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出口裕弘 『澁澤龍彦の手紙』 

「僕は極端な生活蔑視の上に立つ生活エンジョイ派だからね。」
(澁澤龍彦 出口裕弘宛書簡 昭和43年2月3日付)


出口裕弘 
『澁澤龍彦の手紙』 



朝日新聞社 
1997年6月1日 第1刷発行
225p 付記1p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,000円+税
装丁: 柄澤齊
 


本書は出たときに借りてよんだのですが今回アマゾンマケプレで「非常に良い」が125円(+送料350円)で売られていたのを注文しておいたのが届いたのでまたよんでみました。


出口裕弘 澁澤龍彦の手紙


帯文:

「「やっぱり
君に読んで
もらいたい」

生涯に消しようのない
刻印を残しあった
親友にしてライバルのふたり
――四十年の交友を
書簡を通して綴る
鎮魂の書き下ろし」



帯背:

「生き方に、文学に、
谺を返す物語」



帯裏:

「本当のところ、できるだけ長生きして、綺譚小説をつぎつぎに発表するつもりでいたのにちがいない。病室でじかに彼の口から――いや筆談で聞き知ったことだが、晩年、山田風太郎の作風にひそかな共感を寄せていた。ことに、この人の明治開化ものが気に入っていたようである。『幻燈辻馬車』『明治忠臣蔵』『明治バベルの塔』のような小説を、彼自身、狙っていたと思う。広く読まれる異色作家、それが彼の、ある時期からの目標だった。五十代の半ばころ、文庫版の『悪魔のいる文学史』がベストセラーの仲間入りをしたとき、「いや、もう、これ以上は売れないことを望むね」などと照れてみせながら、話題のおもむくまま、いずれは読者層を大きく広げるつもりだと、私を含む友人たちの前で公言したことがあった。
本文より」



目次:

第一章 青春の勇み足
 Ⅰ エラリ・クイーンの“Yの悲劇”を
 Ⅱ これからは翻訳でもばりばりやって
 Ⅲ 僕は生活エンジョイ派だからね

第二章 ほろにがい間奏曲
 Ⅰ ペンで食うのは、実に辛い
 Ⅱ 三島由紀夫の夜
 Ⅲ パリの澁澤龍彦

第三章 未完の生涯
 Ⅰ 溶連菌のせいなんだよ
 Ⅱ 胎児で死んでも、八十で死んでも、おんなじだ

レクイエム重奏――あとがきにかえて




◆本書より◆


「僕は生活エンジョイ派だからね」より:

「後年、澁澤は陰で、あいつはまじめだからなあ、と苦笑まじりにいっていたらしい。むろん、私のことである。半分は、融通がきかなくて困っちゃうという意味だろう。」


「三島由紀夫の夜」より:

「澁澤は三島の大作『暁の寺』の中で、今西という男のモデルにされた。」
「今西のモデルにされた澁澤が、(中略)やんわりと反撃した文章は、前に引いた。ずいぶん傷ついたことだろうに、この件について語る澁澤のペンにさして遺恨は匂わず、全体に内省的で、ほろにがい。こんな奴のモデルと目されたのではやりきれないと言いながら、「それでも三島をして、そう言わしめたことに対する責任の一端は私にあると考えなければならないだろう。三島は私をよほど不健康な人物と誤解していたようだが、私も三島の前で、いくらか演技をしていたということがないとはいえなかった」と書く。」
「自分には生来、ルサンチマン(怨念)というものが決定的に欠けている。たしかに、千年王国だとかユートピアだとか終末思想だとか論じはした。しかし、自分にとってそうしたものはすべて思想的意匠でしかない。観念の迷宮を構築するための材料でしかない。三島はそこが見抜けなかったわけだが、実をいうと当人が、懸命になって見抜かれまいとしていたのだから仕方があるまい。――澁澤がこんな口調で語った文章を、私はほかに知らない。
 しかし、そこまで言われると、私としては首をかしげたくなる。」
「生まれつきルサンチマンを決定的に欠いた人間だというのは、本当だろうか。澁澤はよく己れを知っていた文学者だが、誰にだって見たくない自分というものはある。彼はルサンチマンを、生まれつき欠いていたのではなく、強靭な意志で克服したのにすぎないと、私は見ている。
 その種の感情を、彼が一瞬にせよ露出させた現場に、私は何度も立ちあっている。」
「あれは、(中略)やはりルサンチマンの噴出だったと思う。むろん、それでいい、どころか、そのほうがいいわけで、そうでなくて一体誰が、文学になど生涯を賭けようとするだろう。ルサンチマンの協力なしに出来あがる文学は、好事家の漫文だけだ。」
「私たちは三島由紀夫に何を発見したのだろう。何を求め、何を吸い取ろうとして、あんなに長いこと彼につきまとったのだろう。三島文学でなければ癒やされなかった私たちの渇きとは何か。何だったか。」
「子供のころから、現実世界と絶対に両立できないものを内に育ててしまった人間が、同時に文筆の天才であったらどうなるか。三島由紀夫は、そのことをみずから実験してみせた作家だった。この世界とは一緒にやっていかれない。寝ても覚めても、現実世界では許容されないことばかり考えている。文筆という捌(は)け口がなければ、いずれは自殺か犯罪かだ。
 『仮面の告白』から、もう一節。
 「お前は人間ではないのだ。お前は人交はりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物(いきもの)だ」」
「意見も好みもくいちがうことが多かった私たちだが、『仮面の告白』となるとすみずみまで話が合った。暗記している部分を中学生みたいに競いあったりもした。」



「パリの澁澤龍彦」より:

「ガイドなんぞに頼らず、自分で切り抜けるのが一番なわけだが、澁澤は会話が駄目だった。それはもう徹底したもので、フランス語ではうんともすんとも(引用者注:「うん」「すん」に傍点)言えないし、言わない。私はいつも、辰野隆が小林秀雄について書いた「思い出」という一文を思い合わせる。愉快とも、ああ納得、ともいえそうなエピソードなので、引いておこう。
 小林秀雄が、いよいよ東大仏文科を卒業しようという間際、恒例の口述試験に臨む。辰野隆は小林秀雄の先生だから、このときは試験官だが、質問をするのはフランス人の教授だ。
 「……ところが小林君のフランス語ぐらい変則なものは稀なので、彼には耳からはいって口から出るフランス語などは殆ど存在の価値すらない。眼からはいって脳漿を刺激するフランス語以外は用が無いのである。だから、アンベルクロード先生の口頭試問には、一つも答えられずに、彼は魚の如くに黙々としていた。
 『ランボーは何年に何処で生まれたか』
 『……』
 『君の論文はランボーではないか』
 『……』
 『君はフランス語を話すか』
 『然り(ウイ)……非常に少し(トレ・プー)……』
 『ランボーの傑作は?』
 『ランボー……ランボー……大詩人(グラン・ポエット)……』」
 まったく、どうしようもない。やがて小林秀雄は、その場に棒立ちに突っ立って、愛嬌のない顔で辰野隆を睨みつけながら、「及第さして下さい!」と叫んだという。
 澁澤がまさにこの、「眼からはいって脳漿を刺激するフランス語以外は用が無い」人間だった。「耳からはいって口から出るフランス語などは殆ど存在の価値すらない」というほど、澁澤は居直っていたわけではない。聴き取れず喋れないことは、彼には苦痛だった。とっさの返答に詰まってへどもどし、そのことで何度か傷ついていた。しかし、資質的には、まさに小林秀雄の同類である。喋れというほうが無理だ。」

「パリには、澁澤はついに馴染まなかった。もともと、「街」にも「人」にも、ガラス一枚隔てたような関心しか持てない資質なのだから当然だ。パリは、(中略)過去を売る観光都市ではない。ニューヨークや東京と同じ現代都市だ。どこかこの街の一角に居を定めて生活(引用者注:「生活」に傍点)しなければ、なんにもわからないと言っていい。澁澤は東京という都市とも、ときどき出向く(引用者注:「ときどき出向く」に傍点)という形でしかつきあわなかった。鎌倉の自分の部屋と、こつこつ買い集めた書物、それこそが彼の世界だった。」
「澁澤は、誰しもいうように、書斎の人だった。本から離れたら手も足も出ないという意味のことを、パリを歩きながら彼が述懐したのを憶えている。日々、たゆみなく、飽きることなく、好きな本を読み、その本から想を得て、自分の本を作る。その循環で五十九年の生涯を終えた彼は、パリを歩こうがプラハを歩こうが、実はいつも書物の中を歩いていたにすぎないのかもしれない。」



「溶連菌のせいなんだよ」より:

「そもそも、澁澤が短命に終わる人間だなどと、一度たりとも私は考えたことがない。五十歳になり、『唐草物語』の連載を始めたころから、澁澤は以前にも増して、自分の世界という繭(まゆ)の中に閉じこもろうとする気配を示しはじめた。(中略)晩年は来客も減り、奥方とペットのウサギだけが相手の、隠者めいた生活だったようである。
 この分なら大丈夫だろうと、私などは思っていた。彼のような物書きは、隠者になるのが長命の鍵、書物を相手の、気随、離俗の生活を送ってさえいれば、豊かな六十代が、さらに豊かな七十代が約束されるはず、というのが私の見当だった。先にも書いたように、すでに久しく、私は彼と年に一、二度しか会わない人間になっていたし、会えば会ったですぐに酒、大酔、高歌放吟というていたらくになった。つまり花見の宴とか、中井英夫邸の薔薇のパーティとか、そういう席でしか顔を合わさなくなっていたわけである。昭和五十六年五月二十七日付の手紙が、そのへんのことをうまく語っているので、引いておこう。

   今度は少しゆっくりお話しようと思っていたのに なんだかまた騒いじゃったような気がする どうも酒を飲むと とめどもなく歌を歌いたくなってしまうのは どこの惡魔のいたずらなのだろうか
   やはりこの次はサシで飲みましょう
   まさか二人でドンチャン騒ぎをやるわけにはいかないから 少しはしんみりするかもしれない
   鎌倉の時の写真ができたので お送りします ちょっとぶれてるが貴君が大笑いに笑ってるところが愉快なので その一枚 入れます」

「彼の家の庭で牡丹桜を見ながらの大酒宴、世田谷区の羽根木にあった中井英夫邸での、恒例の薔薇のパーティと、「とめどもなく歌を歌」った「ドンチャン騒ぎ」がつづいたあとの手紙なのだが、とくにこの手紙の直前の五月二十三日、中井英夫主催の酒宴では、「どこの惡魔のいたずらなのだろうか」と自分で不審がるほど、澁澤の放吟ぶりがきわだった。」



「胎児で死んでも、八十で死んでも、おんなじだ」より:

「人間は、胎児のまま母親のおなかの中で死んでも、生まれて三ヵ月で死んでしまっても、はたちで死んでも、五十歳、八十歳で死んでも同じだ、同じことなんだ、と澁澤がいう。」
「北鎌倉の、彼の家でのことである。昭和六十二年四月八日、(中略)恒例になった庭での花見ということで、澁澤宅に集まった。」
「筆談に熟達した彼は、いつもたくさん用意してあった紙片に、2Bぐらいの鉛筆で、
 ――胎児で死んでも、八十で死んでも、おんなじだ。おんなじなんだ。
 そう書いた。ほんとだよ、まちがいないよ、という眼の色で。」
「その後、折ふしに澁澤のこの「神託」を思い出しては、いっとき考えこむ癖がついた。」
「哲学専攻の若い友人は、エピクロスのローマ版ともいうべきルクレティウスの、唯一の著書『物の本質について』第三巻の末尾を読んでごらんなさいといった。
 なるほど、面白いことが書いてある。こんな具合だ。
 ――いくら苦労して生命を延ばしてみたところで、「死の時」を少しでも減らせるわけではない。私たち人間が「死の状態にある時」を、そんなことで短縮することはできない。よしんば百年も百五十年も生きてみたとて、「永遠の死」がその先に待っていることになんの変わりもない。今日一日だけで生命を終えた人間が、何十年もの歳月を経て死んだ者より、短い時を過ごしたとはいえないのだ。
 ルクレティウスが説こうとしているのは、師のエピクロスと同様、無用な死への恐怖はお払い箱にして、現世を目いっぱい楽しんだらどうです、ということに尽きるのだろう。ただ、ルクレティウスは、「永遠の死」という独特の切り札を持ち出している。私たちがこの世に生まれ出る前と、この世を去ったあとには、ともに無限が広がっている。無限から一日引こうが百年引こうが同じことだ。」
「――今日一日だけで生命を終えた人間が、何十年もの歳月を経て死んだ者より、短い時を過ごしたとはいえない。
 これは符合する。(中略)澁澤はルクレティウスが好きだった。」
「厭世(えんせい)思想でないところがいい、とあらためて考える。二つの永遠のあいだの、限りなくゼロに近い人間の生は、胎児は胎児なりに、三歳の幼な子は幼な子なりに、八十の老爺は老爺なりに完結している。その生を、内側から生き切ればそれでいい。長短を喜んだり嘆いたりするのは愚かなことだ。(中略)エピクロス=ルクレティウス的な、境地とはいわないにしても、ある持続する気分の中に彼がいたと推定するのは、私にしても心丈夫なことだ。」
「昭和六十二年五月二十日、慈恵医大病院へ見舞いに行ったとき、彼は上機嫌で、出来あがったばかりの『フローラ逍遙』と、これも刷り立てだという「新編ビブリオテカ澁澤龍彦」の『玩物草紙』を、文字どおり撫でさすっていた。しんから嬉しそうだった。横で龍子夫人が、「この人、自分の財産調べをしているのよ」といったのを憶えている。その言葉どおり、病室にはずいぶんな冊数の澁澤の著書が置かれてあった。親鳥が、たくさんの雛たちを周りに集めでもしたように。」





こちらもご参照ください:

澁澤龍子 『澁澤龍彦との日々』 (白水Uブックス)
出口裕弘 『帝政パリと詩人たち』
J.=K. ユイスマンス 『大伽藍』 出口裕弘 訳 (平凡社ライブラリー)
種村季弘 『澁澤さん家で午後五時にお茶を』
中井英夫 『磨かれた時間』





























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澁澤幸子 『澁澤龍彦の少年世界』

「そして、いま、私は、父の享年までも生きられなかった兄と、あれほど戦争を嫌った父のとむらい合戦の意味でも、わがままに、自由に、楽しく生きていかなければならないと思っている。」
(澁澤幸子 「私たちの父親は戦争傍観者だった」 より)


澁澤幸子 
『澁澤龍彦の
少年世界』



集英社 
1997年4月10日 第1刷発行
254p 付記1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,680円(本体1,600円)
装釘: 佐々木秀明



澁澤龍子『澁澤龍彦との日々』をよんだので、本書もよんでみました。


澁澤幸子 澁澤龍彦の少年世界 01


帯文:

「異能の作家・澁澤龍彦の原点は少年時代にあった!!
その妹なればこその視線で捉えられた、
物知り博士タツオ君の素敵な黄金の日々。――

澁澤龍彦にとって昭和二十年以前は彼の子供の時代・黄金時代である。その光り輝く時代を妹幸子がまるで昨日のことのように再現してくれる。終生驚くほどノーマルだった龍彦の原点を、この豊かで生き生きとした“ものしり博士”として得意満面だった少年時代を活写する。まことに龍彦は死ぬまで胸をはって生きた人だった。――故 池田満寿夫
(このオビの原稿は池田氏が急逝される直前に書かれた絶筆です)」



帯裏:

「“物知り博士”は決して、
「これはね、こうなんだよ」
というふうには、ものを教えてくれない。
「×××って、なーんだ?」
と疑問形で始まる。
「知ーらない」
と言えば、得々として教えてくれるが、
二度めにきかれたとき、答えられないと、
「このまえ言ったじゃないか」
と怒られる。教えないのに私が知っていても、絶対に、
「よく知ってるね、えらい、えらい」
なんてことは言わない。ただ、
「うん」
と、ひとこと言って、満足げににこっとするだけである。この癖はおとなになっても尾を引いていた。
 (本文「記憶力のタツオ君とあの歌この歌」より)」



目次:

歩くまえに数を数えたタツオちゃん
私たち一家は日曜ごとに遊びに出かけた
おにいちゃんがフライパン握ってる!
私たちの父親は戦争傍観者だった
懐かしのグリム童話、アラビアン・ナイト
子供版『源平盛衰記』に夢中だった頃
兄は末妹を紐でおぶって物干しに昇った
わが家の虫めづる若君は昆虫採集に熱中した
「北斗七星どーれだ? じゃあ、カシオペイアは?」
記憶力のタツオ君とあの歌この歌
オオアリクイとミイラ
学芸会で因幡の白ウサギを演じた兄
兄と二人で初めて電車に乗った日
蹴鞠の会を開いた曾祖父、希代の道楽者だった祖父
榮一子爵の隣りでオシッコしちゃったタツオ坊や
一九四五年四月十三日、わが家は焼失した
兄は庭のヤツデの木の下にピストルを埋めた
巨大な家の崩壊とともに、ひとつの時代は終わった

あとがき



澁澤幸子 澁澤龍彦の少年世界 02



◆本書より◆


「私たち一家は日曜ごとに遊びに出かけた」より:

「不忍池のまわりには植木市が出ていて、庭いじりが好きな父はよくなにか買った。あるとき、父はなにを思ったか、かなり大きな陶器のカエルの置物を買った。すると、兄が突然、大きな声で、
 「カッパ、カエル、カメー。カッパ、カエル、カメー」
 とくり返しながら、歩調をとって歩きだした。兄が上機嫌でふざけはじめると、小さな私はたちまち同調した。二人で声をそろえて、
 「カッパ、カエル、カメー」
 と行進をつづけた。妹は父の背中で寝込んでいた。
 「カッパもカメもいないじゃないか。買ったのはカエルだけだよ」
 と父が呆れて言った。兄はなにかフレーズを発明すると、それをいつまでもしつこくくり返した。なにかで読んだフレーズが気に入った場合も同じで、これは兄の小さいときからの性癖であった。」



「おにいちゃんがフライパン握ってる!」より:

「兄が最初の妻と離婚し、母と二人で鎌倉の家に暮らしていた頃のことだが、私が行くと、兄と母が電気屋を呼ばなければと騒いでいる。聞けば、トイレの電灯の壁スイッチが壊れたというのである。どれどれと、ドライバーでカバーを開けてみれば、大したことではない。私は近所の電気屋に走って部品を買ってきて、ちょこちょこっとなおしてしまった。
 「へーえ、おまえ、こんなことできるのか」
 と、兄は心底、驚いた顔で私を見た。
 「へーえ、おにいちゃんはこんなこともできないの」
 私も呆れて言った。ことほどさように、兄は実生活ではほとんどバカと言っていい部分があった。母はよく、妹三人の上の長男だったから、家の手伝いをさせなかったので、なにもできないおとなになってしまったと言っていたが、それは違う。あれは資質の問題である。
 家人が出かけて留守になると、一人で仕事をしていて、のどが乾いても、自分でお茶をいれるという知恵がまわらない。おなかが空いてきても冷蔵庫を開けて食物を物色するという知恵がまわらない。冷蔵庫の中に食べるものがいっぱい入っていても、取り出して食べることをしない。
 浦和高校時代からの友人の出口裕弘氏の話では、フランスでいっしょに旅行したとき、列車内のビュッフェで食事をすることになったのだが、兄はそこでパニックに陥ったという。トレイを持って、料理や飲物を自分でとって、最後にお金を払うのまで、ぜんぶ自分でするなんてことが兄には信じられなかったのだろう。
 「おれはこんなことできないよ」
 と、叫んだそうである。さもありなんと私は思う。
 敗戦直後、浦和高校に在籍していた兄が、友だちと下宿すると言い出したことがある。家事は無能でも乱雑な中で暮らすのは嫌いな兄は、高校の寮生活が嫌になってきたのだろう。兄は友人とアパートを借りて移ってしまった。」
「炊事洗濯などやったこともない兄がアパート生活などできるわけがない。心配した母がようすを見に行くと、兄は家事能力抜群の友人に炊事洗濯掃除いっさいをやらせて、若旦那然と悠々としていたそうである。
 「お友だちが慣れた手つきで、お茶をいれてくれたわ。あの人といっしょなら大丈夫でしょ」
 と、帰ってきた母は言った。兄が家族と離れて暮らしたのは、後にも先にも浦高時代だけである。」

「兄の博識は万人の認めるところだが、とんでもないところが、すぽんと抜けていて、おもしろかった。」



「子供版『源平盛衰記』に夢中だった頃」より:

「バーネット夫人の『小公子』の主人公はセドリック少年だが、『小公女』のヒロインはセーラ・クルウという英国人の少女である。(中略)これは少女向きの物語だったから、両親は私に買い与えたのだが、兄はこの本もほとんど暗記するほど読んでいた。
 「マリイ・アントアネットは断頭台に上るまで女王様らしかったというじゃあないの」
 というセーラ・クルウの言葉が兄のお気に入りのフレーズだった。」



「兄は末妹を紐でおぶって物干しに昇った」より:

「小学五、六年頃の兄は物干しによく昇った。兄がいないと探したら、物干しから瓦屋根の上に出て、スロープにすわりこんで本を読んでいたこともあった。母が、
 「おにいちゃんたら“屋上の狂人”みたい」
 と笑っていた。」



「学芸会で因幡の白ウサギを演じた兄」より:

「兄は根っから大らかに明るい子供で、ひねこびたところはまったくなかった。本質的にノーテンキなのである。終生、極楽トンボであったと言ってもいいだろう。極楽トンボで悪ければ、ハッピイ・プリンスと言おうか。」


「巨大な家の崩壊とともに、ひとつの時代は終わった」より:

「一九五六年、兄は彰考書院から『サド選集』を刊行した。」
「ある日、兄はちょっと改まった口調で私に言った。
 「あのさ、今度の本に三島由紀夫の序文もらいたいんだけどね、三島さんに電話してみてくれないかな」
 どうして自分で電話しないのよ、などということは、私は決して言わない。何度もいうが、よい妹なのである。私は必ずや三島氏のOKをとってあげようと思った。
 私は勤務先のファッション雑誌の編集部から電話することにした。ちょうど校了後の忙しくないときだったが、私は、
 「今夜、この仕事かたづけちゃいたいから」
 とかなんとか言って、残業することにした。三島氏の電話番号は編集部にあった文化人名簿で調べた。みんな帰ってだれもいなくなった編集部で、私は三島家に電話を入れた。
 「三島先生はおいででいらっしゃいましょうか」
 「はい、私ですが」
 最初にお手伝いかご家族が出ると思っていたのに、いきなりご本人がお出になったので、私は大いにあわてた。
 「澁澤龍彦と申す者の代理でございますが」
 と言いかけると、
 「ああ、サドをやっていらっしゃる珍しい方ですね。あれは名訳です。私はどういう方かと思っていたんですよ」
 代理というのも妙だなあと思いながら電話したのだが、三島氏の口調はまったく屈託なかった。三島氏は兄が訳した『恋の駈引』をお読みになり、訳者である兄に着目していらっしゃったのだ。
 「今度、龍彦が『サド選集』を出すことになりまして、先生の序文がいただければと、本人は病人でございますので、代わりにお電話させていただきました」
 「奥様でいらっしゃいますか」
 「いえ、妹でございます」
 病気を口実にしてしまったが、翻訳ができる人間が電話くらいかけられないはずはない。だが、三島氏はすぐに快諾してくださった。
 私は兄に電話するより直接、報告して喜ぶ顔が見たかったので、横須賀線を降りると、鎌倉駅からわが家まで宙を飛ぶように走った。玄関に飛び込んで、
 「やったよお!」
 と私は叫んだ。
 「OKよ。三島さん、おにいちゃんのこと知ってたわよ。名訳だって言ったわよ」
 兄もさすがに嬉しそうだった。その夜、兄は三島氏宛に手紙を書き、それから兄と三島氏の深い交際が始まったのである。」




◆感想◆


「タツヒコ・シブサワは手術台に上るまでハッピイ・プリンスらしかったというじゃあないの」
というわけで、わたしなどは生まれつき人と会話ができないので、うっかりして鬱屈した少年時代をすごしてしまったので、タツオ少年にあやかりたいです。
著者は、澁澤龍彦は「ノーマル」だった、と言いますが、それはそうあるべきで、人間の友達よりも扇風機に夢中になる自閉症の少年も「ノーマル」であり、完全に無差別平等な円環を成就する存在としての怪物もまた「ノーマル」であって、「ノーマル」とは人間社会の規範(norm)に煩わされることなくそれぞれの生きものが自己の固有性を「わがままに、自由に、楽しく」生きることに他ならないのではなかろうか。




こちらもご参照ください:

澁澤龍子 『澁澤龍彦との日々』 (白水Uブックス)
出口裕弘 『澁澤龍彦の手紙』
若桑みどり 『イメージを読む ― 美術史入門』 (ちくまプリマーブックス)




































澁澤龍子 『澁澤龍彦との日々』 (白水Uブックス)

「澁澤はコレクターではありませんでしたが、彼の好きなものは、絵や彫刻、人形や本、また貝殻や石や木の実のようなガラクタに至るまでどれも、彼のもとに魔法のように集まってくるのでした。」
(澁澤龍子 『澁澤龍彦との日々』 より)


澁澤龍子 
『澁澤龍彦との日々』
 
白水Uブックス エッセイ 1107 

白水社 
2009年10月10日 印刷
2009年10月25日 発行
219p 著者略歴1p 
新書判 並装 カバー
定価1,100円+税
ブックデザイン: 田中一光/片山真佐志
カバー装画: 池田満寿夫《澁澤龍彦肖像》


「本書は2005年に小社より刊行された。」



澁澤龍子 澁澤龍彦との日々


帯文:

「夫と過ごした十八年の日々を
静かにふりかえる、
感動の書き下ろしエッセイ。」



カバー裏文:

「出会いと結婚、日々の生活、海外への旅、三島由紀夫をはじめとする作家や芸術家との交友、そして最後の日々を思い出とともにふりかえるエッセイ。妻の視点ならではの異才の世界を明らかにする。」


目次:

出会いと結婚
執筆の日々
 北鎌倉のわが家
 パイプ
 わが家のオブジェ
 宗達の犬と兎のウチャ
 澁澤家の食卓
 お酒
 散歩
 喧嘩とお叱り帖
旅と交友
 初の外国旅行
 三島由紀夫さん
 吉行淳之介さん
 石川淳さん
 埴谷雄高さん
 稲垣足穂さん
 林達夫さん、大岡昇平さん
 吉岡実さん
 種村季弘さん
 土方巽さん
 多田智満子さん
 池田満寿夫さん
 堀内誠一さん
 お正月
発病
全集刊行と没後の日々

あとがき
Uブックス版あとがき
解説 (堀江敏幸)




◆本書より◆


「出会いと結婚」より:

「結婚前のことですが、(中略)ある日、銀座の画廊で展覧会を見る約束をしていましたが、澁澤はいくら待っても現われません。怒り心頭に発したわたしは、帰りに澁澤の家に寄りましたところ、本人は「だって眠かったから寝ていたの」とケロッとしています。
 「エッ! あなたの眠いのと龍子とどっちが大事なのよ」
 「だって、この宇宙はぼくを中心に回っているから、これからもずっとそうだよ。そんなことで怒るのはおかしいよ」と、しゃあしゃあとしているではありませんか。」
「けれど、結婚してからわたしを裏切ったり、約束を守らなかったことは一度もありませんでした。」



「執筆の日々」より:

「この家は一九六六年に、友人であった建築家、有田和夫さんの設計で造られたのですが、自宅の建築にあたって澁澤は次のような取り決めをしるしています。「当世流行にのらざること、材料、仕上、色彩などできるだけ制限し華美ならざること。人間空間、クラシック家具および調度に耐えられるインテリヤ。ただし食事や衛生のための諸設備は最新の便利さを存すること。総じて古いものへの郷愁におちいらず、その良さを再発見し、さらに新しいものを正当に評価する態度」
 澁澤の美意識と現実感覚がうかがわれ、その文学観にも通じるところがあるようです。」

「執筆は遅いほうでした。平均すれば一日に一枚か二枚というほどでしたが、締切りが迫ってどうにもならないときには、三十時間でも四十時間でも休まずに書きつづけることがありました。」
「その後はさすがにぐったりして、丸一日ものも食べずに寝てしまいます。「餓死しそうになって寝ているのも気持ちがいいものだ」などと言うので、つい笑ってしまいます。
 ときには寝ていて、ふとおなかがすいたような気がするらしく、「おいおい」とわたしを呼んで、「おなかすいていると思う、ぼく?」時計を見るともう十二時間ぐらい寝ているわけで、「あ、もうすいてるわよ」と。」
「一日二十四時間という時間の観念がまるでないのです。ふだんから朝は何時に起きて夜は何時に寝るという習慣のない人でしたから、そんなこともできたのかもしれません。」

「澁澤はコレクターではありませんでしたが、彼の好きなものは、絵や彫刻、人形や本、また貝殻や石や木の実のようなガラクタに至るまでどれも、彼のもとに魔法のように集まってくるのでした。実際、美しいものを見る彼の目は純粋で、きれいな貝殻と何カラットもあるダイアモンドを並べたとしても、迷わず貝殻のほうを取ってしまうような人でした。
 鎌倉の海岸を散歩中に、まるい孔が無数にあいている石を拾ったことがあります。拾いたてのころ、やわらかい石に貝が棲(す)みついてできた貫通孔を指でおさえ、石笛と称してヒューヒュー音を出すことに熱中しておりました。」

「ある日、玄関のチャイムが鳴り、「宅急便です」という声に扉をあけると、ルビーのような赤い眼をした掌にのるくらいの白い子兎が、箱に入れられ、置き去りにされていました。」
「「ウチャ」と呼んでいました。大好物はパンとクレッソン。それにワインを少々嗜(たしな)みます。」
「本をかじるのが大好きで、愛読書はボードレール。(中略)主人に似て、辞典類も好きでした。紙質や味わい、嚙みぐあいなど、好みがあったようです。
 ウチャは穴兎だったらしく、穴を掘ることも好きで、ソファにも穴をあけ、中の詰め物を引っぱり出しては、自分がその中にちょこんと入ってしまいます。」
「ウチャが死んだとき、わたしは悲しくて一週間泣きました。今でも思い出すと涙が出てきます。」

「澁澤は世にいうグルメではありませんでしたが、食べ物にもはっきりした好みをもっていました。だいたいシャキシャキ、カリカリと歯ごたえのある蓮根、慈姑(くわい)の薄切り唐揚げ、チョロギなどが好きで、ご飯もかために炊きました。」
「絶対食べないものは、かぼちゃとにんじん、(中略)五目ずしに入っている小さく切ったにんじんでもわざわざ摘まみ出してしまいます。」

「以前、家の前に五百坪ほどの野原があって、土筆(つくし)が狂ったように出ました。待ちかまえていたように、澁澤はパジャマにガウンをひっかけたままで土筆採りに熱中します。一面の土筆のなかに隠れてしまいそうにポツンとしゃがんでいた彼の背中は、今も忘れられません。」

「彼はけっして食通ではなかったと思いますが、(中略)毎日の食事をとても楽しみにして、気に入ったおかずのときは「うまいな、うまいな」を連発します。」

「晩年はあまりひどい飲み方はしなくなりましたが、昔は飲み始めるとベロベロになって、自分が起きているかぎり人を引き止めて帰さず、酒宴が何日もつづくことがあり、これにはうんざりでした。」
「幸せなお酒は、徹夜で書いていた原稿がやっと完成し、夜明けに寝酒をいっしょに飲むときでした。書いたことがまだぎっしり詰まっているような頭のなかを、ゆっくり少しずつ解きほぐしてゆく彼と、書き終わった作品や次作のことを語り、怖い絵のある画集をパッとひろげて、「怖いだろう」なんて脅かされたり、次の旅行はどこにしようかと気持ちよく杯を重ねるうちに、白々とした朝が訪れ、小鳥が鳴きだし、牛乳や新聞配達の音がして、世間が少しずつ動き始めるころ、「そろそろ寝ようか」
 なんと幸せなひとときだったことでしょう。」

「澁澤との日々を改めて考えてみると、世間一般でいう、いわゆる家庭生活というものがあったのか疑問に思います。地に足つけて、しっかり日常を生きるというよりも、(中略)幻想のなかに生きているような、夢のなかにいるような生活だったと思うのです。同時に、澁澤は毎日の暮らしをとても楽しみ、大切にした人でした。
 二人がいちばん使った言葉、それは「バカ」でした。」
「わからないことは、家に辞典類が売るほどあるのですから引けばいいのですが、澁澤という生き字引がそばにいるかと思うと、つい聞いてしまうのでした。(中略)そして何度聞いても忘れてしまうものですから、(中略)「お叱り帖」を作られてしまいました。(中略)「門徒もの知らず帖」とか「龍子バカ帖」というメモ帳です。(中略)たとえばこんなことです。

 ●「ウサギウマはロバのことだよ」
  何度言っても忘れる
  84年11月11日
 ●チェーンソー知らない。
  おれが教える。
  85年9月9日
  (そのうちきっと「そんなの前から知ってる」って言い出すから、ここに書いておく)」
「●柿食えば鐘が鳴る鳴るという(大楠山でまた言った。)

 正しくは「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という子規の句です。」
「こういったことが、あの懐かしい丸っこい字で次々と書いてあるわけですが、いかにも澁澤らしくて、(中略)思わず笑ってしまいます。
 わたしも彼に「あなたってバカね」というのが口癖でした。日常的なことにはまったく疎い人でしたから、たとえば銀行について来て、自動支払機でお金を出すのを見ると、びっくりして自分もやりたいと、何度も何度もボタンを押して、お金をどんどん出してしまいます。今どき子どもでもこんなことはしないでしょう。駅の自動販売機で切符が上手に買えたと、自慢げに帰ってきたこともあります。やはりちょっとおバカさんだったのではないでしょうか。」



「旅と交友」より:

「彼は旅行のスケジュールを綿密に立て、それをもとに旅行会社の人が、飛行機で一周できるような旅程を組み立ててくれました。ところが、いざ旅に出てみると、彼は一人では何もできない。(中略)ホテルの中で迷子になってしまったり、翌朝出発するとき、重いトランクをさげて出口と反対の方向に歩いていったり……。「今度から自分が行こうと思った反対方向に歩きなさい」と言えば、「もうごちゃごちゃになってどっちにも行けない」と答える始末です。
 お金に関しても、普段から本屋さん以外、自分で払う習慣のない人で、外国旅行中は、「これがフランよ、これがリラ、迷子になったら困るから、アナタ持っていて」と渡すのですが、「この柄よりこっちの方がきれいだね」とか、お金という観念がまったくないのです。」

「歴史上の人物のなかで、澁澤は第一に織田信長、次に好きなのが上杉謙信。信長のことを、「暴力と天才とダンディズムによって近世を切りひらいた、日本の歴史上にはまったく例を見ない人」と言い、謙信については、「現実感覚のまったくなく、一生涯、毘沙門天信仰の夢のなかに生きた人」と言っております。澁澤自身が好ましいと思う自分の性格を、二人のなかに見ていたのでしょう。」

「澁澤自身は、(中略)「友情」や「友達」について云々することはあまりありませんでした。
 むしろ、たとえひとりきりであっても、ことさらに寂しいとは感じないタイプの、孤独をいとわない人だったのです。」





この本をよんだ人は、こんな本もよんでいます:

『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』
種村季弘 『澁澤さん家で午後五時にお茶を』
佐藤隆房 『宮沢賢治』 (改訂増補版)









































































































『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』

松山: それに、澁澤さんにとっては、森羅万象ってのは自分のものなんですよ(笑)。」
(対談 「澁澤龍彦の書物」 より)


『書物の宇宙誌 
澁澤龍彦
蔵書目録』

COSMOGRAPHIA LIBRARIA

編者: 国書刊行会編集部
編集協力: 石黒敦彦
写真撮影: 鈴木秀ヲ/石黒健治

国書刊行会 
2006年10月15日 初版第1刷印刷
2006年10月20日 初版第1刷発行
6p+カラー図版32p+473p
B5判 角背バクラム装上製本 貼函
定価9,500円+税
装釘・本文設計: 柳川貴代



栞ひも(白)付。
本書はヤフオクで3,610円+送料400円で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。


書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録 01


帯文:

「没後二十年、澁澤龍彦が遺したミクロコスモス、
蔵書一万余冊の全データと多数の写真が織りなす夢と驚異の蔵書目録。
貴重な《創作ノート》も初めて完全公開。
ドラコニア王国創造の秘密は、すべてここにある。

澁澤龍彦の書斎が
一冊の書物となった」



帯背:

「本棚のミクロコスモス」


書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録 02


目次:

蔵書目録
Ⅰ 書斎[一階]
Ⅱ 書庫[二階]
 補遺: 和雑誌
Ⅲ 書庫[一階]
 補遺: パンフレット/プログラム
Ⅳ 納戸[一階]
Ⅴ 寝室[二階]

創作ノート影印
 ノート本体
 挟み込みメモ

インタビュー
 澁澤龍彦と本 (澁澤龍子)

対談
 澁澤龍彦の書物 (松山俊太郎×巖谷國士)

対談
 書物の宇宙誌・解題 (東雅夫×礒崎純一)

索引
 和書著者索引
 洋書著者索引
 棚小見出し目次
 部屋見取り図



書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録 03



◆本書より◆


「創作ノート影印」より:

「不能願望
谷崎は間違って(引用者注: 「間違って」に傍点)子供をつくったが、本来は子供をつくる人ではない。父意識の欠如。」

「イニシエーション 中心にたどりつく。」

「大人にならねばならないイニシエーション
   鏡花は幼時のまま、
   つまり死んだまま、夢のまま、
   出口なき迷宮

退行
   カフカの迷宮と同じ意味」

「幸福な幼時、一度知った人は迷宮から出なくても」

「時間の廃棄 円環的時間」

「時間性の廃棄 あるいは退行」

「夢の現実=退行の幼時、不可能な退行を求める
水=退行 羊水」

「化物の試練。一種のイニシエーション=ミノタウロス 動物性(人間性、天使性)」



「澁澤龍彦と本」(澁澤龍子)より:

「ただ、あの人は、必要なものしか買わなかったんじゃないかな。いろんなものを全部買っちゃうっていう人もいるでしょう。「まあ、もしかしたらあとでなにか役にたつかもしれない」みたいに。彼は、そうではなくて、特に店頭では頁めくって、けっこう丁寧に選んでいくんです。そういうわけで、本の数だけでいえば、意外に少ないんじゃないかしら。ただし、買った本は全部読んでいるんです。」

「――図書館は使われなかったのですか?」
「まったく使わない。一回も行ったことがないです。編集者の方に、図書館から特殊な本を借りてきてもらったことはあります。だけど、自分で図書館に行ったっていうことはない。(中略)鎌倉の図書館にあるような本を借りる気は全然ないんです。自分で買いますよ、そういう本が必要なら。自分で必要と思う本は、一生懸命に探して買っていました。よほど特殊で、どこにもないような本を編集者の方に頼むことはあっても、普通に図書館に行くことはなかったんです。ほんとにこの家にある本だけで、彼は全てを書いていたんですよ。」

「――本の処分はどうされていましたか?」
「自分で買った本は、ほとんど売ることはありませんでしたね。でも、出版社から送られてきたりした本なんかは、すごくたまっちゃうわけなんですよね。だから、そういう本はやっぱり、ずいぶん処分はしました。」

「なにしろ、彼は本をほんとによく読んでいましたね。死ぬまで、膨大な本を読んだと思います。ごく若いころの本は、読んでは売っちゃって、また新しい本を買うっていうかんじだったでしょうから、その頃の本は今では残っていないのもずいぶん多いと思います。(中略)だけど、それ以後は、必要な本は自分で買って、それを読んでいるでしょう。(中略)あんなに速く読んで、忘れないっていうのにいつも驚きました。(中略)彼は、昔のことは覚えているっていうんじゃなくて、歳を取ってからも、どんどん読んで忘れない。それで、日常生活がまるでだめだったのかしら。地上の生活のことは、ほんとにだめ。(中略)普通のことはまるでだめね。本にあることは、不思議なほどよく覚えているくせにね。」



「澁澤龍彦の書物」(松山俊太郎×巖谷國士)より:

巖谷: ビブリオフィルっていうのもいろいろあって、ひとつは稀覯書とか、珍しい本を大事に集めているタイプで、澁澤さんはそれでは全然ない。それからもうひとつは、個人の全集であれば全巻揃えるとか、ある作家については全部買うとか、そういうタイプの愛書家っているでしょう。それでもないんですね。」

巖谷: たとえば一人の画家について系統的に画集を集めるとか、そういうことは一切ない。それが澁澤さんらしいなと思います。エルンストなんかは澁澤さんは大好きだったけれども、今回の蔵書目録を見ると、エルンストの重要な画集や展覧会カタログなんかを、ずらっと揃えてはいない。洋書はたった四冊ですが、必要な分だけがあるんですね。」

巖谷: 本をとても大事にする、オブジェとしても。触り方もこう、優しくやわらかくさわるような持ち方をしていたのをよく憶えています。」

巖谷: 澁澤さんの蔵書には、雑学的な本ってないですね。ほんとに必要なものしかない。たとえば、漫画の本もないよね。つげ義春が一冊だけあったはずだけど。『ねじ式』が出たとき、彼は大喜びしてね。「これはいいんだー」って、大騒ぎしていた。だけど、あとの作品は読まないんで、それが特徴です。」

巖谷: やっぱりこの蔵書は一生かけてのものだから。ほんとに長い時間がかかっていますよ、澁澤さんがこれだけ読むのに。」



「書物の宇宙誌・解題」(東雅夫×礒崎純一)より:

礒崎: 今回あれと思ったのは、やっぱり塚本邦雄が相当初期から澁澤龍彦に献本をしていた。この第二歌集からしてるんですよね。澁澤龍彦自身も結構、塚本邦雄には注目していたようで、それがあの『血と薔薇』で、塚本邦雄に初めて散文を書かせるという、あそこまでつながってるのかな。」


書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録 04



◆感想◆


本書は澁澤家に残された澁澤龍彦のすべての本棚の写真と、それぞれの本棚に並べられている本のリスト(自著は除く)でできていて、普通の蔵書目録のように著者別とかジャンル別とかではく本棚別なので、澁澤龍彦の書斎に入り込んだような臨場感があってよいです。
「必要な本しかない」ということですが、書評で酷評した本(ブランショ『ロートレアモンとサド』邦訳とか中公新書『死の舞踏』など)も捨てずにちゃんととってあります。寺山修司の本がわりとたくさんありました。高橋英夫の本も多いです。山口昌男や海野弘の本も献呈本かもしれないですが多いです。吉田健一の本が『書架記』(中公文庫)と『未知の世界』(ネッシーや古生物についての本)の二冊だけだったのはやや意外です。森銑三を愛読していたらしいのは、まあ、『異端の肖像』とか『悪魔のいる文学史』なんていうのは、『新橋の狸先生』とか『おらんだ正月』みたいなものなので、納得です。
推理(探偵)小説では小栗虫太郎と江戸川乱歩が多いですが、松本清張は三冊だけ、横溝正史に至っては二冊だけなのは、社会派とか本家と分家の骨肉の争いとかに興味がなかったからでしょう。
まんがは田河水泡とつげ義春だけで、手塚治虫(澁澤と同年)は一冊もないです。巌谷さんや種村さんは手塚と対談もしているのだから、せめて『ブラック・ジャック』だけでもよませればよかったのに。
『逃げろツチノコ』や『ニンフェット 12歳の神話』などもあります。それと、なぜか『王選手のひみつ』という本がでてきたそうで、画竜点睛、そう思いました。

ところで自分にとっては、澁澤龍彦というのは、いわば自閉症の守護聖者でありまして、たとえば自閉症児はある種の手触りなどにたいへん執着するので、ストッキングをひたすら撫で続ける子どもがいたりして、そうすると良識ある人々からは何かいかがわしいものとして非難されてしまうわけですが、本人はひたすら手触りのうちに宇宙の神秘を体感しているだけなので、いわゆる「中身」などには全く関心がないわけです。澁澤龍彦がたとえば『快楽主義の哲学』で説いたのは、世間の目など気にせずにストッキングを撫で続けろ、石ころを並べ続けろ、それが自閉症児にとっては世界との唯一のつながりなのだから、そういうことだったのではなかろうか、そうおもいます。


書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録 05




この本をよんだ人は、こんな本もよんでいます:

富士川義之 『ある文人学者の肖像 ― 評伝・富士川英郎』














































アンリ・トロワイヤ 『ふらんす怪談』 澁澤龍彦 訳 (河出文庫)

アンリ・トロワイヤ 
『ふらんす怪談』 
澁澤龍彦 訳
 
河出文庫 518A

河出書房新社
1987年10月5日 初版発行
1990年6月22日 再版発行
210p
文庫判 並装 カバー
定価440円(本体427円)
カバー原画: マックス・エルンスト「慈善週間」より
カバーデザイン: 菊地信義
フォーマット: 粟津潔



アンリ・トロワイヤ(Henri Troyat)の短篇集「La fosse commune (共同墓地)」(1939年)の翻訳です。


トロワイヤ ふらんす怪談


カバー裏文:

「近年、『女帝エカテリーナ』をはじめとする多くの歴史評伝が日本でも紹介され、好評をはくしたフランスの作家、アンリ・トロワイヤによる、珍しい短篇集。どちらかといえばトロワイヤの余技に属すると思われるこの作品集は、死者や幽霊の話およびSF的な作品で構成され、結末に絶妙のおちをきかせたブラック・ユーモアあふれる洒落た幻想的コント集に仕上げられている。全七篇。」


目次:

殺人妄想
自転車の怪
幽霊の死
むじな
黒衣の老婦人
死亡統計学者
恋のカメレオン

解説 (種村季弘)




◆本書より◆


「死亡統計学者」より:

「ラケル氏が初めて新聞に書きはじめたのはいつ頃か、はっきりしていなかった。しかし、いずれにしても、現在わたしたちの目に争われぬ名声を確立しているかに見えるこの人物が、その話題の焦点ともいうべき《先週中における県民の人口増減の統計》なる記事を、かくも永年にわたって、一地方日刊新聞に発表するだけで満足していたということは、わたしたちをそぞろにほのぼのとした心暖まる思いにさせずにはおかない事実なのである。」
「その統計表は何段にも分れていて、括弧やら星標(アステリ)やらがいっぱい書きこんである。左の部分は、死亡の原因・性質を示す欄で、事故死とか、自殺とか、傷害致死とか、老衰とか、病死とか、雑とか、いろいろな見出しが記入されてある。またこの欄に接した各欄は、それぞれ見出しに、男女別による死亡数(中略)とか、町村別による死亡数とか、国籍別による死亡数とか、丹念に書きこんである。
 ところが、ある日ラケル氏は、この簡略すぎる統計表に、来週の死亡者数の予想の欄をつけ加えることを思い立った。」
「読者はたちまち、この毎週の予言に熱中しはじめた。ラケルが当るか外れるかということで賭けをする者もあらわれた。」
「しかし、ラケル氏は決して外れなかった。ラケル氏の予言は官報の死亡統計発表と、寸分の狂いもなく、いちいち符節を合わせていた。」
「いつかこんなことがあった、例の土曜日の特別号を見ると、ふだんは一一五名から一五〇名の間を上下している死亡者数の総計が、その週は急に二〇一名という数に跳ねあがっている、(中略)さあ大変というわけで、人々は晩の八時以後は、もう危険を冒して街へ出て行く者もなくなった。母親たちは子供のために、予防注射やら消毒やらの注意を倍加した。市当局は辻々に保安要員を設置した。すべての者が、これは計算違いか印刷のミスであるにちがいないと、無理にも信じて安心したい気持を抱いていた。
 事実、次の週の土曜日の朝までは、「ガビヨル=レ=ポン速報」社の完備せる計算器は、死者一二五名という、まずまず当り障りのない数を示していたのである。つまりラケル氏の予想よりも七六名少ないという勘定である。」
「ところが、この土曜日の夜がふけて、二十三時四十五分に至るというと、ガビヨル=レ=ポン駅で急行列車が脱線事故を起し、一挙にして七六名の死者を出してしまったのである!
 ラケル氏は地方の名士になった。人々は彼を称讃し、かつ恐れた。漠とした生存本能がガビヨル=レ=ポンの人々をして、同じことなら彼の好意を得ておきたい気持にさせるのだった。」
「ある晩、わたしはデルレード街で、泣いている小さな娘を叱っている母親の言葉を、聞くともなしに耳にした、
 「さ、早く泣きやんでおとな(引用者注: 「おとな」に傍点)にならないと、ラケルさんが帳面に名前をつけに来ますよ!」」

「ラケル氏は天井へ目を向け、力なく両腕を左右にひろげて、さて、次のような奇怪な言葉を洩らしたのである。
 「わたしには間違うことが不可能なのだよ!」
 「どういう意味です、それは? だって、来週の死亡者の数を計算することを止めて、ただ出鱈目に、偶然に、思いついた数字を発表すりゃいいんじゃありませんか……」
 「そうすると運命の神がその数字に合わせて死者の数をつくり出すんだよ!」
 わたしは肝をつぶして彼の顔を見つめた。」
「「それじゃ君は、わたしが一度も間違うことを試みてみなかったとでも、思っているのかね?」と言い出した。「だがわたしは、それしかしなかったと言ってもいいくらいなんだよ、それしかしなかったと言ってもね! (中略)だがね、(中略)たちまち事実がその通りに一致してしまうのだ。(中略)わたしはもう自分の科学、自分の成功から逃れられないのだよ。わたしは自分自身の能力の虜囚(とりこ)なのだ。(中略)わたしの存在の怖ろしさを、君はとても想像することができまいね」
 崩れるように椅子に腰をおろすと、骸骨のような両手を、引きつった顔の前に持ちあげて、
 「ああ!」と呻くように言うのだった。「誰でもいい、君たちと同じような無知なる者、無力なる者にわたしはなりたい。不吉な透視力を身内に感じるのはもう沢山だ。もう一度当り前の人間にもどりたい! ……」」

「「しかし」とわたしは呟くように言った。「何としてもここを切り抜けないわけにはいきませんよ。いいですか……こうしましょう、来週の統計は、わたしがあなたに指示した数を発表するのです、(中略)……あなたの身をがんじがらめにしている魔力だって、まさかわたしには利きますまい、(中略)わたしはきっと間違うにちがいありませんよ!……」
 「さあ、どうかな?」
 「やってみたって損にはならないでしょう!」
 するとラケル氏は微笑して、
 「じゃ、君の言う数字は?」
 「そうですね、ええ、一一八ということにしましょうか」」

「十一時に、死亡者数は一一六名にのぼった。」
「その時、誰かの声が、
 「一一七だ!」と叫んだ。
 わたしはへなへなと脚の力が抜けたようになり、息切れがした。そばの壁につかまって、眼を閉じつつ、心の中でこう繰り返した、《どうか十二時までにもう誰も死にませんように! (中略)さもなければ、二人いっぺんに死にますように……》」

























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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