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中野美代子・武田雅哉 編 『中国怪談集』 (河出文庫)

「ある屋敷に来た。(中略)その裏門からどんどんはいって行った。屋敷は奥深かったが、どこにも死骸が積み上げられていた。」
(王秀楚 「揚州十日記」 より)


中野美代子
武田雅哉 編 
『中国怪談集』
 
河出文庫 な 6-51 


河出書房新社 
1992年2月25日 初版印刷
1992年3月4日 初版発行
373p 
文庫判 並装 カバー
定価680円(本体660円)
デザイン・フォーマット: 粟津潔
カバーデザイン: 中島かほる
カバー画: 李崇(りすう)(宋)「〓(漢字:「骨+古」)髏幻戯図」



「揚州十日記」に地図1点。「台湾の言語について」「ボール小僧の涙」「ワニも僕の兄弟だ」「宇宙山海経」は図版入りです。
本書は新装版が出ていますが、旧版がもったいない本舗さんで284円(ポイント利用で235円)で売られていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



中野美代子 中国怪談集 01



カバー裏文:

「中国は不思議な国だ。現実がフィクションを食ってしまうほどこわい。文字通り食人の記録からはじまって、自然の恐怖、言語の怪談、政治、習俗ととりあげてゆけばきりがない。このような「現実」の記録から、SFを含む未紹介の現代文学までを新しい視点からとりあげ、従来の「中国怪談集」とはガラリと趣向を変えた画期的アンソロジー!!」



目次:

人肉を食う(輟耕録(てっこうろく)より) (陶宗儀/松枝茂夫 訳)
十巹楼 (季漁/辛島驍 訳)
揚州十日記 (王秀楚/松枝茂夫 訳)
台湾(フォルモサ)の言語について (ジョージ・サルマナザール/武田雅哉 訳)
砂漠の風 (紀昀/前野直彬 訳)
ボール小僧の涙 (『点石斎画報』より/武田雅哉 訳)
ワニも僕の兄弟だ (『点石斎画報』より/中野美代子 訳)
宇宙山海経 (江希張/武田雅哉 訳)
薬 (魯迅/丸尾常喜 訳)
阿Q正伝 (魯迅/丸尾常喜 訳)
“鉄魚”の鰓 (許地山/武田雅哉 訳)
死人たちの物語 (黄海/林久之 訳)
五人の娘と一本の縄 (葉蔚林/林久之 訳)
北京で発生した反革命暴乱の真相 (中国共産党北京市委員会宣伝部/武田雅哉 訳)

人を喰ったはなし――中華帝国に迷いこんだゴーストたちの記録 (武田雅哉)
編者あとがき (中野美代子)




◆本書より◆


「人肉を食う」より:

「天下をあげて戦乱のルツボと化した今日、淮右(わいゆう)(淮水の上流地方、淮西ともいう)の兵士は好んで人肉を食っている。小児の肉を上とし、婦人の肉これに次ぎ、男子のそれは下等とする。これを二つの甕(かめ)の間に坐らせておいて、外から火で焼くか、或いは鉄架の上で生きながら炙(あぶ)るか、或いはその手足を縛り、まず沸騰した湯をかけてから、竹箒(ほうき)で苦い皮を刷きとるか、或いは袋の中に入れ、大鍋(なべ)で生きたまま煮るか、或いは切りさいて刺身に作って淹(ひた)すか、或いは男子だとその両足だけを切り取り、女だと特にその両乳をえぐり取るかする。(中略)これらをひっくるめた名称を「想肉(シアンロー)」というのは、これを食って人をしてこれを想わしめるという意味である。これは唐の初の朱粲(しゅさん)という男が、人間を食糧の代わりにして、臼(うす)で搗(つ)きこね、まるで豚の糟(かす)漬けのようにして、「食って人を酔わせるのだ」といったのと変わりはなく、まことにお話しにならない話である。」
「宋の荘季裕(そうきよう)の『雞肋編(けいろくへん)』によれば――
 「靖康(せいこう)元年(一一二五、北宋の末年)、金が中華に乱入した際、盗賊、官兵はもとより一般の人民もみな互いに食い合い、身体を丸ごとさらして乾肉にした。登州(山東省)の范温が義勇軍を率い、海を渡って銭唐(杭州)に上陸した時も、その乾肉を持って行き、行在(あんざい)(杭州)に着いてからもまだ食っている者がいた。年を取って痩(や)せた男のことを、隠語で「饒把火」(タイマツよりまし)といい、若い女のことを「不美羹」(まずいスープ)といい、小児のことを「和骨爛」(骨ごとよく煮える)といい、また人肉の総称を「両脚羊」(二本足の羊)といった。」」



「揚州十日記」より:

「私たちを引率して行くのは三人の満州人の兵卒であった。彼らは私の兄と弟の身体をさぐって金を残らず取り上げたが、私だけはまださぐられていなかった。
 そのとき突然、女たちの中から私に呼びかけるものがあった。見ると私の友人朱書兄(しゅしょけい)の妾二人であった。私はあわてて制した。二人とも髪はさんばら、肌も露わに、足は泥の中にぬかって脛(はぎ)まで没していた。しかもその一人が女の子を抱いていたのを、兵卒は鞭で叩いてその子を泥の中に捨てさせ、そのまますぐ追い立てて行った。(中略)数十人のものは牛か羊かのように駆り立てられて、少しでも進まぬと、ただちに笞を加えられ、あるいはただちに殺された。女たちは長い綱で、数珠を通したように、頸をつながれ、一足ごとにつまずきころんで、全身泥まみれになった。どこにもかしこにも幼児が馬の蹄(ひずめ)にかけられ、人の足に踏まれて、臓腑(はらわた)は泥にまみれ、その泣き声は曠野に満ち満ちていた。途中の溝や池には死骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた。血が水にはいって、碧(あお)と代赭(たいしゃ)が五色に化していた。」
「ある屋敷に来た。(中略)その裏門からどんどんはいって行った。屋敷は奥深かったが、どこにも死骸が積み上げられていた。」



「台湾の言語について」より:

「続いて、日本人が四種類の筆記法を用いていることを話そう。
 第一の方法は、ページの上から下に向けて、縦に書く方法である。彼らがその文字を中国から取り入れたように、この方法もまた、中国から取り入れたものと考えられている。しかし彼らは中国人を嫌悪していたために、時代とともにそれを改めてしまったのであった。
 第二の方法は、聖職者にのみ知られているものであるが、どの文字ひとつをとっても、完全なひとつのセンテンスを表しているというものである。彼らは左から右に向けて、ヨーロッパ人と同じように書くのである。
 第三の方法は、以上の二つよりも、ずっと簡単なものである。これは12の母音と61の子音から成るアルファベットによって綴られ、これらによって、彼らはほとんどすべての音や声の抑揚を容易に表記し、意味を表すことができるのである。この表記法では、右から左に向かって綴り、そこからまた右に向かって戻るのである。ページの端に向かって、右向きになったり左向きになったりしながら書き進み、ページ全体にわたって、カーブした線によってつながっている。この筆記法は「リバナトヒム(Ribanatohym)」と呼ばれるが、「リバナル(Ribanar)」とは「書く」という意味で、「トヒム(Tohym)」とは、英語の「backward and forward(行ったり来たり)」にあたる言葉である。第四種の方法は、彼らがわれわれから学んだものであるが、次に説明しよう。」
「われらが立法者サルマナザールが現れる以前は、われわれは、文字というものをまったく知らなかった。彼はわれわれの聖典『ジャルハバディオンド(Jarhabadiond)』を、フォルモサ人が現在用いているのと同じ文字で綴った。この、彼が書いて見せた筆記法は、神の賜物であった。彼はそれを聖職者に伝授し、聖職者はほかの者たちに教えた。(中略)日本の皇帝は、われわれの島を占領した後に、この筆記法を学ぶことに興味を抱き、それを容易に会得したのであった。そのため彼を手本として、現在では日本で普及しており、おそらくは前に言った三種類のどの方法よりも優れたものとして用いられているだろう。」



「砂漠の風」より:

「この地は沙漠の中にあるが、一人旅の者がときどき自分の姓名を呼ぶ声を耳にすることがある。一度返事をすれば、声の方角へと連れて行かれたきり、もどって来ないという。」


「宇宙山海経」より:

「金星は地球にたいへん近い。また、太陽から二番目に近い星である。古くは太白(たいはく)と呼ばれていた。(中略)体積は地球よりも小さく、質はたいへん軽い。太陽を一周するのにおよそ七ヵ月半かかり、これを一年とする。自転は一周およそ二十三時間十五分で、これを一日とする。直径は二万五千五百三十里。太陽からの距離は一億九千三十九万三千里。星の表面は水が五分の二を占め、陸地は五分の三を占める。衛星はない。大河があり、長さは六万里あまりで、星をぐるりとめぐっている。人類が生息しており、(中略)かれらは翼を持ち、五里以内の空中を飛行することができる。水に入っても死なず、火に入っても焼かれない。体は紙のように軽く、言語は蜂に似ている。身長は五尺、寿命は五十歳がふつうである。」
「人類は仙人のようで、草木はたいへん小さい。樹木の高さは七尺にすぎず、草はわずかに三寸ばかりである。だが法術がたいへん発達していて、魂を入れ換えたり、移動させたりすることができる。人倫は整っていて、父子夫婦の分別がある。これが金星である。」

「太尊星。直径は五万里。山河が星をめぐり、鳥獣が群生している。海洋は少なく、陸地が多い。気候は温暖である。ここに生息する人類は、獣に似て獣にあらず、鳥に似て鳥にあらず、二枚の翼と四本の足を持ち、人面でサルの尾が生えている。からだじゅうに毛が生え、両肩からはそれぞれ一本の角が生えている。四つの足には、いずれも何枚かの鱗が生えている。森林で生活し、高さは一丈二寸。飛んだり走ったりすることができ、たいへん敏捷である。言語を操り、文字も持っている。いつも水で泳いだり、山に登ったりしている。石を持ち上げ、木を引き抜くほどの力を持っているいっぽう、小さなことでも良く明察する。衛星はなく、夜になれば真っ暗で何もわからないというのが欠点である。これが太尊星である。」

「天鼓星は、直径が六万七千里。気候はたいへん熱い。人類が密生している。大河がめぐっている。河の中には火山が二百あまり存在し、これらが噴火するときは、噴火自体はそれほど激烈ではないのだが、水と火がぶつかりあって沸騰する音は耳をおおわんばかりであり、これが平地にあふれ出てくるのである。人類はみな飛ぶことができ、高い樹木の上に住んでいる。人類は身体が小さいが、力は強い。草、木、砂、石、泥、土、鳥、獣、なんであろうと食べないものはない。文化がなく、文字もない。寿命は百歳にもなり、死なないものも多い。星のまわりを月がめぐっていて、その地質は水晶のようであり、鏡のように光を反射する。千里万里も遠くにある物でも、みなこれに照らされて、はっきりと見えるのである。これが天鼓星である。」



「薬」より:

「西門外の城壁沿いの土地は、もともと官有地であった。その中をくねくねと一本の細い道が通っているのは、このんで近道をする人たちが、鞋底(くつぞこ)で踏みならしたものだった。だが、それがおのずから境界線をなしていた。道の左側には刑死者や獄死者が埋葬され、右側は貧乏人たちの墓地となっていた。どちら側もすでに累々と土饅頭が連なり、さながら金持の家の老人たちの誕生祝いにつくられる饅頭(マントウ)の山のようだった。」


「阿Q正伝」より:

「日が没するころ、しだいに世間がどうも変だという気がしてきた。よく考えてみて、やっとわかった。原因はどうやら彼が上半身裸でいることにあったのだ。彼はぼろの袷がまだあったのを思い出し、それをはおって横になった。眼をあけたときは、日はすでに西側の壁の上を照らしていた。彼は「こん畜生……」といいながら身を起こした。
 起き上がると例のごとく通りをぶらついた。裸のときのように身につきささるほどではなかったが、しだいにまた世間がどうも変な気がしてきた。」
「しかし彼がいっそう世間が変だと感じたのは、そのあと何日もたってからだった。」

「その刹那、さまざまな思いが彼の脳裏をまた旋風のように駈けめぐった。四年前、彼は山の麓で一匹の餓えた狼に出会ったことがあった。狼は彼の肉を食おうとして、近くもならず遠くもならず、どこまでも彼の後をつけてきた。彼はそのとき恐ろしさで息も止まりそうだったが、幸い手に斧を持っていたので、それを頼りにやっとのことで気を取りなおし、何とか村までもどってきた。だがあの狼の眼はいつまでも覚えている。残念でそれでいてびくびくした眼。(中略)ところが今またこれまで見たこともないもっと恐ろしい眼を見た。鈍いそれでいて鋭利な眼。(中略)近づきもせず遠くもならず、どこまでも彼の後をつけてくる。
 これらの眼がすっと重なってひとつになったかと思うと、もう彼の魂に嚙みついていた。
 「救けてくれ……」
 しかし声にはならなかった。彼はとっくに眼がくらみ、耳がグワーンと鳴って、全身がこなごなに飛び散るのを感じた。」

「世論はどうかといえば、未荘ではみな異議なく、むろん阿Qがわるい、銃殺されたのが何よりそのわるい証拠だといった。わるくなければ、どうして銃殺されたりするものか。しかし、城内の世論はかんばしくなかった。彼らの半数以上は不満足だった。彼らは思った。銃殺は首斬りほどおもしろくない。それになんて変てこな死刑囚なんだ。あんなにながい間引き廻されながら、芝居の歌ひとつ唱わないのだから。ついてまわってばかを見た、と。」



「死人たちの物語」より:

「整然として命にしたがう者たち。だが目に光はなく前方をみつめたまま、あたかも黙想に入っているかのように、まったく声を発しない。もともとかれらは呼吸することもなく、鼓動を打つこともなく、ただリモートコントロールされる肉体をとどめているだけなのだ。
 候建徳(ホウチェントー)の顔は緊張にひきつっていて、こんなに多くの動くしかばねを前に、ひどく不安だったのだが、上のほうからの特別任務とあっては、そのとおりにせざるを得ないのだった。
 司馬(スーマー)博士が候建徳のそばへやってきて、笑いかけた。
 「よし、これでやつらを使って仕事ができるぞ」」
「「やつらを使ってどんなことをするんです?」候建徳は死人たちを目にしても、まだわけがわからなかった。
 「これが最後の手段というやつだ」司馬博士は言った。「やつらに上からの命令を執行させれば、組織を巨大化できる」
 「上からはどんな指示があったんです?」」
「「まず小さな村へゆき、そこを焼き討ちにするのだ」と司馬博士。「かれらは天にもとる罪を犯したのだから、懲罰(ちょうばつ)を加えねばならん。火というのがその報いだ。命令は徹底的に行われることになろう」
 一隊のものたちがぞろぞろと乗り込むとトラックは走り出した。」



「五人の娘と一本の縄」より:

「五人の娘は同じ村で生まれ、同じ井戸の水で育った。背丈や体つきは違っていたし、気立てもそれぞれだったけれども、とても仲よしで、生きるのも死ぬのも一緒というぐあいだった。明桃(ミンタオ)がいちばん年かさで満二十一をかぞえ、金梅(チンメイ)がいちばん年下でやっと十八、あいだには桂娟(クイチェン)がちょうど二十、荷香(ホーシャン)と愛月(アイユエ)がどちらも十九。名前はそれぞれ違っていても、ちゃんと同じあだ名を持っていた……「賠銭貨(ペイチェンフゥオ)」つまりゴクツブシ。両親に呼ばれ、みんなに呼ばれ、ずうっと呼ばれ続けてきたので、慣れてしまって、変だとも思わない。だれも字なんか読めなかった。読めないからってどうということもない。」

「ここはどうしてこんなに冷酷なところなんだろう、同情する人なんていやしない。(中略)荷香は人込みにはさまれて身動きできなくなっている。胸にも背中にも毛虫がうごめいているような、でなければ炭火であぶられるような気分。」

「五人の娘が集団自殺したというニュースは、あっというまに村中に伝わった。明桃の父さんは朝飯を食べ終ったばかりだった。明桃に残した米とさつまいもの粥(かゆ)はまだお膳の上にあって、蠅が何びきもたかっていた。父さんはさっそく門を跳び出し、母さんはちょっと遅れた。粥を鍋にもどしてふたをするのを忘れなかったからだ。」



「北京で発生した反革命暴乱の真相」より:

「このたびの反革命暴乱の深刻性と、暴乱を鎮圧することの重要な意義を正しく認識しましょう。(中略)このたびの暴乱で、打つ、壊す、奪う、焼く、殺す、などさまざまな暴行をなしたのは、主として、きちんと改心していないにもかかわらず、刑期が満ちたために釈放されたやからや、政治的なやくざの集団や、“四人組”の残党や、非合法組織に隠れている少数の悪人と、そのほか社会のクズどもなのです。」
「暴乱を鎮圧する闘争において、広範な幹部、大衆は、それぞれの地区、それぞれの部局、それぞれの職場の党と政府の指導のもとに、よりいっそう組織をかため、共同して防衛を強め、工場を守り、機関を守り、学校を守り、それぞれの職場の安全を守る作業をきちんと進めてください。それと同時に、積極的に人民解放軍と協力して、交通の秩序を回復し、社会の治安を維持し、各種の戒厳任務を完成させましょう。暴乱を鎮圧する過程で、多くの大衆はたいへん高い政治的自覚を示しました。(中略)ある人びとは公安や保衛部門に、失われた武器弾薬をすみやかに送り届け、(中略)またある人びとは、暴乱分子の罪を積極的に摘発し、ある人びとは身を挺して暴徒に立ち向かい、かれらと戦ったのでした。」
「敵に対する警戒を強め、ごく少数の暴乱分子の動向を、注意深く監視しなければなりません。かれらの犯罪の事実を掌握したならば、すぐさま政府とそれぞれの職場の指導者に対してこれを摘発し、政府に協力して、すみやかにこれら暴乱分子を捕え、法によって厳重に懲罰を加えましょう。」




中野美代子 中国怪談集 02








こちらもご参照ください:

中野美代子・武田雅哉 編訳 『世紀末中国のかわら版』 (中公文庫)
武田雅哉 『桃源郷の機械学』
武田雅哉 『蒼頡たちの宴』
岡本綺堂 『中国怪奇小説集 新装版』 (光文社時代小説文庫)






























































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中野美代子 『龍の住むランドスケープ』

「風水は、かくして、エロスである。そして、風景もまた、エロティックにデザインされた。」
(中野美代子 『龍の住むランドスケープ』 より)


中野美代子 
『龍の住むランドスケープ
― 中国人の空間デザイン』


福武書店 
1991年10月5日 初版印刷
1991年10月22日 第1刷発行
356p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,400円(本体2,330円)
装幀: 辻村益朗
装画: 瀬川康男



書き下ろし長篇評論。
本書はまえにもっていたのですがどこかへいってしまったので今回ヤフオクストアで498円(3,000円以上で送料無料)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。「風水はエロスである」とはいうものの、中野美代子先生の「エロティシズム」はたいへんアセクシュアル(無性愛的)であるなとおもいました。


中野美代子 龍の住むランドスケープ 01


帯文:

「龍盤虎踞
エロスとエターニティの感応する空間とは?」



内容(「BOOK」データベースより):

「龍のようにわだかまり虎のごとくうずくまる、永遠と母胎回帰の暗示された地を希求し続ける中国人の空間思想は、神話の島蓬莱のデザインから、帝都のプランニング、山水画、庭園、春画、ひいては漢字の空間までマクロからミクロをめぐり今なお人々を呪縛しつづける。はじめにデザインありき、ともいうべき中国文化の根底に流れる空間思想を時空を超え解き明かす待望の風水文化論。」


目次:

Ⅰ 蓬莱のデザイン
 1 名山の階段
  泰山にのぼる
  泰山の階段
  黄山の美
  各名山の階段
  始皇帝の泰山封禅
  車道としての階段
 2 泰山をめぐる聖なる幾何学
  始皇帝の巡幸記録
  泰山をめぐる聖なる地図
  始皇帝の地理デザイン
 3 空間プランナー始皇帝
  東海の三神山
  阿房宮のプランニング
  天文考古学
  地平線の二重性
 4 蓬莱案内
  蓬莱とは?
  蓬莱のかたち
  崑崙のかたち
  ひょうたんと崑崙
 5 蓬莱は南海へ
  蓬莱と崑崙の互換性
  羅浮山となった蓬莱
  漢武帝における崑崙
  未知の領域――南海
 6 崑崙は西洋へ
  アフリカの崑崙
  東南アジアの崑崙
  西沙・中沙・南沙の諸群島
  鄭和の下西洋
  「西洋」とはどこか?
  崑崙のしたたかさ
 7 界画美術館
  ある仙島図
  界画の技法
  「入れ子」構造の絵
  都市図さまざま
  山中の宮殿
  不可能性のトポス
 8 蜃気楼の風景
  ハマグリと蜃気楼
  成山の蜃気楼
  蘇軾の「海市」詩
  楊瑀の「観海市記」
  始皇帝と蜃気楼
  カルナックの蜃気楼
  蓬莱と蜃気楼
 9 蓬莱のデザイン
  俯瞰する仙宮
  蓬莱の商品コード化
  ありうべからざる風景?
  ありうべき風景のデザイン
  楽園のデザイン
 10 名山の階段ふたたび
  名山のなかの人文景観
  「仙境」への階段
  類推の山
  異界への階段
  銅鏡のなかの宇宙階段
 
Ⅱ 地平線のない風景
 1 アルンハイムの地所
  エリソンの風景観
  アルンハイムの地所
  ランダーの別荘
  ヴァテックの風景観
  鉄道旅行による風景の変質
 2 囲まれた庭
  理想的な閉空間
  「友松図巻」のなかの閉空間
  岩に囲まれた母胎
 3 南面の政治地理学
  天子は南面する
  「坐西朝東」の都市
  咸陽と長安
  洛陽のトポス
 4 香港上海銀行ビル
  香港上海銀行ビル
  室内配置の風水
  『玉仏縁』中の風水先生
  墓地風水
 5 四神のいる風景
  四神の観念
  玄武のコスモロジー
  龍の政治的性格
 6 龍のいる地理学
  風水研究一瞥
  風水観念の成立
  理想的な風水
  風水先生の羅盤
  デ・ホロートの予言
 7 風水都市
  『帝都物語』
  東京と京都の風水
  札幌は「逆さ京都」?
  中国大陸のマクロ的地形
  四川盆地の風水
  ひょうたんと風水
  南京の風水
 8 王維の別荘――風水と山水画(一)
  「康煕南巡図」
  岩山の発見
  顧愷之の山岳観察
  画論における理想の山水
  王維の別荘
  輞口荘の風水
  山か仮山か
  山岳風景の規範
 9 地平線のない風景――風水と山水画(二)
  隠された「龍穴」
  地平線の非在性
  地平線を拒否する装置
 10 風水とエロス
  山局図のエロス
  風水墓の母胎性
  時間の楽園としての墓と母胎
  アルンハイムの地所と「龍穴」
 11 桂林案内
  中国旅行ガイド・ブック
  桂林のキャッチ・フレーズ
  桂林観光は都市現象
  桂林発見史
  桂林山水画
  桂林の風景美
  福建の桂林
  つくね芋の山水
  日本人の中国風景観

Ⅲ ミクロの空間デザイン
 1 北辰の石
  「崑崙の玉」
  崑崙河源説
  気の核、土の骨
  寿山のミクロコスモス
  北辰の石
 2 漢字の空間学
  窫窳という怪物
  怪物専用の漢字
  天円地方説と漢字
  線の個性と聖性
  方形の宇宙
  漢字のパターン認識
  仮名文字の空間
  アジアの文字宇宙
 3 さし絵の空間戦略
  絵入り新聞の空間
  題画という絵画空間侵略
  さし絵のルーツ
  全相本のさし絵
  さし絵のキャプション
  絵画空間をめざすさし絵
  連環画登場
  漫画のフキダシ
  さし絵の勝利?
 4 春画のなかの庭園
  中国春画における肉体不在
  纏足のままの性戯
  無表情の男女
  「褻視」的な日本の春画
  中国春画の空間
  春画のなかの虚構の風景
  春画の記号論
  小を以て大を観る
  芥子に須弥を納れる
  春画空間の二重構造
  「重屏」のなかの性戯
 5 蘇州散策
  清院本「清明上河図」
  徐揚「盛世滋生図」
  虎丘山
  閶門の内外
  高級官僚の官邸
  院試風景
  運河のにぎわい
  芝居小屋
  状元のお通り
  風流人士の花見
  山寺の階段をのぼる

あとがき

参考文献



中野美代子 龍の住むランドスケープ 02



◆本書より◆


「空間プランナー始皇帝」より:

「最近、天文考古学(考古天文学ともいう)の領域における成果が目につく。(中略)中国の遺跡についても、これからは天文考古学的アプローチが求められることだろう。わけても、始皇帝関係の遺跡については、阿房宮造営のプランニングがはっきり示しているように、聖なる幾何学ないし聖なる天文学の秘密に目を向けていくべきであろう。
 泰山を中心とする山東半島周辺の聖地・聖山の決定は、再三述べたように、三神山なる仙山を東海の果てに求めるための始皇帝の周到な布石であったと思われる。つまりは、始皇帝流の神話地理学の確立であった。しかし、それら聖地や聖山に足を運んで東海をながめても、見えるのは茫々たる海原とかなたの水平線ばかり。始皇帝は、東海三神山の具体的イメージを脳裡に描き、かつデザインしたかったであろう。そのためにこそ徐福らを東海の果てにつかわしたのだが、この稀有なる空間プランナー始皇帝は、オットー・ボルノウのいう「地平線の二重性」を直感的に認識していた。
 ボルノウはいう。「人間は、自己のあらゆる境界を踏みこえることのできる存在であると規定されてきたが、しかし、地平線を踏みこえることはできない」がゆえに、地平線は「ひとつの絶対的境界」として人間をその内部に閉じこめる。同時にまた、「地平線は人間にたいして、広く見渡せる場と、自由に空間内につき進んでいく運動の広大な場とを展開するものである」という二重性をもっているのだ、と。」
「いったい、始皇帝ほど東海をしげしげとながめた天子は、中国の歴史においては存在しないのではあるまいか。(中略)始皇帝は、海岸べりのこれらの小山にのぼりながら、水平線が目の高さとともにのぼっていくという相対的存在であるがゆえに、けっして踏みこえることのできない「絶対的境界」であることを認識したにちがいない。それならば、東海のかなたの仙山がもつ不死性(インモータリティ)と永遠性(エターニティ)という価値ないし属性を、自分の権力が及ぶ領域内の山に賦与し代行させるほかはない。その山が泰山だったのであり、したがって泰山における封禅とは、よく指摘されるように、かれ自身の延命祈願にほかならなかったのである。
 いっぽうではまた、始皇帝の目のまえに引かれた水平線は、さらにその先の水平線を約束しながらも、その先の未知の空間への展開をも約束する。泰山は、あくまでも未知の東海三神山の代替にすぎない。ほんものは、東海のかなたに探求さるべきである。徐福らは、こうしてつかわされた。
 とはいえ、徐福らは還って来なかった。それでも、まだ見ぬ東海三神山は、景観としてデザインされなければならなかったのである。」



「蜃気楼の風景」より:

「ところで、ドイツの電気化学者ヘルムート・トリブッチは世界の名だたる古代文明の遺跡を蜃気楼と結びつけて説明しようと試みている。たとえばナスカの巨大な地上絵、カルナックの巨石群、ストーンヘンジ、ピラミッドなど。そのほかにも、(中略)紀元前四世紀のピュテアスのウルトマ・テューレ探検をはじめとする数々の古い記録など。帰国後のピュテアスがオーロラのことを伝えて「ほら吹き」とののしられたことまでは、私も知っていたが、謎のテューレ島が「陸と海とがつながったまま宙に漂う。上陸はかなわず、船を着けることさえできない」(ピュテアスの話をもとにしたストラボンの記述)がゆえに、蜃気楼であろうというトリブッチの推論にはおどろき、かつ深く共感せざるをえなかった。」
「蓬莱をはじめとする東海の三神山は、すでに述べたように、「遠くから望むと雲のようだが、近づくと海中に没してしまい」(『史記』―「封禅書」)、「根のほうでつながっていてぷかぷか浮かんでいるので、波のまにまに上下したり左右に流れたりし」(『列子』―「湯問篇」)、「その形は壺に似ていて、上が広く中が狭く下が四角である」(『拾遺記』)という。」

「ボルノウも述べているような地平線のあの本質は、蜃気楼によって一変したのである。」



「蓬莱のデザイン」より:

「蓬莱は、いや、楽園は、デザインされなければならない。古代のたとえば博山炉も、ひょうたんもしくは「幻影」としての蜃気楼のかたちに倣ってデザインされた。後世の画家もまた、山水の風景のなかに楽園をデザインする。いや、そもそも、風景や景観も、デザインされるべきものだったのである。」


「風水とエロス」より:

「時間の楽園としての仙境のトポグラフィーは、このように、ひょうたん状の穴ということができる。同様に、無限の時間を生み出す女性生殖器のトポグラフィー(引用者注: 「トポグラフィー」に傍点)もまた、せまいトンネルとその奥にひろがる子宮という、ひょうたんであった。(中略)山中の仙界は、一見いかにも無性的(アセクシュアル)に見えて、じつはエロスそのものの構造をしていたこと、よくよく記憶にとどめておいていただきたい。
 いっぽう、例の風水思想における理想的なトポグラフィーを思いおこすなら、これまた「龍穴」の位置するところ、主峰から左右に、すなわち東西に分岐して半円環状をなしてぐるりとり囲むその内部であり、これまたひょうたんの形態に似る。そして、理想風水を示す山局図にあからさまに見られるように、それは女陰図そのものなのである。」

「こうしてみると、亀甲墓の「母性的」形態は、「母性」に似せたがために生まれたのではなく、時間の楽園としての山中の仙界のトポグラフィーが、まさに時間の楽園なるがゆえに、必然的に「母性的」であったことに端を発しているであろう。山中の仙界が「母性」のシンボリズムのアナロジーであったことを見破った人は稀であるが、風水思想の出現とその通俗化によって、この「母性」シンボリズムは、シンボリズムの殻を脱ぎすて、ついに「母性」そのものというリアリズムに至ってしまったのである。
 風水は、かくして、エロスである。そして、風景もまた、エロティックにデザインされた。」
「ここで、ポオが描いた「アルンハイムの地所」のトポグラフィーを思い出していただきたい。深く暗い峡谷を通りぬけると、「広々とした円い盆地へと入ってゆく。盆地をかこんで円形を描く山裾は、それに沿って流れる光りきらめく川に、残る隈もなく洗われてい」くのだった。
 ポオは、申すまでもなく、中国における風水思想なんぞは知らなかった。にもかかわらず、ポオが『アルンハイムの地所』で描いた理想の風景は、中国人が山水画で、はたまた通俗的レベルにおける風水思想で追求してやまなかったあの「龍穴」の風景と、あきれるほど酷似しているのだった。なぜなら、どちらも、エロティックにデザインされたものだったからである。」



「桂林案内」より:

「洞穴が風水説でいう「龍穴」であり、山水画では隠者(ハーミット)が住まう理想的なスポットであることを思いおこすなら、中国人にとっての桂林は、まさに「洞天福地」の理想境なのであった。」


「春画のなかの庭園」より:

「風景とは、自(おの)ずから然(しか)あるものであるが、しかし、中国人は山水を「自然」ということばではけっして呼ばなかった。山水風景はかくあるべきものとしてデザインされ、そこに風水思想も加わって、人文的景観のデザインへと発展していったのである。」


































































































中野美代子 『日本海ものがたり』

「ともあれ、十七世紀から十八世紀にかけての世界の海は、かなりの密度で、海軍なり海賊船なりが往き来していたのである。たとえば、アフリカのギニア海岸やマダガスカル島周辺、および西インド諸島周辺などは、いわば海賊「銀座」というほどの「にぎわい」だったようだ。」
(中野美代子 『日本海ものがたり』 より)


中野美代子 
『日本海ものがたり
― 世界地図からの旅』


岩波書店
2015年4月22日 第1刷発行
xi 187p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,000円+税



本文中図46点、巻頭に地図4点。
本書はまだよんでいなかったのでヤフオクで480円(+送料360円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。『あたまの漂流』の続編だとおもいます。本書で著者は世界地図における「他者の目が見た日本」を検証し、日本人がいかに他者(他国)に対して無関心であったか(日本海がいかに「なんにもない」「静かな海」だったか)を論じ、他者との出会いと他者への情報発信の必要性を説いています。わたしなどは他者とか他者の目とかにはとんと無関心なひきこもり派なので耳が痛いです。


中野美代子 日本海ものがたり 01


帯文:

「日本海がはらむ、
豊かな他者の物語(ストーリー)=歴史(ヒストリー)へ
『西遊記』、『ガリヴァー旅行記』、ラペルーズの大航海――
多彩な資料から浮かび上がる、身近な海の新たな姿。
思考を広やかな地平へと誘う、トポグラフィック・エッセイ!」



カバーそで文:

「日本人は日本海を「内海」として意識しているのではないだろうか?
だが、日本列島の外側、他者の視点に立てば、
これまでとは違った日本海の姿が見えてくる。
「物語の多元性こそが歴史なのである。」
いざ、心躍る思索の旅へ――」



目次:

Ⅰ 『西遊記』と日本海
 1 三蔵法師と猪八戒が妊娠する話
 2 北朝鮮からの漂流者
 3 太平洋を漂流する日本人
 4 北の海で見た海獣たち
 5 ことばの旅から物語=歴史へ
Ⅱ 『ガリヴァー旅行記』と日本海
 1 ダンピアとデフォー、そしてスウィフト
 2 「新オランダ」を消したリリパットの地図
 3 プロブディンアグは「イエソ(エゾ)」と地つづき?
 4 日本周辺の大混乱地図
 5 一千年以上も放置された「エゾの地」
Ⅲ ラペルーズの航海と日本海
 1 ラペルーズの航海――日本海まで
 2 日本海を行くラペルーズ
 3 ラペルーズ海峡と宗谷海峡
 4 その後のラペルーズ
 5 ラペルーズ以後の日本海と緯度経度
Ⅳ 日本海への欲望
 1 ロシア人の海への渇望
 2 日本海への新しい欲望
 3 日本海とはなにか――むすび

あとがき



中野美代子 日本海ものがたり 02



◆本書より◆


「北朝鮮からの漂流者」より:

「わたしたちの先祖の「他者」との遭遇とは、おそらく、このようなあわれな漂着者としての異人の不意の出現によるものだったのではなかろうか。」


「太平洋を漂流する日本人」より:

「神昌丸といい若宮丸といい、その名もなき漂流民たちを、大国ロシアの国家元首たる女帝あるいは皇帝が親しく引見したという事実は、まことにおどろくべきことではなかろうか。」
「帰国した漂流民にたいする日本の役人たちの態度は、(中略)ほとんど罪人あつかいだったのである。(中略)ロシアの流儀に倣(なら)うなら、将軍みずから帰国した漂流民を引見し、ねぎらってもよさそうなものだが、日本では、(中略)鎖国中に海外から帰国した「賤民」あつかいで、レザノフの船でいわば「世界一周」の旅を終えた四人のうちの一人は、長崎に留め置かれているあいだに発狂し、自殺をはかったほどだった。」



「ことばの旅から物語=歴史へ」より:

「オットセイのことを、カラフトアイヌ語では、onnep という。(中略)山丹人を介してオットセイの毛皮を手に入れた中国人は、onnep というアイヌ語を漢字で音訳しなければならなくなった。
 そこで「膃肭」の二字が当てられたが、それはこの二字熟語が「肥えてやわらかい」を意味するから、ぴったりの訳語といえた。しかし、この二字の唐代の音(おん)は、(中略) onnep には、まるで対応しない。それでも、いったんそう決まったものは、一人あるきしはじめ、さらに「臍」が加わった。「臍」は「へそ」ではなく、腎臓・陰茎のことで、「海狗(オットセイ)腎」といえば、有名な強精剤となった。「膃肭臍」も、「海狗腎」とおなじ。この「膃肭臍」の日本漢字音が「ヲツドツセイ」→「オットセイ」なのである。」
「オットセイの生きているすがたを実見した中国人は皆無であったから、このはなはだ厄介な「膃肭臍」ということばは、(中略)迷走をつづけ、なぜかはるかアラビアまで旅をすることになるのである。」
「このことばが中国の書物に登場するのは、(中略)趙汝适(ちょうじょかつ)が著わした『諸蕃志(しょばんし)』(一二二五序)が最初であろう。(中略)巻上「志国」と巻下「志物」に分かれ、その「志物(外国の珍しい物産を志(しる)す)」に「膃肭臍」が登場する。その項を全訳すると――
  膃肭臍は、大食(アラビア)の伽力吉(カルハット)(アラビア半島東岸)に産する。その形(すがた)は猾(かつ)に似て、脚は犬のように長い。毛の色は、赤か黒である。走るのは、まるで飛ぶがごとしだ。そこで猟師は海辺に網をしかけて捕獲し、その腎を取って油に漬け、これを膃肭臍と称する。外国では渤泥(ボルネオ)がもっとも多い。」
「『諸蕃志』巻上「志国」の「三佛斉国」の条にも、特産物を列挙したなかに「膃肭臍」が見える。三佛斉国とは、いまのスマトラ島。熱帯である。アラビアにせよ、スマトラにせよ、生息するはずのない「膃肭臍」を産物としたについては、「膃肭臍」ということばにひそむなんらかの磁力が、別種の、しかし見かけは似ている動物たちを引き寄せているかもしれない、という予想をみちびく。」
「十世紀アラビアのブズルク・シャフリヤールの地理書『インドの不思議』の第十五話に見える話――
 かつてファンスール島(いまのスマトラ島近くの島)の近くの島で買い入れた女奴隷たちは、どれも陽気で「胴は丸々と太く、バターのように柔かな体付きをし、今にも舞い上るかと思うばかりに身軽で機敏なのですが、頭は小さく、誰の脇腹の下にも亀の鰭ほどの二枚の翼がしっかりとくっついていました」。あとで、その島出身の老人がいうには、「わたしたちの島の住民は男が海獣の雌とつるみ、女が海獣の雄に身をまかせ、その結果どちらにも似た子供が生れ、(略)いつの間にか海中に住むのと同じように陸に留まることにも耐えられるようになったのです」と。」
「『諸蕃志』に見える三佛斉国の「膃肭臍」とは、このファンスール島の近くの島の、人と海獣のあいのこ(引用者注: 「あいのこ」に傍点)を指すらしいが、つまるところ、おそらくイルカかジュゴンであろう。」
「鰭脚(ひれあし)目に属するアシカ・アザラシ・オットセイ・トドのたぐいは、極致に産するため、十世紀ごろのスマトラないし東南アジアやインド洋周辺の人の目に触れようはずがない。しかし、海牛目のジュゴンこそは、中国人が古くから鮫人(こうじん)すなわち人魚と称したものである。
 いや、ファンスール島の陽気な女奴隷がイルカであろうがジュゴンであろうが、いっこうにかまわない。未知の海獣を見た人は、毛皮だけは知っていても生きたすがたを知らない、すなわち「膃肭臍」ということばだけの海獣を、それと同定したのである。」
「「膃肭臍」ということばは、その産地からほど遠い東南アジアやアラビアまで旅をし、その意味するものをさまざまな動物に求めて、さまざまな物語をつくってきた。その物語の多元性こそが歴史なのである。」



「ラペルーズ以後の日本海と緯度経度」より:

「大航海時代からの航海探検家たちの「経度」の旅は、「他者」との出会いの旅であった。例外的に、ラペルーズは「緯度」の旅において「他者」と出会い、北緯では幸運だったが、南緯での「他者」との出会いで身を滅ぼした。
 岩倉使節団、あるいはそのあとの日本の高位高官たちの「経度」の旅は、山ほどの「他者」と接しても、いずれもプロトコルを介しての出会いであるから、まことの「他者」との出会いとはなりえない。」




















































































中野美代子/武田雅哉 編訳 『世紀末中国のかわら版』 (中公文庫)

中野美代子/武田雅哉 編訳 
『世紀末中国のかわら版
― 絵入新聞『点石斎画報』の世界』
 
中公文庫 な 35-3

中央公論新社
1999年3月3日 印刷
1999年3月18日 発行
329p
文庫判 並装 カバー
定価876円+税
カバーデザイン: 菊地信義


「本書は『世紀末中国のかわら版 絵入新聞『点石斎画報』の世界』(一九八九年二月 福武書店刊)に大幅な加筆を施したものです。」



本書「凡例」より:

「本書は清朝の末期に刊行された画報『点石斎画報』(一八八四~九六)を抄訳したものである。」
「『点石斎画報』の絵は全部で四千点以上をかぞえるが、本書ではそのうち八十二点を選択し、(中略)五つのジャンルに分類した。」
「本書の方針として、原文の逐語訳は採らず、意訳につとめた。(中略)タイトルも原題の訳ではなく、訳者が付けたものである。」



本書「あとがき」(中野美代子)より:

「本書は、武田雅哉君の企画、進行、そして私への叱咤によって成った。(中略)本書の半ばは担当せねばならない道理であるが、私の事情によって五分の一ほどしか担当していない。」


本書「文庫版へのあとがき」(武田雅哉)より:

「このたびの文庫化にあたっては、巻頭の解説を大幅に書き直したほか、本文には若干の訂正を加えるにとどめた。」


本文中図版(モノクロ)多数。


中野美代子 世紀末中国のかわら版 01


帯文:

「清朝滅亡前夜、西洋近代文明に触れた庶民の奔放な想像力が生んだ驚異の〈世界図鑑〉」


カバー裏文:

「一八八四年、上海で創刊された絵入新聞『点石斎画報』は、大衆への報道・娯楽紙として、飛ぶように売れたと当時の記録は語る。終刊まで十四年にわたって描かれた四千数百点にのぼる絵と、そこに付された文とは、初めて西洋近代文明に触れた清朝末期の中国人の奔放な想像力が生んだ、驚異と興奮と誤解の渦巻く〈世界図鑑〉である。百年前、彼らは何を幻視したのか? 美術史、文学史、科学史、社会風俗史……あらゆる角度からの発掘を待っている宝の山、〈『点石斎画報』学〉への扉が、いま開かれる!」


目次:

凡例
ゾウを想え――清末人の〈世界図鑑〉を読むために (武田)

第一章 洞窟をくぐり抜けたら世紀末 
 バトル・フィールドをフォーカスせよ
 呉淞戦線、異状なし
 気をつけよう! 列車事故
 屈辱のロードローラー
 人か鬼か? 纏足の危機
 母よあなたは強かった
 上海の雪まつり 雪だるまの内乱
 おまるとお尻のスクランブル
 妖怪オン・パレード
 トラの衣を借る……
 霊幻道士もたじたじ ポルターガイスト!
 淫祠邪教を駆逐せよ!
 猟奇! 人食い銭湯の恐怖
 芸者遊びはモダンにいこうぜ!
 チ・ン・ピ・ラ
 なにサッあたいの男よ!
 芸妓いじめもここまできた!

第二章 彼方の国と人びとの風景
 世界は不思議・地球は円い
 股下を失礼! ロードス島の巨人像?
 がんばれ! 青い目のお医者さん
 ヨーロッパ人は競馬がお好き
 美人コンテスト・イン・ジャパン
 君はサーカスを見たか?――空中ブランコは最高!
 君はサーカスを見たか?――ゾウさんも最高!
 大英帝国 大いに震撼す
 天災は忘れたころにやって来る
 彼方の国の摩天楼
 死体縮小の科学
 スコットランド式死体利用法
 『点石斎画報』より――お詫びと訂正

第三章 檻のない動物園 
 さあさあカエルのサーカスだよ!
 ヒョウのいるレストラン
 猪(チョ)ッちゃんが祟るわよ!
 サルの奇計 ワニを宙吊りに 
 オットセイ なぜ鳴くの?
 江中の豚 大いにあばれる
 ありがたや! でっかい魚
 どこから来たの? 海獣さん
 洪水や大海亀に助けられ)
 うちの狆はアヘンがお好き
 うちのサルもアヘンがお好き? (中野)
 うちのサルは草書の名人? (中野)
 塾の先生はおサルさん (中野)
 こわいよ~! バラしても死なない人食いイヌ

第四章 異形のものたちの行進 
 刑場の怪異 イヌに感謝!
 魚頭人身です! 踊り出たボクサー 
 人頭魚身です! 古来のモンスター 
 人食いワニよりこわい人ワニ人を食う 
 闇の左手――てのひらに爆竹を
 怪奇! 呪いのダッチワイフ
 ワニも僕の兄弟だ(一) 誕生
 ワニも僕の兄弟だ(二) 航海
 ワニも僕の兄弟だ(さん) 横死
 恐怖! 古壁妖怪の祟り
 そこのけ、そこのけ 双頭の人が行く
 惨また惨! ボール小僧の涙
 魚の形悪しきは食らわず
 死んでもマージャンやりたいの!
 わ! 異な雄ブタ! 多分ブタだ。ブー! 尾、無いわ!
 怪奇! 妖艶! スッポン美女の恐怖
 猟奇の果てに――嬰児の復讐

第五章 科学と機械の幻想譜
 無残! 電気に燃えつきた仁義ある男
 「魂、買ッちくんねえ」――電気はいかにして作られるか
 新型機関銃を完成せよ!
 黄泉の国へのパスポート
 骨まで見せます! エックス線カメラの驚異
 ジェットコースターはあまくない
 恐るべし新型気球! 未来の空中戦争
 天津の屋根の上に気球は翔ぶ
 シカゴの屋根の上に帆船は翔ぶ
 パリの屋根の上に飛車は翔ぶ
 人知は限りなく――海底を行く卵形潜航艇
 超弩級観覧バス――パリ博へ向けて
 驚異の事業――大英帝国の水底トンネル
 ほんとにだいじょおぶ? 新発明の水中自転車
 走れ! 鉄人蒸気紳士
 エジソン先生の「おしゃべりめざましくん」
 鳥だ! 飛行機だ! 科学鳥人だ!
 スウェン・ヘディン――砂漠の探検隊
 科学の視線を宇宙に向けよ
 ありゃなんだ! 出現! 謎のU・F・O
 嗚呼! 地球最後の日

本書関連地図
点石斎画報関連年表
タイトル対照表

あとがき (中野美代子)
文庫版へのあとがき (武田雅哉)




◆本書より◆


「ゾウを想え」より:

「戦争の報道に始まった『点石斎画報』ではあったが、いま四千数百点の作品の山を眺めてみると、「ありとあらゆるものを描いた」といわざるをえない。市井の瑣末(さまつ)な事件から天下国家の大事まで、妖怪の祟りから新時代のテクノロジーまで。」

「『韓非子(かんぴし)』という紀元前三世紀の本の、以下に引く部分は、ぼくの好きな一節だ。

 人びとは生きているゾウの姿を見ることはめったにない。そこで死んだゾウの骨を手に入れて、ゾウの姿を考えては、生きているゾウを想像する。それゆえ、人びとが頭の中で想いうかべるものを、すべて〈象〉というのだ。(「解老篇」)

 〈想像〉とは〈想象〉、すなわち、ゾウというまだ見ぬ奇獣の姿を想いうかべることだというのである。」
「機械にせよ動物にせよ西洋人にせよ、(中略)絵師たちの描いたものどもは、かれらの想像によるものが、その多くを占めるのである。(中略)絵師たちが描き、万人がこれを見ること。これはそのまま、絵師たちの幻視した〈世界〉の〈かたち〉を、万人が(中略)信ずることにほかならないのではなかろうか。」

「『点石斎画報』という現象は、絵師と、そして画報の読者という、清末人の多くを包含しうるであろう、その時代の幻視者たちによる、大いなる饗宴であった。かれらはみずから「世界はこうなっている」と信じうる一冊の〈世界図鑑〉というテキストを編集し、その読み取りに明け暮れた。すなわち、かれらだけの似て非なる地球に、奇妙な外国の事物を配置したり、奇妙な動物園を経営したり、奇妙な飛翔機械を空中に舞わせたりしたのである。」
「その時代に生きた人間の幻想によって構築された、いまひとつの世界であるとはいえまいか。」




中野美代子 世紀末中国のかわら版 06


「死体縮小の科学」より:

「クーパー先生はアメリカの名医である。彼は死体を縮小する薬品を発明した。体長わずか一尺五寸にまでなり、石のように堅くなって腐ることがない。木箱にいれれば携帯にも便利である。」


中野美代子 世紀末中国のかわら版 02


「スコットランド式死体利用法」より:

「ヨーロッパ人は科学の力を尊び、あらゆる廃物を再利用してしまう。(中略)それは人間の死体にまで及ぶという。死体から油を採っては石鹸(せっけん)を作り、骨を削っては肥料にすべきである。と、これはイギリスはスコットランドの、とある化学士が提唱した説である。」


中野美代子 世紀末中国のかわら版 03


「『点石斎画報』より――お詫びと訂正」より:

「さて、昨年の八月掲載の「死体縮小の科学」、そして十月掲載の「スコットランド式死体利用法」(中略)の記事は、(中略)のちほど調査したところ、事実ではないとのことが判明いたしました。本斎はここにこれを明示し、訂正いたします。」



「惨また惨! ボール小僧の涙」より:

「梧州(ごしゅう)で商売を営む男、たまたま通りかかった見世物小屋に入ってみた。そこに出ていたのはまるまるとした子どもであった。しかも尋常のまるさではない。手足は縮み、耳や鼻はつぶれ、さながらボールのようであった。小屋の主人がこのボール小僧を蹴飛ばすと、彼は地面をころころと転がるのだ。」
「空もうす暗くなったころ、主人は小僧を小屋の奥にあるカゴの中に閉じ込めると、どこかへ行った。
 思うところあった商人、そっとカゴに近づいて声をかけた。「おまえさん仔細(しさ)がありそうだね。話してごらん」。小僧はおびえる様子であたりを見まわすと、目に涙を浮かべながら、こう答えた。「四つの時にさらわれて、かめ の中に閉じ込められたんだ。体が かめ いっぱいになると、やっと かめ を割ってもらった。それからも大きくならないようにといって、食べさせてもらえるのは木の実だけだったよ……」。哀れに思った商人は、小僧に向かってこう言った。「お役人に訴えて、きっとここから出してやろうね」。
 翌朝、商人はふたたび見世物のあったところに来てみた。小屋はあとかたもなく消え失せていた。」




中野美代子 世紀末中国のかわら版 04


「猟奇! 人食い銭湯の恐怖」より。



中野美代子 世紀末中国のかわら版 05


「猟奇の果てに――嬰児の復讐」より。














































































































中野美代子 『スクリブル』

「でたらめだらけにせよ、頭のなかで組みたてた世界や言語の体系には、それなりの論理がなければならぬ。いかに真実であっても、その一端しかのぞくことのできない人間よりは、でたらめの世界の全体像を描いてみせる人間のほうが、私にはおもしろいのである。」
(中野美代子 「詐欺としての文学」 より)


中野美代子 
『スクリブル
― 文学空間の流星体たち』


筑摩書房 
1995年12月20日 第1刷発行
259p 目次5p 初出一覧3p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価2,400円(本体2,330円)
装幀: 菊地信義
カバー図版: アタナシウス・キルヒャー 『シナ図説誌』より



本書「あとがき」より:

「ごらんのように、主として日本の作家たちについての文章を集めたのが本書だが、編むにあたって外したものも少なくない。また、Ⅲ 「スクリブル」・Ⅳ 「マルジナリア」に収めた諸雑文は、日本の作家たちとは縁がうすいが、Ⅰ Ⅱと Ⅴ とを結ぶ文字どおりのスクリブル、すなわち「走り書き」ないし私の書架紀行のマルジナリアとしてお読みいただければよいと思う。」


「流星体」と書いて「メテオロイド」と読む。
本文中モノクロ図版3点(『肉蒲団』挿絵/ハンス・ベルメール「髑髏」/エッシャー「滝」)。


中野美代子 スクリブル


帯文:

「日本の作家たちの
奇妙なよその国
澁澤龍彦、久生十蘭、宮澤賢治……地上の者には捕え難い流星体(メテオロイド)のごとき煌めきを放つ作家たちをはるか追いかけて、そのユニークな文学世界へ案内する縦横無尽のスクリブル!」



目次 (初出):

Ⅰ ドラコニア
 人の千年は龍の十日――宮澤賢治「天気輪の柱」小考 (『新校本宮澤賢治全集』第八巻 月報 1995年)
 永久王国の原景――澁澤龍彦氏のユートピア論に寄せて (「ユリイカ」 1975年9月号)
 ドラコニア博物誌――澁澤龍彦の王国 (「国文学」 1987年7月号)
 哭ドラコニア――澁澤龍彦氏の訃報を聞く (原題: 「澁澤龍彦氏の訃報に接して/「ユリイカ」 1987年9月号)
 庭園と胡桃――『胡桃の中の世界』解説その一 (『新編ビブリオテカ澁澤龍彦』 『胡桃の中の世界』 解説 1988年)
 蘭房とプラトン立体――『胡桃の中の世界』解説その二 (「国文学」 1993年11月号 『胡桃の中の世界』 解説)
 南海――高丘親王の航跡 (「太陽」 1991年4月号)
 球体ものがたり――ふたたび高丘親王の航跡 (『澁澤龍彦綺譚集』II 月報 1991年)
 「最後の箱」の中の箱の中――疑惑を解いたもの (原題: 「箱のなか」/『澁澤龍彦文学館』12 『最後の箱』 月報 1991年)
 入れ子の箱――澁澤龍彦文学館に寄せて (原題: 「入れ子の箱の雅び」/『澁澤龍彦文学館』 内容見本 1990年)

Ⅱ エロティカ
 しな肉麻図譜――反(あんち)ベルメール論 (「夜想」2 1980年)
 性表現と女――あるいは「観る者」の位置について (「国分文学」 1979年5月号)
 就眠儀式の司祭――「眠れる美女」ノオト (「ポエム」 1977年9月号)
 鬼神相貌変――「憂国」および「英霊の声」論 (原題: 「「憂国」及び「英霊の声」論」/「国文学」 1976年12月号)
 「原ヒプー」考――沼正三 『奴隷の歓喜』 ノオト (沼正三『ある夢想家の手帖から』4 『奴隷の歓喜』しおり 1976年)

Ⅲ スクリブル
 竹帛から宋版まで――ものとしての書物二〇〇〇年史 (「ユリイカ」 1991年8月号)
 袖の下の文学――ローマ人とシナ人 (「国書」 1989年4月号)
 詐欺としての文学――マンデヴィル、キルヒャー、サルマナザール (「東方」104 1989年11月号)
 長安のアンゼルムス――『黄金の壺』と中国伝奇 (「ユリイカ」 1975年2月号)
 「閑話休題」のあとさき――物語のシークエンス (「is」42 1988年)

Ⅳ マルジナリア
 古典再読 (「読売新聞」 1994年1月10日、1月17日、1月24日、1月31日、2月7日、2月14日、2月21日、2月28日)
  ジュール・ヴェルヌ『必死の逃亡者』
  ガスパール・ダ・クルス『十六世紀華南事物誌』
  ルイージ・マレルバ『皇帝のバラ』
  劉安『淮南子』
  ヴィリエ・ド・リラダン「ツェ・イ・ラ綺譚」
  カフカ「万里の長城」
  芥川龍之介「地獄変」
  マルグリット・ユルスナール「老絵師の行方」
 口腹の書 (「朝日新聞」 1993年6月6日、6月13日、6月20日、6月27日)
  酒池肉林
  食による民族の定義
  滅んだ食べもの
  食事の風景
 読書日録 (「週刊読書人」 1990年10月22日、10月29日、11月5日)
  風景論と庭園論
  無人と蜃気楼
  構成遊戯とかたち
 旅のかたちをめぐる本たち (「季刊銀花」90 1992年夏号)

Ⅴ リストリア
 熊楠文礼讃 (『第一次南方熊楠計画 コンティンジェント・メッセージ群』 1985年)
 タルホ綺想空間の倫理性――『宝石を見詰める女』評 (「潮」 1974年12月号)
 エッシャー的世界の小説――石川淳論ノオト (原題: 「石川淳論覚書」/「藤女子大学国文学雑誌」11 1972年)
 離島文学考――乱歩か潤一郎か (『江戸川乱歩全集』17 解説 1978年)
 情念のスパスム――夢野久作『人間腸詰』解説 (夢野久作『人間腸詰』 解説 角川文庫 1978年)
 島と洞窟――久生十蘭『地底獣国』解説 (原題: 「刻鏤無形」/久生十蘭傑作選III 『地底獣国』 解説 教養文庫 1976年)
 文体あるいは玩物喪志について――久生十蘭私論 (「ユリイカ」 1989年6月号)
 架空の地図帳――久生十蘭「墓地展望亭」におけるリストリア王国 (「潮」 1976年8月号)
 斬って捨てる小説――久生十蘭「無惨やな」をめぐって (「リテレール」 1993年冬号)




◆本書より◆


「ドラコニア博物誌」より:

「海胆はヒトデやナマコとともに棘皮(きょくひ)動物に属するが、この動物の特徴は再生力が強いことだ。ヒトデは腕一本から再生するし、ナマコは内臓を捨てて逃げたあと再生する。しかし海胆は抜け落ちたとげ(引用者注: 「とげ」に傍点)を再生する程度だといわれている。
 かなり以前のことだが、積丹(しゃこたん)半島のさる漁村に遊びに行ったとき、採りたての海胆を山と積んで、おばさんたちが殻むきをしているのに出会った。とげが短く茶色っぽいのをバフンウニまたはガンゼといい、紫色のとげが長いのをムラサキウニまたはノナという。ノナとは、アイヌ語「ノナ」「ニノ」から来ていて、『和漢三才図会』にも「のね」「乃禰」と書かれている。
 それはともかく、陸上に山と積まれたガンゼやノナたちは、とげをしきりに動かしているのだが、わけてもノナが紫色の長いとげをうごめかせるたびに、その山はアメジストのように美しく輝くのだった。さて、おばさんたちは軍手を嵌め、左の手のひらにガンゼやノナをのせると、専用の細いナイフで殻を鮮やかに二つに割り、なかに詰まっただいだい色の卵巣を、耳掻きの親分のような専用スプーンですくいとり、用意したどんぶりのなかに入れる。殻は、もちろん用がないからポンと脇に捨てる。おばさんたちから、そのだいだい色のいわゆる海胆を分けてもらってよろこんで食べていた私は、ふと驚くべき光景を目にした。
 まっぷたつに割られ、大事な中身を抜きとられたノナの殻が、その紫色の長いとげを動かして歩き出したのである。それも、海に向かって!
 殻たちのすべてが歩いたわけではない。たった一つ、これぞ革命家というべきか、ともかく歩き出したのである。もちろん、私はかれ(引用者注: 「かれ」に傍点、以下同)について行った。しかし、海辺とはいえ、その殻むき作業場から海まではいくばくかの距離があったため、殻だけの行進はやがてダウンしてしまった。もし私が手伝って、かれをつまみあげ、走って海中に落としてやったら、かれは再生するのだろうか。もしそうなら、すし屋の海胆があんなに高くなるはずはないから、一般には、殻だけでは再生しないのであろう。
 それにしても、私でさえ目撃しているのであるから、海胆の殻だけの行進は、多くの人が見ているのではあるまいか。」



「詐欺としての文学」より:

「『台湾誌』は、たしかに「詐欺としての文学」を一歩も出ないかもしれない。キルヒャーの『シナ図説』がインドやチベットについてはきわめて確度の高い情報を載せていたのにくらべると、さらに歴史的価値は低い(というよりゼロである)。
 にもかかわらず、私は「詐欺としての文学」としての旅行記や地誌に強く関心をひかれる。でたらめだらけにせよ、頭のなかで組みたてた世界や言語の体系には、それなりの論理がなければならぬ。いかに真実であっても、その一端しかのぞくことのできない人間よりは、でたらめの世界の全体像を描いてみせる人間のほうが、私にはおもしろいのである。」



「島と洞窟」より:

「思うに、久生十蘭は、「海豹島」においてみずからの小説の方法論をつかんだのであった。その後のかれの小説は、すべてこれ「海豹島」のより精緻な発展であり、その綺想のより華麗な展開であった。戦後の傑作とされる「春雪」や「予言」、さらには「雲の小径」などは、この純愛の主題が「一転瞬の変化」によって至高のエロティシズムへと駆けあがる、日本の現代小説には類を見ない意匠をそなえるが、すべては「海豹島」に源を発しているといえるであろう。
 実在の、それもこともあろうに「膃肭獣の蕃殖場」たる島を舞台として、かような物語が展開しかつ終結したとき、海豹島もまた、非在の領域に拉し去られたかに見える。海豹島の実在性などは、もはや少しも問題ではない。そして、これこそが、虚構の物語としての小説の永劫に渝(かわ)ることのない本質ではなかったか。実在性が常に小説の前提となり、それゆえに現実を支配する秩序が小説の世界を浸潤することに少しも疑念を抱かずに成立してきた日本の近代文学は、かような久生十蘭の小説の方法を注意ぶかく排除しつづけてきた。それがおそるべき偏見であることは、われわれみずからが海豹島に立ち、この島が実在することよりも、この島が言葉の磁場として世界を引き寄せ、あげくは非在の領域に消え去ってしまうことをたしかめれば、すでに明らかであろう。」

「久生十蘭には、無政府的な極限状況下における人肉嗜食(カニバリズム)への強い関心があったと思われる。」

「久生十蘭は、けっして横光利一のように深刻な顔はしなかった。そのかわり、身につけてきた教養とエスプリは、十分な洗練を経て惜しげなく読者に提供された。そのぜいたくな知性の所産は、昭和文学史ではついぞ話題にされなかったのである。
 ところで、「墓地展望亭」の背景となるバルカン半島のリストリア王国の政変なるものも、久生十蘭に特有な、あのぜいたくな知性なしには描かれなかったであろう。政変を見るかれの目には、ガツガツしたイデオロギーは片鱗だに含まれない。すべては、主人公志村の純愛、生霊とおぼしき美女の非在性のための、ぜいたくな舞台装置にすぎないのである。しかも、この舞台装置は、リストリア王国という、いかにもありげな架空の国でありながら、はなはだ狡猾に実在性の影を帯びているところ、「地底獣国」ともおぼろに重なりあっているといえよう。私は、ここでも、リストリア王国を求めて、地図や百科事典のたぐいをひっくりかえしたのだった。そんな行為が愚かなものだとは承知しつつも、志村がエレアーナ姫を追ってパリから乗る「経伊近東特急(サンブロン・オリアン・エクスプレス)」を地図でたどって「……ヴァルローブ……ロオザンヌ……ドモドツノラ……ミラノ……トリエスト……ソフィア……とここまで来て、次なる「マナイール」でにわかに指を惑わせるのである。この奸計の虜となることも、久生十蘭の読者のひそかな幸福であるにちがいない。」
























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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