中野美代子 『日本海ものがたり』

「ともあれ、十七世紀から十八世紀にかけての世界の海は、かなりの密度で、海軍なり海賊船なりが往き来していたのである。たとえば、アフリカのギニア海岸やマダガスカル島周辺、および西インド諸島周辺などは、いわば海賊「銀座」というほどの「にぎわい」だったようだ。」
(中野美代子 『日本海ものがたり』 より)


中野美代子 
『日本海ものがたり
― 世界地図からの旅』


岩波書店
2015年4月22日 第1刷発行
xi 187p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,000円+税



本文中図46点、巻頭に地図4点。
本書はまだよんでいなかったのでヤフオクで480円(+送料360円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。『あたまの漂流』の続編だとおもいます。本書で著者は世界地図における「他者の目が見た日本」を検証し、日本人がいかに他者(他国)に対して無関心であったか(日本海がいかに「なんにもない」「静かな海」だったか)を論じ、他者との出会いと他者への情報発信の必要性を説いています。わたしなどは他者とか他者の目とかにはとんと無関心なひきこもり派なので耳が痛いです。


中野美代子 日本海ものがたり 01


帯文:

「日本海がはらむ、
豊かな他者の物語(ストーリー)=歴史(ヒストリー)へ
『西遊記』、『ガリヴァー旅行記』、ラペルーズの大航海――
多彩な資料から浮かび上がる、身近な海の新たな姿。
思考を広やかな地平へと誘う、トポグラフィック・エッセイ!」



カバーそで文:

「日本人は日本海を「内海」として意識しているのではないだろうか?
だが、日本列島の外側、他者の視点に立てば、
これまでとは違った日本海の姿が見えてくる。
「物語の多元性こそが歴史なのである。」
いざ、心躍る思索の旅へ――」



目次:

Ⅰ 『西遊記』と日本海
 1 三蔵法師と猪八戒が妊娠する話
 2 北朝鮮からの漂流者
 3 太平洋を漂流する日本人
 4 北の海で見た海獣たち
 5 ことばの旅から物語=歴史へ
Ⅱ 『ガリヴァー旅行記』と日本海
 1 ダンピアとデフォー、そしてスウィフト
 2 「新オランダ」を消したリリパットの地図
 3 プロブディンアグは「イエソ(エゾ)」と地つづき?
 4 日本周辺の大混乱地図
 5 一千年以上も放置された「エゾの地」
Ⅲ ラペルーズの航海と日本海
 1 ラペルーズの航海――日本海まで
 2 日本海を行くラペルーズ
 3 ラペルーズ海峡と宗谷海峡
 4 その後のラペルーズ
 5 ラペルーズ以後の日本海と緯度経度
Ⅳ 日本海への欲望
 1 ロシア人の海への渇望
 2 日本海への新しい欲望
 3 日本海とはなにか――むすび

あとがき



中野美代子 日本海ものがたり 02



◆本書より◆


「北朝鮮からの漂流者」より:

「わたしたちの先祖の「他者」との遭遇とは、おそらく、このようなあわれな漂着者としての異人の不意の出現によるものだったのではなかろうか。」


「太平洋を漂流する日本人」より:

「神昌丸といい若宮丸といい、その名もなき漂流民たちを、大国ロシアの国家元首たる女帝あるいは皇帝が親しく引見したという事実は、まことにおどろくべきことではなかろうか。」
「帰国した漂流民にたいする日本の役人たちの態度は、(中略)ほとんど罪人あつかいだったのである。(中略)ロシアの流儀に倣(なら)うなら、将軍みずから帰国した漂流民を引見し、ねぎらってもよさそうなものだが、日本では、(中略)鎖国中に海外から帰国した「賤民」あつかいで、レザノフの船でいわば「世界一周」の旅を終えた四人のうちの一人は、長崎に留め置かれているあいだに発狂し、自殺をはかったほどだった。」



「ことばの旅から物語=歴史へ」より:

「オットセイのことを、カラフトアイヌ語では、onnep という。(中略)山丹人を介してオットセイの毛皮を手に入れた中国人は、onnep というアイヌ語を漢字で音訳しなければならなくなった。
 そこで「膃肭」の二字が当てられたが、それはこの二字熟語が「肥えてやわらかい」を意味するから、ぴったりの訳語といえた。しかし、この二字の唐代の音(おん)は、(中略) onnep には、まるで対応しない。それでも、いったんそう決まったものは、一人あるきしはじめ、さらに「臍」が加わった。「臍」は「へそ」ではなく、腎臓・陰茎のことで、「海狗(オットセイ)腎」といえば、有名な強精剤となった。「膃肭臍」も、「海狗腎」とおなじ。この「膃肭臍」の日本漢字音が「ヲツドツセイ」→「オットセイ」なのである。」
「オットセイの生きているすがたを実見した中国人は皆無であったから、このはなはだ厄介な「膃肭臍」ということばは、(中略)迷走をつづけ、なぜかはるかアラビアまで旅をすることになるのである。」
「このことばが中国の書物に登場するのは、(中略)趙汝适(ちょうじょかつ)が著わした『諸蕃志(しょばんし)』(一二二五序)が最初であろう。(中略)巻上「志国」と巻下「志物」に分かれ、その「志物(外国の珍しい物産を志(しる)す)」に「膃肭臍」が登場する。その項を全訳すると――
  膃肭臍は、大食(アラビア)の伽力吉(カルハット)(アラビア半島東岸)に産する。その形(すがた)は猾(かつ)に似て、脚は犬のように長い。毛の色は、赤か黒である。走るのは、まるで飛ぶがごとしだ。そこで猟師は海辺に網をしかけて捕獲し、その腎を取って油に漬け、これを膃肭臍と称する。外国では渤泥(ボルネオ)がもっとも多い。」
「『諸蕃志』巻上「志国」の「三佛斉国」の条にも、特産物を列挙したなかに「膃肭臍」が見える。三佛斉国とは、いまのスマトラ島。熱帯である。アラビアにせよ、スマトラにせよ、生息するはずのない「膃肭臍」を産物としたについては、「膃肭臍」ということばにひそむなんらかの磁力が、別種の、しかし見かけは似ている動物たちを引き寄せているかもしれない、という予想をみちびく。」
「十世紀アラビアのブズルク・シャフリヤールの地理書『インドの不思議』の第十五話に見える話――
 かつてファンスール島(いまのスマトラ島近くの島)の近くの島で買い入れた女奴隷たちは、どれも陽気で「胴は丸々と太く、バターのように柔かな体付きをし、今にも舞い上るかと思うばかりに身軽で機敏なのですが、頭は小さく、誰の脇腹の下にも亀の鰭ほどの二枚の翼がしっかりとくっついていました」。あとで、その島出身の老人がいうには、「わたしたちの島の住民は男が海獣の雌とつるみ、女が海獣の雄に身をまかせ、その結果どちらにも似た子供が生れ、(略)いつの間にか海中に住むのと同じように陸に留まることにも耐えられるようになったのです」と。」
「『諸蕃志』に見える三佛斉国の「膃肭臍」とは、このファンスール島の近くの島の、人と海獣のあいのこ(引用者注: 「あいのこ」に傍点)を指すらしいが、つまるところ、おそらくイルカかジュゴンであろう。」
「鰭脚(ひれあし)目に属するアシカ・アザラシ・オットセイ・トドのたぐいは、極致に産するため、十世紀ごろのスマトラないし東南アジアやインド洋周辺の人の目に触れようはずがない。しかし、海牛目のジュゴンこそは、中国人が古くから鮫人(こうじん)すなわち人魚と称したものである。
 いや、ファンスール島の陽気な女奴隷がイルカであろうがジュゴンであろうが、いっこうにかまわない。未知の海獣を見た人は、毛皮だけは知っていても生きたすがたを知らない、すなわち「膃肭臍」ということばだけの海獣を、それと同定したのである。」
「「膃肭臍」ということばは、その産地からほど遠い東南アジアやアラビアまで旅をし、その意味するものをさまざまな動物に求めて、さまざまな物語をつくってきた。その物語の多元性こそが歴史なのである。」



「ラペルーズ以後の日本海と緯度経度」より:

「大航海時代からの航海探検家たちの「経度」の旅は、「他者」との出会いの旅であった。例外的に、ラペルーズは「緯度」の旅において「他者」と出会い、北緯では幸運だったが、南緯での「他者」との出会いで身を滅ぼした。
 岩倉使節団、あるいはそのあとの日本の高位高官たちの「経度」の旅は、山ほどの「他者」と接しても、いずれもプロトコルを介しての出会いであるから、まことの「他者」との出会いとはなりえない。」




















































































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中野美代子/武田雅哉 編訳 『世紀末中国のかわら版』 (中公文庫)

中野美代子/武田雅哉 編訳 
『世紀末中国のかわら版
― 絵入新聞『点石斎画報』の世界』
 
中公文庫 な 35-3

中央公論新社
1999年3月3日 印刷
1999年3月18日 発行
329p
文庫判 並装 カバー
定価876円+税
カバーデザイン: 菊地信義


「本書は『世紀末中国のかわら版 絵入新聞『点石斎画報』の世界』(一九八九年二月 福武書店刊)に大幅な加筆を施したものです。」



本書「凡例」より:

「本書は清朝の末期に刊行された画報『点石斎画報』(一八八四~九六)を抄訳したものである。」
「『点石斎画報』の絵は全部で四千点以上をかぞえるが、本書ではそのうち八十二点を選択し、(中略)五つのジャンルに分類した。」
「本書の方針として、原文の逐語訳は採らず、意訳につとめた。(中略)タイトルも原題の訳ではなく、訳者が付けたものである。」



本書「あとがき」(中野美代子)より:

「本書は、武田雅哉君の企画、進行、そして私への叱咤によって成った。(中略)本書の半ばは担当せねばならない道理であるが、私の事情によって五分の一ほどしか担当していない。」


本書「文庫版へのあとがき」(武田雅哉)より:

「このたびの文庫化にあたっては、巻頭の解説を大幅に書き直したほか、本文には若干の訂正を加えるにとどめた。」


本文中図版(モノクロ)多数。


中野美代子 世紀末中国のかわら版 01


帯文:

「清朝滅亡前夜、西洋近代文明に触れた庶民の奔放な想像力が生んだ驚異の〈世界図鑑〉」


カバー裏文:

「一八八四年、上海で創刊された絵入新聞『点石斎画報』は、大衆への報道・娯楽紙として、飛ぶように売れたと当時の記録は語る。終刊まで十四年にわたって描かれた四千数百点にのぼる絵と、そこに付された文とは、初めて西洋近代文明に触れた清朝末期の中国人の奔放な想像力が生んだ、驚異と興奮と誤解の渦巻く〈世界図鑑〉である。百年前、彼らは何を幻視したのか? 美術史、文学史、科学史、社会風俗史……あらゆる角度からの発掘を待っている宝の山、〈『点石斎画報』学〉への扉が、いま開かれる!」


目次:

凡例
ゾウを想え――清末人の〈世界図鑑〉を読むために (武田)

第一章 洞窟をくぐり抜けたら世紀末 
 バトル・フィールドをフォーカスせよ
 呉淞戦線、異状なし
 気をつけよう! 列車事故
 屈辱のロードローラー
 人か鬼か? 纏足の危機
 母よあなたは強かった
 上海の雪まつり 雪だるまの内乱
 おまるとお尻のスクランブル
 妖怪オン・パレード
 トラの衣を借る……
 霊幻道士もたじたじ ポルターガイスト!
 淫祠邪教を駆逐せよ!
 猟奇! 人食い銭湯の恐怖
 芸者遊びはモダンにいこうぜ!
 チ・ン・ピ・ラ
 なにサッあたいの男よ!
 芸妓いじめもここまできた!

第二章 彼方の国と人びとの風景
 世界は不思議・地球は円い
 股下を失礼! ロードス島の巨人像?
 がんばれ! 青い目のお医者さん
 ヨーロッパ人は競馬がお好き
 美人コンテスト・イン・ジャパン
 君はサーカスを見たか?――空中ブランコは最高!
 君はサーカスを見たか?――ゾウさんも最高!
 大英帝国 大いに震撼す
 天災は忘れたころにやって来る
 彼方の国の摩天楼
 死体縮小の科学
 スコットランド式死体利用法
 『点石斎画報』より――お詫びと訂正

第三章 檻のない動物園 
 さあさあカエルのサーカスだよ!
 ヒョウのいるレストラン
 猪(チョ)ッちゃんが祟るわよ!
 サルの奇計 ワニを宙吊りに 
 オットセイ なぜ鳴くの?
 江中の豚 大いにあばれる
 ありがたや! でっかい魚
 どこから来たの? 海獣さん
 洪水や大海亀に助けられ)
 うちの狆はアヘンがお好き
 うちのサルもアヘンがお好き? (中野)
 うちのサルは草書の名人? (中野)
 塾の先生はおサルさん (中野)
 こわいよ~! バラしても死なない人食いイヌ

第四章 異形のものたちの行進 
 刑場の怪異 イヌに感謝!
 魚頭人身です! 踊り出たボクサー 
 人頭魚身です! 古来のモンスター 
 人食いワニよりこわい人ワニ人を食う 
 闇の左手――てのひらに爆竹を
 怪奇! 呪いのダッチワイフ
 ワニも僕の兄弟だ(一) 誕生
 ワニも僕の兄弟だ(二) 航海
 ワニも僕の兄弟だ(さん) 横死
 恐怖! 古壁妖怪の祟り
 そこのけ、そこのけ 双頭の人が行く
 惨また惨! ボール小僧の涙
 魚の形悪しきは食らわず
 死んでもマージャンやりたいの!
 わ! 異な雄ブタ! 多分ブタだ。ブー! 尾、無いわ!
 怪奇! 妖艶! スッポン美女の恐怖
 猟奇の果てに――嬰児の復讐

第五章 科学と機械の幻想譜
 無残! 電気に燃えつきた仁義ある男
 「魂、買ッちくんねえ」――電気はいかにして作られるか
 新型機関銃を完成せよ!
 黄泉の国へのパスポート
 骨まで見せます! エックス線カメラの驚異
 ジェットコースターはあまくない
 恐るべし新型気球! 未来の空中戦争
 天津の屋根の上に気球は翔ぶ
 シカゴの屋根の上に帆船は翔ぶ
 パリの屋根の上に飛車は翔ぶ
 人知は限りなく――海底を行く卵形潜航艇
 超弩級観覧バス――パリ博へ向けて
 驚異の事業――大英帝国の水底トンネル
 ほんとにだいじょおぶ? 新発明の水中自転車
 走れ! 鉄人蒸気紳士
 エジソン先生の「おしゃべりめざましくん」
 鳥だ! 飛行機だ! 科学鳥人だ!
 スウェン・ヘディン――砂漠の探検隊
 科学の視線を宇宙に向けよ
 ありゃなんだ! 出現! 謎のU・F・O
 嗚呼! 地球最後の日

本書関連地図
点石斎画報関連年表
タイトル対照表

あとがき (中野美代子)
文庫版へのあとがき (武田雅哉)




◆本書より◆


「ゾウを想え」より:

「戦争の報道に始まった『点石斎画報』ではあったが、いま四千数百点の作品の山を眺めてみると、「ありとあらゆるものを描いた」といわざるをえない。市井の瑣末(さまつ)な事件から天下国家の大事まで、妖怪の祟りから新時代のテクノロジーまで。」

「『韓非子(かんぴし)』という紀元前三世紀の本の、以下に引く部分は、ぼくの好きな一節だ。

 人びとは生きているゾウの姿を見ることはめったにない。そこで死んだゾウの骨を手に入れて、ゾウの姿を考えては、生きているゾウを想像する。それゆえ、人びとが頭の中で想いうかべるものを、すべて〈象〉というのだ。(「解老篇」)

 〈想像〉とは〈想象〉、すなわち、ゾウというまだ見ぬ奇獣の姿を想いうかべることだというのである。」
「機械にせよ動物にせよ西洋人にせよ、(中略)絵師たちの描いたものどもは、かれらの想像によるものが、その多くを占めるのである。(中略)絵師たちが描き、万人がこれを見ること。これはそのまま、絵師たちの幻視した〈世界〉の〈かたち〉を、万人が(中略)信ずることにほかならないのではなかろうか。」

「『点石斎画報』という現象は、絵師と、そして画報の読者という、清末人の多くを包含しうるであろう、その時代の幻視者たちによる、大いなる饗宴であった。かれらはみずから「世界はこうなっている」と信じうる一冊の〈世界図鑑〉というテキストを編集し、その読み取りに明け暮れた。すなわち、かれらだけの似て非なる地球に、奇妙な外国の事物を配置したり、奇妙な動物園を経営したり、奇妙な飛翔機械を空中に舞わせたりしたのである。」
「その時代に生きた人間の幻想によって構築された、いまひとつの世界であるとはいえまいか。」




中野美代子 世紀末中国のかわら版 06


「死体縮小の科学」より:

「クーパー先生はアメリカの名医である。彼は死体を縮小する薬品を発明した。体長わずか一尺五寸にまでなり、石のように堅くなって腐ることがない。木箱にいれれば携帯にも便利である。」


中野美代子 世紀末中国のかわら版 02


「スコットランド式死体利用法」より:

「ヨーロッパ人は科学の力を尊び、あらゆる廃物を再利用してしまう。(中略)それは人間の死体にまで及ぶという。死体から油を採っては石鹸(せっけん)を作り、骨を削っては肥料にすべきである。と、これはイギリスはスコットランドの、とある化学士が提唱した説である。」


中野美代子 世紀末中国のかわら版 03


「『点石斎画報』より――お詫びと訂正」より:

「さて、昨年の八月掲載の「死体縮小の科学」、そして十月掲載の「スコットランド式死体利用法」(中略)の記事は、(中略)のちほど調査したところ、事実ではないとのことが判明いたしました。本斎はここにこれを明示し、訂正いたします。」



「惨また惨! ボール小僧の涙」より:

「梧州(ごしゅう)で商売を営む男、たまたま通りかかった見世物小屋に入ってみた。そこに出ていたのはまるまるとした子どもであった。しかも尋常のまるさではない。手足は縮み、耳や鼻はつぶれ、さながらボールのようであった。小屋の主人がこのボール小僧を蹴飛ばすと、彼は地面をころころと転がるのだ。」
「空もうす暗くなったころ、主人は小僧を小屋の奥にあるカゴの中に閉じ込めると、どこかへ行った。
 思うところあった商人、そっとカゴに近づいて声をかけた。「おまえさん仔細(しさ)がありそうだね。話してごらん」。小僧はおびえる様子であたりを見まわすと、目に涙を浮かべながら、こう答えた。「四つの時にさらわれて、かめ の中に閉じ込められたんだ。体が かめ いっぱいになると、やっと かめ を割ってもらった。それからも大きくならないようにといって、食べさせてもらえるのは木の実だけだったよ……」。哀れに思った商人は、小僧に向かってこう言った。「お役人に訴えて、きっとここから出してやろうね」。
 翌朝、商人はふたたび見世物のあったところに来てみた。小屋はあとかたもなく消え失せていた。」




中野美代子 世紀末中国のかわら版 04


「猟奇! 人食い銭湯の恐怖」より。



中野美代子 世紀末中国のかわら版 05


「猟奇の果てに――嬰児の復讐」より。














































































































フランシス・ハックスリー 著/中野美代子 訳 『龍とドラゴン』 (イメージの博物誌)

「ドラゴンがわれわれの想像にいつも現われることに理由があるとすれば、まさにこの点にある。すなわち、ドラゴンは、内なる知識の外なる姿なのである。」
(フランシス・ハックスリー 『龍とドラゴン』 より)


フランシス・ハックスリー 
『龍とドラゴン
― 幻獣の図像学』
中野美代子 訳
 
イメージの博物誌 13

平凡社 1982年8月17日初版第1刷発行/1993年2月1日初版第6刷発行
105p 
27.8×20.2cm 並装 
定価1,850円(本体1,796円)
装丁: 谷村彰彦
Francis Huxley : The Dragon: Nature of Spirit, Spirit of Nature, 1979
Art and Imagination (General editor: Jill Puree)



著者フランシス・ハックスリーは1923年生まれの民族学者。父親は生物学者のジュリアン・ハックスリー。
図版(カラー&モノクロ)多数。


龍とドラゴン1


カバー文:

「東方世界の龍と西方世界のドラゴン――
それは大昔より人類の歴史に登場する幻の怪獣である。
崇高なる者、忌むべき者、世界の主……。
さまざまな称号が彼らに与えられ、
守護神として
神聖視される反面、
わるさをして
英雄に退治されたりもする。
人びとにたえず夢と恐れを抱かせる、この幻獣の正体は何か?
あらゆる角度から龍とドラゴンの秘密を探り、
その全体像を解き明かした画期的な書。」



目次:

訳者解説――龍の聖と俗 (中野美代子)

生々流転
ドラゴン・サイクル
百面相のドラゴン
ドラゴン退治
天空のドラゴン
時間とドラゴン
ドラゴンの夢

図版

資料図版とその解説
 龍宮
 入口か出口か
 閉じた円環
 エロス
 天気メーカー
 風水地形学
 英雄たち
 最初の両親
 格闘
 二つでひとつ、ひとつで二つ
 未知なる怪物
 乳海攪拌
 死神
 厄介なペット
 胎児の臍




◆本書より◆


「かくして、原初のドラゴンは、両性具有の唯一神であったと思われる。」

「このサイクルは、ウロボロスあるいは自分の尾を食うものとして、錬金術師にはつとに有名である。錬金術師たちは、ウロボロスの中に、自家生殖の行為や、新しい生命を容れる器や、サイクルが出発点に戻るまでの時の移ろいなどを見たのだった。ドゥルイド僧によって有名な円も同様である。春分になるときまって蛇の大集団が入りまじって、その夥(おびただ)しい目の中から卵をひとつ生みおとすのだそうだが、その蛇とは、足なし蜥蜴(とかげ)としても知られる硝子(ガラス)蛇にちがいない。なぜなら、その卵は硝子でできていて、輪(リング)の形をしているからだ。ところで、この輪の原型は、銀河にほかならない。銀河は、古代の北欧人にはミドル・アースの虫(ワーム)として知られ、アッカド人には蛇の河または深海の河として知られ、ギリシア人には世界河すなわちオケアノスとして知られ、インド人には蛇の道またはガンジス川の河床として知られていた。」

「二世紀ごろの拝蛇教徒(オフィテス)(グノーシス派の一派)たちは、蛇を神と崇めていたが、それというのも、蛇が万物に先んじてこの世に生まれたこと、この世界の創造者は蛇の私生の孫にすぎないと、彼らが考えたからである。この蛇は、ライオンの頭をしたアイオンに巻きついているが、ミトラ信者たちは、このアイオンのことを、時間およびその帰結としての破局のシンボルだと考えていた。
 アイオンとは、生命の水を意味するギリシア語で、そこから寿命とか、のちにはまた時代とかをも意味するようになった。」



龍とドラゴン4

「ドラゴンの中から現われた聖マルガレタ。『時祷書』より。一五世紀。北フランス」


龍とドラゴン3

「ドラゴンに捧げられる子ども。聖ゲオルギウス祭壇上部の装飾画。一四〇〇年ごろ。スペイン、バレンシア」






































































中野美代子 『スクリブル』

「でたらめだらけにせよ、頭のなかで組みたてた世界や言語の体系には、それなりの論理がなければならぬ。いかに真実であっても、その一端しかのぞくことのできない人間よりは、でたらめの世界の全体像を描いてみせる人間のほうが、私にはおもしろいのである。」
(中野美代子 「詐欺としての文学」 より)


中野美代子 
『スクリブル
― 文学空間の流星体たち』


筑摩書房 
1995年12月20日 第1刷発行
259p 目次5p 初出一覧3p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価2,400円(本体2,330円)
装幀: 菊地信義
カバー図版: アタナシウス・キルヒャー 『シナ図説誌』より



本書「あとがき」より:

「ごらんのように、主として日本の作家たちについての文章を集めたのが本書だが、編むにあたって外したものも少なくない。また、Ⅲ 「スクリブル」・Ⅳ 「マルジナリア」に収めた諸雑文は、日本の作家たちとは縁がうすいが、Ⅰ Ⅱと Ⅴ とを結ぶ文字どおりのスクリブル、すなわち「走り書き」ないし私の書架紀行のマルジナリアとしてお読みいただければよいと思う。」


「流星体」と書いて「メテオロイド」と読む。
本文中モノクロ図版3点(『肉蒲団』挿絵/ハンス・ベルメール「髑髏」/エッシャー「滝」)。


中野美代子 スクリブル


帯文:

「日本の作家たちの
奇妙なよその国
澁澤龍彦、久生十蘭、宮澤賢治……地上の者には捕え難い流星体(メテオロイド)のごとき煌めきを放つ作家たちをはるか追いかけて、そのユニークな文学世界へ案内する縦横無尽のスクリブル!」



目次 (初出):

Ⅰ ドラコニア
 人の千年は龍の十日――宮澤賢治「天気輪の柱」小考 (『新校本宮澤賢治全集』第八巻 月報 1995年)
 永久王国の原景――澁澤龍彦氏のユートピア論に寄せて (「ユリイカ」 1975年9月号)
 ドラコニア博物誌――澁澤龍彦の王国 (「国文学」 1987年7月号)
 哭ドラコニア――澁澤龍彦氏の訃報を聞く (原題: 「澁澤龍彦氏の訃報に接して/「ユリイカ」 1987年9月号)
 庭園と胡桃――『胡桃の中の世界』解説その一 (『新編ビブリオテカ澁澤龍彦』 『胡桃の中の世界』 解説 1988年)
 蘭房とプラトン立体――『胡桃の中の世界』解説その二 (「国文学」 1993年11月号 『胡桃の中の世界』 解説)
 南海――高丘親王の航跡 (「太陽」 1991年4月号)
 球体ものがたり――ふたたび高丘親王の航跡 (『澁澤龍彦綺譚集』II 月報 1991年)
 「最後の箱」の中の箱の中――疑惑を解いたもの (原題: 「箱のなか」/『澁澤龍彦文学館』12 『最後の箱』 月報 1991年)
 入れ子の箱――澁澤龍彦文学館に寄せて (原題: 「入れ子の箱の雅び」/『澁澤龍彦文学館』 内容見本 1990年)

Ⅱ エロティカ
 しな肉麻図譜――反(あんち)ベルメール論 (「夜想」2 1980年)
 性表現と女――あるいは「観る者」の位置について (「国分文学」 1979年5月号)
 就眠儀式の司祭――「眠れる美女」ノオト (「ポエム」 1977年9月号)
 鬼神相貌変――「憂国」および「英霊の声」論 (原題: 「「憂国」及び「英霊の声」論」/「国文学」 1976年12月号)
 「原ヒプー」考――沼正三 『奴隷の歓喜』 ノオト (沼正三『ある夢想家の手帖から』4 『奴隷の歓喜』しおり 1976年)

Ⅲ スクリブル
 竹帛から宋版まで――ものとしての書物二〇〇〇年史 (「ユリイカ」 1991年8月号)
 袖の下の文学――ローマ人とシナ人 (「国書」 1989年4月号)
 詐欺としての文学――マンデヴィル、キルヒャー、サルマナザール (「東方」104 1989年11月号)
 長安のアンゼルムス――『黄金の壺』と中国伝奇 (「ユリイカ」 1975年2月号)
 「閑話休題」のあとさき――物語のシークエンス (「is」42 1988年)

Ⅳ マルジナリア
 古典再読 (「読売新聞」 1994年1月10日、1月17日、1月24日、1月31日、2月7日、2月14日、2月21日、2月28日)
  ジュール・ヴェルヌ『必死の逃亡者』
  ガスパール・ダ・クルス『十六世紀華南事物誌』
  ルイージ・マレルバ『皇帝のバラ』
  劉安『淮南子』
  ヴィリエ・ド・リラダン「ツェ・イ・ラ綺譚」
  カフカ「万里の長城」
  芥川龍之介「地獄変」
  マルグリット・ユルスナール「老絵師の行方」
 口腹の書 (「朝日新聞」 1993年6月6日、6月13日、6月20日、6月27日)
  酒池肉林
  食による民族の定義
  滅んだ食べもの
  食事の風景
 読書日録 (「週刊読書人」 1990年10月22日、10月29日、11月5日)
  風景論と庭園論
  無人と蜃気楼
  構成遊戯とかたち
 旅のかたちをめぐる本たち (「季刊銀花」90 1992年夏号)

Ⅴ リストリア
 熊楠文礼讃 (『第一次南方熊楠計画 コンティンジェント・メッセージ群』 1985年)
 タルホ綺想空間の倫理性――『宝石を見詰める女』評 (「潮」 1974年12月号)
 エッシャー的世界の小説――石川淳論ノオト (原題: 「石川淳論覚書」/「藤女子大学国文学雑誌」11 1972年)
 離島文学考――乱歩か潤一郎か (『江戸川乱歩全集』17 解説 1978年)
 情念のスパスム――夢野久作『人間腸詰』解説 (夢野久作『人間腸詰』 解説 角川文庫 1978年)
 島と洞窟――久生十蘭『地底獣国』解説 (原題: 「刻鏤無形」/久生十蘭傑作選III 『地底獣国』 解説 教養文庫 1976年)
 文体あるいは玩物喪志について――久生十蘭私論 (「ユリイカ」 1989年6月号)
 架空の地図帳――久生十蘭「墓地展望亭」におけるリストリア王国 (「潮」 1976年8月号)
 斬って捨てる小説――久生十蘭「無惨やな」をめぐって (「リテレール」 1993年冬号)




◆本書より◆


「ドラコニア博物誌」より:

「海胆はヒトデやナマコとともに棘皮(きょくひ)動物に属するが、この動物の特徴は再生力が強いことだ。ヒトデは腕一本から再生するし、ナマコは内臓を捨てて逃げたあと再生する。しかし海胆は抜け落ちたとげ(引用者注: 「とげ」に傍点)を再生する程度だといわれている。
 かなり以前のことだが、積丹(しゃこたん)半島のさる漁村に遊びに行ったとき、採りたての海胆を山と積んで、おばさんたちが殻むきをしているのに出会った。とげが短く茶色っぽいのをバフンウニまたはガンゼといい、紫色のとげが長いのをムラサキウニまたはノナという。ノナとは、アイヌ語「ノナ」「ニノ」から来ていて、『和漢三才図会』にも「のね」「乃禰」と書かれている。
 それはともかく、陸上に山と積まれたガンゼやノナたちは、とげをしきりに動かしているのだが、わけてもノナが紫色の長いとげをうごめかせるたびに、その山はアメジストのように美しく輝くのだった。さて、おばさんたちは軍手を嵌め、左の手のひらにガンゼやノナをのせると、専用の細いナイフで殻を鮮やかに二つに割り、なかに詰まっただいだい色の卵巣を、耳掻きの親分のような専用スプーンですくいとり、用意したどんぶりのなかに入れる。殻は、もちろん用がないからポンと脇に捨てる。おばさんたちから、そのだいだい色のいわゆる海胆を分けてもらってよろこんで食べていた私は、ふと驚くべき光景を目にした。
 まっぷたつに割られ、大事な中身を抜きとられたノナの殻が、その紫色の長いとげを動かして歩き出したのである。それも、海に向かって!
 殻たちのすべてが歩いたわけではない。たった一つ、これぞ革命家というべきか、ともかく歩き出したのである。もちろん、私はかれ(引用者注: 「かれ」に傍点、以下同)について行った。しかし、海辺とはいえ、その殻むき作業場から海まではいくばくかの距離があったため、殻だけの行進はやがてダウンしてしまった。もし私が手伝って、かれをつまみあげ、走って海中に落としてやったら、かれは再生するのだろうか。もしそうなら、すし屋の海胆があんなに高くなるはずはないから、一般には、殻だけでは再生しないのであろう。
 それにしても、私でさえ目撃しているのであるから、海胆の殻だけの行進は、多くの人が見ているのではあるまいか。」



「詐欺としての文学」より:

「『台湾誌』は、たしかに「詐欺としての文学」を一歩も出ないかもしれない。キルヒャーの『シナ図説』がインドやチベットについてはきわめて確度の高い情報を載せていたのにくらべると、さらに歴史的価値は低い(というよりゼロである)。
 にもかかわらず、私は「詐欺としての文学」としての旅行記や地誌に強く関心をひかれる。でたらめだらけにせよ、頭のなかで組みたてた世界や言語の体系には、それなりの論理がなければならぬ。いかに真実であっても、その一端しかのぞくことのできない人間よりは、でたらめの世界の全体像を描いてみせる人間のほうが、私にはおもしろいのである。」



「島と洞窟」より:

「思うに、久生十蘭は、「海豹島」においてみずからの小説の方法論をつかんだのであった。その後のかれの小説は、すべてこれ「海豹島」のより精緻な発展であり、その綺想のより華麗な展開であった。戦後の傑作とされる「春雪」や「予言」、さらには「雲の小径」などは、この純愛の主題が「一転瞬の変化」によって至高のエロティシズムへと駆けあがる、日本の現代小説には類を見ない意匠をそなえるが、すべては「海豹島」に源を発しているといえるであろう。
 実在の、それもこともあろうに「膃肭獣の蕃殖場」たる島を舞台として、かような物語が展開しかつ終結したとき、海豹島もまた、非在の領域に拉し去られたかに見える。海豹島の実在性などは、もはや少しも問題ではない。そして、これこそが、虚構の物語としての小説の永劫に渝(かわ)ることのない本質ではなかったか。実在性が常に小説の前提となり、それゆえに現実を支配する秩序が小説の世界を浸潤することに少しも疑念を抱かずに成立してきた日本の近代文学は、かような久生十蘭の小説の方法を注意ぶかく排除しつづけてきた。それがおそるべき偏見であることは、われわれみずからが海豹島に立ち、この島が実在することよりも、この島が言葉の磁場として世界を引き寄せ、あげくは非在の領域に消え去ってしまうことをたしかめれば、すでに明らかであろう。」

「久生十蘭には、無政府的な極限状況下における人肉嗜食(カニバリズム)への強い関心があったと思われる。」

「久生十蘭は、けっして横光利一のように深刻な顔はしなかった。そのかわり、身につけてきた教養とエスプリは、十分な洗練を経て惜しげなく読者に提供された。そのぜいたくな知性の所産は、昭和文学史ではついぞ話題にされなかったのである。
 ところで、「墓地展望亭」の背景となるバルカン半島のリストリア王国の政変なるものも、久生十蘭に特有な、あのぜいたくな知性なしには描かれなかったであろう。政変を見るかれの目には、ガツガツしたイデオロギーは片鱗だに含まれない。すべては、主人公志村の純愛、生霊とおぼしき美女の非在性のための、ぜいたくな舞台装置にすぎないのである。しかも、この舞台装置は、リストリア王国という、いかにもありげな架空の国でありながら、はなはだ狡猾に実在性の影を帯びているところ、「地底獣国」ともおぼろに重なりあっているといえよう。私は、ここでも、リストリア王国を求めて、地図や百科事典のたぐいをひっくりかえしたのだった。そんな行為が愚かなものだとは承知しつつも、志村がエレアーナ姫を追ってパリから乗る「経伊近東特急(サンブロン・オリアン・エクスプレス)」を地図でたどって「……ヴァルローブ……ロオザンヌ……ドモドツノラ……ミラノ……トリエスト……ソフィア……とここまで来て、次なる「マナイール」でにわかに指を惑わせるのである。この奸計の虜となることも、久生十蘭の読者のひそかな幸福であるにちがいない。」
























































ウー・ホン 『屏風のなかの壺中天』 中野美代子・中島健 訳

「ひとりの紳士、おそらくは文人か道士であろうひとりの男が竹製の低い寝椅子に寝そべっている。目は閉じているが、その幅ひろの顔には表情があり、どうやら夢を見ているようだ。画家はその夢は描かなかったが、その夢を、床の間(アルコーブ)ふうの衝立一面に描かれた果てしない波という催眠力のある画像に変えた。」
(ウー・ホン 『屏風のなかの壺中天 より)


ウー・ホン 
『屏風のなかの壺中天
― 中国重屏図のたくらみ』 
中野美代子・中島健 訳


青土社 
2004年3月20日 第1刷印刷
2004年3月30日 発行
355p 口絵(カラー)8p 
著者・訳者略歴1p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価4,400円+税
装幀: 高麗隆彦



本書「訳者解説」より:

「本書は、Wu Hung, The Double Screen: Medium and Representation in Chinese Painting (London: Reaktion Books, 1996) の全訳である。」
「ここでウー・ホン教授は、画像提供(イメージ・ベアリング)の物体(オブジェクト)という概念を示す。image-bearing とは、画像(イメージ)を支える、あるいは帯びるということだから、平たく言えば、画像を「何に(どのようなもの(オブジェクト)に)描いているか」という即物的な観点であろう。思えば、いままでの美術史は、「何を描いているか」「いかに描いているか」を考察するのが主流であった。」



本文中図版(モノクロ)197点。


ウーホン 屏風のなかの壺中天 01


帯文:

「隠す
遮る
囲む。

シカゴ大学発、
鮮烈な視点の
中国絵画論。

衝立という
絵画形式に
中国文化が
閉じこめた
入れ子の宇宙。
メタピクチャー
の策略。」



目次:

序 衝立(スクリーン)とは何か
 空間と場所
 枠どりと図案化
 平面と媒体
 絵画空間と喚喩
 詩的空間と隠喩

Ⅰ 《韓煕載夜宴図》
 テクスト包囲網を打ち破れ
 では絵そのものを
 画巻または絵巻物
 のぞきの視線

Ⅱ 内なる空間および外なる空間
 ダブル・スクリーン――重屏
 女性像をもつ衝立
 だまし絵と魔術

Ⅲ 内なる世界および外なる世界
 山水画の衝立
 内なる世界および外なる世界
 大衆化と標準化
 個の主張とステロタイプ
 ある「狂士」の衝立

Ⅳ 皇帝の選択
 《雍正十二妃行楽図》あるいは《十二美人図》
 女たちの空間
 皇帝の仮面舞踏会

Ⅴ メタピクチャー
 メタピクチャーおよびメタ=メタピクチャーとは?
 『西廂記』一六四〇年閔斉伋本の挿絵

「もの(オブジェクト)」としての絵画――日本の読者へ (ウー・ホン)
訳者解説 (中野美代子)



ウーホン 屏風のなかの壺中天 02



◆本書より◆


「序 衝立とは何か」より:

「この研究において著者が例としてとりあげるものは、衝立である。(中略)衝立は一つの物体(オブジェクト)であり、絵画の媒体(メディアム)であり、絵画的な表象であり、またそれらのすべてでもある。言い換えるなら、ある一つの構造物としての衝立は、三次元の空間を占めるとともに空間を区切り、芸術の一つの媒体としては、絵画に理想的な平面を提供する。じっさいのところ、衝立はむかしから記録されている最古の絵画フォーマットの一つであった。そしてまた、絵画に表現されたものとしての衝立は、中国の美術のそもそものはじめからして、中国人が大好きな画像の一つだったのである。」


「Ⅱ 内なる空間および外なる空間」より:

「かれ(引用者注: 周文矩)は、中国絵画においてもっとも魅力的な構図の一つとされる「ダブル・衝立(スクリーン)」すなわち重屏(ちょうへい)を創案したことで有名なのだ。フリア美術館所蔵の《重屏図》の一ヴァージョンは、前景にぐるりと集まった四人の男たち、碁を打ったりそれを観戦したりしており、ひとりの小姓が侍立しているという図柄である。この連中もまた、高く黒い帽子をかぶった顎髭の男を中心とする。この男は、中央に陣どっていること、目立つ服装をしていること、やや厳格そうな表情をしていることなどからもわかるように、明らかにあるじである。この男の背後には一枚パネルの大きな衝立がある。そこに描かれているのは、とある家庭の情景だ。顎髭の男がいる。おそらくその客間のあるじであろうが、いまはよりくつろいだ奥にひっこんだ。そして、四人の女たちにかしずかれつつひろい榻(とう)の上で横たわっているところ。女ふたりが榻のかたわらのベッドのしたくをし、ひとりが毛布をはこび、ひとりが男のうしろで指示を待つという次第だ。この第二のグループも、やはり衝立のフレームに囲まれているのだが、その三曲の衝立には山水が描かれているのである。」
「周文矩の絵画のもとのすがたというものは、どこにでも立てられる衝立に貼ってあったものであった。つまりは「重屏」された画像は、べつの衝立の、がっちりした木の枠のなかに出現したのである。」
「そのヴィジュアルなトリックは、錯覚をもたらす空間およびヴィジュアルなメタファーのためにデザインされた。この画家は、ありとあらゆる手をつくして、衝立の前の情景と衝立に描かれた情景とをともに現実らしく見せるべく試みたが、同時にかれは、この二つの情景をば、衝立のがっしりした枠で分離した。鑑賞者はしたがって、枠のなかの家庭の情景は絵空ごとにすぎないということに気づくのである。鑑賞者がさきほどの混乱を乗り越え、「そうか! 衝立のなかのできごとは、ほんとは、幻影なんだ!」と叫ぶとき、かれは、それがより大きな幻影のなかの幻影にすぎないということを忘れてはいないだろうか。より大きな幻影とは、この絵画まるごとにほかならない。かれは無意識のうちに、衝立の前景に描かれた人物や「もの」を現実世界の一部であるかに見えるようにしたこの画家の凝ったレトリックに巻きこまれたのだ。かくて、完璧なるだまし絵が完成したのだった。」






































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。


うまれたときからひとでなし、
なぜならわたしはねこだから。

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