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森銑三 『近世人物夜話』 (講談社文庫)

「史上の人物の逸話には、信頼の置かれぬものが多い。それで専門の史家などには、さうしたものには、てんで目をくれようともせぬ人が多い。
 それも一つの態度であらうが、根も葉もない逸話も、それがその人のものとして伝へられるのには、またそれだけの理由のあることも考ふべきであり、さうした逸話はまたさうした逸話として考察したい。」

(森銑三 「拳骨和尚そのほか」 より)


森銑三 
『近世人物夜話』
 
講談社文庫 C30


講談社
昭和48年7月15日 第1刷発行
398p
文庫判 並装 カバー
定価280円
デザイン: 亀倉雄策
カバー装画: K・B・K



単行本は昭和43年、東京美術刊。
新字・正かな。「後記」のみ二段組。


森銑三 近世人物夜話


カバー裏文:

「“事実は小説よりも奇なり”秀吉のしっぺ返しと茶の湯、幸村の深謀、後藤又兵衛遺文、蕃山と正雪の心術、西鶴という作家、名優藤十郎の自尊心、白石と瑞賢の果敢なる至誠、渡辺崋山の生活、ほか新門辰五郎にいたる歴史を彩る四十数人を、虚飾なく史料に基いて語る人物伝記。」


目次:


秀吉と如水
秀吉の茶の湯
幸村入城
基次と長政
後藤又兵衛遺聞
真田信之
関口柔心
蕃山と俊光
蕃山と正雪
西鶴といふ作家
坂田藤十郎
大沢勘太夫
白石と瑞賢
広沢の見た夢
甚四郎と金四郎
望月玉蟾
平賀源内
孝子山口庄右衛門
駿河の八助
重賢と定信
宮薗鸞鳳軒の死
隠者平明徳
古賀精里夫人
伴蒿蹊
京伝の机塚
竹村悔斎
南畝の日記
南畝の狂歌との絶縁
南畝の一日
竹本播磨掾
曾槃逸聞
紀定丸
信淵と松陰
渡辺崋山の生活
椿椿山
将棋さし柳雪
東湖瑣話
曲亭馬琴の自撰自集雑稿
京山の書いた馬琴伝
奎堂江戸を去る
拳骨和尚そのほか
新門辰五郎

人物研究に就いての私見 (森銑三)
森さんの「近世人物夜話」 (片桐幸雄)
後記 (森銑三)




◆本書より◆


「望月玉蟾(ぎょくせん)」より:

「望月玉蟾は名を玄といつた。京都の人である。家は描金を業としてゐた。玉蟾は幼時から絵を画くことが好きで、そのために、ともすれば著物を汚す。その都度父親が叱るのだけれども、聞入れない。それで或時は、裏手の柱に縛りつけられた。それでも紐が長くて自由が利いたのか、玉蟾は消炭を拾つて来て、そこの壁に竜を画いた。その出来栄の見事なのに、父も我を折つた。さうして紐を釈いてやつただけでなく、それからはもう叱りつけなくなつた。」

「玉蟾は善画を以て聞えてゐたばかりではなくて、賞鑑にも精しかつた。それで所蔵する古画の目利を乞ふものが多かつた。玉蟾はよいものを一目見ると、一生涯忘れなかつた。後に門人に話をして、それはかやうかやうの絵だと、その大体を画いて見せる。原本と較べると、少しも違はなかつた。
 漢画を口にする者は、宗元以上を尚んで、明人の画はこれを陋とする。玉蟾はさうした意見に、左右せられなかつた。本邦の画では、狩野元信と雪舟とを、最も推重した。人がこの二家に対してとやかくいつたりすると、画を作つてゐる最中でも、すぐに筆を擲ち、眼鏡を外して向きになつて、これを弁ずる。さやうの折には、声色の憤然たるものがあつた。尊尚かくの如くだつたのである。
 玉蟾が夜半に急に弟子を呼んで、紙と筆とを用意してくれといふ。何事かと思つたら、某の像を画いて見ようと思つたら、その形が目に附いて寝られないと、すぐに筆を執つて画き終へて、さうして寝た。」
「或時、人物を画くのには、どこから筆を著けたらよろしいのですか、と問うた人のあつたのに、答へていつた。どこからだつて結構です。何でもなくさういつて、即座に筆を把つて、まづ一方の臂を画いた。それからその上下を画き足して、つひに人物を成した。」



「曲亭馬琴の自撰自集雑稿」より:

「恐らく馬琴は、何人とも胸襟を開いて語るなどといふことは、出来ない人だつたのであらう。
 しかし一面には、馬琴は人間が正直で、人に欺かれ易いところがあつたらしい。(中略)世にすれた商賈などより見れば、馬琴の如きは与し易い男だつたのであらう。若年の頃などには、迂濶に人を信じて乗ぜられるところとなつた経験などもあつて、次第に猜忌的な眼で人を見るやうになつたのであらうかとも考へられる。」



「拳骨和尚そのほか」より:

「史上の人物の逸話には、信頼の置かれぬものが多い。それで専門の史家などには、さうしたものには、てんで目をくれようともせぬ人が多い。
 それも一つの態度であらうが、根も葉もない逸話も、それがその人のものとして伝へられるのには、またそれだけの理由のあることも考ふべきであり、さうした逸話はまたさうした逸話として考察したい。」





こちらもご参照ください:

伴蒿蹊 著/森銑三 校註 『近世畸人伝』 (岩波文庫)






























































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森銑三 『傳記文學 初雁』 (講談社学術文庫)

「「せはしないねえ。まあ待ちなさいよ」」
(森銑三 「長崎の亀女」 より)


森銑三 
『傳記文學 
初雁』
 
講談社学術文庫 863


講談社
1989年2月10日 第1刷発行
423p
文庫判 並装 カバー
定価980円
装幀: 蟹江征治
カバーデザイン: 島田拓史



本書解説より:

「本文庫は、昭和十七年八月に出版された『傳記文學初雁』と、昭和三十一年六月に刊行した『傳記走馬燈』、それに(中略)小冊子『新島ものがたり』を合して一書とし、配列の順序は『初雁』に倣った。なお『初雁』と『走馬燈』に重複した篇の底本は『走馬燈』に拠っている。」


新字・正かな。


森銑三 初雁


カバー裏文:

「緩やかにまた滔々と、流れてやまぬ歴史の河の波間に静かに姿を消していった人びと。その健気で潔(いさぎよ)い生の軌跡をいつくしんで、碩学が、彼らの在りし日の姿を現世に呼び返す。堀部安兵衛、渡辺崋山、南方熊楠ら著名の人物から、名もない武家娘や流刑の咎人まで。読む人たれの心にも、懐しさが沁み入るように満ちてきて感銘が深い。どの一編も拠るべき確実な史料にのみ基いて叙述されており、世に名高き森史学の人物研究中、白眉の名編である。」


目次:

序に代へて

堀部安兵衛
泉岳寺
細川邸
書賈与兵衛
莅戸太華
真男児佐藤文四郎
小吉の放浪
お栄といふ幼児
雲居禅師
鳥島に漂著した人々
新島ものがたり
細井広沢
亀田窮楽
長崎の亀女
平賀源内遺聞
唐々春
金谷上人御一代記
歌右衛門と高尚
三浦竹渓逸事
久米訂斎逸事
稲葉黙斎
細井平洲
古松軒の旅
山陽と鰐水
崋山と慊堂
進講の日の黙禱

後語
解説・森先生の「傳記文學」 (小出昌洋)




◆本書より◆


「長崎の亀女」より:

「お亀に誂(あつら)へた香炉(こうろ)は、いつになつても出来さうにもなかつた。その内に任期が満ちて、奉行の長崎を去る日が来ようとしてゐた。奉行はそれだけにその品のことが気になつた。実はそれは自分自身の註文ではなくて、江戸の老中からの頼まれだつたからである。長崎に女の鋳工で、秘法を父から伝え受けて、殊に香炉の製作に妙を得たお亀といふ女がゐるといふことは、遠く江戸までも聞えてゐたのである。
 奉行は幾度となく催促するが、それでもお亀は取りかからうとせぬ。果は下役人をその家に附け切にして置いたが、それだのにどこを風が吹くかとばかり、少しも気に止める様子がない。たまたま他から註文があつて金が這入つたりすれば、酒を買ひ、肴を調へ、近所隣の人達を招いて飲み暮す。居催促の役人もあきれてしまつた。
 しかしその儘に捨てては置かれぬので、泣き附かむばかりに頼んだら、その歎願が利いたのか、それとも気持が動いたのか、お亀はやつと仕事にかかつた。かかつたかと思ふと、香炉一つは何の造作もなく出来た。それを見て役人は、安堵の胸を撫で下した。
 けれども、お亀は、出来たからといつて直ぐにそれを渡さうとはしないで、相変らずぶらぶら遊んでばかりゐる。
 役人がまたしてもしびれを切らして促すと、「せはしないねえ。まあ待ちなさいよ」と、その出来上つた香炉を取出して仕事場の机の上に置き、それから離して床几を据ゑた。
 何をするのかと見てゐると、お亀はゆつたりと床几に掛けて、長煙管(ながぎせる)を取つて煙草を吹かす。至つて不器量な女ではあつたが、その態度には、自然に備はる位があつた。
 一服また一服したかと思ふと、お亀の眼は机上の香炉に注がれる、その前にはもう仕事場もない。役人もない。天地間ただ香炉と己とがあるばかり。
 何も分らぬ役人も、いつしかその緊張した気分の裡に惹き入れられて、われ知らず固唾(かたづ)を呑んで、香炉を見、お亀の顔を偸(ぬす)み見る。
 かくすること少時、お亀の顔面に瞬間曇が射して、眉根がぴりりと動いたかと思ふと、煙管がカチヤリと投出された。
 「いけませんね」
 ただ一言。お亀は立上つて、傍らの斧を取上るが早いか、いきなり香炉を打ち砕いた。
 役人は、あつといふ間もなかつた。我に還つた時には、もう香炉は破片となつてゐた。
 折角出来上つた香炉も、意に満たなかつた。その意に満たぬ作品を己の物として世に出すことをお亀は欲しなかつたのである。
 奉行は、一部始終を聴いて憮然とした。長崎奉行の権貴を以てしても、賤工の一女子を奈何(いかん)ともすることが出来なかつた。」
「以上は永富独嘯庵の漫游雑記に拠つた。」

「お亀はやもめ住だつたが、性格がまるで男のやうで、ただその業にのみ打込んで、露ばかりも世に媚び、人に諂(へつら)ふ心がなかつた。その五十ばかりの頃、さる大名から、伝家の重宝といふ獣の香炉の対を作ることを頼まれた。その香炉はもとは一対だつたのが、いつからか片方ばかりになつたので、それを元通りにしたいといふ望だつたのである。お亀はそれを承諾したが、かやうの為事(しごと)は、明暮(あけくれ)その香炉に見馴れて、それが十分に心に入つてからでなくてはかかられませんといふ。尤もなことと、役人はお亀の家の近くに宿を定めて、日々明くれば香炉を持参し、暮るれば納めて帰ることにした。ところがお亀は最初の一回を除いては、心を止めて見ようともせず、それを飾つた傍で、肱を曲げて横になつたり、それには見向きもせずに、勝手に外へ出歩いたりしてゐる。かやうにして月日を経ても、いつ掛らうともしないので、役人もあぐみ果てて催促に及んだら、それでは明日からかかりませう、と引受けた。その翌日、お亀はこの香炉を捧げて、居ては見、立つては見して一時(とき)ばかりを過したが、見終つたかと思ふと、いきなりそれを庭石に叩きつけて割つてしまつた。役人は驚くまいことか。腰の物に手を掛けて、お亀に詰め寄つた。しかしろくろく口も利かれない。お亀はびくともせずに、まあお聞きなさいまし、わたしをお斬りになつたつて、香炉は元通りになりはしません。あの品とそつくりそのままの物を作れとおつしやつても、それはもともと無理な話で、人間業でそのやうなことが出来るものではありますまい。お待ちなさい。これから代りを作つて上げますから、と役人をなだめて、さてかひがひしく玉襷を取り、弟子に火を起させ、銅を沸かし立てて仕事にかかり、程なく一対の香炉を造り上げた。それは先に砕いたのと、寸分の相違も見出されぬ立派な出来栄のものだつた。」
「このお亀の親も、鋳物では名人として知られてゐたが、娘の顔形が醜くて、然も男のやうな気性なのを見て、これでは到底人並の男には添はれまい。行末のなりはひに、己の業を伝へて置いてやらうと、まだその幼い頃からみつしり仕込んだので、かくは珍しい工となつて、それで一生を過したのであつた。――続片玉集にはかやうに記されてゐる。」





こちらもご参照ください:

森銑三 『増補 新橋の狸先生』 小出昌洋 編 (岩波文庫)



















































































































森銑三 『おらんだ正月』 (冨山房百科文庫)

「蘭山は、まったく仙人のような、人間ばなれのした人でした。」
(森銑三 「世界的の大植物学者小野蘭山」 より)


森銑三 
『おらんだ正月
― 江戸時代の科学者達』
 
冨山房百科文庫 20

冨山房 
1978年10月9日 第1刷発行
1996年7月27日 第3刷発行
xiv 312p 人名索引vi 口絵(折込)
新書判 並装 カバー
定価1,236円(本体1,200円)
装幀: 辻村益朗
画装: 瀨川康男



本書「凡例」より:

「本書は、昭和十三年八月、旧冨山房百科文庫版として初版刊行された。その後数次の改訂を経ているので、今回の新版発行に際し、本文は、中央公論社版『森銑三著作集』所収の「おらんだ正月」を底本とした。若干の訂正箇所がある。」
「漢字・かなづかいは、それぞれ新字・新かな表記に改めたが、用事・送りがな等についてはおおむね底本のとおりである。(中略)人名・地名・書名等の固有名詞のほか、難読と思われるものにルビを補った。」
「図版に関しては、旧冨山房百科文庫本の体裁に準拠したが、若干の異同がある。」
「「人名索引」を巻末に付した。」



口絵図版(モノクロ)2点(「おらんだ正月を祝う人々(「芝蘭堂新元会図」)」および「「伊能小図」(部分)」。本文中図版(モノクロ)多数。


森銑三 おらんだ正月 01


目次:

解題 (富士川英郎)
凡例


一 牛に乗って外へ出た仙人のような医者永田徳本(ながたとくほん)
二 大貿易家で大土木家を兼ねた角倉了以(すみのくらりょうい)
三 一派の鍼術(しんじゅつ)を興した検校(けんぎょう)杉山和一(すぎやまわいち)
四 奥羽(おうう)に水路を開き畿内(きない)に河を治めた河村瑞賢(かわむらずいけん)
五 博物学者としてもすぐれていた貝原益軒(かいばらえきけん)
六 関流算法(せきりゅうさんぽう)の祖と仰がれる関孝和(せきたかかず)
七 わが国に本草学(ほんぞうがく)を開いた稲生若水(いのうじゃくすい)
八 対島(つしま)全島の猪(いのしし)を狩尽(かりつく)した陶山訥庵(すやまとつあん)
九 湯熊灸庵(ゆくまきゅうあん)とあだ名せられた大医後藤艮山(ごとうごんざん)
一〇 荒川(あらかわ)・多摩川(たまがわ)・酒匂川(さかわがわ)を治めた田中丘隅(たなかきゅうぐう)
一一 師匠の墓の前で花の詩を読上げた松岡恕庵(まつおかじょあん)
一二 武士を捨てて町医者となった戸田旭山(とだきょくざん)
一三 日本全国に甘藷(かんしょ)を拡めた青木昆陽(あおきこんよう)
一四 乞食の病気まで見てやった御医師(ごいし)望月三英(もちづきさんえい)
一五 わが国で始めて人体を解剖した山脇東洋(やまわきとうよう)
一六 万病一毒の説を唱えた古方医家(こほういか)吉益東洞(よしますとうどう)
一七 農家から出た地理学の大家長久保赤水(ながくぼせきすい)
一八 二十三年間に二十三回稿本を書改めた三浦梅園(みうらばいえん)
一九 わが国洋学界の一大恩人前野蘭化(まえのらんか)
二〇 蘭化を助けて解体新書(かいたいしんしょ)を翻訳した杉田玄白(すぎたげんぱく)
二一 石の長者といわれた石の蒐集家(しゅうしゅうか)木内石亭(きのうちせきてい)
二二 戦術まで研究した地理学者古川古松軒(ふるかわこしょうけん)
二三 わが国電気学の祖平賀源内(ひらがげんない)
二四 世界的の大植物学者小野蘭山(おのらんざん)
二五 独学で西洋暦学(れきがく)を修めた麻田剛立(あさだごうりゅう)
二六 同心(どうしん)の子から暦学者となった高橋東岡(たかはしとうこう)
二七 質屋の主人で暦学者だった間長涯(はざまちょうがい)
二八 始めて日本の実測地図を作った伊能忠敬(いのうただたか)
二九 わが国砲術界の革新者阪本天山(さかもとてんざん)
三〇 大坂の生んだ博物学者木村蒹葭堂(きむらけんかどう)
三一 医術の修業に全国を漫遊した橘南谿(たちばななんけい)
三二 ロシア人までその名を知っていた桂川甫周(かつらがわほしゅう)
三三 一生に九回蝦夷地へ渡った最上徳内(もがみとくない)
三四 オランダ流の内科を興した宇田川槐園(うだがわかいえん)と同榛斎(しんさい)
三五 蘭学(らんがく)を拡めた大功労者大槻磐水(おおつきばんすい)
三六 始めてオランダ語の辞書を作った稲村三伯(いなむらさんぱく)
三七 寒中水泳まで試みた兵学者平山行蔵(ひらやまこうぞう)
三八 独力で星雲説を唱えた物理学者中野柳圃(なかのりゅうほ)
三九 命がけで眼科医術のために尽した土生玄碩(はぶげんせき)
四〇 北海の探検家で書誌学者だった近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)
四一 四十余歳でオランダ語を修めた帆足万里(ほあしばんり)
四二 太陽の黒点を観測した鉄砲鍛冶国友一貫斎(くにともいっかんさい)
四三 樺太(からふと)から東満州(ひがしまんしゅう)までも探検した間宮林蔵(まみやりんぞう)
四四 満州語まで研究した地理学者高橋景保(たかはしかげやす)
四五 通詞(つうじ)から幕府に召出された語学の天才馬場轂里(ばばこくり)
四六 辛苦の末に西洋医の大家となった坪井信道(つぼいしんどう)
四七 西洋の植物学や化学を伝えた宇田川榕庵(うだがわようあん)
四八 西洋兵学をわが国に取入れた鈴木春山(すずきしゅんさん)
四九 シーボルトの高弟として知られた岡研介(おかけんかい)
五〇 洋学者中で最も悲惨な最期を遂げた高野長英(たかのちょうえい)
五一 洋学者・科学者としての佐久間象山(さくましょうざん)
五二 農家から出て幕府の奥医師となった伊東玄朴(いとうげんぼく)

参考文献一覧
図版目次
後記
人名索引



森銑三 おらんだ正月 02



◆本書より◆


「永田徳本」より:

「徳本は、外へ出る時には、薬を入れた頭陀嚢(ずたぶくろ)を首に掛けて、牛の背にゆったりと跨(またが)って、「甲斐の徳本、一服(ぷく)十八文(もん)――」と、呼ばわりながら行くのでした。そして、どんな病人でも快く診(み)てやった上、一服の薬価として十八文だけ貰(もら)います。どのような難病を治(なお)しても十八文、どのような物持からでも十八文と極(き)めて、それ以上の礼は受取(うけと)ろうともしませんでした。」


「松岡恕庵」より:

「恕庵の生活は、それほど質素でしたが、そうかといって決して吝嗇(りんしょく)なのではありませんでした。役に立つ書物といえば、金を惜しまずに買いました。それでそれらを納めるための書庫を二棟(ふたむね)建てて、一つには日本の書物、一つには支那の書物を納めておいて、弟子達にも、自由にそれを見せました。
 恕庵は、学問に対してはたいへん熱心で、多くの書物に、綿密に目を通しましたが、ある時ケマンという花草(はなぐさ)が何かの書物に出ていないだろうかと長いことかかって探した挙句(あげく)に、東福寺(とうふくじ)で写した支那の書物の中に、その花を詠じた詩の出ているのを、ようように見つけ出しました。恕庵はたいへんよろこんで、「これは稲生先生にもお知らせして来たい。先生もこれだけは御存じなかったのだ」と、わざわざ先生のお墓へ出かけて行って、その詩を三度まで、高らかに読上げて帰りました。」



「木内石亭」より:

「石亭は、十一歳の頃から、もう石が好きだったと自分自身で書いていますが、それから七十年あまり、石を弄ぶことの外には何の楽しみも持たなかったのでした。変った石を採集するために、暇さえあれば旅行に出かけて、四十歳の時には、行きめぐった国々が、もう三十余箇国になっていました。その間には、石亭は木樵(きこり)について深山(しんざん)に分け入ったり、漁師と一緒に海へ出たりなどもしたのですが、なおも自分の行かれないところへは人を遣り、また諸国の弄石家にも頼みなどして集めたので、その持っている石は、二千余種類という夥(おびただ)しい数に上りました。」

「『雲根志』は、前篇、後篇、三篇の三部から成って、全体で十八冊にもなる大部な著述ですが、その中には、石に関することばかりが書いてあるのです。(中略)いろいろのめずらしい石の産地や形状なども載せてあって、専門家の参考になる上に、専門以外の誰が見ても、石についての面白い話が沢山出ていて、興味の深い書物となっています。 
 大坂の学者中井履軒(なかいりけん)は『雲根志』に序文を書いて、その中で、「石亭は、起きるのも寝るのも、行くも止まるも、何から何まで石と一緒だ。夢も石の夢より外は見ない」といっていますが、石亭は実際に、めずらしい石の夢を見て、やがてその石を手に入れたことなどもありましたので、そのことは石亭自身書いています。また近江の田上山(たがみやま)で道に迷って、思わぬ谷底へはいり込んで、そこで図らずも大きな水晶を拾ったことなどを記して、「これらは石が自分を導いてくれたのであろう」などとしています。」



「小野蘭山」より:

「しかし蘭山は、もともと好きで学問に志したので、それに依って出世を図ろうなどという気持は少しもありませんでした。それで二十五の歳に、丸太町(まるたまち)に家を持って、弟子を取って本草学を教えましたが、植物の採集に出かけるのを除いては、家から出るということがなく、宵(よい)の口の戌(いぬ)の刻(こく)(午後七時)には床に就き、真夜中の丑(うし)の刻(こく)(午前一時)には、もう起きて机に向います。それが冬となく、夏となく、数十年間に亙(わた)って少しも変るところがないのでした。」

「世間に類のない勉強家だった蘭山は、江戸へ来てからも、京都の頃と同じように、平日は家に閉籠ったままで、そこらをぶらぶら出歩くなどということは、ほとんどしませんでした。居間というのは六畳(じょう)の一間(ひとま)で、そこには書物が積上げてあります。薬品の類を、嚢(ふくろ)や筒(つつ)に入れたのが列(なら)べてあります。玉のかけらや、石やらが、ごろごろしています。草木の実や、根や、鳥の羽や、魚の鱗(うろこ)や、虫の類まどが置いてあります。盆栽(ぼんさい)が棚に列べてあり、押葉(おしば)が壁に掛けてあります。欄山はその間の足踏(あしぶみ)も出来ないようなところに、やっと坐って、一日中机に向って、読んだり書いたりしているのでした。」
「三度の食事も、その居間に持って来させて、好きな時に一人で勝手に食べるので、家の人達も、いつ先生が食事をせられるのか、知らずにいるような有様でした。それでも時に勉強に倦みますと、蘭山はまた一人で酒を飲んで、ほろ酔機嫌になって、そんな時には詩を作ったり、笛を吹いたりなどもするのでした。弟子の人々は、かような蘭山の暮し方を見て、「先生は、まるで仙人だ」といいました。
 蘭山は、まったく仙人のような、人間ばなれのした人でした。ある時、よその家へ招かれて行って、湯に入りましたが、湯殿(ゆどの)の中があまり静かなので、家の人が、「先生、加減はいかがでございますか」と、外から声を懸けましたら、蘭山は中で、「湯が熱いので、はいらずにいます」といいました。家の人はびっくりして、急いで水を填(う)めました。蘭山は、湯がひとりでにさめるのを待っているつもりだったのかも知れません。
 京都にいた蘭山の孫と、そのお嫁さんとは、後に江戸へ来て、おじいさんのお側(そば)に仕えていましたが、三年も立ってから、蘭山はお嫁さんに気がついて、そっと孫に、「見なれない御婦人がいられるようだが、あれはどういうお方かの」と聞いたということです。
 蘭山は、世間並のことには、それほど無頓着(むとんちゃく)な人でありましたが、それでいて学問のことになりますと、注意深い上に記憶がよくて、一度見たり聞いたりしたことは、一生忘れませんでした。」





こちらもご参照ください:

斎藤忠 『木内石亭』 (人物叢書 新装版)
種村季弘 『不思議な石のはなし』
















































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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