悄然(しょうぜん)とし、悲しげな状態を作り出すのが常であるからである。だがそれは、人がなお慰めを期待しうる程度のものである。――キルヒャーに言わせると、これは憂愁と苦痛に適した調である。またこれは、ルチアーヌスによれば激しい性質を、グラレアーヌスによれば悲嘆にくれた性質を備えている。」(一七一三年にハンブルクで出版された『新設のオルケストラ』から、山下道子訳)。
 もちろん、バッハがこれと同じ感じ方をしていたかどうかはわからない。しかし、この受難曲の中心的な調性がホ短調であり、それが受難の基調を表現していることは、確かである。主音となるホ音(ドイツ音名E)は、まず通奏低音パートで、五小節にわたってえんえんと保続される。第6小節に至るとそれは一転して力強く身を起こすような上行の歩みを見せ、一三度上行して、ハ音(C)へと達する。このハ音はすなわち、受難曲が最後に到達する、ハ短調の主音にほかならない。このEを大地=この世(Erde)の象徴、Cをキリスト(Christus)の象徴とする杉山好氏の解釈は、一考に値するものだろう。
 この間、上声部には、重荷をひきずりながらはい登ろうとするかのような音型が出る。」



「補章 レコード/CDによる演奏の歴史」より:

「以上の演奏のどれをよしとされ、どれを鑑賞されるかは、もちろん読者の自由である。(中略)しかし興味のある読者のために、私の個人的な推薦盤を、最後にあげておきたい。観点を変えたベストを三つ選ぶとすれば、私は、歴史的演奏の中からリヒターの旧盤を、大オーケストラ型の演奏からショルティを、古楽器グループの録音からレオンハルトをとる。マウエルスベルガー、ガーディナー、ヘレヴェッヘも候補になるだろう。その中からさらに一つを選んで読者にお薦めするとすれば、流行の古楽器演奏に親しむ意味でも、私はレオンハルト盤がいいと思う。」


礒山雅 マタイ受難曲 04




こちらもご参照ください:

今谷和徳 『ルネサンスの音楽家たち Ⅰ』
J・シャイエ 『魔笛 ― 秘教オペラ』 高橋英郎/藤井康生 訳
『名作オペラ ブックス 26 ベルク ヴォツェック』
ジョスリン・ゴドウィン 『キルヒャーの世界図鑑』 川島昭夫 訳













































皆川達夫 『バロック音楽』 (講談社現代新書)

「二つの極の断続した対比を効果的に強調することによって、バロック音楽はその独自の音楽語法をつくりだしていった。これは同時代のバロックの美術家たちが、明と暗といった対比から、ルネッサンス美術にはない新しい表現の世界を開拓していったのと、同一次元のものといってよいかもしれない。」
(皆川達夫 『バロック音楽』 より)


皆川達夫 
『バロック音楽』
 
講談社現代新書 291 


講談社 
昭和47年11月20日 第1刷発行
昭和54年5月4日 第16刷発行
269p 
新書判 並装 カバー 
定価390円 
装幀: 杉浦康平+辻修平
カバー写真: メンツェル・演奏会――フルートを吹くフリードリヒ大王〈部分〉
カバー裏: 目で見るバロック音楽



本文中に図版(モノクロ)、図、楽譜。カバー内側に「目で見るバロック音楽」図版(モノクロ)26点。


皆川達夫 バロック音楽 01


カバー文:

「バロック音楽は、ある意味で
もっとも現代的な音楽である。
いっさいの先入観を必要とせず、
虚心に音の美しさにひたりきらせる純粋さ。
楽譜は見取り図にすぎず、
ジャズにも似て即興演奏が重視され、
聞く者の心に応じた多様な接近が可能となる。
バッハやヴィヴァルディに象徴されるように
ロック・ファン、ポピュラー・ファンにまで幅広く愛されている理由であろう。
本書は、バロック音楽に関する最良の
解説書であり、ファン待望の書である。」



カバーそで文:

「現代に生きるバッハ――最近おもしろいレコードを聞いた。バージル・フォックスという
教会オルガニストがロックの会場で、何万というロック・ファンの若者たちに
バッハのオルガン曲を聞かせている実況録音レコードである。まともなバッハである。
正統的な演奏といってしまってさしつかえないだろう。多少リズムを鋭くし、テンポを
いくぶん速目にとっているが、バッハの音楽には何の変形も加えていない。
ところが、若者たちはフォックスの演奏を口笛をもって迎え、バッハの音楽の展開につれ、
だんだん興奮し、あげくのはては手拍子までとって熱狂してゆくあり様である。
わたくし自身、彼の演奏を生で聞いているが、バッハの音楽との違和感を
覚えないばかりか、むしろバッハの音楽の普遍性というか、
包容性というものにあらためて感嘆してしまったのである。
――本書より」



目次:

バロック音楽との出会い
1 ヨーロッパ音楽の流れ
 バロック以前の音楽
 バッハ以後の音楽
2 バロック音楽の魅力
 バロック音楽の時代
 音楽としての特徴
3 楽器が語るバロック音楽
 鍵盤楽器の活躍
 色どりをそえる管弦楽器
4 オペラと宗教音楽――イタリアの声楽音楽
 オペラが開いたバロックの時代
 宗教音楽の展開
5 新しい様式をもとめて――イタリアの器楽音楽
 さまざまな器楽合奏様式
 器楽音楽の充実
6 優雅な宮廷音楽――フランス
 音楽好きの王様たち
 フランス的ということ
7 革命と音楽の運命――イギリス・スペイン
 音楽不毛の時代
 音楽復興の波
8 「音楽の国」の誕生――ドイツ
 バッハを準備した人々
 ドイツらしさと外国の影響
9 バロック音楽の完成――バッハとヘンデル
 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
バロック音楽と日本人

あとがき
バロック音楽史年表
索引

目で見るバロック音楽 (カバー裏)



皆川達夫 バロック音楽 02



◆本書より◆


「バロック音楽の魅力」より:

「バロック音楽は、ルネッサンス音楽とも古典派の音楽とも異なり、二つの対立する中心ないし極の緊張関係から成立する。したがって、それは一種のポリフォニーであり、同時にホモフォニーの要素も内蔵するものである。
 ルネッサンスのポリフォニー書法は、バロック期にも継承されているが、それは調性によって垂直的に規定されるものに変形してしまった。太陽光線がプリズムを通って七色の光に分かれるように、バロックの楽曲は縦と横との何重もの線に分光してゆく。縦と横との精緻な音の網目――バッハの作品などにそれはもっともいちじるしく、もっとも典型的に示されており、それなればこそ、バッハの音楽は聞くたびに新鮮なよろこびと発見とを、わたくしたちに与えてくれることになるのである。
 二つの対立する極の緊張関係――このことは通奏低音や構成法ばかりではなく、バロック音楽の表現の手段としてあらゆる面に活用されており、バロック音楽の本質的な特徴となっている。たとえば、バロック器楽音楽の主要な曲種に、コンチェルトがある。協奏曲と訳される楽曲だが、その名のように二つの対立する要素の競奏である。この時代にはコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)といって、少数の独奏者のグループと全体の合奏とが対立するものと、もうひとつ、ソロ・コンチェルト(独奏協奏曲)とよばれ、一人の独奏者と全体の合奏とが対立する形のものとがあった。
 いずれにしても独奏者(ソロ)あるいは独奏者たち(ソリ)と合奏(トウッティ)との対立からなるもので、ここでは演奏者の数の対比が楽曲構成の方法となっているわけである。
 また、バロック音楽では、強奏(フォルテ)と弱奏(ピアノ)という、二つの音色の対比を好んで用いる。
 そこには、古典派にみられるような漸強(クレッシェンド)、つまり弱奏(ピアノ)からすこしずつ音色をふやして強奏(フォルテ)にいたるとか、その逆の漸弱(ディミヌエンド)といった連続的な変化はない。音楽は、強(フォルテ)と弱(ピアノ)との間を断続的に、あるいは断層的に移り変わるのである。当時の楽器の機構にもそのことは明瞭に反映されている。たとえば、イタリア語でチェンバロ(英語ではハープシコード、フランス語ではクラヴサン)と呼びならわされている鍵盤楽器には二段の鍵盤があって、ひとつの鍵盤はどんなに強く指で押しても弱音(ピアノ)しか奏せないし、もうひとつの鍵盤ではその逆となる。
 演奏者はこの二つの鍵盤を使いわけて強(フォルテ)と弱(ピアノ)との対比を作りだすのであって、その中間のニュアンスというものは、この楽器には存在しない。」
「二つの極の断続した対比を効果的に強調することによって、バロック音楽はその独自の音楽語法をつくりだしていった。これは同時代のバロックの美術家たちが、明と暗といった対比から、ルネッサンス美術にはない新しい表現の世界を開拓していったのと、同一次元のものといってよいかもしれない。」





Virgil Fox - Fanfare: Toccata in D Minor
Live at Fillmore East






こちらもご参照ください:

皆川達夫 『中世・ルネサンスの音楽』 (講談社現代新書)
エウヘーニオ・ドールス 『バロック論』 神吉敬三 訳




























今谷和徳 『ルネサンスの音楽家たち Ⅱ』


今谷和徳 
『ルネサンスの
音楽家たち Ⅱ』


ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ
オルランドゥス・ラッスス
ウィリアム・バード
トマス・ルイス・デ・ビクトリア
カルロ・ジェズアルド
ジョン・ダウランド


東京書籍 
1996年12月2日 第1刷発行
327p+132p 口絵4p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,000円(本体2,913円)
装幀: 東京書籍AD課・金子裕



本書「あとがき」より:

「本書は、二巻からなる『ルネサンスの音楽家たち』の第二巻である。」
「この企画の最初の段階では、ルネサンス時代の何人かの音楽家たちについて、一冊の本にまとめるという話だった。しかし、とりあげるべき人物を想定し、その内容を考えてみた時、とても一冊にはまとめきれないことが分かり、結局は二巻本とし、それぞれ六人ずつ、合計十二人の音楽家をとりあげる形に落ち着いた。(中略)実際にとりあげることにした十二人の音楽家の選択基準は、まずわが国で比較的よく知られている人物であること、重要な作曲家であること、その経歴が変化に富んでいること、そして、十五、十六世紀のヨーロッパ社会の動きが、その生涯を描くことで浮き彫りにできることなどで、それらの要素を総合的に判断した結果、この十二人となった。」



本文中図版(モノクロ)89点、家系図4点、地図3点。口絵図版カラー8点、モノクロ2点。


今谷和徳 ルネサンスの音楽家たち 02 01


帯文:

「政治的、社会的変動に
翻弄されながらも
人生を乗り切り
数々の名曲を残していった
波乱の時代の証言者たち

作品総覧、CD紹介付」



目次:

ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ
 1 伝説と理想像から再評価へ
  オペラ《パレストリーナ》
  今日のパレストリーナの評価
  対抗宗教改革の精神に沿った音楽
 2 ローマ劫掠
  不明の出生
  ローマの悲劇
 3 人生の第一歩
  少年聖歌隊員として
  影響を与えた二人の音楽家
  枢機卿デル・モンテとの出会い
  結婚
 4 教皇庁の音楽家
  教皇ユリウス三世
  少ないイタリア人の音楽家
  『ミサ曲集第一巻』
  マドリガーレも作曲
 5 最高の地位
  ローマ音楽家の最高の地位に
  相次ぐ教皇の死
  《教皇マルケルスのミサ曲》
 6 解任と新たな職場
  システィナ礼拝堂聖歌隊歌手解任
  サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ教会楽長に
  世俗曲集の出版
  楽長を辞任
 7 転職と出会い
  『年間の祝日用のモテトゥス集』
  枢機卿イッポーリト・デステとの出会い
  器楽合奏曲作曲の可能性
 8 トレント公会議とその影響
  ローマのミサ曲の変化
  セミナリオの音楽教師に
  ミサ曲とマドリガーレ集の出版
  高まる名声
 9 教皇庁復帰
  再びカペルラ・ジュリアの楽長に
  カペルラ・ジュリアの構成
  《エウジーノの海岸の周囲に》
  マントヴァ公グリエルモ・ゴンザーガとの会見
  息子と弟の死
  サンタ・バルバラ礼拝堂のための曲
 10 大役と私生活上の悲劇
  相次ぐ肉親の死
  伝統を守る作風
  《エレミアの哀歌》
  聖歌集の改訂に着手、そして妻の死
 11 再婚と出版への情熱
  再婚
  数多くの自作曲集の出版
 12 最後の十年間
  〈ローマ音楽家団体〉のメンバーに
  天正遣欧少年使節
  充実する作曲活動
  死
  不明の墓所

オルランドゥス・ラッスス
 1 多作家ラッスス
  パレストリーナとの共通点と相違点
  〈ラッスス〉という名前
 2 フェルランテ・ゴンザーガとともに
  美声のために誘拐される?
  君主フェルランテ・ゴンザーガ
  ミラノへ
 3 ナポリからローマへ
  作曲活動を始める
  ローマ
  《シビュラの予言》
 4 故郷フランドルで
  両親の死
  相次ぐ曲集の出版
 5 ミュンヘンの宮廷音楽家
  バイエルンの宮廷へ
  アルブレヒト五世との親交
  各国での出版活動
  二つの重要な作品
 6 宮廷楽長就任
  宮廷楽長に
  プロテスタントと宮廷の確執
  ドイツにおける最初の曲集出版
  シャンソンの代表的作曲家に
 7 諸侯とのつながり
  貴族に列なる
  フランス王シャルル九世
  〈詩と音楽のアカデミー〉と作曲コンクール優勝
  黄金拍車勲章を受ける
 8 作曲活動の充実
  『新ドイツ・リート集』
  フッガー家とのつながりと『音楽の守護』刊行開始
 9 宮廷の財政危機の中で
  ガブリエリの影響
  《レクイエム》
  通りに今も残る名前
 10 ヴィルヘルム五世の時代
  君主の死
  新君主の改革
  二つの曲集
 11 最後の十年
  息子たちの活動
  各地への旅
  《エレミアの哀歌》、『音楽の守護、マニフィカト集』
  死
  相次ぐ出版

ウィリアム・バード
 1 カトリックを守り続けた音楽家
  音楽家と宗教
  トマス・タリスの同僚の息子?
  生地はどこか
 2 リンカン時代
  エリザベス一世
  結婚と作曲活動
  ジェントルマンに
 3 王室礼拝堂の音楽家
  カトリックの重要人物たちとの交流
  変化する情勢
  バードとタリスの『モテトゥス集』
 4 ハーリントン時代の活動
  カトリックに対する弾圧
  出版活動
  様々なジャンルでの活躍
 5 続発する大事件の中で
  エリザベス女王暗殺計画
  イギリス、無敵艦隊を撃破
  国教会に対する挑戦
 6 ストンドン・マッシへの移住
  弾圧に反発し住居を移す
  傑作三つのミサ曲の謎
 7 『グラドゥアリア』の出版
  エリザベス女王の死
  『グラドゥアリア第一巻』
  合法的出版
  地下活動から生まれた『グラドゥアリア第二巻』
  隠れた多くの購買層
 8 最後の作品集と『パーセニア』
  合奏用の作品
  『パーセニア』
  戦う音楽家の死

トマス・ルイス・デ・ビクトリア
 1 カトリックに身を捧げた音楽家
  スペインの対抗宗教改革
  宗教曲のみの作曲家
 2 少年時代
  遣欧少年使節との接点
  名門の家系
  少年聖歌隊員、そしてイエズス会の教育
 3 ローマへの留学
  ローマへ
  パレストリーナとの出会い
  開ける道
  初めての曲集の出版
 4 聖職者の道
  聖職者としての成功
  曲集出版
  続く二巻の曲集
 5 創作活動の充実
  故国への帰郷願いの曲集
  『聖週間聖務曲集』
  《エレミアの哀歌》
  二つの受難曲
 6 皇太后マリアのもとで
  スペインへの帰郷
  聖職者として楽長として
 7 最後の創作活動
  曲集の出版
  『死者のための聖務曲集』

カルロ・ジェズアルド
 1 殺害
  決行
  マドリガーレの作曲家
 2 名門の次男
  スペイン属国のナポリ王国
  名門の家柄
  周囲の多くの音楽家
  音楽に囲まれた暮らし
 3 結婚と悲劇
  不幸な結婚
  世間の評判
 4 フェラーラ
  エステ家との婚姻
  フェラーラへ
  音楽家ジェズアルドの姿
 5 マドリガーレ集の出版
  フェラーラ宮廷の音楽と文学
  二つのマドリガーレ集
 6 フェラーラから故郷へ
  帰郷
  故郷での姿
  フィレンツェでの体験
 7 新しいマドリガーレ
  『五声のマドリガーレ集第三巻・第四巻』
  妻エレオノーラとジェズアルド
  エステ家の危機
 8 ジェズアルドの城で
  鬱病の悪化
  相次ぐ曲集出版
  斬新な手法の作品
  死
  異色の音楽家

ジョン・ダウランド
 1 「ラクリメ」の作曲家
  人々の心をとらえる作品
  「ラクリメのダウランド」
 2 パリへ
  パリへの音楽修業に?
  パリでの活動
 3 音楽家としての出発
  オックスフォード大学で学ぶ
  王室とのつながり
  国教会のための宗教曲
 4 ドイツの宮廷で
  就職活動の失敗
  ヴォルフェンビュッテルへ
  カッセルの宮廷
 5 事件と釈明
  ヴェネツィアからフェラーラへ
  フィレンツェでの事件
  釈明
 6 『歌曲集第一巻』
  帰国
  最初の曲集の出版
  名曲が多い曲集
 7 デンマーク王のリュート奏者
  デンマーク王の誘い
  デンマークの宮廷
  二番目の曲集
  ヒット・ソングのような
 8 新しい曲集と女王の死
  宮廷に働きかけた『歌曲集第三巻』
  エリザベス女王の死
  哀愁あふれる曲
 9 『ラクリメ、あるいは七つの涙』
  イギリス王妃に接近
  『ラクリメ、あるいは七つの涙』
 10 夢の実現
  デンマーク王室解任
  最後の曲集『巡礼の慰め』
  念願のイギリス王室リュート奏者に
  失意の音楽家

終章――ルネサンスからバロックへ
  宗教に翻弄される音楽家たち
  器楽曲の発展
  モンテヴェルディの登場
  オペラ《オルフェオ》
  ルネサンスとバロックの分水嶺《聖母マリアのための晩課》

あとがき
参考文献・図版出典一覧
人名索引

作品総覧
 凡例
 ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ
 オルランドゥス・ラッスス
 ウィリアム・バード
 トマス・ルイス・デ・ビクトリア
 カルロ・ジェズアルド
 ジョン・ダウランド



今谷和徳 ルネサンスの音楽家たち 02 02



◆本書より◆


「オルランドゥス・ラッスス」より:

「十五、十六世紀にヨーロッパの音楽界をリードしていったフランドル出身の音楽家たちの多くは、出身地であるフランドルばかりでなく、ヨーロッパ各地の宮廷や教会で活動を行なったため、それぞれの地域の言葉でその名が呼ばれることが多い。ラッススの場合も例外ではなかった。フランドル出身であるラッススの母国語はフランス語だが、フランス語による彼の名前は、オルランド・ド・ラッシュ Orlande de Lassus とロラン・ドラ・ラッシュ Roland de Lassus という二種類が伝えられている。(中略)一方、オルランド・ディ・ラッソ Orlando di Lasso というイタリア語の言い方もある。これは、この音楽家自身が晩年に用いていたもので、現在一般に最も多く使用されており、(中略)いずれも、それぞれにきちんとした理由があってその名を採用しているわけで、ここでそのどれかひとつを採用しようとするのはまことに難しいところなのである。そこでここでは、当時の公式用語であったラテン語による名前オルランドゥス・ラッスス Orlandus Lassus を用いることにしたい。」


「トマス・ルイス・デ・ビクトリア」より:

「ビクトリアは、作曲家として数多くの作品を書いたが、当時の作曲家としてはきわめて異例なことに、世俗音楽は一切手がけていない。残された彼の作品は、すべてラテン語で歌われる典礼のための宗教曲なのである。(中略)一般にルネサンス時代の作曲家は、宗教音楽も世俗音楽も書くのがふつうで、ビクトリアのような例はほとんど見られない。ビクトリアは、たしかに単なる音楽家ではなく、まず聖職者であった。しかし、聖職者であっても、世俗音楽を手がけてはいけないということはない。それどころか、たとえば十五世紀の最大の作曲家デュファイとか、十六世紀のフランスの作曲家ジャヌカンなどの例をみてもわかるように、宗教曲ばかりでなく、男女の間の世俗的な愛の姿を歌ったシャンソンを数多く書いている聖職者はたくさんいる。それがふつうだったのである。ところがビクトリアは、世俗音楽には見向きもしなかった。ひたすらカトリックの教会のために身を捧げたのである。彼は音楽の分野における対抗宗教改革の旗手の一人だったといえよう。」

「ビクトリアが生まれた翌年にあたる一五四九年、はるか遠い日本の鹿児島に、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(一五〇六―一五五二)が上陸し、日本でのキリスト教の布教への第一歩を印している。ザビエルは、パリでロヨラとともに最初に団結を誓い合ったスペイン人の一人で、彼が日本で始めた伝道の芽がやがて育ち、一五八二年(天正十年)の四人の遣欧少年使節の派遣へとつながり、彼ら日本の少年たちが、その三年後の一五八五年に、音楽家ビクトリアとおそらく出会うことになるのである。」



「カルロ・ジェズアルド」より:

「このナポリの貴族カルロ・ジェズアルドによる、妻とその愛人殺害事件は、当時のイタリアでは知らない者もないほどの出来事で、何人もの詩人がそれを詩に残している。しかも、この事件は外国にまで知られるようになり、フランスでは、十六世紀後半の王家とそれにつながる貴族たちの愛の交歓の有様を赤裸々に描いた、ブラントーム(一五四〇頃―一六一四)の名高い『艶婦伝』の中にも、ごく最近の出来事として、この事件が紹介されているほどである。」
「こうして、カルロ・ジェズアルドは、この不幸な事件によって有名になってしまったのだが、同時に彼は、作曲家としても重要な存在だった。とくにそのマドリガーレは、当時としては極めて大胆な半音階的技法、あるいは、不安定な感じを与える和声の連結などを特徴とした、実に特異な表現法に満ちており、二十世紀の大作曲家イーゴリ・ストラヴィーンスキイ(一八八二―一九七一)さえ、その音楽に注目して、ジェズアルドが不完全な形で残したマドリガーレの編曲を行なったほどである。」

「一五九〇年十月十六日、ジェズアルドは、部下とともに妻の密会の現場に乗り込み、妻マリアを愛人のカラッファともども殺害した。ただし、ジェズアルド自身は手を下さず、部下がその始末をつけたのである。ジェズアルドはさらに、妻マリアとの間に生まれた二番目の娘の出生に疑いを抱き、娘をも殺してしまった。」
「当時のイタリアの風習では、不義密通を犯した妻をその夫が成敗するというのは、ごく普通で当然のことと考えられていた。したがって、ある意味では被害者であるジェズアルドがとった行動は、決して非難されるべきものではなかった。だが、この事件に対する人々の目は、ジェズアルドにとって決して好意的なものではなかった。それどころか、不義の妻の成敗を彼自身が行なわず、部下にやらせたこと、さらに子供まで殺してしまったことなどが、世間の人々の心証を悪くしたのである。世間は逆に殺害された恋人たちの方に同情を寄せてしまった。
 ジェズアルドにとってさらに不運だったのは、妻の相手が自分と同じ名門貴族だったことである。いくら事情が事情とはいえ、身内を殺されたカラッファ家としては、ジェズアルドに対して復讐しようと考えるのは当然であろう。その動きを察したジェズアルドは、ナポリを出て、自分の本拠地であるジェズアルドの城に籠ってしまったのである。カラッファ家の復讐を恐れたと同時に、世間の目から逃れたいという気持がそうさせたのだった。こうしてジェズアルドは、この事件のほとぼりが冷めるまで、この城の中で暮らすことになる。(中略)この城での生活は、およそ二年ほどにもなってしまうのだが、やがて彼の新しい人生の歩みが始まることになる。」

「ジェズアルドにとっては、フェラーラはまさにあこがれの地であった。当時イタリア各地の宮廷では様々な音楽活動が行なわれていたが、フェラーラの宮廷はとくに音楽の中心地として評判が高く、(中略)すぐれた音楽家が何人も活躍し、新しい音楽の発信地としての役割を果たしていたのである。」
「フェラーラはまた、十六世紀のイタリアにおける文学活動の中心地でもあった。十六世紀の前半には、当時最大の詩人であったルドヴィコ・アリオスト(一四七四―一五三三)がこの宮廷で活躍していたし、十六世紀後半のアルフォンソ二世時代になってからは、やはりこの時期最大の詩人であるトルクヮート・タッソ(一五四四―一五九五)が、ここの宮廷詩人として活動したのである。タッソは、(中略)精神的な病に冒され、一五七九年に公によって精神病院に収容させられた。しかし一五八六年に退院した彼は、フェラーラを出てイタリア各地を転々と死、一五八八年にはナポリを訪れてジェズアルドと会ったのである。以来タッソは、ジェズアルドと親しく交わり、各地から書簡を交わし合ったり、多くの詩をジェズアルドに捧げたりした。一五九〇年のジェズアルドの不幸な事件に際しても、彼はその出来事を一篇の詩に綴っていたのである。したがって、このタッソを通じて、ジェズアルドはすでにフェラーラの宮廷文化に深く触れていたということが言えるのである。」

「ジェズアルドは、初めのうちは、単なる貴族のアマチュア作曲家としかみられていなかったが、フェラーラで四巻のマドリガーレ集を出版した頃から、プロの作曲家としての名声を確立していった。しかし彼は、当時の数多くの音楽家たちとは異なり、れっきとした貴族であり、それ故に政略結婚も余儀なくされ、その結果悲劇を体験もし、また当時の芸術の中心地で多くの経験をすることができたのである。本来ならば、ナポリ王国の宮廷で活動すべき一君主であったのだが、そのあまりにも消極的な性格のために、結局は好きな音楽の世界に逃避することとなり、逆にそれが音楽史に作曲家として名を残す大きな原因となったのだった。十六世紀の初め以来、次第に職業としての作曲家が広く認められるようになり、音楽家の地位も少しずつ変わってきたのだが、その中では、ジェズアルドは全く異色の存在だったといえよう。」



「ジョン・ダウランド」より:

  「流れよ わが涙 泉より滝となって!
  永遠に追放されて ぼくは歎きに浸ろう
  夜の黒い鳥が 悲しい辱めを歌っている
  その闇の中で ぼくはひとり打ちしおれて生きよう

  失せよ むなしい星たち もう輝くな
  夜の闇は いかに深くとも 深すぎはしない
  絶望の渕で 運命の末期を歎く者にとっては
  光はただ恥辱を照し出すばかり

  この悲しみ けっして癒される日は来まい
  なぜなら 憐れみはもはやあとかたもなく
  涙と溜息と呻きが ぼくのうとましい日々から
  あらゆる喜びを奪ってしまったのだから

  こよなき幸せの絶頂から
  ぼくの運命は転落してしまった
  恐れと歎きと痛みが 蔑みのうちに
  消え去った望みに代って ぼくの望みうるすべて

  聞け 暗闇に住まう影たちよ
  光を忌み嫌うがいい
  幸いなるかな 地獄に落ちて
  この世の蔑みをもはや感じえぬ者よ
                  (高橋康也・訳)

 これは、ルネサンス時代のイギリスにおける代表的作曲家の一人、ジョン・ダウランドが書いた、リュート伴奏付き歌曲の歌詞である。この曲は、一六〇〇年にロンドンで出版されたダウランドの『歌曲集第二巻』の中に含まれているが、ダウランドの作品の中で最もよく知られたものといえよう。ところがダウランドは、この歌曲とほとんど同じ構成によるリュート独奏曲《涙のパヴァーン》も残している。(中略)ともかくこの二つの曲は、当時発表されるとたちまち人々の心をとらえ、たいへんな人気を博したものであった。とくにその冒頭の旋律、つまり下行してゆく四つの音符からなる動機は、涙のモティーフとして当時から有名であったらしい。全体にその旋律は哀愁を帯びた性格をもっていて、当時のイギリスの人々の心にしみ込んでいったのである。
 そのため、この旋律をもとに、当時の多くの作曲家たちが、様々な形でその編曲を試みているし、特徴のある最初のモティーフにもとづいた器楽曲を書いたりしているのである。」
「こうした歌曲《流れよ、わが涙》、あるいはリュート曲《涙のパヴァーン》の人気のほどは、ダウランド自身もよく自覚していたようで、自ら器楽合奏曲として編曲したばかりか、この曲と共通の主題にもとづく合奏曲をさらに六曲加え、それに自作のその他の器楽合奏曲も含めた、『ラクリメ、あるいは七つの涙』と題する曲集を一六〇四年に出版している。また彼は、「ラクリメ(涙)のダウランド」と署名したこともあり、そこからもわかるように、当時「ラクリメ」の作曲家としてその名を知られていたのであった。」





こちらもご参照ください:

今谷和徳 『ルネサンスの音楽家たち Ⅰ』
皆川達夫 『中世・ルネサンスの音楽』 (講談社現代新書)
Robert Burton 『The Anatomy of Melancholy』 (Everyman's University Library)
『アリオスト 狂えるオルランド』 脇功 訳




































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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