アポリネール 『虐殺された詩人』 窪田般彌 訳 (小説のシュルレアリスム)

アポリネール 
『虐殺された詩人』 
窪田般彌 訳
 
小説のシュルレアリスム

白水社
1975年9月10日 第1刷発行
1975年10月25日 第2刷発行
277p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 
丸背紙装上製本 機械函
定価1,300円
装幀: 野中ユリ



Guillaume Apollinaire: Le Poète Assasiné, 1916


アポリネール 虐殺された詩人 01


目次:

虐殺された詩人
月の王
ジォヴァンニ・モローニ
愛妾
影の出立
死後の婚約者
青い眼
神とみなされた不具者
聖女アドラータ
おしゃべりな回想
混成賭博クラブでのめぐり会い
現代魔術のささやかな処方箋
鷲狩り
アーサー 過ぎた日の王・未来の王
友人メリタルト
仮面の砲兵伍長奇談すなわち蘇生した詩人

解説 (巖谷國士)



アポリネール 虐殺された詩人 03



◆本書より◆


「虐殺された詩人」より:

「オルフェウスと同じく、あらゆる詩人は非業の死をとげかけていた。いたるところで出版人たちは強奪され、詩集は焼かれた。どの町でも虐殺が行なわれた。」

「「たいへんな騒ぎね」とトリストゥーズが言った。「パポナ、あなた詩人なんかじゃないわね。あなたは詩よりもはるかに価値あることをお学びになったわけね。パポナ、あなたはほんのちょっぴりだって詩人なんかじゃないんでしょ?」
 「もちろんそうさ」とパポナが答えた。「おもしろ半分に詩を作ったことはあるけれど、私は詩人じゃないね、立派な実業家さ。財産の管理にかけたら、誰だって私以上に通暁していないよ。」
 「今夜、アデレードの『声』紙にさっそく手紙を出して、そう言ってやんなさいよ。そうしておけば、あなたは難を逃れるわ。」
 「間違いなくそうしよう」とパポナは言った。「ところで、今までに見た人がいるのかね、詩人なんてものを! そいつはクロニアマンタルにふさわしいもんさ。」
 「ほんとにあの人ったら、ブルノで虐殺されちまえばいいのにねえ」とトリストゥーズが言った。」

「詩人は東の方をふり向き、興奮した声でしゃべった。
 「私はクロニアマンタル、現在の詩人のなかで最も偉大な詩人だ。しばしば私は差し向かいで神を見たのだ。私は人間としての自分の眼が和らげ鎮めた神の光輝に耐えた。私は永遠を生きた。しかし、いまや時がきたので、私はここに来て、お前の前に立っているのだ。」
 トグラットはこの最後の言葉を激しい爆笑をもって迎えた。いちばん前の数列にいた群集は、トグラットが笑うのを見て同じように笑った。そして炸裂音、旋転音、顫音のこもごもの笑いがたちまち全下層民に、パポナとトリストゥーズ・バルリネットに伝わりひろがった。みんなの開いた口が、落ち着きを失ったクロニアマンタルに面と向かいあっていた。そうした笑い声につつまれながら人々は叫んだ。
 「水にほうりこめ、詩人野郎!…… 火あぶりだぞ、クロニアマンタル!…… 犬にくれてやれ、月桂樹の情夫め!」

 最前列の太い棍棒をもった一人の男がクロニアマンタルに一撃をあびせると、彼の苦しげな顰(しか)め面はいちだんと群集の笑いを煽(あお)った。上手に投げこまれた一個の石が詩人の鼻に命中し、血がどっと流れ出た。」



「月の王」より:

「すぐにパヴァリア王ルードヴィッヒ二世だと私が気がついたこの男の言葉が高まるにつれて、私はパヴァリアの民衆たちが固く信じている考えが――つまり彼らの不幸な気違い王はスタルンベルグ湖の暗い水底に死んだのではないという考えの正しさを認めるにいたった。」


「神とみなされた不具者」より:

「彼は女に言ってのけた。
 「なれは百万の人間じゃ。あらゆる背丈にしてあまたの顔だ。幼女、生娘、人妻んいして老婆じゃ。現に生き、すでに死したる者、笑って涙し、愛して憎む者じゃ。なれは無にしてすべてなのだ。」
 ある政治家はいかなる政党に共鳴すべきかを知りたいと思った。
 「すべてに共鳴すべし」と永遠の神は答えた。「しかして、いかなる政党にも共鳴すべからず。なぜと申せば、諸政党は影と光のごときもので、何ごとをもってしても変ええず、ともに生きるべきものだからじゃ。」
 ある一人は彼にナポレオンの生涯を語ってきかせた。
 「ボナパルト野郎め!」とジュスタン・クーショは叫んだ。「奴は戦に勝ち、打ち破られ、そしてセント・ヘレナで死ぬことを今もって止めておらぬ。」

 そこで、別の一人がびっくりして死について質問すると、彼は次のように言って、小きざみに跳びはねながら行ってしまった。
 「言葉だ、言葉なんじゃ! どうして死を望まれる? 人はここにいるだけで充分なのだ。人はここに風、雨、雪、ナポレオン、アレキサンダー大王、海、樹木、町、河、山と同じように在るものなのじゃ。」
 このように彼にとっては全世界とあらゆる時代とが、彼の一本しかない手によって正確に奏でられる調律みごとな楽器だった。」



アポリネール 虐殺された詩人 02
































































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アポリネール 『異端教祖株式会社』 窪田般彌 訳

アポリネール 
『異端教祖株式会社』 
窪田般彌 訳


晶文社 
1972年9月20日 印刷
1972年9月25日 発行
235p 図版(モノクロ)3葉 
18×15.6cm 
角背紙装上製本 
貼函 函プラカバー 
定価1,200円
装丁・装画: 司修



本書「あとがき」より:

「これは詩人ギヨーム・アポリネールの異色ある短篇集『異端教祖株式会社』(L'Hérésiarque et Cie, Paris Stock 1910)の全訳である。この訳書はかつて『ヒルデスハイムの薔薇』というリリカルな表題で刊行(角川文庫、一九六〇)されたが、今回新版を出すにあたって原題に復した。」


本書は表紙のみならず天地・小口までまっ黒な瀟洒な造本です。司修氏による別丁コラージュ装画3点収録。


アポリネール 異端教祖株式会社 01


アポリネール 異端教祖株式会社 02


目次:

プラーグで行き逢った男
涜聖
ラテン系のユダヤ人
異端教祖
教皇無謬
神罰三つの物語
魔術師シモン
オトゥミカ
ケ・ヴロ・ヴェ?
ヒルデスハイムの薔薇
ピエモンテ人の巡礼
オノレ・シュブラックの失踪
アムステルダムの船員
徳高い一家庭と負籠と膀胱結石の話
詩人のナプキン
贋救世主アンフィオン

あとがき (窪田般彌)



アポリネール 異端教祖株式会社 03



◆本書より◆


「プラーグで行き逢った男」より:

「かれは答えた。
 ――私はさまよえるユダヤ人です。きっともうそんなこともおわかりになっていたことと思いますが。私はドイツ人どもに呼びすてにされているように、永遠のユダヤ人なのです。私の名前はイサアク・ラケデムです。」
「――あなたが、とぼくはいった。実在する方とは思っていませんでした。あなたの伝説は、さまよえるあなたの人種を象徴しているものと思っていたのです……ぼくはユダヤ人が好きですよ。かれらは楽しそうに放浪していますが、不幸な人が多いんですね……ところで本当なんでしょうか、キリストがあなたを追放したというのは?
 ――そうなんです。でも、そんな話はやめましょう。私は終りも、休みもないこの生活に、今ではすっかり慣れているんです。なにしろ眠ったりすることもないのですからね。私はたえず歩いています。きっと、最後の審判の十五の兆がみえるときまで、歩くことでしょう。しかし、私は十字架の道を歩きません。私の道は幸せなものです。この世にキリストが現存されたことを知っている唯一の不死の証人として、ゴルゴタの丘に大団円をみた神聖な贖罪の劇は事実あったことだ、と人々に私は証言しているのです。それはなんという光栄でしょう! なんという喜びでしょう! だが、私はまた、千九百年来、すばらしい余興を演じてくれた人類の観客でもあります。私の罪は天才の犯した罪です。だから、もう久しく前からそれを悔いたりすることなどはすっかりやめてしまいました。」

「二人は外にでた。前々から気狂いになることを非常に怖れていたぼくは、今、眼の前に狂った自分の姿をみせつけられて、蒼ざめ、やりきれない気持になっていたのだった。」

「――私の一瞬の恋ごころは、一世紀にわたる恋に値するものです。幸せなことに、誰一人として私についてくるものはいませんから、私にはいわゆる嫉妬心が生じてくる、あの世の習いをもつ暇もないのです。さあ、くさるのをおやめなさい! 未来も死もこわがってはいけません。人間は絶対に死ぬというもんじゃありません。一体あなたは、死なないのは私だけだと思っているんですか! エノクや、エリヤや、エンペドクレスや、テュアナのアポロニウスのことを思いだしてみて下さい。ナポレオンが今なおこの世に生きていると信じている人間が、世界中に全くいないでしょうか? また、あの不幸なバヴァリアの国王ルードヴィッヒ二世は! バヴァリア人にきいてごらんなさい。かれらはみんな断言しますよ、気の違った気高い国王は、今も生きていると。だからあなた自身だって、もしかすると死なないかもしれません。」

「ぼくは、かれのがさがさした長い手を握った。
 ――さようなら、さまようユダヤ人、幸せな、いずこの当もない旅人。あなたの楽天主義も大したものですよ。あなたのことを、悔恨にやつれ、憔悴しきったぺてん師などと思っている奴は、気狂いのたぐいですよ。
 ――悔恨ですって! なぜですか? 魂の平和をお保ちなさい。そして悪人になることです。善人どもは、きっとあなたに感謝しますよ。キリストなんてものは! 私はかれを嘲笑してやったんです。だから、かれは私を超人にしたのです。さようなら! ……」



「異端教祖」より:

「というのは、真理は次のようなことだからです。三位一体が三人の人間となり、三つの化肉ができたのです。ただ一人の神から生れた三人の人間が、同じ日に、人類の罪の贖いに必要な受難の苦しみを耐えたのです。右側の盗賊は父なる神でした。そのことは、かれが最愛の子のために、十字架上から投げかけた心遣いにみちみちた言葉によっても、容易に認められることです。かれの一生は悲しく、耐え難きを耐えるものでした。不当にも、誤って賊とみなされた苦しみを耐えたのです。全能の無限の尊厳さをかね具えているのに、かれは一人として弟子をもとうとはしませんでした。神なる二人の盗賊を左右にして死なれたキリストは「言葉」であり、「言葉」であるがゆえに「立法者」だったのです。人間たちへの訓えとして伝えられねばならなかったのは、キリストの言葉と行為であって、それ以外の何ものでもありません。左側の盗賊は聖霊でした。人間となり、恥ずべき人間の愛そのものになろうとした「慰めの主」であり、永遠の愛なのです。だからかれは、まぎれもない盗賊となって、正当に苦しみを耐えたのです。さて、神が人間となったという、この神聖侵すべからざる神秘さについてお話しするならば、それは次のようなわけです。化身された父なる神は、全能の力をわが身に課するために苦しみに耐え、卑下して人にも知られぬよう、話にも語られないようになさったのです。化身された子なる神は、その訓えの真理なことを証し、殉教の範を示そうとして苦しみに耐えたのです。かれは、人間たちの精神を覚醒させるために、不当ではあるが輝かしい苦しみに耐えたのです。かれは人間の最も悪しき弱さを身につけて化身され、人類への憐れみと深い愛から、一切の罪にわが身を委ねたのです。次の歌はこの真理をよく伝えています。

  ゴルゴタの
  三人男
  天国さながら
  三位一体」

「ベネデット・オルフェイと別懇の間柄で、カトリック信者たちが過ちとみなしたかれの邪説を何度か放棄させようとした一司祭が、私に教祖の最後を話してくれた。かれは消化不良のあげく死んだらしかったが、かれの肉体は、オルフェイが自らに課した苦行の跡を示す傷痕で、覆いつくされていたという。それで医者たちも、その死亡理由を、大食のせいにすべきか、苦行のせいにすべきか、と断定しかねた。だが、本当は、教祖もあらゆる人たちと何ら変るところはなかったのだ。なぜなら、人間というものはすべて、罪人にして殉教者でなければ、罪あるものにして聖者にほかならないものなのだから。」



「神罰三つの物語」より:

「美しい踊りで王の眼をしばたたかしめたサロメは、踊りながら死んだ。それは踊り子たちが羨むような不思議な死であった。
 かつてこの女は、ある宴のおりに、一地方総督の邸で、蛇紋岩をはめこんだ大理石のテラスの上で踊った。地方総督はユダヤを去り、ダニューブ川のほとりに面した未開の地方におもむく際に、かの女をつれていった。
 ある冬の一日、凍った河岸をただ一人さまようかの女は、青みがかった氷に心を奪われ、その上を踊りながら突き進んだ。かの女はいつもと変らず、華やかな着物をつけ、身を飾るには、細かな環のついた黄金の鎖をもってした。この鎖は、後に同じようなものをヴェニスの宝石細工人がつくったが、この仕事は三十ぐらいになると人を盲にするというものだった。かの女は長い間、愛や死や狂気を身ぶりに現わして踊った。だが本当のことをいって、かの女の優雅さ美しさのなかには、少しばかり気狂いじみた点がみえた。すんなりとしたからだを操りながら、両の手は何かを指し示しているような振りをしていたのだった。また郷愁にかられでもしたのか、熟れたオリーブが地に落ちるころ、手袋をはめ、しゃがみこんだユダヤのオリーブ採りの女たちの、あのゆったりとした動作を真似るのだった。
 それから、眼をなかば閉じ、ほとんど忘れてしまっていた昔のステップをふんだ。これは、かつてバプティストの首を代償に求めた地獄ゆきの踊りである。突如、足下で氷が割れ、かの女はダニューブ川に、からだは水に浸り、頭だけが、再び近づき結合した氷の上に残るといった具合に落ちこんだ。二た声三声、恐怖の叫びが、重たげに飛び舞う大きな鳥たちを脅かした。そして、この不幸な女が沈黙したとき、頭は斬り落され、銀の皿の上に置かれたように思えた。
 すんだ、冷たい夜がきた。星たちがきらめいていた。野獣どもがまさに死にかけた女の臭いをかぎにきた。かの女は野獣どもをまだ恐怖をもって見つめていた。ついに、最後の努力を払って、地上の牝熊から天上の牝熊座へと眼をむけると、かの女は息をひきとった。
 つやをなくした宝石のように、首は長い間、かの女の周りの、滑らかな氷の上に残っていた。肉食鳥や野獣はこの首を遠慮した。そして冬は過ぎた。踰越祭(すぎこしのいわい)の太陽をあびて氷はとけた。衣裳に飾りたてられ、宝石を鮮やかにつけた肉体が岸に打ち上げられたが、どうしようもないほど腐敗していた。
 何人かのユダヤの律法教師(ラビ)たちは、アダムの魂がモーゼやダビテにも乗り移った、と思っている。私としては次のように信じたいと思う。サロメの魂はエフタの娘の魂を満たし、爾後、一度たりとも休むことなく、スペインに、トルコに、おそらくはダニューブ川流域の諸地方にも、コロ――この淫らなロンドを人はあるいは尻振りダンスと呼ぶかもしれないが――の踊り子の肉体のなかに生きつづけたのだと。」



「オノレ・シュブラックの失踪」より:

「――びっくりしたかね! とかれはいった。しかし、きみには今やっと、なんでぼくがこんな変てこな服装をしているかがわかったろう。でも、ぼくがどうやって、きみの眼の前で完全に消えてしまったかはわからなかったろう。そいつはとても簡単なことさ。擬態現象というやつを考えてくれればいいんだ……自然はやさしき母だ。かの女は自分たちの子供たちのなかで、危険にたえず脅かされ、そのくせ自分を守るにはあまりに弱いものたちに対し、自分をとりまくものと一つになることのできる能力を与えた……でも、きみのことだからこんなことは何でも承知していることだろう。ねえ、そうだろう、蝶は花に似ているし、ある昆虫どもは木の葉と区別がつかない。カメレオンは自分を最もよく隠してくれるものの色になってしまうし、われわれが田畑にみる野兎に劣らず臆病な北極の兎は、一面に氷のはったその地方と同じ白色となるから、逃げるときはほとんど眼にもつかないというわけさ。
 こんなふうに弱い動物たちは、その外貌を変えてしまう器用な本能がそなわっていて、それで敵から脱れることができるのだ。
 そしてね、ぼくもたえず敵に追われているのだ。だがぼくは弱虫で、闘って自分を守ることなんかとてもできないことを知っている。まさにぼくは、あの弱い動物と同じさ。だからぼくは望むときに、とりわけ恐怖を感じたときには、いつでも周囲のものと一体になることができるのだ。
 ぼくがこの本能を始めて用いたのは、もう大分前のことだ。二十五歳のときだったね。女たちからは、ぼくはまあまあ愛想のいい美男子と思われていた。かの女たちの一人は人妻だったが、ぼくに尋常ならぬ厚意をよせてくれるので、ぼくも拒むわけにはいかなくなった。宿命的な関係! ってやつさ……ある晩、ぼくはこの恋人のところにいた。かれの自称亭主はもう数日も家をあけていた。ぼくたちは神々のように裸だった。そのときだ。ドアが突然開いて、亭主がピストルを手にもって、現われたのさ。その恐怖といったら説明できるもんじゃない。ぼくは昔もそうだったが今も臆病だから、ただただ、姿を消してしまいたいというたった一つの願いしかなかったわけだ。壁に背をもたせかけると、壁に溶けこんでしまいたいと願った。するとどうだろう、たちまち思いもよらぬことが実現したのさ。ぼくは壁紙の色になり、手足が自分の思いどおりに驚くほど延びひろがって、ぺちゃんこになったんだ。ぼくは壁と合体し、もう誰もぼくをみることができないような気がした。そいつは本当だった。亭主はぼくを殺してやろうと探しまわっていたんだから。かれからいえば、ぼくの顔をみたんだから、ぼくが逃げだしたなんてことはありえないわけだ。かれは気狂いのようだった。そして、女房にむけて烈しい怒りをぶちまけ、とうとうかの女の頭にピストルの弾を六発ぶちこんで手荒にも殺してしまった。それから絶望したように泣きながらでていった。かれがいってしまうと、ぼくの肉体は本能的に、平生の形と本来の色とにもどった。ぼくは服をつけ、誰もやってこないうちに逃げだすことができた……それ以来というもの、ぼくにはこの擬態現象から生じる幸せな能力をもつことになったのだ。ぼくを殺せなかった亭主は、その仕事を果すことに生涯を賭けた。かれは長い間、世界中をかけめぐってぼくを追いかけている。」



アポリネール 異端教祖株式会社 04





































窪田般彌 『老梅に寄せて』

「老いを知らぬ梅の一生は
いつまでも薔薇色のまま
いささか狼狽の色は隠せない
周章老梅よ」

(窪田般彌 「老梅に寄せて」 より)


窪田般彌 
『老梅に寄せて』


書肆山田
2002年11月20日 初版第1刷
106p 初出・著者紹介3p
21.6×14.6cm 仮フランス装 カバー
定価2,400円+税
装幀: 亜令



本書「あとがき」より:

「『西方の短歌』(一九八四)以後、折にふれて発表した作品がたまったので、ささやかな詩集を編むことにした。」


窪田般彌 老梅に寄せて 01


帯文:

「死がない生活は深刻だ
死がない人生は残酷だ
おお死よ 詩の無限の戯言よ!」



帯裏:

「この世に残るものは何もない
この何もないものが残るだけ」



目次 (初出):

老梅に寄せて (「midnight press」 1999.4)
花虫類奇譚 (「ユリイカ」 1996.9)
魔術師メルランの墓 (「GANIMEDE」 9号/1997.4)
ウソの唄 (「ユリイカ」 1999.7)
緑の死相 (「毎日新聞」 1985.10.16)
秋黄昏 (「朝日新聞」 1988.10.7)
椿 (「朝日新聞」 1983.2.1)
秋海棠 (「岩礁」 92号/1997.9)
日日是口実 (「岩礁」 93号/1997.12)
嬉遊曲 (「ユリイカ」 1998.3)
飛雲抄 (「反世界」 10号/1999)
痴愚神礼賛 (「夏夷」 7号/1999.8)
秋の歌 (「ユリイカ」 1994.3)
サディ氏に寄せる哀歌 (「ユリイカ」 1993.5)
譚詩 (「ユリイカ」 1987.7)
哀悼歌 (「流域」 19/1986.7)
Light Verse (「世界日報」 1985.9.10)
懐疑的なるクリスマス (「詩学」 1987.2)
革命暦 (「現代詩手帖」 1988.9)
虫けら (「詩学」 1985.9)
夏の思い出 (「ぴぃぷる」 1984.7)
清水康雄を送る歌 (「るしおる」 37/1999.6)
哀れなリュトブフ (「現代詩手帖」 1987.4)
養花天 (「駟駱」 1986.7)
世界の寓話 (「本の手帖」 1987.9)
魔につかれて (「朔」 1986.1)
薄暮の旅人 (「GANIMEDE」 22号/2001.8)
戯歌 (「ユリイカ」 2001.12)

あとがき

初出記録――
窪田般彌(くぼたはんや)――



窪田般彌 老梅に寄せて 02



◆本書より◆


「秋黄昏(こうこん)」より:

「世紀病の悲しい秋が
伐採された樹木の霊に取りつかれ
造成された昔の森にやってきた」

「超高層ビルは地上の塵芥(ごみ)よ 文明の墓石だ」

「迷いこんだ木の葉が一枚舞い落ちる
枯葉ふむ足の感触はつねに神秘だ
秋のこころは
愁をはらむ時の色
暗い永遠さながらの」



「椿」より:

「庭園よ 私はお前をつくり直そう
せめて夕暮れから
夜明けまで生きつづけて」



「戯歌」より:

「どこかで砂漏刻(すなどけい)が
無心にこぼれおちている
せわしく非情の時をつっ走る人生よ
またたき一つの
瞬時の現在(いま)とは何なのか

ゆっくりと行け
ゆっくり急げなどと言うな
どこまでもゆっくりだ
這うだけのでんでん虫みたいに
加速知らずのあののろさには無為の魅力がある

世間はやたらに忙しがっている
能率 能力 脳天気 おまけに
急げ急げのファーストフードだ
世界には置きざりにされた賤民たちの
絶望と敵意と恨みとがむき出しになっているのに

のろ間とそしられ
愚かなるロバの如しと笑われても
あわてずにゆっくり行こう
追いぬかれることなんか気にするな
スピードは狂騒社会の罰当りだ

明日は遠い国に旅立つ者には
蝸牛(かぎゅう)ののろさは無冠の無為だ
ゆったりと流れる時に身をまかそう
もくもくとわずかな牧草を反芻している
のんき坊主の牛たちのように」

「さあ ゆっくり行こう 貯めるなら
利息のつかない無為の時を貯えよう
大量生産と消費経済はむなしい蝸角(かかく)の争いだ
おお バラ色の皺腹の
桑原桑原の人生よ!」




◆感想◆


窪田般彌さん最後の詩集である本書は未読だったのでネット古書店で西脇順三郎『近代の寓話』復刻本を注文したついでに650円で売られていた本書も注文しておいたのが届いたので読んでみました。ほぼ新品でした。

そこで本書ですが、「しがない」と「死がない」、脳「軟化」と「南下」のしゃれは、西脇順三郎さんの詩のパクリというか引用です(「脳南下症」に関しては晩年の多田智満子さんもしきりに引用していました)。西脇順三郎の長編詩『壤歌』などと同傾向の、言語遊戯による諧謔を交えての「道化」的立場からの文明批判です。功利的競争社会はわたしもだいきらいですが、だいきらいなものについては考えるのもいやなので、詩にはできればそういうものは入れてほしくないというのがほんとうのところです。



















































窪田般彌 訳 『フランス現代詩29人集』

「私は死ぬまで、そこにじっとしているだろう。」
(アンリ・ミショー 「迷える人間」 より)


窪田般彌 訳 
『フランス現代詩29人集』

Anthologie des vingt-neuf poètes français contemporains

思潮社 
1984年7月1日 増補第1刷
1986年6月1日 第2刷発行
335p 目次12p 
21×14cm 並装 カバー
定価2,400円



本書「あとがき」より:

「訳詩集『フランス現代詩十九人集』を最初に出したのは一九六五年であったが、のちに改訂増補版として『フランス現代詩二十六人集』(一九七六)を刊行した。
このたび、(中略)新たに三人の詩人(ファルグ、サティ、アポリネール)を加え、プレヴェールとクノーを増補して三たびフランス現代詩の訳詩集を世に送ることにした。
番外として、西脇順三郎『Une Montre Sentimentale』から三篇を選んだ。」



フランス現代詩29人集


帯背:

「音楽と思想を包みこむ
美しいポエジイの宇宙」



内容:

ジャック・プレヴェール
 花と花冠
 家族のもの
 恋人よ お前のために
 花束
 庭園
 春の大舞踏会(抄)
ルネ・シャール
 にぎりしめた拳
 森が……であるためには
 笊屋の恋びと
 ピレネー
 A***
 変らぬこころ
 細心な女
 アントナン・アルトー
 きみはよく出かけた、アルチュール・ランボーよ
 アルベルト・ジャコメッティ
 美しい建物と予感
 高麗鶯
 眠りの神の書
 恋をするとかげの哀歌
 雨燕(マルチネ)
 マルト
レイモン・クノー
 詩法のために
 もしも人生去るものならば
 厳かな歌
 もしもお前が思うなら
ジャン・フォラン
 十月の思い
ポール・エリュアール
 花
 魚
 貧しいもの
ロベール・ドラエ
 夜会服をきた夜
クロード・ヴィジェ
 希望の石
マルセル・ベアリュ
 金魚鉢
アラン・ボルヌ
 ぼくには如何なる視線も……
アンリ・ミショー
 海
 犬の生活
 ぼろ屑
 占領
 簡素なこと
 迫害
 眠る
 怠惰
 コンクリートで固められた者
 幸福
 内部の小心者
 慎重な男
 怒り
 迷える人間
 わが領土
 呪い
 さらに変化を
 ベッドにて
 桟橋
 叫ぶ
 病人たちへの助言
 呪われた者
 魔術
 聖者
 病人の気晴らし
 意志の力
 また一人の不幸者が
 射影
 干渉
ジャン・ブルトン
 街のなかで
ピエール・オステル
 第一の詩篇
アンドレ・デュ・ブーシェ
 氷河
ジャック・オーディベルティ
 突風の歌
 シャンソン
 三本マスト
ロベール・デスノス
 サン・マルタン街の唄
 ペリカン
 最後の詩篇
 愛なき夜ごとの夜
イヴ・ボンヌフォワ
 庭園
 いま一つの死の岸辺
 見張をする者
 神明審判
 聖なる女(ヴェネランダ)
 一晩中
 真の名前
アラン・ボスケ
 主人オブジェ
 ジャン・タルディユ
 三段論法
 変形譚
 会話
 ムッシュウ私
フランシス・ポンジュ
 雨
 秋の終り
 蝋燭
 牡蛎
 もやに包まれ樹木は解体する
 季節循環
 かたつむり
トリスタン・ツァラ
 シャンソン・ダダ
 接近
 わが闇の偉大なる嘆きぶし(III)
アンドレ・ブルトン
 麦わらのシルエット
 ひまわり
 いつもはじめて
ジャン・コクトー
 青の神秘
 天使の髪の毛
 海の底の春
 楽しみを味わいすぎると……
 僕は海をながめる
ピエール・ジャン・ジューヴ
 エレーヌ
 一枚の絹に
サン・ジョン・ペルス
 いまは構わないでほしい
 鐘
 三つの大きな季節の上に
 歌
ピエール・ルヴェルディ
 風と精神
 いつもひとりで
 線と形象
 露天のもと
 パリのクリスマス
 厳しい生活
 待っているもの
 眼の前の世界
ジャン・ポール・サルトル
 ブラン=マントー通り
レオン・ポール・ファルグ
 潜水人形
 ブロンズの彫像
エリック・サティ
 三つの恋愛詩
ギヨーム・アポリネール
 僕は思うお前のことを
 お前の眼の
 僕がかなたで戦死したなら
 ある
 とてもいとおしい僕のルウよ
 僕のいとしい心よ
 恋に悩んだ一羽の鶯
 牡丹の花びら
 ルウ 僕の薔薇
 最も魅力的なあの場所に
 やがて八月も
 あめがふる
 刺し殺された鳩と噴水
西脇順三郎
 生誕の日
 旅人
 哀歌

詩人たち
あとがき




◆本書より◆


アラン・ボルヌ
「ぼくには如何なる視線も……」より:

「ぼくには如何なる視線も注がれないことが好ましい
どんな眼もぼくの傷を手当できないのだから。」



アンリ・ミショー
「ぼろ屑」より:

「人はもはや私を世の中に招いてはくれない。」
「私のような人間は、隠者として生きなければならない。その方がいいのだ。」


「迷える人間」より:

「私は死ぬまで、そこにじっとしているだろう。」

「わが領土」より:

「この領土はわが唯一の領土で、私はそこに幼年時代から住んでいる。私はこう言うことができる、これ以上に貧しい領土の持主はまずおるまいと。」

「さらに変化を」より:

「この世には多くの動物、植物、鉱物がある。私はすでに、何回となくそのすべてになった。しかし、経験は私に役立ちはしない。私は三十二回もアンモニウムの水塩化物になったが、いまもなお砒素のように振舞う傾向がある。犬にも何度かなったが、夜鳥の仕草がつねに突入してくる。
私が何かものを見るとき、あの極めて特殊な感情を味わわないことは稀だ……《ああ、そうだ、私はあれだったんだな……》と。私は正確には思い出さないが、感じるのだ。(そんなわけだから、私は絵入りの百科辞典が大好きだ。私はページをめくり、さらにめくる。そして、しばしば満足感を味わう。というのは、そこには私がまだならなかった数多くの存在物の写真があるからだ。それらは私を休ませる。何とも快い。私は呟く。《私はこれにもなれたはずだ。これは、こいつは私をいたわってくれた。》私は慰みの溜息をつく。おお! 休息よ!)」


「聖者」より:

「確かに、私には生きる可能性があったはずだ! だが、あんなところに追いつめられて生きるのは、それこそ耐えられないことだ。」


フランシス・ポンジュ
「かたつむり」より:

「ひとりぽっち。そう、かたつむりは勿論ひとりぽっちである。(中略)だが、かれの幸せには友などは必要でない。かれは自然に、じつにぴったりと貼りついている。全く申し分ないほど、身近に自然を享受している。かれは、己の全身をもって接吻する地面の友であり、葉っぱの友なのだ。また、あんなにも感情的な眼の玉を輝かせ、あんなにも誇らかに昂然と頭をむける、あの大空の友なのだ。気高さ、のろさ、賢こさ、誇り、虚栄、尊大。」
「このように、かれらはすべて、悔いることのない全く主観的なやり方で自己表現をするものたちである。そして、ただ痕跡を残すだけで満足し、あれこれと見積りをした堅固な住居のような自分の表現を、構築したり、形づくったりしようなどと少しも思っていない。自分たちより恒久的な表現のことなどは考えてもいないのだ。
恐らくかれらは、その必要を感じないのだろう。かれは芸術家、つまり芸術作品の製造者――というよりは、むしろ主人公、その存在そのものが芸術作品である生きものなのだ。」
「だが、一体どういうわけで聖者なのか。それは、自分たちの自然にきちんと従っているということに他ならない。だから、先ずお前自身を知れ。そして、あるがままのお前を認めよ。お前の欠点と和合せよ。お前の尺度と釣合いをとれ。」



西脇順三郎
「哀歌」より:

「人間は最も惨めなものである」
































































窪田般彌 『幻影のフランス ― ロココから二十世紀へ』

「人間の営みといっても、ヴェネツィアの場合、それは勤勉とか生真面目を意味しない。サド侯爵は十八世紀を規定して「完全に堕落した世紀」と言ったが、ヴェネツィアの人間にとって、「仕事をしに行く」とは「快楽を探しに行く」と同義語である。」
(窪田般彌 「ヴェネツィア幻視行」 より)


窪田般彌 
『幻影のフランス
― ロココから二十世紀へ』


小沢書店 
1993年11月20日 初版発行
216p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,266円(本体2,200円)



本書「あとがき」より:

「以前にエッセー集『ロココと世紀末』(一九七八年、青土社)を出したが、その後に書いた私の文章も、いささか偏愛的な十八世紀から今世紀初頭にいたる詩人、作家、風俗、都市に関するものが多い。世紀末の詩人レニエは、彼が愛する往時のヴェネツィアを「幻覚の地」と呼んだが、私もまた関心を持った異国の土地の幻視行をしていたのかもしれない。」


窪田般彌 幻影のフランス 01


帯文:

「偏愛的ヨーロッパ論
十八世紀ロココ、〈雅びやかな宴〉の時代からアポリネールの二十世紀へ。ヴェネツィアやブリュージュなど、都市と風俗、そしてモーツァルト、ラフォルグらの詩・芸術をめぐる、幻視のなかのヨーロッパ。」



帯背:

「ロココから今世紀へ
都市と風俗、詩・芸術
偏愛的ヨーロッパ論」



窪田般彌 幻影のフランス 03


目次:

雅びやかな宴――ワトーとロココの夢 (「is」 第19号 1982年12月)
下着のイマージュ (「is」 第37号 1987年9月)
ドン・フワン伝説 (小学館 『モーツァルト全集』 第14巻 1993年3月)
ヴェネツィア幻視行 (白水社 『モーツァルト 十八世紀への旅』 第3巻 1984年10月)
非合理世界への出発――フランスの幻想文学I (白水社 『フランス幻想文学傑作選』 第1巻 1982年12月)
ロマン派の狂熱と幻想――フランスの幻想文学II (白水社 『フランス幻想文学傑作選』 第2巻 1983年2月)
ジュール・ラフォルグ 一八八〇年の落伍者 (早稲田大学 「比較文学年誌」 1984年3月)
死都ブリュージュ (集英社 『世紀末の美と夢』 第5巻 1986年11月)
アポリネール 1908~1912 (早稲田大学 「文学研究科紀要」 第27輯 1981年3月)
ミラボー橋の恋――ローランサンとアポリネール (白水社 『フランス文学にみる愛のかたち』 1986年4月)

あとがき
初出一覧



窪田般彌 幻影のフランス 02



◆本書より◆


「雅びやかな宴」より:

「だが、面白いことに、ジャン・アントワーヌ・ワトーはこうした時代の雰囲気とはおよそ無縁な人間だった。彼は「雅びやかな宴」の優雅と洗練を歌う詩人画家として時代のパイオニアとなったが、生まれは粋なパリっ子などではなく、ベルギー国境に近い北フランスの町ヴァランシエンヌの大工職人の息子だった。」
「ワトーは一七〇二年頃、殆ど一文無しでパリに出てきた。そして、そこでありついた仕事は僅かな報酬で描く模写であった。彼の伝記にははっきりしない部分が多いが、致死の病となった結核に取りつかれたのは、毎日スープばかり飲んで暮したこの時代のことであろうと推定されている。」
「あくまでも彼は観察者にすぎない。あれほど美しいロココ女性を描いた彼が、生涯を独身で送り、これといった女性関係のエピソードが一つも残されていないのは、ゴンクール兄弟の言う、「十八世紀が呼吸し、それによって養育され、生命を与えられた悦楽」とは実人生において極めて縁遠かったことの証明となろうか。」
「フランドル生まれのワトーは、北方人特有の内省的で、暗い人間であったらしい。」



「ヴェネツィア幻視行」より:

「十八世紀のヴェネツィアは、頽廃の極みに達した快楽の都であった。従って、ごろつき、詐欺師、悪漢、不良の類(たぐい)の天国であったとしても少しも不思議ではない。
 サン・サムエーレ座のしがないヴァイオリン弾きだった二十歳のヴェネツィア人ジャック・カザノヴァも、その頃は生活も荒れに荒れ、まさに正真正銘のごろつきの一人だった。」
「カザノヴァとその仲間たちは、夜中に市中を徘徊し、頭に思いつくかぎりの悪業と無作法の数々を、人の迷惑も考えずに実行した。
 例えば、個人の家々の岸辺につないであるゴンドラの纜(ともづな)を解いて楽しんだ。また、しばしば産婆をたたき起こし、しかじかの女がお産だからと嘘をついて送り出した。かつがれた産婆は、出向いた家の女たちから気違い扱いされた。同じようなことは医者たちにもなされ、開業医たちはしばしば安眠をさまたげられた。街々を歩きまわっては、家々の戸口にぶらさがっている鈴の紐を手当り次第に切っていった。非常に暗い夜には、一種の記念碑である大理石の大きな盤をひっくり返そうとした。鐘楼のなかに入りこめる場合には、全教区中に早鐘で火事だと警鐘を鳴らしたり、鐘という鐘の綱を断ち切ったりした。
 こうした夜の狼藉を遠慮なくやってのけるカザノヴァは、どうにも手がつけられない愚連隊の一員だった。
 だが、この程度の悪業は、当時の大学生も公然とやっていたことでもある。」
「要するに、しがないヴァイオリン弾き時代に、カザノヴァが夜な夜な行なっていた乱暴狼藉などは、(中略)爛熟しきったヴェネツィアのような国際都市に当然生まれてくる頽廃現象であろう。こうした頽廃現象を危険きわまりないものと言ってしまえばそれまでだが、だからといってヴェネツィア市民の生活が不安に冒されていたわけではない。治安はむしろよかったと言うべきであろう。」
「ヴェネツィアは(中略)パリとともに、生きる喜びを最も味わうことのできた土地であった。」


























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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