柴田宵曲 『新編 俳諧博物誌』 小出昌洋 編 (岩波文庫)

龍の落ちし畑見に行くや雲の峯 几董


柴田宵曲 
『新編 俳諧博物誌』 
小出昌洋 編

岩波文庫 緑/31-106-4

岩波書店 
1999年1月18日 第1刷発行
347p 編集付記・表記について1p
文庫判 並装 カバー 
定価600円+税
カバーカット: 「鳥獣画巻」より



「本書の編集について」より:

「本書『新編 俳諧博物誌』は、『俳諧博物誌』(日本古書通信社、昭和五十六年八月二十三日刊)に、新たに七篇を加えて編集した。」


柴田宵曲 俳諧博物誌


カバー文:

「兎ならちと出て遊べ月の中/蒲公英やローンテニスの線の外――兎、猫、雀、狸、金魚、鶴、蒲公英、コスモスなど動植物17のテーマでよまれた俳諧をとりあげ、博識で知られる著者ならではの評釈を加えた俳諧随筆。ルナールの『博物誌』にヒントを得て、俳諧の中の動植物の世界をみごとに浮かびあがらせた名著。」


目次:

はしがき




河童








金魚


蒲公英
コスモス

解説 (奥本大三郎)
本書の編集について (小出昌洋)




◆本書より◆


「はしがき」より:

「はじめてジュウル・ルナアルの『博物誌』を読んだ時、これは俳諧の畠(はたけ)にありそうなものだと思った。『博物誌』からヒントを得たらしい芥川龍之介の「動物園」の中に、
     雀
  これは南画だ。蕭蕭(しょうしょう)と靡(なび)いた竹の上に、消えそうなお前が揚(あが)っている。黒ずんだ字を読んだら、大明方外之人(たいみんほうがいのひと)としてあった。
とあるのを読んだ後、『淡路嶋』に
   枯蘆(かれあし)の墨絵に似たる雀かな  荊花(けいか)
という句を発見して、その偶合に興味を持ったことがある。古今の俳句の中から、こういう俳人の観察を集めて見たら、日本流の博物誌が出来上るであろうが、今のところそんな事をやっている暇がない。」
「俳諧におけるこの種の観察は、元来一部的な傾向である。(中略)やはり擬人とか、見立(みたて)とかいう平凡な言葉で片付けられやすい。(中略)仮に陳腐を嫌って、一々新意を出すとしても、その新しさが観察の範囲を脱却し得ぬとすれば、俳諧の大道にはやや遠いものといわなければならぬ。」
「「俳諧博物誌」と銘打ったのは、決してルナアル的観察に終始するわけではない。これを冒頭として各方面にわたる俳句の世界を一瞥しようというので、フランスの『博物誌』とは縁の遠いものになりそうである。」



本書掲載句より:

「鳶の啼く日の淋(さび)しさよ草の花  士朗」

「龍の落ちし畑見に行くや雲の峯  几董」

「書を干(ほし)て龍と添寝の鼾かな  沾徳」

「足入(いれ)て龍の夢見る清水かな  其角」

「春の海鯛の腸(はらわた)ながしけり  笙洲」

「戸を敲(たた)く狸と秋を惜みけり  蕪村」

「狸かもしらず夏野を行(ゆく)坊主  千畦」

「夕顔に狸の出(いず)る小雨(こさめ)かな  賀瑞」

「こがらしや宙にぶらりと狸の火  随古」

「春雨に雀かぞゆる夕部(ゆうべ)かな  如嬰」

「狼に喰はれてかへれ山桜  許六」

「こがらしや狼原をいづる月  五明」

「日暮るやうさぎの耳の動く時  搓雀」

「猫の尾の何うれしいぞ春の夢  賢明」

「猫の子のくんづほぐれつ胡蝶かな  其角」

「鼠にもやがてなじまん冬籠  其角」

「もらひ来る茶碗の中の金魚かな  鳴雪」

「蒲公英に狐の遊ぶ昼間かな  柳絮」







































































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柴田宵曲 『続 妖異博物館』 (ちくま文庫)

「一たび仙界の空気を呼吸して来た彼は、遂に人間が厭になり、五穀を食うのをやめ、足の向くままに山へ入ってしまった。」
(柴田宵曲 「地中の別境」 より)


柴田宵曲 
『続 妖異博物館』
 
ちくま文庫 し-25-2

筑摩書房 
2005年8月10日 第1刷発行
345p+1p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,000円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 神田昇和


「『続 妖異博物館』(昭和三十八年七月、青蛙房刊)を底本とし、原則として仮名遣いは現代仮名遣いに、常用漢字は新字体に改め、適宜ルビを補った。但し、引用等の文語文については歴史的仮名遣いのままとした。」



本書「はしがき」より:

「尤も続篇と云ったところで、話の続きでないのは勿論、話の方角も大分変っている。前巻にも支那の話を引合いに出さぬことはなかったが、今度はその色彩がよほど強く、時には支那を主にしたのではないかと思われる箇所が出て来た。日本の話にしても、前巻の主流であった江戸時代より、少し遡ったところに話題を求めた。」


柴田宵曲 続妖異博物館


カバー裏文:

「空を飛ぶ話、羅生門類話、離魂病、白猿伝、化鳥退治など、奇譚の数々を集めた『妖異博物館』続篇では、日本の古典のみならず中国の志怪にまで範囲を広げ、様々な怪異を取り上げる、動物変身譚や竜宮譚について比較考証を試み、怪異の系譜をたどってシェイクスピアやアポリネエル、『アラビアン・ナイト』にまで話は及ぶ。まさに融通無碍、博覧強記の不思議物語集。」


目次:

はしがき


月の話
大なる幻術
雷公
雨乞い
鎌鼬
空を飛ぶ話
地中の別境
地中の声


宿命
火災の前兆
家屋倒壊
卒塔婆の血
経帷子
井の底の鏡
五色筆
難病治癒
診療綺譚
髑髏譚
眼玉
首なし
ノッペラポウ
首と脚


竜宮類話
羅生門類話
妖魅の会合
雨夜の怪
死者の影
離魂病
壁の中
吐き出された美女
関屋の夢
大和の瓜
死者生者
朱雀の鬼
樹怪
くさびら


仏と魔
信仰異聞
押手聖天
金銀の精
名剣
不思議な車
樽と甕
埋もれた鐘
巌窟の宝
打出の小槌
茶碗の中
金の亀
木馬


竜に乗る
竜の変り種
虎の皮
馬にされる話
牛になった人
白猿伝
猿の妖
狐の化け損ね

鵺になった人
化鳥退治
大魚

魚腹譚
胡蝶怪

銭と蛇

あとがき (青蛙房主人)

解説 不思議の国の宵曲 (西崎憲)




◆本書より◆


「月の話」より:

「王(おう)先生なる者が烏江(うこう)のほとりに住んで居った。(中略)長慶(ちょうけい)年間に楊晦之(ようかいし)という男が長安から呉楚に遊ぶ途中、かねてこの人の名を聞いていたのでその門を敲(たた)いた。先生は黒い薄絹の頭巾を被り、褐色の衣を著けて悠然と几(つくえ)に向っている。晦之が再拝して鄭重に挨拶しても、軽く一揖(いちゆう)するのみであった。併し晦之を側に坐らせての暢談(ちょうだん)は容易に尽きそうにもないので、晦之は一晩泊めて貰うことになった。先生の娘というのが出て来たが、七十ばかりで頭髪悉(ことごと)く白く、家の中でも杖をついている。これはわしの娘じゃが、惰(なま)け者で道を学ばぬものじゃから、こんな年寄りになってしまった、と云い、娘を顧みて月の用意をせよと命じた。この日は八月十二日であったが、暫くして娘が紙で月の形を切り、東の垣の上に置くと、夕べに至り自ら光りを発し、室内はどんな小さなものでもはっきり見えるので、晦之は驚歎せざるを得なかった。」

「周生(しゅうせい)は唐の太和(たいわ)中の人で、(中略)道術を以て多くの人の尊敬を集めた。或時広陵(こうりょう)の舎仏寺に居ると、これを聞いた人が何人も押しかけて来る。恰(あたか)も中秋明月の夜であったから、皎々(こうこう)と澄み渡る月を見て、自(おのずか)ら月世界の話になり、吾々のような俗物でも、月世界に到ることが出来るでしょうか、と云い出した者があった。周生は笑って、その事ならわしも師に学んだことがある、月世界に到るどころではない、月を袂(たもと)に入れることが出来る、(中略)と云った。或者はこれを妄言とし、或者はその奇を喜ぶ中に、周生は委細構わず、一室を空虚にし、四方から固く戸を鎖(とざ)し、数百本の竹に縄梯子を掛けさせ、わしは今からこの縄梯子を上って月を取って来る、わしが呼んだら来て御覧、と云う。人々は庭を歩きながら様子を窺っていると、先刻まで晴れていた空が忽ち曇り、天地晦冥(かいめい)になって来た。その時突如として周生の声が聞こえたので、室の戸を明けたところ、彼はそこに坐っていて、月はわしの衣中に在る、と云う。どうかその月をお見せ下さい、と云われて、周生が衣中の月をちょっと見せると、一室は俄かに明るくなり、寒さが骨に沁み入るように感ぜられた。」



「大なる幻術」より:

「唐の貞元(じょうげん)中、楓州(ふうしゅう)の市中に術をよくする妓が現れた。どこから来た人かわからぬけれど、自ら胡媚児(こびじ)と称し、いろいろ奇怪の術を見せるので、これを見物する人が次第に集まるようになり、一日の収入千万銭に及ぶということであった。或時懐ろから一つの瑠璃(るり)瓶を取り出した。大きさは五合入りぐらいのもので、全体が透き通り、手品師のよく云うように、種も仕掛けもないものであったが、胡媚児はこれを席上に置いて、これが一杯になるだけ御棄捨(ごきしゃ)が願えれば結構でございます、と云った。瓶の口は葦(あし)の管のように細かったに拘らず、見物の一人が百銭を投ずると、チャリンと音がして中に入り、瓶の底に粟粒ぐらいに小さく見える。皆不思議がって、今度は千銭を投じても前と変りがない。万銭でも同じである。好事の人が次ぎ次ぎに出て、十万二十万に達しても、瓶は一切を呑却して平然としている。馬はどうだろうと云って投げ込む者があったが、人も馬も瓶の中に入り、蠅のような大きさで動いて居った。その時官の荷物を何十台という車に積んで通りかかる者があり、暫く立ち止って見ているうちに、大いに好奇心が動いたらしく、胡媚児に向って、この沢山の車を皆瓶の中に入れ得るか、と問うた。媚児は笑って、よろしゅうございますと云い、少し瓶の口をひろげるようにした。その口から車はぞろぞろと入って行き、全部中に在って蟻のように歩くのが見えたが、暫くして何も目に入らなくなった。そればかりではない、媚児までが身を躍らして瓶の中に飛び込んでしまったから、ぼんやり口を明いて見物していた役人は驚いた。何十台の荷物が一時に紛失しては申訳が立たぬ。直ちに棒を振って瓶を打ち砕いたが、そこには何者もなかった。媚児の姿もその辺に現れないと思っていると、一箇月余りの後、清河(せいが)の北で媚児を見かけた者がある。彼女は例の数十台の車を指揮し、東に向って進んでいたということであった。」


「眼玉」より:

「唐の粛宗(しゅくそう)の時、尚書郎房集(しょうしょろうぼうしゅう)が頗(すこぶ)る権勢を揮(ふる)っていた。一日暇があって私邸に独坐していると、十四五歳の坊主頭の少年が突然家の中に入って来た。手に布の嚢(ふくろ)を一つ持って、黙って主人の前に立っている。房ははじめ知り合いの家から子供を使いによこしたものと思ったので、気軽に言葉をかけたけれど、何も返事をしない。その嚢の中に入っているのは何だと尋ねたら、少年は笑って、眼玉ですと答えた。そうして嚢を傾けたと思うと、何升もある眼玉がそこら中に散らばった。」


「離魂病」より:

「夫婦のうち妻が先ず起き、次いで夫も起きて出た。暫くして妻が戻って来ると、夫は寝床の中に眠っている。夫が起き出たことを知らぬ妻は、別に怪しみもせずにいると、下男が来て鏡をくれという夫の意を伝えた。旦那はここに寝ているではないかと云われて驚いた下男は、寝床の中の主人を見て、慌てて駈け出した。下男の報告によって来て見た夫も、自分と全く違わぬ男の眠っているのにびっくりした。夫は皆に騒いではいけないと云い、衾(ふすま)の上から静かに撫でているうちに、寝ていた男の姿はだんだん薄くなり、遂に消えてしまった。この夫はその後一種の病気に罹(かか)り、ぼんやりした人間になったそうである。」

「「奥州波奈志(ばなし)」に「影の病」として書いてあるのは明かに離魂病である。北勇治という人が外から帰って来て、自分の居間の戸を明けたところ、机に倚(よ)りかかっている者がある。(中略)暫く見守っているのに、髪の結いぶりから衣類や帯に至るまで、まさに自分そのものである、(中略)不思議で堪らぬので、つかつかと歩み寄って顔を見ようとしたら、向うむきのまま障子の細目に明いたところから縁側に出た。併し追駈けて障子を開いた時は、もう何も見えなかった。この話を聞いて母親は何も云わず眉を顰(ひそ)めたが、勇治はその頃からわずらい出し、年を越さずに亡くなった。北の家ではこれまで三代、自分の姿を見て亡くなっている。」

「衡州(こうしゅう)の役人であった張鎰(ちょういつ)に二人の娘があって、長女は早く亡くなったが、下の娘の倩(せん)というのは端妍(たんけん)絶倫であった。鎰の外甥に王宙(おうちゅう)なる者があり、これがまた聡悟なる美少年であったから、鎰も折りに触れては、今に倩娘(せんじょう)をお前の妻にしよう、などと云って居った。二人とも無事に成長し、お互いの志は自ら通うようになったが、家人はこれを知らず、鎰は賓僚(ひんりょう)から縁談を持ち込まれて、倩をくれることを承知してしまった。女はその話を聞いて鬱々となり、宙は憤慨の余り京へ出る。(中略)然(しか)るに宙は船に乗ってからも、悲愁に鎖(とざ)されて眠り得ずに居ると、夜半の岸上を追って来る者がある。遂に追い付いたのを見れば、倩娘が跣足(はだし)であとから駈けて来たのであった。(中略)宙は倩娘を船に匿(かく)して遁れ去ることにした。数月にして蜀(しょく)に到り、五年の月日を送るうちに、子供が二人生れた。鎰とはそのまま音信不通になっていたのであるが、(中略)久しぶりに手を携えて衡州に帰る。宙だけが鎰の家を訪れて、一部始終を打ち明け、既往の罪を謝したところ、鎰は更に腑に落ちぬ様子で、倩娘は久しいこと病気で寝ている、何でそんなでたらめを云うか、と頭から受け付けない。宙は宙で、そんな筈はありません、慥(たし)かに船の中に居ります、と云う。鎰が大いに驚いて、人を見せに遣ると、船中の倩娘は至極のんびりした顔で、いろいろ父母の安否を尋ねたりする。使者が飛んで帰ってこの旨を報告したら、病牀の娘は俄かに起き上り、化粧をしたり、著物を著替えたりしたが、笑っているだけで何も云わない。奇蹟はここに起るので、船から迎えられた倩娘と、病牀から起き上った倩娘とは、完全に合して一体となり、著ていた著物まで全く同じになってしまった。(中略)神仙の徒が人を修行に誘う場合、青竹をその人の丈(たけ)に切って残して置くと、家人などは本人の居らぬのに気が付かぬという話がある。倩娘の本質は宙のあとを追って去り、形骸だけが病牀に横わっていたものであろう。



「壁の中」より:

「「列仙全伝」の中の麻衣仙姑(まいせんこ)は石室山(せきしつさん)に隠れ、家人達がその踪跡を探し求めても、容易に突き留めることは出来なかった。ところが或日石室山に於て偶然出会った者があり、その棲家を問うと、一言も答えずに壁のように突立った岩石の中に入ってしまった。」
「世を遁れ人目を避ける点は同じであるが、麻衣仙姑とオノレ・シュブラックとでは動機が違う。オノレ・シュブラックの恐れるのはピストルを持った一人に過ぎぬに反し、仙姑はあらゆる人の目から自分を裹(つつ)み去ろうとする。罪を犯した者と仙を希う者との相違である。」



「吐き出された美女」より:

「許彦(きょげん)という男が綏安山(すいあんざん)を通りかかると、路傍に寝ころんでいた年の頃二十歳ばかりの書生が声をかけて、どうも足が痛くて堪らない、君の担いでいる鵞鳥の籠の中に入れて貰えぬか、と云った。彦も笑談(じょうだん)半分によろしいと答えたら、書生は直ぐ乗り込んで来た。籠には鵞鳥が二羽入れてあったのだが、そこへ書生が加わっても一向に狭くならず、担ぐ彦に取って重くもならぬのである。やがて一本の木の下に来た時、書生は籠から出て、この辺で昼飯にしようと云い、大きな銅の盤を吐き出した。盤の中には山海の珍味がある。酒数献廻ったところで、書生が彦に向い、実は婦人を一人連れているのだが、ここへ呼び出して差支えあるまいか、と云う。彦は異議の唱えようがない。忽ち口から吐き出したのは十五六ぐらいの絶世の美人であった。そのうちに書生は酔払って眠ってしまう。今度はその美人が、実は男を一人連れて居りますので、ちょっとここへ呼びたいのです、どうか何も仰しゃらないで下さい、と云い出した。女の吐き出したのは似合いの美少年で、先ず彦に一応の挨拶をした後、盃を挙げてしきりに飲む。たまたま書生が目を覚ましそうな様子を見せたので、女は錦の帳(とばり)を吐いて隔てたが、愈々(いよいよ)本当に起きそうになるに及んで、先ず美少年を呑却し、何事もなかったように彦に対坐している。書生はおもむろに起きて、大分お暇を取らせて済まなかった、そろそろ夕方になるからお別れしよう、と云い、忽ち女を呑み、大銅盤を彦に贈って別れ去った。」


「死者生者」より:

「「夷堅志」に出て来る李吉(りきつ)という男は、死んでから十年もたってもとの主人に逢い、一緒に酒を飲んだりしている。彼の説によると、幽霊は随所に見出すことが出来るので、あれもそうです、これもそうですと云って指摘した。(中略)「宣室志」にある呉郡の任生(じんせい)なども、この鑑別の出来る人であった。或時二三人の友人と舟を泛(うか)べて虎丘寺(こきゅうじ)に遊んだが、その舟の中で鬼神の話になり、鬼は沢山いても人が識別出来ぬのだ、と任生は云った。そうして岸を歩いている青衣の婦人を指し、あれも鬼だが、抱いている子供はそうじゃない、と説明した。」


「魚腹譚」より:

「銭塘(せんとう)の杜子恭(としきょう)が人から瓜を切る刀を借りた。後に持ち主が返して貰いたいと云ったら、あれはそのうち返すよ、と答えた。刀の持ち主が嘉興(かこう)まで行った時、一尾の魚が躍って船中に入ったので、その腹を割いたら子恭に貸した刀が出て来た。これは子恭の秘術であると「捜神後記」に見えている。」































































柴田宵曲 『妖異博物館』 (ちくま文庫)

「英雄の武力、権謀術数が何の威力も発揮し得ぬのが、左慈とか、果心居士とかいう人達の住む世界なのである。」
(柴田宵曲 「果心居士」 より)


柴田宵曲 
『妖異博物館』
 
ちくま文庫 し 25-1

筑摩書房 
2005年8月10日 第1刷発行
338p+1p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,000円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 神田昇和


「『妖異博物館』(昭和三十八年一月、青蛙房刊)を底本とし、仮名遣いは現代仮名遣いに、常用漢字は原則として新字体に改め、適宜ルビを補った。但し、引用等の文語文については歴史的仮名遣いのままとした。」



柴田宵曲 妖異博物館


カバー裏文:

「『甲子夜話』『耳嚢』など、江戸時代の随筆から不思議な話を蒐集・分類した怪異大百科。舟幽霊、轆轤首、人魂、化け猫、河童、怪石など、様々な怪異を取り上げながら、その筆はあくまで軽く、ある時は『今昔物語』の昔へ遡り、あるいは明治へと下って綺堂や八雲、鏡花作品の典拠を指摘する。簡潔にして含蓄ある語り口が味わい深い、奇譚アンソロジーの決定版!」


目次:

はしがき


化物振舞
大入道
一つ目小僧
轆轤首
舟幽霊
人身御供
再度の怪
夢中の遊魂
人魂
異形の顔
深夜の訪問
ものいう人形
ものいう猫
怪火
狸の火


地上の竜
大猫
猫と鼠
化け猫
狐の嫁入り
狐と魚
狸の心中
狸囃子
狸の書
猿の刀・狸の刀
鼠妖
大鳥
白鴉
うわばみと犬
河童の力
河童の薬
河童の執念
海の河童
百足と蛇
古蝦蟇
蜘蛛の網
守宮の釘
大鯰
妖花
茸の毒


果心居士
飯綱の法
命数
外法
鼠遁
山中の異女
乾鮭大明神
人の溶ける薬
煙草の効用
適薬
秋葉山三尺坊
天狗と杣
天狗の姿
天狗になった人
天狗(慢心)
天狗の誘拐
天狗の夜宴
天狗の爪
手を貸す


光明世界
生霊
小さな妖精
執念の転化
気の病
形なき妖
道連れ
大山伏
そら礫
消える灯
夜光珠
異玉
化物の寄る笛
持ち去られた鐘
行厨喪失
銭降る
猫の小判
雁の財布
夜著の声
古兜
古枕
木像読経
斬られた石
動く石
魚石
提馬風
風穴

赤気

あとがき (青蛙房主人)

解説 アンソロジスト宵曲 (東雅夫)




◆本書より◆


「はしがき」より:

「小川芋銭(うせん)氏は「芋銭子開七画冊」の序に於て「図中往々怪を描くものあり、是(これ)予が癖にして実に東洋民族の癖なり。縁由(えんゆう)する処は老樹浮藻廃瓜水蟲狐獺の類、則(すなはち)自然物体中より其(その)妖氛(ようふん)魅形を捕捉し来る。惟(おも)ふに宇宙間虚霊遊動して予が方寸を誘(みち)びくものか」と云った。著者が平生読書の際、妖異に対して感ずる興味の如きも、やはり東洋民族の脈管を流れる血の致すところかも知れぬ。柳宗元(りゅうそうげん)の「竜城録」によれば、「昏夜(こんや)鬼(き)を談ずるなかれ、鬼を談ずれば則ち怪至る」というのであるが、深夜明るい電燈の下にインクの滴々より成った本書には、そういう虞(おそ)れは万々ない事と信ずる。」


「舟幽霊」より:

「生月(いきつき)というところの鯨組の親方に道喜という者があった。はじめ舟乗りをしていた頃、或夜舟端に白いものが何十も取り付いたので、よく見れば子供のような細い手である。」
「人吉(ひとよし)侯の侍医であった佐藤宗隆という人は、江戸へ出る船中で舟幽霊を見た。播州(ばんしゅう)舞子(まいこ)の浜あたりは、こういう事の稀なところであるが、その夜は陰火が海面を走って怪しく見えた。ほどなく大きさ四尺余りもある海月(くらげ)のようなものが漂って来て、その上に人の形をした者が居り、船頭に向って何か云いかけそうに見えた。」



「異形の顔」より:

「鈴木桃野(とうや)の祖父に当る向凌という人が若い時分に、独り書斎に坐っていると、忽然として衣冠を着けた人が桜の枝から降りて来た。(中略)衣冠を着けた人などが、この辺に居る筈がない。固(もと)より天から降るべき筈もないから、心の迷いでこんなものが見えるのであろうと、暫く目を閉じてまた開けば、官人は次第に降りて来る。目を閉じては開くこと三四度、遂に縁側のところまで来て、縁端に手をかけた。」

「越中、飛騨、信濃(しなの)三国の間に入り込んだ四五六谷というところがある。神通(じんずう)川を遡り、またその支流を尋ねて行くのに、甚だ奥深くて、これを究め得た者がない。近年飛騨舟津(ふなつ)の者が二人、三日分の食糧を準備して川沿いに行って見たが、その食糧も乏しくなったので、魚を釣って食うことにして、なお幾日か分け入った。或時ふと同行者の魚を釣っている顔を見ると、全く異形の化物である。思わず大きな声で呼びかけたので、魚を釣っている男が振向いたが、その男の眼には此方の男の顔が異形に変じている。お互いに異形に見える以上、この地に変りがあるに相違ないと、急いでそこを逃げ出し、大分来てから見合せた顔は、もう平常に戻って居った。思うにこの谷は山神の住所で、人の入ることを忌み嫌って、こういう変を現したものと解釈し、その後は奥深く入ることをやめたが、飛騨の高山(たかやま)の人の話によれば、それは山神の変ではない、山と谷との光線の加減で、人の顔の異形に見えることがある、飛騨のどこかに人の往来する谷道で、人の顔が長く見えるところがあるが、その谷を行き過ぎると常の通りになる、この道を通い馴れぬ人はびっくりするけれども、所の人は馴れて何とも思っていない、ということであった。」



「猫と鼠」より:

「「閑窓瑣談(かんそうさだん)」にあるのは遠州御前崎(おまえざき)の話で、西林寺(さいりんじ)という寺の和尚が或年暴風の際、舟の板子(いたご)に乗って流れて来る子猫があったのを、わざわざ小舟を出して救い寺中に養う。十年ほどたって、猫は附近に稀れな逸物の大猫になり、この寺には鼠の音を聞くこともなかった。西林寺は住職と寺男だけという簡素な寺であったが、或時寺男が縁端でうたた寝をしていると、猫も傍に来て庭を眺めている。そこへ隣りの家の猫がやって来て、日和もよし、伊勢参りをせぬかと声をかける。寺の猫がそれに答えて、わしも参りたいが、この節は和尚様の身の上に危い事があるので、外へは出られぬ、と云う。隣りの家の猫は寺の猫の側近く進んで、何やらささやくものの如くであったが、二疋はやがて別れた。寺男は夢うつつの境で、この猫の問答を聞いたのである。その夜本堂の天井に恐ろしい物音が聞える。折ふし雲水の僧が止宿して居ったのに、この物音が聞えても、一向起きて来ない。(中略)夜が明けて後、天井から生血が滴るので、近所の人を雇い、寺男と共に天井裏を見させたところ、寺の猫は朱(あけ)に染まって死んで居り、隣りの猫も半ば死んだようになっていた。更に驚いたのは、それより三四尺隔てて、二尺ばかりもある古鼠の、毛は針を植えたようなのが倒れていることであった。(中略)猫はいろいろ介抱して見たが、二疋とも助からなかった。」


「化け猫」より:

「佐藤成裕(しげひろ)は「中陵漫録(ちゅうりょうまんろく)」に猫の話をいくつも書いているが、その中に禅僧から聞いたという化け猫の話がある。猫好きの婆さんがあって、猫を三十疋も飼っている。猫が死ねば小さな柳行李(やなぎごうり)に入れて棚に上げ、毎日出して見てはまた棚へ上げて置く。この事已(すで)に尋常でないが、この婆さんは白髪で、猫のような顔をしていたそうである。後に人に殺され、半日ほどして老猫に変った。」


「大鳥」より:

「ある雪の明け方、新城(しんじょう)の農民が近くの山へ炭焼きに行くと、向うの山にいつも見たことのない大木が、二本並んで立っている。上に物があって、大きな翼を搏って上るのを見れば、前に大木と思ったのは鳥の両脚であったというのである。」


「茸の毒」より:

「普請をする家があって、黄姑茸を煮て職人に食べさせることにした。時に屋上に在って瓦を葺(ふ)く者が、ふと下を見れば、厨(くりや)には誰も居らず、釜の中で何かぐつぐつ煮えている。忽ち裸の子供がどこからか現れて、釜を繞(めぐ)って走っていたが、身を躍らして釜中に没した。やがて主人が運んで来たのは茸の料理である。屋根屋ひとり食わず、他人に話もしなかったが、食べた連中は皆死んだ。」


「果心居士」より:

「果心居士の話は「義残後覚(ぎざんこうかく)」に書いてあるのが古いらしい。伏見(ふしみ)に勧進能があった時、果心居士も見に来たが、已(すで)に場内一杯の人で入る余地がない。これはこの人達を驚かして入るより外はないと考えた居士は、諸人のうしろに立って自分の頤(おとがい)をひねりはじめた。居士の顔は飴細工の如く、見る見るうちに大きくなったから、傍にいる人はびっくりして、これは不思議だ、この人の顔は今までは人間並だったが、あんなに細長くなってしまったと、皆立ちかかって見る。遂に居士の顔は二尺ぐらいになった。世にいう外法頭(げほうがしら)というのはこれだろう、後の世の語り草に是非見て置かなければならぬと、誰れ彼れなしに居士の顔を見物に来る。能の役者まで楽屋を出て見に来るに至ったので、居士は忽ちその姿を消し、人々茫然としている間に座席を占め、十分に能を見物することが出来た。
 果心居士は長いこと広島に住んでいたが、そこの町人から金銀を大分借りた。そうして一銭も返済せずに京へ来てしまったので、町人はひどく腹を立てた。その後町人も京へ上ることがあって、鳥羽(とば)の辺でばったり果心居士に出逢うと、口を極めて居士を罵倒する。借金をしたのは事実だから、一言の申し開きもしなかったが、居士は例の如く自分の頤をひねりはじめた。今度は伏見の能見物の時と違って、顔の横幅が広くなって、目は丸く鼻は高く、向う歯が一杯に見える、世にも不思議な顔になってしまった。町人もいささか驚いていると、居士はすましたもので、拙者はこれまであなたにお目にかかったことがござらぬが、何でそのように心易げに申さるるか、と反問した。町人が見直すまでもなく、全く別の顔だから、まことに卒爾(そつじ)を申しました、と平あやまりにあやまって別れて行った。」
「「義残後覚」に出ている話は(中略)大体に於て悪戯の程度にとどまっているが、元興寺(がんごうじ)の塔へどこからか上って、九輪の頂上に立ち、著物を脱いで打ち振い、やがてもとの通り著て、頂上に腰掛けたまま四方を眺めている「玉箒木(たまはばき)」の話になると、大分放れたところが出て来る。或晩奈良の手飼町の或家で、客を四五人呼んで酒宴を開いた時、客の中に果心居士をよく知った者が居って、頻(しき)りに幻術の妙をたたえたところ、それなら居士をこの座へ招き、吾々の見ている前で幻術をさせて下さい、お話ほどの事もありますまい、と少し疑惑を懐(いだ)く者もあった。はじめに居士の話をした者が出て行って、間もなく居士と一緒に戻って来たが、その時少し疑惑を持つ一人が進み出て、(中略)どうか私の身について奇特をお見せ下さい、と云った。居士は笑って、(中略)座中の楊枝を手に執り、その人の上歯を左から右へさらさらと撫でた。上歯は一遍にぶらぶらして、今にも脱け落ちそうになったので、その人大いに驚き悲しみ、恐れ入りました、御慈悲にもとのようにして下さい、と歎願に及ぶ。(中略)再びかの楊枝で右から左へ撫でると、歯はひしひしと固まって、もとの通りになった。人々今更の如く感歎し、とてもの事に今夜この座敷で、すさまじい幻術をお見せ下さい、子々孫々までの話の種に致します、と所望する。お易い事と呪文を唱え、座敷の奥の方を扇を揚げて麾(まね)けば、どこからか大水が涌き出して、座敷にあるほどの物が全部流れはじめた。水は忽ちに座敷に充ち満ち、逃げようにも逃げられなくなったところへ、十丈ばかりもある大蛇が、(中略)波を蹴立ててやって来る。皆々水底に打ち伏し、溺れ死んだと思ったが、翌日人に起されて座敷を見れば、平生と変ったところは何もない。」
「その頃大和(やまと)の多門(たもん)城には、松永弾正久秀(だんじょうひさひで)が居住して居った。果心居士の噂を聞いてこれを招き、(中略)自分はこれまで幾度となく戦場に臨み、刃を並べ鉾(ほこ)を交うる時に至っても、終(つい)に恐ろしいと思った事がない、その方幻術を以て自分を脅すことが出来るか、と尋ねた。居士はこれに答えて、畏りました、然(しか)らば近習の人も退け、刃物は小刀一本もお持ちなされず、灯も消していただきとうございます、と云う。久秀はその通り人を遠ざけ、大小の刀を渡し、真暗な中にただ一人坐っていると、居士はついと座を立ち、広縁を歩いて前栽(せんざい)の方へ出て行った。俄かに月が曇って雨が降り出し、風蕭々として、さすがの松永弾正も何だか心細くなって来た。どうしてこんな気持になったかと怪しみながら、じっと暗い外を見ているうちに、誰とも知らず広縁に佇む人がある。細く痩せた女の髪を長く揺り下げたのが、よろよろと歩いて来て、弾正に向って坐ったけはいなので、思わず何者じゃと声をかけた。その時女大息をつき、苦しげな声で、今夜はお寂しゅうございましょう、見れば御前に人さえなくて、と云うのは、五年前に病死した妻女の声に紛れもない。弾正もここに至って我慢出来なくなり、果心居士はどこに居る、もうやめい、と叫ばざるを得なかった。件(くだん)の女は忽ち居士の声になって、これに居りまする、と云う。もとより雨などは降らず、皎々(こうこう)たる月夜であった。」



「命数」より:

「鯰江(なまずえ)六太夫という笛吹きがあった。国主の秘蔵する鬼一管という名笛は、この人以外に吹きこなす者がないので、六太夫に預けられたほどの名人であったが、何かの罪によって島へ流された。(中略)ひそかにこの鬼一管を携え、日夕笛ばかり吹いて居った。然(しか)るにいつ頃からか、夕方になると、必ず十四五歳の童が来て、垣の外に立って聞いている。雨降り風吹く時は、内に入って聞くがよかろう、と云ったので、その後はいつも入って聞くようになった。或夜の事、一曲聞き了(おわ)った童が、こういう面白い調べを聞きますのも今宵限りという。不審に思ってその故を問うと、私は実は人間ではありません、千年を経た狐です、ここに私のいることを知って、勝又弥左衛門という狐捕りがやって参りますから、もう逃れることは出来ません、という返事であった。そこで六太夫が、知らずに命を失うならともかくも、それほど知っていながら死ぬこともあるまい。弥左衛門が嶋にいる間、わしが匿まってやろう、と云ったけれども、狐は已(すで)に観念した様子で、ここに置いていただいて助かるほどなら、自分の穴に籠っても凌(しの)がれますが、弥左衛門にかかっては神通を失いますので、命を失うと知っても近寄ることになるのです、今まで笛をお聞かせ下さいましたお礼に、何か珍しいものを御覧に入れましょう、と云い出した。それでは一の谷の逆落しから源平合戦の様子が見たい、と云うと、お易い事ですと承知し、座中は忽ち源平合戦の場と変じた。」


「異玉」より:

「江戸の亀井戸に住む大工の何某が、夏の夜涼みに出たら、どこからか狐が一疋出て来た。その狐が手でころばすようにすると、ぱっと火が燃え出る。不思議に思って様子を窺えば、火の燃える明りで虫を捕るらしい。狐は虫を捕ることに夢中になって、近くに人がいるのを忘れ、別に避けようともせぬので、手許へ玉のころがって来たのを、あやまたず掴む。狐は驚いて逃げ去った。玉は真白で自ら光を放つ。夜人の集まった時など、この玉を取り出してころがすと、ぱっと火が燃えて、付木(つけぎ)なしに明りの用を弁ずる。大工は大いに重宝して、二年ばかり所持して居ったが、その間一疋の狐が大工の身に附き添って、昼夜とも離れない。年を経るに従い、大工も痩せ衰えて来た。多分この玉の祟りだろうと皆に云われるので、漸(ようや)く玉を返そうと思う心が起り、或夜闇の中に投げ遣った。狐は忽ち躍り上ってこれを取り返し、大工の方は何事もなかった。」




こちらもご参照ください:

『日本随筆大成 〈第一期〉 18』 世事百談 閑田耕筆 ほか
『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』 杉浦明平 訳 (岩波文庫)




















































森銑三・柴田宵曲 『書物』 (岩波文庫)

「冬の日曜日など、二人して窓からトタン葺(ぶき)の屋根へ出て、日向(ひなた)ぼっこしながら本を読んだ。K君の蔵書には、『漱石全集』なども揃(そろ)っていた。(中略)何にも煩わされずに書物に親しむことの出来たその頃は、私にはやはり楽しい時代だったといわれそうである。」
(森銑三 「読んだ書物の思出」 より)


森銑三
柴田宵曲 
『書物』

岩波文庫 緑/31-153-1

岩波書店
1997年10月16日 第1刷発行
1998年7月6日 第3刷発行
342p 編集付記・表記について2p
文庫判 並装 カバー 
定価660円+税
カバーカット: 『江戸名所図会』より



本書「編集付記」より:

「本書は最初、現代生活群書の一冊として一九四四(昭和十九)年、白揚社より刊行された。そして、戦後、一九四八(昭和二十三)年、初版より「贈られた書物・贈る書物」の一篇を削除、(中略)十六篇を増補して刊行された。本書ではこれらすべてを収録した。」
「本書の底本には左記のものを用いた。
 森銑三『書物の周囲』(研文社、一九八八年)
 柴田宵曲『柴田宵曲文集』第八巻(小澤書店、一九九四年)」



新字・新かな。


森銑三ほか 書物


カバー文:

「生涯を書物研究に捧げた森銑三(1895―1985)、柴田宵曲(1897―1966)の両碩学が、書物、読書、出版について長年の薀蓄を傾けた随想集。真っ向からこれらのテーマに切り込む森銑三に対し、淡々とその楽しみを語る柴田宵曲と、文章は対照的であるが、その端ばしに「書物への愛」があふれている。」


目次:

はしがき (森銑三)
増訂版序文 (森銑三)

甲篇 (森銑三)
 「書物」という書物
 書物に対する心持
 書物過多の現状
 良書とは何ぞや
 著述家
 出版業者
 書肆以外からの出版物
 出版機構の欠陥
 良書の識別
 ラジオと著述家
 良書の推薦
 書評
 書物の量
 書名
 序跋
 装幀
 木版本と写本
 流布本と珍本
 古本屋・即売会
 蒐書
 書物の離散
 書物の貸借
 贈られた書物・贈る書物
 図書館
 児童図書
 青年図書
 辞書・参考書
 叢書・全集
 書目
 素人の手に成った書物
 見る書物
 形の大小
 不完全
 著者から見た自著
 出でずにしまった書物
 問題の書物
 誤植
 読んだ書物の思出
 探出した書物
 雑誌
 まだ見ぬ書物
 見ることを得た書物
 手がけた書物
 私の欲する書物
 書巻の気
 出版記念会
 結び―書物愛護の精神

乙篇 (柴田宵曲)
 書物と味覚
 辞書
 写本
 珍本
 書名
 書斎
 読む場所
 読書と発見
 書物の記憶
 貸借
 欲しい書物
 蔵書家
 愛書家
 蒐書家気質
 二度買う場合
 自著
 広告文
 売行
 序文
 挿画
 書物の大小
 断簡
 書物の捜索
 古本の露肆
 貸本屋
 書物を題材とした作品
 書物の詩歌
 焼けた書物
 書物と人間

解説 (中村真一郎)




◆本書より◆


森銑三「著述家」より:

「なおこの著述家という名目であるが、これには何やら職業的な匂(におい)の伴うものがあって好ましからぬ。書物を拵える技術ばかりを心得て、著述ということを安価に考え、ただ技術的な手腕に依ってつぎつぎと書物を拵えて、それで生活して行こうとする職業的な著述家などというものは、甚だ以てありがたからぬ。
 技術的には拙(つたな)くても、私等はむしろ職業的な著述家以外の人々の手に成った書物を見たい。越後(えちご)の良寛(りょうかん)は、書家の書と、詩人の詩と、料理人の料理とを嫌(きら)いなものに数えた。その中には著述家の著述も加えられそうである。
 一口に著述家という内にも、大いに尊敬に値する人と価しない人と、あるいはかえって軽蔑(けいべつ)に価する人とがあるわけである。多く売れた書物、評判になった書物の著者が尊敬に値する人で、売れなかった、問題にもせられなかった書物の著者が軽蔑に値する人だなどとはいわれない。かえってその反対の場合もあろう。著述家という内にも種々雑多な人がいる。私等に何人が真に尊敬に値する著述家か、その一事に注意を払うべきである。世間の評判などには捉われずに、己の眼を以てそれを知ろうと努むべきである。」



森銑三「出版業者」より:

「出版界のみとは限らぬが、儲けさえすれば成功したのだという考え方は、あまりに浅ましい。たとい損はしても、失敗はしても、良書は世に送り出して、それが天下後世を益するものだったら、己の懐(ふところ)は肥えなくても、時にはために痛手を負うても、出版業者として立派に成功したのだ。そういう信念で仕事してくれる人が出て来てくれたら、いかばかりか頼もしいことだろう。かようなことをいったら、すぐにその下から、私たちも食って行かなくてはなりません、といわれそうであるが、一人前の男が、ただ口を糊(のり)して行くという一事のために貴重な一生を棒に振ってしまおうとしているのは、決して褒(ほ)めたこととはいわれまい。
 まず儲けて置いて、それからほんとうによいものを出して、理想の実現を期します、という態度の業者もいそうな気がする。しかしその通りに実行した実例は存外乏しいのではなかろうか。十も二十も悪いことをして、罪業(ざいごう)消滅のために一つか二つだけ善(よ)いことをして、それで涼しい顔をしようとするのはあまりに虫が善(よ)過ぎる。(中略)そうした意味の出版物も時に見かけないではないが、その出版物の内容がいかによいものにもせよ、どこかに俗臭のまつわり附(つ)いているのが顔を背(そむ)けしめる。
 たとい大きく儲けなくても、一つ一つ粒選(つぶよ)りの書物を出して行こうと心懸ける、良心的な潔癖な出版業者を見たい。出して行く書物の一つ一つに依って自分の店の個性を造り上げて行こうとしているような業者を見たい。(中略)一つでも当ると儲けが大きいから出版業者となった、というだけの人間があまりに多過ぎる。それでは出版文化も何もあったものではない。」



柴田宵曲「愛書家」より:

「霞谷山人(かこくさんじん)は「常に書をよむ時は、怡然(いぜん)として憂(うれい)を忘る」という人であったが、珍しい書に遭(あ)えば価を論ぜずに購うので、「家はきはめて貧しくして、書は大(おおい)に富めり」とある。これが愛書家の本色であろう。大きな倉を二つ建てて、一には漢の書、一には国書を蔵(おさ)めたという松岡恕庵(まつおかじょあん)は、大分豪奢(ごうしゃ)のようであるが、火桶(ひおけ)は深草の素焼(すやき)を紙で貼(は)って使うというほど、日常生活は簡素なものであった。書を愛する者は往々他の方面を犠牲にして顧みぬ。またそれを意とするようでは、真に書を愛するとはいえぬのである。
 『近世畸人伝(きんせいきじんでん)』は乞丐(こじき)の境涯にありながら、なお書物との縁を断たずにいた人を二人まで挙げている。」





こちらもご参照ください:

『ペトラルカ ルネサンス書簡集』 近藤恒一 編訳 (岩波文庫)
川村二郎/池内紀 『翻訳の日本語』 (中公文庫)
伴蒿蹊 『近世畸人伝』 森銑三 校註 (岩波文庫)






































































柴田宵曲 『古句を観る』 (岩波文庫)

柴田宵曲 
『古句を観る』
 
岩波文庫 緑/31-106-1

岩波書店
1984年10月16日 第1刷発行
1999年4月16日 第12刷発行
359p 編集付記・表記について1p
文庫判 並装 カバー
定価700円+税



本書「編集付記」より:

「底本には、『古句を観る』(昭和十八年十二月十五日、七丈書院)を使用した。」
「森銑三氏の「宵曲子とその著『古句を観る』」は、筆者の御希望により、仮名づかいを原文のままとした。」



柴田宵曲 古句を観る


カバー文:

「権勢に近づかず人に知られることを求めずして一生を終えた柴田宵曲(1897―1966)。だが残された書は人柄と博識ぶりを伝え、一度その書に接したものに深い印象を与えずにはおかない。本書は、元禄時代の無名作家の俳句を集め、評釈を加えたもの。今も清新な句と生活に密着したわかり易い評釈が相まった滋味あふれる好著。」


目次:

新年





宵曲子とその著『古句を観る』 (森銑三)
俳人柴田宵曲大人 (小出昌洋)




◆本書より◆


「はじめに」より:

「ケーベル博士の常に心を去らなかった著作上の仕事は「文学における、特に哲学における看過されたる者及(および)忘れられたる者」であったという。この問題は一たびこれを読んで以来、またわれわれの心頭を離れぬものとなっている。世に持囃(もてはや)される者、広く人に知られたものばかりが、見るべき内容を有するのではない。各方面における看過されたる者、忘れられたる者の中から、真に価値あるものを発見することは、多くの人々によって常に企てられなければならぬ仕事の一であろうと思われる。」
「芭蕉を中心とした元禄の盛時は、その身辺に才俊を集め得たのみならず、遠く辺陬(へんすう)の地にまで多くの作家を輩出せしめた。本書はその元禄期(元禄年間ではない)に成った俳書の中から、なるべく有名でない作家の、あまり有名でない句を取上げて見ようとしたものである。」



「新年」より:

   「元日や一の秘蔵の無分別  木因(ぼくいん)

 妙な句を持出した。
 『本朝文鑑』の中に「影法師対」という文章があって、冒頭に「老の暮鏡の中に又ひとり」の句を置き、最後をこの句で結んである。(中略)「影法師対」の内容は近頃の人も時々やる形影(けいえい)問答である。「白髪を清めて元日を待(まつ)所に、汝何人なれば我が白桜下に来り、我と対して座せるや」というに筆を起して、此方(こちら)が何かいうと、向うも何かいう。「我いかれば彼いかり、我笑へば彼笑ふ。此公事(くじ)は漢の棠陰比事(とういんひじ)にも見えず、倭の板倉殿の捌(さばき)にも聞えず。爰(ここ)に我ひとつの発明あり。実に我紋は左巴(ひだりどもえ)なり、汝が著せしは右巴なりといはれて、終(つい)に此論みてたり」――左巴と右巴で埒(らち)が明くなどは、形影問答としても簡単過ぎるようであるが、作者は更に数行を加えている。即ち「我また我心を責て曰(いわく)、一論に勝ほこりて、是を智なりと思へるや。その所詮を見るに、たゞ唇に骨をらせ、意識をあからせたるまで也。いでや隠士の境界は世間の理屈を外に置て、内に無尽の宝あり、その宝は」とあって「元日や」の句があるのである。
 この句を解するのに、右の形影問答はそれほど必要とも思われぬが、「世間の理屈を外に置て、内に無尽の宝あり」の一句は頗(すこぶ)る注目に値する。ここにいう「無分別」は今のいわゆる無分別ではない。浜田珍碩(ちんせき)が洒落堂の戒旛(かいへん)に「分別の門内に入るをゆるさず」と書いたのと同じ意味である。風雅の骨髄は世間の理窟の外にある。(中略)分別を離れたところに風雅の天地がある(中略)。木因はこの無分別を以て「無尽の宝」とし、句においても「一の秘蔵の無分別」と繰返している。元日の朝だけ分別を離れているのなら格別のこともない。平生この心を一の秘蔵としていることを、今更の如く元日に当って省(かえりみ)るのである。われわれも木因のこの宝に敬意を表せざるを得ない。」



「春」より:

    「鶯や籠からまほる外のあめ  朱拙(しゅせつ)

 飼鶯である。「まほる」は「まぼる」即ち「まもる」の意であろう。雨の日の鶯が籠の中からじっと外を見ている。雨の降る様を見守っているようだ、というのである。」



「夏」より:

    「涼しさや袂(たもと)にあまる貝のから  一琴

 海辺の土産に貝殻でも持って帰るような場合かと想像する。袂に入れた貝殻が相触れて鳴る音も涼しいが、長いこと波に洗われて真白になっている――動物というよりも石に近い感じの貝殻であることが、涼しさを加える所以(ゆえん)らしく思われる。
 「袂にあまる」という言葉は、「うれしさを何にたとへむから衣袂ゆたかにたてといはましを」の歌以来、つつむに余るというような主観的の場合に用いられやすい。この句は実際袂に余るほど多くの貝殻を獲たのであろうが、それに伴ううれしさというものも陰に動いている。少くとも作者はそれを意識して「袂にあまる」の語を置いたのであろう。」



「秋」より:

    「たばこ呑煙影ある月夜かな  素人

 一見古句らしからざる内容を具えている。明るい月の下に吸う煙草の煙が、ほのかに漂(ただよ)わす影を捉えたのである。元禄俳人の著眼がかくの如き微細な趣にわたっているのには、今更ながら驚歎せざるを得ない。
 かつて白秋氏の『水墨集』を読んで、
   月の夜の
   煙草のけむり
   匂のみ
   紫なる。
という詩に、この人らしい鮮(あざやか)な感覚を認めたことがあった。素人の句は表面に何ら目立たしいものを持っていないにかかわらず、悠々として月夜の煙草の趣を捉え、ほのかな煙の影をさえ見遁さずにいる。新奇を好む人々は、巻煙草を銜(くわ)えたこともない元禄人が、容易にこの種の句を成すことを不思議に思うかも知れない。句は広く渉(あさ)り、多く観なければならぬ所以(ゆえん)である。」



「冬」より:

    「膳棚(ぜんだな)へ手をのばしたる火燵(こたつ)かな  温故

 火燵を無性箱(ぶしょうばこ)といい出したのは誰か知らぬが、頗(すこぶ)る我意を得ている。物臭太郎にも或点で興味を持つわれわれは、勿論火燵を以て亡国の具と観ずるわけではない。無性を直に道徳的功過に結びつけるのは、少くとも俳人の事ではあるまいと思う。
 この句は火燵における無性の一断片を現したものである。火燵は第一に人の起居の動作を懶(ものう)くする。膳棚へ手をのばしたというのは、立って取るのが面倒だから、無性中に事を行おうというに外ならぬ。

    火燵からおもへば遠し硯紙  沙明

という句なども、やはり同じような心持を現している。作者は火燵にあって何か書くべき硯や紙の必要を感じながら、取りに行くのが懶いために、その「硯紙」の距離を遠く感ずるのである。句としては特に見るに足らぬが、無性箱の消息を伝えたものとして、前句と併看の価値はあるかも知れない。」

    「冬枯や物にまぎるゝ鳶(とび)の色  吏明

 冬になって天地が蕭条(しょうじょう)たる色彩に充(みた)される。そういう天地の間にある時、茶褐色の鳶の姿が物にまぎれて見えるというのであろう。保護色などという面倒な次第ではない。鳶もまた冬枯色の中に存するのである。」

    「凩(こがらし)の残りや松に松のかぜ  十丈

 一日吹きまくった木枯が、夕方になって漸く衰えたような場合かと思われる。大分凪(な)いでは来たが、まだ全く吹き止んだわけではない。その名残の風が松の梢(こずえ)を吹いて、いわゆる松風らしい音を立てている。松を吹く風なら何時(いつ)でも松風であるに相違ないようなものの、木枯の吹き荒(すさ)む最中では、これを松風と称しにくい。吹き衰うるに及んで、はじめて松風らしいものを感じ得るのである。
 北原白秋氏の『雀の卵』に「この山はたゞさうさうと音すなり松に松の風椎(しい)に椎の風」という歌があった。ひとり松と椎ばかりではない、吹かるるものの相異によって、風の音も自ら異って来る。それを聞き分けるのが詩人の感覚である。同じ松を吹く風であっても、そこに差別があるなどということは、理窟の世界では通用しないかも知れぬが、吾人情感の世界では立派に成立する。風といえば直に風速何十メートルで計算するものと考えるのは、科学者の天地でわれわれの与るところではない。」



森銑三「宵曲子とその著『古句を観る』」より:

「宵曲子は奇人だった。(中略)戦争中の暮しにくい時にも、職について収入を殖やさうなどとは考へなかつた。相変らずの和服に袴を著け、古本の一二冊を懐ろにして神田街頭を闊歩する。それが宵曲子であつた。」
「子は中学を中途で退学したといふ乏しい学歴しか持たなかつた。しかしそれから図書館に通つて、自分の好きな本を読み、自分で自分をつくり上げたのだから、ちよつと真似の出来ぬ人だつた。」



小出昌洋「俳人柴田宵曲大人」より:

「俳壇に勢力のあった虚子を去って、何の勢力もない鼠骨に近づいたというは、世間的の立身出世主義よりいえば、迂濶の甚しいものであるが、そうしたことを敢えてするところに氏その人があった。」



◆感想◆


そういうわけで、奇人はすばらしいですが、本書で少し気になったのは、「湖に行水(ぎょうずい)すつる月夜かな  西与」の句のところで鬼貫の句「行水のすてどころなし虫の声」にふれて、「この水を捨てたら折角鳴いている虫が鳴きやむに相違ない、虫はそこら一面に鳴いているので、どこへ水を捨てていいかわからない、というのは思わせぶりの甚しいものであり、えせ風流である。(中略)子規居士も「月見つゝ庭めぐりせばなきやまんゐながら虫の声は聞かまし」という歌を評して(中略)「こはえせ風流にして却て俗気を生ずるのみ。庭を歩行(ある)いて虫が鳴きやみたりとてそれが不風流になる訳もあるまじ。寧ろ想像をやめて、実地に虫の鳴きやめたる様を詠む方実景上感を強からしむるに足らんか。(中略)」と喝破(かっぱ)したことがあるが、これはそのまま鬼貫の句に該当すべきものである。」と書いていることで、勿論、鬼貫が水を捨てられないのは虫が鳴きやまないようにとの風流心からではなく、捨てた水で虫が流されたり溺れ死んだりしてしまうかもしれないという同情心からでありまして、歩く気配で虫を鳴きやませるのとは同日の談ではないです。著者は子規に私淑していたのだと思いますが、師説になずむあまりに見当違いな方向へ妙な言いがかりをつけるのはどうかと思います。
尤も、著者は、『俳諧博物誌』で其角の句「水うてや蝉(せみ)も雀もぬるゝ程」について、「そこへ行くと同じ水でも爽快(そうかい)なのは其角の「水うてや」である。これなら頭からざぶりとやられたところで、格別文句はあるまい」と書いています。
































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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