澁澤龍彦 『ドラコニア綺譚集』

「そしてさらにいえば、私自身も遠い過去においては、まぎれもない一匹の魚だったのではあるまいか。そんな漠然とした想念が、しきりに私の頭のなかを去来するのでありました。」
(澁澤龍彦 「文字食う虫について」 より)


澁澤龍彦 
『ドラコニア綺譚集』


青土社
昭和57年12月1日 第1刷印刷
昭和57年12月8日 第1刷発行
235p 別丁図版(モノクロ)1葉
A5判 丸背紙装上製本 
カバー ビニールカバー
定価1,900円
著者自装



本書唯一の図版はバルデス・レアール「この世の栄光の終り」で、112頁と113頁の間、本全体のほぼ真ん中あたりに来るようになっています。
カバー絵はクラナッハのメランコリア(1532年)です。


澁澤龍彦 ドラコニア綺譚集 01


帯文:

「知と幻想の博物誌
博捜をきわめた〈知〉と、陰影に富む〈幻想〉にないまぜられ、端麗にして妖艶な旋律を奏でる澁澤文学の金字塔。」



帯背:

「絢爛たる
物語世界」



澁澤龍彦 ドラコニア綺譚集 02


目次:

極楽鳥について
鏡と影について
飛ぶ頭について
かぼちゃについて
文字食う虫について
スペインの絵について
ラテン詩人と蜜蜂について
箱の中の虫について
桃鳩図について
仮面について
童子について
巨像について

あとがき



澁澤龍彦 ドラコニア綺譚集 03



◆本書より◆


「極楽鳥について」より:

「極楽鳥の種類はきわめて多く、東南アジアからニューギニアまでの地域に、亜種をふくめると百種類以上も見つかっているそうであるが、とくにヨーロッパの伝説に登場するそれは、シンガポールおよびジャワ島産の極楽鳥だという。これはもっとも形が大きく、しかも美しい種類のもので、かの博物学者リンネが中世の伝説に基づいて、パラディセア・アポダという学名をつけたところの極楽鳥だった。アポダ、すなわちラテン語で「脚がない」という意味である。中世の伝説では、極楽鳥には脚がないと信じられていたのである。
 脚がないから、極楽鳥は樹の枝にとまることもできず、地上に舞い降りることもできず、四六時中、休みなく空中を飛びまわっていなければならない。生きているかぎり、眠っているときでさえ、永遠の飛翔をつづけていなければならない。死んで初めて地上に落ちてくるので、人間には死んだ極楽鳥のすがたしか見ることができない。――そんな伝説が、おそらく十五世紀の終りごろからであろうか、ヨーロッパにかなり広く行われていたのである。」



「鏡と影について」より:

「古い自我を殺してしまうと、わたしは現在のみに生きる人間となった。わたしにはすでに過去というものがないのだ。そう思うと、なにか人間的に欠けるところがあるような気がしないでもなかったが、それはむしろ贅沢な仙道修行者の悲しみというものだったろう。一切の過去を断ち切ってから、わたしは鞠君子に教えられた通り皖公山におもむくと、そこに小さな庵室を築いて仙道三昧に明かし暮らしたものだ。わたしがいまも心楽しく生きているのは、このようにしてわたし自身の古い過去と絶縁したためにほかならぬ。」


「飛ぶ頭について」より:

「例年にない記録的な冷夏だというのに、北鎌倉のわが家の庭では、例年に変らず蝉の大合唱がかまびすしかった。夏の夕まぐれ、なんにもすることがないままに、時間をもてあましながら酒を飲んでいるときほど、自堕落な満足感にひたれるときはなかった。私とY君とのあいだには、さっきから、いわば親密な沈黙といったようなものが交流していた。世間には沈黙に堪えられなくて、どうしても話題を見つけ出さずにはいられない性癖のひとがいるが、私もY君も、そういう性癖にはまったく縁のない人間だった。だから、いったん会話が途絶えると、きりもなく沈黙がつづくのである。
 ふと思い出したように、Y君がそれまでの沈黙をやぶって、
 「飛頭蛮というのは、もともと中国の伝承でね。大兄は御存じかと思いますが、南方の安南あたりに、飛頭蛮と呼ばれた種族があって……」
 「あのね、その話はもう前に書いたんだ。読者の手前、同じ話を二度するのもどうかと思うよ。」
 「あ、そうですか。これは失礼。」」



「文字食う虫について」より:

「レンズを通して眺められた虫は、虫だというのに翅もなく、身体にはいくつも節があり、頭部に一対の触覚と、尾部に三本の長い尾をはやして、まるで古生代ゴトランド紀の甲冑魚のように、いぶし銀の鎧をきているといった恰好でした。なかなかモダーンないでたちです。擬古典主義のトップモードと称しても、昆虫界では十分に通用することでしょう。光線の加減で、それが時に大きく引きのばされたり、小さくちぢんだりして見えるのも、別して異様な眺めでありました。」


「スペインの絵について」より:

「美術館から外へ出ても、スペインはいたるところ光と影の対照のはっきりした、げにもふしぎな地方であった。
 通りの向うから、片手に買物籠をさげ、片手を大きくふりまわし、なにやら意味不明の激語をわめきちらしながら、こちらに向ってすたすた歩いてくる中年の女がある。通行人はみな立ちどまって、彼女のために道を避けるようにしつつ、この女の狂態をおもしろそうに打ち眺めている。しかしそんなことは眼中にないらしく、彼女自身は脇目もふらず、一定の速さで通りをのし歩いている。私は判じ物でも見るような思いで、みるみる遠ざかってゆく彼女のうしろすがたを茫然と見送ったものであった。
 セビリヤからコルドバまで、私は乗合バス式の汽車に乗って行ったが、車内はひどい混雑で、ようやく坐席にすわることができた。と、そこに白い杖を突いた盲人がひょっこり乗りこんできて、私の前に立ったので、私はあわてて腰をあげて、その男に席を譲ろうとした。しかるに、男は私を完全に無視したのである。男は宝籤売りであった。宝籤売りに席を譲るばかはあるまい。
 バルセロナの裏町で、私がカメラを向けると、嫣然とほほえんでポーズをつくる少女があった。そうかと思うと、つんとして顔をそむける意地わるな少女もあった。」



「箱の中の虫について」より:

「「きみは文学者になったと聞いているが、どんなものを書いているのだ。小説か。」
 「いや、小説なんか書かない。おれは人間関係というものが大きらいだから、小説にはぜんぜん向かないタイプなんだよ。ちょっと説明しにくいが、評論みたいなものかな。あるいはエッセーみたいなものかな。自分でもよく分らないようなジャンルのものを書いているよ。」
 「それで、よく食っていけるな。」
 「うん。そこはかとなく食っていける。けっこう贅沢に生きているつもりだよ。」」



「あとがき」より:

「ドラコニアということばがあるかどうか、私は知らない。少なくとも手近の辞書には出ていないようだ。しかし、出ていなくても一向にかまわない。私はただ、ウォルター・ロウリが処女王にちなんで北米の地をヴァージニアと名づけたように、あるいはまた、航海者マゼランがパタゴネス(巨人族)の棲んでいる土地をパタゴニアと称したように、自分で勝手に龍彦の領土をドラコニアと呼んだにすぎないからである。
 ギリシア語やラテン語では、龍はドラゴンでなく、ドラコーンあるいはドラコーと澄むのが原則であることを付言しておく。
 ドラコニアは龍彦の国だから、いってみれば小さな書斎のようなものかもしれない。ただし、小さいけれども伸縮自在の書斎である。『ドラコニア綺譚集』にあつめられた十二篇は、すべて私の書斎から生まれた物語あるいはエッセーだと思っていただいて差支えない。
 十二篇は雑誌「ユリイカ」に昭和五十五年五月から五十六年六月まで、途中で二回だけ休んで連載した。単行本とするために、どの作品にも少しずつ手を加えたこと、また連載時の順序は適宜に変更したことをお断わりしておく。」





こちらもご参照ください:

三木成夫 『生命とリズム』 (河出文庫)





























































































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『澁澤龍彦コレクション 3 天使から怪物まで』

「私はたまたまホモ・サピエンスとしてこの世に生まれたが、しかし人間性とは、どう考えても空虚な概念だとしか思えないような気持が私には根強くある。」
(澁澤龍彦 「編者による序」 より)


『澁澤龍彦コレクション 
3 天使から怪物まで』


河出書房新社 
1985年6月20日 初版印刷 
1985年6月28日 初版発行 
286p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,300円
装本: 菊地信義

月報 3 (8p):
天使にして怪物(奥本大三郎)/産みます、育てます。(伊藤比呂美)/この巻にあらわれる[原著者・原著作]一覧



本書「編者による序」より:

「本書をもって澁澤龍彦コレクション全三巻は終る。いってみれば、これは『夢の宇宙誌』から『ねむり姫』にいたる、出発から現在までの私の文学的活動のモティーフというか源泉というか、そういうものの総ざらいであった。そんなつもりはなかったのに、結果としてそうなってしまったのである。よくよく私はリヴレスクな人間だとしかいいようがないだろう。」


澁澤龍彦コレクション 天使から怪物まで


帯文:

「聖なるものと奇なるものが
エロティックに隣りあう
妖しくも痛快な
澁澤館の饗宴
古事記から
コクトーまで
118の断章を収録」


 
帯背:

「優美な
快楽の
宝石箱」



帯裏:

「想像力という快楽の翼 金井美恵子
澁澤龍彦の編んだイメージとエピソードのコレクションには、優美という言葉がふさわしい。書物から書物へと自由に飛びかう、想像力という快楽の翼のはばたく優美な、しかし、時に滑稽であり残酷であり可憐であり驚異でもある古今東西のイメージのアンソロジーについて、私は確信するのである。これは断じて、他の追随を許さぬ群を抜いた、快楽的な宝石箱である、と。」



目次:

編者による序

ホムンクルス ゲーテ
ゴーレム マイリンク
男が女になる ヒポクラテス
去勢願望 フローベール
さまざまな去勢者 アンション
女が男になる パレ
悪徳は選択からはじまる コクトー
蝙蝠になった男 チェッリーニ
自分を食う男 フォルヌレ
影の病 只野真葛
アリマスポイ人 プリニウス
北海の半魚人 ハイネ
ものいわぬ子 古事記
シャム双生児 ムジール
アペニンの隠者 サド
奇肱国 山海経
森のニンフたち タッソー
植物国 ホルベア
ベンガルの犬頭人 カモンイス
新世界の大耳族 ヴォルテール
王せん島の馬頭人 御曹子島渡
ホムンクルスの製造法 パラケルスス
マンドラゴラ アルニム
西行、高野の奥にて人を造る 撰集抄
マリオネットか神か クライスト
神という動物 ライプニッツ
復活した王と王妃 アンドレーエ
尻っぽのある人間 フーリエ
臍のない男 トマス・ブラウン
スキヤポデス プリニウス
吉野の有尾人 古事記
水かきのある指 カフカ
三個のふぐり玉 サド
大きな乳房 ゴーティエ
モンキュ氏のペニス マンディアルグ
聖人賢人の相 五雑俎
怪物の誕生する原因 パレ
ラヴェンナの怪物 ボエスチュオ
滑稽な怪物たち ヴァレリー
初めに怪物あり ルクレティウス
怪物を生み出す想像力 シラノ
怪物の製造業 ユゴー
怪物あそび ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ
怪物としてのヒットラー マルセル・ジャン
怪物同士の対面 キャロル
怪物を造る科学者 ウェルズ
処女懐胎 テルトゥリアヌス
処女膜再生 ケベード
横に裂けた女陰 ゴーティエ
坊主頭のレスビアン ルキアーノス
勃起するクリトリス サド
女はキマイラ マルボード
牡牛を愛したパシパエ モンテルラン
蹄のある娘 ランドルフィ
植物になった女 プルースト
ふくろうになった女 レアージュ
宮廷の小人 ユゴー
サテュロスとローマの将軍 プルタルコス
人間に似たヤフー スウィフト
白人変態説 ショーペンハウアー
サテュロスの島 パウサニアス
青銅人タロス アポロニオス
無頭人 バタイユ
空虚人 ドーマル
悪魔の肉体 アグリッパ
反自然という呼び方 モンテーニュ
天使と禽獣と パスカル
世界一の愚行 ヘロドトス
雌は怪物のはじまり アリストテレス
聖なる残酷 ニーチェ
ニュートンという猿 ポープ
人間はカメレオン ピコ・デッラ・ミランドラ
人間たる資格 ディドロ
断食芸人 カフカ
フランケンシュタイン シェリー夫人
自殺者の森 ダンテ
とくさ虫 往生要集
吸血鬼 カルメ
狂人 コクトー
キャリバン シェイクスピア
サラマンドラ フランス
ピュグマリオン オウィディウス
一眼巨人 ゴンゴラ
ペスト王 ポー
魔王エブリス ベックフォード
魔女アルミーダ タッソー
邪眼 フローベール
狼狂 ボレル
三つの目ある淑女 ダンテ
ポーの女 ユイスマンス
巨大な女 ボードレール
樹の女 ルキアーノス
童子のごとく 列仙伝
アイスクリームとしてのドン・フアン スタンダール
あなたの娼婦と呼ばれたい エロイーズ
娼婦になる空想 レリス
女獣となったサロメ ユイスマンス
オルタンス ランボー
眠れるヘルマフロディトス ロートレアモン
オアンネス フローベール
私の女 ブルトン
エンペドクレス シュオッブ
狂帝ヘリオガバルス アルトー
アンドロギュヌスを讃う ペラダン
超男性 ジャリ
両性具有 ゴーティエ
天使の結婚 スウェーデンボリ
天使の認識 トマス・アクイナス
熾天使、智天使、座天使 ピコ・デッラ・ミランドラ
電気の天使 ヴィリエ・ド・リラダン
天使の翼 ダンテ
天使と天の果実 ヤーコブ・ベーメ
天使は泣かない バルザック
芳香を発する傷口 ユイスマンス
天人の五衰 往生要集
天使の自殺 ゴル
天使の愛 ミルトン
遠人愛 ニーチェ




◆本書より◆

 
「編者による序」より:

「人間だって、一般の哺乳動物や鳥類から見れば、全身に毛がはえていないところはまさしく怪物以外の何ものでもあるまい。人間たるもの、ゆめゆめ爬虫類を笑うことはできないのだ。さればこそ、不思議の国のアリスは森のなかの鳩から、「あなたが少女であろうと蛇であろうと、私にはまったく同じことですよ」とばかにされるのである。種(しゅ)がある以上、怪物は遍在する。まず第一に、これが本巻の基本的なテーマだと思っていただきたい。」
「私はたまたまホモ・サピエンスとしてこの世に生まれたが、しかし人間性とは、どう考えても空虚な概念だとしか思えないような気持が私には根強くある。」
「カフカではないが、私はいつでも動物に変身することによって、忘れ去られた誕生以前の記憶を掘りおこしたいと望んでいる。ドゥルーズ=ガタリがうまいことをいっているが、「動物への変身は動かないまま、その場で実現される旅」なのである。単に動物への変身のみと限らず、かつてピコ・デッラ・ミランドラがいったように、人間はあらゆるものに変身しうるカメレオンだと考えたほうが、はるかに私などには好ましいような気がする。」
「ヒエラルキアの頂点にいるつもりの天使でさえ、つい隣りを見れば、そこには見るも恐ろしい怪物がいるという、この切れ目のない円環は完全に無差別平等である。人間概念を逸脱しなければ、ついに人間というものを知ることはできないという、一つの形而上学的なパラドックスを具現しているのが、人間の頭の中から生み出された怪物だといってもよいであろう。」



「人間はカメレオン
ピコ・デッラ・ミランドラ『人間の尊厳について』」:

「おお、父なる神のこの上なき寛大さよ、人間のこの上なき、驚くべき幸福よ。人間には、自分の望むものを所有し、自分の欲するものになるということが許されている。動物たちは生まれると同時に、彼らがやがて所有することになるはずのものを、ルキリウスのいうように「母の胎内から」自分といっしょに持ってくる。最高位の霊たちは、最初から彼らが永遠にあるであろうところのものだった。ところで、神は生まれ出る人間に、あらゆる種類の種子とあらゆる種類の生命の萌芽を授けたもうた。各人が育てた種子は成長して、その果実を各人のなかに実らせるであろう。もし彼が植物的な種子を育てたとすれば、彼は植物となるであろう。もしその種子が感覚界に属していれば、彼は動物となるであろう。もし理性の領域にあれば、彼は天の地位に高まるであろう。もし叡知の領域に属する種子ならば、彼は天使や神の子となるであろう。そしてもしいかなる被造物の運命にも満足せず、おのれの個体の中心にふかく思いをひそめるならば、彼は万物の上に位置する御父の孤独な闇のなかで、神と不可分一体の霊となり、万物に優越する地位を占めるであろう。
 この私たち人間のカメレオンぶりを感嘆しない者があろうか。それともこれ以上に、感嘆すべきものが何か他にあるだろうか。みずから変貌しうる、このカメレオンにも比すべき人間の性質を理由として、アテナイ人アスクレピオスは秘儀における人間をプロテウスとして示した。ヘブライ人やピュタゴラス派のひとびとのあいだでよく知られた、あの転身という観念もここから生じたのである。」



「アンドロギュヌスを讃う
ジョゼファン・ペラダン『アンドロギュヌス』」:

「いと清らかな性、愛撫されれば死ぬ性、
 いと聖なる性、天上にあって孤独な性、
 いと美しき性、側近を認めぬ性、
 いと気高き性、肉を軽んずる性、
 かつて楽園のアダムのごとき何人かの知っていた非現実の性、
 地上の恍惚は不可能なる性、存在しない性、おんみを讃う!
 いとやさしき性、見るだけで孤独の慰められる性、
 いと穏やかな性、苛立った神経を眠らせる性、
 いと柔和なる性、清らかな快楽から生ずる性、
 いと情愛にみちたる性、われらの魂に口づけする性、
 いと甘美なる性、われらを高きにみちびく性、
 いと慈悲ぶかき性、われらに夢をあたえる性、
 ジャンヌ・ダルクの性、奇蹟の性、おんみを讃う!
 おお、太初の性、窮極の性、愛の絶対、形式の絶対、性を否定する性、永遠の性、おんみを讃う、アンドロギュヌスよ!」



「遠人愛
ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語った』」:

「わたしはきみたちに隣人愛を勧めるだろうか。むしろ、わたしは隣人からの逃避と遠人愛を勧める。
 隣人愛よりも、もっとも遠い未来の者への愛のほうが高い。わたしは人間への愛よりも、事物と幻影への愛のほうがさらに高いと思うものだ。
 わたしの兄弟よ、きみに先だって進んでゆく幻影は、きみよりも美しい。なぜきみはこの幻影に、きみの肉と骨とをあたえないのか。だが、きみは幻影をこわがって、きみの隣人のもとへ走る。」





こちらもご参照ください:

『澁澤龍彦コレクション 1 夢のかたち』














































































































『澁澤龍彦コレクション 2 オブジェを求めて』

「どういうものか、私は子どものころから役に立たないものが好きで、もし私の人生一般に対する好みの基準を一言で要約するとすれば、それこそ「役に立たないものが好き」ということになってしまうにちがいない。つまり生産性の哲学や倫理が大きらいなのである。」
(澁澤龍彦 「編者による序」 より)


『澁澤龍彦コレクション 
2 オブジェを求めて』


河出書房新社 
1985年3月20日 初版印刷 
1985年3月25日 初版発行
285p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,300円
装本: 菊地信義

月報 2 (8p): 
破壊する神(楠田枝里子)/物の名前(高橋源一郎)/この巻にあらわれる[原著者・原著作]一覧



本コレクション第1巻「編者による序」より:

「本書の翻訳について簡単に記しておく。原文にあたれるものはできるだけ原文にあたって、私自身の手になる訳文にするように努めたが、なかには諸家の既訳をそのまま流用させてもらった部分もある。」


全三冊。


澁澤龍彦コレクション オブジェを求めて


帯文:

「永遠の観念を形象する
物体や器械など
言語の結晶学になる
オブジェの集合
プリニウスから
ボルヘスまで
120の断章を収録」



帯背:

「輝きと
驚異の
標本帖」



帯裏:

「エッセンスの燦めきと歓び 田村隆一
真実はいつも直観の一閃のうちにとらえられ、光りはいつも断章の短い影からあらわれるものだ。澁澤さんの手によって蒐集された燦めくような文章の数々は、古今東西の時空から、余計なものの混じらぬ強烈なエッセンスだけを運んでくる。蜜蜂が花々をわたるように、詩人が酒神を求め歩くように、これらの断章を自由に拾い読みしていくことは、またなんという歓びだろう。」



目次:

編者による序

がらくたの宝物 コクトー
甲冑 タッソー
地球儀 トマス・ブラウン
巨大なダイヤモンド ルーセル
鉋屑と蛙 藤原清輔
ネロの眼鏡 プリニウス
オブジェとしての男根 アルトー
黄金の鳥 イェイツ
黄金の亀 ユイスマンス
黄金のランプ メーテルランク
黄金の兜 セルバンテス
つくも神 御伽草子
かぼちゃ ワラフリート・ストラボー
避雷針その一 メルヴィル
必要にして十分 シャンフォール
オドラデク カフカ
金色のファロス パウンド
玩具のいのち ボードレール
燻製にしん クロス
鉢を飛ばす 大江匡房
大汗の杯 マルコ・ポーロ
人間の家具 サド
首提灯 ダンテ
生殖系統をもつ機械 バトラー
永久運動の機械 マレシャル
機械をこわす ジャリ
ピストンとシリンダー ユイスマンス
脳髄は玉のごとし ドルバック
人工の蝶 ホーソン
宝石と体温計 ディドロ
オブジェとしての少女 ワイルド
ホロフェルネスの首 レリス
眠れる人造美女 ヴィリエ・ド・リラダン
胡桃の中の世界 シェイクスピア
人形の反重力性 クライスト
ガラスの肉体 セルバンテス
跳びはねるボール カフカ
螺旋 フローベール
スペイン金貨 メルヴィル
メドゥサの顔 ピエール・ルイス
パラドックスの鏡 イブン・アラビー
マンモン卿の鏡 ベン・ジョンソン
仮面その一 ジャン・ロラン
頭蓋骨 T・S・エリオット
踊る酒瓶 ネルヴァル
ヤフーの好きな石 スウィフト
石化の儀式 ハーバート・リード
回転樽 ニーチェ
卵の遊び バタイユ
枕 サド
螢石の壺 プリニウス
奇妙な多面体 ヴァレリー
偶像崇拝 マンデヴィル
回転する獨楽 カフカ
道は物にあり 荘子
チパング島の真珠 マルコ・ポーロ
楽器の植物 ジャリ
巨大な兜 ウォルポール
ロンボス ノディエ
酒神杖を投げつける オウィディウス
たとえマッチ箱でも ジュネ
海の蘭 プルースト
彫像を愛す メリメ
コンパス オープリー
パイプ ボードレール
メロンを称える サン=タマン
黄金虫 ポー
翼を買う グランヴィル
涙壺 ロベール・ド・モンテスキュー
アレフ ボルヘス
鏡と死の国 コクトー
ともし火 光巌院
銀の骸骨 ペトロニウス
髪の毛 ロデンバック
あたしの魔笛 アドルフィーネ・フォーゲル
紅雀とダイヤモンド ブルトン
影と実体 シュオッブ
写真機 トーマス・マン
シャンデリア ボードレール
仮面その二 サン=シモン
日時計 リルケ
砂時計 ボルヘス
花時計 マーヴェル
魔法のランプ 千夜一夜物語
詩的なランプ ロートレアモン
ありすい車 テオクリトス
蝋燭 リヒテンベルク
手袋 バルベー・ドールヴィイ
柘榴石 ノヴァーリス
アリストテレスの提灯 アリストテレス
至福をもたらす物たち ホーフマンスタール
狐玉 木内石亭
ガラスの靴 ペロー
スリッパ ビアズレー
葉巻 コクトー
卵形の水晶球 ウェルズ
骨壺の中のオパール トマス・ブラウン
眼鏡 サド
目玉 ホフマン
涙 ポー
オレイカルコス プラトン
珍書奇書 ヴィリエ・ド・リラダン
十八世紀の人工衛星 ホルベア
土星の環 ヴォルテール
これこれ、これは地球だぞ ゲーテ
エオリアン・ハープ スタール夫人
玩具の部屋 ボードレール
避雷針その二 ルーセル
天使の卵 ベアリュ
ヘルメスと亀 ホメーロス讃歌集
貝殻 フローベール
紫色の海胆 シドニウス・アポリナリス
宙におどる巻物 法華験記
鞴 ニーチェ
芳香のある円筒形 マンディアルグ
得体の知れぬもの ヴァレリー
卵と少女 ゲーテ
長崎の魚石 柳田國男
スカラベ ロートレアモン
ダイヤモンドのレンズ オブライエン




◆本書より◆


「編者による序」より:

「機械や道具でも、この本にあつめられているそれは、どちらかといえば役に立たないもの、無用のもの、遊戯的なもの、用途不明のもの、あるいは本来の用途とは別の目的で使用されているものばかりであって、このあたりに私の用いるオブジェという概念の一つの指標を見てとることができるかもしれない。
 どういうものか、私は子どものころから役に立たないものが好きで、もし私の人生一般に対する好みの基準を一言で要約するとすれば、それこそ「役に立たないものが好き」ということになってしまうにちがいない。つまり生産性の哲学や倫理が大きらいなのである。私のオブジェ好きも、どうやらこの骨がらみになった思想とふかい関係があるらしく、思想も骨がらみになってしまえばほとんど趣味と見分けがつかないから、これは趣味の問題といってもよい。あるいは今日の流行語をもって、ビョーキといってもよいであろう。そもそも骨がらみということばは梅毒の進行状態を意味していたのだった。」
「按ずるにオブジェとは、リビドーが生殖器官に集中している男性の頭の中から出てきた観念なのである。」
「ブルーノ・ベッテルハイムは名著『うつろな砦』のなかに、四歳で特殊幼稚園に「入園するとすぐ、どこからか扇風機を見つけ出してきて、子どもたちが彼を遊びの仲間に引き入れようとしても、一瞬たりとも彼の注意をその扇風機から逸らせることができなかった」ジョイという自閉症児のことを報告している。私はこの病める小さなオブジェ愛好家の記録を初めて読んだとき、異様な感動に胸がいっぱいになったことを告白しておきたい。」



「地球儀
トマス・ブラウン『医師の宗教』第二部」:

「私が見つめる世界は私自身であり、私が目をやるのは私自身のからだというミクロコスモスである。もう一つの世界(すなわち大宇宙)のほうは、地球儀のようにこれを用いて、ときどき暇つぶしの楽しみにくるくる回転させてみるだけだ。私の外形だけを見るひとは、私がどれくらい背が高いかということについて判断を誤るだろう。私はアトラスの肩の上に抜け出ているのである。地球がわずか一点にすぎないのは、私たちの頭上の天と比較した場合だけでなく、私たちの内部の天、霊的な天と比較した場合にも同様なのである。私を閉じこめている肉体というマッスは、私の精神まで限界づけてはいないのだ。あの青天井を見れば天にも限りのあることが分るだろうが、私に限りがあるとはどうしても思えない。私の円は三百六十度以上あると私は頑固に考えているのである。たとえ私の肉体がノアの箱舟の寸法に拡大されたとしても、その寸法で私の精神を包みこむことはとても無理だろう。私は自分自身がいかにミクロコスモスあるいは小世界であるかを発見すべく努めても、結局は自分が大世界より以上のものであることに気がついてしまうのだ。たしかに私たちの内部には神性の一片が存在する。それは四大(しだい)より以前から存在していたもの、太陽のおかげを蒙ってはいないものである。聖書が語っているように、自然もまた、私が神の似すがたであることを語っているのだ。」


「胡桃の中の世界
シェイクスピア『ハムレット』」:

「ローゼンクランツ  それはつまり、殿下が御大望をいだいておられるからでございましょう。望みのある身には、この国は狭すぎるのでございましょう。
ハムレット  なにをいう。たとえ胡桃の殻のなかに閉じこめられていようとも、おれは無限の天地を領する王者のつもりになれる男さ。」



「パラドックスの鏡
ムヒーユ・ウッディーン・イブン・アラビー『予言者の叡智』」:

「自然の世界は、ただ一つの鏡に反映する多くの形象から成っている。というよりもむしろ、数限りない鏡によって映し出された唯一の形象というべきかもしれない。」


「ともし火
光厳院『光厳院御集』」:

「ともし火に我(われ)もむかわず燈(ともしび)もわれにむかわず己(おの)がまにまに」




こちらもご参照ください:

『澁澤龍彦コレクション 3 天使から怪物まで』






































































































































『澁澤龍彦コレクション 1 夢のかたち』

「なかには、いかにも嘘っぽい夢というのもある。しかし肩肘張らずに、嘘っぽい夢をも嘘っぽい夢として楽しもうというのが私の編集方針である。リアリズムなんか犬にでも食われるがいい。」
(澁澤龍彦 「編者による序」 より)


『澁澤龍彦コレクション 
1 夢のかたち』


河出書房新社 
1984年11月10日 初版印刷 
1984年11月20日 初版発行
295p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,300円
装本: 菊地信義

月報 1 (8p):
夢への敬意(多田智満子)/華やぐ夢見(中沢新一)/この巻にあらわれる[原著者・原著作]一覧



本書「編者による序」より:

「本書の翻訳について簡単に記しておく。原文にあたれるものはできるだけ原文にあたって、私自身の手になる訳文にするように努めたが、なかには諸家の既訳をそのまま流用させてもらった部分もある。」


全三巻。


澁澤龍彦コレクション 夢のかたち


帯文:

「語りえぬ不思議を
語ろうとする 古代からの
多彩多様な夢の記述の
一大絵巻
ホメーロスから
マンディアルグまで
126の断章を収録」



帯背:

「胸躍る
言葉の
博物館」



帯裏:

「驚異博物館 種村季弘
三つの標本箱がある。名づけて「澁澤龍彦コレクション」。ここには無定形なものは何一つない。夢ならあくまでも夢のかたちであり、エロチシズムは畸形学や天使学を通じて整然たる博物誌的構図に配置され、冷たく明るい古典主義的感性のセレクターを通して選びぬかれた、さまざまの情念の結晶体が硬質の輝きにきらめく、これは稀代の目利きが創出した、夢、物体、エロチシズムの三位一体からなる驚異博物館である。」



目次:
 
編者による序

世界の終り マリ・パシュキルツェフ
夢の季節 プリニウス
眠る女のアリバイ コクトー
ゴッフレードの夢 タッソー
夢にあらわれたラウラ サド
見るならば面白い夢 ニーチェ
大孔雀王の夢 明恵
キャルパーニアの夢 シェイクスピア
ペネロペイアの夢 ホメーロス
デ・ゼッサントの夢 ユイスマンス
死んだ母の夢 リヒテンベルク
母と同衾した夢 ヘロドトス
イオカステの意見 コクトー
眠りは劇場支配人 ゴンゴラ
メルモスの夢 マチューリン
刺激が物語をつくる エルヴェ・ド・サン=ドニ
殺してしまった夢 アミエル
夢の中の夢 ノヴァーリス
眠ってばかりいる人間の国 列子
人語をあやつる雄鶏 カルダーノ
ころがり落ちた瓶 メーテルランク
近づいてくる葬列 メリメ
忘れたアドレス カフカ
断頭台の夢 アルフレッド・モーリ
眠りよ コルビエール
白昼夢 ビアズレー
夢を記憶する法 南方熊楠
ポンペイの廃墟で イエンゼン
娼婦の家 ボードレール
ばらばらに読んだページ ショーペンハウアー
ディアナ女神の胸のような マンディアルグ
仮面の女たち ジャン・ロラン
ままならぬ夢 柳沢淇園
夢で長老に出会う アッタール
飛行の夢 ブリヤ=サヴァラン
意識的にみる夢 ジャン・パウル
艶夢を生み出す機械 アポリネール
夢の夢 ポー
阿片の夢 ド・クインシー
音楽による夢の実験 エルヴェ・ド・サン=ドニ
秤を手にして ニーチェ
スワンの夢 プルースト
眠りは理性を解放する トマス・ブラウン
或る終末風景 ファルグ
空中楼閣 コールリッジ
魚とともにあそぶ 上田秋成
帝王シャルルの夢 ローランの歌
夢には何の意味もない エピクロス
美しい鳥 ゲーテ
足下に地球を見る マリ・パシュキルツェフ
墜落した天使の夢 ネルヴァル
天使のまぼろし チェッリーニ
天体から発する力 アグリッパ
箱の中の夢 笠女郎
夢の虎 ボルヘス
夢の延長 フローベール
新しい地球 ラルボー
王さまの夢 キャロル
悪魔を見た中世の修道士 グラベール
デカルトの三つの夢 バイエ
焼き殺される夢 リヒテンベルク
自分が死んだ夢 ゴーティエ
妻が強姦される夢 ジュアンドー
淫夢女精 ユイスマンス
夢を信じる男と信じない男 千夜一夜物語
天上のひと ネルヴァル
夢の中の人間 パピーニ
夢中に得た石 木内石亭
理想的な夢の交接 ゴンクール
夢と責任 ニーチェ
エオリアン・ハープの音 バトラー
音楽の夢 シェイクスピア
法に背く行為 アルテミドロス
夢の中の女の幻影 ルクレティウス
キュンティアの亡霊 プロペルティウス
夢の以心伝心 メーテルランク
象形文字的な夢 ボードレール
前世の思い出 ノヴァーリス
陰陽の気 列子
海辺にて ブルトン
なつかしさと悲しみと海と ヴァレリー
幻の猫 イェイツ
女神の顕現 アプレイウス
クリュタイメストラの夢 アイスキュロス
モンゴグルの夢 ディドロ
二人同夢 今昔物語集
夢の世 カルデロン
二つに分れた人格 ゴーティエ
一つの夢から別の夢へ ホーフマンスタール
健康と不健康 ヒポクラテス
安楽死への期待 ブリヤ=サヴァラン
近づいてくる死 ヘミングウェイ
肉欲の感覚 ゴンクール
不幸な残骸 フランス
夢を食う 貝原好古
新しいメルジーネ ゲーテ
エディットの夢 バタイユ
空虚な夢 ワイルド
夢を借用する詩人 ノディエ
夢の王冠 マラルメ
無痛の夢 ディドロ
人形変じて女人となる 明恵
見たままを語るとすれば ベルトラン
幻の舟 ポー
ポリフィルの夢 コロンナ
悪魔のかけた罠 デカルト
スナークの夢 キャロル
夢解きへの疑問 ボルヘス
悪魔が送ってくる夢 テルトゥリアヌス
夢中遊魂 松浦靜山
イヴの夢 ミルトン
いつになったら ブルトン
夢のアリバイ ヴァレリー
ただよう寓話、短い夢 クラショー
卵の夢 マンディアルグ
虎に噛まれた夢 捜神記
国王と職人 パスカル
幽霊と寝た夢 テオフィル・ド・ヴィヨー
黄色い水の流れる河 ロティ
嫉妬の夢 サド
夢の門 ウェルギリウス
地下に降りる夢 ホフマン
もののけの出現 源氏物語
窓から子どもがのぞく エミリ・ブロンテ
剣闘士の夢 ジャリ
神の夢 エリファス・レヴィ

 


◆本書より◆


「編者による序」より:

「いかにも本当らしい夢というのは、いかにも本当らしく語られた夢ということでしかない。夢のリアリティーは、語りのリアリティーによって保証されるよりはかはないらしいのだ。」
「いずれにせよ、私がここで確認しておきたいのは、語られた夢は夢そのものとは別物だということである。
 といっても、夢そのものをコレクションするわけにはいかない。コレクションの対象になるのは、いつでも語られた夢にほかならない。あるいは記述された夢といってもよい。それはあたかも、生きた昆虫が標本にはならないようなものであろう。」
「はるかな過去から飽くことなく人類のこころみてきた、夢を語るという一つの文学ジャンルにも、独自のおもしろさがあることを私はここで強調しておきたい。」
「なかには、いかにも嘘っぽい夢というのもある。しかし肩肘張らずに、嘘っぽい夢をも嘘っぽい夢として楽しもうというのが私の編集方針である。リアリズムなんか犬にでも食われるがいい。」
「「もうまともに青い花が夢みられることはない。今日、ハインリヒ・フォン・オフターディンゲンとして目をさます者は、寝すごしたのにちがいない」とヴァルター・ベンヤミンが書いている。その通りだろう。寝すごすほどの覚悟がなければ、私たちはおちおち夢もみていられない時代に生きているのである。」



「眠ってばかりいる人間の国  
『列子』周穆王第三」:

「世界の西のはずれ、南のすみに一つの国がある。この国は、隣りの国がどうなっているのか一向に分らず、古莽(こもう)の国と呼ばれている。陰陽の気さえも作用しないところである。したがって暑さ寒さの区別もない。また、月や太陽の光も射してこないところである。したがって夜と昼の区別もない。その国の住民は、飯も食わなければ衣服も着ず、眠ってばかりいて、五十日に一度だけ目をさます。そして、夢の中でやったことが現実のことであって、目のさめているときの出来事は虚妄のことだと思いこんでいる。」


「眠りは理性を解放する
トマス・ブラウン『医師の宗教』第二部」より:

「考えようによっては、私たちすべてがこの世で眠っているのだと想像したとしても、そしてこの人生で私たちの考えることは単なる夢のごときものだと想像したとしても、べつだん悲しむべきことはないであろう。夜の幻覚があるように、昼間の思想もあるにすぎない。前者も後者もいわば同じような錯覚で、後者は前者の表象あるいは似姿でしかないように思われる。私たちは、眠っているときの私たち自身とはいくらか違った存在にすぎなくて、私たちの肉体のまどろみは魂の目ざめにほかならないように思われる。眠りは感覚を金縛りにするが、かえって理性を解放する。覚醒時の私たちの思考は、睡眠時の気まぐれな想像力に敵すべくもないのである。」


「音楽の夢
シェイクスピア『テンペスト』」:

「キャリバン  こわがることはないよ。この島はいつも音でいっぱいだ。音楽や気持のよい歌声が聞えてくるが、楽しいだけで何ともありはしない。ときには数えきれないほどの楽器が耳もとでびんびん響くこともある。かと思うと、歌声がただよってきて、ぐっすり眠ったあとなのに、また眠くなってしまうこともある。そして夢をみると、雲が二つに割れて、そこから宝物がどっさり落ちてきそうな気がする。だから、そこで目がさめたときなんか、もう一度夢のつづきが見たくて泣いたものさ。」


「夢を食う
貝原好古『日本歳時記』」:

「十二月二十八日、この夜、獏(ばく)の形を図して枕に加え侍れば悪夢を避くるとて、今の世俗にすることなり。俗説に、獏は夢を食う獣なるゆえこれを用うるといえり。按ずるに、獏は『爾雅』に出でたり。鉄銅および竹を食らう。唐の白居易が「獏屏の賛の序」にいわく、象鼻犀目、牛尾虎足、その皮に寝(い)ねて湿を避け、その形を図して邪を避く、今俗これを白沢と謂う、と。また陸佃がいわく、皮を坐毯臥褥となせば、すなわち膜外の気を消す、と。これらの説をもって見侍れば、邪気を避くるものなるゆえ、今宵このことをするなるべし。夢を食うということはいまだその説を見侍らず。ただし『続漢書』に、大儺(たいな)のとき、伯奇という神、夢を食うということ侍り。『山海経』にも記せり。されども獏のことなし。ことに夢は睡中の思想にして、形ある物にしあらねば、これを食うといえるも理(ことわり)なきことにぞ侍る。」




こちらもご参照ください:

『澁澤龍彦コレクション 2 オブジェを求めて』















































































































澁澤龍彦 『東西不思議物語』

「最も古い神話や伝説のなかに、私たちは最新のSFのテーマを発見することができるのだし、不思議物語こそ、イメージやシンボルの宝庫ではないだろうか。」
(澁澤龍彦 『東西不思議物語』 より)


澁澤龍彦 
『東西不思議物語』


毎日新聞社 
昭和52年6月20日 印刷
昭和52年6月30日 発行
205p
四六判 角背紙装上製本 カバー
定価960円
装丁・イラスト: 藤本蒼

  

本書「前口上」より:

「それにしても、不思議を楽しむ精神とは、いったい何であろうか。おそらく、いつまでも若々しさを失わない精神の別名ではなかろうか。驚いたり楽しんだりすることができるのも一つの能力であり、これには独特な技術が必要なのだということを、私はここで強調しておきたい。
 この東西不思議物語は、昭和五十年十二月七日から一年間ばかり、四十八回にわたって毎日新聞・日曜版に連載されたものである。単行本とするにあたって、一篇を追加したことを申し添えておく。
 べつに順番にならべてあるわけではないから、読者は気が向くままに、どこからお読みになっても差支えない。お代は見てのお帰り、と言いたいところだが、まあ、そういうわけにもいかないのは残念だ。」



藤本蒼によるイラスト49点。


澁澤龍彦 東西不思議物語 01


帯文:

「自由な精神の持主だけが、のぞき見ることのできる怪奇の世界。常に常識を超えて飛翔する稀有な個性が、古今東西の文献を渉猟して蒐集した世にも不思議な面白い話の数々。」


帯背:

「超科学の驚き」


帯裏:

「不思議物語の伝統は歴史とともに、古代から脈々と流れていると言ってもよいであろう。ヨーロッパにも日本にも、あるいは中国にもインドにも、私たちはその伝統の流れを発見することができるし、その流れを現代に復活させて、これを新しい目で眺め、大いに驚いたり楽しんだりすることができるのだ。
私は学者ではないから、七面倒くさい理窟をつけるのはあまり好きなほうではなく、ただ読者とともに、もっぱら驚いたり楽しんだりするために、五十篇に近い不思議物語をここに集めたにすぎないのである。(前口上より)」



澁澤龍彦 東西不思議物語 06

裏。


澁澤龍彦 東西不思議物語 05

カバーをはずしてみた。


澁澤龍彦 東西不思議物語 02

見返し。


澁澤龍彦 東西不思議物語 03


目次:
 
前口上

1 鬼神を使う魔法博士のこと
2 肉体から抜け出る魂のこと
3 ポルターガイストのこと
4 頭の二つある蛇のこと
5 銅版画を彫らせた霊のこと
6 光の加減で見える異様な顔のこと
7 末来を占う鏡のこと
8 石の上に現れた顔のこと
9 自己像幻視のこと
10 口をきく人形のこと
11 二人同夢のこと
12 天から降るゴッサマーのこと
13 屁っぴり男のこと
14 ウツボ舟の女のこと
15 天女の接吻のこと
16 幽霊好きのイギリス人のこと
17 古道具のお化けのこと
18 鳥にも化すウブメのこと
19 リモコンの鉢のこと
20 キツネを使う妖術のこと
21 空中浮揚のこと
22 トラツグミ別名ヌエのこと
23 幻術師果心居士のこと
24 天狗と妖霊星のこと
25 悪魔と修道士のこと
26 二度のショックのこと
27 迷信家と邪視のこと
28 女神のいる仙境のこと
29 神話とSF的イメージのこと
30 「栄光の手」のこと
31 骸骨の踊りのこと
32 天狗にさらわれた少年のこと
33 石の中の生きもののこと
34 海の怪のこと
35 隠れ簑願望のこと
36 破壊された人造人間のこと
37 腹のなかの応声虫のこと
38 百鬼夜行のこと
39 アレクサンドロス大王、海底探検のこと
40 無気味な童謡のこと
41 大が小を兼ねる芸のこと
42 もう一人の自分のこと
43 ガマが変じて大将となること
44 女護の島のこと
45 不死の人のこと
46 遠方透視のこと
47 黒ミサに必要なパンのこと
48 さまざまな占いのこと
49 百物語ならびに結びのこと



澁澤龍彦 東西不思議物語 00



◆本書より◆


「骸骨の踊りのこと」:

「ローマのバルベリーニ広場に近い骸骨寺には、何千という人間の骨によって組み立てられた、一種のインテリヤ・デコレーション(室内装飾)が設置されていて、訪れる者をびっくりさせる。天井や壁の装飾も、ぶらさがったシャンデリヤも、すべて人間の骨で出来ているのだから驚きである。
 日本には、骸骨を飾りものにするという習慣はほとんどないようだが、ヨーロッパでは、中世の僧侶が死と親しむために、好んでこれを机の上に飾って、朝に晩に眺めていた。いわゆるメメント・モリ(死を思え)の思想がこれである。
 西欧美術の上にも、この思想は反映していて、骸骨を描いた壁画や版画はたくさんある。なかでも有名なのはダンス・マカブル(死の舞踏)であろう。
 骸骨に手をとられ、「さあいらっしゃい、踊りましょう」と誘われると、聖職者も皇帝も貴族も学者も、兵士も貴婦人も農夫も、みんな踊りの列に加わって、死の踊りを踊らないわけにはいかなくなる。死は平等で、人間の身分がどうであれ、そんなことには動かされないからだ。あらゆる身分、あらゆる職業の人間が骸骨と一緒に踊り狂っている。それがダンス・マカブルの図である。
 もちろん、骸骨の表現は昔からあったにちがいないが、美術史家エミール・マールなどの説によると、このダンス・マカブルの観念を西欧にひろめたのは、当時、ラマ教の一大中心地だった元の燕京(現在の北京)から帰ったフランチェスコ派の伝道師だったという。骸骨の踊りの表現は、むしろ東洋のほうが本場だというのである。そういえば、最近になって見直されてきたインドやネパールのタントラ美術にも、よく骸骨の踊りが出てくるような気が私にはする。
 ダンス・マカブルの日本版として、ただちに私が思い出すのは、江戸時代初期の仮名草子『二人比丘尼』だ。作者は、もと徳川家に仕える武士で、のちに出家した鈴木正三である。仏理を説くために書かれたものだが、私にとって最も興味をそそられるのは、作者によって生き生きと描き出された骸骨の姿にほかならない。
 十七歳で未亡人となった武士の妻が、夫の戦死した跡をたずねて菩提を弔おうとする。家を出て、あちこち歩いているうちに、短い秋の日がたちまち暮れてしまう。仕方なく、ふと見つけた小さな草堂で、一晩を過そうとする。
 あたりを見ると、そこは物さびしい墓場で、苔むした石塔がいっぱい立ちならんでいる。つい最近のものと思われる、新しい墓もたくさんある。女は草堂で、一晩中、お経の文句を唱えて回向していたが、明け方になると、さすがに疲れてきて、うとうとと眠ってしまった。その夢のなかに、大ぜいの骸骨があらわれたのである。
 骸骨どもは、いっせいに手拍子を打って、骨をかたかた鳴らせながら、声を合わせて歌い出した。「そもそも我らと申すは、地水火風のかり物を、とくに返弁つかまつり……」
 つまり、骸骨というものは、借物にすぎない人間の肉体や欲望の一切を捨てて、空に帰してしまった存在なので、もはや生きている人間のように、煩悩にとらわれることはない。こんな結構なことはない――と言って喜んで踊っていたわけなのである。人生の空なること、この世は夢であることを、身をもって教えていたわけなのである。
 西欧中世にくらべれば、江戸時代はずっと新しいが、この『二人比丘尼』の骸骨たちの踊りは、まさにダンス・マカブルにそっくりと言ってもよいであろう。
 ただし、ヨーロッパの骸骨が、無理やり人間の手をひっぱって、死の舞踏のなかに巻きこもうとしているのに対して、日本の骸骨は、ただ教訓をあたえるだけで満足している。やさしい骸骨である。」



澁澤龍彦 東西不思議物語 04


「作者をしてぶっきらぼうに退場せしめよ。」

































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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