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窪田般彌 『詩集 円環話法』 

「詩がない人生は残酷だ
死がない生活は深刻だ」

(窪田般彌 「夢合」 より)


窪田般彌 
『詩集 
圓環話法』 



思潮社 
1979年1月15日 発行
101p
菊判 丸背紙装上製本 貼函
定価2,200円
装幀: 谷川晃一



本書収録詩のうち、「圓環話法」「否定神話」「風流夢情記」は「未刊詩集〈円環話法〉から」として、「夢のなかにいるように」「万華鏡」「花」「「聖ヨハネ祭の祝歌」は「未刊詩集〈竿頭のイカロス〉から」として、『現代詩文庫 62 窪田般彌詩集』(思潮社、1975年)に収録されている作品の再録です。

本書はもっていなかったのでアマゾンマケプレで396円(+送料257円)で売られていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。詩風としては加藤郁乎/西脇順三郎/堀口大学ですが、詩人として資質的に最も近いのはボルヘスかもしれないです。



窪田般彌 円環話法 01



帯文:

「円環話法
……………………
鼻をかび臭い大地につっこむミューズよ
楡の木の下で待つがいい

洒脱で知性あふれる影像にいろどられた作品構造によって、味わい深い詩空間をみごとに展開する著者の’72年から’78年に到る新作20篇」



帯背:

「七年間の成果」



窪田般彌 円環話法 02



圓環話法 一九七二―一九七八 目次:


圓環話法
夢のなかにいるように
死都ブリュージュ
秋霜記
万華鏡
千夜一夜
海の四季
冬の夜の対話

夏日抄
 蟬
 無花果
 太陽讃歌
 薔薇物語
聖ヨハネ祭の祝歌
ビリチスの唄
木の葉を持つ女
AMARANTH
夢合
否定神話
風流夢情記




窪田般彌 円環話法 03



◆本書より◆


「圓環話法」:

「年令は飛び立てないから
(飛び立てれば幸せなものを)
ほんとは自分の年令がわからないので
毎日ここにやってきて
絶望までも出し惜しみする老婆のように
静かに腰をおろして日々を数える
西方浄土(シャン・ゼリゼ)のすぐそばの
公園のベンチで

飛び立てれば幸せなものを
(イカロスの失墜は悲しい)
そのまた西には
リラの花咲く囲いがあり
わたしのパルナス山の墓地がある
秋の日の溜息のアポロンは
歌を忘れた脚韻屋
切れた絃の叫びばかりが疳高い

イカロスの失墜は悲しい
(鼻をかび臭い大地につっこむミューズよ)
死語をささやくのは愉快な悪戯だ
死人は詩人
詩人は盗人
悔い改めぬ盗人だ
彼らはミューズの墓をどれも知っている
でも自分たちの墓は知らない

鼻をかび臭い大地につっこむミューズよ
(涯しなくつづく「ここ」と「いま」)
月夜の芝居にうかれる使者の
ホメロス風の哄笑は
黄色いユーモア黒い恋
略奪はつねに苦々しく喜劇的だ
異郷暮しのミシンと蝙蝠
君たちは永遠に出会わない
涯しなくつづく「ここ」と「いま」
(楡の木の下で待つがいい)
飛び立てれば幸せなものを
イカロスの失墜は悲しい
鼻をかび臭い大地につっこむミューズよ
楡の木の下で待つがいい
いつまでも
翼のない虚無のように」



「秋霜記 Ⅱ」:

「夢は無の裏
無は夢の表
無にましますわれらの夢よ
われらが夢を無にする如く
われらにわれらの無を
夢にさせ給え
われらを夢のうちに
無にし給うことなく
無より救い給え
かくして夢」



「秋霜記 Ⅲ」:

「たった一つの路傍の茸が
甲子(きのえね)の大黒天の祭の夜に
微生物のような男を殺した
彼は宿なし碌でなし
六道銭にもこと欠く極道
どうやら極楽詣はできにくい
だから一日に二リットルも安酒を飲み
塩と掌(て)をなめ
運命を掌中の珠とした
焼酎は栄光よりも人を酔わせ
死を
詩以上に夢みさせる
今宵はなぜか夢見がいいぞ
詩が唇頭にたちのぼり
舌をしびらせる
ちっぽけな死
さえない死が
やってくるらしい
星落ちる村の暗さよ
狐泣く森のかなたの
夢ははるか
はるかな無」






こちらもご参照ください:

『現代詩文庫 62 窪田般彌詩集』















































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窪田般彌 『ヴェルサイユの苑』

窪田般彌 
『ヴェルサイユの苑
― ルイ十五世を
めぐる女たち』
 


白水社 
1988年7月5日 印刷
1988年7月15日 発行
211p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,600円
カバー: ポンパドゥール夫人像(ブーシェ画)



本書「あとがき」より:

「たしかに彼女たちは、すべてにおいて女性が支配的だったロココの世紀の隠れた女君主であり、生きる喜びの具現者だった。が、同時に誰よりも「生きる苦しみ」を味わった悲しい女たちである。彼女たちの生涯は、一言にしていえば、「ロココの偉大と悲惨」ということになろうか。」


図版(モノクロ)24点。


窪田般彌 ヴェルサイユの苑 01


帯文:

「一代の遊蕩児ルイ十五世をめぐる美貌の貴婦人たち。そのつかのまの栄華と没落を通してロココの世紀の光と闇を活写する。」


「新刊案内」より:

「18世紀フランスは、知性と愚劣、優雅と頽廃が奇妙な二人三脚を演じた時代であり、啓蒙思想やロココ芸術もこうした風土の所産であった。著者は光と影が複雑に交錯するこの時代の核心を、一代の遊蕩児ルイ15世と寵姫たちの逸楽の日々を通して活写する。前著『物語マリー・アントワネット』の姉妹篇。」


目次:

第一章 王妃マリー・レクザンスカ
第二章 マイイ伯爵夫人
第三章 シャトールー公爵夫人
第四章 ポンパドゥール侯爵夫人
第五章 鹿の苑
第六章 デュ・バリ伯爵夫人

あとがき



窪田般彌 ヴェルサイユの苑 02



◆本書より◆


「第四章 ポンパドゥール侯爵夫人」より:

「その頃、迷信家の母親は娘をルボン夫人という女占い師のところに連れていったことがある。
 一般に「啓蒙の世紀」と呼ばれている十八世紀は、理性信仰の時代ではあったけれども、一方では迷信、神秘主義、心霊研究が隆盛をきわめた時代だった。よって、予言者や占い師は大切にされ、市民も君主諸公もこぞって彼らのもとを訪れ、諸事万端の吉凶を占ってもらった。たぶんポワソン夫人も、そうした人間の一人だったのだろう。
 女占い師は九歳のレネットをじっくり観察してから、おもむろに言った。
 ――このお子さんは、いつか国王の寵姫となられましょう。
 三十年後に、レネットは予言通り寵姫となり、ポンパドゥール侯爵夫人として君臨した。彼女は女占い師に感謝し、六百リーヴルの年金を支払った。侯爵夫人の有名な会計報告にはこう記されているという。「九歳のおり、将来、国王の寵姫になると予言したことにより、ルボン夫人に六百リーヴル」。」



「第六章 デュ・バリ伯爵夫人」より:

「事態がここまで来てしまうと、最初は卑しい小娘との一時の気紛れぐらいにしか考えていなかった国王の側近たちも、どうにも手の打ちようがなかった。国王はすでにランジュ嬢を正式の寵姫にしようと決心している、そうなれば彼女を晴れて宮廷に紹介しなければならない――側近たちは、どうしたらいいものかと思い悩んだ。
 とくに困ったことは、ランジュ嬢を寵姫にするにしても、彼女が然るべき貴族と結婚している婦人でなければならないという「仕来(しきた)り」だった。
 この「仕来り」には、黒幕のデュ・バリも狼狽(あわ)てた。まかり間違えば、彼の今までの努力も水泡に帰してしまうだろう。
 国王自身は、ランジュ嬢をデュ・バリ伯爵夫人と思い込んでいたが、五人の子持ちの彼が今さら結婚するわけにはいかない。彼はリシュリューとも相談したが、一つの妙案を思いついた。トゥルーズに独身の弟ギョームがいることを思いだし、このギヨームとランジュ嬢を擬装結婚させればよいと考えたのである。
 ギヨームは以前は海軍の士官だったが、健康上の理由から退官し、トゥルーズで母親と貧乏暮しをしていた。」
「「極道者」デュ・バリにとっては、そんな間抜けな弟を籠絡し、結婚話をまとめることなどはいとも簡単だった。
 ランジュ嬢とギヨームの結婚契約は一七六八年七月二十三日に取り交され、九月一日に式があげられた。この結婚によって、それまでは一介の勲爵士にすぎなかった愚弟も晴れて「ギヨーム・デュ・バリ伯爵」と格上げされ、かつての蓮っ葉娘(グリゼット)、二十五歳のジャンヌ・ベキュは堂々たるデュ・バリ伯爵夫人に成り上った。
 次の日、夫のギヨームはひとりトゥルーズに帰ったが、妻との別居の条件として年金五千リーヴルをせしめた。恥知らずな彼は、その後も何かと「新寵姫」から金をせびり、豪華な御殿に暮す田舎紳士として生活を楽しんだ。
 ヴェルサイユ入りをしたデュ・バリ伯爵夫人は、三階のアパルトマンに身を落ちつけた。しかし、まだ紹介の儀が正式になされていなかったので、相も変らず国王とは密会をつづけるしかなかった。当時のフランス宮廷では、紹介の儀は君主の寵姫にとって最も重要な「仕来り」であり、この儀式がすまないかぎり、寵姫はいかなる地位にもつけなかったからである。」

「彼女はさらに数多くの版画でも諷刺の材料とされた。陰険で下卑た中傷や悪口は、この時代の最大の人身攻撃の武器であったから、ポンパドゥール夫人もデュ・バリ伯爵夫人もその標的とならざるをえなかった。
 シュテファン・ツヴァイクの言葉を借りて言えば、ルネッサンス時代に厄介者や政敵を片づけようと思えば、その道具は毒薬と短刀だった。だが、「博愛主義的になった十八世紀は、最も洗練された方法」を用いる。ペンや絵筆の力をもって、「精神的に、物笑いの種としながら殺す」のである。」





こちらもご参照ください:

窪田般彌 『物語マリー・アントワネット』 (白水Uブックス)




窪田般彌 ヴェルサイユの苑 ほか





















































アポリネール 『虐殺された詩人』 窪田般彌 訳 (小説のシュルレアリスム)

アポリネール 
『虐殺された詩人』 
窪田般彌 訳
 
小説のシュルレアリスム

白水社
1975年9月10日 第1刷発行
1975年10月25日 第2刷発行
277p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 
丸背紙装上製本 機械函
定価1,300円
装幀: 野中ユリ



Guillaume Apollinaire: Le Poète Assasiné, 1916


アポリネール 虐殺された詩人 01


目次:

虐殺された詩人
月の王
ジォヴァンニ・モローニ
愛妾
影の出立
死後の婚約者
青い眼
神とみなされた不具者
聖女アドラータ
おしゃべりな回想
混成賭博クラブでのめぐり会い
現代魔術のささやかな処方箋
鷲狩り
アーサー 過ぎた日の王・未来の王
友人メリタルト
仮面の砲兵伍長奇談すなわち蘇生した詩人

解説 (巖谷國士)



アポリネール 虐殺された詩人 03



◆本書より◆


「虐殺された詩人」より:

「オルフェウスと同じく、あらゆる詩人は非業の死をとげかけていた。いたるところで出版人たちは強奪され、詩集は焼かれた。どの町でも虐殺が行なわれた。」

「「たいへんな騒ぎね」とトリストゥーズが言った。「パポナ、あなた詩人なんかじゃないわね。あなたは詩よりもはるかに価値あることをお学びになったわけね。パポナ、あなたはほんのちょっぴりだって詩人なんかじゃないんでしょ?」
 「もちろんそうさ」とパポナが答えた。「おもしろ半分に詩を作ったことはあるけれど、私は詩人じゃないね、立派な実業家さ。財産の管理にかけたら、誰だって私以上に通暁していないよ。」
 「今夜、アデレードの『声』紙にさっそく手紙を出して、そう言ってやんなさいよ。そうしておけば、あなたは難を逃れるわ。」
 「間違いなくそうしよう」とパポナは言った。「ところで、今までに見た人がいるのかね、詩人なんてものを! そいつはクロニアマンタルにふさわしいもんさ。」
 「ほんとにあの人ったら、ブルノで虐殺されちまえばいいのにねえ」とトリストゥーズが言った。」

「詩人は東の方をふり向き、興奮した声でしゃべった。
 「私はクロニアマンタル、現在の詩人のなかで最も偉大な詩人だ。しばしば私は差し向かいで神を見たのだ。私は人間としての自分の眼が和らげ鎮めた神の光輝に耐えた。私は永遠を生きた。しかし、いまや時がきたので、私はここに来て、お前の前に立っているのだ。」
 トグラットはこの最後の言葉を激しい爆笑をもって迎えた。いちばん前の数列にいた群集は、トグラットが笑うのを見て同じように笑った。そして炸裂音、旋転音、顫音のこもごもの笑いがたちまち全下層民に、パポナとトリストゥーズ・バルリネットに伝わりひろがった。みんなの開いた口が、落ち着きを失ったクロニアマンタルに面と向かいあっていた。そうした笑い声につつまれながら人々は叫んだ。
 「水にほうりこめ、詩人野郎!…… 火あぶりだぞ、クロニアマンタル!…… 犬にくれてやれ、月桂樹の情夫め!」

 最前列の太い棍棒をもった一人の男がクロニアマンタルに一撃をあびせると、彼の苦しげな顰(しか)め面はいちだんと群集の笑いを煽(あお)った。上手に投げこまれた一個の石が詩人の鼻に命中し、血がどっと流れ出た。」



「月の王」より:

「すぐにパヴァリア王ルードヴィッヒ二世だと私が気がついたこの男の言葉が高まるにつれて、私はパヴァリアの民衆たちが固く信じている考えが――つまり彼らの不幸な気違い王はスタルンベルグ湖の暗い水底に死んだのではないという考えの正しさを認めるにいたった。」


「神とみなされた不具者」より:

「彼は女に言ってのけた。
 「なれは百万の人間じゃ。あらゆる背丈にしてあまたの顔だ。幼女、生娘、人妻んいして老婆じゃ。現に生き、すでに死したる者、笑って涙し、愛して憎む者じゃ。なれは無にしてすべてなのだ。」
 ある政治家はいかなる政党に共鳴すべきかを知りたいと思った。
 「すべてに共鳴すべし」と永遠の神は答えた。「しかして、いかなる政党にも共鳴すべからず。なぜと申せば、諸政党は影と光のごときもので、何ごとをもってしても変ええず、ともに生きるべきものだからじゃ。」
 ある一人は彼にナポレオンの生涯を語ってきかせた。
 「ボナパルト野郎め!」とジュスタン・クーショは叫んだ。「奴は戦に勝ち、打ち破られ、そしてセント・ヘレナで死ぬことを今もって止めておらぬ。」

 そこで、別の一人がびっくりして死について質問すると、彼は次のように言って、小きざみに跳びはねながら行ってしまった。
 「言葉だ、言葉なんじゃ! どうして死を望まれる? 人はここにいるだけで充分なのだ。人はここに風、雨、雪、ナポレオン、アレキサンダー大王、海、樹木、町、河、山と同じように在るものなのじゃ。」
 このように彼にとっては全世界とあらゆる時代とが、彼の一本しかない手によって正確に奏でられる調律みごとな楽器だった。」



アポリネール 虐殺された詩人 02
































































アポリネール 『異端教祖株式会社』 窪田般彌 訳

アポリネール 
『異端教祖株式会社』 
窪田般彌 訳


晶文社 
1972年9月20日 印刷
1972年9月25日 発行
235p 図版(モノクロ)3葉 
18×15.6cm 
角背紙装上製本 
貼函 函プラカバー 
定価1,200円
装丁・装画: 司修



本書「あとがき」より:

「これは詩人ギヨーム・アポリネールの異色ある短篇集『異端教祖株式会社』(L'Hérésiarque et Cie, Paris Stock 1910)の全訳である。この訳書はかつて『ヒルデスハイムの薔薇』というリリカルな表題で刊行(角川文庫、一九六〇)されたが、今回新版を出すにあたって原題に復した。」


本書は表紙のみならず天地・小口までまっ黒な瀟洒な造本です。司修氏による別丁コラージュ装画3点収録。


アポリネール 異端教祖株式会社 01


アポリネール 異端教祖株式会社 02


目次:

プラーグで行き逢った男
涜聖
ラテン系のユダヤ人
異端教祖
教皇無謬
神罰三つの物語
魔術師シモン
オトゥミカ
ケ・ヴロ・ヴェ?
ヒルデスハイムの薔薇
ピエモンテ人の巡礼
オノレ・シュブラックの失踪
アムステルダムの船員
徳高い一家庭と負籠と膀胱結石の話
詩人のナプキン
贋救世主アンフィオン

あとがき (窪田般彌)



アポリネール 異端教祖株式会社 03



◆本書より◆


「プラーグで行き逢った男」より:

「かれは答えた。
 ――私はさまよえるユダヤ人です。きっともうそんなこともおわかりになっていたことと思いますが。私はドイツ人どもに呼びすてにされているように、永遠のユダヤ人なのです。私の名前はイサアク・ラケデムです。」
「――あなたが、とぼくはいった。実在する方とは思っていませんでした。あなたの伝説は、さまよえるあなたの人種を象徴しているものと思っていたのです……ぼくはユダヤ人が好きですよ。かれらは楽しそうに放浪していますが、不幸な人が多いんですね……ところで本当なんでしょうか、キリストがあなたを追放したというのは?
 ――そうなんです。でも、そんな話はやめましょう。私は終りも、休みもないこの生活に、今ではすっかり慣れているんです。なにしろ眠ったりすることもないのですからね。私はたえず歩いています。きっと、最後の審判の十五の兆がみえるときまで、歩くことでしょう。しかし、私は十字架の道を歩きません。私の道は幸せなものです。この世にキリストが現存されたことを知っている唯一の不死の証人として、ゴルゴタの丘に大団円をみた神聖な贖罪の劇は事実あったことだ、と人々に私は証言しているのです。それはなんという光栄でしょう! なんという喜びでしょう! だが、私はまた、千九百年来、すばらしい余興を演じてくれた人類の観客でもあります。私の罪は天才の犯した罪です。だから、もう久しく前からそれを悔いたりすることなどはすっかりやめてしまいました。」

「二人は外にでた。前々から気狂いになることを非常に怖れていたぼくは、今、眼の前に狂った自分の姿をみせつけられて、蒼ざめ、やりきれない気持になっていたのだった。」

「――私の一瞬の恋ごころは、一世紀にわたる恋に値するものです。幸せなことに、誰一人として私についてくるものはいませんから、私にはいわゆる嫉妬心が生じてくる、あの世の習いをもつ暇もないのです。さあ、くさるのをおやめなさい! 未来も死もこわがってはいけません。人間は絶対に死ぬというもんじゃありません。一体あなたは、死なないのは私だけだと思っているんですか! エノクや、エリヤや、エンペドクレスや、テュアナのアポロニウスのことを思いだしてみて下さい。ナポレオンが今なおこの世に生きていると信じている人間が、世界中に全くいないでしょうか? また、あの不幸なバヴァリアの国王ルードヴィッヒ二世は! バヴァリア人にきいてごらんなさい。かれらはみんな断言しますよ、気の違った気高い国王は、今も生きていると。だからあなた自身だって、もしかすると死なないかもしれません。」

「ぼくは、かれのがさがさした長い手を握った。
 ――さようなら、さまようユダヤ人、幸せな、いずこの当もない旅人。あなたの楽天主義も大したものですよ。あなたのことを、悔恨にやつれ、憔悴しきったぺてん師などと思っている奴は、気狂いのたぐいですよ。
 ――悔恨ですって! なぜですか? 魂の平和をお保ちなさい。そして悪人になることです。善人どもは、きっとあなたに感謝しますよ。キリストなんてものは! 私はかれを嘲笑してやったんです。だから、かれは私を超人にしたのです。さようなら! ……」



「異端教祖」より:

「というのは、真理は次のようなことだからです。三位一体が三人の人間となり、三つの化肉ができたのです。ただ一人の神から生れた三人の人間が、同じ日に、人類の罪の贖いに必要な受難の苦しみを耐えたのです。右側の盗賊は父なる神でした。そのことは、かれが最愛の子のために、十字架上から投げかけた心遣いにみちみちた言葉によっても、容易に認められることです。かれの一生は悲しく、耐え難きを耐えるものでした。不当にも、誤って賊とみなされた苦しみを耐えたのです。全能の無限の尊厳さをかね具えているのに、かれは一人として弟子をもとうとはしませんでした。神なる二人の盗賊を左右にして死なれたキリストは「言葉」であり、「言葉」であるがゆえに「立法者」だったのです。人間たちへの訓えとして伝えられねばならなかったのは、キリストの言葉と行為であって、それ以外の何ものでもありません。左側の盗賊は聖霊でした。人間となり、恥ずべき人間の愛そのものになろうとした「慰めの主」であり、永遠の愛なのです。だからかれは、まぎれもない盗賊となって、正当に苦しみを耐えたのです。さて、神が人間となったという、この神聖侵すべからざる神秘さについてお話しするならば、それは次のようなわけです。化身された父なる神は、全能の力をわが身に課するために苦しみに耐え、卑下して人にも知られぬよう、話にも語られないようになさったのです。化身された子なる神は、その訓えの真理なことを証し、殉教の範を示そうとして苦しみに耐えたのです。かれは、人間たちの精神を覚醒させるために、不当ではあるが輝かしい苦しみに耐えたのです。かれは人間の最も悪しき弱さを身につけて化身され、人類への憐れみと深い愛から、一切の罪にわが身を委ねたのです。次の歌はこの真理をよく伝えています。

  ゴルゴタの
  三人男
  天国さながら
  三位一体」

「ベネデット・オルフェイと別懇の間柄で、カトリック信者たちが過ちとみなしたかれの邪説を何度か放棄させようとした一司祭が、私に教祖の最後を話してくれた。かれは消化不良のあげく死んだらしかったが、かれの肉体は、オルフェイが自らに課した苦行の跡を示す傷痕で、覆いつくされていたという。それで医者たちも、その死亡理由を、大食のせいにすべきか、苦行のせいにすべきか、と断定しかねた。だが、本当は、教祖もあらゆる人たちと何ら変るところはなかったのだ。なぜなら、人間というものはすべて、罪人にして殉教者でなければ、罪あるものにして聖者にほかならないものなのだから。」



「神罰三つの物語」より:

「美しい踊りで王の眼をしばたたかしめたサロメは、踊りながら死んだ。それは踊り子たちが羨むような不思議な死であった。
 かつてこの女は、ある宴のおりに、一地方総督の邸で、蛇紋岩をはめこんだ大理石のテラスの上で踊った。地方総督はユダヤを去り、ダニューブ川のほとりに面した未開の地方におもむく際に、かの女をつれていった。
 ある冬の一日、凍った河岸をただ一人さまようかの女は、青みがかった氷に心を奪われ、その上を踊りながら突き進んだ。かの女はいつもと変らず、華やかな着物をつけ、身を飾るには、細かな環のついた黄金の鎖をもってした。この鎖は、後に同じようなものをヴェニスの宝石細工人がつくったが、この仕事は三十ぐらいになると人を盲にするというものだった。かの女は長い間、愛や死や狂気を身ぶりに現わして踊った。だが本当のことをいって、かの女の優雅さ美しさのなかには、少しばかり気狂いじみた点がみえた。すんなりとしたからだを操りながら、両の手は何かを指し示しているような振りをしていたのだった。また郷愁にかられでもしたのか、熟れたオリーブが地に落ちるころ、手袋をはめ、しゃがみこんだユダヤのオリーブ採りの女たちの、あのゆったりとした動作を真似るのだった。
 それから、眼をなかば閉じ、ほとんど忘れてしまっていた昔のステップをふんだ。これは、かつてバプティストの首を代償に求めた地獄ゆきの踊りである。突如、足下で氷が割れ、かの女はダニューブ川に、からだは水に浸り、頭だけが、再び近づき結合した氷の上に残るといった具合に落ちこんだ。二た声三声、恐怖の叫びが、重たげに飛び舞う大きな鳥たちを脅かした。そして、この不幸な女が沈黙したとき、頭は斬り落され、銀の皿の上に置かれたように思えた。
 すんだ、冷たい夜がきた。星たちがきらめいていた。野獣どもがまさに死にかけた女の臭いをかぎにきた。かの女は野獣どもをまだ恐怖をもって見つめていた。ついに、最後の努力を払って、地上の牝熊から天上の牝熊座へと眼をむけると、かの女は息をひきとった。
 つやをなくした宝石のように、首は長い間、かの女の周りの、滑らかな氷の上に残っていた。肉食鳥や野獣はこの首を遠慮した。そして冬は過ぎた。踰越祭(すぎこしのいわい)の太陽をあびて氷はとけた。衣裳に飾りたてられ、宝石を鮮やかにつけた肉体が岸に打ち上げられたが、どうしようもないほど腐敗していた。
 何人かのユダヤの律法教師(ラビ)たちは、アダムの魂がモーゼやダビテにも乗り移った、と思っている。私としては次のように信じたいと思う。サロメの魂はエフタの娘の魂を満たし、爾後、一度たりとも休むことなく、スペインに、トルコに、おそらくはダニューブ川流域の諸地方にも、コロ――この淫らなロンドを人はあるいは尻振りダンスと呼ぶかもしれないが――の踊り子の肉体のなかに生きつづけたのだと。」



「オノレ・シュブラックの失踪」より:

「――びっくりしたかね! とかれはいった。しかし、きみには今やっと、なんでぼくがこんな変てこな服装をしているかがわかったろう。でも、ぼくがどうやって、きみの眼の前で完全に消えてしまったかはわからなかったろう。そいつはとても簡単なことさ。擬態現象というやつを考えてくれればいいんだ……自然はやさしき母だ。かの女は自分たちの子供たちのなかで、危険にたえず脅かされ、そのくせ自分を守るにはあまりに弱いものたちに対し、自分をとりまくものと一つになることのできる能力を与えた……でも、きみのことだからこんなことは何でも承知していることだろう。ねえ、そうだろう、蝶は花に似ているし、ある昆虫どもは木の葉と区別がつかない。カメレオンは自分を最もよく隠してくれるものの色になってしまうし、われわれが田畑にみる野兎に劣らず臆病な北極の兎は、一面に氷のはったその地方と同じ白色となるから、逃げるときはほとんど眼にもつかないというわけさ。
 こんなふうに弱い動物たちは、その外貌を変えてしまう器用な本能がそなわっていて、それで敵から脱れることができるのだ。
 そしてね、ぼくもたえず敵に追われているのだ。だがぼくは弱虫で、闘って自分を守ることなんかとてもできないことを知っている。まさにぼくは、あの弱い動物と同じさ。だからぼくは望むときに、とりわけ恐怖を感じたときには、いつでも周囲のものと一体になることができるのだ。
 ぼくがこの本能を始めて用いたのは、もう大分前のことだ。二十五歳のときだったね。女たちからは、ぼくはまあまあ愛想のいい美男子と思われていた。かの女たちの一人は人妻だったが、ぼくに尋常ならぬ厚意をよせてくれるので、ぼくも拒むわけにはいかなくなった。宿命的な関係! ってやつさ……ある晩、ぼくはこの恋人のところにいた。かれの自称亭主はもう数日も家をあけていた。ぼくたちは神々のように裸だった。そのときだ。ドアが突然開いて、亭主がピストルを手にもって、現われたのさ。その恐怖といったら説明できるもんじゃない。ぼくは昔もそうだったが今も臆病だから、ただただ、姿を消してしまいたいというたった一つの願いしかなかったわけだ。壁に背をもたせかけると、壁に溶けこんでしまいたいと願った。するとどうだろう、たちまち思いもよらぬことが実現したのさ。ぼくは壁紙の色になり、手足が自分の思いどおりに驚くほど延びひろがって、ぺちゃんこになったんだ。ぼくは壁と合体し、もう誰もぼくをみることができないような気がした。そいつは本当だった。亭主はぼくを殺してやろうと探しまわっていたんだから。かれからいえば、ぼくの顔をみたんだから、ぼくが逃げだしたなんてことはありえないわけだ。かれは気狂いのようだった。そして、女房にむけて烈しい怒りをぶちまけ、とうとうかの女の頭にピストルの弾を六発ぶちこんで手荒にも殺してしまった。それから絶望したように泣きながらでていった。かれがいってしまうと、ぼくの肉体は本能的に、平生の形と本来の色とにもどった。ぼくは服をつけ、誰もやってこないうちに逃げだすことができた……それ以来というもの、ぼくにはこの擬態現象から生じる幸せな能力をもつことになったのだ。ぼくを殺せなかった亭主は、その仕事を果すことに生涯を賭けた。かれは長い間、世界中をかけめぐってぼくを追いかけている。」



アポリネール 異端教祖株式会社 04





































窪田般彌 『老梅に寄せて』

「老いを知らぬ梅の一生は
いつまでも薔薇色のまま
いささか狼狽の色は隠せない
周章老梅よ」

(窪田般彌 「老梅に寄せて」 より)


窪田般彌 
『老梅に寄せて』


書肆山田
2002年11月20日 初版第1刷
106p 初出・著者紹介3p
21.6×14.6cm 仮フランス装 カバー
定価2,400円+税
装幀: 亜令



本書「あとがき」より:

「『西方の短歌』(一九八四)以後、折にふれて発表した作品がたまったので、ささやかな詩集を編むことにした。」


窪田般彌 老梅に寄せて 01


帯文:

「死がない生活は深刻だ
死がない人生は残酷だ
おお死よ 詩の無限の戯言よ!」



帯裏:

「この世に残るものは何もない
この何もないものが残るだけ」



目次 (初出):

老梅に寄せて (「midnight press」 1999.4)
花虫類奇譚 (「ユリイカ」 1996.9)
魔術師メルランの墓 (「GANIMEDE」 9号/1997.4)
ウソの唄 (「ユリイカ」 1999.7)
緑の死相 (「毎日新聞」 1985.10.16)
秋黄昏 (「朝日新聞」 1988.10.7)
椿 (「朝日新聞」 1983.2.1)
秋海棠 (「岩礁」 92号/1997.9)
日日是口実 (「岩礁」 93号/1997.12)
嬉遊曲 (「ユリイカ」 1998.3)
飛雲抄 (「反世界」 10号/1999)
痴愚神礼賛 (「夏夷」 7号/1999.8)
秋の歌 (「ユリイカ」 1994.3)
サディ氏に寄せる哀歌 (「ユリイカ」 1993.5)
譚詩 (「ユリイカ」 1987.7)
哀悼歌 (「流域」 19/1986.7)
Light Verse (「世界日報」 1985.9.10)
懐疑的なるクリスマス (「詩学」 1987.2)
革命暦 (「現代詩手帖」 1988.9)
虫けら (「詩学」 1985.9)
夏の思い出 (「ぴぃぷる」 1984.7)
清水康雄を送る歌 (「るしおる」 37/1999.6)
哀れなリュトブフ (「現代詩手帖」 1987.4)
養花天 (「駟駱」 1986.7)
世界の寓話 (「本の手帖」 1987.9)
魔につかれて (「朔」 1986.1)
薄暮の旅人 (「GANIMEDE」 22号/2001.8)
戯歌 (「ユリイカ」 2001.12)

あとがき

初出記録――
窪田般彌(くぼたはんや)――



窪田般彌 老梅に寄せて 02



◆本書より◆


「秋黄昏(こうこん)」より:

「世紀病の悲しい秋が
伐採された樹木の霊に取りつかれ
造成された昔の森にやってきた」

「超高層ビルは地上の塵芥(ごみ)よ 文明の墓石だ」

「迷いこんだ木の葉が一枚舞い落ちる
枯葉ふむ足の感触はつねに神秘だ
秋のこころは
愁をはらむ時の色
暗い永遠さながらの」



「椿」より:

「庭園よ 私はお前をつくり直そう
せめて夕暮れから
夜明けまで生きつづけて」



「戯歌」より:

「どこかで砂漏刻(すなどけい)が
無心にこぼれおちている
せわしく非情の時をつっ走る人生よ
またたき一つの
瞬時の現在(いま)とは何なのか

ゆっくりと行け
ゆっくり急げなどと言うな
どこまでもゆっくりだ
這うだけのでんでん虫みたいに
加速知らずのあののろさには無為の魅力がある

世間はやたらに忙しがっている
能率 能力 脳天気 おまけに
急げ急げのファーストフードだ
世界には置きざりにされた賤民たちの
絶望と敵意と恨みとがむき出しになっているのに

のろ間とそしられ
愚かなるロバの如しと笑われても
あわてずにゆっくり行こう
追いぬかれることなんか気にするな
スピードは狂騒社会の罰当りだ

明日は遠い国に旅立つ者には
蝸牛(かぎゅう)ののろさは無冠の無為だ
ゆったりと流れる時に身をまかそう
もくもくとわずかな牧草を反芻している
のんき坊主の牛たちのように」

「さあ ゆっくり行こう 貯めるなら
利息のつかない無為の時を貯えよう
大量生産と消費経済はむなしい蝸角(かかく)の争いだ
おお バラ色の皺腹の
桑原桑原の人生よ!」




◆感想◆


窪田般彌さん最後の詩集である本書は未読だったのでネット古書店で西脇順三郎『近代の寓話』復刻本を注文したついでに650円で売られていた本書も注文しておいたのが届いたので読んでみました。ほぼ新品でした。

そこで本書ですが、「しがない」と「死がない」、脳「軟化」と「南下」のしゃれは、西脇順三郎さんの詩のパクリというか引用です(「脳南下症」に関しては晩年の多田智満子さんもしきりに引用していました)。西脇順三郎の長編詩『壤歌』などと同傾向の、言語遊戯による諧謔を交えての「道化」的立場からの文明批判です(そういえば多田智満子さんの晩年の詩にも文明批判の色が濃いです)。功利的競争社会はわたしもだいきらいですが、だいきらいなものについては考えるのもいやなので、詩にはできればそういうものは入れてほしくないというのがほんとうのところです。




こちらもご参照ください:

『定本 吉田一穗全集 Ⅰ』 (普及版)
















































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うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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