飯吉光夫編訳  『ヴァルザーの小さな世界』 (筑摩叢書)

「実世間からたださっさと抜け出してしまうこと、お分りでしょう?(中略)海のむこうへ行くか、精神病院へ入るか、どっちにするか。しかし結局のところ私は、インドやアフリカへ行くより精神病院へ入る方を深い体験だと見なしました。外へ出て行くより、中へ入ること。なんて馬鹿なことを、と言われるかもしれませんが。」
(ユルク・アマン 「ローベルト・ヴァルザーの狂気、あるいは不意の沈黙」 より)


飯吉光夫編訳 
『ヴァルザーの小さな世界』

筑摩叢書 337

筑摩書房 
1989年8月25日初版第1刷発行
283p 
四六判 並装 カバー 
定価1,960円(本体1,903円)
装幀: 原弘



ローベルト・ヴァルザー(1878―1956年)の散文小品42篇のほか、作家アマン(1947年生)によるヴァルザーをモデルにした小説、訳者によるヴァルザー論と評伝が収録されています。
ヴァルザーは晩年をスイスの精神病院で過ごし、1956年12月、雪の中に倒れて死んでいるのが発見されました。本書のカバーに使用されている写真はその時のものです。


ヴァルザーの小さな世界


帯文:

「奇癖の作家ヴァルザー再発見
《みずからを低くする態度》を身につけ、自分に親密なことばだけを書きつけたヴァルザーの散文小品を初めて紹介。呆けの極限のやさしさ。
ユルク・アマン「ローベルト・ヴァルザーの狂気、あるいは不意の沈黙」収録」



カバー裏文:

「1956年12月、ローベルト・ヴァルザーはスイス山中の雪原で仰向けざまに倒れているところを発見された。享年78歳、死因は心臓発作。ヴァルザーは近くの精神病院に20年以上も入院していて、散歩を楽しみとしていた。かつて、カフカに影響を与え、ベンヤミンに称賛された才能ある作家の静かで孤独な生涯の幕引きである。
死後20年を経て、ドイツではヴァルザー再評価の動きが始まり、1980年代には彼の遺した米粒大の「解読不可能」と言われた原稿も出版され大きな話題を呼んでいる。
奇妙な性癖の人間たちを描き出す独特の筆運びで、呆けた心をよく書き得た彼の小品群は私たちの胸に柔らかく届く。最適の訳者により初めて実現したヴァルザー読本。現代スイスの若手作家ユルク・アマンの『ローベルト・ヴァルザーの狂気あるいは不意の沈黙』を併収。」



目次:

茫然自失の人、ローベルト・ヴァルザー (飯吉光夫)

ローベルト・ヴァルザー散文小品
 神経の疲れ
 何ごとにも気づかぬ男
 ストーヴへの演説
 とんま
 道化者
 逸話
 二つの話
 ブレンターノ
 トゥーンのクライスト
 レーナウ
 ヘルダーリン
 ビューヒナーの逃走
 ケラーの短篇小説
 セザンヌ考
 ヴァン・ゴッホの絵
 パガニーニ
 音楽
 ソナタ
 夢
 一つの町
 夜の散策
 一つの世界
 夢想
 湖の話
 ティーアガルテン
 気球旅行
 恋人同士
 インディアンの女性
 列車の中のアヴァンチュール
 素描(スケッチ)
 類似(メタ)
 スミレの花
 恋文(ラブ・レター)
 友情あふれる手紙
 ある物語
 グレートヒェン
 キス
 夫と妻
 あまりぱっとしない話
 昼休み
 艀
 喝采

ローベルト・ヴァルザーの病院生活 (飯吉光夫)
ローベルト・ヴァルザーの狂気、あるいは不意の沈黙 (ユルク・アマン)

あとがき (飯吉光夫)




◆本書より◆


飯吉光夫「茫然自失の人、ローベルト・ヴァルザー」より:

「ローベルト・ヴァルザーは、一九五六年十二月、スイス、ヘーリザウ近郊の山中の雪原で仰向けざまに倒れて死んでいるところを発見された。享年七十八.死因は心臓発作だった。
 彼はこの近所の精神病院に二十年以上も入院していて、ときおり病院近くの町や裏山に散歩に出かけるのを楽しみにしていた。」



「神経の疲れ」より:

「ぼくはもうかなりくたくたになっている。ふらふらになり、もみくしゃになり、ずたずたになり、ぼろぼろになっている。(中略)ぼくはもういくらかぽろぽろと剥落しはじめている、もういくらかはらはらと落ちこぼれはじめている、そうだとも、そうだとも! ぼくはへたばりこみ、もういくらかひからびはじめている。(中略)人生のせいなのだ。(中略)ぼくは一枚また一枚と葉っぱを落として、ぽろぽろと身体がくずれはじめている。漆喰が剥げおちはじめている。(中略)ぼくはそれほど若くはない、しかしまだ年老いてもいない。これはまぎれもない事実だ。ぼくはもういくらか年をとりつつある、萎(な)えつつある。しかし、そんなこと、構わないのだ、――なるほどいくらかもう神経疲れがしていて、棺桶に片足を突っこんでいるかも知れない。時の経過とともにぼくはいくらかぽろぽろ剥げおちていく、これは自然の理だ。すこしも変なことではない。しかし神経が疲れているといっても、決してそれほど疲れているわけではない。時どき奇妙なふるまいにおよんでしまうだけだ。ぼくは時おりちょっとばかり変ちくりんで、奇妙なふるまいにおよぶ。しかしぼくは、だからといって、自分という人間がまるでダメだとは思わない。ぼくは、自分という人間がもうすっかりダメだとは思いたくない。(中略)苦しいことにも耐えぬき、持ちこたえることができる。ぼくはたしかに意志強固だ。しかし、とにもかくにも、いくらか神経疲れがしているのだ。疑いようもなくぼくは、いくらか神経疲れがしている。正真正銘、神経疲れがしている。もしかしたら本当に神経を病んでいるのかも知れない。ぼくは自分がむしろいくらか神経を病んでいた方が、と思う。いや、そんなこと思ってはいない。そんなことを思っている人間などいはしない。しかしやはり、神経を病んでいはしないかと思っているのだ。(中略)しかし、ぼくは自分が神経を病んでいるという確信は、まったく持っていない、断じて持っていない。ぼくは奇妙なふるまいにおよぶことはある。しかし、このような奇妙なふるまいをぼくは気にかけない。自分の奇妙なふるまいは、ぼくにこれっぱかしの心配もよびおこさない。「あなたは神経が疲れている」と誰かがぼくに言うかもしれない。するとぼくは冷ややかに答えるだろう――「ありがとう。十分わかっています。自分がいくらかくたびれて、神経がすり切れているのを知っています。」ぼくはこういいながら、いとも丁重に、いとも端然とほほえむだろう。(中略)「きみは神経が疲れている」と誰かがやって来て、ぼくに言うかもしれない。「うん、ひどくやられているんだ」とぼくは生返事するだろう。そしてこの大いなる嘘に心ひそかに笑うだろう。「ぼくらはみんな、どんな人間も、いくらかは神経をやられている」とぼくはおそらくつぶやき、この大いなる真実に対して腹の底から笑うだろう。まだ笑える者は、まだ神経を完全にはやられていない者だ。(中略)そうなのだ、奇妙なふるまい、奇妙なるふるまい、それを人は時としてもたねばならない。そしてまた、この奇妙なるふるまいとともに生きる勇気をも。そうすれば、何とかやっていける。自分が多少変だからといって、それを不安がるにはおよばない。不安など愚の骨頂だ。
 「あなたは見るも無慚に神経を病んでおられる!」
 「ええ、何とでも、おっしゃりたいように! 感謝します。」
 このような口のききかたで応じて、ねんごろですべてを物柔らかな冗談事にするのがいい。人間は物柔らかであり、丁重であり、善良でなければならぬ! きみは、誰かがきみに、あなたは徹頭徹尾神経をやられている、といったとしても、それを絶対に真に受けてはいけない。」



「何ごとにも気づかぬ男」より:

「昔々、あるいはすこし昔、何ごとにも気づかぬ男がいた。何ごとにも注意をはらわず、ありとあらゆることにいわば無頓着だった。頭の中に重大なことがいっぱい詰まっていたのだろうか。とんでもない! 頭の中はまるでからっぽで、何も詰まってはいなかった。あるとき財産を一切合財失ってしまったが、それに気づかず、まるで勘づかなかった。別段苦痛を覚えるでもなかった。というのも、気づかぬ者は苦痛を覚えることがないから。傘をどこかへ置き忘れても、それに気づくのは、つぎに雨が降って、びしょぬれになるときだった。(中略)あるとき靴の底が抜けたことがあった。それに気づかず、ついに誰かがそのただならぬさまを注意してくれるまで、はだしで歩きまわっていた。彼はいたるところで笑い者にされていた。しかし彼はそれに気づかなかった。(中略)いささかも気づかれることなく、彼の指から指輪を、彼の皿から食物を、彼の頭から帽子を、両脚からズボンとブーツを、からだから上衣を、足もとから床を、(中略)そして腰から彼が着席している椅子を、引き抜くことは容易な業だった。ある晴れた日、彼が道を歩いていくうちに、ふと首がころげ落ちた。こうも簡単にころげ落ちるとは、もともとよほどちゃんと肩におさまっていなかったにちがいない。」


「ソナタ」より:

「結局のところ、咎めだてができるのは他人に対してではなく、われとわが身に対してだけだ。おお、すべての、すべての人が、他人の何かを咎めるのではなく、ただわれとわが身のうちなる何かのみを咎めんことを。悔恨? そう、悔恨! 悔恨は甘美であり、調べに富むもの。悔恨は、行きつく果を知らない、涯しない、測り知られざる王国。しかも悔恨は、何かあえかなもの、ほとんど聞きとれぬ音調を持つもの。悔恨への歓び。高貴な心は高貴な感情を喜ぶ。そして、それにくわえて、何か望みの忘却のようなものがあれば、とぼくは願う。天使たちは望みを持たない、望みを必要としない。望みを持つ天使などあるだろうか。いや、天使たちはあらゆる、あらゆる望みに対して超然としている。ぼくがいま考えているソナタには、何か天使のようなものが鳴り響いているべきだ。」


「一つの町」より:

「真夏のある日、ぼくは自分がかつて住んでいたことのある、しかしもう何年というもの再訪したことのない町に着いた。町はあまりにも色あせて、血の気を失ったように映っていたので、ぼくは怖気をふるった。眺めがぼくを楽しませ元気づけてくれるだろうという期待を抱いて、ぼくは昔馴染みの道を通っていった。しかし様子はすっかり一変していた。眺めはぼくをうちのめし、奇妙な、名状しがたい おびえ が幻滅したぼくの魂をよぎった。ぼくには何もかもがまるで死んだように見えたのだ。人びとはまるで幽霊のように思われた。色あせた家並みが興ざめてぼくを見つめていた。ぼくは疑惑の念にみちて茫然とその家並みを眺めていた。女たちは女たちでないように、男たちは男たちでないように思われた。そしてぼく自身、この幽霊じみた不吉な四囲の中で、不吉な幽霊と化していたのだった。路面電車がまるで狂って走っているように思われた。町全体が物悲しい、望みのない夢のような重苦しい印象を与えた。ぼくは胸苦しさに身を折りまげて、気味の悪い印象にうちひしがれて、せめて渇をいやそうと、酒場に入った。しかし、そこにあるものは、また新たなるおぞましさだけだった。「どうしてこんなところに入りこんでしまったのだ」とぼくは思って、酒場の広間から外に出た。いま通っていく路地には、恐怖のかおりが立ちこめているようだった。一人の年老いた、化粧した老婆の顔がぞっとするような微笑を浮べて窓からぼくを見下ろしていた。どこかここら辺で殺人事件でも起こったようだった。ぼくは奥深い所を、涼しさを求めた。しかし、どこを見まわしても、平べったく、蒸し暑く、がらんとしていた。小人(こびと)たちや、害虫のような虫どもだけが棲息して、人間は住んでいないように見える狭い、おそろしく細い路地路地には、埃が舞い立っていた。窓々は顰めっ面を浮べているようにぼくを見つめてほくそえみ、家々の開けはなたれた戸は、ありとあらゆる裏切りや悪徳や犯罪のために蝶番(ちょうつがい)いっぱいに開けはなたれているように思われた。ぼくは子供の顔をただの一つも見かけなかった。おぞましさがひたすら瞳をこらして凝視しつづけるこの町では、子供たちは死に絶えているように思われた。ぼくは傷ついた者のように徘徊した。なろうことなら、道の地面にへたばりこんで、獣(けもの)のように、愛する善良な主人を失った哀れな犬のように吠え叫びたかった。この町には星もなく、太陽もなければ月もなかった。悲しみにつつまれてぼくは進んでいった。すると一軒の家が、ああ、かつてぼくがあんなにも屡々足を踏み入れた一軒の家が、ぼくをひきこんだ。この家にぼくはかつて住んでいたのだった。何と心楽しくぼくはここを出たり入ったりしたことだろう。しかし、それが今ではまるで理解がつかなくなっているのだった。いたみ具合のはげしい階段をおそるおそるぼくはのぼって行った。のぼって行くぼくに不安がつきまとった。そして、のぼりきったところで、ぼくは自分がかつて住まっていた暗い部屋を見たのあdった。しかし、それはもう別の部屋だった。もはや見定めがつかなかった。柩に似ていた。戦慄が背筋を走った。そこでぼくは、かつてぼくが愛していた女性を探しに外に出た。しかし人びとは、まるでぼくが千年も昔に住んでいた女性のことを尋ねるかのように、よそよそしげに、不可解げに、ぼくを見つめるのだった。(中略)誰もかれもがみな、よそよそしかった。誰もかれもぼくには無価値で、ぼく自身も彼らみんなにとって、見知らぬ人びとにとって、まったく無価値なのだった。ぼくは町に背をむけて、先へとさすらって行った。」


「一つの世界」より:

「かつて、一つの世界があった。そこでは、すべてが実に緩やかに展開するのだった。快くも健やかな――と言いたい――物憂さが、人びとの生活をおおっていた。人びとは、ある意味で、物ぐさだった。やることなすこと、物おもいに耽りつつ、緩慢に行なうのだった。非人間的にならねばならぬほど多いことはなさず、いかなることがあっても身を責めさいなんだり、身をすりへらそうという気になることもなければ、その責務を感じることもなかった。焦慮とか不安、過度のあわただしさというものは、ここの人びとにはみとめられなかった。ことさらに務めようとする者は誰一人なく、それゆえにこそ、人生はここでは楽しかった。
 きりきり舞いの仕事をしたり、いつもせわしないことこの上もない人間は、愉悦を台なしにしてしまう。不機嫌な顔をしつづけて、考えることといえば、面白くもないことか、悲痛なことばかりである。
 懶惰は悪徳のはじまり、とは使い古された格言である。
 この世界に住む人びとは、このかなり出しゃばり過ぎた格言を意義あらしめたりはしない。いや、むしろ、逆に、かれらはこの格言のあやまりを指摘し、それを無効にする。
 かれらは平穏で親しみがもてるこの地上でやすらいだ生活を送ることによって、みずからの存在を優雅な静謐さのうちに夢のように享受し、悪徳に対しては、それへの思いがまるで湧かないことによって、それとは無縁の暮らしをしている。気分を発散させようという衝動を持たないところから、かれらは善き人びとである。かれらは僅かしか飲食しない。というのも美味飽食を求めないからである。」
「功名心、名誉欲、虚栄心などからはほど遠く、この三つの悪徳がもたらす恐ろしい病いからも護られていた。」
「不安をひきおこす人騒がせな計画(プラーン)がかれらの頭を攪乱したり煩わすこともなく、このようにきりのない苦役はかれらには永遠に縁のないもの、かれらのあずかり知らぬものだった。
 死に対しては、心ひそかに、心の準備ができていた。(中略)みながみなをひとしく愛しあっていたので、だれか一人が過度に愛されたりすることはなく、それゆえに、死別の悲しみもそれほどまでには大きくなかったのだ。」



飯吉光夫「ローベルト・ヴァルザーの病院生活」より:

「ローベルト・ヴァルザーの精神障害は、この病院に入院する以前にも数回自殺を企てるほどの重症の時期こそあったものの、決して持続的な精神異常を意味するものではなく、その長期にわたる平穏な療養生活を、(中略)社会生活からの自己隔離とみる向きも多い。」

「「地獄を見たことのない作家は、とどのつまりは、中途半端な、無味無臭の温室野菜にすぎません。」」

「「善人はおそらく芸術とは縁のないものだ。芸術家が何か面白いものをつくり出そうとするなら、彼は悪魔(デーモン)を伴わなければならない。」」



ユルク・アマン「ローベルト・ヴァルザーの狂気、あるいは不意の沈黙」より:

「ヴァルザーは言ってました、ヘルダーリーンは自分なんかよりずっと前に、四十歳にして早くも通常の人間の理性を放棄することを得策――賢明なことと考えていた。」

「私はいつも何かしら風変わりなことを、いわゆる愚行を自分の一生の中でやらかしてきました、と彼は奇妙な微笑を浮べながら言いました。でもその風変わりなことがなかったら私の人生は人生ではなく、(中略)人生と呼ばれるにも価しなかったでしょう。(中略)どうやら私ばかりがそうではないらしい。私みたいな人間がこの世にはうようよしていますよ」
「もともと分っていたことですが、軍隊の制服というものは、私にはまるで合ってませんでした。(中略)私が鉄の兜をかぶり、戦闘帽をかぶっていたら、まちがいなく風変わりな、したがって軍隊の規律に反するような考えが湧いてきて、軍隊全体の秩序を破るか、どうしようもない混乱に陥れていたかにちがいありません。」
「私の軍服嫌いは結局のところ正当なものだったのです。その後私たちを襲った世界的なカタストロフィーを見れば、軍服などなかった方がよかったのです。軍服がなければ戦争はなく、戦争がなければカタストロフィーはなかったはずです。軍服がカタストロフィーのそもそものもとです!」

「人は、(中略)思考をあまりとことんの所までおいつめないように注意しなければならない。徹底した思考は死をもたらすものであるし、極度の徹底とは死にほかならないから。」
「例えばここに一人のヴァルザーの友人が、(中略)見かけたところまるで快活な生活を送っていたのだった。ところがある日、その友人の祖母が死んで、その埋葬に立ち会って、それからというものその友人はあきらかにあまりに深く考えることを始めた。ある地点を過ぎてもまだ考えることをやめず、ついに彼は死んでしまった。木に綱を吊して縊れてたのです――とヴァルザーは語りました。」
「というようなわけで、人生の術とは考える術ではなくて、一度開始した思考を(中略)最後まで遂行することなく、できるだけ長い間さまよわせるか、迷路に誘いこむかすることだろう。つまり人生の術とは、一言でいえば、一生かかってまわり道をする術である。といったようなわけで人は、ほんの少しでも理性がありさえすれば(中略)一度出した主張をすぐまた撤回するぐらいのことはできるでしょう。なにしろ人生の長さは、人がどれぐらいまわり道をしたかによって測られる、というようなものなのですから。目的に向かって直進する者は、すぐその場で仆れてしまいます。
 ですから、人生をさまよいつつ散策する術を心得ている人に対しては、安んじて人生の芸術家の称号を奉ることができます。そうしてこそはじめて人は、足を踏み出すことができるのです。(中略)足を踏み出して、「人生なんて思考の遊びにすぎない、だから忍耐の問題でもあるのだ」と言うことができるのです。」

「自分が本当に描きたい絵、あるいは自分が本当に書きたい本とは、いうまでもなく常にその人最後の絵、あるいは最後の本です。そして、そんなものの前では、どんな人でも、いうまでもなく一生涯の間、尻込みしつづけるものなのです。何しろ、誰でも、いうまでもなく少しでも先へ生き延びたいのですから。兄のカールはいつも自分の最後の一枚の絵のための習作をしていました。ちょうど私が私の最後の一冊の本のための習作あるいは下書きをしていたのと同じように。(中略)つまり、すべての仕事は予備的なもの、準備的なもの、仮のもの、断片的なものであって、決して最終的なものなどではありません。いつも最後から二つ目のもの、最後から二つ目の本、最後から二つ目の絵であって、この最後から二つ目の本なり絵なりを、人はヘンゼルとグレーテルが道の上に撒いたパンくずのように撒いて行くのです。」

「しかし、だからといって私が世間から爪弾きにされたというのは当たりません。世間は案外親切に長い間、一人の人間を引きとめておくものです。世間から出て行った者は、みんな自分勝手に出て行ったのです。誰ひとり、自分の意志でこの世間に入って来た者はいません。しかし、出て行くときは、自分勝手に出て行くのです。彼を引きとめるものが世間の中に何もなかったのです。」
「そして私自身は――とヴァルザーは再びゆるやかに歩を進めながら言いました――ある人間が世間から出て行って、どこかしらに周縁の人間、あるいはいわゆる影の存在として引きこもってしまうようになっても、だからといってその人間がほかの人間よりも不幸になることはないだろうという、確乎とした、われとわが身に照らして自信をもって言える意見の持主です。ほかの人間たちは、外で、というよりは世間の中で、すこしでものさばろうと日夜あくせくしています。しかし、このような悪あがきは、結局のところ、人生全体を眺めてみるならば、長つづきしないのです。私自身は、たとえばヘルダーリンは塔の中で、後世の文学教授や心理学の先生連中が言うほど不幸ではなかったという意見です、いや固く確信してさえいます。誰の目にも触れぬひそやかな片隅で、現実生活のありとあらゆる必須条件から解放されて、ただひたすら夢見、なしくずしに生きて行くことを、ヘルダーリンはむしろまったく快適なことであって、殉教者的な苦しみなどではさらさらないと思っていたにちがいありません。塔の外に住む人びとばかりが、このような塔を象牙の塔と呼んで地獄呼ばわりし、自分たちの住む地獄を少しでもよいものに見せかけようとするのです。」
「私が世間にいる間、世間は私のことを少しも気にかけませんでした。私の方でも(中略)世間を少しも気にしませんでした。人は物を書くとき、とりわけ自分自身のために書くのです。」

「天才とはもともと生れつき不快なものです、とりわけ私のようなタイプの天才は――。ところが民衆というものは不快なものはまるで好まないので、それゆえに天才を本能的に排除するのです。(中略)そのために民衆は天才防止のための機関を設立したのです。いわゆる文化センターがそれで、これは実際のところ快適さのための機関、衛生無害な場所、衛生無害化のための場所にすぎません。この文化センターなるものによって、すべては無害化され、順応化され、平均化されます。(中略)このようなセンターに勤める凡庸な人間たちによって、天才は彼らの水準にまでひきずり下ろされ、そこに定着されます。この水準はまた、税金を支払って彼ら傭い人に高い給料を払い、彼らを養っている民衆の水準でもあるのです。(中略)反時代的なものは時代的にされて個性を失い、時代に制約されたものに、時代に金縛りにされたものに変じてしまうのです。」
「文化センターとか、いわゆるそのような機関の所員とかの忠告を一人の芸術家は、もしも彼がわが身に、ということは自分の芸術に損害を受けたくなかったら聞き入れるべきでないでしょう。というのも、このような忠告はその芸術家なり芸術を直接破壊するか間接に破壊することになるからです。このような芸術は、非芸術的あるいは場合によっては反芸術的でさえある文化センターのようなものを、(中略)こなごなに爆破する性質のものであるからです。」
「でもしかし(中略)文化センターとか(中略)が、芸術家を阻害あるいは妨害しようとするにもかかわらず、芸術家がそれらを突っ切って上方に出ることに成功すれば、社会は彼と折れ合って彼に結着をつけるのです。決着をつけるとはここでは文字通りの意味で、つまり彼を祭り上げてしまうのです。しかし、この芸術家が祭り上げられることを否むことによって堕落の道を辿らず、したがってまた社会にとっては毎回いつも不快な作品を発表する厄介な存在でありつづけるときには、社会はこの芸術家を破壊しようとして、つまり完全に黙りこませようとして、彼をつけねらい、彼に無理矢理にでも賞金を押しつけようとするのです。この賞金を芸術家が断固としてはねのけ、それを押し返すならば、社会の方でも彼をわきに押しのけ、彼を無視し彼を黙殺するほかなくなるのです。黙殺する、とは文字通りの意味です。」

「ただ自分が欲するままにすること、たとえ頭を射抜かれようと、世間を逃れて、瘋癲院に入ること。」

「私はむろん――とヴァルザーは言いました――世間が私を狂人扱いしていることを知っていました、それで私は狂人としてあなたのもとに来たのです、ヒンリクセン博士。この屋根の下では狂人であることは普通ですからね。」

「結婚することもできたはずです――とヴァルザーは言いました――しかし私はむしろただちに精神病院に入る道を選びました。
 とはいうものの私はかつて、日常の中に埋没して芸術を逃れたいという願いから、ごく若いころ、ある女性にいわゆる結婚申込み(プロポーズ)をしたことがあります。しかし彼女はこの申込みを(中略)けたたましい笑いとともに一蹴してしまいました。私は礼儀正しく用心深くこの笑い声を受けとめ、肝に銘じました。」

「実世間からたださっさと抜け出してしまうこと、お分りでしょう?(中略)海のむこうへ行くか、精神病院へ入るか、どっちにするか。しかし結局のところ私は、インドやアフリカへ行くより精神病院へ入る方を深い体験だと見なしました。外へ出て行くより、中へ入ること。なんて馬鹿なことを、と言われるかもしれませんが。」

「正確に言うならば、狂気を避けるために私はヘーリザウに、狂気の中心地に来たのです。」
「ただ実世間から出て行くこと(中略)そして精神病院へ。自然は自分自身に倦むと外国へ行くでしょうか。いいえ、自然は秋の中へ、それから冬のただ中へ入って行くのです。」

「他の患者たちはみな、ここから逃げ出して行こうとします。それとは逆に、ヴァルザーは、ここに居すわっていようとするのです。世間は彼をまるで理解することがなかった、と彼は言っていました。しかしそれがまた、彼がしばらく世間にとどまっていた理由でもあったのです。私を理解すると言う連中は――とヴァルザーは言いました――そのあつかましい手で私の胸の奥までをつかみ、私の内面をいちじるしく傷つけたのです。私の方でも、世間をあまり理解せず、必要なだけしか理解しなかったのです。そして最後に、最近流行になっている差し引き勘定とやらを自分と自分の周囲に対してやってみて、世間には、いわゆる精神病院と呼ばれる場所よりはるかに多くの馬鹿や気狂いやへそ曲がりが横行していることを知ったとき、私は世間を逃れて、ここへやって来たのです。」

「私は精神病院に入っているのです――と彼は言いました――精神病院では単調なことをやるものです。ですから、その通りにやらせて下さい。大豆、扁豆、栗の選りわけ。この単調な、誰をも傷つけない仕事は、戦争のような、世界をさかさまにするような、逆転させるような仕事より、ずっとましじゃないでしょうか、そうでしょう?」

「あなたの病気は頭の病気だ、とみんなに言われた(中略)。しかし、自分は自分のことをまったく健康だと思っている(中略)。ただ自分の頭の中へ外から入ってくるものが、それが自分には変に、おかしく思われるだけだ。そして、それが嫌なばかりに、自分は、自分の頭ともども、ここへ、直接この療養所へ逃げこんで来たのだ。過去何年というもの、頭を世間という壁に打ちつけて散々苦労した挙句、療養所と呼ばれているこの施設に逃げて来た。だから頭を病んでいると言われるのだろう。というのも、何しろ世間を逃げて、ほかならぬ頭の病院であるこの療養所に入りこんで来たのだから。(中略)病気にかかった、どんどん絶望的な状態に陥っていく世界に早々に見きりをつけて、逃げ出して来たのはまことに健康な、至極健康なことだと思う。むしろ、病気にかかった、ひたすら死に向かって突進しつつある世界に身を置いていることを知らない人間たちこそが、絶望的な状態にあるのだと思う。
 誰かが全体との調和から外れたようなことをすると、みんなはこの誰かが拍子を外したように言うが、その実、真に拍子を外しているのは全体かもしれなくて、この誰かはそれに蹴つまずいたのかもしれないことには、誰も気がつかない。私の病気は(中略)不治の病いだといわれる。しかし、それは病いなどというものではない。いずれにしろ、この病気は、私が一人の健全なスイス人であることを妨げない。」












































































































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Robert Walser "The Robber" (tr. by Susan Bernofsky)

"Only a good-for-nothing like him can let so many important, lovely, useful things constantly tumble out of his brain."
- Robert Walser "The Robber"


Robert Walser 『The Robber』
Translated and with an Introduction by Susan Bernofsky

University of Nebraska Press, Lincoln, 2000
xiii, 141p, 20.4x12.8cm, paperback
Cover: Karl Walser "Nach Natur" (1894)



ローベルト・ヴァルザーの最後の長篇小説「盗賊(Der Räuber)」は、ベルン時代の1925年に解読困難な細字の microscripts で書かれたが、生前は発表されることなく、1972年になって刊行された。本書はそのスーザン・バーノフスキーによる英訳。
表紙絵はヴァルザーの兄カールによる水彩画、モデルはシラー『群盗』の主人公カール・モールに扮したヴァルザー。


robert walser - the robber



◆本書より◆

「Only a good-for-nothing like him can let so many important, lovely, useful things constantly tumble out of his brain. Being perpetually short for cash is a form of good-for-nothingness.」
(彼のような無用者だけがあれほど多くの重要な、美しい、有用なものを次々と頭の中からひねり出すことができる。年がら年中の金欠状態は無用者性のあらわれである。)

「There are, to be sure, persons who wish to extract from books guiding principles for their lives. For this sort of most estimable individual I am therefore, to my gigantic regret, not writing.」
(書物から生活の指針を引き出そうとする人たちがいる。慙愧の念にたえないが、私の書くものはそうしたお歴々向けではないのである。)




















































































Robert Walser "Masquerade and Other Stories" (tr. by Susan Bernofsky)

"Not being understood protects us."
- Robert Walser "The Chinese Woman, the Chinaman"


Robert Walser 
『Masquerade and Other Stories』

Translated from the German by Susan Bernofsky
With an Introduction by William H. Gass

Quartet Encounters, Quartet Books, London, 1993
xxv, 202p, 21x13.7cm, paperback



ローベルト・ヴァルザー短篇選集(スーザン・バーノフスキー訳)。1896年から1933年にかけて書かれた短篇64篇の英訳を収録。執筆時に著者が住んでいた都市別に四つのセクションに分けられている。序文はウィリアム・H・ガス(作家)。
ペーパーバックですが本文用紙がやや厚めで表紙も硬いのでよみにくいです。


robert walser - masquerade and other stories


Contents:

Introduction (William H. Gass)
Translator's Preface (Susan Bernofsky)

Zurich (1896-1905)
Lake Greifen
From "Fritz Kocher's Essays"
Two Stories
Simon
The Gloves

Berlin (1905-1913)
"Good Morning, Giantess!"
Comedy Evening
Aschinger
Mountain Halls
Market
The Battle of Sempach
Tableau Vivant
Food (I)

Biel (1913-1921)
Johanna
The Violet
Marie
Fräulein Knuchel
Basta
Fritz
Tobold (II)
The End of the World
I Have Nothing
The Aunt
The Old Fountain
The Dinner Party
The Last Prose Piece

Berne (1921-1933)
The Alphabet
Ladies' Shoes
Energetic
Robert the Rascal
Fridolin
Should Promises Be Broken?
The Elephant
The Sweetheart
The One of Fairy Tales
The Green Spider
She's such a nice woman...
Goddess of Poetry...
The Strange Girl
The Chinese Woman, the Chinaman
A Lump of Sugar
Je t'adore
Kurt
Horse and Bear
Sunday Walk (I)
Letter to Edith
Salon Episode
Birthday Prose Piece
An Immortal
There exist drunken geniuses...
All those who like to laugh while crying...
A Flaubert Prose Piece
Minotaur
Masquerade
Sampler Plate
Prose Piece
Moonlight Story
Beneath a Lidnen
I Was Reading in the Forest
The Boy (II)
A Small Town
The Worn-out Man
Boat Trip
The Girl (II)




◆本書より◆


「The Last Prose Piece」より:

「This is likely to be my last prose piece. All sorts of considerations make me believe it's high time this shepherd boy stopped writing and sending off prose pieces and retired from a pursuit apparently beyond his abilities. I'll gladly look about for another line of work that will let me break my bread in peace.
What have I done these past ten years? To answer this question, first I must have a sigh, second, sob, and third, start a new chapter or fresh paragraph.
These past ten years I've written without cease these little prose pieces that have rarely proved useful.」



「The One Of Fairy Tales」より:

「Soon things will go too far.
No one does it the way I do and have done, no one ever will.」

「No one can look more foolish and joyful than I do, but how long can this behavior last?」



「The Girl (II)」より:

「Small birds were trilling in the treetops, the sun shone down the avenue, people strolled to and fro, and water swam past the girl.
She was grateful to the sun, the twittering she found delightful, and the people she compared to the water that came and went.」














































































Robert Walser 『Selected Stories』 tr. by Christopher Middleton

「I could imagine that I was lying in bed, everlastingly in bed! Perhaps that would be the best thing.」
(Robert Walser 「Helbling's Story」 より)


Robert Walser 
『Selected Stories』

Translated by Christopher Middleton and Others
Foreword by Susan Sontag

New York Review Books, New York, n.d. (2002)
x, 196p, 20.2x17.6cm, paperback
Book design by Lizzie Scott

Originally published by Farrar, Straus and Giroux, Inc. in 1982



ローベルト・ヴァルザー短篇選集(クリストファー・ミドルトンほか訳)。1907年から1929年にかけて書かれた短篇42篇を英訳で収録しています。序文はスーザン・ソンタグ。
おおむね2~3頁の短いものが多いですが、「The Walk」はやや長め(52頁)です。


walser - selected stories


Contents:

Foreword by Susan Sontag

Response to a Request
Flower Days
Trousers
Two Strange Stories
Balloon Journey
Kleist in Thun
The Job Application
The Boat (Translated by Tom Whalen)
A Little Ramble (Translated by Tom Whalen)
Helbling's Story
The Little Berliner (Translated by Harriett Watts)
Nervous
The Walk
So! I've Got You (Translated by Tom Whalen and Carol Gehrig)
Nothing at All (Translated by Tom Whalen and Carol Gehrig)
Kienast (Translated by Tom Whalen and Carol Gehrig)
Poets
Frau Wilke
The Street (1)
Snowdrops (Translated by Tom Whalen and Trudi Anderegg)
Winter
The She-Owl
Knocking (Translated by Tom Whalen and Carol Gehrig)
Titus (Translated by Tom Whalen and Carol Gehrig)
Vladimir (Translated by Tom Whalen and Carol Gehrig)
Parisian Newspapers (Translated by Tom Whalen and Carol Gehrig)
The Monkey
Dostoevsky's Idiot (Translated by Tom Whalen and Carol Gehrig)
Am I Demanding?
The Little Tree
Stork and Porcupine
A Contribution to the Celebration of Conrad Ferdinand Meyer
A Sort of Speech
A Letter to Therese Breitbach
A Village Tale
The Aviator
The Pimp
Masters and Workers
Essay on Freedom
A Biedermeier Story
The Honeymoon
Thoughts on Cézanne

Postscript by Christopher Middleton




◆本書より◆


「Foreword: Walser's Voice」(Susan Sontag)より:

「The moral core of Walser's art is the refusal of power; of domination. I'm ordinary - that is, nobody - declares the characteristic Walser persona. in "Flower Days" (1911), Walser evokes the race of "odd people, who lack character," who don't want to do anything. The recurrent "I" of Walser's prose is the opposite of the egoist's: it is that of someone "drowning in obedience." One knows about the repugnance Walser felt for success - the prodigious spread of failure that was his life. In "Kienast" (1917), Walser describes "a man who wanted nothing to do with anything." This non-doer was, of course, a proud, stupendously productive writer, who secreted work, much of it written in his astonishing micro-script, without pause. What Walser says about inaction, renunciation of effort, effortlessness, is a program, an anti-romantic one, of the artist's activity. In "A Little Ramble" (1914), he observes: "We don't need to see anything out of the ordinary. We already see so much."」

「In Walser's fictions one is (...) always inside a head, but this universe - and this despair - is anything but solipsistic. It is charged with compassion: awareness of the creatureliness of life, of the fellowship of sadness. (...) Walser's virtues are those of the most mature, most civilized art. He is a truly wonderful, heatbreaking writer.」



「Helbling's Story」より:

「It is in any case an obstacle which hinders me from distinguishing myself, for, when I have a task to perform, let's say, I always take thought for half an hour, sometimes for a whole one. I reflect and dream: "Should I tackle it, or should I still put off tackling it?" and in the meantime (...) some of my colleagues will have been remarking that I am slothful, whereas in fact I am just too sensitive. Ah, how wrongly one is judged!」

「Perhaps I have taken the wrong profession, and yet I confidently believe that in any profession I would be the same, do the same, and fail in the same way. I enjoy, as a result of my supposed slothfulness, little respect. People call me a dreamer and a lazybones. Oh, what a talent people have for giving the wrong labels!」

「My life does indeed consist of mere trivialities.」

「There are said to be people who have no capacity for betterment and no talent for learning from the behavior of others. No, I do not learn, for I find it beneath my dignity to surrender to the urge for education.」

「I ought really to be quite alone in the world, me, Helbling, and not a single living being besides me. (...) I could imagine that I was lying in bed, everlastingly in bed! Perhaps that would be the best thing.」



「Frau Wilke」より:

「Often I walked in the neighboring forest of fir and pine, whose beauties, wonderful winter solitudes, seemed to protect me from the onset of despair. Ineffably kind voices spoke down to me from the trees: "You must not come to the dark conclusion that everything in the world is hard, false, and wicked. But come often to us; the forest likes you. In its company you will find health and good spirits again, and entertain more lofty and beautiful thoughts."
Into society, that is, where the big world forgathers, I never went. I had no business there, because I had no success. People who have no success with people have no business with people.
Poor Frau Wilke, soon afterwards you died.
Whoever has been poor and lonely himself understands other poor and lonely people all the better. At least we should learn to understand our fellow beings, for we are powerless to stop their misery, their ignominy, their suffering, their weakness, and their death.」

「Oh, whoever has been himself alone can never find another's loneliness strange.」






















































































Robert Walser 『Jakob von Gunten』 tr. by Christopher Middleton

「God goes with thoughtless people.」
(Robert Walser 『Jakob von Gunten』 より)


Robert Walser 
『Jakob von Gunten』

Translated and with an Introduction by Christopher Middleton

New York Review Books, New York, 1999
xxii, 176p, 20.2x17.6cm, paperback



晩年を精神病院に隠遁して過ごした作家ローベルト・ヴァルザー(1878―1956)の長編第三作『ヤーコプ・フォン・グンテン』(1909年刊)の英訳です。『ヤーコプ・フォン・グンテン』は集英社の世界文学全集や鳥影社の「ローベルト・ヴァルザー作品集」にも日本語訳が入っています。
本英訳初版は1969年刊行、本書はその再刊です。


walser - jakob von gunten


「ベンヤメンタ学院」は、執事というか、使用人、召使い、要するに他人の生活の世話をする人を育成する教育機関ですが、実際にはなにも教えてくれません。しかしまあ、学校とはそういうものです。免状をくれるだけです。学院の中枢部にあるのは大きな金魚鉢で、ヤーコプたちは金魚鉢の掃除をさせられるのですが、つまり、人間社会は金魚鉢で、そこで威張っている人たちは金魚にすぎないというわけです。
これまでによんだヴァルザーの三冊の長篇小説では、主人公の変わり者を中心にして、社会に適応している公務員的常識人、そして世捨て人ふうな芸術家(画家)、という三つの人物像が中心となっていて(どちらもヴァルザーの兄がモデルです。主人公のモデルはもちろんヴァルザー自身でありましょう)、主人公は前者を畏敬しつつも反感を抱き、後者に共感というか友情を覚える、という形になっています。そして「姉」的な女の人に庇護されつつなんとか世間に留まるものの、最後には自分と同じような変わり者と意気投合して、いっしょに世間から退いていく、という構図です。本書では、父権的なものを象徴しているかにみえた学院の院長が、じつはドン・キホーテ的な変わり者だったという話になっていますが、「父」的なものがなしくずしに瓦解して、放浪者=孤児的二人組の前に広大なアウトサイドの世界が開けてくる本書のラストシーンはたいへん感動的です。風景による季節感の描写も相変わらず素晴らしいです。

本作にはクエイ兄弟(Brothers Quay)による映画化「ベンヤメンタ学院」(Institute Benjamenta」)があります。



◆本書より◆


「One learns very little here, there is a shortage of teachers, and none of us boys of the Benjamenta Institute will come to anything, that is to say, we shall all be something very small and subordinate later in life.」

(ここで学ぶことはほとんど何もない、教師が不足しているし、われわれベンヤメンタ学院の生徒の誰一人として将来ひとかどの人物などになりはしない、というか、全員がしがない下僕として余生をすごす定めにあるのだ。)


「I was never really a child, and therefore something in the nature of childhood will cling to me always, I'm certain. I have simply grown, become older, but my nature never changed.」

(実のところ私は子どもだったことがない、だからこそ、私にはいつまでも子どもっぽいところがあるのだ。ただ単に成長して、歳をとっただけで、生まれつきの性質は変わることがなかった。)


「How fortunate I am, not to be able to see in myself anything worth respecting and watching! To be small and to stay small. And if a hand, a situation, a wave were ever to raise me up and carry me to where I could command power and influence, I would destroy the circumstances that had favored me, and I would hurl myself down into the humble, speechless, insignificant darkness. I can only breathe in the lower regions.」

(なんてしあわせなんだろう、自分のうちに敬意や注目に値する何ものも見出せないということは。小者になり、小者のままにとどまる。どういう風の吹き回しでか、権威や権力を手にするはめになったとしたら、私はそんな境遇はぶちこわして、卑しく、発言力のない、とるにたらぬ暗愚にすすんで身を落とすことだろう。私は下層でしか棲息できないのだ。)







































































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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