澁澤龍彦 『東西不思議物語』

「最も古い神話や伝説のなかに、私たちは最新のSFのテーマを発見することができるのだし、不思議物語こそ、イメージやシンボルの宝庫ではないだろうか。」
(澁澤龍彦 『東西不思議物語』 より)


澁澤龍彦 
『東西不思議物語』


毎日新聞社 
昭和52年6月20日 印刷
昭和52年6月30日 発行
205p
四六判 角背紙装上製本 カバー
定価960円
装丁・イラスト: 藤本蒼

  

本書「前口上」より:

「それにしても、不思議を楽しむ精神とは、いったい何であろうか。おそらく、いつまでも若々しさを失わない精神の別名ではなかろうか。驚いたり楽しんだりすることができるのも一つの能力であり、これには独特な技術が必要なのだということを、私はここで強調しておきたい。
 この東西不思議物語は、昭和五十年十二月七日から一年間ばかり、四十八回にわたって毎日新聞・日曜版に連載されたものである。単行本とするにあたって、一篇を追加したことを申し添えておく。
 べつに順番にならべてあるわけではないから、読者は気が向くままに、どこからお読みになっても差支えない。お代は見てのお帰り、と言いたいところだが、まあ、そういうわけにもいかないのは残念だ。」



藤本蒼によるイラスト49点。


澁澤龍彦 東西不思議物語 01


帯文:

「自由な精神の持主だけが、のぞき見ることのできる怪奇の世界。常に常識を超えて飛翔する稀有な個性が、古今東西の文献を渉猟して蒐集した世にも不思議な面白い話の数々。」


帯背:

「超科学の驚き」


帯裏:

「不思議物語の伝統は歴史とともに、古代から脈々と流れていると言ってもよいであろう。ヨーロッパにも日本にも、あるいは中国にもインドにも、私たちはその伝統の流れを発見することができるし、その流れを現代に復活させて、これを新しい目で眺め、大いに驚いたり楽しんだりすることができるのだ。
私は学者ではないから、七面倒くさい理窟をつけるのはあまり好きなほうではなく、ただ読者とともに、もっぱら驚いたり楽しんだりするために、五十篇に近い不思議物語をここに集めたにすぎないのである。(前口上より)」



澁澤龍彦 東西不思議物語 06

裏。


澁澤龍彦 東西不思議物語 05

カバーをはずしてみた。


澁澤龍彦 東西不思議物語 02

見返し。


澁澤龍彦 東西不思議物語 03


目次:
 
前口上

1 鬼神を使う魔法博士のこと
2 肉体から抜け出る魂のこと
3 ポルターガイストのこと
4 頭の二つある蛇のこと
5 銅版画を彫らせた霊のこと
6 光の加減で見える異様な顔のこと
7 末来を占う鏡のこと
8 石の上に現れた顔のこと
9 自己像幻視のこと
10 口をきく人形のこと
11 二人同夢のこと
12 天から降るゴッサマーのこと
13 屁っぴり男のこと
14 ウツボ舟の女のこと
15 天女の接吻のこと
16 幽霊好きのイギリス人のこと
17 古道具のお化けのこと
18 鳥にも化すウブメのこと
19 リモコンの鉢のこと
20 キツネを使う妖術のこと
21 空中浮揚のこと
22 トラツグミ別名ヌエのこと
23 幻術師果心居士のこと
24 天狗と妖霊星のこと
25 悪魔と修道士のこと
26 二度のショックのこと
27 迷信家と邪視のこと
28 女神のいる仙境のこと
29 神話とSF的イメージのこと
30 「栄光の手」のこと
31 骸骨の踊りのこと
32 天狗にさらわれた少年のこと
33 石の中の生きもののこと
34 海の怪のこと
35 隠れ簑願望のこと
36 破壊された人造人間のこと
37 腹のなかの応声虫のこと
38 百鬼夜行のこと
39 アレクサンドロス大王、海底探検のこと
40 無気味な童謡のこと
41 大が小を兼ねる芸のこと
42 もう一人の自分のこと
43 ガマが変じて大将となること
44 女護の島のこと
45 不死の人のこと
46 遠方透視のこと
47 黒ミサに必要なパンのこと
48 さまざまな占いのこと
49 百物語ならびに結びのこと



澁澤龍彦 東西不思議物語 00



◆本書より◆


「骸骨の踊りのこと」:

「ローマのバルベリーニ広場に近い骸骨寺には、何千という人間の骨によって組み立てられた、一種のインテリヤ・デコレーション(室内装飾)が設置されていて、訪れる者をびっくりさせる。天井や壁の装飾も、ぶらさがったシャンデリヤも、すべて人間の骨で出来ているのだから驚きである。
 日本には、骸骨を飾りものにするという習慣はほとんどないようだが、ヨーロッパでは、中世の僧侶が死と親しむために、好んでこれを机の上に飾って、朝に晩に眺めていた。いわゆるメメント・モリ(死を思え)の思想がこれである。
 西欧美術の上にも、この思想は反映していて、骸骨を描いた壁画や版画はたくさんある。なかでも有名なのはダンス・マカブル(死の舞踏)であろう。
 骸骨に手をとられ、「さあいらっしゃい、踊りましょう」と誘われると、聖職者も皇帝も貴族も学者も、兵士も貴婦人も農夫も、みんな踊りの列に加わって、死の踊りを踊らないわけにはいかなくなる。死は平等で、人間の身分がどうであれ、そんなことには動かされないからだ。あらゆる身分、あらゆる職業の人間が骸骨と一緒に踊り狂っている。それがダンス・マカブルの図である。
 もちろん、骸骨の表現は昔からあったにちがいないが、美術史家エミール・マールなどの説によると、このダンス・マカブルの観念を西欧にひろめたのは、当時、ラマ教の一大中心地だった元の燕京(現在の北京)から帰ったフランチェスコ派の伝道師だったという。骸骨の踊りの表現は、むしろ東洋のほうが本場だというのである。そういえば、最近になって見直されてきたインドやネパールのタントラ美術にも、よく骸骨の踊りが出てくるような気が私にはする。
 ダンス・マカブルの日本版として、ただちに私が思い出すのは、江戸時代初期の仮名草子『二人比丘尼』だ。作者は、もと徳川家に仕える武士で、のちに出家した鈴木正三である。仏理を説くために書かれたものだが、私にとって最も興味をそそられるのは、作者によって生き生きと描き出された骸骨の姿にほかならない。
 十七歳で未亡人となった武士の妻が、夫の戦死した跡をたずねて菩提を弔おうとする。家を出て、あちこち歩いているうちに、短い秋の日がたちまち暮れてしまう。仕方なく、ふと見つけた小さな草堂で、一晩を過そうとする。
 あたりを見ると、そこは物さびしい墓場で、苔むした石塔がいっぱい立ちならんでいる。つい最近のものと思われる、新しい墓もたくさんある。女は草堂で、一晩中、お経の文句を唱えて回向していたが、明け方になると、さすがに疲れてきて、うとうとと眠ってしまった。その夢のなかに、大ぜいの骸骨があらわれたのである。
 骸骨どもは、いっせいに手拍子を打って、骨をかたかた鳴らせながら、声を合わせて歌い出した。「そもそも我らと申すは、地水火風のかり物を、とくに返弁つかまつり……」
 つまり、骸骨というものは、借物にすぎない人間の肉体や欲望の一切を捨てて、空に帰してしまった存在なので、もはや生きている人間のように、煩悩にとらわれることはない。こんな結構なことはない――と言って喜んで踊っていたわけなのである。人生の空なること、この世は夢であることを、身をもって教えていたわけなのである。
 西欧中世にくらべれば、江戸時代はずっと新しいが、この『二人比丘尼』の骸骨たちの踊りは、まさにダンス・マカブルにそっくりと言ってもよいであろう。
 ただし、ヨーロッパの骸骨が、無理やり人間の手をひっぱって、死の舞踏のなかに巻きこもうとしているのに対して、日本の骸骨は、ただ教訓をあたえるだけで満足している。やさしい骸骨である。」



澁澤龍彦 東西不思議物語 04


「作者をしてぶっきらぼうに退場せしめよ。」

































































































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ピエール=マクシム・シュール 『想像力と驚異』 (谷川渥 訳)

「或る男がひとつの頭蓋骨を指さして、これはヴォルテールの頭蓋骨だと言う。誰かがヴォルテールのにしては少し小さいようだと言うと、件の男は、いや、これはヴォルテールの少年時代の頭蓋骨なんだ、と答えたという逸話。」
(ピエール=マクシム・シュール 『想像力と驚異』 谷川渥による訳註より)


ピエール=マクシム・シュール 
『想像力と驚異』 
谷川渥 訳


白水社 
1983年4月25日 印刷
1983年5月10日 発行
328p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,500円



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、Pierre-Maxime Schuhl, L'imagination et le merveilleux - La pensée et l'action, Flammarion, 1969 の全訳である。」
「因みに、わが国ではいちはやく澁澤龍彦氏が『胡桃の中の世界』において本書を大きく取り上げておられる。」



シュール 想像力と驚異


目次:

序論

第一部 想像力――想い出・イマージュ・観念
 A 想い出と夢
  Ⅰ ためになる想い出と傷つける想い出
  Ⅱ 幼年期の想い出と無意的記憶
  Ⅲ 覚醒夢
 B 驚異的想像力・絵画・映画
  Ⅰ シネマトグラフの芸術的活用の三つの試み
  Ⅱ マックス・エルンストのヴィジョンについて
  Ⅲ リュルサ回顧展
  Ⅳ 画家ベンのグラフィック言語
 C 想像力と歴史
  Ⅰ ピュティアは錯乱していたか
  Ⅱ イマージュと機械
  Ⅲ 想像力と現代史

第二部 驚異・感情性・イマージュ
 第一章 驚異の心理学
 第二章 リュシアン・レヴィ=ブリュールと魔術的思考
 第三章 ブレイクの『無垢と経験の歌』における迷子のテーマ
 第四章 人形・子供・大人
 第五章 ガリヴァーのテーマとラプラスの公準
 第六章 骨学と想像力
 第七章 リュンケウスのテーマと解剖学
 第八章 想像上の動物のテーマ
 第九章 パーディタ、自然と人為
 第一〇章 ヴェルサイユ庭園の冬の散歩が教えてくれること
 第一一章 騎士の像
 第一二章 イマージュと映画的抽象
 第一三章 驚異から現実界への移行方法についての考察
 第一四章 囚われ状態におけるイマージュの戯れ
 第一五章 ドビュッシーの古い調べについて

第三部 プラトン的想像力と現実界
 第一章 アリアドネの糸
 第二章 善のくびき・必然の綱・ヘスティアの機能
 第三章 想像力と結晶学――あるいはプラトン哲学と鉱物学
 第四章 プラトンと薬力学的探診の理念
 第五章 プラトンとアカデメイアの政治的活動

第四部 身振りと眼差し
 第一章 裁つことと繕うこと
 第二章 三分割の場合――フランスの鉄道の等級区分について
 第三章 右手と左手
  Ⅰ グザビエ・ビシャ
  Ⅱ プラトンと右手の優越
  Ⅲ エパメイノンダスと左からの用兵
 第四章 外科医と哲学者
 第五章 衣装の心理学の若干の様相に関する覚書
 第六章 眼差しについての考察

原註
訳註
訳者あとがき




◆本書より◆


「序論」より:

「感覚と想像力が正常に機能している者は、それをとりたてて幸福だと感じることなど決してあるまい。そのことに気づくためには、E・B夫人の場合のような機能不全の症例を知らなければならない。バリュックとロネのすぐれた症状記録に詳述されているところによれば、この患者にあっては、「感覚はもはや知覚にまでいたらず、また、自分の見たものを病人は何も想い出せないのであって、持続、始まり、終わりといった観念を喪失している」。
 つまるところ、「それは無の、存在喪失の印象である。……彼女は何も心にありありと想い描くことができず、自分の家族の一人ひとりの特徴も、自分がすっかり知っている場所も想い起こすことができなかった。彼女にとってはすべてが視覚像を伴わない抽象的な観念になってしまったのである。……私は《ありありと見る》ことができません、と彼女は言う。感覚すること、感じることが損なわれてしまったのです。私はたびたび推論してみるのですが、それは何の役にも立ちません。……石炭が黒く、雪が白いということはわかっています。でも、こうしたもののどれもが私には全然見えないのです。それらは言葉にすぎません」。そして最も印象的な発言は、おそらくこれである。「私は存在していません。」」
「しかし、正常に作動し、またそれなりに不調を来たすこともあるあらゆる精妙なメカニズムについての精確な認識からは、われわれはまだ程遠い。が、この薄明のなかから最後には抜け出すという希望を抱くほかはない。」

「想像力の提起する問題は多様にして本質的である。不可欠な最低限の規律に従うか否かに応じて、ためにもなれば禍いにもなるという、この機能の両価性。逃避の道具であると同時に行動の手段。連接と離接、焦点合わせ、接触を失わずに十分な間合いをとらせる最適距離、といった微妙な諸問題。特定の者に生まれつき与えられた真の恩寵たる一種の予見能力によって、こうした接近方法を統制する直観。儀礼と行動との関係。幻想的(ファンタスティック)なものの魅力と、ルイ・ヴァックスがいみじくも言うように、「奇異(エトランジュ)なものの魅惑」。驚異的(メルヴェイユー)なものの豊かさと、バシュラールおよびミンコフスキーを引くなら、現実的(レエル)なものに形を与える非現実的(イレエル)な因子の現実性(レアリテ)。最後に神話の役割、そして神話的思考と理性との関係。」
「採用される方法は収斂の方法である。具体的なもの、諸々の観察、些小でさえある諸事実から出発すること。周縁から接近作業を導き、次いで探究を進めつつ問題の核心にまで深く貫入しようとすること。したがってそれは、異なりはするが通底しているさまざまな流域への、相継ぐ潜水といったようなものである。異なるさまざまな領域が寄り集まって生じる効果、すなわち、極東で禅の方法が探究しているのと同じ効果によって、読者の反省を喚び覚まさなければならない。」



「ガリヴァーのテーマとラプラスの公準」より:

「鶏卵の生長を観察することによってマルピーギは、「鶏の下図は卵のなかに予在し、誕生に先立つ起源をもつ」と考えるにいたる。これが、発生とは何か予在するものの展開であるとする、いわゆる前成説の発端である。(中略)人は胚種入れ子の観念に訴えたのである。スワンメルダムは、すでに一六六九年、「自然界には発生などあり得ず、ただ諸部分の伸長あるいは生長があるだけだと考えてきた」と述べている。「……全人類はアダムとイヴの腰部に含まれていた」(中略)極微生物学者たちは、精液中に身を縮めたホムンクルスがいると想像する。」


「ヴェルサイユ庭園の冬の散歩が教えてくれること」より:

「庭園術は建築の一形式である。それは単なる功利的技術ではない。ひとつの思想を、人間と世界とについてのひとつの考え方を表現する芸術である。」


「囚われ状態におけるイマージュの戯れ」より:

「身体がだんだんに弱り無活動な状態になってゆくと、想像力はそれだけいっそう激しく展開する。」


「想像力と結晶学」より:

「幾何学の創造は、学問の歴史の最も驚嘆すべき逆説のひとつである。そしてプラトンは、この学科に最高の価値を与えるのは、人がそこから引き出し得るような応用ではなく、その利害を離れた性格であることを、当初より見抜いていた。」
「彼にとっては、相対的な領域を超越した現実的で混じりけのない快は、何よりもまず、幾何学的形態の美と色彩の純粋さから得られる快なのである。」






























































































































澁澤龍彦 『サド侯爵の手紙』 (ちくま文庫)

「そうとも、たとえこの鉄鎖が私を墓場へみちびくことになろうとも、つねに私は同じ人間でありつづけるだろう。私は幸か不幸か、永久に屈服することを知らぬ頑固な魂を天から授けられたのだ。」
(「サド夫人宛 一七八一年二月二十日」 より)


澁澤龍彦 
『サド侯爵の手紙』
 
ちくま文庫 し-2-1

筑摩書房 1988年1月26日第1刷発行
280p
文庫判 並装 カバー
定価490円(本体476円)
装幀: 安野光雅

「この作品は一九八〇年一二月一〇日、筑摩書房より刊行された。」



本書「あとがき」より:

「この手紙の翻訳は、当初から筑摩書房で単行本にするという予定で、雑誌「現代思想」の昭和五十年十月号から五十二年七月号までに、十三回にわたって飛び飛びに連載したものである。(中略)単行本にするに当っては、どういう叙述形式にしたらよかろうかと、(中略)ずいぶん頭を悩ませたものであるが、結局、一つ一つの手紙の末尾に註をつけるという、いちばん当り前な形式に落着いた。」


澁澤龍彦 サド侯爵の手紙


カバー裏文:

「フランス暗黒文学の巨星サド侯爵の、夫人宛の手紙を中心に編集した牢獄文学者の告白。特異な性的所業ゆえに、義母モントルイユ夫人によって投獄されたサドは、苦悩、怒り、嫉妬、時には最も秘密の欲望をも、躊躇なく夫人に打明ける。その赤裸々な表現は十八世紀においてその比を見ない自由さ、大胆さに達している。サド研究の泰斗である澁澤龍彦が「できるだけ具体的かつ詳細な」註解を付す。」


目次:

サド略年譜

I ヴァンセンヌにて
 1 モントルイユ夫人宛 一七七七年二月末
 2 サド夫人宛 一七七七年三月六日
 3 サド夫人宛 一七七七年四月十八日
 4 サド夫人宛 一七七九年二月十七日
 5 マリー=ドロテ・ド・ルーセ宛 一七七九年三月二十一日
 6 サド夫人宛 一七七九年五月十六日
 7 サド夫人宛 一七八〇年六月二十五日
 8 サド夫人宛 一七八一年二月二十日
 9 サド夫人宛 一七八一年七月から十月までの間
 10 マリー=ドロテ・ド・ルーセ宛 哲学的な贈物 一七八二年一月二十六日
 11 アンブレ師宛 一七八二年一月
 12 マリー=ドロテ・ド・ルーセ宛 一七八二年四月十七日
 13 サド夫人宛 一七八二年十月二十一日
 14 私を苦しめる愚鈍な悪党どもへ 一七八三年二月十日ごろ
 15 サド夫人宛 一七八三年二月十三日
 16 サド夫人宛 一七八三年三月十八日
 17 サド夫人宛 一七八三年七月三日―十一日
 18 サド夫人宛 一七八三年七月
 19 サド夫人宛 一七八三年七月
 20 サド夫人宛 一七八三年九月初旬
 21 サド夫人宛 一七八三年十一月初旬
 22 サド夫人宛 一七八三年十一月二十三、二十四日
 23 サド夫人宛 一七八四年一月初旬
 24 ルイ=マリー・ド・サド宛 一七八四年一月初旬
II バスティーユにて
 25 サド夫人宛 一七八四年三月八日
 26 アンブレ師宛 一七八四年四月(?)
 27 サド夫人宛 一七八四年六月八日
 28 サド夫人宛 一七八四年九月四日
 29 サド夫人宛 一七八六年十一月二十五日
 30 バスティーユ参謀部の将校各位へ 一七八七年(?)
 31 サド夫人宛 一七八七年八月二十四日

あとがき

解説 「サド学」の年季 (出口裕弘)




◆本書より◆


「手紙 19」より:

「ルソーはあなた方のような偏狭な心の人間には危険な著者かもしれないが、私にとっては、世にもすぐれた書物の著者なのだということを理解するだけの良識をもっていただきたい。ジャン=ジャックは私にとって、ちょうどあなた方にとっての『キリストのまねび』のような書物なのだ。ルソーの道徳と宗教は、私のためにはきびしいものだ。私は教化されたいと思うとき、ルソーの本を読む。もし私が現在以上の人間になることをあなた方が望まないなら、もっけの幸いだ! 善は私にとって辛く困難な状態なので、私は私の泥沼の中にとどまっていることより以上を望みはしない。泥沼の中が私は好きなのだ。しかしあなた方は、あなた方の誰にでもできることを万人に押しひろげ、万人に成就させなければならないと考える。それがあなた方の間違いなのだ。」


「手紙 21」より:

「私の考え方は認められない、とお前は言う。それが私にとってどうだというのか? 他人向きの考え方をえらぶ人間は気違いだ! 私の考え方は、私の熟慮の結果なのだ。それは私の生存、私の体質と切っても切れない関係にある。私が勝手に変えたりするわけにはいかないものなのだ。かりに変えられるとしても、変えようとは思うまい。(中略)私の不幸をつくったのは、私の考え方では毛頭なく、むしろ他人の考え方だろう。」

































































































































『澁澤龍彦全集 別巻2』

「ますます観念的になり、ますます「人生は夢」という意識は強くなって……やがて夢をみるように死んでゆくでしょう。」
(「澁澤龍彦氏に聞く」 より)


『澁澤龍彦全集 別巻2』
〈サド裁判〉公判記録/対談/座談会/インタヴュー/談話/澁澤龍彦年譜/著作年譜/書誌/著作索引

編集委員: 巖谷國士/種村季弘/出口裕弘/松山俊太郎

河出書房新社 1995年6月15日初版第1刷印刷/同26日発行
768p 索引37p 口絵
20.6×15.6cm 丸背布装上製本 貼函
定価7,800円(本体7,573円)
装幀: 菊地信義

月報24(16p):
インタヴュー「胡桃の中と外」平出隆(詩人) 聞き手: 巖谷國士/図版(モノクロ)3点

正誤表



目次:

口絵 1985年2月(57歳) 自宅にて (撮影: 宮澤壮佳)

〈サド裁判〉公判記録
 検察側証人喚問
 弁護側証人喚問
 被告人特別尋問

対談 一九六二―八七年
 毒薬と裁判(関根弘)
 まりことおじさま(加賀まりこ)
 快楽主義とエロティシズム(丸山明宏)
 鏡花の魅力(三島由紀夫)
 タルホの世界(三島由紀夫)
 エロチスム・死・逆ユートピア(野坂昭如)
 芸人根性で権力を愚弄しちゃえ(野坂昭如)
 奇才・澁澤龍彦(種村季弘)
 ピグマリオニスム――人形愛の形而上学をめぐって(四谷シモン)
 三島由紀夫――世紀末デカダンスの文学(出口裕弘)
 澁澤龍彦氏に聞く(池内紀)

座談会 一九五八―六七年
 大江健三郎の文学(江藤淳・篠田一士・澁澤龍彦)
 性は有罪か――チャタレイ裁判とサド裁判の意味(伊藤整・大岡昇平・奥野健男・澁澤龍彦・白井健三郎・中島健蔵・埴谷雄高・福田恆存)
 巣づくり 性の思想(澁澤龍彦・奥野健男・村松博雄・森本和夫・福田善之)

インタヴュー 一九六八―八二年
 エロス・象徴・反政治――サド裁判と六〇年代思想
 60年代とサド裁判はパラレルだ!
 メルヘンの世界とは……――澁澤龍彦編『暗黒のメルヘン』
 原型に遡る形象思考
 INTERVIEW THIS
 作家訪問
 『唐草物語』――オブジェに彩られた幻想譚
 おつまみ作法
 土方巽インタビュー 肉体の闇をむしる……(聞き手・澁澤龍彦)
 金子國義への美少女についての10の質問(聞き手・澁澤龍彦)

談話 一九六四―八六年

解題 (巖谷國士)

澁澤龍彦年譜 (巖谷國士)
著作年譜
書誌

著作索引




◆本書より◆


「ピグマリオニスム」より:

「シモン 澁澤さんは、ベルメールの人形をポンピドゥでご覧になったんですか。
澁澤 ええ、見ました。
シモン ぼくは本物はまだ見ていないんです。金井美恵子が、あれはもう芸術じゃない、犯罪そのものだって言っていました。だから、ぜひとも見なさいといったけど、でも、見なさいといったってね。
 普段から、ベルメールの人形を見るってわけにはいかないけど、たまに写真でちらっと見たりすると、やっぱりすごいなと思いますね。アバンギャルドじゃないですね。
澁澤 うーん、そこのところがねぇ……。
シモン 前衛ふうっぽいけれども、ちょっと違う。写真集が出たけれども、あれはすごかったですね。
澁澤 だからシュールレアリストっていうのは、あまりアバンギャルドじゃなくて、変な病気みたいな人たちが集まったんじゃないですか。
シモン そうですね。インポテンツとか……。
澁澤 みんな病気なんじゃないですか。シュールレアリストのいい人というのは、だいたいそうじゃないの。ダリもそうだし。でも、それを集めて、変なあれをつくったブルトンというのも、すごいですね。よく集めましたね、ああいうのを。
 この前シモンが、「才能というのは、変態の度合に正比例する」って手紙に書いてきたでしょう。それは、ベルメールの写真集を見たときに感じたわけでしょう。
シモン そう思いましたね。
澁澤 でも、その前に、たとえばモリニエがあるとか、いろんなものがあるから、そういうふうに思ったわけね。
シモン そうですね。フィニーだって、やっぱりそうだと思う。
澁澤 バルチュスだって、そうだしね。あそこらへんの人たち、みんなそうでしょう。
シモン やっぱり、おかしいですね。
澁澤 モリニエって、いま生きているのかしら。
シモン 自殺しています。
澁澤 エーッ、モリニエが自殺した? それは初めて聞いた。
シモン 大家さんに「ちょっとそこらへんまで出かけますから」って、鍵を預けて、ピストルで一発ポーンて。評論家連中は、それまでは二束三文のシュールレアリストといっていたのが、死んだあとは、ポンピドゥで展覧会をやるような……。
澁澤 ああ、そう。みんなそういう扱いだね。
シモン あの人はまた特殊ですね。特殊のなかのまた特殊という感じ。
澁澤 シュールレアリストで、いい作家はみんなそうですよ。でも、シュールレアリスムの旗じるしでよく集まったね。
シモン すごいね。だから、ブルトンもちょっとはそうじゃなかったんでしょうか。
澁澤 やっぱり、一種の気違いでしょう。
シモン 正比例してたんじゃないですか。だから、何となくわかり合えたというか。でなかったら、ああいうことないですよね。
澁澤 要するに、二十世紀の前衛運動とか何とかといっても、病気の人が集まったわけだ。
シモン 診療所ですね、あそこは。診療所主義というか。ブルトン松沢に集まった、絵の上手な人たち(笑)。作品行為でもって治療したんでしょう。
澁澤 そうです、そうです。まったくそのとおりだね(笑)。あれが作品を描かないと、みんな犯罪をやっていたんじゃないですか。
シモン たまに発病もあったでしょうね、休憩時に。それで、あっ、これはいけない、作品にそれを……。だから、よかったんでしょうね。
澁澤 自殺した人がいっぱいいるしね。」
「澁澤 デュシャンもそうとう変だったんじゃないかね。
シモン やっちゃってますからね、ああいうことを。
澁澤 だって、あれ、変だよ。だって、最後にあんなにのぞいて……。のぞき屋ですね。普通じゃないね。
シモン 豚革か何かをはったようなね。でも、ベルメールとかを見ても、本人そのものが通常の好色家というふうにも……。
澁澤 全然好色家じゃないです。むしろ、反対でしょう。アンチ・エロチカーですね。まあ、観念だな。
シモン それで、猥褻じゃないというか、そのもの自体が……。
澁澤 コーネルって、生きてるの。
シモン いいですね、コーネルって。
澁澤 日本で展覧会をやったでしょう。
シモン あの人のはかわいくて好きだな。ザリガニとか何とかって。
澁澤 だからシュールレアリスムというものを、まったく違った見地から評価し直すべきだと思うんだ。
シモン 二十世紀の前衛運動ということじゃなくて、もっと病理学で。
澁澤 うん。だって、みんなそうだもの。
シモン フロイトも噛んでいるでしょう。運動のひとつのポイントというか。
澁澤 フロイトにみんな影響されたということを言っているけれども、そういう影響されやすい人が集まってきて、やったということじゃないかしら。
シモン 要するに、治癒の方法を求めて……(笑)。
澁澤 そうそう、求めたわけよ(笑)。
シモン 瀧口(修造)さん、どう思うだろうね。
澁澤 あの人もいっしょに変態にしちゃえばいいじゃない。
シモン 瀧口さんも治癒の方法を求めたんでしょうね。何ともいえない鉱物嗜好がありますね。
澁澤 そう。だから、身もふたもなくなっちゃうけど、シュールレアリスムって、そうじゃないかと思うな。死んだあとになって、それが分ってくる。」

「シモン ぼくは夢があるんですよ。何もしないで、お坊さんになっちゃって日本全国を……。何でもいいんですよ。ストイックなそういうところにあこがれますね。
澁澤 エーッ。
 それはダメだな。きっと実現しないと思うよ、永久に。
シモン でも澁澤さん、どう思いますか。人間て、死んだときに、エーッ、何だ、この世は実はこうだったのかって、そんなことは絶対にあり得ないと思いますか。
澁澤 そんなこと、おれはあまり考えないな。死後のことは絶対に考えない。
シモン 澁澤さんは昔、「死イコールゼロ」ということを言っていましたね。
澁澤 それはゼロでしょう。」



「澁澤龍彦氏に聞く」より:

「池内 中国とか、日本とか、こっちのほうに関心が少しお変わりになったのは、旅行のあとぐらいからですか?
澁澤 やはり三島さんが亡くなってからですね。ヨーロッパ的な二元論にいや気がさしたのかもしれない。もう絶対主義はうんざりですね。老荘思想のほうがずっといいです。」

「池内 お年を意識なさることはありますか。
澁澤 やはり人間はつねに変わってますね。(中略)もう先が見えてきたという感じはします。それに大きな病気をしたし、回転ドアをぐるりと廻したように、病気によっても人生観は変わったと思いますね。ますます観念的になり、ますます「人生は夢」という意識は強くなって……やがて夢をみるように死んでゆくでしょう。」



「巣づくり 性の思想」より:

「澁澤 日本には即身成仏のミイラがあるでしょう、あれはニルバーナ原則の標本だね。羽黒山とか月山の方で、真言密教の坊さんが、五穀絶ち、十穀絶って、植物ばかり食べ、次第に食物を減じ、最後に骨と皮のミイラになって死んでしまう……。それから補陀落といって海の中にはいって行くやつ。」
「奥野 船で南へ南へと進んで行って死ぬんだね。要するに、快楽原則は単純なエゴイズムとは違って、個体の保存を越えて、死に至り自分が滅亡してもかまわないほど快楽を追求するのですね。」

「澁澤 女が子供を産むということは、勤めを果せば死ぬことと同じだな。」



「談話 私の仕事部屋」より:

「よく原稿はどこででも書けるという人がいますが、僕は絶対この場所でなければダメですね。机、椅子はもちろんすべてにこだわりを持つ方ですから……。本の置き方ひとつにしても気になるので掃除は年に四、五回しかしませんよ。長年、夜と昼がまったく逆の生活をしていますのでここに居る時はほとんど深夜です。やはり夜の方が落ちついていいですね……。ただ、鎌倉に住んでいますので、時に東京に出かけなければいけない用事があると体調を整えるのが大変ですよ……。」


「談話 世紀末を見る目」より:

「ところで、世紀末を深刻に意識した十九世紀は、芸術や美学、人生上の態度としてダンディズム、デカダンス、洗練などを生み出したが、もう一つ見落とせない特徴は、根源に還ろうという強い志向です。ここでいう根源とは歴史の源流あるいは生存の源流の意味です。たとえば人類の原型復帰としての両性具有や幼児退行願望が例にあげられるでしょう。」
「この両性具有はユートピア、黄金時代への夢であり、逆に退行願望は衰滅への意志ともとれますが、いずれも爛熟が秘める本質をきわめて暗示的に象徴しているように思えます。」

「初めに言ったように、僕は衰滅を愛する精神の方に親近感を覚えるし、そうした世紀末精神は、新しいものをつくり出すための肩ヒジ張った自己主張などより強じんであると信じているけれど、最後にちょっと毒のある話をしておきたい。
 虚無という言葉がありますね。しかし、太古のように人間が自然や生命のリズムに従って生きている限り、そのありようは楽しくて、虚無なんて心のどこにも生まれて来ない。言い換えれば、虚無は文明が成立するための前提条件なんです。(中略)つまり、世紀末であろうとなかろうと、こうした虚無から逃れられないのが現代の文明の宿命だということです。」















































































『澁澤龍彦全集 別巻1』

「烏滸がましい言草ですが、私は貴兄とは反対に、ますます無倫理の動物性に退行して行こうと考えています。」
(澁澤龍彦 三島由紀夫宛書簡より)


『澁澤龍彦全集 別巻1』
[滞欧日記]/未刊行旅行ノート/雑纂/書簡/アンケート回答/ロールシャハ・テスト/図版キャプション補遺

編集委員: 巖谷國士/種村季弘/出口裕弘/松山俊太郎

河出書房新社 1995年4月10日初版第1刷印刷/同20日発行
572p 口絵
20.6×15.6cm 丸背布装上製本 貼函
定価5,800円(本体5,631円)
装幀: 菊地信義

月報23(16p):
インタヴュー「直線の人“シブタツ” 2」三浦雅士(文芸評論家) 聞き手: 巖谷國士/図版(モノクロ)5点



目次:

口絵 1979年(51歳) 撮影: 酒井猛

[滞欧日記]
 I 一九七〇年 九月一日~十一月四日
 II 一九七四年 五月十六日~六月一日
 III 一九七七年 六月二日~七月六日
 IV 一九八一年 六月二十三日~七月二十三日

未刊行旅行ノート
 中近東旅行 一九七一年 九月二十一日~三十日
 沖縄・九州旅行 一九七四年 十一月五日~十三日
 北海道旅行 一九七五年 二月十三日~十八日

雑纂
  I 初期雑纂
 三崎のサカナよ……
 革命家の金言――サン・ジュスト箴言集
 編集後記
  II 拾遺
 ユイスマンのラテン文学論
 現代の不安を踊る
 塩ラッキョーで飲む寝酒
 愛の饗宴――ギリシア神話より
 きものの美学
 サディズム(『万有百大事典』)
 サド(『万有百科大事典』)
 遊び(『万有百科大事典』)
 サド年譜
 ヴィナス誕生 ボッティチェリ
 法華寺 十一面観音
 ギリシアのセミ
 ジュリーの花飾り
 美男美女の闘い――ビアズリー展から
 フップ鳥のごとく
 『思考の紋章学』(文庫版)あとがき
  III 未発表原稿
 サド侯爵の幻想
 サディストの文学――大江健三郎をめぐる評価の混乱
 ヴァイキング対インディアンの闘い
 吉野および熊野の記
 現代思潮社と石井恭二のこと
 魔法の壺の公開
 「世界文学集成」24巻試案
 ペローの童話について

書簡
 三島由紀夫宛
 磯田光一宛

アンケート回答 一九六一―八七年

ロールシャハ・テスト
 ロールシャハ・テスト――被検者=澁澤龍彦/検査者=馬場禮子
 明晰を意志する精神――対談=澁澤龍彦/馬場禮子
 テストのあとで

図版キャプション補遺

解題 (巖谷國士・種村季弘)




◆本書より◆


「サド侯爵の幻想」より:

「責苦に遭っているのは――とにかく無辜の囚徒なのだ。無辜の囚徒以外のものが、どうして責苦に遭うわけがあろう。実際、そういう時代でなかったら、革命の起る謂われがない。」


「アンケート回答」より:

「私は選挙もしなければ署名運動もしません。昭和二十年八月十五日から、団体行動をしないことを信条とするようになりました。この決意を変えるつもりはありません。」

「①異形の王権 網野善彦著(平凡社)
 私の漠然とした予感が、みごとな論理によって確証を得たような気がして、非常に感銘をふかくしました。」



「明晰を意志する精神」より:

「馬場 そういうところで、どうも観念と感覚というのが分かれていて、感覚的に出てきたもの、それを変形して観念的なものにつくりかえていくという連続性がなくて、感覚からきたものはそれはそれで、まあどちらかというと不快のほうへつながって消えていってしまう。美的なものというのはべつに幻想として観念的に構成されたものとして出てくるし、そこのところはつながっていないんです。
澁澤 そうかもしれませんね。
馬場 これはどういうことになるんでしょう。それはさっきの感情移入がなかなか始まらないとか展開していかないというようなこととも関係があるのか。
澁澤 やっぱり、あんまり現実と関わっていないのかもしれませんね。
馬場 直接的な情動の動きといいますか、それと……。
澁澤 よく、そういうこと言うじゃありませんか、「ついにあの人は現実と関わらずに死んじゃった」とか。
馬場 いえ、関わってはいるんだけども……。
澁澤 だいたい現実のいわゆる泥にまみれるとかいうのが、好きじゃないことは、これはまあ、はっきりしてますけどね。現実嫌悪症ですね。」

「馬場 もう一つ別のファクターとして幼児への同一化というのかしら、そういう面もあると思うんですけども。(中略)無害であるとか無邪気であるとかいうことは好き……凶悪さがないとか、少女だとか、虫とか、好ましいものというのが無害なもの、無邪気なもの、そういうものがありまして、それからもう一つ、さっきも言った衝動性としていわゆる男性衝動といいますか、が出てこないし、じゃ逆の倒錯的な衝動かというとそれも出てこないし、という出てこないというのが一つあって、そこで本人の同一化の対象というのがわりと無邪気なもの、無害なものというのが出てきたというところがあって、それでここのところが、女性でも男性でもないところへ自分を置いていらっしゃるような形というのが何かありはしないかなと。
澁澤 そうかもしれませんね。しかし、ぼくの文学的理想形態と、そんなにうまく合うものかな。(笑)」
「馬場 私はたとえば性的なものに対する関心が非常に強いんじゃないかとか、どっちかの、倒錯的にしろ男性的にしろ、何かの衝動が非常に強いというふうに出やしないかと思ったんですけれども、むしろそう出ないで、そういうものは非常に抑えられていて、バイ・セクシュアルだとも言えるし、どっちでもないとも言えるような、そういうところに身を置いてらして、両方を傍観者的に見ているようなね、そういう感じがあるので……。
澁澤 ぼくとしては、それは非常にスンナリ受けとれることなわけです。余りにも、だから……。
馬場 スンナリ受けとれすぎる。
澁澤 うん、ぼくの気持っていうかな、いつも考えてることが……。なるほどね、馬場さんとしては、そういうものを最初は予想してなかったわけですね。
馬場 そうです。
澁澤 フーン、そうか。(笑) それは先入見といいますか、ぼくに対する過大な期待といいますか……。
馬場 わたしは非常にグロテスクなものとかショッキングなものとか、そういうものに対する関わりが積極的に出てくるのじゃないかと。どうでしょう。
澁澤 いや、ぼくのことをそういうふうに誤解してる人がたくさんいるわけですよ。世間一般には。
馬場 そうそう。(笑) そうではないということが非常に証明されてしまうと思ったわけです。」

「澁澤 どうなんだろうな……。なにしろサドの専門家としては、ぜんぜんそういう反社会的衝動の全くない人がサドをやったわけですね。
馬場 ないというのは、表面的に。表面的にないからこそ、その強く抑えられているものはどこかに解放されなければならないわけで、なんらかのかたちで……というふうに考えるわけなんです。
澁澤 どうなんだろう。……それはあんまり抑圧しないほうがいいわけですか。
馬場 それを抑圧してどこへも出さなければ神経症になってしまうということにフロイト以来なっているわけですね。
澁澤 じゃあ、普通の人はどっかへ出してるわけですか。
馬場 ええ。
澁澤 へえ、ほんと?
馬場 (笑) 普通の人はって、どういう意味ですか。」

「澁澤 それはぼく、顕著にあります。つまりなにかに粘着して……ぼくは一ぺんこうだと思ったら、あんまり話題を変えるのも好きじゃないし、それからポンポン話題を変える人がいると、いらいらしますね。万年筆でも何でも、おなじものをいつまでも使います。(中略)……そうか、分離不安ね。
馬場 そうね、パッパッと状況が変るとか、好ましい対象が消えてしまうとか、そういったことに対する不安が強いということがあるんじゃないですかね。
澁澤 そうなんですね。それでまた、あまりその分離不安が露骨に出ちゃ困ると思って、また逆を言うのかな。」

「馬場 あまり苦労を感じてらっしゃらないようですね。
澁澤 そうですか。それじゃ苦労がないんですよ、きっと。」
「澁澤 考えてみりゃ、ぼくだっていろいろ苦労はしてますよ。そりゃ人間ですから、女性関係だって、いろいろ苦労してきてるしさ。
馬場 そりゃそうですけれども……。
澁澤 それで? もっとやればよかったと……そういやもっとやればよかったと、確かに思いますよ。やりゃあよかった。(笑) いつでもぼくは、投げちゃうからね、それがいけないんだよ。それは分ってますよ。」



「テストのあとで」より:

「ロールシャハ・テストについては、こちらに一応の予備知識がないわけではなかった。機会があれば、ぜひ一度やってみたいものだと思っていた。」
「しかし、いざ実際にやってみると、どうも結果はあまりうまく行かなかったような気がする。それは私自身が、なかなかリラックスせず、つい構えてしまう人間だからだろうと思う。しゃべるのが大の苦手で、自分の殻のなかへ閉じこもってしまう人間だからだろうと思う。とくに自分のことをしゃべるのは、恥かしいという気持が強くあるからだろうと思う。馬場さんの質問に答えて、機嫌よくいろいろしゃべっているようだが、(中略)我ながら苦しまぎれにしゃべっているのではないかという気がする。とても本当のことをしゃべっているようには思えない。
 しかし、いったい本当のこととは何だろうか。私は生まれてから一度も本当のことはしゃべったことがないような気もする。心理学に対する不信ではなく、しゃべることに対する不信が私にはあるのかもしれない、とも思う。
 説明するのが面倒くさくなって、途中であきらめてしまうという傾向が、どうも私にはあるようだ。」


























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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