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アーノルド・ハウザー 『マニエリスム』 若桑みどり 訳 全三冊 (美術名著選書)

「コペルニクスが、地球を宇宙の中心から周辺へと追いやったとき、彼は人間から、被造界の中心的地位を占めているのだという感覚を奪い去ってしまったのである。被造物の王は、ただのつまらぬ一遊星に追放され、あわれな傍観者になりはてたのだ。」
(アーノルド・ハウザー 『マニエリスム』 より)


アーノルド・ハウザー 
『マニエリスム
― ルネサンスの危機と
近代芸術の始源』 
若桑みどり 訳

美術名著選書

岩崎美術社 
1970年9月10日 第1刷発行
上: 1990年2月10日 第8刷発行
中・下: 1990年4月20日 第7刷発行
628p(上223p/中187p/下218p)
図版149p(中)/10p(下)
図版目次 13p(中)/1p(下)
人名索引・参考文献 17p(下)
著者・訳者略歴 各巻1p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価 4,120円(上・下)/5,150円(中)



Arnold Hauser: Mannerism, 1965
全三巻。別丁モノクロ図版計322点。


ハウザー マニエリスム 上


上巻 目次:

序言

第一部 総論
 第一章 マニエリスムの概念
  第一節 再発見と再評価
  第二節 古典主義的様式のはかなさ
  第三節 ルネサンスの危機
  第四節 マニエリスムの定義
  第五節 マニエリスムの統一性
 第二章 ルネサンスの崩壊
  第一節 反古典主義
  第二節 反自然主義
  第三節 近代的人間の誕生
  第四節 マンネリズムかマニエリスムか?
  第五節 マニエリスムとその批評
 第三章 科学的展望の起源
  第一節 コペルニクス的革命
  第二節 ケプラーの八分
  第三節 流動する自我
  第四節 顛倒した宇宙
 第四章 経済的・社会的革命
  第一節 近代資本主義の抬頭
  第二節 世界的勢力としての金融資本
  第三節 イタリアの経済的危機
 第五章 宗教運動
  第一節 予定説
  第二節 農民戦争
  第三節 プロテスタンティズムと資本主義
  第四節 宗教改革と反宗教改革
  第五節 トレント宗教会議
  第六節 カトリック改革運動
 第六章 政治の自律性
  第一節 マキァヴェルリのコペルニクス的革命
  第二節 道徳の二重規範
  第三節 政治的現実主義の理論
  第四節 イデオロギーの理論
  第五節 二元的道徳性と悲劇
 第七章 マニエリスムの基調としての疎外
  第一節 疎外の概念
  第二節 マルクスの疎外の概念
  第三節 社会からの疎外
  第四節 制度化の過程
  第五節 疎外された世界の芸術
 第八章 疎外の心理としての自己愛(ナルシシスム)
  第一節 社会学と心理学
  第二節 自己愛と自己観察
  第三節 自己愛の典型
 第九章 悲劇と諧謔
  第一節 古代および近代の悲劇観
  第二節 中世と悲劇
  第三節 近代的悲劇の誕生
  第四節 諧謔の発見



ハウザー マニエリスム 中


中巻 目次:

第二部 歴史
 第一章 イタリアにおけるマニエリスムの歴史
  第一節 序論
   マニエリスムの予兆と先駆者、マニエリスムとバロック
  第二節 盛期ルネサンスにおける潜在的マニエリスム
   ラファエルロとその画派、ミケランジェロと後継者たち、アンドレア・デル・サルトとコレッジオ
  第三節 マニエリストの第一世代
   第一期 ポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノ、ベッカフーミ
   第二期 ブロンズィーノ、パルミジァニーノ
  第四節 盛期および後期マニエリスム
   盛期 ヴァサーリのアカデミスム、サルヴィアーティ、ローマ・フィレンツェのモニュメンタルな様式
   エミリア・ボローニャ画派。プリマティッチォ、ニッコロ・デルアッバテ、ベルレグリーノ・ティバルディ、レリオ・オルシ
   ヴェネーツィアのマニエリスム。先駆者たち、ティントレット、ヤコポ・バッサーノ、パオロ・ヴェロネーゼ
   後期 ツッカリ兄弟とその画派。バロッチ、最後のマニエリストたち、マニエリスム、バロック、古典主義

 第二章 イタリア以外の国々のマニエリスム
  第一節 フランス
   フォンテヌブロー派、彫刻家たち、ジャック・ベランジュとジャック・カロ
  第二節 オランダと後期国際的マニエリスム
   一五二〇年のアントワープのマニエリスト、ブリューゲル、ハーレム及びユトレヒト画派と後期国際的マニエリスム
  第三節 スペイン
   エル・グレコとマニエリスムの絶頂

図版
図版目次



ハウザー マニエリスム 下


下巻 目次:

第二部 歴史
 第三章 美術および文学におけるマニエリスム
  第一節 文学史におけるマニエリスムとバロック
   視覚芸術に固有の形式概念を文学に移行させることについて
  第二節 マニエリスム建築の空間概念
  第三節 創造の媒体としての言語
   暗喩(メタフォル)、暗喩主義(メタフォリスム)、綺想(コンチェット)
 第四章 ヨーロッパ文学におけるマニエリスムの代表作家
  第一節 イタリア
   ペトラルカ主義、ミケランジェロ、タッソー、マリーノ
  第二節 スペイン
   ゴンゴラ、セルヴァンテス、カルデロン
  第三節 フランス
   モンテーニュ、モーリス・セーヴ、ロンサール、ロベール・ガルニエ、ジャン・ド・スポンドと後期抒情詩、マレルブ、古典主義・ラシーヌ
  第四節 イギリス
   マーロウ、シェイクスピア、形而上派詩人たち

第三部 現代
 第一章 序論
  周期性と形式学、現代およびルネサンスにおける文化的危機
 第二章 ボードレールと審美主義
  ボードレールとロマン主義運動、仮構の生(ヴィー・ファクティス)、世紀末(ファン・ド・シエクル)
 第三章 マラルメと象徴主義
  純粋詩、象徴の言語の理念、芸術の秘密、マラルメの暗喩主義(メタフォリスム)
 第四章 超現実主義(シュールレアリスム)
  超現実主義(シュール・レアリスム)と心理分析、“テロリスト”と“修辞学者(レトリシアン)”ピカソ、第二のリアリティー、小説の非心理化、時間及び空間の映画的概念、モンタージュの技巧
 第五章 プルーストとカフカ
  プルースト的暗喩、時間の新しい概念、プルーストのナルシシスム、プルーストとカフカにおける疎外、その無神論、カフカの官僚機構についての概念、夢、象徴(シンボル)、寓喩(アレゴリイ)、譬喩(パラブル)及び暗喩(メタフォル)

訳者後記

図版
図版目次

参考文献
人名索引




◆本書より◆


「第一部 第一章 マニエリスムの概念」より:

「黄金時代は、人類のあこがれである。歴史のなかに幸福な瞬間はあるが、幸福な時代はない。一般に調和的で、矛盾がないと考えられている時代にも、不安と恐怖がゆきわたっていたということがわかる。そして、その時代に生きていた人々はそれに不満でなかったばかりでなく、それ以外ではあり得なかったのだ。しかし、ルネサンスをその前後の時代と比べるなら、この時代はたしかに、平穏で、生を肯定し、そして自信にみちていた。(中略)中世的規律と、キリスト教的な生の享楽の制限の後に、もっと自由で陽気な人生観があらわれ、それによって個人はいまや教会の拘束から比較的独立し、自由になり、自己の能力を自覚するようになっていた。ヒューマニズムと、ルネサンスの危機は、このような自由さと軽薄さに対する反動であった。生の悦びと調和感は、懐疑によってその土台をうちこわされた。この懐疑は、真に堅固でもなく、確実でもなかったルネサンスの楽観主義の下のどこかにいつもひそんでいたのである。晩年のミケランジェロの、ルネサンスの世俗性に対する劇的なたたかい、または、ガリレオがアリオスト風の快活さや自信や分別がないことを惜しんだタッソーのあの憂欝さ、あるいはルソーが有名にした、『解放されたイエルサレム』のなかの美しい詩句にみられる彼の苦悶のほとばしりは、そのあらわれの一端にすぎない。
  “おそろしきはわが身ならむ。
  わが身よりたえずのがれつつも
  のがれいずるすべはなし。”
 軽妙で穏和なロンサールすら次のように歌っている。
  “ああ、われ神々にまじわりて生きることなく、
  おのが身にもいとわしき人たらむ。”
 地上に神の楽園を夢みるルネサンスの夢は終った。西欧の人間は、“おそるべき秩序顛覆”を経験した。そして古典古代、中世およびルネサンスがうちたてた世界像は崩壊したのである。」
「生と歴史の哲学としての反ヒューマニズムは、美術では反ルネサンスとなって現われた。この傾向は非常に優勢であったから、もしもこの運動の独立した積極的な性格を強調することを望まず、また“マニエリスム”という呼称が、これにとって代われるほどしっかりと確立していなかったとするなら、美術のこの傾向を“反ルネサンス”とも呼ぶことができたであろう。」

「パラドックスというという観念は、マニエリスムのほとんどの現象を包括する定義の土台となりうる。」
「マニエリストの作品は、つねに妙技(ブラヴーラ)を誇示する作品であり、勝ち誇る奇術師のトリックであり、飛び散る閃光と色彩の花火細工である。このような効果は、本能的で、素朴に自然で、合理的なものへの挑戦である。その反対に、鎖の中の目に見えない、失われた環を求めて、晦渋な、疑わしい、あいまいな、不確定な表わしかたに力点をおくのである。」
「パラドックスとは、一般に両立せぬことがらの結合を意味する。しばしばマニエリスムに貼られる“調和せる不調和(ディスコルディア・コンコルス)”のレッテルは、疑いもなくマニエリスムの本質的な要素をあらわしている。しかし、マニエリストの作品を作り上げている矛盾する諸要素を、単なる形式のあそびと見なすことは皮相であろう。この矛盾は、生そのものの矛盾を表現し、またすべての人間的なものの態度の二律背反性を表現しているのである。つまり、この矛盾は、マニエリスムの世界観全体にひそむ弁証法的な原則をあらわすものなのである。これは(中略)すべてのものが、大なり小なり、常に曖昧であるということ、何ごとにもあれ、それについて確実なことを知るということは不可能なのだ、という考えからきているのである。そのために、すべての精神的産物は、たわむことのない緊張の世界、互いに排除し合い、しかも互いに結びついた対立物の世界に住んでいるのだということを示しているにちがいないのだ。この世界には、何ひとつとして絶対的な存在はないのだから、あらゆる現実のその反対もまた現実であり、真実なのである。すべてのものが、極端な対立として、表現されている。そしてただ、この対立物からなる逆説的な一対だけが、意味を伝えることができるのである。(中略)そのことは、真理は本質的に二つの面をもっているということを意味し、現実は両面神(ヤーヌス)の顔をしているということを意味し、また真理と現実とに忠実であろうとすれば、あらゆる単純化をさけ、事物をその複雑性のままに受入れなければならないということを意味しているのである。」



「第一部 第二章 ルネサンスの崩壊」より:

「マニエリストにとって、芸術の意義と目的は、何ごとか現実ではない現実、現実ではあり得ぬ現実を作り出すことにある。しかしながら、彼らはルネサンスやバロックの様式的理想とは違って、現実をより高貴な人間の、あるいは超人間の水準にまで高めることを願いはしなかった。彼らはむしろ、自然と、超自然との中間の世界を創り出そうと試みたのである。それは、平凡な現実の中ではとても受け入れることのできないものが、ことごとく正しいものになるような世界、あるいは、少なくとも、それらが変形され、歪められて、一つの人為的な秩序に従わせられるような、純粋に幻想的な世界であった。マニエリストにとっては、芸術の形式は、自然模倣の手段でもなければ、自己表現の手段でもなく、理想化や、様式化の方法でもなかった。むしろそれは、彼らに疎外を感じさせ、しばしば疑いにみちたものに見えるこの世界から逃避するための道具であり、この世界を拒み、無視することによって、どうにかこうにか、この世からぬけ出し、夢のごとき昇華へと、あるいはまた陽気な遊戯へと乗り入れるための乗物だった。」
「マニエリストの眼には、芸術の魅力はまさに、芸術の自由さと現実との間の緊張にあり、経験の客観的法則を破って、その代わりに彼ら自身のつくったゲームのルールをもってくることにあった。彼らの目的は、外界の現実よりも内面に注意を集中して、この世界を彼らの内的要請に従わせるということではなくて、むしろ、あらゆる客観性の確実さに対して疑いを投げかける、ということであった。この時代は、事実の明瞭さに対する確信を失い、また現実性に対する感覚も失ってしまった。実在と外観、経験と幻覚、客観的叙述と主観的幻想の境界線は、次第に不明瞭になっていった。そして、現実のもっとも客観的な描写さえもが、精神の産物であるように思われはじめ、それはある程度虚構であり、幻覚であって、幻想や夢や、仮想や芝居の世界から絶縁しているのではないかのように考えられはじめた。これらのことはみな、単に、個々の人間の自分の主観的な可能性についての意識や、単なる客観的現実に対する無関心な態度にのみ帰せられない。それは客観的現実に対する欝憤、客観的現実に服従したり、これと妥協したりすることへの嫌悪の情に帰すべきである。
 マニエリスムの非自然主義的特質は、その芸術的創造の源泉が、自然ではなく、すでに、そこから作り出されていた既成のものであったという事実にも示されている。換言すれば、マニエリストは、自然よりも芸術作品に鼓吹されるところが大きかった。また、芸術家としては、彼らは自然現象ではなくて、芸術作品の影響をこうむったのである。絵画は、画家の自然観察以上に、ほかの絵画に負うところが大きいというヴェルフリンの言が、ここほど正しく証明されたところはない。(中略)マリーノは、剽窃について次のようにあからさまに告白している。“私は、ときどき、古いものに、新しい形を与えたり、古い手法に、新しいものを着せたりして、先人を模倣しただけだった、ということを否定しない”。マニエリスムが派生的であって、自然からではなく、他の芸術の様式から霊感を得ているということを認めるに、何のためらいもいらない。しかし、そのことは、けっしてその価値を減じることにはならないのである。マニエリストと、彼の自然体験との間には、つねに芸術作品が介在している。しかし、それは、彼と、彼自身の作品の間に何ものかが介在しているということは意味しない。彼と世界との関係が、いかに間接的であるにせよ、彼と、彼自身の作品との関係は、直接であり、密接である。」
「彼らは、現実の直接の体験から逃れるのとまったく同様に、しばしば、それに惹きつけられもしたのであった。夢は、幻影と現実性の混交という、マニエリスム的な生の感覚を、完璧に要約している、マニエリスム気に入りの主題であるばかりではない。夢が、具体的な事象相互の間に作りあげる抽象的な結びつきは、そのまま、マニエリスムの根本的な様式原理でもあるのだ。奇抜で、非現実的で、幻想的な骨組のなかで、しばしば細部は、異様な鋭利さと、極限のリアリズムによって表現されている。この点で、マニエリスムの構造は、夢のそれと、非常な近似性をもっているのである。」

「近代への諸条件を創り出したのは、ルネサンスの崩壊であって、ほとんどつねに考えられているように、ルネサンスそのものではない。ルネサンスの古典的時期における人間は、まだ過去の人間であり、古代と中世の継承者であって、全体として、近代の精神的危機や、その矛盾せる目的と価値との影響をこうむってはいなかった。ルネサンスは、まだほとんど伝統主義を守り、キリスト教教義の言葉で考えたり、感じたりしており、文化的には権威主義に支配され、経済的には、中世的勢力に支配されていた。実際に、ルネサンスはまだ中世に属していたのである。(中略)“近代性”なる定義は、十六世紀の古典期後期にのみ用いるのが正しい。近代的世界は、中世とルネサンスの廃墟の上に(中略)建てられたのである。」

「あるときは羈絆に対して反逆し、あるときは自分で自分をしばりつけつつ、絶えまなく反抗と伝統固守の間をゆれ動く、近代個人主義の問題にみちた特質は、マニエリスムの産物である。」



「第一部 第三章 科学的展望の起源」より:

「封建社会の秩序と、教会の教義とがその絶対の権威を失ったとき、宇宙についての同心円的中世的図式は、プトレマイオスの体系によって支持されるようになった。だがそれさえもがまた崩れ落ちたとき、人間に、確信を与え、世界における安全を保証しているかに見えたすべての構造が倒壊してしまった。コペルニクスが、地球を宇宙の中心から周辺へと追いやったとき、彼は人間から、被造界の中心的地位を占めているのだという感覚を奪い去ってしまったのである。被造物の王は、ただのつまらぬ一遊星に追放され、あわれな傍観者になりはてたのだ。天体は、もはや地のまわりをめぐらなかった。いまや地球が、広大な、見知らぬ天空に散らばっている無数の小さい星の一つとなって、太陽のまわりをめぐるのだ。」


「第一部 第七章 マニエリスムの基調としての疎外」より:

「自己の現実性と、自己同一性についての疑いは、この時代の文学の主要なテーマの一つである。(中略)シェイクスピアの登場人物たちは、この問題に没頭している。彼らは絶えず自分が何者なのか、ほんとうに見えるとおりのものなのかどうかをいぶかっており、また絶えず自分たちの意識が変わったり、ゆがんだり、非現実な形になったりすると表白している。」

「ドン・キホーテの数々の冒険や災難の中でもっとも胸をうつのは、彼が、いつも魔法使いたちが彼を魔法にかけようとしたり、罠やいんちきを彼に仕掛けようとしているのだといっているのに、じつは彼の冒険がまったく魔術とかかわりのない、醒めた、冷静な、懐疑的な世界、もはや魔法使いも存在しなければ、それを信じているものもいない世の中で行なわれているという事実である。」
「この小説に普遍的な展望を与えているものは、このように魔法から醒めた、冷静な、合理的な世界の中で、ひとたびは人間の最高の理想であった騎士道と勇気とが、単なる愚行と狂気の沙汰になり終った、という事実である。それゆえにこそ、われわれは、騎士道と勇気の擬人化であるこの主人公の中に、あるときはまったくの狂人を、そしてあるときは勇気と純真さの象徴をみるのである。
 いかなる角度からこの人物をみるにもせよ、マニエリスム文学のすぐれた人物像がほとんどそうであるように、彼は謎めいた性格の持主である。それは単に、彼の性格が逆説にみちているということや、さまざまに異なった現実度をもつ世界の中を動きまわっているということばかりではなく、彼の性格が読者をたえずはらはらさせ、また彼が他のどんな作中人物よりも細心におのれの秘密を守りとおしているからである。このような神秘性は、マニエリスム美術の主要な特徴の一つだ。」



「第三部 第五章 プルーストとカフカ」より:

「疎外感はカフカとプルーストを結びつけるもっとも強い糸であり、同時に彼らの持つマニエリスムとの類縁性の中の最大の因子である。プルーストにおいて、疎外はそのナルシシスムと嫉妬との愛の専制力を別とすれば、その時間概念、過去への逃避、言い換えれば、「失われた時」と彼が名付けるすべてのもの、すなわちそれ自体を目的とする過去の探求の中にもっとも顕著に表われていた。けれども、それは彼にいつもつきまとっている罪障感の様々な結果の中にもっとも強烈に表明されている。罪障感の原因は無数にあるだろう。エディプス・コンプレックスとか同性愛とか、決まった仕事ができないこと、内攻的性癖、世の中への無関心、愛の欠如、そして最後に、自分の周囲と自分の内部にあるすべての幸福を壊さなければならないのだと信じている彼の不幸な性向、などであろう。とはいえ、プルーストが、自分が心を砕かねばならぬ一切のことは、人生を作品の生々しい素材に使うことだと理解し始めたのは、祖母の死後、アルベルティーヌの失踪の後であった。その時彼は、自分が他人から遊離していることに薄々気がつき始め、人生の中での唯一の関心事は、おのれの「心」の探索であり、おのれの感情の記述と測量であり、危機的な人間の状況を無償で実験すること、生を精神上の軽業のための実験所か練習場と考えることだということを、徐々に理解し始めたのだった。
 プルーストの罪障感と疎外感の原因がどんなに夥しいとはいえ、普通それらは無意識の中に抑圧され、したがって病理学的な形態をまとって、精神分析によってしか理解できない徴候となって、屈折した発顕がなされるのである。表面では、それらは一見して楽観主義的な信念によって宥和させられるものだ。たとえば、回想によるとか、過去と自分自身の再捕捉によるとか、報い多く実り多い芸術創造の過程によっての救済である。プルーストの世界は暗いヴェールに覆われてはいるが、カフカのような救いがたい絶望に満たされているわけではない。よく引用されるマックス・ブロートとの対話の中でカフカは語っている。「われわれの世界は神の不機嫌、悪い一日に過ぎないのだ」「それじゃ、われわれの知っているこの世界の外へ行けば希望がありもするのだろうか?」とブロートが応えるとカフカは微笑んで「希望はたっぷりあるさ、お望みなだけの希望が。ただわれわれのためにではないのだ」と答えたのだった。」



































































































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若桑みどり 『イメージの歴史』 (ちくま学芸文庫)

「科学(客観性と実証性にもとづく知)の名のもとに、黒人や女性の生物学的劣性が「証明」されてきた事実を見るならば、そのような科学的客観性そのものの信憑性を疑ってかかる必要が生まれる。」
(若桑みどり 『イメージの歴史』 より)


若桑みどり 
『イメージの歴史』 

ちくま学芸文庫 ワ-4-4

筑摩書房 
2012年3月10日 第1刷発行
434p 索引vi 
文庫判 並装 カバー 
定価1,500円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 間村俊一
カバー写真: アルテミジア・ジェンティレスキ「ユーディットとその侍女」


「本書は2000年3月20日、放送大学教育振興会より刊行された。」



長らく入手困難だった2000年度放送大学講義テキスト『イメージの歴史』ですが、本書では、従来の「美術史」が「植民地主義」的な、「白人男性」中心の視点に立った非常に偏ったものであったこと、また、「パラダイム」(各時代に固有の思考の枠組)の変化によって、現在、歴史を全く違った角度(マイノリティの視点)から見ることが可能になったこと、そしてたとえば「公共彫刻」のようないわゆる芸術作品のなかにも、特定のイデオロギーによって方向付けられたものがたくさんあることが論じられています。


若桑みどり イメージの歴史


カバー裏文:

「有名芸術家の名作はもとより、版画や挿絵、広告や記念碑に至るまで、美術作品が、何のために、どのように描かれてきたか――それが「イメージの歴史」だ。ここではさまざまな学問領域を自由に往来し、ポスト・コロニアル的かつジェンダー的な視線で従来の美術史を書き換える。絵画と社会のかかわりや画像の解釈方法などの理論を踏まえ、さらに西欧文化が繰り返し描いてきたイメージにメスを入れ、その精神的・社会的な背景を明らかにする。レイプを描き続けたのはなぜか、新しい政治形態はどのような画像を生んだか――人間の想像力に新たな光を当てる美術史の誕生。」


目次:

まえがき

序――「イメージの歴史」とは
 1 広範な対象
 2 超域的な方法
 3 ポスト・コロニアルの見方
 4 ジェンダーの見方
 5 まとめ

理論編
1――新しい美術史の理論
 1 文化史と社会史のかかわり
 2 イメージの歴史と社会のかかわり
2――イメージ生産の目的
 1 呪い
 2 不可視のものの喚起
 3 表現されたものの権威化・栄光化と永続性
 4 歴史意識の増幅
 5 他者の創出
 6 欲望の喚起または昇華
 7 社会批判
3――イメージ解釈の方法 図像のコード
 1 表象の語法――象徴(Symbol)の諸形式
 2 定型図像のレパートリー――「図像学」
 3 イコノグラフィーの喪失――危機の時代と現代
4――イメージ解釈の方法 表現様式
 1 様式――ものの見方と表し方
 2 総合的な解釈

実践編
5――カノン(正典)の成立 古代社会のイメージと心性
 1 ギリシャ人の社会と政治・文化
 2 カノンとしてのアテナ
 3 カノンとしてのヘラクレス
 4 レイプのカノン
 5 他者の征服
6――中世西欧のイコン 聖母像
 1 もう一つのカノン――肉の否定
 2 エバの身体の特殊性
 3 差別の哲学的起源――二元論
 4 月経と血の呪い
 5 聖母の身体の特権化
 6 第二のエバ
7――ギリシャの復活 ルネサンスの公共彫刻
 1 第一、第二のダヴィデ
 2 女英雄ユーディット――共和国の表象
 3 第三、第四のダヴィデ
 4 ヘラクレスの変貌――メドゥーザの退治
8――女性英雄をめぐる問題
 1 ユーディットとは誰か
 2 「女の力」
 3 教会のなかのユーディット――美徳の寓意と聖母の予型
 4 政治的表象としてのユーディット
 5 男殺しの女
 6 女性画家が描いたユーディット
9――フランス革命と公共彫刻
 1 フランス共和国の表徴――シンボルの形成
 2 マリアンヌ
 3 男性の表象ヘラクレス
10――フランス革命と民衆
 1 民衆と漫画
 2 フランス一九世紀の動乱と民衆の画家ドーミエ
 3 植民地戦争批判の漫画
11――自由の女神 アメリカのイメージ
 1 自由の女神
 2 図像の形成
 3 アメリカの発見と初期の「アメリカ」イメージ
 4 アテナの贈与――西欧の勝利
 5 女性によって表象される国家
12――一九世紀ナショナリズムと植民地への視線
 1 国家的シンボルの大量生産
 2 権力と古代――権威のシンボルとしての古代収集
 3 イギリスとフランスの官展の二極的傾向
 4 アカデミーの古代主題――ギリシャ神話
 5 人類学と身体差別
 6 オリエンタリズム――植民地への視線
 7 有色人へのまなざし
 8 支配の正当化の端的な例――植民地博物館
 9 植民地博物館のデザイン
13――ファシズムのプロパガンダと古代のカノン
 1 第二次世界大戦と全体主義のプロパガンダ
 2 ファシズムの美学――ドイツの場合
 3 ファシズムの美学――イタリアの場合
 4 まとめ
14――二〇世紀の日本 東京の公共彫刻
 1 王様は裸だ
 2 東京都庁の公共彫刻
 3 都庁以外の東京二十三区内の裸体女性像
 4 女性姿態の分類
 5 まとめ

主要参考文献(邦文)
索引




◆本書より◆


「ポスト・コロニアルの時代、つまり今の時代は画期的に新しい時代であり、人類が古代以来伝承してきた歴史の見方、世界の見方に徹底的な変更を迫られる時代である。西欧は中心性を喪失した。したがって、それを支えていた「周縁」も理論上は存在しない。かつての宗主国とかつての植民地は、それぞれの過去を新しく再編された地球の地図の上で自己批判し、再解釈し始めている。そのときにかつての植民地国の知識人たちが重要な役割を果たすことになった。アラビア系のパレスティナ人であるエドワード・サイードは、(中略)「対位法的思考」の枠組みを提案している。それは一言で言えば、物事には相反する二面があるということを理解すること、多様な見方を統合するというよりは互いに響かせあうことが重要だという考えである。」

「実際、すべての時代、すべての社会において、その文化は単一ではなかった、という文化史観にたつことが必要である。多くの場合、既存の文化史、美術史は、その時代の「支配的な」「主流」を記述してきた。しかし、どの社会においても、その為政者や、正統的だとされている宗教や学問とは異なった、周縁の、あるいは下辺の、あるいは表に出ない裏の文化の層をもっている。」


















































































































若桑みどり 『イメージを読む ― 美術史入門』 (ちくまプリマーブックス)

「実際、私は子どものころから子どもらしくなく、暗く、怠惰で、憂鬱な人間で、人びとにきらわれていました。友だちも少なく、孤独でいつもひとりで空想にふけっていたので、家族からも「屋上の狂人」とよばれていました。いつも屋根の上にのぼって空を見ていたからです。」
(若桑みどり 『イメージを読む』 より)


若桑みどり 
『イメージを読む
― 美術史入門』

ちくまプリマーブックス 69

筑摩書房 
1993年1月10日 第1刷発行 
1999年9月15日 第11刷発行 
iii 208p 
B6判 並装 カバー 
定価1,200円+税



本文中図版(モノクロ)67点+4点。

本書は後に ちくま学芸文庫版が出ていますが、プリマーブックス版は本書の姉妹編『絵画を読む』(NHKブックス)と同じサイズなので、内容のアップデートより本棚に並べた時の整合感を優先してこちら(旧版)を購入してみました。学芸文庫版は参考書一覧が増補され、著者による文庫版あとがきが新たに付されています。


若桑みどり イメージを読む


目次:

はじめに
講義にあたって

第一日 ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画について
第二日 レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」について
第三日 デューラーの「メレンコリア1」について
最終日 ジョルジョーネの「テンペスタ(嵐)」あるいは「絵画の謎」について

あとがき
図版リスト
参考書一覧




◆本書より◆


「ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画について」より:

「ところが、私自身の解釈は、また少し別な局面を示しているのです。ちょっとびっくりするような結論ですが、私の考えでは、中景の沈(しず)みかかっているテントがカソリック教会なのです。」
「ミケランジェロがまだ十代のときに、フィレンツェでサヴォナローラという僧侶(そうりょ)が熱烈(ねつれつ)な教会改革の運動をおこしました。彼は物質的な快楽や豪奢(ごうしゃ)をむさぼっている当時の教皇アレクサンデル六世とローマ教会をはげしく攻撃(こうげき)し、その堕落(だらく)への神の刑罰(けいばつ)として、イタリアの滅亡(めつぼう)を予言しました。そして、やがてフランスの軍隊がやってきて国を滅(ほろ)ぼすことを予告し、その軍隊をノアの大洪水(だいこうずい)にたとえました。」
「しかし、サヴォナローラは、一四九八年に、アレクサンデル六世によって火あぶりになってしまいました。」
「ミケランジェロが、法皇庁の礼拝堂においてノアの大洪水(だいこうずい)を描(えが)きながら、サヴォナローラの予言を描いたという推測はなりたつのです。」
「でも、彼はとうていそのことをはっきりということはなかったと思うのです。(中略)いまでも、私がいっていることはあいかわらずある種の人にとっては危険きわまりないことなのです。ある友人は、そういう学説は発表しないほうが無難だ、と忠告したくらいです。ときには、ひとは命がけで描いたり、書いたりしてきたのです。それはいまでも同じことです。でも、たとえ危険があったとしても、真実は追求しなければなりません。いちばん恐(おそ)ろしいのは自分のいっていることが真実ではないということだけです。」

「ミケランジェロのソネットのなかにも、天国にだれがいけるのか、悔(く)い改(あらた)めた罪人(ざいにん)なのか、傲慢(ごうまん)な善人なのか、という意味のものが残っています。彼(かれ)自身もモラルの上では、同性愛など、いろいろ問題が多かったので、公式的な救いの教えでは自分自身とうてい天国へいけないと思っていたふしがあります。」



「レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」について」より:

「まず第一次資料としていちばん基本的な、彼(かれ)の芸術を理解するいちばんのテキストは彼自身でした。もし理解する目さえ持っていれば、偏見(へんけん)さえ捨てれば、レオナルドを理解するのは不可能ではないというのが私の考えです。」
「たぶん彼は自分の考えは同時代の人間たちにはわからないと思っていたのでしょう。」

「彼は手記の中で、どうしてひとつの生命の中にもうひとつの生命が宿り得るのか。妊婦(にんぷ)というのはひとつの魂(たましい)プラスもうひとつの魂だと不思議がっています。ふつうでしたら凡人(ぼんじん)というのはすごくあきらめが早くて、ああこういうものなんだと納得して次へいってしまうものですが、こういう人たちは、まあエジソンの場合もそうだったそうですけれど、こだわる。(中略)レオナルドはその手記の中で、ひとつの霊魂(れいこん)にもうひとつの霊魂がどうして共存できるのか、子どもの霊魂と母親の霊魂とはどういうふうにして交信しているのか、執拗(しつよう)に問題にしている。
 それで母体を解剖(かいぼう)し、胎盤(たいばん)であるとか、へその緒(お)であるとか、それを全部調べあげて横断面に切って、桃(もも)の花の花弁のような血管を出して、これで何が伝わるんだろうとやっていたわけですね。今私たちはそれをおもしろいと思うけれど、夜中に蝋燭(ろうそく)かなんかで照らしながら、妊産婦(にんさんぷ)を切っているというのはかなりすごい状態だったと思います。それで多くの人が彼を魔法使いだと思い、気持ち悪いと思ったのは当然のことなんですが、あえてそういうことをやっていたレオナルドの心の中を思うと非常におもしろい。
 おそらく彼は世間の人から見ると、魔法使いだったり悪魔だったり、冷血の男だったりするでしょう。多くの人は彼には感情がないと思ったかもしれないのです。レオナルドについて書いた人がたくさんいます。レオナルドの心の奥底(おくそこ)が知れない。(中略)けして泣いたことも驚(おどろ)いたことも笑ったこともない人だというふうに、非常に謎(なぞ)めいているわけです。彼の無表情さというのは有名で、彼の日記帳というのが残っていますけれど、だいたいお金の計算だけなのです。およそうれしいとか悲しいとか、彼の感情はいっさいない。」
「死んだ胎児(たいじ)も冷静に観察できたという、それから、生命がどこにあるかということを胎盤(たいばん)を切って調べたという、こういう精神が恐(おそ)らく人びとに非常に冷たい、冷血動物のように見えていたと思うのです。それはあるひとつの見方からすればそうなんですけれども、別の面から見ると大変よく理解できます。彼は人びととちがう眼鏡(めがね)でちがう世界を見ていたのです。そして人びとに自分が何を見てるかをわからせるのを止めただけなのです。」

「この聖アンナのほほえみを見てください。たいていのものはわかっているといっているようにも見えます。すべてを知るグレートマザー(大地母神)というのは地球の神秘を体現しているのです。」



「デューラーの「メレンコリア1」について」より:

「たしかに現代のわれわれでも、ある人が陽気な性格で人好きがよく、仲間にも愛されているのに、ある人は憂鬱で暗い性格であるのはなぜだろうと思います。それにはいろいろその人の育ちや環境(かんきょう)や状況(じょうきょう)が作用しているのは当然ですが、それでももって生れたものがあるのではないかとおもうほど、人の性格はばらばらで変化に富んでいます。」
「感じやすい成長期には、自分自身の性格がいやでたまらない時期があるものです。いまから思うと、私自身、自分の性格でずいぶん思い悩みました。それは、のちに美術史をやって、このメランコリーという性質が、中世以来もっとも不吉で暗い性格だとされていたのに、一五世紀末になって、もっとも天才的で英雄的になりうる性格だと解釈されるようになったということを学んだときに、もっと早くそれを知っていたらよかったのにと思ったほどです。
 実際、私は子どものころから子どもらしくなく、暗く、怠惰(たいだ)で、憂鬱(ゆううつ)な人間で、人びとにきらわれていました。友だちも少なく、孤独(こどく)でいつもひとりで空想にふけっていたので、家族からも「屋上の狂人(きょうじん)」とよばれていました。いつも屋根の上にのぼって空を見ていたからです。もっともそれだからといって、私に天才とか英雄とかの萌芽(ほうが)があったというわけではありません。ただ、私は西欧人(せいおうじん)が、人それぞれの個性をとにかく認めるという哲学(てつがく)をもっていた、という事実を重大なことに考えます。」





こちらもご参照ください:

高階秀爾 『ルネッサンスの光と闇 ― 芸術と精神風土』 (中公文庫)































































































若桑みどり 『絵画を読む ― イコノロジー入門』 (NHKブックス)

「西欧の絵画というものは、西欧という文化の土壌から生まれてくるものであるから、やはり、われわれ自身の芸術とはちがうのである。」
(若桑みどり 『絵画を読む』 より)


若桑みどり 
『絵画を読む
― イコノロジー入門』
 
NHKブックス 668

日本放送出版協会 
1993年3月1日 第1刷発行 
1996年12月5日 第10刷発行 
189p 口絵(カラー)16p
B6判 並装 カバー
定価1,100円(本体1,068円)



本書「まえがき」より:

「本書は、一九九二年の秋から冬にかけてNHK人間大学で放映された『絵画を読む』のテクストを、より充実したかたちに改訂したものである。」
「私は一九九一年の秋に大学の教養課程でおこなった集中講義録をもとにして、『イメージを読む』(筑摩書房)という類書を刊行している。これは副題に「美術史入門」と付してあり、その性格上、きわめて一般的なものである。出版がおくれて偶然に本書と同年になり、また扱った主題もいくつか同じものがある。だが、本の成り立ちから言っても、双方の意図はかなりことなっている。前書が初級用の、本書は中級用の啓蒙書となったと思っている。」
「最後に一つ、ぜひ言っておきたいことがある。たとえいかなる権威ある欧米の学者の説であろうと、ここに示された解釈は読者が自分で作品と取り組むための参考にすぎないということである。」



本文中図版(モノクロ)76点。


若桑みどり 絵画を読む


帯文:

「絵画のメッセージを「読む」
ボッティチェッリの『春』、レンブラントの『ペテロの否認』など、ヨーロッパの名画を12枚取り上げ、そこに描かれたさまざまな図像から作品のメッセージを読み取る、ユニークな人間美術史。」



帯裏:

「絵というものは、その絵の作者が創造したひとつの世界である。一枚の絵の中には、作者の世界像がこめられている。本書では、ルネサンス期を中心に、名画を12枚取り上げ、それぞれの絵がどういう意味を伝えようとしたかということと、その意味がどんな方法で表現されたかというふたつの点を中心に解説する。絵画ファンや美術史専攻の学生のためのイコノロジー(図像解釈学)の格好の入門書である。」


カバーそで文:

「[絵画のメッセージを読む]
ボッティチェッリの『春』、
レンブラントの『ペテロの否認』、
ブリューゲルの『バベルの塔』などの名画に
描かれたさまざまな図像から、
絵画にこめられた、思想や意味を
あざやかに読み解く」



目次:

まえがき イコノロジー(図像解釈学)とはなにか

I カラヴァッジョ『果物籠』~快楽のはかなさ~
 美術の二つの流れ――自然模倣と観念表現
 カラヴァッジョの『果物籠』の意味
 近代の静物画の発展

II ティツィアーノ『聖なる愛と俗なる愛』~愛の二面性~
 花の絵
 二人のヴィーナス
 聖と俗の調和

III ボッティチェッリ『春』~愛の弁証法~
 二人のヴィーナスの主題
 愛の弁証法
 盲目のクピド

IV ニコラ・プサン『われアルカディアにもあり』~死を記憶せよ~
 墓石の銘文「ET IN ARCADIA EGO」
 メメント・モリ(死を記憶せよ)
 ニコラ・プサンによる二つの『アルカディア』

V ミケランジェロ『ドーニ家の聖家族』~父と母と子~
 一定の主題形式のなかに示される差異
 聖家族の主題
 ドーニ家のための聖家族
 聖母の純潔をめぐる二つの説
 背景の裸体像について

VI フラ・アンジェリコ『受胎告知』~神と人の出会い~
 天使とマリアの出会い
 図像学的な問題
 宗教画の役割
 その後の「受胎告知」
 「受胎告知」から「無原罪のお宿り」へ

VII レンブラント『ペテロの否認』~人間の弱さ~
 ペテロという人
 「ペテロの否認」図像の変遷
 レンブラントの二つの作品
 
VIII ブロンズィーノ『愛のアレゴリー』~愛の虚妄~
 一六世紀における趣味の変化――マニエリスムという時代
 寓意を解く
 愛の虚妄

IX ジョルジョーネ『テンペスタ(嵐)』~男性原理と女性原理~
 謎につつまれた主題
 『テンペスタ』のディスクリプション
 「バッコスの誕生」説
 消えた女
 アダムとエヴァ
 寓意的解釈
 秘教的解釈
 さまざまな解釈

X デューラー『メレンコリアI』~自然哲学と芸術の結合~
 複雑な画面
 宇宙論と憂鬱質
 憂鬱の逆転
 オカルト哲学とデューラー
 細部の解釈

XI バルドゥング・グリーン『女の三世代』~老いについて~
 鏡を見る女
 女と死
 時間の経過――老い

XII ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』~文明への警告~
 旧約聖書に記されたバベルの塔
 ブリューゲルの同時代的意味
 細部の世界
 永遠の空

あとがき

美術史略年表
図版リスト一覧
参考文献




◆本書より◆


「カラヴァッジョ『果物籠』」より:

「キリスト教は、自然界の背後に、あるいはその根本に、実際に目に見える世界とは別の、観念的な世界があって、自然の事物はそのより真実で普遍的な観念の目に見える形(表象)に過ぎないという思想を根本としている。したがって、キリスト教美術のなかでは、感覚で捉えられる事物というものは、信頼するに足りない、過つことの多い、はかなくて不確実なものであり、そのような感覚によって把握された世界の奥に、もっと神聖で真実で恒久的な世界が存在するのだから、芸術というものは、そのような真実の観念を表していなければならないという考えが一般的であった。しかし、このような考えはキリスト教にかぎったことではなく、すべての宗教的な、また観念論的な思想、とくに西欧の思想の父であるギリシア思想にも共通している根本的なものの見方である。たぶん、これはわれわれ日本人にとってもっともわかりにくいことであろう。」

「現代に生きているわれわれは、どうしても静物画をただの写生画だと思ってしまいがちである。」
「だが、ともかく意図的に画家が、ただ目に見えたものをありのままに写生することを絵画の目的であると主張したのは一九世紀のことであり、これはやはり歴史的には画期的なことであった。
 この主張を最初におこなった画家は一九世紀のクールベだが、彼は、今日のわれわれから見てごく当たり前のこの主張をつらぬくために、「レアリスム(現実主義)」という主義を標榜して、(中略)アカデミスムと論争しなければならなかった。彼が戦ったのは、ただの写生などは意味がない、絵画はなにか高尚な意味をもっていなければならないと一九世紀にも多くの人々が信じていたためである。事物の背後に不変の真理などはなく、変化や現象を支えている確固不変な原理など存在しないという認識がなければ、「単なる」写生画も生まれなかったのであって、それはそんなに当たり前のことではない。」

「西欧の絵画というものは、西欧という文化の土壌から生まれてくるものであるから、やはり、われわれ自身の芸術とはちがうのである。」



「ティツィアーノ『聖なる愛と俗なる愛』」より:

「われわれの常識とはちがって、西欧の図像伝統では、裸体は純潔、潔白を意味するものであった。」
「したがってルネサンスにおいては、裸体像のほうが精神的な人物を表していた。その場合には、かえって衣服を身にまとうことが物質的なものによって体を覆い隠すことを意味していた。したがって、一五一五年ころに描かれたこの絵のなかでは、衣服を着て地上の財宝にしがみつき、はかない愛を握り締めた女性は世俗的な愛の擬人像であり、裸体で炎を手にした女性は聖なる愛の擬人像であることが理解できよう。」



「ニコラ・プサン『われアルカディアにもあり』」より:

「一七世紀の風景画には、画面の大部分を覆う広大な空がよく描かれる。一七世紀の共通した芸術的特徴をバロック様式と言っているが、バロックは絵画の歴史の上で、「無限」の空間観念をはじめて創造したと言われている。」


「フラ・アンジェリコ『受胎告知』」より:

「予型論(タイポロジー)とは、新約聖書の出来事が、旧約聖書のなかに、さまざまな形で予(あらかじ)め示されているという教義であって、たとえば、エヴァがマリアの予型であり、アダムがキリストの予型であるとする。これによって、本来別個のものであった新約と旧約を意味的に連続させたのであるが、図像学の上で非常に重要な意味をもつことになった。エヴァは最初に労働をした女性であるが、彼女は楽園を追われた後には、糸を紡ぐ姿で表されることが常であった。エヴァは悪魔の誘惑に負けて人類に罪と堕落をもたらしたのだが、マリアはその反対に原罪から人類を救うために選ばれた「第二のエヴァ」なのである。このような思想は『黄金伝説』や、ヴァンサン・ド・ポーヴェの『歴史の鏡』など中世においてさかんに読まれた書物によって広まった。」


「ジョルジョーネ『テンペスタ(嵐)』」より:

「錬金術とは、自然の万物が、四つの元素から成り立っているのならば、人間もこの四つの元素を操作すれば、万物を創造することができる、という考えである。この思想の根底には、人間は神によって「創造された自然」を享受するだけの存在ではなく、みずから「創造する自然」である、という思想がある。ここから錬金術思想によって物質を化学的に変質させ、黄金やその他の貴重な物質、はては不老長寿の霊薬までもつくり出そうとする錬金術師が現れた。これは神学や宗教的教義には反するもので、自然を変革しようとする危険思想であったが、当時の知的な人々を非常に魅惑し、新プラトン主義の重要な要素となっていた。神秘的な自然の力に訴えて自然をつくり替え、新しい自然を創造しようというこのような思想は一般に「秘教哲学(オカルト哲学)」と呼ばれる。一六世紀前半はその最盛期であったが、対抗宗教改革の異端審問がさかんになった時期以降には、この思想はほとんど撲滅され、これを信じる人々は処刑されるか、あるいは秘密の結社をつくって地下に潜ったのである。そのため、ルネサンス思想の要の一つであった秘教哲学は、歴史の表から姿を消してしまった。
 ヴァールブルクやパノフスキー、そしてこの学派のフランセス・イエイツという学者たちが、二〇世紀になってようやくこの思想と文化を掘り起こし、「謎」と言われていたこの作品の多くのものが、このような、いまは地下に埋もれてしまった秘教哲学を表したものではないかという説を出し始めたのである。」



「ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』」より:

「カシュ・ヤーノシュは、『ブリューゲル・さかさまの世界』(大月書店)で、この壮大な構図が、細部に視点を移したときに、まったくことなった様相を見せてくれる、ということを指摘している。いわば労働者の視線、蟻の視線になったときに、人類のこの壮大な工事は、貧しいものたちにとっての言いつくせない労苦、はてのない苦痛にすぎないことが示されているのがわかる。建造物の高さ、巨大さがまさればまさるほど、人間の姿は相対的に卑小にマメ粒のように無力になるのが見える。」
「愚かな権力の誇示のために労働するあわれな人間たち、その無益な事業をブリューゲルはすべて愚行として描いたのではないだろうか。」
「彼自身の宗教的信条がどのようなものであったにせよ、彼はこの主題によって、人間のスケールを無視した巨大建造物に象徴された巨大権力の危険を暗示したのである。この名画の意味するものは、今日いっそう切実なまた普遍的な警告として生きている。」




































































































若桑みどり 『クアトロ・ラガッツィ ― 天正少年使節と世界帝国』

「この世紀は、十六世紀にはじまる、世界を支配する欧米の強力な力と、これと拮抗する異なった宗教と文化の抗争が最終局面を迎える世紀になるだろう。人類は異なった文化のあいだの平和共存の叡知(えいち)を見いだすことができるだろうか。それとも争い続けるのだろうか? それこそはこの本の真のテーマなのである。」
(若桑みどり 『クアトロ・ラガッツィ』 より)


若桑みどり 
『クアトロ・ラガッツィ
― 天正少年使節と世界帝国』


集英社 
2003年10月30日 第1刷発行
2003年12月30日 第2刷発行
550p 
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,800円+税
装丁: 渡辺和雄



本書「エピローグ」より:

「しかし、私が書いたのは権力やその興亡の歴史ではない。私が書いたのは歴史を動かしてゆく巨大な力と、これに巻き込まれたり、これと戦ったりした個人である。(中略)時代の流れを握った者だけが歴史を作るのではない。権力を握った者だけが偉大なのではない。ここには権力にさからい、これと戦った無名の人びとがおおぜい出てくる。これらの少年たちは、みずから強い意志をもってそれぞれの人生をまっとうした。したがって彼らはその人生においてヒーローだ。そしてもし無名の無数の人びとがみなヒーローでなかったら、歴史をたどることになんの意味があるだろうか。なぜならわたしたちの多くはその無名のひとりなのだから。」


本文二段組。
小説ではなく、史料に基づいた歴史書ですが、著者は時々個人的なことを書きます。あと、最後の数行だけ小説風になります。文庫版(二冊本)も出ています。


若桑みどり クアトロラガッツィ 01


帯文:

「「四人の少年(クアトロ・ラガッツィ)の運命は
日本の運命にほかならない」
ローマ、ヴァティカン、ゴア、マカオに取材して八年。
若桑みどりが世界史的視野から日本の歴史を問い直す!
世界帝国の波濤が押し寄せる信長・秀吉の時代、鮮烈に生きた美しい若者達がいた。
遥か世界へと船出した四少年の悲劇の向こうにあたらしい日本が見える!」



帯裏:

「私はずいぶん旅をしてきた。でもこれでほんとうに私がやりたかったこと、知りたかったことが書けた。この主人公は私と無縁ではなかった、ローマの輝く空の下にいた四人の少年のことを書くことは、まるで私の人生を書くような思いであった。なぜならこの四人の少年の運命は日本の運命にほかならないからである。そのことはこの本の最後のページを措(お)かれたときに読者にはおわかりになるであろう。
若桑みどり」



目次:

地図 (世界を行く天正少年使節)

プロローグ
第一章 マカオから大きな船がやってくる
第二章 われわれは彼らの国に住んでいる
第三章 信長と世界帝国
第四章 遙かに海を行く四人の少年
第五章 ローマの栄光
第六章 運命の車輪
第七章 迫害
第八章 落日
エピローグ

謝辞



若桑みどり クワトロラガッツィ 02



◆本書より◆


「第一章 マカオから大きな船がやってくる」より:

「もともと福音書ではキリストはなんどもハンセン病患者を救っている。というのはそのころにはこの病気は不治の病いと思われていたので、また世間の人からとくに嫌われ、恐れられ、隔離され、打ち捨てられていたので、キリストはほかのだれよりもそういう人を救ったというふうに書かれたのである。だから中世からハンセン病病院は教会によって建てられてきた。宣教師がそれをアジアにも建てたのは必然のなりゆきだった。でも日本でそれができたのが、ひとりのもと商人の財産によってだったということはなりゆきではない。だれかがやらなければならないと思わなければなにごともできないのである。」
「しかし、おどろいたことには、一五八三年には、早くも、こういうほんとうの慈善はイエズス会自身によって歯止めがかけられた。日本ではハンセン病患者や梅毒の患者が非常に嫌われていたので、彼らが教会やその病院施設におおぜい集まってきたことで、そういう人たちを忌み嫌う日本人たちのあいだでカトリック教会の評判がひどく落ちたのだと歴史家は言う。
 貧しい人や病気の子供をもった人びとが遠くから来て病院の評判があがったという話は嘘ではないが、そのいっぽうで、カトリック教会全体のイメージが悪くなって、この宗教は病人や貧民のものだからということで、「りっぱな」人たちがよりつかなくなり、大名や武士などの支配階級を改宗させなければ日本をキリスト教化することはできないとする考えからみれば、このような事業が本来の布教に支障をきたすようになったというのだ。」
「これは、ルイス・デ・アルメイダがはじめた慈善の心とはまったくちがうものであった。しかし、本部はこれを認めた。」

「このように、近代以前の社会では、この世で財もなく力もない病人や孤児や寡婦や老人は、いつでも他人への愛と奉仕を本来の仕事としている宗教に救いを求めるほかはなかったし、また宗教は、利益(りやく)や名声を追求する強い人間たちばかりが勝ち抜いていくこの俗世間のなかで、まさに利益も名声も求めず他人への愛ややさしさを与えるものだからこそ、社会にとって非常に必要なものであった。もしそういう集団やそういうことを専門にやってくれる人間がいなかったならば、この世はほんとうに弱肉強食の動物のような世界になって、結局人類は滅びてしまったかもしれない。
 このように他人へのあわれみを教えのなかの重要なものとして、実際にそのような働きをしていた仏教寺院も、戦国時代には、みずからが分裂抗争して衆徒を巻き込む一揆(いっき)や戦争の場となり、戦火に巻き込まれてその慈悲の役割の多くを失ってしまった。」

「前にも書いたように、キリストが基本的に貧しい者のための宗教を説いたということは真実である。」
「仏教では、『日本霊異記』などに書かれているように、「わが重き病いを得しは、殺生の業(ごう)によるゆえ」、つまりこの世で病気になったのは前世で殺生をしたせいだという業の考えがあったので、病人とそれにともなう廃物は、忌(い)み嫌われ、打ち捨てておかれたものとみえる。それでも仏教はそれをあわれむ思想をもっていたはずであったが、このような乱世になり、朝廷が統一権力で仏教的政策を行うことのできた奈良朝などとはちがって、宗派は多く、力は抗争に注がれているとすれば社会福祉は手薄になり、いっぽうではこのような前世の業という考えで病いをみることによって、ある意味ではしかたのないことだと諦めを得ることができたし、そうしなければならなかったのだろう。それゆえにこそ、病いをもつ人や、その家族や親、そしてあわれみぶかい人びとには、キリスト教がほんとうに救いであったにちがいない。」

「(一九九二年に教皇はガリレオに対して教会がまちがっていたことを認めてその名誉回復をした。ガリレオは生きていないが、霊魂は不滅だとキリスト教徒は考えているのでそういうことにも意味が出てくるし、生きているときに迫害されたり、理解されなかったりした人にとっては、死後に名誉回復されるという希望は非常にだいじなことだ。しかし、そういうことが信じられないわれわれは、結局だまって、なにも期待せずにみずからの信じる道を行くしかない)」



「第二章 われわれは彼らの国に住んでいる」より:

「日本の布教を視察したヴァリニャーノは総会長への報告にこう書いている。
 「日本人の性格、風習、挙動は、われわれのそれとははなはだしく異なり、彼らはヨーロッパのほかの諸修道会が有する慣習を受け入れることができない……このことは、われわれの心を日本人の心に、日本人の心をわれわれの心に合致させることが多いに困難であることによって、明白に認められ、証明される。この困難の原因は、ここにあらゆる矛盾があるからである。(中略)もしわれわれが順応しなければ、彼らの信用を失ってなんらの成果もあげることはできないであろう」
 これが巡察師の書いたことのなかでおそらく一番だいじなことばである。なぜなら彼は、日本文化と西洋文化の非常な違いに気づき、相互の理解がほとんど不可能、まるで正反対で、しかも日本人はそれを固守しているということに気づいたからである。しかし、彼は「アジアは野蛮で未開」「西欧は高く文明化されている」「だから高い文明を教えて彼らをしつけてやろう」という考えはまったく書いていない。「おそろしくちがう」「相手を変えるのではなく、こっちが合わせよう」と書いているのである。じつはこのような考えをもつ西洋人はこの時代では非常に稀(まれ)で、しかも画期的なことだった。」

「善行にはたくさんのカリキュラムがあってそれを行うのは容易なことではない。一番むずかしいのは、自分のように他人を愛することである。パウロは「コリント前書、十三章」で、たとえ信仰のために自分の命を投げ出しても、愛がなければその行為にはなんの価値もないと言った。殉教しても、愛がなければ価値がないとはどういうことだろう? あるいは、人は誇りのためや、絶望のためにも殉教するのだろうか? 日本は膨大な数(おそらく数え切れない)の殉教者を出した国である。古代ローマ以来最大であると言われている。この本の最後の章では史上最大の殉教が展開される。しかし何十万人が殉教しようとも、ひとりひとりがみなひとりひとりの死にかたをしたのである。
 私はキリスト教徒ではない。ただ中学のときに、キリスト教の授業のある学校に通っていた。そこでこのパウロの教えを読んだのだが、そのとき、ある女性教師が、私に向かって、「あなたにはとくにこのことばがだいじです」と言った。自分を愛するようには他人を愛することのできない人間だと先生は見抜いたのだろう。そしてそれは正しい。それはきびしすぎる。でもいかに困難でも、人は、けわしい道を行けば救済の光が見えると教えられる。」
「いずれにしても、熱心な仏教徒は、じつは熱心なキリスト教徒になる可能性が高い。理屈で言えば、その逆も可である。現世のみを信じ、物質のみを信じ、それで満足し、霊魂の死後の救済などをそもそも考えない人びとよりは、このころの日本人は潜在的にキリスト教徒たりうる条件を備えていたということになる。」

「私は自分が女だから、たいへん興味をもってキリスト教が来たころの仏教が女性の救済をどのように教えていたかという話に紙数を割いてしまった。なんら自分の罪ではなく、女に生まれただけのために最初から地獄に行くという話はどうしても納得できない。そのこともあって、熱心なキリスト教徒になった人に、いかに女性が多かったかという理由が推測できる。
 ただし、ここでぜひ断わっておきたいのは、キリスト教もりっぱな女性蔑視の宗教であったということである。」
「両方に共通しているのは、人間はなにか自分ではあずかり知らない罪を負って生まれてくる、そしてこの世のあらゆる苦労はおおかたその結果だという考えである。」
「どこがちがうかといえば、キリスト教は永遠に生きるのは霊魂だと考えているので、性のちがいは肉体にだけくっついているから、霊魂には関係ない、霊魂には性はないと思っている。だから霊魂に関係する救済では男女平等である。」

「私が何年も前にイエズス会歴史研究所で宣教師の手紙を読んでいるとき、いちばん感動したのは、ゲレイロ師が一六〇三年から四年に書いた報告のなかのひとつの挿話である。それは、肥後(ひご)の国の十五歳の娘の話である。名前は書いていない。その改宗の原因は、父親の母親への暴力であった。法華宗信徒の父は、激しやすく凶暴な性格で、母親に暴力を振るうのが常だった。娘は十歳ごろから、父の母に対する暴虐を見てあらゆる仏に願をかけて、父がそれをやめるように祈った。彼女は「愛宕(あたご)に信心したが、どのように願をかけてもなおらないので、キリシタンに望みをかけた」
 彼女の友人にキリシタンがいて、彼女は友人から「最後の裁き」について聞き、キリスト教の掟を聞いて泣いた。しかし両親が法華なので、隠れて教会にきて洗礼を受けた。帰って母親にそれを打ち明けたが、親類に暴露され棄教するように脅迫された。それは父親が深く法華宗を信仰していたから、娘になにをするかわからなかったからである。そこでみなは父親が彼女に暴力を振るうことを恐れて娘からコンタツ(ロザリオを唱えるための珠数(じゅず))とアグヌス・デイ(神の子羊。キリストを象徴する彫物)を取り上げた。しかし、彼女はひそかに隠れてマリアの聖画像を拝んだという話である。
 この話には解決がない。それで父親が暴力をやめたとか、両親もキリシタンになりましたとさ、という落ちがないのである。(中略)この世で、十五歳の庶民の娘ができることはほとんどない。世のなかも変えられないし、荒涼たる家庭も、暴力的な父も、泣き叫ぶ母も変えられない。家を出るなどは論外である。ただこの世にはやっていけないことがあり、それをやった人間が、いますぐにではないにしても、必ず罰せられ、正しいものは正しく、悪いものは悪く、すべてが裁かれるときがくる、このことが少女を慰めたのにちがいない。いかなる歴史にも登場するはずがない無名の少女、大名の妻でも娘でもない、五百年前に生きていたこの少女こそ、私がもっとも身近に思う人である。」



「第五章 ローマの栄光」より:

「彼らはようやく十三日にシエナに向かい十七日までそこにいた。十七日にシエナを出て、サン・クイリコの町で、待ち受けた教皇が遣わした使者に会った。
 この使者はいったいなにをしに来たのであろうか。」
「ダニエッロ・バルトリはこう書いている。」
「「一行はローマに入るまでは残りたる最後の数日は徐行せるが、これは彼らのひとりドン・ジュリアーノが激しき高熱に冒されたると、また夜に入りて最初の入市をなし、何人(なんびと)にも見られず、迎えられざるを期したるがためなりき」
 いやそれは妙だ。なにかがにおう。」
「ジュリアンが病気だったというのはほんとうは言いわけにすぎなかった。」
「フロイスは、彼らはローマに着くとすぐにイエズス会の誓願修舎(カーサ・プロフェッサ)に行き、総会長や多くの神父、修道士に歓迎されたと書いている。(中略)そこで総会長はひとりひとりを抱擁したと書いており、ジュリアンが寝ていなければならないほどだったようには書かれていない。」
「ところが、突然、翌日三月二十三日、サーラ・レージアでの枢機卿公開謁見の当日になって、「ジュリアンはローマへ着く四日前から熱病を患(わずら)っていた。それゆえに、医者から絶対に外出してはならない、寝台から起きてはならないと勧告され、パードレもそう言った。しかし、彼はどうしても教皇聖下の謁見の栄を賜(たまわ)りたいと熱望し、ほかの少年と同行すると言ってきかず、ラテン語で『もし教皇猊下のもとに行けば、その声を聞けば、必ず治る』と言うありさまだった。」」
「ジュリアンの身になってみよう。彼は海浜で育った海の子で、旅行中みなが病気をしたのに、彼だけはまったく健康だった。それがよりによってまさにそのために来たローマ教皇の晴れの謁見式の日に、急に寝台から起きてはならないということになったのだ。いったいなんのために、今まで命がけで何年もかけて、こうしてやってきたのか。どうしても行きたい(中略)と泣いてすがるものを、人はどうしてとめたのか?」
「こうして一行のいやがうえにも晴れやかな行列や祝砲、歓呼を聞いていたときのジュリアンの気持ちは思っただけでもやりきれない。歓呼も祝砲も、みな自分のためではない、さっきまで自分といっしょだった仲間のものなのだ。いったいどうしてこれほどまでにむごい処置をしたのか。本当に死ぬほどの病気だったのか。」
「どうしても教皇庁はジュリアンを重病にした、どうしても、枢機卿謁見式に出したくないのだとしか思われない。もし私の推測が正しいとしたら、それは東方から来た公子が四人では困るからだ。東方から来た公子は三人でじゅうぶんだ、いや三人でなければならない!
 すべてのキリスト教徒はすぐに気づくだろう、アジアから馬に乗ってイエスを礼拝しにきた三人の王がここに再現されたことを。そしてグレゴリオの聖なる世界支配が生きた主役たちを人びとの目の前に現出したことを。だからこそ、彼らは「馬に乗っていなければならない」。だから三人の少年は、この日、馬に乗って行ったのである。そして馬に乗った王は三人でなければならない。」
「マンショとミゲルは大名の親戚であり、正使である。マルティーノは利発でラテン語がうまく身分が高い。ジュリアンは四人のなかで、一番身分がはっきりしない。なにかあったときのために最初からスペアだったのかもしれない。」
「いまここで、この四人のなかで、穴吊りの処刑によって殉教し、もっとも壮絶にその信仰を貫いたのがこのジュリアンであったことを思ってみることがわれわれには必要だろう。(中略)大きな権力は無力な個人を平然と踏みにじる。そして、今私が言っていることには珍しく「史料がない」。策略や陰謀にはすべて史料がない。その顔は見えない。しかし、史料のないところで、人間は、その人間にふさわしい行為をし、語られない歴史を作っているのだ。」
「このように、少年たちは、シエナからローマに来る道のなかばで、教皇庁によってイエズス会の神父たちの手から取り上げられ、別の次元に入った。それは計画者ヴァリニャーノのまったく予期しない規模のものであった。(中略)教皇庁にとってだいじなことは、使節を、宗教改革に対抗するカトリック教会の勝利を証言する証言者、「東方からの三人の王」に祭り上げ、カトリック教会の世界における中心性、その支配圏の拡大を示すこの上ない広告塔にすることだったのだ。」

「少年たちが見たもの、聴いたもの、望んだものを押し殺したのは当時の日本である。」
「それでも、彼らは、自分たちの信ずることを貫いて生き、かつ死んだ。このあとの章でわれわれはその壮絶な後半生を見るであろう。
 人間の価値は社会において歴史において名前を残す「傑出した」人間になることではない。それぞれが自己の信念に生きることである。」



「第七章 迫害」より:

「このような信仰の堅さは、一朝一夕にできたものではないから、最初私が「英雄的ではない」と彼らを呼んだのはたいへんなまちがいだったかもしれない。たしかに社会的な身分は低く、教会においても司祭でもなければ修道士でもない、とるにたりない信者であった。しかし、彼らの物静かな殉教の受け取りかたのなかに、しだいしだいに、どのような大身(たいしん)のキリシタン武士よりも、どのような大司教よりもまさって、このとるにたりない弱小の信者の姿が、かぎりなく偉大になって行くような気がする。キリストが言ったことばはこういうときに生きてくる。「汝らのなかで大きいとされている者が天国では小さくなり、小さい者が大きい者となるであろう」」


「第八章 落日」より:

「彼らはみなコレジオで教育を受け、マカオでさらに勉学し、日本のキリスト教会を支えるべく教育されみずからも勉学に励んだ者たちである。そして彼らの運命は、迫害の前に病死したふたりをのぞけば、ふたつしかなかった。日本を亡命するか、または殉教である。」
「マンショは四十二歳で病死した。マルティーノは国外追放となりマカオで死んだ。そしてジュリアンは潜伏し、長崎で殉教した。ミゲルがいつ死んだかはわからない。彼は棄教者となった。四人の生涯は四枚の葉のように別れていった。」

「一六三三年(寛永十年)小倉でジュリアンも捕まり、長崎に送られた。ジュリアンが処刑されたのはこの年の十月十八日であった。」
「同じときに、イエズス会のジョン・マテオ・アダミ、アントニオ・デ・ソーサ、クリストバル・フェレイラ、ドメニコ会のルカス・デ・スピリト・サントとひとりの修道士が穴吊りの拷問を受けた。穴吊りもまた竹中采女正が考案した拷問である。この一六三三年には彼は悪政と汚職で免職されていたがこの拷問は継続していた。これは深さ二メートル直径一メートルほどの穴を掘って、上に吊り台を付け、キリシタンをこの吊り台に吊って穴の中に逆さに吊る拷問である。頭に血が充血してあまり早く死なないように、こめかみに小さい穴をあけて血が出るようにし、内臓が逆転しないように胴を縄で巻く。丸い穴を二つあけた板を二枚に割って腰にはさみこみ、それが穴の蓋(ふた)になるようにする。したがって地上に出ているのは腰から下だけになる。穴の中は暗黒である。またそこに汚物を入れたり、騒音が反響するようにがんがん叩く。
 転ぶという合図をするまでこのまま放置され、転ばない場合にはそのまま死ぬ。絶命するまでに数時間から一週間くらいの時間がかかった。拷問のなかでももっとも苦しいもので、転ぶ者もいた。イエズス会のフェレイラは五時間で転んだ。」
「しかしフェレイラ以外の神父および修道士は穴吊りを耐えた。ルカス神父は九日間という長い苦しみを耐えた。六十歳に達していたジュリアンは、処刑を見ていた証人たちの証言によれば五日間耐えた。」
















































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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