ダニイル・ハルムス 作/井桁貞義 訳/西岡千晶 絵  『ハルムスの小さな船』

2011年10月23日。


「我々の心には、ただ無意味な行為こそが愛しい」
(ダニイル・ハルムス 「パッサカリア一番」 より)


ダニイル・ハルムス 作
『ハルムスの小さな船』
井桁貞義 訳/西岡千晶 絵


長崎出版 2007年4月25日初版第1刷
120p 19×15cm 並装 筒函 定価1,800円+税
デザイン: 原条令子デザイン室


 
前回紹介した西岡千晶さん(西岡兄妹さんの妹さんのほう)のソロ絵本『そっくり そらに』がすばらしかったので、さらに長崎出版さんの西岡千晶さんの絵本を買ってみました。


ハルムスの小さな船1


ハルムスの小さな船2


本書は、人々が歌声喫茶でロシア民謡を歌っていた昭和の時代の千代紙や包装紙の色合い及意匠を髣髴とさせるノスタルジックな装幀になっています。


ハルムスの小さな船3


著者のハルムスことダニイル・イワーノヴィチ・ユワチョフは、本書奥付の紹介によると、1905年ロシア、ペテルブルグ生まれ。1931年、反ソ的グループ活動の疑いで逮捕、32年釈放。1941年逮捕、42年、刑務所の病院で没。1980年代後半から遺作が相次いで刊行され人気。だそうです。
 

ハルムスの小さな船4


目次:

非いま
アダムとイヴ

ソネット
誰が一番速いか
墜落する老婆たち
ブルーノート No. 10
出来事
小さな船
フェージャ・ダヴィードヴィチ
出会い
衣装箱
天文学者
うさぎとハリネズミ
恐ろしい死
ペトラコーフの出来事
コン!
パッサカリア一番
プーシキンとゴーゴリ
窓辺に
パーキンとラクーキン
失敗した芝居
老婆



ハルムスの小さな船6


本文は緑色インク。


ハルムスの小さな船7


巻末の短篇小説は臙脂色。


ハルムスの小さな船8


本書は、ハルムスの詩や戯曲、短篇小説のアンソロジーに、西岡兄妹の西岡千晶氏がイラストをつけた絵本です。
戯曲は、ダダ演劇を思わせますが、ダダのノンセンスが悪意に満ちて攻撃的なのに比べて、ハルムス作品はひたすら無意味で長閑(のどか)ですらあります。が、その表面的な穏やかさの底には、深い無力感と違和感が横たわっているようです。たとえば「プーシキンとゴーゴリ」は、プーシキンがゴーゴリにつまずいてころび、ゴーゴリがプーシキンにつまずいてころび、互いに相手を罵りあうのをくりかえすだけの話です。
本書の最後に収録されている短篇小説は、部屋にお婆さんが入ってきて死んでしまって、始末に困る話で、ちょっと『罪と罰』のパロディのようでもあり、後のイヨネスコの「アメデ、あるいはどうやって厄介払いするか」を連想させますが、主人公は起きてしまった現象に受動的に関わることしかできないうちに、事態は悪化していきます。しかしほんとうは、なにがどうなろうとおなじことなのです。

そういうわけで、無意味ですばらしい本でした。


ハルムスの小さな船5





























































スポンサーサイト

西岡兄妹 『口の中の仕事』

西岡兄妹 『口の中の仕事』

青林工藝舎 2002年3月11日 限定600部発行
64p 11.5×11.5cm 
角背紙装上製本 上製箱入 定価2,600円

特典おまけカード2枚
奥付ページにシリアルナンバー&直筆サイン(妹)&手彫り印(兄)入



西岡兄妹の箱入り限定本。


口の中の仕事1


目次:

胎児の夢

口の中の仕事
 口の中
 女の子のお仕事と男の子のお仕事
 かしこいハム
 女の子
 おじいさんの大根
 ビール樽になったおとこの話
 嫌いなもの
 王様になりたかった男
 ねずみが一匹
 頭のない三毛猫
 うんこ爆弾
 心の犬
 人食い人種のおじいさんの話
 悲しい男
 柔らかい肉
 お腹の楽団
 おいしそうな豚肉
 ある公式
 卵
 おまえのこと
 子供たち

あとがき「なぜ、人は人の肉をたべてはいけないのか?」



口の中の仕事2


「胎児の夢」(「ガロ」1996年12月掲載作を再構成)は、長編『神の子供』(2010年)の冒頭に取り入れられています。
「口の中の仕事」は「食べること」をテーマにした詩画集です。「あとがき」はカニバリズム論です。「代々遡れば我々の祖先は必ず人を食べているのである。」
カニバリズム(人肉食)は西岡兄妹作品の重要なテーマです。長編『救済の日』(2008年)の主人公は、「人間は人間の肉を食うことによって、人肉食によって人間になったのではないかと思うのです」「資本主義こそ人肉食の、もっとも象徴化され、完成された形態なのです」と語っています。

箱の蓋には絵と著者名・タイトルが印刷された四角い紙が貼付してあります。箱の蓋の横にタイトルと絵が印刷された紙が一枚貼付されています。


青林工藝舎ホームページ:
http://www.seirinkogeisha.com/book/li_kuchi.html

























































































大海赫 作/西岡千晶 絵 『白いレクイエム』

大海赫 作
西岡千晶 絵 
『白いレクイエム』


ブッキング 
2005年5月25日 初版発行
133p 
22.6×18.6cm 角背紙装上製本 カバー 
定価1,800円+税



大海赫(おおうみ・あかし)氏が1979年に書いた未刊童話。西岡兄妹の西岡千晶氏の挿絵9点、カット13点、見返しカット2点、扉絵(カラー)1点。著者による「あとがき」。


白いレクイエム1


帯文:

「大海赫 第44回児童文化功労賞受賞記念出版
死とにくしみそして愛を真っ正面からとらえた
幻の「白いレクイエム」刊行」



帯裏:

「童話のタブー「死」と「にくしみ」を真っ正面からとらえた意欲作!!
作者は「愛」を信じて作品をみがき続けてきた!!
「『白いレクイエム』は(略)あまりにマイナーな内容なので、出版社に持ち込んでも、いい顔をされないだろうと思い、これまで日の目を見せずにきました。今回思いがけず出版されることになり、無上の歓びにひたっています。」(著者「あとがき」より)」



白いレクイエム2


扉ページ。本書は在庫切れのようなので、ブックオフオンラインで古本を購入しましたが、西岡千晶氏のイラスト署名入りでした。


本書では、子どもたちの自殺が語られていますが、しかしそれは「ロダン病」という奇病による病死なのだと説明されています。「ロダン病」というのは、「子どもが、だんだん元気をなくし、考えこむようになり、結局考えこんだまま死んでしまう」病気です。主人公の「ウタウ」は、事故で死んで幽霊になった女の子「アイ」が、ギターの音楽で子どもたちを殺しているのではないか、と考えます(ジェフ・ベック「ギター殺人者の凱旋」というのがありましたが、たぶん関係ないです)。

「どうして太陽は、しずむ前赤く、大きくなるの?」とか「どうしてスミレは生まれてきたの?」といったような、「ロダン病」の子どもたちの疑問に対して、〈科学的〉(唯物論的)にしか答えるすべをもたない大人たちこそが、子どもたち(の魂)を殺しているわけで、著者は、こうした疑問に対する「たった一つの答え」を与えることができる〈宗教〉が無くなってしまったことが問題なのだ、と言っているようです。

ところで、著者はキリスト教を信じているということですが、著者が本書に込めたという、生者と死者に「力強く立ち直ってほしいという願い」は、キリスト教というよりは、むしろシュタイナーの思想に近いような気がします(本書では、死者が幽霊になって現われて、生者に働きかけたりするからです)。
「霊界のことを考えなければ、現界の本当の姿本当の意味は理解できない。だからシュタイナーは、今日の社会の危機を乗り越えるために、死者との関係の回復をわれわれに求め続けてきた。地上のわれわれはいつでも、覚醒時にも睡眠時にも、死者との共同社会の中に生きている。そのような社会の中にいて、もし死者からの働きかけがないと思えるとしたら、それはわれわれの心がこの世的なものに向きすぎているからである。われわれが自分の個人的な利害関係を超えれば――それは日常のどんなときにも可能である――どんな会話の中にも、どんな行動の中にも、死者を通しての霊界からの働きかけが生じるのである。」
(『ルドルフ・シュタイナー選集第十巻・死後の生活』所収の高橋巌「訳者あとがき」より)


大海赫のレインボーワールド:

http://homepage2.nifty.com/akasiooumi-4074/






































































































西岡兄妹 『絵戯曲 マリーの一生』

西岡兄妹 『絵戯曲 マリーの一生』

発行者: 土井章史(トムズボックス) 1999年立春発行
108p B6判 並装 カバーなし 定価1,000円+税



西岡兄妹による絵入り戯曲。モノクロ挿絵30点。


マリーの一生1


カバーなしの本でした。表紙の絵は、じかに印刷してあるのではなくて、絵を印刷した正方形の紙が表紙に貼付されています。それゆえ微妙にズレています。
こういうことはネットで画像をみただけではわからないので買ってみてよかったです。


マリーの一生3


内容:

マリーの一生 一幕七場
あとがき



本書は、ヤフオクで入手したのが昨日届いたので(1,000円+送料80円でした)、二回よんでみましたが、ぼーっとしながらよんだので、記憶があいまいです。
西岡兄妹の妹のほうの西岡千晶さんのソロ絵本に『そっくり そらに』というのがありますが、本書の登場人物のマリーとマリーアンヌもそっくりさんです。並んで置かれた台の上の木箱をベッドにして生活しているということなので、右脳と左脳の擬人化なのかなー、と思いましたが、マリーとマリーアンヌの役割は変幻自在に入れ替わります。さっきマリーが言っていたことを、こんどはマリーアンヌが言います。差異と反復です。そして時々同調します。ダイアン・アーバスの双子を思い浮かべますが、結局のところ、マリーとマリーアンヌは同一人物なのではないでしょうか。マリーの一生は永遠に続くモノローグです。ふたりの「日記」には、なにやらあやしげな世界創造神話が語られているのですが、それは日記だから嘘です。

「わたしはマリーアンヌの腋の下から生れた・・・(中略)・・・その頃、万物はまだ永劫の闇に包まれていて・・夜は見通しのきかぬ藪のように大地一面に重くのしかかっていた・・・マリーアンヌは裏の空き地のその奥にある水溜まりの一番底に横たわっていた・・・その中には水はまだなく、地中はどこまでも乾いていた・・(中略)・・・ある日、彼女が物思いに耽っていると色んな願いや考え・・欲望が・・彼女の心に閃いた・・・その時突然、小さなマリーアンヌたちが彼女のへその中や腋の下から現れ始めた・・・(中略)・・・彼女はひもじくて仕方がなかったので、その内の二匹を捕まえて、太陽の熱で炙って食べた・・・」
(本書より)

そして劇中劇として「赤ずきん」が演じられるのですが、狼は、

「おばあさんを殺してその血を瓶に詰め、その肉を薄切りにしてお皿に乗せました。(中略)そこで赤ずきんは言われた通りにハムを食べぶどう酒を飲みました。すると台所にいた小さな小猫が言いました。「このあばずれめ、お前のおばあさんの肉を食べ血を飲むなんて。」
(本書より)

微妙に「かちかち山」がブレンドされていますが、西岡兄妹作品ではおなじみの「人肉食(カニバリズム)」のテーマです。ここでは、「おばあさんの肉を食べ血を飲む」というフレーズが気になります。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。」
(ヨハネの福音書より)

結局のところ、マリーもマリーアンヌも、お母さんも、おばあさんも、世界の始まりの神話的マリーアンヌも、同一人物なのではないでしょうか。マリーは永遠のいのちを持っています。永遠ということは、ずうっと前からいっさいが終わっているということです。始まってしまったけれど、始まると同時に終わっているのです。そして永遠は「つまんない」です。そこには自分しかいないからです。

「マリーアンヌ: 入ってこないで!
 マリー、逃げるように椅子に戻る。マリーアンヌ、舞台の真ん中に足
 で線を引き、テーブルの前の物を片づける。
マリー: もう始まっているの?
マリーアンヌ: うん。
 長い間
 マリー、マリーアンヌをちらりと見る。
マリーアンヌ: あっ、目が入ってきた。
マリー: あっ、口が入ってきた。
マリーアンヌ: 声はいいの。
マリー: じゃあ見てもいい。
マリーアンヌ: うん。
 間
マリー: 臭いもいいわよ。
マリーアンヌ: 臭いなんかしないわ。
 長い間
マリーアンヌ: つまんないね・・・。
マリー: うん。
 間
マリー: つまんないね。
マリーアンヌ: うん。
 間
マリー: 遊ぼうか・・・。
マリーアンヌ: うん・・・。
マリー: 遊ばなくてはいけないわ。
マリーアンヌ: うん・・・。
マリー: わたしたちは遊ばなくてはつまんなくて駄目だわ。
マリーアンヌ: うん。
 間」

(本書より)


マリーの一生2


この絵はたぶん、お腹がすいたので赤ずきんを捕まえて食べようとしているところです。

よむために書かれたレーゼドラマかと思ったら、「マリーの一生」は実際に上演されたようです。わたしは人がいるところが苦手なので、というか会話が苦手なので、芝居というものはみたことがありません。戯曲も苦手なので寺山修司の『毛皮のマリー』すらよめませんでした。それはともかく、本書の「あとがき」をよんでいたら、「実はわたしは芝居が嫌いです」と書かれていたので、ちょっと安心しました。


こちらもご参照ください:
マックス・エルンスト 『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』 (巌谷国士 訳)
エルンストのコラージュ・ロマンでは、マルスリーヌ=マリーがマルスリーヌとマリーに分裂します。









































































西岡兄妹 『花屋の娘』

西岡兄妹 『花屋の娘』

青林工藝社 2004年5月25日初版第1刷発行
31p B5判変型(22×17.5cm) 角背紙装上製本 カバー 定価1,300円+税
カバー挿画: 西岡千晶
レイアウト: 植田麻奈美



本書は、西岡兄妹にしては珍しく、グロ要素がなく、花言葉も覚えられるので、無邪気な子どもたちにも安心して読ませることができます。

( ̄ー ̄)ニヤリ


花屋の娘1


帯文:

「書き下ろし絵本 第二弾
ロベリア ダリア オニナベナ アネモネ クロユリ イヌサフラン …
心が空っぽの人たちの心の中を
きれいなお花でいっぱいにしてあげたいと
花屋の娘はそう思いました」



花言葉の本と首っ引きで、一所懸命その人に合う花を選んであげる花屋の娘さんが健気でかわいいです。小鳥もかわいいです。

本書に登場する花の花言葉は、見返しに一覧が書かれているので、ひとつひとつ確かめながらよむと、ストーリーがみえてくる仕掛けになっているのです。


花屋の娘2


それにしても、「幼稚園児」たちは全員「無邪気」だったりとか、花言葉と状況がぴったりマッチしすぎているので、いささかうさんくさいですね。

結局のところ、花屋の娘は、人びとの空っぽの心を花で満たすかわりに、人びとの空っぽの頭に「意味」を詰め込んだだけだったのかもしれません。人びとにほんとうに必要なのは、もしかしたら「無意味」だったのかもしれないのです。


Die Ros ist ohn warum; sie blühet weil sie blühet, Sie acht nicht ihrer selbst, fragt nicht, ob man sie siehet.

(薔薇が咲くのに理由などない、咲くから咲くのだ。薔薇は自意識にわずらわされることがない。人に見てもらおうなどとも思っていない。)

アンゲルス・シレジウス。


そして読み終わって見返しの絵を見たら、花屋の娘の手にはロベリアの花言葉「悪意」がありました。



この記事をよんだ人はこんな記事もよんでいるかもしれません:
Charles Simic "The World Doesn't End"

























































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本