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若桑みどり 『聖母像の到来』

「歴史を見れば、地理上の発見は、ただちに発見者である帝国による被発見地の侵略と植民地化に結びついたことは明白な事実である。」
(若桑みどり 『聖母像の到来』 より)


若桑みどり 
『聖母像の到来』


青土社 
2008年9月23日 第1刷印刷
2008年10月3日 第1刷発行
428p xix 図版8p 著者紹介1p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,400円+税
装丁: 戸田ツトム



本書「付記」より:

「著者は二〇〇七年十月三日に急逝した。本書は、二〇〇七年六月十九日付で青土社編集部が受け取った原稿と、同じテーマで千葉大学への博士学位請求論文として執筆し、同年九月二十二日付で千葉大学に郵送され、爾後審査に付される予定であった原稿とを吟味した上で、最終的には著者のコンピューターに残されていた原稿を決定稿にした。」
「巻末の「主旨説明」「論文要旨」は著者の手に拠るものである。前者は二〇〇七年六月に青土社編集部に渡されたもの、後者は学位請求論文とともに提出するために、二〇〇七年九月に千葉大学に渡されたものである。」



本文中図版(モノクロ)226点、別丁図版(カラー)11点。


若桑みどり 聖母像の到来 01


カバー文:

「聖母像の中には、原初の大地母神を
信仰する民衆の根強い信仰心が脈々と流れている。
世界史を通底する民衆の願いは
支配と刑罰を示す剣を持つ男性神ではなく、
生命と愛による救済を約束する
子どもを抱いた女神であった。」

「本書は、東西の文明、
中心と周縁を横断する世界美術史と
呼べる範疇に属するものである。
同時に、まさにそのことによって、迫害期の
日本の民衆が創造したキリスト教美術の
稀有な独自性がきわめて鮮明に
浮かび上がったと考えている。」



カバーそで文:

「マリア観音と言われている像は「東アジア型聖母像」である…それは代替でもなく、化身でもなく、習合仏でもない。日本および中国のキリスト教徒が創造した、独自の「マリア」像である。」

「男性の唯一神の支配をなだめるもの、それはすべてにおいて、その「土地」に根拠をもつ、生命を授ける母なる女神でなければならなかったのである。」



帯文:

「聖母マリアの
イコノロジー

16世紀、キリスト教宣教師とともに到来した聖母マリア像を、
日本の民衆はいかに受容し創作し変容させたのか。「世界美術史」の立場から
聖母像への認識の変更を迫る、美術史の第一人者が書き遺した、
図像研究の輝かしい達成。」



帯背:

「若桑図像学(イコノロジー)
の到達点」



帯裏:

「民衆は正義のキリストの像に祈
願することのできないものを祈願
することができたからこそ、マリア
に救いを求めた。十字架上に刑
死する、暴力と血を刻印する男性
キリスト教ではなく、生命を産み
出す女性の慈愛の姿のみが救い
を与えてくれる像だったのである。」



目次:

序論
 1 本書の主題
 2 本書の構成

第一章 十六世紀における近代世界システムの形成と「世界文化市場」の成立
 1 「世界市場」の形成
 2 世界布教と世界文化
 3 土着文化とキリスト教文化の関連
 4 カトリック教会の布教美術政策とグアダルーペの聖母
 5 カトリック教会の「融合」政策
 6 「融合」論を超えて――信仰における普遍的なもの

第二章 十六世紀におけるキリスト教美術の再編
 1 トレント公会議の聖画像崇拝再確認
 2 トレント公会議が美術に与えた影響――検閲と改革
  Ⅰ 前提 対抗宗教改革期美術の形成に関する学説
  Ⅱ トレント布告直後の宗教芸術論

第三章 イエズス会のアジア布教とその美術政策
 1 イエズス会とアジア布教
 2 イエズス会の美術政策
 3 イエズス会と「聖ルカの聖母」のイコン

第四章 聖母像の日本への到来
 1 日本人と聖母画像
 2 日本布教の四段階
 3 初期布教期の聖母群と「聖ルカの聖母」の到来

第五章 布教第二期――日本人による聖母像の制作
 1 日本における聖母の教義
 2 ヴァリニャーノ来日以後の美術政策
 3 ニコラオの画業について
 4 画学校の活動
 5 「慈しみの聖母」のその他の遺品

第六章 日本における聖母のタベルナクル――《聖母十五玄義図》
 1 《聖母十五玄義図》の発見
  Ⅰ 制作年代について
  Ⅱ 聖母像について
 2 民衆の信心形式としての「ロザリオの祈祷」
 3 十五場面の図像の源泉
  Ⅰ 「受胎告知」
  Ⅱ 聖母の「ご訪問」
  Ⅲ 「キリストの降誕」
  Ⅳ イエスの受難五枚の検討
  Ⅴ 栄光のロザリオ
  Ⅵ 小括
 4 《聖母十五玄義図》のザビエル像について
  Ⅰ ザビエル像の特質
  Ⅱ 原型となる肖像画
  Ⅲ ザビエル肖像の図像類型
  Ⅳ 神戸《ザヴィエル像》の図像の系譜
  Ⅴ 京都大学《聖母十五玄義図》中のザビエルの肖像の図像について
  Ⅵ 「燃える心臓を見せる図像」について――「主よ、充分です」
  Ⅶ 「聖母子を崇めるイグナティウスとザビエル二聖人」の図像構成について
  Ⅷ 「聖母と二聖人」の図像の起源と意味

第七章 キリスト教銅版画の発生――天草一五九二年のデューラー
 1 キリスト教布教書(きりしたん版)の出版
 2 布教書挿絵・扉絵版画研究
  Ⅰ 『フィデスの導師』と天草セミナリオの作画状況
  Ⅱ 天草版『フィデスの導師』扉絵「トマスの不信」の図像源泉
 3 デューラーと対抗宗教改革期の美術
 4 ヴァッリチェッリアーナ図書館蔵「トマスの不信」の下絵作家と版刻者の特定
  Ⅰ ナダール作《エウァンゲリア》版刻者ウィリクスとの比較
 5 対抗宗教改革期の教義における「トマスの不信」の解釈とその意義
  Ⅰ 「トマスの不信」の図像系譜、その二大類型とデューラー
  Ⅱ 対抗宗教改革期の教義と「トマスの不信」主題の解釈

第八章 聖母像の変装
 1 隠れキリシタンと潜伏キリシタン
 2 隠れキリシタン存続の様態
 3 生月隠れキリシタンの信仰の世界
 4 生月の「納戸神」にみる聖母像

第九章 聖母像の変容――マリア観音
 1 問題の所在――見立てか、化身か
 2 暦、聖書、「マリア観音」をもつ潜伏キリシタン
 3 子安観音と聖母マリア
 4 観音の成立――インド・イラン起源
 5 中国における観音の女性化と子抱き観音像の成立
 6 中国におけるマリア像の東洋化
 7 「マリア観音」導入の経路
 8 東アジアの女神

結語 「子を抱く女神」の世界史的展望


謝辞
主旨説明・論文要旨

図版一覧
人名索引



若桑みどり 聖母像の到来 02



◆本書より◆


「序論」より:

「本書は、十六、十七世紀における近代世界システムの構築期において、東アジアに進出したポルトガル/スペイン国家の世界征服/世界市場形成に随伴してカトリック教会が行なった布教活動によって、日本にもたらされた十六、十七世紀のキリスト教美術を問題とする。
 この過程で、日本がどのようにして西欧のルネサンス期キリスト教の文化を受容したか、また、禁教によって西欧との連携が完全に断たれたとき、日本人信者はいかにして自己独自の宗教文化を形成したかを問題とする。
 十六世紀カトリック教会は、聖画像の崇拝を推進し、言語および文化の異なった異民族、異人種の教化にあたっては、言語以上に、視覚表象としての聖画像の効用を重視した。このなかでも南アメリカ、アジアにおける布教で最大の効果を発揮した聖画像は聖母像であった。これには二つの理由があり、第一に、この時期、宗教改革派が聖母崇拝を廃止したことに対抗して、カトリックがこれを特に賞揚する政策を打ち出したこと、第二に、異民族、異宗教の民衆を教化する手段として、聖母像の有効性が経験によって認識されたためである。異文化へのキリスト教の布教において聖母が最大の効果をあげた根本的な要因は何であったか。これを究明することも本書の重要な課題となる。
 このような理由で、本書は、第一に、十六世紀半ば以降に日本にもたらされた聖母像、第二に、十六世紀末から十七世紀初頭にかけて日本人が制作した聖母像、最後に、一六一四年の禁教令以後、いわゆる潜伏(隠れ)キリシタンが創造し、崇敬した聖母像の歴史をたどり、日本における聖母像の受容、生産、変容の三段階を論じる。」

「十六、十七世紀において、世界システムの「周縁」各地における宣教に、キリスト像以上に聖母像が効力を発揮したのはなぜか。聖母像は、さまざまな土着の文化と習合してそれぞれの人種的、民俗的変形を遂げ、民心に浸透した。その理由は、聖母がアジア、アメリカ、アフリカ等の「周縁」地域において、その基層に潜在する大地女神信仰を呼び起こし、これと呼応したためである。カトリック教会は半ば戦略的にこれを有効利用したといえるであろう。しかし、そもそもカトリック教会が聖書に存在しない聖母崇敬を決定した時点から、すでに、民衆慰撫教化の手段として、ヨーロッパ古代の母神信仰の戦略的価値を知り、これを利用していたのである。五世紀に、聖母崇敬を民心慰撫の方法として選択したカトリック教会は、十六、十七世紀に、周縁地域に根強く存在する女性母神の普遍性を借りて、世界布教を実現したといえる。」



「十六世紀における近代世界システムの形成と「世界文化市場」の成立」より:

「カトリック教会は、公式には五世紀(公認されたのは五世紀だが、その信仰は当初から存在した)から現在に至るまで、聖書原典には存在しないマリアの崇敬を必要とした。それはなぜか。その答えは人類史の原初の歴史のなかに隠されている。考古学者マリヤ・ギンブタス、J・P・マロリーらは紀元前七千年紀から三千年紀(新石器時代から金石併用期まで)にかけて地中海一帯から南東ヨーロッパ全域にかけて「古ヨーロッパ文明」と呼ぶべき高度の文明があったことを物証によって証明した。これはギリシャ文明に先立つミノア、ミュケナイ文明の前の文明である。彼女によれば、これはヨーロッパ文明の始源とよぶべき文明であり、母系制によって特色づけられる。この文明の証人は、地中海沿岸、中央バルカン、ドナウ川流域、モルダヴィア地方で出土する石に刻まれた母神である。ギンブタスは生命を絶やさぬように保持するという目的が古ヨーロッパの神話のライトモチーフであり、それゆえにこそ生を司る女神があらゆる信仰の中心にあったのだと語っている。(中略)ギンブタスは、紀元前三四〇〇年から二八〇〇年にわたって、三回におよぶ異民族、すなわちインド・ヨーロッパ語族による侵入がこの古ヨーロッパ文明を破壊し、民族を奴隷としたのだとするが、この侵略部族は父権社会の構造と文明をもっていたとみる。この部族は武装した支配と破壊を行なう男性神を崇敬しており、この侵略と文明の交代によって、女神から男神への交代が起こったのだとする。
 このような経過はバッハオーフェンがギリシャ神話のなかに読み取ったものによって基礎づけられる。ギリシャ神話が母系制から父系制への交代を表象しているのは明らかである。最古の神は大地母神ガイアだった。彼女が天空の神ウラノスをも生んだ。そして彼と結婚し、クロノスを生むが、この後、クロノスはウラノスを去勢し、クロノスの息子ゼウスはクロノスを滅ぼす。息子の父殺しに加担するのは常にその母である。最高権力を掌握したゼウスもまたその妻と子どもに権力を奪われないために、妻メティスを飲み込んでしまう。そこで、アテナはゼウス(父)から生まれることになる。アイスキュロスの『オレステイア』は、父を殺した母に復讐したオレステスを弁護するのがこのアテナで、彼女は、「血のつながる母」を殺すほうが重罪であると迫る「暗黒の古代の女神たち(エリニュス)」に対し、「父こそ真の親。あらゆることに男性は優越する」としてオレステスを救う。ケイト・ミレットは『性の政治学』において、この悲劇は、家父長制に対する母神の最後の闘争とその敗北を意味していると分析した。
 古代ローマ帝国もまた、独自のラテン的神話をもっていたが、多くは地中海世界に潜在していた母女神たちをその神話体系に組み入れ、原初においては万能の力を発揮していたフォルトゥーナ(運命女神)や、アルテミスなどを、男性神ユピテルの支配下に秩序付けた。したがって、これらの異教の神々を廃して、キリスト唯一神を国教として流布させるにあたって、古代ローマ帝国は、古代文明の残る各地、とりわけ農耕社会において根深く残存する、穀物女神デメテル、安産の女神アルテミスなどの民衆の女神崇拝を排除するよりは、これに勝る聖母崇拝を代替する戦略が有効だと判断していた。
 パメラ・バージャーは、四世紀から五世紀にわたって、フランスやドイツのいたるところにあった母神たちの神殿や礼拝像が破壊され、その上にキリスト教教会が建立されていったとする。彼女は穀物神デメテルが聖女デメトラとして生き残った状況を示した。また、古代女神の聖地に聖母の教会を建てることも聖母教義確認以後教会によって奨励された。六〇一年に大グレゴリウス教皇が布教者への書簡で、「異教の神殿を破壊してはならない。そこをキリスト教の教会として利用せよ」と書き、アルルにあった大地母神キュベレの神殿、マルセイユ、オータン、ニームの神殿の上に聖母教会が建立された。
 このような、古代異教からキリスト教への移行のなかで、四三一年に聖母の崇敬がドグマとして定着したことには大きな意義があった。聖母は、太古の母神から、生命の授け手、万物の豊穣という本質を譲り受け、キリストの助け手として教会によって召還された女性であった。民衆の信仰心の基層に残る大地母神への信仰をすくいあげ、キリスト教の中心に、生命の授け手であり、母性の象徴であるマリアを置くことによって、本来は家父長的であり、男性中心であり、女性嫌悪であるユダヤ―キリスト教を、より調和的な、より慈悲に満ちたものにすることに成功したのである。」



「聖母像の変容――マリア観音」より:

「先行研究は、マリア観音は迫害時代におけるカムフラージュとして単なる「代替物」であったと、文化史的に過小評価してきた。しかし、筆者はこれを日本の民衆の心性において、普遍的な東アジアの母性信仰のなかに、キリスト教信仰を包含した、もっとも独自な「東アジア型聖母像」とみるのである。これによって、西洋から来た聖母像は、迫害をしのぐための変容を行なったとはいえ、その本質、慈愛と生命の母への信仰は変質することはなかった。これが潜伏期の日本のキリスト教徒が選びとった彼ら自身の東アジア型聖母像であり、これがかれらにとってのキリスト教であった。世界に普及したキリスト教文化はその土地の文化と社会的状況に応じて変容する。それは変容を遂げることによってのみ、真にその土地に生きる民衆のものとなるのである。」


「「子を抱く女神」の世界史的展望」より:

「概観すれば、世界各地の聖母像の中には、原初の大地母神を信仰する民衆の根強い信仰心が脈脈と流れていることがわかる。宗教の名は違い、その教義は異なっても、世界史を通底する民衆の願いは支配と刑罰を示す剣を持つ男性神ではなく、生命と愛による救済を約束する子どもを抱いた女神であった。」
「アジア側からみるならば、西洋の母神は、文化の基層に存在した東アジアの女神と合体して、はじめて自己自身の像となったのである。この意味で、「マリア観音」は、西欧と東洋の二つの普遍宗教の融合、さらにそのはるか深層の、世界史的なロング・デュレとしての、女神への民衆信仰を凝縮させているのである。」




















































































































若桑みどり 『光彩の絵画』

若桑みどり 
『光彩の絵画』

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画の図像解釈学的研究

哲学書房 
1993年2月28日 発行
412p 
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価7,000円(本体6,796円)



本書「序論」より:

「本書は、ヴァティカン宮殿内の教皇庁付属礼拝堂であるシスティーナ礼拝堂に、ユリウスII世在位中の一五〇八年から一五一二年にかけてミケランジェロが描いた天井フレスコ画の主題とその意味について解明しようとするものである。」


本文中別丁図版(モノクロ)32ページ。


若桑みどり 光彩の絵画 01


帯文:

「ミケランジェロの霊感の源へ
500年間、謎であり続けた天井画の意味が、
ここに解明される。」



帯背:

「光となって
射す
神」



目次:

序論

第Ⅰ章 立論の前提
 1 研究の現在
 2 ヴィテルボのエギディウスと一五〇〇年代初頭の宗教的情況
 3 予型論の系譜
 4 一五〇〇年代初頭における予型論の復興

第Ⅱ章 創世記の九場面とスパンドレルの四場面の解釈
 1 天井の構成について
 2 九場面の意味について
 3 スパンドレルの四場面の解釈

第Ⅲ章 預言者と巫女について
 1 予型論的解釈
 2 預言者の肖像――同時代的解釈

第Ⅳ章 青年裸体像とメダイヨンについて
 1 青年裸体像と天井画のヒエラルキア構造について
 2 メダイヨンの予型論的解釈

第Ⅴ章 〈キリストの先祖たち〉について
 1 今日までに提出されている〈キリストの先祖たち〉に関する主要な解釈の再検討
 2 サヴォナローラの説教とこれにもとづく新解釈の試み
 3 結び

第Ⅵ章 システィーナ礼拝堂におけるミケランジェロの色彩使用法のイコノロジー的解釈
 1 序論
 2 天井画各部の彩色
 3 カンジアンテの伝統とその意味
 4 色彩のヒエラルキアに関する思想的背景ならびにミケランジェロの霊感源について
 5 色彩使用における象徴主義の復活
 6 結び――一五世紀末の芸術理念の変化とその思想的背景

結論


別表
図版目録
図版
後記
Riassunto
Ringraziamenti



若桑みどり 光彩の絵画 02



◆本書より◆


「序論」より:

「本書において筆者が示す解釈の枠組は、今日までの研究成果を土台にして、なおいくつかのきわめて独自な仮説を加えたものである。だがその独自な仮説も、正当と思われる枠の外に突出したものではなく、まさに旧来の研究の空隙を埋めるための試みである。以下にその論旨を要約する。
 第一に、システィーナ礼拝堂の旧約世界を一貫する思想は、旧約聖書の事件および人物のなかに新約聖書すなわちキリストとその教義を読み取る予型論である。予型論の古典的テクストとしてアウグスティヌスの歴史神学がもっとも重要な役割を果たしていることが細部にいたる検証であきらかになった。またメダイヨンをはじめとして全体の予型論図像においては、中世末の一般的な予型論の絵解き本である『ビブリア・パウペルム』、『スペクルム・ウマナエ・サルヴァティオニス』が源泉であり、巫女と預言者の図像については一四八二年に出版されたフィリッポ・バルビエーリの『ディスコルダンティアエ』がテクストである。
 第二に、この天井画の思想的骨子となったものは、まさに一五〇〇年代初頭において予型論思想を復活させたところの教会の刷新、再生(レノヴァティオ)の意識である。この天井画がその他の一般的な予型論図像とことなるものとなった原因の一つは、ここで採用された旧約のフィグーラ(人物)の主要主題である、神、キリスト、聖霊、教会、聖餐、人類の罪、神による裁き、最終的救済の諸理念が、新たな改革の理念において捕らえ直されていたためである。予型論をこのような未来的教会改革的意味において、すなわち千年王国思想のなかで説いた神学者はフィオレのヨキムであり、その同時代における後継者はジローラモ・サヴォナローラである。また教皇庁内部においてルターと同時代の宗教家として現行の教会の改革に専念した神学者は、ユリウスの助言者である枢機卿アゴスティノ会会長であり、ホアン・ヴァルデス、ヴィットーリア・コロンナと親交のあったエギディウス・ダ・ヴィテルボであった。ミケランジェロが生涯にわたってサヴォナローラを尊崇し、教会改革派思想とかかわっていたことは記録が証明している。ここから構想の助言者はエギディウスであるという仮説が成立する。
 第三に、天井画の構想の全般にわたって新プラトン主義思想の反映が認められる。エギディウスは青年時フィレンツェでフィチーノの薫陶を受け、霊魂の不滅と神の神秘的啓示に関するフィチーノの理論から多くを学んだ。ミケランジェロがその精神的形成期において新プラトン主義の世界観を涵養したことは記録、作品、詩文によって知られている。ミケランジェロの秘められた意志は、預言者の顔貌のなかにサヴォナローラとフィチーノの肖像を残した。この仮説は本論のなかのもっとも独自な部分である。エギディウスを助言者とする仮設は本文で述べるように、決して新しいものではない。本論の特徴は、エギディウス、サヴォナローラ、フィチーノの「三位一体」がミケランジェロの芸術において結晶した事実を証明することにある。
 本論において筆者は以上の結論にいたる過程を示す。結論として、この天井画は一五〇〇年代初頭の教会改革的人文主義思想の凝縮であると言える。助言者ヴィテルボのエギデイウスとミケランジェロは根底においてその思想を共有していた。博学な神学的主題がこのように圧倒的な力をもつ形象表現によって視覚化された理由はまさにこの点にある。」








































































若桑みどり 『薔薇のイコノロジー』

「ミケランジェロの模範に力を得て、一六世紀ではグロテスクな口をひらく怪物が続出した。フェデリーコ・ツッカロの自宅のファサドの入口と窓も角を生やした怪物の大きな口からできている。(中略)オルシーニ家のボマルツォの庭園のデモンは大地そのものが口を開いているように見える。(中略)これら二つの例は、周辺の《低い》存在が逆に巨大化した特例を示している。再び言うが、怪物が大きな顔をしたのは、まさに、一六世紀だけであった。」
(若桑みどり 『薔薇のイコノロジー』 より)


若桑みどり 
『薔薇のイコノロジー』


青土社 
1984年10月25日 初版発行
1989年2月25日 第7刷発行
382p 口絵8p 
菊判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,500円(本体3,398円)
著者自装



口絵図版(カラー)13点、本文中図版(モノクロ)353点。


若桑みどり 薔薇のイコノロジー 01


帯文:

「イメージの普遍性を求めて
一つのイメージが個人を超え、時代を超え、洋の東西を超え、いわば普遍的な象徴として人類に共有される。薔薇をとおして、人類が共有する〈もう一つの世界〉を照射。」



帯背:

「脱領域の
美術史」



目次:

I 薔薇の聖母
II 薔薇を喰べた驢馬
III レオナルドの庭園
IV 薔薇園にて
V 美しき女庭師
VI 花の道
VII 菊と蓮
VIII グロテスクの系譜一――周辺の豊饒
IX グロテスクの系譜二――笑う牛
X グロテスクの系譜三――花となった人間
XI 花と髑髏――静物画のシンボリズム
XII 刻印された〈詩〉
XIII 石の花――反古典主義的空間の根源
XIV 花の復権――ウィリアム・モリスのパターン・デザイン
終章 生きている花――残らない芸術のために

薔薇のイコノロジー 注
薔薇のイコノロジー あとがき



若桑みどり 薔薇のイコノロジー 02



◆本書より◆


「あとがき」より:

「なぜ私がこの本を書いたか。まず第一に、それは芸術史研究を限定してきたもろもろの境界線を取りはずしたかったからである。今まで、芸術史の研究は古代・中世・ルネサンスといったぐあいに時代別に区分されてきた。またそれはジャンル別に区分されてきた。絵画、彫刻、建築、工芸、あるいはいわゆる大芸術と小芸術、または正統的芸術と民衆的芸術などである。通常、工芸史の専門家は純粋芸術には手を出さず、逆もまた然りであった。またそれは国家や民族によっても区分されてきた。西洋美術と東洋美術、あるいはフランス美術・イタリア美術・日本美術などである。さらにそれは個人によって区分されてきた。いわくレオナルド・ダ・ヴィンチの研究、ラッファエルロの研究。私は二〇年にわたってカラヴァッジォの専門家であった。この間を越境することは危険な行為であった。」
「私はただ一枚の絵を理解するのにさえ人類史を知ることなしには不可能と感じるようになった。私はカラヴァッジォの「トカゲに咬まれた少年」が髪にさしている薔薇の花の意味を探るうちに、それがミケランジェロの寓意画に通じ、ロンサールやマリーノの詩に通じ、ブロンズィーノ、ボッティチェルリ、ティツィアーノと共有され、それがギリシャから古代オリエントにまで遡ることを知った。私は一つのイメージが個人を超え、時代を超え、洋の東西を超えて、いわば普遍的な象徴となって人類に共有されているのを知った。これを予感したとき、私はあえて境界をはずすという危険を冒そうと心に決めたのである。
 従って私の第二の意図は、人類がつくり出したイメージの普遍性を探ることにあった。」

「第I章では、錬金術の思想が美術に及ぼした影響について一六世紀の画家パルミジァニーノの作品に基づいて論じた。錬金術においては薔薇がきわめて重要なシンボルをになっている。私は秘教的図像について研究の一端を開いたつもりである。第II章では、ボッティチェルリの「春」「ヴィーナスの誕生」を中心にして、ルネサンスにおける女性のイメージを古代のそれと結びつけることを試みた。第III章では、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画における植物の象徴的意味について考察し、レオナルドの着想において植物がいかに重要な役割をはたしていたかについて私見を述べた。第IV章と第V章では、今まで美術史において論じられることのなかった「庭園」の図像について何らかの寄与をなしたつもりである。第VI章では、ルネサンスにおける西洋と東方との交流について花のオーナメントを中心にして論じた。一八世紀のシノワズリーや一九世紀のジャポニスムについては研究が盛んであるが、中世からルネサンスにおける東西の交流については、今よりのちますます研究が行なわれるであろう。第VII章では、日本にある花のイメージが世界文化と共有されるものであることを論じた。日本美術の中の国際性の発見が、私にとって最も魅力のあるテーマであった。第VIII章からX章までを、私はグロテスクの思想を論ずることに費した。グロテスクが単なる装飾ではなく、一つの思想をもった芸術様式であることを論じたつもりである。第XI章は、もっとも独立した論文に近いもので一七世紀における静物画の成立とそのシンボリズムについて論じている。第XII章では、紋章における花のシンボリズムについて論じた。同時にこの論は紋章を芸術の重要なジャンルとして認めようという意図を持っている。第XIII章は、反古典主義的建築空間の系譜について論じた。ここでは幾何学と比例に基礎を置く人文主義的空間の対立物として、植物的空間が存在する、という仮説を提出したつもりである。第XIV章は、一九世紀後半におけるオーナメントの復活について、その文化史的意味を語った。私はここで近代のインダストリアル・デザインの傾向についての批判を行ない、ウイリアム・モリスの思想的意義を高く評価した。主題にはならなかったが、それぞれの章において、二〇世紀のシュルレアリスト、パフォーマンスのアーティストたちが、いかに人類にとって原初的なイメージの復活を試みているかについて論じている。最後に、終章において、私はわが国の「いけばな」の普遍性について試論を行なった。私はそれを、原初のアニミスティックな祭祀から、古代のパフォーマンスを包含する優れた芸術様式であると考えた。また、ここで私はきわめて多くの芸術行動がじつは「残らない」ものであることを指摘したかった。美術館に残存しているわずかな作品は、人類の豊饒な創造力の悠久の流れから漂着した漂着物に過ぎない。」
「以上の各主題を一貫して、花がそれをつなぐ役割をはたしている。花は地球上のどこにも生え、人類のすべてにとって親しく、普遍的なイメージであった。」



若桑みどり 薔薇のイコノロジー 03

































































































若桑みどり 『マニエリスム芸術論』 

若桑みどり 
『マニエリスム芸術論』
 

岩崎美術社 
1980年11月20日 第1刷発行
1989年10月20日 第4刷発行
410p 口絵(カラー)1葉
A5判 丸背布装上製本 カバー 
定価6,000円(本体5,825円)



著者による「あとがき」より:

「私が試みたことは、マニエリスム芸術についての概説を書くことではありませんでした。」
「もしも、バランスのとれた、平明で、わかりやすい十五世紀の作品に比べて、十六世紀の作品が、明らかに異なっており、ことさらに複雑で晦渋であるとしたならば、また、直情的で、演劇的なバロックのそれとも、明白に異質だと感ずるならば、そこには、ルネサンスでも、バロックでもないあるエポックがあったのです。(中略)私の試みたことは、あくまでも歴史の中に存在した固有のエポックを見い出すことでした。
 この本は、そのような意図をもって一九七七年十二月から、一九七九年四月まで、雑誌「心」に連載した論文を、岩崎美術社の御好意によって一冊にまとめたものです。その際、連載中の仮題「マニエリスム芸術試論」を改めて「マニエリスム芸術論」としました。」



本文中図版(モノクロ)多数。本書はのちに「ちくま学芸文庫」版が刊行されています。


若桑みどり マニエリスム芸術論 01


カバーそで文:

「本書の内容――著者「あとがき」より
 私が意図したことは、私自身もまた一個のマリエリスム論をたてることでした。その際私の方法は、第一にマニエリスムの芸術作品のイメージ(形態ならびに色)の持つ「意味」を探ることと、第二はそれらのイメージそのものの根源的な作用を、創造と伝達と、享受のすべてにわたって意味づけることでした。一例を上げるならば、ミケランジェロの「勝利」像は、中世以来のキリスト教的社会の中で、教訓的に構成されてきた、「罪を圧しひしぐ美徳」の図像であり、その根源は古代末期の倫理観から端を発しているということ。しかしながらミケランジェロは、「罪」の首に自己の、「徳」の首に恋人の肖像を当てはめることによって、十六世紀に固有の、新プラトン主義的な精神愛を古い伝統と一体化させたということ。この二点が、図像解釈学(イコノロジー)の方法論によって理解しうるイメージの意味であります。しかし、これらの、特定の文化、限定されたエポックの想像力を超えて、この群像は、普遍的な表現力をもって我々を打つのです。明らかにその歪んだ、ひきのばされた、複合された形態は、かかる思想から産み出されたにもかかわらず、普遍的に「抗争しつつ一体化した二つの力」、「葛藤と対立と、はなれがたい絆」のイメージに共通するフォルムであります。しかも、このフォルムが十六世紀の典範とされ、ポスト・ルネサンスの一群の人体像の伝統となったことを考えるならば、このフォルムはふかくマニエリスムの心に共通するものでありましたし、さらに「対立せるものの一致」を心理的に経験するすべての人間にとって、このフォルムは、狭い意味のサインであることをこえて、ひろく心的葛藤のシンボルとなり得るものでしょう。マニエリスム作品は、いかなる土台から生れ、いかにその他のエポックの作品と異なり、いかにして我々にとって有効なイメージとしてよみがえったか、それが私の主要な関心でした。」



目次:

序章 寓意(アレゴリー)の勝利
――序章の注

第一章 「愛」の寓意について
 一 新プラトン主義の愛の理論
 二 新プラトン主義的「愛」の二つの形式
 三 ブロンズィーノの「愛の寓意」
 四 「愛」を滅ぼす「時」
 五 「時」と「永遠」
――第一章の注

第二章 プシコマキア――内面の葛藤――
 一 美徳と悪徳のたたかい
 二 十六世紀の人体比例論
 三 囚われた体
 四 歪んだ鏡
 五 ずれた消失点(ヴァニシング・ポイント)
――第二章の注

第三章 マニエリストの宇宙
 一 火と水と土と空気の織りなす世界
 二 ミクロコスモス
 三 大地と空の夢想
 四 水と火の想像力
――第三章の注

終章 万物の変貌(メタモルフォーズ)
――終章の注

あとがき
マニエリスム関連年表
主要参考文献
図版目次
索引



若桑みどり マニエリスム芸術論 04



◆本書より◆


「あとがき」より:

「マニエリスムとは、イタリア語の「マニエラ」から出た様式概念です。この「マニエラ」という言葉は、「手法」「様式」という意味で、本来は賞讃の意味も批難の意味も格別には含んでいませんでした。十六世紀半ばに、名高い「芸術家列伝」を書いたジョルジォ・ヴァザーリが、その著作の中で、十六世紀固有の「マニエラ」の定義づけを行ない、ここで始めて「マニエラを知ること」が、「ディゼーニョ(素描)」を知ることと同様に芸術家の必須の条件とされるようになったのです。十六世紀の用語法の中では、「マニエラ」を知るということは、単なる自然の再現を超えて、意識的な美的様式にもとづいて、芸術家が自己の作品を構成する、ということを意味していました。具体的に言うならば、マニエラを知る、とは、第一に、先人の完成させた自然再現の方法を熟知していることであり、第二に、先人の到達した技術、技法に熟達しているということでありました。つまり、古代人のように人体を再現する方法と同様、ルネサンス人の空間再現の理論や解剖学を熟知していること、レオナルドの女性の類型を知り、ミケランジェロの裸体の動作を知り、ラファエルロの構図法を熟知しているということを意味していました。なおかつ、獲得されたこれらの様式を、極限までの名人芸とかつて試みられたことのない綺想にもとづいて再利用すること、これが「マニエラを知る」芸術家の美点でありました。このことは、形体の上においてのみ真なのではなく、その意味においても同じであって、ひとつの形体に、過去においてどのような意味が伝えられてきたかを彼らは熟知していました。古代から中世を経て、ルネサンスに花咲いた図像の長い伝統が、今までにない豊富な意味の束となって、その形体につみ重ねられていたからです。ここから、いわば第三の特徴ともいうべき、具体的なイメージに複合されたいくつもの意味をになわせるという、根本的に象徴主義的な芸術様式というものが、「マニエラ」の芸術の中から生まれてくるのです。
 したがって、一般的には或る文化の集積の極みに、つまり栄えた文化の末に生じてくる固有の性格をマニエリスムは具えていると言ってよいでしょう。(中略)この「マニエラを知る」という態度が、すなわち、自然の再現ではなく、観念を表現することに、比重を置きかえている芸術観を示していたということは共通しているのです。
 十七世紀に入って、美術理論家ジォヴァンニ・ピエトロ・ベローリは、十六世紀の芸術を「自然」にそむき「イデア」についた故に、芸術を堕落させたのである、と批難しました。これ以来、「マニエラ」とは「自然(ナトゥーラ)」の反対概念として、近世の美術批評に用いられることとなったのです。十七世紀から十九世紀における支配的な美術理論が、自然らしさと整合性とをおもんずる新古典主義の上にあったために、マニエリスムは、「マニエラート(型にはまった、わざとらしく人工的な)」という批難の用語となって用いられていたのです。このような芸術観を一変させたのは、十九世紀のロマン派から、象徴主義を経て現代の主観主義的芸術にいたる革新的創造上の体験であって、十六世紀芸術に対する見なおしとその再評価とは、これらの芸術的運動と共に十九世紀末から次第に起こり始め、(中略)芸術史上に占めるその独自の位置が再評価されるようになったのです。」











































































































若桑みどり 編著 『エルンスト』 (25人の画家 現代世界美術全集 第23巻)

「大切なのは、あらゆる理性や、意志を取り去ることなのだ。これらは、他人のものと共有され、汚染されている。彼は、無感覚となり、行動と、思考を停止する。彼は、芸術家の「受動性」を主張する。」
(若桑みどり 「評伝 ダダ・ロプロプ・アリアス・エルンスト」 より)


『エルンスト』 
編集・解説 若桑みどり

25人の画家 現代世界美術全集 第23巻

講談社 
1981年12月22日 第1刷発行
133p(うち図版80p) 
31×23.4cm 
角背紙装上製本 本体カバー 貼函 
定価2,800円
装幀: 蟹江征治



「25人の画家」シリーズはのちに新装版が出ています。


エルンスト 25人の画家 01


目次:

作品

評伝 ダダ・ロプロプ・アリアス・エルンスト (若桑みどり)
一枚の絵 「ロプロプは……を紹介する」 (若桑みどり)
図説・エルンストの生涯 (撮影: 熊切圭介)
エルンストの言葉 (訳: 若桑みどり)
作品解説 (若桑みどり)
年譜
カラー作品リスト
主要参考文献



エルンスト 25人の画家 06



◆本書より◆


「制作と理論との、完全に一致した実験の中にマックス・エルンストは自分の一生を貫いた。彼の意図とは、結局のところ、客観的世界と、主観的世界の境界を取り去ることにある。すべての彼の思想と行動とは、この点から生まれ、この点を目ざして展開した。「省察(せいさつ)と行動の根本的な対立(旧来の哲学的解釈による)は、外界と内界の区別と同じく消滅した」とエルンストは書いている。「まさしく、この点にシュルレアリスムの普遍的意義がある。この対立がないとわかってからは、シュルレアリスムにとって、生のすべての領域が開かれた」。実際のところ、外界と内界の厳然とした区別とその二元論の上に、西欧近世の哲学は築かれてきたのである。この体系の中では、人間の精神と肉体、主観と客観、感覚と理性、知覚と思考は対立しあうそれぞれの領域の中に弁別されてきた。この弁別は、西欧近世社会の社会組織や習俗のあらゆる部分にまで浸透し、人々の行動と存在の形式をさえも決定してきた。(中略)人間の理性的行動なるものの多くは、実のところ、形をととのえた欲望にすぎないのだということ、思考の多くは、身体の条件によって歪曲され方向づけられていること、知覚とは主観に他ならないことを自覚するならば、人間の理性と思考の正当さへの絶対の信仰の上に築かれた社会は、カオスとなって崩壊するほかはなかっただろう。すべての体制、すべての習俗と制度、生の形式たとえば家族の愛やモラルのはしばしまでもが、ことごとくその理念の限定を受けて発達し、硬化してきたのである。」
「エルンストの芸術的行動は、破壊によって始まったが、その破壊は、第1次世界大戦という、近代史最大の集団的狂気が惹き起したものである。」
「「立体派は絵画の流派だった。未来派は技巧の運動である。しかしダダは、心の状態なのだ」とブルトンは書いている。「ダダは、反逆することによって、無知や、悪習と対抗する。ダダは、無に献身する。愛しもしないし、働きもしない。人類史に足跡を残そうとも思わない。ダダによってのみ、我々はすべての制約から逃れて自由になる。我々は、モラルについても、よき趣味についても、すべてのドグマを中断する」。フーゴー・バルによれば、ダダの意志とは「戦士の姿勢……偽りの道徳に対する公の死刑執行」であり、最もふさわしい行動とは「街に行って、群集に向かって発砲すること」(ブルトン)である。なぜなら、「国家」は、やさしい青年たちに対して、かかる愛国的行動をさせ、互いに死に至らしめたのではなかったか。資本主義社会の論理とはこのようなものである。」
「「闇の中の一筋の光」と彼はそれ(引用者注: ダダ)について書いている。「ダダは、1919年にケルンにいた我々にとって、何よりもまずモラルの上での反逆だった。……我々は、愛国的な芝居の上演に反対した。……我々の激怒は、すべてのものの引っくり返しをねらっていたのだ」。「5年間の恐るべき、愚かしい戦争は我々を打ちのめした。我々は、それまで正しく、美しく、真理であるとして与えられてきたすべてのものを、ばかばかしい、恥ずべきものとしてくつがえすことにした」。「わたしは、人に咬みついてみるために芸術品を作ったのだ」。実際にエルンストが、1920年に開いたダダ展(というよりはむしろスキャンダラスなデモンストレーション)のおかげで警察に捕まったとき、父親は手紙で「わたしはお前を呪っている。我々の名をおまえは恥ずかしめた」と罵った。それはエルンストにとってまさに思うつぼであっただろう。なぜなら、彼の「有史前」の記憶は、父親のおしつける「圧制と暴君ぶり」つまりそれは良識とかモラルとかいうものだが、それに対する反抗で貫かれており、それは父親の描いていた「自然主義的な」あるいは「敬虔な」絵へのおさえつけられた敵意にまで及んでいた。彼は、大戦によって、この父親――古きヒューマニスムの教養とモラル――から脱走することができたが、彼の個人的体験の真実さと普遍性は、彼のこうしたプロセスがまさに20世紀の人間的苦悩と覚醒の道を歩んでいたせいである。」
「一体なぜ、エルンストはその幼時体験をかくも重視するのか? それは、人が人となったときに、人はどのような「自由」も持っていないことを、つまり、自覚されたときに人は、もはや白紙の上のイメージなど持ち得ないことを、理解しているためである。彼は幼年時代がイメージのジュラ紀であることを知っており、一生の間、我々がこの地底の層からイメージの火花を散らす石油を供給されることを自覚していたからである。「固定してしまった記憶の領域から解放され、新しく、かつ広い経験の領域を求めるため」に、彼は、自分の心の意識のおく深くにあるものがあらゆる呪縛から解き放たれて、そのまともな、(グロテスクな)姿を現わす時を待つ。「その新しい経験領域では、内界と外界との境界はなくなり、やがて完全に滅び去るだろう」。大切なのは、あらゆる理性や、意志を取り去ることなのだ。これらは、他人のものと共有され、汚染されている。彼は、無感覚となり、行動と、思考を停止する。彼は、芸術家の「受動性」を主張する。芸術家は、自分の作品の生まれることに立ち会うにすぎない、と彼は考える。「創造活動」という伝説的な言葉は、彼を身ぶるいさせる。(中略)「受動的」である、ということは、さし当たって、すべてのおしつけがましい外皮を取り去って、「内なるモデル」すなわち、内界と外界との境い目に住む、現実と非現実の間にある真実の体験が名のり出てくるのを待つためである。そうとすれば、この「待つ」という受動性こそ、芸術の制作にあたっての、個人の全面的な真の「参加・活動」を意味するのではないか? なぜならば、そこでは理性や美的感性、意識のみが働くのではなく、その他すべての原存在が、そのことばにならぬうめきを発してくるにちがいないからである。」



エルンスト 25人の画家 02


エルンスト 25人の画家 03


カラー作品リスト:

1 手の中の帽子、頭の上の帽子(街の中の恋人たち)
2 ラン
3 無題
4 パリの街路
5 長い経験の結実
6 氷の風景、女の体から成る氷柱(つらら)と石
7 砂利の中の女主人
8 セレベスの象
9 水に沈んだもの
10 聖女チェチリア
11 人はそのことについて何も知らない
12 ぐらぐらする女
13 透き通った最初の言葉を聞いて
14 ナイチンゲールに脅かされる2人の子供
15 自由の讃歌
16 ピンクの鳥たち
17 W. C. フィールズを紹介するロプロプ
18 10万羽の鳩
19 ラオコーン、父と子
20 男と女の敵、あるいは男と女の最良の友
21 2人の若い娘と帳桿で身を固めた猿
22 籠の中の鳥
23 森
24 シュルレアリストのメンバーを紹介するロプロプ
25 人を作るのは帽子だ
26 人の姿
27 海辺のスペイン夫人
28 麦芽のある風景
29 都市の全景
30 ニンフ・エコー
31 飛行機取りの庭
32 麦芽のある風景
33 香りのない森
34 生きる喜び
35 マルレーヌ(母と子)
36 魔法使いの女
37 シュルレアリスムと絵画
38 アリズナの風景
39 沈黙の目
40 トーテムとタブー
41 第二「雨」後のヨーロッパ
42 聖アントニウスの誘惑
43 残酷な緑色
44 コロラド
45 1万人の輝く赤の肌をした人々が雨を笑わせようとする
46 ひとつの気質を通して見た眺め
47 カクテルを飲む人
48 3本の糸杉
49 非ユークリッド的な蠅の飛翔に好奇心をそそられている若い男
50 女王と遊ぶ王
51 フンボルトの流れ
52 タンギーへの讃美
53 20世紀
54 最後の森
55 私は女、あなたは男、われわれは共和国か?
56 赤い太陽
57 平和、戦争、ばら
58 悲しき紳士
59 海と太陽
60 美しき女庭師の帰還
61 聖所
62 サン=シュルピス
63 生き残ったもの
64 布置
65 そして蝶たちは歌い始める(『百頭女』第8章3)
66 ジョルジュ・リブモン=デセーニュ (『兵士のバラード』 XXXIV)
67 『慈善週間または七大元素』 (第5のノートより)
68 『慈善週間または七大元素』 (第1のノートより)
ケース図版 戦う魚



エルンスト 25人の画家 04


エルンスト 25人の画家 05




こちらもご参照ください:

ローター・フィッシャー 『マックス・エルンスト』 宮下誠 訳 (パルコ美術新書)
































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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