アンリ・トロワイヤ 『ふらんす怪談』 澁澤龍彦 訳 (河出文庫)

アンリ・トロワイヤ 
『ふらんす怪談』 
澁澤龍彦 訳
 
河出文庫 518A

河出書房新社
1987年10月5日 初版発行
1990年6月22日 再版発行
210p
文庫判 並装 カバー
定価440円(本体427円)
カバー原画: マックス・エルンスト「慈善週間」より
カバーデザイン: 菊地信義
フォーマット: 粟津潔



アンリ・トロワイヤ(Henri Troyat)の短篇集「La fosse commune (共同墓地)」(1939年)の翻訳です。


トロワイヤ ふらんす怪談


カバー裏文:

「近年、『女帝エカテリーナ』をはじめとする多くの歴史評伝が日本でも紹介され、好評をはくしたフランスの作家、アンリ・トロワイヤによる、珍しい短篇集。どちらかといえばトロワイヤの余技に属すると思われるこの作品集は、死者や幽霊の話およびSF的な作品で構成され、結末に絶妙のおちをきかせたブラック・ユーモアあふれる洒落た幻想的コント集に仕上げられている。全七篇。」


目次:

殺人妄想
自転車の怪
幽霊の死
むじな
黒衣の老婦人
死亡統計学者
恋のカメレオン

解説 (種村季弘)




◆本書より◆


「死亡統計学者」より:

「ラケル氏が初めて新聞に書きはじめたのはいつ頃か、はっきりしていなかった。しかし、いずれにしても、現在わたしたちの目に争われぬ名声を確立しているかに見えるこの人物が、その話題の焦点ともいうべき《先週中における県民の人口増減の統計》なる記事を、かくも永年にわたって、一地方日刊新聞に発表するだけで満足していたということは、わたしたちをそぞろにほのぼのとした心暖まる思いにさせずにはおかない事実なのである。」
「その統計表は何段にも分れていて、括弧やら星標(アステリ)やらがいっぱい書きこんである。左の部分は、死亡の原因・性質を示す欄で、事故死とか、自殺とか、傷害致死とか、老衰とか、病死とか、雑とか、いろいろな見出しが記入されてある。またこの欄に接した各欄は、それぞれ見出しに、男女別による死亡数(中略)とか、町村別による死亡数とか、国籍別による死亡数とか、丹念に書きこんである。
 ところが、ある日ラケル氏は、この簡略すぎる統計表に、来週の死亡者数の予想の欄をつけ加えることを思い立った。」
「読者はたちまち、この毎週の予言に熱中しはじめた。ラケルが当るか外れるかということで賭けをする者もあらわれた。」
「しかし、ラケル氏は決して外れなかった。ラケル氏の予言は官報の死亡統計発表と、寸分の狂いもなく、いちいち符節を合わせていた。」
「いつかこんなことがあった、例の土曜日の特別号を見ると、ふだんは一一五名から一五〇名の間を上下している死亡者数の総計が、その週は急に二〇一名という数に跳ねあがっている、(中略)さあ大変というわけで、人々は晩の八時以後は、もう危険を冒して街へ出て行く者もなくなった。母親たちは子供のために、予防注射やら消毒やらの注意を倍加した。市当局は辻々に保安要員を設置した。すべての者が、これは計算違いか印刷のミスであるにちがいないと、無理にも信じて安心したい気持を抱いていた。
 事実、次の週の土曜日の朝までは、「ガビヨル=レ=ポン速報」社の完備せる計算器は、死者一二五名という、まずまず当り障りのない数を示していたのである。つまりラケル氏の予想よりも七六名少ないという勘定である。」
「ところが、この土曜日の夜がふけて、二十三時四十五分に至るというと、ガビヨル=レ=ポン駅で急行列車が脱線事故を起し、一挙にして七六名の死者を出してしまったのである!
 ラケル氏は地方の名士になった。人々は彼を称讃し、かつ恐れた。漠とした生存本能がガビヨル=レ=ポンの人々をして、同じことなら彼の好意を得ておきたい気持にさせるのだった。」
「ある晩、わたしはデルレード街で、泣いている小さな娘を叱っている母親の言葉を、聞くともなしに耳にした、
 「さ、早く泣きやんでおとな(引用者注: 「おとな」に傍点)にならないと、ラケルさんが帳面に名前をつけに来ますよ!」」

「ラケル氏は天井へ目を向け、力なく両腕を左右にひろげて、さて、次のような奇怪な言葉を洩らしたのである。
 「わたしには間違うことが不可能なのだよ!」
 「どういう意味です、それは? だって、来週の死亡者の数を計算することを止めて、ただ出鱈目に、偶然に、思いついた数字を発表すりゃいいんじゃありませんか……」
 「そうすると運命の神がその数字に合わせて死者の数をつくり出すんだよ!」
 わたしは肝をつぶして彼の顔を見つめた。」
「「それじゃ君は、わたしが一度も間違うことを試みてみなかったとでも、思っているのかね?」と言い出した。「だがわたしは、それしかしなかったと言ってもいいくらいなんだよ、それしかしなかったと言ってもね! (中略)だがね、(中略)たちまち事実がその通りに一致してしまうのだ。(中略)わたしはもう自分の科学、自分の成功から逃れられないのだよ。わたしは自分自身の能力の虜囚(とりこ)なのだ。(中略)わたしの存在の怖ろしさを、君はとても想像することができまいね」
 崩れるように椅子に腰をおろすと、骸骨のような両手を、引きつった顔の前に持ちあげて、
 「ああ!」と呻くように言うのだった。「誰でもいい、君たちと同じような無知なる者、無力なる者にわたしはなりたい。不吉な透視力を身内に感じるのはもう沢山だ。もう一度当り前の人間にもどりたい! ……」」

「「しかし」とわたしは呟くように言った。「何としてもここを切り抜けないわけにはいきませんよ。いいですか……こうしましょう、来週の統計は、わたしがあなたに指示した数を発表するのです、(中略)……あなたの身をがんじがらめにしている魔力だって、まさかわたしには利きますまい、(中略)わたしはきっと間違うにちがいありませんよ!……」
 「さあ、どうかな?」
 「やってみたって損にはならないでしょう!」
 するとラケル氏は微笑して、
 「じゃ、君の言う数字は?」
 「そうですね、ええ、一一八ということにしましょうか」」

「十一時に、死亡者数は一一六名にのぼった。」
「その時、誰かの声が、
 「一一七だ!」と叫んだ。
 わたしはへなへなと脚の力が抜けたようになり、息切れがした。そばの壁につかまって、眼を閉じつつ、心の中でこう繰り返した、《どうか十二時までにもう誰も死にませんように! (中略)さもなければ、二人いっぺんに死にますように……》」

























































































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澁澤龍彦 『ヨーロッパの乳房』

「彼岸の世界を信頼せず、超越への努力を放棄して、ボードレールのいわゆる「秩序と美と、栄耀と静寂(しじま)と快楽(けらく)」の集約された、地上の楽園をひたすら真剣に求めたのは、ともするとイスラム文化圏の人々ではなかったろうか、と私は漠然と考える。そして私自身の楽園のイメージも、どういうわけか、ここに最も居心地の良さを発見するのである。」
(澁澤龍彦 「理想の庭園」 より)


澁澤龍彦 
『ヨーロッパの乳房』


立風書房
昭和48年3月30日 第1刷印刷
昭和48年4月15日 第1刷発行
245p
A5判 丸背クロス装上製本 貼函
定価1,800円
装幀: 野中ユリ



本書「あとがき」より:

「ゼウスならば、牡牛の姿となって、美女エウローペー(ヨーロッパ)をその背にのせ、海を泳いで一息に、これを略奪するのも易々たるものであろう。しかし私はゼウスではないので、とてもヨーロッパを略奪することなど思いもよらず、まあ、せいぜいボードレールの詩のなかの一人物のように、この巨大な美女の乳房のあたりを、うろうろと彷徨することしかできないのであり、そもそも最初から、それ以上のことは望んでもいなかったのである。
 本書の題名「ヨーロッパの乳房」は、以上のような意味合いにおいて用いられた。
 今から三年前のヨーロッパ旅行で得た印象を中心として、本書は編まれたものである。



澁澤龍彦 ヨーロッパ 01


帯文:

「主に中世から現代に至るヨーロッパ文明の豊饒な遺産に特異な照射を試み、精密を極める鑑賞眼にうつる文明の神秘と暗部をさぐる著者最新のヨーロッパ紀行。」


澁澤龍彦 ヨーロッパ 02


帯背:

「著者最新の
ヨーロッパ紀行」



帯裏:

「古地図を辿って……
瀧口修造

 澁澤龍彦氏のこれまでの著作と思想を識るものには、その最新のヨーロッパ紀行というだけで、予感と期待を抱かせて余りある。その旅程はどこかいびつで不可思議な欧州古地図を偲ばせ、それこそバロッコの真珠を生んだ巨大な貝殻の内部に似ている。ヨーロッパのもうひとつの人文地層を踏まえた美学の書とも言えようか。約言すれば乳房と結晶のそれだ。「百聞は一見に如かず」の氏がついに「一見」の書を書いたのである。」



澁澤龍彦 ヨーロッパ 03


目次:

 Ⅰ
バロック抄――ボマルツォ紀行
昔と今のプラハ
マジョーレ湖の姉妹
狂王の城
バーゼル日記
エル・エスコリアル訪問
骸骨寺と修道院
奇怪な偶像
優雅なスペイン、優雅なゴヤ
神話の国を訪ねて
イスパハンの昼と夜――アストロラーブについて
砂漠に日は落ちて………
 Ⅱ
遠近法・静物画・鏡――トロンプ・ルイユについて
ゴヤあるいは肉体の牢獄
シンメトリーの画家――谷川晃一のために
三人の異色画家
 セバスティアン・シュトスコップフ
 アントワヌ・ヴィールツ
 ロメロ・デ・トレス
紋章について
日時計について
洞窟について
理想の庭園
巨木のイメージ
パリ食物誌
鏡について
噴水綺談
匂いのアラベスク
フローラ幻想

あとがき



澁澤龍彦 ヨーロッパ 04



◆本書より◆


「バロック抄」より:

「正午より少し前に着いた、この地方第一の都会ヴィテルボは、ヨーロッパの古い中世都市におおむね通有な、曲りくねった狭い石甃(いしだたみ)の街路と薄汚れた壁とで構成された、城壁で囲まれた迷路のような小都会であった。私たちはここで、エトルリアの壺や石棺や陶棺の陳列してある市立美術館を見学し、町の広場にある十三世紀の噴水と、かつて法王の住んでいたというパラッツォ・パパーレと、その隣りにあるゴシックの寺院を眺めた。青空の透けて見えるパラッツォ・パパーレの細い優美な列柱は、昔日の宗教都市の栄華を偲ぶにはあまりに簡素な宮殿の、唯一の装飾的なモティーフであった。あたかも正午で、ひとびとは昼食のために引っこんでいるのであろう、町はしんと静まりかえり、道を通る人影も疎らである。ヨーロッパのどこの都会でも、お昼ごろには、こんな奇妙な静寂が訪れる。あの古代ギリシア人の怖れた「正午の幽霊」は、こんな時に出現するのであろうと思われた。
 市立美術館の僧院風の中庭には井戸があって、夾竹桃の薄紅色の花が咲き、二階の手すりから見おろすと、乾いた井戸の縁石に、きらりと光る蜥蜴(とかげ)が何匹もいたのを私は思い出す。ここはゲーテのあこがれた南国なのである。」



「昔と今のプラハ」より:

「チェコ人の度外れた時計好きは、明らかにメカニックなものや魔術的なものに対する生来の嗜好のあらわれであろうと想像された。周知のように、人造人間小説の古典的傑作を書いたチャペックもチェコ人であり、マリオネット演劇や「ラテルナ・マギカ」のようなスペクタクルを何より愛好しているのもチェコ人なのである。そう思って見ると、プラハの町の塔には、やたらに時計が目立つのだった。もっとも、時刻が合っている時計はめったにない。」

「そもそも、私が今度の旅行の日程にプラハ滞在を組みこんだのは、ほかでもない、この都に、かつて錬金術や魔術に耽溺していたハプスブルク家の皇帝ルドルフ二世が住み、その周囲に多くの芸術家や神秘家を集めて、ここをアルプス以北のヨーロッパ全土のマニエリスムの一大中心地たらしめていたということ、そして同じ時代のプラハの古いユダヤ人街こそ、あのゴーレム伝説(中略)の発祥の地だったということ、――以上のごとき理由によるのである。」



「エル・エスコリアル訪問」より:

「ハプスブルク家全盛時代の王で、私が大いに興味をいだいている人物が二人いる。一人はプラハのルドルフ二世。錬金術師や占星学者を身辺にあつめ、プラハの宮廷をヨーロッパのマニエリスム文化の一大中心地たらしめた人物である。もう一人は、このルドルフ二世の伯父に当たる、スペインの黄金時代を築いたフェリペ二世。反宗教改革の推進者で、二十一年もかかってマドリッド近郊に大宮殿エル・エスコリアルを造営し、この僧院を兼ねた宮殿からほとんど外へ出ず、修道僧のような黒一色の質素な服装で、全カトリック世界に号令していた変わった王様である。
 もともとハプスブルク家の血統には気違いじみた人物が多く、フェリペ二世の祖母はフアナ・ラ・ローカ(狂女フアナ)と呼ばれた狂女であり、また息子のドン・カルロスは、血族結婚のせいだろうか、佝僂(せむし)でサディストという怪物だった。彼は父に対する陰謀の廉で幽閉される。ルドルフ二世は明らかに憂欝症で、生涯結婚しなかった。フェリペ二世も、その性格は暗く、実生活が極端に質素で、ただ彼岸的なものに対する憧憬だけで生きていたという点で、甥のルドルフ二世と多分に共通するところがある。」
「私がスペイン滞在中、エル・エスコリアル訪問を大事な日程の一つに数えていたのも、以前から、この変わった王様に対する関心が殊のほか深かったからである。」



「イスパハンの昼と夜」より:

「夜になって、私は、何という通りか忘れたが、骨董品屋がずらりと軒を並べている、かなり繁華な通りをぶらぶら歩いてみた。(中略)そしてショー・ウィンドーをのぞいたり、店の中へ入って冷やかしたりしているうちに、かねてアラビア天文学関係の書物の挿絵で見知っていた、金属製のアストロラーブらしきものが、どの店にも飾ってあるのに気がついた。(中略)私の好奇心が、にわかに頭をもちあげた。」
「アストロラーブと呼ばれる古代アラビアの天体観測用の器械は、ごく簡単に説明するならば、その主要部分が二枚の薄い金属の円盤から成っている、すなわち、一枚の円盤の表面には、赤道、回帰線、黄道、地平線、時角圏などをあらわす線が同心円状に彫り刻まれており、これをティンパンと称する。このティンパンの上に、星座や獣帯の描かれた、もう一枚の円盤を重ねるわけであるが、下の円盤が見えるように、上の円盤は透し彫りになっており、そのため「蜘蛛の巣」と呼ばれている。このティンパンおよび「蜘蛛の巣」なる二枚の円盤の中心を軸で固定して、ぐるぐる廻せば、地球との関係における天体の運行がそこに読み取れることになる。つまり、かつて中国や日本でも用いられた渾天儀なる器械を、平面的に再現したようなものだと思えばよろしかろう。」

「夜、私は買ったばかりのアストロラーブを小脇に抱えて、イスパハンの通りをホテルへ向って歩きながら、降るような星空をふり仰ぐと、

  天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし

という加藤郁乎の一句が、ふと口をついて出るのをおぼえた。たしかに、私は今、東はインドに及び西はエジプトに達する、唐代の広大な大食(タージ)国のほぼ中央に位置する町にいて、しかも左手には、当時の天体観測器械をしっかり抱えているのである。私は詩を書いたことがないが、これで詩人にならなかったとしたら、ならない方がおかしいようなものではないか。そう思って、私はいよいよ強く、私の詩の代替物であるところのアストロラーブを、脇の下に抱きしめたのであった。」



「理想の庭園」より:

「世界の庭園にもいろんな様式があるけれども、私が自分の気質にいちばんぴったりするように思えるのは、スペイン風、もしくはイスラム風の庭園である。
 ヨーロッパ旅行の途次、私はドイツやフランスで、バロックやロココの庭園をたくさん見たが、その幾何学的に整然とした噴水や樹木や彫像の配置に、いつも何か、近づきがたく、よそよそしいものを感じた。」
「その点で、廃園というのは私の気に入った。そこでは管理と手入れを放棄した結果、樹木は伸び放題に伸び、蔦や苔は大理石の欄干や階段を覆い、池の水は淀んで藻を生じ、自然が人工を圧倒し、これを呑みこもうとしているかのごとき荒廃の風情を見せているのである。そういうデカダンスの情緒が、私の感覚に訴えるのだった。」
「ロマネスクの修道院の小さな中庭なども、私の好みのイメージに似合わしい庭の一つである。周囲には円柱の立ち並ぶ廻廊があって、まんなかに井戸があり、井戸のまわりには花壇や薬草園がある。糸杉のような樹が、その廻廊の白い壁に影を落している。井戸の縁石では、日向ぼっこをしていたトカゲが、突然、きらりと背中を光らせて走ったりする。いかにも静かな瞑想と憩いの場所といった感じがする。
 あまりにも広々とした空間よりも、むしろ閉じられた空間、中庭のように囲まれた空間の方が、落着いた気分をあたえることになるのかもしれない。」
「スペインのセビリヤの最も美しい一劃である、バリオ・デ・サンタ・クルスのあたりの細い路地をぶらぶら歩いていると、ゼラニウムの花の咲き乱れた植木鉢をいっぱい並べたバルコニーのある、白や黄色の壁の家がうねうねと続いている。壁にはアーチ式の鉄格子の門があって、その唐草模様の鉄格子から、しんとした中庭の内部をのぞきこむと、美しい色とりどりのタイルを敷きつめた、いわゆるパティオ(中庭)の光景が眺められる。」
「このパティオには、敷きつめられたタイルの中央に泉水や噴水があり、巨大な植木鉢がところ狭しと飾られており、椅子やテーブルなども備えつけてある。鉢植えの植物は、主として南国的な蔓草や羊歯類や蘭科植物で、植木鉢からあふれるように垂れ下がり、そのほかにアカシア、オレンジ、棕櫚、藤、蔓薔薇、葡萄などが植えられている。玄関には僧院風の柱廊があり、二階のベランダから下を眺めおろすこともできる。
 私はスペイン滞在中、町の人が午睡(シエスタ)を楽しんでいる頃、このひっそりした民家のパティオをのぞいて歩きながら、ひとり陶然たる気分を味わっていた。人類の考え出した「庭」という観念の原形が、このアンダルシヤの青空の下の、緑の植物と水の流れに覆われた、小さなタイル張りの中庭にあるような気がするのだった。」

「つい最近、私は中近東のイラク、イランを駈足旅行してきたが、イランの古都イスパハンや、南部ファールス地方の中心的な都市シラーズなどで、やはりアンダルシヤで見たスペインの庭園とよく似た形式の、純粋なイスラム様式の庭園を訪れて、感動を新たにしたばかりのところである。」
「彼岸の世界を信頼せず、超越への努力を放棄して、ボードレールのいわゆる「秩序と美と、栄耀と静寂(しじま)と快楽(けらく)」の集約された、地上の楽園をひたすら真剣に求めたのは、ともするとイスラム文化圏の人々ではなかったろうか、と私は漠然と考える。そして私自身の楽園のイメージも、どういうわけか、ここに最も居心地の良さを発見するのである。」



澁澤龍彦 ヨーロッパ 05


澁澤龍彦 ヨーロッパ 06




こちらもご参照ください:

ヴラスタ・チハーコヴァー 『新版 プラハ幻影 ― 東欧古都物語』





























































































澁澤龍彦 『高岳親王航海記』

「パタリヤ・パタタ姫は、正しくいえばパタリヤ・パタリヤ・パタタ姫である。この国には、女は結婚すればファーストネームを重複させねばならぬという習俗があったからだ。」
(澁澤龍彦 『高岳親王航海記』 より)


澁澤龍彦 
『高岳親王航海記』


文藝春秋
昭和62年10月25日 第1刷
昭和62年11月20日 第2刷
234p 初出1p
四六判 角背布装上製本 貼函
定価1,800円
装幀: 菊地信義
地図: 著者作成



初出は「文學界」昭和60年8月号~昭和62年6月号。

本書は実在した歴史上の人物を主人公にしていますが、もちろん歴史小説などではなくて、『西遊記』のような大うそ小説であります。なれども、うそでしか語れない真実もあるのよ。というわけで、うそであるからこそ本書は澁澤龍彦の自伝としてもよむことができるのであります。


澁澤龍彦 高岳親王航海記 01


帯文:

「死の
予感に
満ちた
遺作
幻想
綺譚

幼時からエクゾティシズムの徒であった親王は、占城、真臘、盤盤、魔海などを経て一路天竺をめざす。夢と憧れ、怪奇と幻想のアラベスク」



澁澤龍彦 高岳親王航海記 02


帯背:

「遺作
   幻想
     綺譚」



澁澤龍彦 高岳親王航海記 03


帯裏:

「この『高岳親王航海記』は、十年余り文芸時評を続けている間に読んだ多くの文芸作品の中で稀に出会うことのできた屈指のすぐれた小説、綺譚と言ってよい。作者の古今東西に及ぶ該博な知識が奇想とも言える卓抜な想像力によって織りなされ、この世を超えた幻想的な物語が展開される。それがブッキッシュな厳密な考証に耐えると共に、現代の諷刺になっているだけでなく、実におどろくべきことだが、作者の身心の表白にもなっていることだ。めくるめく怪奇幻想の世界に遊んでいたぼくは、終わりにいたり高岳親王と一体化して、死して天竺に向かう気持ちになっているのだ。私小説ではなく綺譚において作者が直接的自己表出できるというのは稀有のことではないだろうか。
(「サンケイ新聞」文芸時評より)
奥野健男氏評」



澁澤龍彦 高岳親王航海記 05


目次:

儒艮
蘭房
獏園
蜜人
鏡湖
真珠
頻伽



澁澤龍彦 高岳親王航海記 04



◆本書より◆


「儒艮」より:

「添寝をしてもらいながら聞く薬子の物語に、子どもは幼い夢をふくらませた。
 「日本の海の向うにある国はどこの国でしょう、みこ、お答えになれますか。」
 「高麗(こま)。」
 「そう、それでは高麗の向うにある国は。」
 「唐土(もろこし)。」
 「そう、唐土は震旦(しんたん)ともいうのよ。その向うは。」
 「知りませぬ。」
 「もう御存じないの。それはね、ずっと遠いところにある天竺という国よ。」
 「天竺。」
 「そう、お釈迦さまのお生れになった国よ。天竺にはね、わたしたちの見たこともないような鳥けものが野山を跳ねまわり、めずらしい草木や花が庭をいろどっているのよ。そして空には天人が飛んでいるのよ。そればかりではないわ。天竺では、なにもかもがわたしたちの世界とは正反対なの。わたしたちの昼は天竺の夜。わたしたちの夏は天竺の冬。わたしたちの上は天竺の下。わたしたちの男は天竺の女。天竺の河は水源に向ってながれ、天竺の山は大きな穴みたいにへこんでいるの。まあ、どうでしょう、みこ、そんなおかしな世界が御想像になれまして。」」

「「みこ、みこはいまに大きくなったら、お船に乗って天竺へいらっしゃるのね。そうでしょう、きっとそうだとわたしは思います。わたしには未来のことが見えるのですもの。なれども、わたしはそのときはもうとっくに死んでいて、この世にはいないことでしょう。」
 「どうして。」
 「さあ、どうしてだか分りませぬが、未来をうつすわたしのこころの鏡は、わたしの死が近いことを告げているのです。」
 「でも、薬子はまだ若いのに。」
 「嬉しいことをおっしゃいます、みこ。なれども、わたしはかならずしも死ぬことを怖れてはいないのですよ。三界四生に輪廻して、わたし、次に生れてくるときは、もう人間は飽きたから、ぜひとも卵生したいと思っているのです。」
 「卵生。」
 「そう、鳥みたいに蛇みたいに生れるの。おもしろいでしょう。」
 そういうと、薬子はつと立ちあがって、枕もとの御厨子棚(みずしだな)から何か光ものを手にとるや、それを暗い庭に向ってほうり投げて、うたうように、
 「そうれ、天竺まで飛んでゆけ。」」

「「でも、あの光るものは何だったの。薬子が投げた光るものは。」
 「さあ、何でしょうか。わたしの未生(みしょう)の卵とでも申せばよいのでしょうか。それとも薬子の卵だから薬玉と呼びましょうか。何と呼んだらよいか分らないようなもの。世の中にはね、みこ、そういうものがあるのよ。」

「けだし、親王の仏教についての観念には、ことばの本来の意味でのエクゾティシズムが凝縮していたにちがいないからだ。エクゾティシズム、つまり直訳すれば外部からのものに反応するという傾向である。なるほど、古く飛鳥時代よりこのかた、新しい舶載文化の別称といってもよかったほどの仏教が、そのまわりにエクゾティシズムの後光をはなっていたのはいうまでもあるまいが、親王にとっての仏教は、単に後光というにとどまらず、その内部まで金無垢のようにぎっしりつまったエクゾティシズムのかたまりだった。たまねぎのように、むいてもむいても切りがないエクゾティシズム。その中心に天竺の核があるという構造。」

「かように俗塵をきらい幽居を好んだためか、親王の異名の一つに頭陀親王という尊称があるほどだ。頭陀とは、身を雲水にまかせた質素な托鉢行脚の生活をいう。異名といえば、これほど異名のあるひともめずらしく、後世一般には法名により真如親王あるいは真如法親王と称するが、本名は高岳親王であり、そのほかに禅師のみことか、みこの禅師とか、入道無品親王とか、入唐三のみことか、池辺の三の君とか、さらにまた、うずくまり太子などという異様な呼び名さえある。うずくまりとは、一見、いかにもひっこみ思案で優柔不断な性格を暗示しているようで、おもしろい。そういう性格のひとだったからこそ、かえって逆に古代日本最大のエクゾティシズムを発揮することができたのではなかったか。」

「親王はだまって聞いていたが、やがてふたりの意見が出つくしたと見ると、しずかに笑って、
 「いや、それほど気にしたものでもない。男とか女とかいうことに、それほどこだわることもない。みなも知っているように、秋丸は最初は男だった。それがここへきて女になった。天竺へ近づけば、また男になるかもしれないではないか。」」



「蘭房」より:

「おかしなことに、唐人の説明のことばをうわの空に聞きながら、親王はにわかに眠くて眠くてたまらなくなってきた。単調な櫂のひびき、水面にゆらめく光の反映、それに絶えまない舟の横ゆれが、もしかしたら長時間にわたって催眠的な効果をおよぼしたのかもしれなかった。堪えがたい睡魔にひきずりこまれるように、親王はずるずると懶惰な放心の状態に落ちていった。そして、そのあげくに短い夢を見た。

 夢の中でも親王は舟に乗っていた。(中略)乗っているのは親王と藤原薬子で、ふたりはせまい舟のなかで膝をつき合わせている。こうして薬子といっしょにいる以上、親王は夢の中で七つか八つの子どもにかえっているのにちがいない。」

「「これ、なに。」
 指さして、声をひそめて、親王はきいた。
 「迦陵頻伽よ。」
 「カリョービンガ。」
 「そう。天竺の極楽国にいる鳥よ。まだ卵の中にいるうちから好い声で鳴くんですって。顔は女で、からだは鳥。」
 「薬子に似ているね。」
 「あら、そうかしら。」」

「「あぶないわ。みこ、みこ……」
 薬子の声をうしろに聞いたように思った。あるいは薬子の声ではないような気もした。

 「みこ、みこ……」
 小舟の中でうたたねしている親王に、こう遠慮がちに声をかけたのは秋丸だった。」



「獏園」より:

「子どものころから夢を見るのが得意だったし、楽しい夢ばかり見てきたとつねづね自負している自分である。楽しい夢は思い出してこそ、ますます楽しくなる。夢とは思い出そのものだといってもよいくらいなので、その思い出すという機能を失うならば、夢は死んだも同然ではあるまいか。」


「蜜人」より:

「こういうとき、きまって親王は眠くなるのだった。なにかそれまでの緊張がゆるんで、ほっとしたような気分になるからであろう。さいわいにも丸木舟は帆にいっぱい風をはらんで、しぜんに前へ前へとすすんでいたから、べつに親王が足で車をまわさなくても、不意に地上に墜落したりする心配はなさそうであった。豆の莢(さや)のようなかたちをした丸木舟の中にごろりと身を横たえて、親王は目をつぶった。目をつぶれば、たちまち夢を見る。いまさらいうまでもなく、これも親王の特技の一つだった。」


「鏡湖」より:

「ただ、どこがどうというのではないが、あるきながら、いつもの自分をどこかへ置き忘れているような、なにか自分の中に脱けおちた部分があるような、へんに頼りない気持がすることも事実であった。それが雲南という土地のせいか、それとも自分自身のせいかはよく分らない。ともかく三人の従者といっしょに本来の自分をアラカン国にのこしたまま、別の自分がひとりで空とぶ丸木舟に乗って南詔国へ来てしまったのでもあるかのような、妙におちつきのわるい気持がする。ふわふわと自分が軽くなったような気持がする。しかし見方によっては、それは自分という桎梏をふりはらって新たな自由の境地にあそんでいるかのような、さばさばした気分に通じていなくもなかった。このさばさばした気分、それをたのしめばよいのだと親王は楽天的に考えた。」


「真珠」より:

「「『淮南子』の説林訓に次のような一節があります。すなわち、明月ノ珠ハ蛖ノ病ナレドモ我ノ利ナリ。虎爪象牙ハ禽獣ノ利ナレドモ我ノ害ナリ。蛖というのは貝の一種だそうです。(中略)要するに真珠というのは貝にとっての病気にほかならないのですね。病める貝の吐き出した美しい異物、それが真珠です。(中略)病気だから美しいのか、美しいから病気なのかはよく存じませぬが、この二つがどうやら相関関係を有しているのはまぎれもない事実のようで、わたしなんぞは、女人であれ花卉であれ器物であれ、あんまり美しいものを目にすると、つい警戒心をおこしてしまう。みこの掌の上の美しい真珠を見れば、これが将来、みこにわざわいをもたらすことになりはせぬかと、ついつい、いらざる心配をしてしまいます。」」
「「たとえそれが病気の結果だとしても、それはそれでいいではないか。考えてみれば、みこが真珠のような明珠をこよなくお好みになるのも、失礼ながら、まあ一種の精神の病気といえばいえないことはないかもしれない。とすれば、この真珠はみこの精神がこの世に生み出したものともいえるだろう。さればこそ、この二つは相似をなす。病気がなければ美しいものは育たないという古典の教えを、わたしはおまえさんのように、かならずしも悪い面でのみ解釈しようとは思わないな。」」

「なぜ親王は真珠をうばわれまいと抵抗をこころみたのか。円覚は真珠をまがまがしいものであるといい、安展はかならずしも然らずといった。安展はさらに、この真珠はみこの精神がこの世に生み出したようなものだとさえいった。はたしていずれの意見が真実をうがっているかはさておき、この真珠に対して、いつしか親王はひとかたならぬ愛着をおぼえはじめていたのだった。よしんば不吉なものであろうと、真珠はわたしと一心同体だ。むざむざさらわれてたまるものか。うばえるものならうばってみよ。」



澁澤龍彦 高岳親王航海記 06

































































澁澤龍彦 『私のプリニウス』

「高等動物において認められる横隔膜は、古来、腹部にひそんでいるドラゴンが胸部へもぐりこむのを防ぐための隔壁と考えられていたのである。」
(澁澤龍彦 「セックスと横隔膜」 より)


澁澤龍彦 
『私のプリニウス』


青土社
1986年12月31日 第1刷発行
1988年6月30日 第3刷発行
273p
20.2×15.5cm 丸背紙装上製本 
カバー ビニールカバー
定価2,200円
著者自装



本書「あとがき」より:

「「私のプリニウス」は一九八五年一月から八六年十月まで、二十二回にわたって青土社の「ユリイカ」に連載された。」


澁澤龍彦 私のプリニウス 01


金色の帯がビニールカバーにくっついてしまったのでとろうとしたところ表面が部分的に剥げてしまいました。


澁澤龍彦 私のプリニウス 03


帯文:

「怪異・奇想の博物誌
古代ローマ人の自然学的知を森羅万象にわたって蒐集したプリニウス『博物誌』の、さながら幻想の百科全書を思わせるような怪異な叙述のなかに、人間の思考と想像力の原型をさぐる会心のエッセイ。」



帯背:

「幻想の
王国」



目次:

迷宮と日時計
エティオピアの怪獣
セックスと横隔膜
海ウサギと海の動物たち
薬草と毒草
カメレオンとサラマンドラ
琥珀
畸形人間

世界の不思議
磁石
鳥と風卵
アネモネとサフラン
頭足類
スカラベと蟬
宝石
誕生と死
地球と星
天変地異
真珠と珊瑚
香料


あとがき



澁澤龍彦 私のプリニウス 02



◆本書より◆


「迷宮と日時計」より:

「少なくとも設計者ないし建築者が意図的につくったものでなければ、真の意味の迷宮とはいえないのである。」

「かように、プリニウスの記述をあまり真面目に受けとると、とんだ徒労を味わわされる羽目になることがあるから用心しなければならない。(中略)しかし、それではプリニウスの記述の大半は信用ならない空想的なものばかりかというと、決してそうではなくて、ふと洩らされた片言隻句のうちに、なかなか意味ふかい当時の民俗がとらえられていたりする。
 たとえば前に引用したクレタの迷宮に関する文章のなかに、「それは大理石の床に描かれているような、あるいはマルス広場で子どもが遊ぶときのような」という一節が見えるが、これなんか、当時にあって迷宮のモチーフがいかに広く装飾用に用いられていたかを証するものというべく、見のがすことのできない一節である。のちにイングランドやアイルランドでさかんになったような、地面に迷宮を描いて遊ぶ子どもの風習も、このプリニウスの文章によれば、すでにローマで先鞭をつけられていたもののごとくである。」

「プリニウスの全巻を通読しようなどという不逞な気を起したことは、私は一度もない。いつでも気ままにぱらぱらとページをめくって、目についたところを読むともなしに読むだけである。読めば読んだで、おもしろい。(中略)学問や研究のために威儀を正して読むというような読み方は、おそらくプリニウスにふさわしくないだろう。あんなに嘘八百やでたらめを書きならべて、世道人心を迷わせてきた男のことだ。私たちとしても、そういう男にふさわしい付き合い方をしてやらねばならぬ。」



「エティオピアの怪獣」より:

「プリニウスにとって、どうやらエティオピアは怪獣の宝庫とでもいうべき国のごとくに映っていたらしい。」

「どうもこのひとには、ローマ帝国の高級官吏だったというのに、生来そそっかしいところがあるようである。」

「もしかしたら、ことばのほうが先にできて、実体はあとから作られた怪物ではなかったろうか。」

「結局のところ、ここでもプリニウスは先人の説を無批判にアレンジして、ちょっぴり自分の創作をつけ加え、自分なりに編集し直したにすぎないもののようである。(中略)あきれてしまうくらい、プリニウスは独創的たらんとする近代の通弊から免れているのでった。」

「どうも私はプリニウスの法螺吹きである点や、剽窃家ないし翻案家である点を強調するあまり、彼の大著執筆にあたっての真面目な意図を無視しがちであるような気がするが、いずれは彼のすぐれた観察眼や洞察力を示す機会もあることと思う。まあ急ぐことはあるまい。私自身の興味がどうしても、幻想文学としての『博物誌』に向いがちであるのだから、当分は心おきなくプリニウスの嘘八百に付き合っていきたいと考える。考証などと大げさなことはいわないが、むしろ彼がどんなふうに嘘八百をならべたり、でたらめを書いたりしているかという、そのからくりを解き明かすことに私の興味の中心があるといってもよいくらいなのだ。」



「セックスと横隔膜」より:

「怪物趣味と私は書いたが、たしかにプリニウスが生きていた当時、そういってもよいような風潮があったもののごとく、たとえば次のような一節からもそれははっきりと読みとれる。」
「「また両性を具有した人間が生まれることもある。私たちはこれをヘルマプロディトスと呼ぶ。かつてはアンドロギュヌスと呼ばれて奇蹟のごとく扱われていたが、今日では逆に楽しみをあたえるものと見なされている。大帝ポンペイウスはその劇場の装飾物のあいだに、世間の耳目を驚かした人物の肖像画を掲げさせた。(中略)それらの人物のなかには、三十回も母になったのち、その二十人の子どもによって火刑台にはこばれたトラレスのエウテュキスだの、象の子を生んだアルキッペだのが数えられる。この最後の例は不吉な前兆と見なされている。実際、マルシ族との戦争の初期には、ひとりの家政婦が蛇を生んだということもあって、怪物の誕生はさまざまなかたちで起りうるのだ。クラウディウス帝が書いているところによると、テッサリアで生まれた一匹のヒッポケンタウロスはその日のうちに死んだという。同帝の治世のあいだ、蜂蜜に漬けて保存された別の一匹がエジプトから舶載されたこともあり、私たちはこれを目撃している。サグントゥムでは、この町がハンニバルによって破壊された年、赤んぼうが母の胎内から出るとすぐまた引っこんだという例があった」
 国技館の天井に優勝力士の額を掲げるように、怪物を生んだ母の像を劇場に掲げて顕彰したというのだから、ローマのデカダンスも相当なものだと思わないわけにはいかない。ただ、私は前にも書いたことがあるけれども、このデカダンスを不健康なものだと思ったら大きに間違っているだろう。宇宙人や怪獣を喜ぶ今日の子どものそれとひとしく、彼らの怪物趣味も自然に対する生き生きした好奇心のあらわれと私は考えたい。」

「プリニウスも名だたる引用魔であるが、(中略)しかし、こうした引用魔のおかげで、いまでは散佚してしまった古代の知識の断片が次代から次代へと伝えられることになったのだから、ゆめゆめ彼らを馬鹿にしてはいけないだろう。」

「なんとまあ、見てきたような嘘を書くものだろうかと、私たちはつくづくあきれてしまう。けつを捲っているのか、とぼけているのか、それとも本気で信じているのかは、だれにも分らない。なんという無責任! すでにこれは文学である。」



「海ウサギと海の動物たち」より:

「『博物誌』第九巻第二章より引用する。
 「海産動物のなかには、地上の獣より大きいものもたくさんいる。その原因は明らかに水の元素がたっぷりしているからだ。(中略)ゆったりと遍満して食物も豊富に供与する海の中では、自然は神から生殖の原理を受けて、たえず生きものを産み出しているのだ。海には怪物もたくさん見つかる。風や波にころがされて、精液や胚子がさまざまに混り合ったり凝集したりするからだ。一般に信じられているように、海以外のどこにも存在しない多くの生きものは別として、地上のどこかに生きているものは海中にもまた生きているという説は正しいことが証明されている。生きものばかりか、生命のないものを模倣する動物さえあって、たとえば葡萄の実とか、両刃の剣とか、鋸(のこぎり)とかにそっくりな動物もあれば、色といい匂いといいキュウリにそっくりな動物もある。そうとすれば、小さなカタツムリのからだに馬の頭のついている動物がいたからといって驚くにはあたるまい」
 この部分は、ジロラモ・カルダーノとかギヨーム・ロンドレとかアンブロワズ・バレとかいったルネサンス期の錚々たる博物学者たちに何度となく引用されて、アナロジーによる自然観の古典的な教本のごときものと見なされるにいたっている。実際、海とは汲めども尽きぬ生命の貯蔵庫であって、海の胎内にはあらゆるものを模造する神秘な力がひそんでおり、したがって、陸に存在するものは必ずその対応物が海にも存在するといった、一種のアナロジー理論が当時の自然哲学者たちを風靡していたのは、いま私たちが考えると不思議な気がするくらいである。いつの時代でも、哲学くらい流行に左右されやすいものはない。おそらくプリニウス自身には世界を統一的に解釈しようなんていう意志はなかったと思われるのに、しばしば彼らに引用されて、アナロジー理論の元祖のごとき地位に祭りあげられてしまったのがプリニウスであった。こういう例も、たぶん思想の歴史をさぐれば数限りなく発見されるにちがいない。」



「薬草と毒草」より:

「しきりに偶然を強調するプリニウスは、もしかしたらエピクロスやルクレティウスのそれに近い思想をもったひとだったのかもしれない。しばしば思想がないひとのようにいわれるが、プリニウスにだってそれなりの思想はあったにちがいない。」


「カメレオンとサラマンドラ」より:

「どういうわけか、私は子どものころ、カメレオンという小動物が大好きだった。上野動物園の暖房のきいた爬虫類館のガラス越しに、植物の緑と同じ色をして枝にとまっている、なにか奇妙な細工物のように繊細なカメレオンのすがたを発見したときの驚きを、いまでも私はよくおぼえている。巨大な錦蛇やワニよりも、体長わずか十センチばかりの小さなカメレオンのほうが、はるかに私には神秘感をそそり立てるように思われた。それに、カメレオンという名前のひびきもよかった。」
「しかし少年時の私がカメレオンに魅力をおぼえた第一の理由は、やはり何といっても、その超能力めいた体色変化の特技のためだったにちがいない。これについてはジャン・コクトーが『ポトマック』のなかに、おもしろい文章を書いているから次に引用しておこう。
 「あんまりいろいろな環境に置かれると、感じやすいひとは順応できなくて、まいってしまう。むかし一匹のカメレオンがいた。飼い主は暖めてやろうとして、色とりどりの格子縞の毛布の上にカメレオンをのせてやった。カメレオンはくたくたになって死んでしまった」」
「体色変化もさることながら、古来、ギリシア・ラテンの作家たちがカメレオンに帰していた、もう一つの超能力ともいうべき特技は、彼らがただ空気のみを食って生きているということだった。さすがにアリストテレスはそんな非科学的なことを書いてはいないが、オウィディウスやプルタルコスは書いている。もちろんプリニウスも書いている。」

「必ずしも神秘な現象を信じる神秘主義者ではないが、何によらず神秘なことが大好きという、二十世紀の私たちの神秘好きの心理に、案外、プリニウスは近かったのかもしれない。」

「「あらゆる有毒動物のうちでサラマンドラはもっとも兇悪である。一般の有毒動物においては、毒は個別的に作用するから、多くの人間を同時に殺すということはない。しかるにサラマンドラにおいては、自分でも気づかぬうちに多くの人間を死にいたらしめることがある。つまりサラマンドラが一本の樹にのぼると、その樹の実すべてがサラマンドラの毒に汚染されて、アコニトンの毒と少しも変らない冷却作用のある力により、その実を食べる者すべてに死をもたらすからだ。そればかりではなく、もしパンの皮がサラマンドラのふれた木で焼かれるならば、そのパンを食べた者も死ぬし、もしサラマンドラが井戸に落ちるならば、その井戸の水を飲む者も死ぬ。またサラマンドラの粘液が肉体の一部に滴れば、たとえそれが足の先だとしても、その部分の体毛はすべて脱落してしまう。ただし、それほど強力な毒であるにもかかわらず、サラマンドラは豚のような動物には好んで食われてしまう。どんな動物同士のあいだにも反発力(アンチパシー)というものが存するからだ」
 現実には存在しないサラマンドラのような動物の毒について、これほど情熱をもって語ることができるプリニウスというひとも、えらいものだとつくづく思う。このあたりは、アリストテレスなんぞが絶対にまねすることのできない特殊な資質だとしかいいようがないだろう。」

「じつのところ、サラマンドラのモデルである現実のイモリは無害な動物なのである。」

「カメレオンも好きだが、私はサラマンドラも大好きで、たとえば京都の山国の常照皇寺の池だとか、近江の朽木谷(くつきだに)の興聖寺の池だとかに、うようよ群がって泳いでいる黒いイモリを見つけると、つい池のふちにしゃがみこんで、いつまでも眺めてしまうことがある。」



「琥珀」より:

「そもそも瑣末主義を楽しもうという精神がなければ、プリニウスなんぞ読んだっておもしろくもおかしくもないのである。」


「磁石」より:

「最後に磁石に関して私自身のことを述べるとすれば、私は子どものころ、レンズも好きだったが磁石も大好きだった。(中略)磁石がなぜ少年時代の私たちの心をそそるかといえば、プリニウスやルクレティウスも書いているように、それが一種の遠隔操作を行うからではないかと思う。」


「誕生と死」より:

「プリニウスの基調はペシミズムである。こんなに好奇心旺盛な、こんなに逸話好きな、こんなに勤勉な文筆家が、どうしてペシミスティックな思想の持主だったのかと、ふしぎな気がするくらいである。」
「「自然が人間にとって、やさしい母であるか残酷な母であるかは軽々に断定しえないだろう。まず第一に、人間はあらゆる生きものの中で、他の生きものから借りたものを身にまとわねばらなぬ唯一の生きものである。自然は人間以外のすべての生きものに、それぞれ自分の身を守るものをあたえた。すなわち甲殻、貝殻、皮革、とげ、毛皮、剛毛、たてがみ、綿毛、羽毛、鱗、羊毛などである。樹の幹だって、ときには二重の樹皮によって暑さ寒さから守られている。人間だけが、生まれおちると同時に裸の土の上に裸のままでほうり出され、ただちに泣き声をあげなければならないのだ。多くの生きものの中で、こんなに涙をながしやすい生きものはないし、人生の第一歩から泣きわめく生きものなんて聞いたことがない。笑いについていえば、どんなに早くても生後四十日以前に笑う子どもはいない。こうして光に浴してからも、私たちを待っているのは、家畜にさえも課することをためらうような束縛であり、私たちの全身はそれによってがんじがらめにされてしまう。だから、幸福な新生児などといっても、要するに彼らは手足を縛られ泣き濡れて寝かされているにすぎない。すべての生きものに君臨すべき人間が、このざまなのである。この世に生まれたという唯一の過ちによって責苦を課せられて、彼らは人生をはじめなければならないのだ。ああ、こんな人生の第一歩を踏み出した人間が、人間としての誇りをもつなんて狂気の沙汰であろう!」」
「プリニウスが死について大いに語っているのは、(中略)第七巻の第五十章以下である。誕生について語るときと同様、ここにもペシミズムが色濃く反映している。」
「こんなふうに死の兆候やら死の例やらをずらずら書きならべはじめると、とたんにプリニウスはペシミズムなんか吹っとばして、またもや書くことに熱中するようになる。」
「「前執政官アウィオラは火葬場の薪の山の上で生きかえったが、すでに火勢はげしく救出することをえず、ついに生きながら焼かれてしまった。前法務官ルキウス。ラミアも、同じような死に方をしたといわれている。(中略)人間の運命とはこんなものだ。私たちの誕生とともに定められている、運命の気まぐれとはこんなものだ。人間である以上、一瞬も死に気を許すことはできないのである。多くの例から一つを挙げれば、クラゾメナイのヘルモティモスの魂は肉体を離れて遠くへさまよい出す習性があり、そこにいなければ知りえないような情報をたくさん持って帰ってくるのだった。魂が抜け出ているあいだ、肉体は麻痺状態におちいっている。ところが、ある日、カンタリダイと呼ばれる敵の一族が、彼の肉体を焼いてしまった。そこで帰ってきた魂は、いわば鞘のごとき肉体の中へもぐりこむことができなくなってしまった。またプロコネソスのアリステアスについては、その魂がカラスのかたちをして口から飛び出すのを見たというひとがある。荒唐無稽という点では、次の物語も同様だ。実際、クノッソスのエピメニデスの冒険も、私には同じような印象をあたえる。すなわちエピメニデスはまだ幼いころ、暑さと疲れにぐったりして、洞窟の中で眠りこみ、そのまま五十七年間眠りつづけてしまった。やがていつものように目をさますと、何もかもが変っているのに一驚した。その後、やはり五十七年間で彼は老人になり、百五十七歳まで生きつづけた」」
「「もっとも不思議でもっともよく起る現象は、突然の死である。これこそ人生において起りうる、もっとも大きな幸福だ。」」
「「クイントゥス・アエミリウス・レピドゥスは外出しようとして、足の親指を部屋の敷居にぶつけて死んだ。ガイウス・アウフィディウスは外出して元老院に行こうとしているとき、コミティウム広場で足をすべらして死んだ。元老院でロドス島のために弁じて満場をうならせた同国の大使は、議事堂の敷居をまたごうとして、その場でぽっくり死んだ。これも前法務官グナエウス・バエビウス・タムフィルスは、奴隷に時間をききつつ死んだ。アウルス・ポンペイウスはカピトリウムの丘で、神々に敬意を表してから死んだ。執政官マニウス・ユウェンティウス・タルナは、犠牲をささげている最中に死んだ。ガイウス・セルウィリウス・パンサは朝の七時、弟のプブリウスの腕にもたれて、広場の一軒の店の近くに立っているときに死んだ。判事のバエビウスは、執行猶予をいいわたしているときに死んだ。マルクス・テレンティウス・コラクスは、広場でメモをとっているときに死んだ。つい昨年、ローマのある騎士は、アウグストゥス広場の象牙のアポロン像の前で、ある前執政官の耳に何事かをささやいている最中に死んだ。もっとも奇妙な例は医者ガイウス・ユリウスのそれだろう。彼はからだに油を塗っている最中、自分の目に探り針を突きさして死んだ。前執政官アウルス・マンリウス・トルクアトゥスは夕食のとき、菓子を食べようとして死んだ。医者ルキウス。トゥッキウス・ウァラは、蜂蜜酒をのみながら死んだ。アッピウス・サウフェイウスは公衆浴場からの帰り、蜂蜜酒をのんでから卵を一つ吸って死んだ。プブリウス・クインティウス・スカプラは、アキリウス・ガルスの家で食事中に死んだ。書記のデキムス・サウフェイウスは、自宅で昼食中に死んだ。前法務官コルネリウス・ガルスとローマの騎士ティトゥス・ヘテレイウスは、ウェヌスの快楽にふけっている最中に死んだ。近ごろスキャンダルのたねになった二人の騎士階級の人物も、同様に当代随一の美男たるパントマイム役者ミスティクスを相手にたわむれながら死んだ」
 よくまあ、ずらずらと書きならべたものである。こういうところにこそ、プリニウスの本領が遺憾なく発揮されていると考えるべきだろう。もはやここにはペシミズムの基調は消えてしまっている。すでに作者は死の蒐集家になってしまっているからだ。(中略)足の親指を敷居にぶつけて死んだ人物からはじまって、男や女を相手に情事にふけりながら死んだ人物にいたるまで、ほとんどナンセンスすれすれな理由づけとともに展開される、この死のリストは私にはじつにおもしろい。」



「天変地異」より:

「シシリア島のエトナ山の記述があるのに、ヨーロッパ大陸唯一の活火山たるウェスウィウス山の記述がここにないのは、この山が遠く紀元前八世紀ころ噴火して以来、久しく死火山と見なされてきたためにほかならぬ。当時すでにウェスウィウス山の地味肥沃な斜面では葡萄やオレンジが栽培されていたらしく、プリニウスは葡萄を扱った『博物誌』第十四巻で、この山の名前をちらと出しているにすぎない。やがて紀元七九年八月二十四日、この山の突然の大爆発とともにプリニウスは死ぬが、まさかこの第二巻を書いていたころ、将来の自分が火山のために死ぬことになろうとは夢にも思っていなかったにちがいない。」


「あとがき」より:

「プリニウスとの付き合いは長い。これまでにも多くの著書のなかで、好んでプリニウスの片言隻句を引用してきたおぼえがあるし、数年前に書いた『唐草物語』のなかの一篇「火山に死す」は、紀元七九年八月二十四日、時ならぬウェスウィウス山の大爆発とともに死んだプリニウスを主人公とした短篇小説である。このいかにも自然の愛好家らしいプリニウスの最期は私の大いに気に入っているもので、できれば私もこんな死にかたをしたいと夢想したことがあるが、所詮それはかなわぬ望みだと思い知らされている昨今である。」



































































澁澤龍彦 『ドラコニア綺譚集』

「そしてさらにいえば、私自身も遠い過去においては、まぎれもない一匹の魚だったのではあるまいか。そんな漠然とした想念が、しきりに私の頭のなかを去来するのでありました。」
(澁澤龍彦 「文字食う虫について」 より)


澁澤龍彦 
『ドラコニア綺譚集』


青土社
昭和57年12月1日 第1刷印刷
昭和57年12月8日 第1刷発行
235p 別丁図版(モノクロ)1葉
A5判 丸背紙装上製本 
カバー ビニールカバー
定価1,900円
著者自装



本書唯一の図版はバルデス・レアール「この世の栄光の終り」で、112頁と113頁の間、本全体のほぼ真ん中あたりに来るようになっています。
カバー絵はクラナッハのメランコリア(1532年)です。


澁澤龍彦 ドラコニア綺譚集 01


帯文:

「知と幻想の博物誌
博捜をきわめた〈知〉と、陰影に富む〈幻想〉にないまぜられ、端麗にして妖艶な旋律を奏でる澁澤文学の金字塔。」



帯背:

「絢爛たる
物語世界」



澁澤龍彦 ドラコニア綺譚集 02


目次:

極楽鳥について
鏡と影について
飛ぶ頭について
かぼちゃについて
文字食う虫について
スペインの絵について
ラテン詩人と蜜蜂について
箱の中の虫について
桃鳩図について
仮面について
童子について
巨像について

あとがき



澁澤龍彦 ドラコニア綺譚集 03



◆本書より◆


「極楽鳥について」より:

「極楽鳥の種類はきわめて多く、東南アジアからニューギニアまでの地域に、亜種をふくめると百種類以上も見つかっているそうであるが、とくにヨーロッパの伝説に登場するそれは、シンガポールおよびジャワ島産の極楽鳥だという。これはもっとも形が大きく、しかも美しい種類のもので、かの博物学者リンネが中世の伝説に基づいて、パラディセア・アポダという学名をつけたところの極楽鳥だった。アポダ、すなわちラテン語で「脚がない」という意味である。中世の伝説では、極楽鳥には脚がないと信じられていたのである。
 脚がないから、極楽鳥は樹の枝にとまることもできず、地上に舞い降りることもできず、四六時中、休みなく空中を飛びまわっていなければならない。生きているかぎり、眠っているときでさえ、永遠の飛翔をつづけていなければならない。死んで初めて地上に落ちてくるので、人間には死んだ極楽鳥のすがたしか見ることができない。――そんな伝説が、おそらく十五世紀の終りごろからであろうか、ヨーロッパにかなり広く行われていたのである。」



「鏡と影について」より:

「古い自我を殺してしまうと、わたしは現在のみに生きる人間となった。わたしにはすでに過去というものがないのだ。そう思うと、なにか人間的に欠けるところがあるような気がしないでもなかったが、それはむしろ贅沢な仙道修行者の悲しみというものだったろう。一切の過去を断ち切ってから、わたしは鞠君子に教えられた通り皖公山におもむくと、そこに小さな庵室を築いて仙道三昧に明かし暮らしたものだ。わたしがいまも心楽しく生きているのは、このようにしてわたし自身の古い過去と絶縁したためにほかならぬ。」


「飛ぶ頭について」より:

「例年にない記録的な冷夏だというのに、北鎌倉のわが家の庭では、例年に変らず蝉の大合唱がかまびすしかった。夏の夕まぐれ、なんにもすることがないままに、時間をもてあましながら酒を飲んでいるときほど、自堕落な満足感にひたれるときはなかった。私とY君とのあいだには、さっきから、いわば親密な沈黙といったようなものが交流していた。世間には沈黙に堪えられなくて、どうしても話題を見つけ出さずにはいられない性癖のひとがいるが、私もY君も、そういう性癖にはまったく縁のない人間だった。だから、いったん会話が途絶えると、きりもなく沈黙がつづくのである。
 ふと思い出したように、Y君がそれまでの沈黙をやぶって、
 「飛頭蛮というのは、もともと中国の伝承でね。大兄は御存じかと思いますが、南方の安南あたりに、飛頭蛮と呼ばれた種族があって……」
 「あのね、その話はもう前に書いたんだ。読者の手前、同じ話を二度するのもどうかと思うよ。」
 「あ、そうですか。これは失礼。」」



「文字食う虫について」より:

「レンズを通して眺められた虫は、虫だというのに翅もなく、身体にはいくつも節があり、頭部に一対の触覚と、尾部に三本の長い尾をはやして、まるで古生代ゴトランド紀の甲冑魚のように、いぶし銀の鎧をきているといった恰好でした。なかなかモダーンないでたちです。擬古典主義のトップモードと称しても、昆虫界では十分に通用することでしょう。光線の加減で、それが時に大きく引きのばされたり、小さくちぢんだりして見えるのも、別して異様な眺めでありました。」


「スペインの絵について」より:

「美術館から外へ出ても、スペインはいたるところ光と影の対照のはっきりした、げにもふしぎな地方であった。
 通りの向うから、片手に買物籠をさげ、片手を大きくふりまわし、なにやら意味不明の激語をわめきちらしながら、こちらに向ってすたすた歩いてくる中年の女がある。通行人はみな立ちどまって、彼女のために道を避けるようにしつつ、この女の狂態をおもしろそうに打ち眺めている。しかしそんなことは眼中にないらしく、彼女自身は脇目もふらず、一定の速さで通りをのし歩いている。私は判じ物でも見るような思いで、みるみる遠ざかってゆく彼女のうしろすがたを茫然と見送ったものであった。
 セビリヤからコルドバまで、私は乗合バス式の汽車に乗って行ったが、車内はひどい混雑で、ようやく坐席にすわることができた。と、そこに白い杖を突いた盲人がひょっこり乗りこんできて、私の前に立ったので、私はあわてて腰をあげて、その男に席を譲ろうとした。しかるに、男は私を完全に無視したのである。男は宝籤売りであった。宝籤売りに席を譲るばかはあるまい。
 バルセロナの裏町で、私がカメラを向けると、嫣然とほほえんでポーズをつくる少女があった。そうかと思うと、つんとして顔をそむける意地わるな少女もあった。」



「箱の中の虫について」より:

「「きみは文学者になったと聞いているが、どんなものを書いているのだ。小説か。」
 「いや、小説なんか書かない。おれは人間関係というものが大きらいだから、小説にはぜんぜん向かないタイプなんだよ。ちょっと説明しにくいが、評論みたいなものかな。あるいはエッセーみたいなものかな。自分でもよく分らないようなジャンルのものを書いているよ。」
 「それで、よく食っていけるな。」
 「うん。そこはかとなく食っていける。けっこう贅沢に生きているつもりだよ。」」



「あとがき」より:

「ドラコニアということばがあるかどうか、私は知らない。少なくとも手近の辞書には出ていないようだ。しかし、出ていなくても一向にかまわない。私はただ、ウォルター・ロウリが処女王にちなんで北米の地をヴァージニアと名づけたように、あるいはまた、航海者マゼランがパタゴネス(巨人族)の棲んでいる土地をパタゴニアと称したように、自分で勝手に龍彦の領土をドラコニアと呼んだにすぎないからである。
 ギリシア語やラテン語では、龍はドラゴンでなく、ドラコーンあるいはドラコーと澄むのが原則であることを付言しておく。
 ドラコニアは龍彦の国だから、いってみれば小さな書斎のようなものかもしれない。ただし、小さいけれども伸縮自在の書斎である。『ドラコニア綺譚集』にあつめられた十二篇は、すべて私の書斎から生まれた物語あるいはエッセーだと思っていただいて差支えない。
 十二篇は雑誌「ユリイカ」に昭和五十五年五月から五十六年六月まで、途中で二回だけ休んで連載した。単行本とするために、どの作品にも少しずつ手を加えたこと、また連載時の順序は適宜に変更したことをお断わりしておく。」





こちらもご参照ください:

三木成夫 『生命とリズム』 (河出文庫)





























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

※心の傷、胸焼け、劣等感等ある場合が御座いますが概ね良好な状態になります。

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