西原和海 編 『夢野久作著作集 3 白髪小僧』

「こんな淋しい恐ろしい、所に長く生きて居て、
悲しい思ひするよりは、死んでしまつた方が好い。」

(夢野久作 「白髪小僧」 より)


西原和海 編 
『夢野久作著作集 3 
白髪小僧』


葦書房 
昭和55年1月10日 初版印刷
昭和55年1月20日 初版発行
531p 口絵i
四六判 丸背布装上製本 函 
定価2,500円
ケース装画: 横山隆一



本巻には、長篇童話『白髪小僧』の完全版(「祖玄道人」による「序」と評言、著者による「巻頭語」および著者自筆の扉絵と挿絵全点を収録)と、第二部として三一書房版全集に未収録の95篇の童話作品(「九州日報」掲載)が「豚吉とヒヨロ子」の総題の元に収められています。


本文新字・正かな。


夢野久作 白髪小僧 01


帯文:

「夢野久作著作集 3 第3回配本
白髪小僧
久作が「白髪小僧」で企画したのは、一個の巨大な謎として自分の前に立ちふさがる「世界」の構造を、ひとつの小宇宙としての作品のなかに立体的に提示してみせることであった。(本書「解題」より)」



夢野久作 白髪小僧 02


目次:

白髪小僧

豚吉とヒヨロ子
 正夢
 天狗退治
 石の地蔵様
 謎の王宮
 運の川
 金銀の衣裳
 猿小僧
 不幸の神像
 龍宮の蓮の花
 吠多と峨摩の泥棒
 章魚のお化
 若いヘクレスの人形
 金剛石
 罪深い人
 狼と弓
 美しい子供
 当つた予言
 蜥蜴
 稲取村の話
 悪い牝猫
 遺産争ひ
 頭と尻尾
 人間の怖い訳
 蟹の仇討
 角笛の響き
 金の卵
 威張り鼠
 盃中の蛇影
 不信の亀
 女
 梁上の君子
 鳥のお家
 赤い花
 赤い林檎
 誰れの手
 哀れな兄弟
 犬尾石
 葡萄パン
 底なし樽
 金の烏
 世界一週の犬
 沼の魔物
 お寺の釣鐘
 魔術の幸吉
 頬白の子
 泣虫四郎坊
 口の禍
 お化の正体
 まぬけ次郎
 いもの遠足
 鉄砲の名人
 泥棒の番
 大変な指環
 ねづみ
 王様
 泥棒
 馬鹿遠慮
 歩きかた
 やまびこ
 伝書鳩
 親のまね
 やまばん
 オオサワキ
 桃太郎のお母さん
 銀のうた銀の踊り
 一銭
 馬と鼠
 蜜柑とバナナ
 弱虫太郎
 凍えた蛇
 オモチヤの探偵 三人兵士
 筆入
 紅梅の蕾
 水飲み巡礼
 馬鹿な百姓
 トンボ玉
 茶目九郎
 凧と雀
 お池の水
 松と桜
 鵞鳥の群
 虫と霜
 猿
 雛つ子
 驢馬の紛失
 おもちや二つ
 何だらう何だらう
 健ちやんの希望
 ドングリコツコ
 ピヨン太郎
 三人姉妹
 寸平一代記
 人が喰べ度い
 豚吉とヒヨロ子
 ルルとミミ

〔解題〕 夢野久作の童話体験 (西原和海)



夢野久作 白髪小僧 03



◆本書より◆


「白髪小僧」より:

「昔或る処に一人の乞食小僧が居りました。此(この)小僧は生れ付きの馬鹿で、親も兄弟も何も無い本当の一人者で、夏も冬もボロボロの着物一枚切り、定(きま)つた寝床さへありませんでしたが、唯名前ばかりは当り前の人よりもずつと沢山に持つて居りました。
 其(その)第一の名前は白髪(しらが)小僧と云ふのでした。これは此小僧の頭が雪の様に白く輝いて居たからです。」
「人々は皆此白髪小僧を可愛がり敬ひ、又は気味悪がり恐れて居りました。
 けれ共白髪小僧はそんな事には一切お構ひ無しで、いつもニコニコ笑ひ乍ら悠々と方々の村や都をめぐり歩いて、物を貰つたり人を助けたりして居りました。」

「王はお出(い)でになり乍ら、
広い国中何一つ、御気にかゝつた事も無く、
何時も御殿の奥深く、銀の寝台(ねだい)に身を休め、
現(うつゝ)とも無く夢ぞとも、御存じの無い魂は、
他の世界へ抜け出でゝ、他の世界の人々に、
王の心の気楽さを、示し歩いておはします」

「青眼先生は暫くの間は、あまりの不思議に呆気に取られて、茫然(ぼんやり)と少女の寝顔に見とれて居りましたが、やがてほつと大きな溜息をつきますと、何やらぐつとうなづきまして、震へる手で窓をそつと押して見ますと、訳も無くスーツと左右に開きました。其処からそろそろと音を立てぬ様に中に這ひ込んだ青眼先生は、床の上に下りると直ぐに、毒薬の瓶の口を切つて右手に持つて身構へをして、丸硝子の行燈(あんどん)の薄黄色い光りに照された少女の寝顔を又じつと見入りました。
 見れば見る程美しい少女の姿。夕雲の様に紫色に渦巻いた長い髪毛(かみのけ)。長い眉と長い睫毛。花の様な唇。其眼や口を静かに閉ぢて、鼻息も聞こえぬ位静かに眠つて居る姿。見て居るうちにあまり美しく艶(あで)やかで、何だか此世の人間とは思はれぬ様になりました。」

「こんな淋しい恐ろしい、所に長く生きて居て、
悲しい思ひするよりは、死んでしまつた方が好い。」

「石神の話しは此国の秘密の話しで、これを聞いた者は、其話しの中に居る悪魔に取り憑かれると昔から申し伝へて御座います。」

「青眼先生。妾は全く恐ろしい女で御座いました。悪魔よりももつと無慈悲な女で御座いました。初め妾が夢の中で美留女で居る時に、銀杏の根元で拾つた書物に、妾が女王になつた挿し絵があるのを見ますと、妾は急に女王になり度くなりました。(中略)つまり夢の中で見た美留女姫の心を、眼が覚めてからも忘れることが出来なかつたので御座います。」



夢野久作 白髪小僧 04


夢野久作 白髪小僧 05


夢野久作 白髪小僧 06


夢野久作 白髪小僧 07


夢野久作 白髪小僧 08


夢野久作 白髪小僧 09


夢野久作 白髪小僧 10


夢野久作 白髪小僧 11


夢野久作 白髪小僧 12


夢野久作 白髪小僧 13


夢野久作 白髪小僧 14


夢野久作 白髪小僧 15


夢野久作 白髪小僧 16


夢野久作 白髪小僧 17


夢野久作 白髪小僧 18


夢野久作 白髪小僧 19


夢野久作 白髪小僧 20


夢野久作 白髪小僧 21


夢野久作 白髪小僧 22


夢野久作 白髪小僧 23


夢野久作 白髪小僧 24


夢野久作 白髪小僧 25


夢野久作 白髪小僧 26


夢野久作 白髪小僧 27


夢野久作 白髪小僧 28



◆感想◆


「白髪小僧」は、乞食にして王様。欲はなく、決して怒らず、みんなにデクノボーとよばれ、いつも静かに笑っています。
扉絵に描かれた眠る白髪小僧はとてもチャーミングであります。
「眠り」もまた、夢野作品において重要な要素であります。本書には短篇「白菊」や『ドグラマグラ』の手術シーンを連想させる場面もあります。

よく、処女作にはその作家の全てが萌芽の形で存在すると申しますが、そういった意味では、長篇童話『白髪小僧』こそ、作家「夢野久作」の処女作といってよいとおもいます。のちの作品において発展されるテーマやエピソードや表現が、本作のそこかしこにちりばめられています。
そして、本作をよむと、夢野久作こそ、まさに日本のホフマンであったと納得されます。

『白髪小僧』の著者・杉山萠圓こと夢野久作は、本作を刊行するに当って、自ら挿絵を描いていますが、その構図やコスチューム・デザインの特異さ、そして白髪小僧をはじめとするキャラ設定など、むしろ現代風にアニメ化するとより効果的なのではないかとおもわれます。なにしろヴァーチャル・リアリティの世界に住む十四歳の女の子の心の闇をテーマに、ドッペルゲンガーやパラレルワールドまで登場する、中二心をくすぐる萌え童話なので、夢野久作はまさに先駆的作家であったというべきであります。

本作は、〈世界一の馬鹿な人〉である「白髪(しらが)小僧」と、〈世界一の利口な人〉である「美留女(みるめ)姫」の二人の主人公をめぐる物語ですが、〈非知〉と〈知〉を擬人化した、〈相反するものの一致〉の絵解きともいうべき、こうしたやや図式的な寓話的設定は、物語が伸展するにつれて作者が示す、美留女姫の〈心の闇〉への強い関心によって破綻してしまいます。
そもそも夢野久作には、人間の〈知〉に対する根源的な不信感があるようです。本書に併載されている短篇童話「魔術の幸吉」などにもみられるように、〈利口〉であることは両刃の剣です(「魔術の幸吉」では、「大変本を読むことが好き」だった幸吉が、「悪い魔術師」の家に奉公することになって、魔術の本を盗み読んで魔術を身につけるが、「魔術などを知ってると、つい人に知れないをいゝことにして、悪いことをしたくなるものだから、お前は神様にお詫して、魔術をとり上げて貰ひなさい」と父親に諭される。また、「寸平一代記」では、天狗から魔法を教えてもらった「ビッコ」で「ドモリ」で「メッカチ」の寸平が、天狗から「魔法」を「わるいことに使ふと」罰があたるが、「その代りおれの云ふことをよく守つて居れば、今にきつといゝことあがるのだ」と諭される。ここでの「魔術」は、魔術そのものというよりは、たとえば科学とか法律とかの、悪用が利く、地上的な〈力 potentia〉としての〈知 scientia〉の寓意であろうとおもわれます)。
〈知〉の追求が〈悪魔〉的所業につながっていく経緯については、のちの探偵小説「空を飛ぶパラソル」や「鉄槌」、そしてもちろん『ドグラマグラ』において、より現実的な形で語られていますが、「童話」である本作においてそこまで踏み込むことはできなかったようです。



















































































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西原和海 編 『夢野久作の世界』

「さて、こんな放心者である彼、夢野久作はこれまで五十年近くも一体何をやつて来た男なのだらうか。」
(石井舜耳 「怪物夢久の解剖」 より)


西原和海 編 
『夢野久作の世界』


平河出版社 
昭和50年12月15日初版発行
509p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函 
定価3,000円
装幀: 秋山法子

 

本書「解説」より:

「敢えて収録文章の取捨選択を行なわず、この一冊に可能な限りの内容を徹底的に詰め込むことにしたのである。久作の文壇デビュー時から現在に至るまでの、彼について書かれた文章の、入手し得る限りの殆んど総てが収められることになった。」
「第I部「同時代からの証言」では、一九二六年に夢野久作が「あやかしの鼓」一篇をもって『新青年』誌に登場し、その十年後、突然の死を迎えるに至るまでの時代を中心に、作品論・作家論・追悼文・回想記などを統括した。」
「第II部「六〇年代における再評価」には、鶴見俊輔や森秀人、平岡正明などによって久作再評価が積極的に推進されるようになった時期から、三一版『全集』刊行直前に至るまでの間に発表された論稿を主として収めた。第III部「新たなる視座からの接近」では、『全集』刊行後から本書編纂時点に至るまでの期間に読むことのできた論稿を対象として集めた。なお第III部には、(中略)三篇の書下ろし論文が加えられているし、(中略)杉山茂丸に関する論評が収録されている。」



二段組。新字。仮名づかいは原文のまま。


夢野久作の世界01


帯文:

「奇蹟の悪夢 五木寛之
夢野久作の世界は一場の悪夢である。彼はドストエフスキイと逆の方向から人間の想像力の極限をきわめた。彼もまたピカソのゲルニカと同時代の三十年代の子であった。いま歴史が音もなく三十年代と重なろうとしている時、夢野久作のよみがえりは重い必然性をもって私たちに迫ってくる。
彼の世界が悪夢だとすれば、それを論ずることもまたこの世のものならぬ仕業だ。ながく地底の斜坑に眠っていた同時代、戦後の久作論が、ここに一冊の奇蹟のように露出してくるのを見て、私は熱いものが体内を逆流するのを感ぜずにはいられない。」



夢野久作の世界02


帯背:

「戦前・戦後の夢野久作論の集大成!
久作解剖の決定版!!」



目次:
 
第1部――同時代からの証言
当選作所感
 当選作所感 (江戸川乱歩・甲賀三郎・平林初之輔・小酒井不木・延原謙)
 応募作品を読みて (森下雨村)
 〈参考資料〉 所感 (夢野久作)
新春劈頭の感想
 「押絵の奇蹟」読後 (江戸川乱歩)
 新年号創作感想 (大下宇陀児)
 新年号読後感 (小酒井不木)
夢野久作氏とその作品 (江戸川乱歩)
 夢野久作氏とその作品
 夢野久作氏
 夢野久作の作品に就て
 夢野君余談
 故人の二つの仕合せ
 夢野君を惜む
多種多面な夢野久作 (大下宇陀児)
 多種多面な夢野久作
 夢野久作氏の横顔
 友を喪ふの記
 思出の夢野久作氏
 夢野久作君を想う
 夢野久作の人と作品
 美しい久作の夢
 夢野久作を偲ぶ
 詩人・夢野久作
怪物夢久の解剖 (石井舜耳)
 怪物夢久の解剖
 久作の死んだ日
 転居御通知
 夢野久作を語る
夢野久作論 (九鬼紫郎(澹))
 夢野久作論
 夢野久作――人と作品
その怪物的存在 (伊志田和郎)
 夢野久作とその作品
 その怪物的存在
夢野久作の素顔
 恐るべき「私」 (竹中英太郎)
 ドグラマグラ執筆中の思い出 (杉山くら)
 夢野久作回想 (喜多実)
夢野久作の死を悼む
 夢野さんの逝った日/わかれ (石川一郎)
 悼惜、辞なし (森下雨村)
 四枚の年賀状 (水谷準)
 夢の如く出現した彼 (青柳喜兵衛)
 故夢野久作を悼む (紫村一重)
 その死を悼む (中島親)
 謎の夢久氏 (蘭郁二郎)
 愚痴になる追憶 (村正朱鳥)
 人間記録の一ツの絶巓 (三上於菟吉)
 夢久の死と猟奇歌 (吸血夢想男)
 夢野久作氏追悼 (木々高太郎)
『夢野久作全集』を推す
 夢野久作全集についての覚書 (大下宇陀児)
 諸家推奨之辞 (広田弘毅・頭山満・諸岡存・森下雨村・江戸川乱歩・大下宇陀児・水谷準・石井俊次)

第2部――六〇年代における再評価
ドグラ・マグラの世界 (鶴見俊輔)
夢野久作の独一性 (森秀人)
 夢野久作のことなど
 夢野久作という作家
 夢野久作の独一性
異端者の系譜 (塚本邦雄)
夢野久作の一断面 (水澤周)
夢野久作登場 (中島河太郎)
 夢野久作解説
 夢野久作登場
 夢野久作
推理小説界からのアプローチ
 宿命の美学――夢野久作論 (権田萬治)
 両刃の剣――夢野久作論 (仁賀克雄)
 浪漫の花――「押絵の奇蹟」論 (小村寿)
 脳髄の地獄――「ドグラ・マグラ」論 (須永誠一)
 狂った美学――「瓶詰地獄」論 (曽根忠穂)
 社会派の先駆――随想・夢野久作 (白石啓一)
夢野久作の生涯 (杉山龍丸)
 夢野久作の生涯
 亡き父・夢野久作を偲んで
 父、夢野久作の周辺
 父、夢野久作の思い出
ドグマ・ドグマ (平岡正明)
 ドグマ・ドグマ
 夢野久作のあやかしの世界
 夢野久作・白日夢の文学
『夢野久作全集』の刊行をめぐって
 夢野久作について (平野謙)
 日本人の想像と空想の極限 (荒正人)
 探偵小説界の異れる星 (横溝正史)
 能における夢野久作 (喜多実)
 夢野久作頌 (福永武彦)
 マンモス的素質 (水谷準)
 旱天の慈雨 (山田風太郎)
 桜吹雪の魅力 (鈴木清順)
 早すぎた作家 (都筑道夫)
 少年の日の暗い衝動と戦慄 (中田耕治)
 夢野久作―なづけようもない作家 (平岡正明)

第3部――新たなる視座からの接近
『夢野久作全集』の刊行に寄せて
 非合理と幻想の復権 (渋澤龍彦)
 “異端の作家”の復権 (紀田順一郎)
 冥府降下の異端作家たち (種村季弘)
 己れ自身についての暗いレッスン (清水邦夫)
 夢野久作忌を中心として/私説夢野久作論 (石沢英太郎)
自然状態と脳髄地獄 (由良君美)
 夢野久作の都市幻想
 自然状態と脳髄地獄
 夢野久作・ドグラ・マグラ
エクリチュールの航海 (天沢退二郎)
密室に懸架した螺旋階段 (菅原孝雄)
一九二〇年代における狂気と文学 (尾崎秀樹)
カリガリから夢野久作まで (狩々博士)
七〇年代と夢野久作
 久作をろ過してファシズム論やるぞ (平岡正明)
 断影・夢野久作 (竹中労)
 魔都――朝鮮カイと列島ゲルダ (唐十郎)
夢野久作――意識の地獄の幽霊 (脇明子)
「犬神博士」における神なるもの (松田修)
犬神博士とヒットラー (おかだたかゆき)
循環的腐卵世界の構造 (松田修)
モドキ博士・夢野久作 (森秀人)
海より時間を……夢野久作における想像力の飛躍をめぐって (菅孝行)
杉山茂丸の生涯 (杉山龍丸)
杉山茂丸 (森秀人)
夢野久作の父の文学的足跡 (由良君美)

解説 夢野久作こそ我が同時代者 (西原和海)
夢野久作研究参考文献目録 (西原和海)



夢野久作の世界03



◆本書より◆


「友を喪ふの記」(大下宇陀児)より:

「いつたいが、職業作家としての意識は、甚だ稀薄だつたともいへる。新青年で、百枚の読切りを頼むと、二百枚ぶつ続けで書いて来る。千二百枚の長篇が、無論、載せられる場合もあり得るけれど、雑誌の連載ものに適してゐると考へてゐる。さういふ例は、枚挙にいとまなかつた。新青年へ書くものも、週間朝日へ書くものも、それよりもつと調子の低い筈の雑誌へ書くものも、同じ調子で書いていゝと考へてゐたらしいところもあつた。竹のやうに真直ぐで無邪気な作家だつたのだ。
 常に自信を持ち、その自信に相当するだけの手腕ある作家ではあつたけれど、時に、悩みはあつたらしく、私のところへ、何か淋しくいらいらしく、風の吹く野原を天地に向つて怒号したいやうな気持で歩いてゐるといつたやうな意味の、歌を送つて呉れたこともある。九州にゐたのだから、そんな時は本当に、淋しかつたらう。誰かに欝憤を洩らしたくて、これが出来ずに、いらいらしたのだらう。作家は、かういふ悩みを、いつでも持つ。ある時、自分の作品に陶酔し満足感で一パイになつてゐたかと思ふと、翌日、ふいに疑惑や不安や自分はもう駄目なのではないかといふ、痛ましい懐疑のどん底に陥ち込み、憂欝で憂欝でたまらなくなる。これは恐らく誰にでもあるのではないだらうか。そんな時、欲しいのは友達がゐて慰さめ力づけて呉れたら、どんなにいゝか知れないのに、夢野氏は、一人きり、九州にゐたのだ。たゞこゝで断つて置かねばならないのは、その時の夢野氏のいらいらしさが、果して今私の想像するやうなものであつたか否か、それは的確でないといふことである。私は、歌を見て、すぐ手紙を出した。すると、その返事は、案外朗かだつたので、もうそれつきり、何も訊かなかつたのだ。」

「私自身は、氏を失って、ひどく淋しい。
 故人を惜しむことよりも、私が淋しいといふ気持の方が強いかも知れない。これが、今の私の正直な言葉だ。」



「故人の二つの仕合せ」(江戸川乱歩)より:

「その一つは、故人が大下君といふよき友を持つてゐたことだ。私達は早くから夢野君と文通もしてゐたし、写真で顔も知つてゐたけれど、この人を喰つた筆名の主が何者であるかといふことは、非常に曖昧にしか知られてゐなかつた。同君は先年九州旅行の途次、福岡で夢野君と対面して、帰京後その話を私達に伝へてくれたのだが、それによつて夢野君がお能の方の専門家であつたことや、杉山茂丸の跡取息子であつたことなどが漸く明瞭になつた。
 さういふ縁故からばかりでなく、大下君と夢野君とは、性格でも、作家としての色合ひでも、どこか一脈通ずる所があつたからだと思ふが、其後夢野君が上京の度毎に、最も屡々会ひもし話し合つてもゐたのは、作家仲間では大下君であつたやうに思はれる。それ故、大下君としては、故人を悼む思ひも一入であつたには相違ないが、夢野君の急逝後、人情家大下宇陀児の実に行届いた動きぶりには、私などひたすら感じ入るばかりであつた。」










































































『伝奇ノ匣5 夢野久作 ドグラマグラ幻戯』 (学研M文庫)

「……眼を開け……。
 ……この戦慄すべき脳髄の悪魔振りを正視せよ。
 ……そうして脳髄に関する一切の迷信、妄信を清算せよ。」

(夢野久作 『ドグラマグラ』 より)


東雅夫 編 
『伝奇ノ匣5 夢野久作 
ドグラマグラ幻戯』

学研M文庫 ゆ-2-1

学習研究社 
平成15年5月20日初版発行
846p(うち口絵24p) プロフィール2p おことわり1p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,600円+税



ドグラマグラ読本。
本文中図版(「傀儡師」夢野久作自筆挿絵)5点。
別丁口絵として猪瀬光氏による写真作品(モノクロ)12点と短いエッセイ。


夢野久作 ドグラマグラ幻戯 01


帯文:
 
「空前絶後の幻魔怪奇ガイドブック
『ドグラ・マグラ』の
すべてが解る!
夢野宇宙に対峙するミニ写真集や
呉秀三の奇書『磯辺偶渉』復刻など満載!」



カバー裏文:
 
「探偵文壇の鬼才・夢野久作が、生涯を賭けて書きあげた大作『ドグラ・マグラ』――作者みずから「幻魔怪奇探偵小説」の名を冠した同書は、伝奇・ホラー・ミステリーといったジャンルの枠を超え、世代を超えて読み継がれてきた不朽の名作である。本書は、その謎めいた作品宇宙探求に必携のガイドブック。文庫初収録の「ドグラ・マグラ草稿」ほかの関連作品集成に加えて、同書解読に欠かせない諸家の作品、関連資料の数々を収載した。」


目次:
 
口絵 「猪瀬光 1982-1991」
 
西原和海 「ドグラ・マグラ」 はどう読まれてきたか
 
『ドグラ・マグラ』 伝奇十景
『ドグラ・マグラ』 草稿
柱時計
傀儡師 (抄)
侏儒
病院 (「怪夢」 より)
瓶詰地獄
狂人は笑う
キチガイ地獄
一足お先に
猟奇歌 (抄)
 
松本俊夫・大和屋竺 映画 『ドグラ・マグラ』 脚本
 
狩々博士 『ドグラ・マグラの夢』 より
 第一章 久作九大訪問記
 第九章 堂廻目眩意識之迷宮
 一大附録 『ドグラ・マグラ』 英文梗概
 
呉秀三 『磯辺偶渉』 より
 一、応声虫
 二、疑疾
 三、潔癖
 十二、作嘔療法
 十四、狐憑の成書に出でし最初
 十五、離魂病
 二十、国書に見えたる神経病的外奔症
 二十一、元亨釈書の憑依症
 二十二、人狐辨惑談
 二十三、妖怪門勝光伝
  
解説 蜂の唸りに誘われて――『ドグラ・マグラ』 と対峙せる人々 (東雅夫)
年譜



夢野久作 ドグラマグラ幻戯 02



◆本書より◆


「『ドグラ・マグラ』草稿」より:
 
「はしがき
 
   お通りかかりの御方様。
 ありがとう御座います。
 お顔もお名前も、まだ存じませぬが、有り難うございます。
 この奇妙なモノガタリを書いた十八冊のノートブックの包みを、お拾い下すった貴方様の御親切に対して、とりあえず、かように満腔の感謝を捧ぐることをお許し下さいませ。
 かく申す私は、あなた様が、このノートの包みをお拾い下すった往来のすぐ横にある、赤い煉瓦(れんが)造りの家に、精神病患者として閉じこめられている一人の青年であります。そのような人間でありながら、このような方法で、見ず知らずの貴方様に、飛んでもない御迷惑なことを、お願いしようなぞと巧(たく)らむのは、実に失礼とも何とも申し上げようが無い次第で、この一(ひ)と事だけでも私を、ホントウの狂人に相違無いと、あなた様からは思われましても、一言の弁解も致し得ない者なので御座います。」
 
「「アレ……チョット……あの声は何でしょう」
 「……ウン……あれかい……あれはこの精神病院に入れられている、若い娘の叫び声だよ。毎晩ここを通るたんびに聞かされない事は無いよ」
 「マア。可愛そうに……何だか恋人の名を呼んで泣いているようじゃないの」
 「ウン。こっちの室(へや)の中に若い男が居るのを、すぐ向うの室(へや)から呼んでいるらしいんだ。……ネ……よく聞いて御覧……固い煉瓦かコンクリートの壁を向う側からたたく音が聞こえるだろう……ねッ……」
 「マア……ホントニ……凄いこと。……でもこっちの室(へや)に居るのが若い男ってこと、どうしておわかりになって……」
 「時々あの窓に頭を蓬々(ほうほう)さした影法師が映るんだよ。何でもあの叫び声がきこえ初めると、すぐに立ち上って、室(へや)の中をグルグルまわり出すらしいのだ。黙りこくって……腕を組んでうつむいたまま……」
 「……あんなに呼んでいるのに、ちっとも返事をしないで……」
 「ウン。一度も返事した事が無いらしいんだ。……というのは彼(あ)の娘の呼びかける言葉が、初めっからあの通りの言葉と調子で、ちっとも変わった模様が無いのだ。……尤(もっと)も声はだんだんと嗄(か)れて来たがネ……」
 「マア……何故返事をして遣らないのでしょう」
 「サア……そいつが僕にはわからないんだがね……でも時々両手で頭の毛を掻き挘(むし)っている影法師が映るのを見ると、その若い男は、あの娘の呼びかけに対して、何かしら返事の出来ない理由があって煩悶しているように見えるんだよ……キチガイの事だから何とも云えないけども……」
 「……何だか深刻な悲劇を見るようネ」
 「ウン。僕はここを通るたんびに、いつも、そいつが気になってね。ハハハハ」
 「……もしかしたら恋仲を裂かれているのじゃないでしょうか……」
 「アハハハ又初まった。お得意の浪漫趣味が……」
 「……嘘……あなたこそ気にしていらっしゃる癖に……」
 「ハハハ。それあそうだけどね。元来がキチガイ病院の中の事だもの……何が何だかわかったものじゃないよ。見ず知らずの赤の他人同志の狂人(きちがい)が偶然にあそこへ、隣り合わせに放り込まれて勝手にあんな事をし合っているのかもしれないからね」
 「……でも……」
 「ハハハハ…サ……行こうよ。いい加減にして……」」
 


「柱時計」より:

「そうしてその時刻を打つブーンブーンと云う音はこの界隈の百姓家に聞く事の出来ない微妙な文明的の振動を室(へや)の中に渦巻かせた。」


夢野久作 ドグラマグラ幻戯 03



こちらもご参照ください:

狩々博士 『ドグラ・マグラの夢――覚醒する夢野久作』
夢野久作 『ドグラマグラ』 復刻
猪瀬光 『VISIONS of JAPAN - INOSE Kou 1982-1994』









































杉山龍丸 『わが父・夢野久作』

「それで、彼は、自分が求めていた人間らしい社会は、何処にもないということと、また、名もなく、地位もなく、理由もなく、殺され、殺している世間、世界というものがあることと、人間の社会の恐ろしさを知ったと申していました。」
(杉山龍丸 『わが父・夢野久作』 より)


杉山龍丸 
『わが父・夢野久作』


三一書房 
1976年10月31日 第1版第1刷発行
285p 
四六判 丸背布装上製本 貼函 
定価1,800円
装幀: 中村宏



夢野久作の長男・杉山龍丸(すぎやま・たつまる 1919-1987)による、夢野久作の生活と意見。


杉山龍丸 わが父夢野久作 01


帯文:

「久作の私的回廊を探る決定書!
夢野久作の長男として生れた筆者が、杉山家の血統と激動の時代の交点をしっかりと見定め、不世出の文学者“夢野久作”を回想する。本書によって久作研究はさらに増殖されるであろう。」



杉山龍丸 わが父夢野久作 02


目次:

はじめのことば

Ⅰ 杉山家の系譜と時代的特色
 杉山家
 勤皇開国
 明治維新
Ⅱ 誕生の時代と背景
 自由民権と誕生
 乳母友田ハル
 生いたち
Ⅲ 幼児の時代をめぐって
 杉山学
 能楽
 父と子
Ⅳ 少年時代の軌跡
 流浪
 神童
 地球
 文学少年
 大食い
Ⅴ 青年時代の波乱
 運命
 軍人
 農園
 放浪
 出家
 剣道
 台華社
Ⅵ 壮年期の円熟
 結婚
 転居
 九州日報社
 豪傑連
 童話
Ⅶ 作家の実像
 夢野久作誕生
 女
 甘党
 夫婦喧嘩
 野球
 終焉
 むすび

後記



本文中図版:

 夢野久作関係の地点 (地図 杉山龍丸画)
 杉山家系譜図
 杉山三郎平灌園 (写真)
 「福陵新報」 創立当時血盟した左から結城虎五郎、頭山満、杉山茂丸 (写真)
 明治41年麻布近衛連隊に入営のとき乳母友田ハルと夢野久作 (写真)
 梅津只圓翁 (写真)
 明35年宮崎民蔵、パリにてレーニンと会談する出発時の記念写真
 杉山農園所在地案内図 (地図 杉山龍丸画)
 杉山農園概要図 (地図 杉山龍丸画)
 台華社における杉山茂丸 (写真)
 加藤介春先生、九州日報主筆・副社長、夢野久作に文章の書き方を教え久作から最も尊敬された人 (写真)
 関東大震災発生につき、九州日報の特派員として派遣された夢野久作が画いた震災のスケッチ
 昭和11年大下宇陀児邸にて夢野久作最後の写真



杉山龍丸 わが父夢野久作 03



◆本書より◆


「「夢野久作」というのは、福岡、博多地方の方言ともいうような言葉です。
 どういうことで、福岡、博多に、この言葉があるのか、生れたのかも、全くわかりません。
 私は、子供のころから、「夢野久作さんのごたる。」と、いう言葉を耳にして来ました。
 その意味は、春の空のように、ぼうとした顔で、にこにこして、立っている人とか、何か、遠いところを見るような、そして、人の考えないようなことを言う人とか、または、途方もないことを考えたりそれを言う人。また、経済観念も何もなくて、のんびりとして、やっている人。
 大体、このような人を指して、夢野久作さんのごたる人、と申します。」

「彼の一つの話を記憶しています。
 或るとき、人間らしい社会を求めて、江戸川の或る町工場に住み込み、労働者の群に入りました。
 そして、毎日の昼、隅田川の土手で、昼食の弁当を食べました。
 そしたら、隅田川の向う岸の土手に、毎日昼に来て、土手の斜面に坐って、煙草を吸う人がいました。
 数日たって、どちらからともなく、遠くで顔は見えませんでしたが、彼がこちら側の土手に弁当をもって坐ると、先方がこちらに向って、手をあげて挨拶をするので、こちらも手をあげて、お返しをするようになりました。
 或る春の日、タンポポや、蓮華草の咲く土手に坐ると、相手の人も来て挨拶をして坐り、やおら、煙草を出して吸いだしまして、彼の手許から紫煙が、春の空気に乗って流れるのが見えました。
 夢野久作は、新聞紙に包んだ弁当を開いて、握り飯をつまみ、口に持ってゆこうとして、先方を見ますと、彼に挨拶して煙草を喫っている人の背後から、緑黒色の、作業服を着た人が近づいてゆくのが見えました。
 そおっと彼の背後に行ったかと思うと、かくしていた背から、ハンマーが出て来て、両手で高くかざして、いきなり煙草を喫っている人の頭を打ちつけました。
 ハンマーに打たれた人の頭は、メリ込んだハンマーで半ばへこんだようになったまま、ぐらりと横に、その人は倒れました。
 ハンマーの人は、もう一度、ハンマーを頭上に振りかざし、ハンマーは、太陽にキラキラと反映しましたが、倒れた人が動かないのを見て、すぐ、ハンマーを下し、そして、足で、倒れた人を蹴りましたが、多分、一撃で絶命していたのでしょう。
 倒れた人は、隅田川の斜面を、ころころと転がり落ちて、パシャンと、隅田川の流れに落ちて、桜の花片の浮いている川面を下の方に流れてゆきました。
 ハンマーの人は、流れてゆく死体の様子を見ていましたが、一撃で殺したことを確信したのでしょう。ハンマーを肩にして、向うの土手の下の方に、あっと思う間に姿を消してしまいました。
 夢野久作は、お握りを口にもって行ったまま、「あー、あー、あー」と、心に叫ぶだけで、声にならず、呆然と見ていただけでした。
 それから、彼は熱に浮かされたように、毎日の新聞を、すみからすみまで読んでみましたが、隅田川に、不審な死体が上ったという記事は、一行も見出すことが出来なくて終りました。
 ついに、此の事件は、何の原因で、何処の誰が、誰に如何なる理由で、このように殺されたか判らないままに終りました。
 それで、彼は、自分が求めていた人間らしい社会は、何処にもないということと、また、名もなく、地位もなく、理由もなく、殺している世間、世界というものがあることと、人間の社会の恐ろしさを知ったと申していました。」

「私が小学校に入った頃であったと思いますが、その頃、よく人から、
 「龍丸さん、貴方は、大きくなったら何になりますか?」
 と、聞かれました。
 私が即座に、
 「うん、うちな、うちは、陸軍大将になるとたい」
 と答えましたら、父が笑っていました。
 そして、或時、ふと、
 「龍丸、明治維新後、多くの志士が、明治の元勲とやら、大将とやら、男爵とやら、華族になったりして、偉い奴のように思うとるが、あやつらは、みんな人を踏みつけにしたり、ずるいやつばかりなのだ。本当に明治の御一新のために働いた人々、純粋な人々は、皆死んで行ったのだ。いざというとき、あやつらは、皆逃げて行った奴だ。本当の人々は、皆笑って、堂々と死んで行ったのだ。お前は、それでも、陸軍大将になるのか?」
 と、いっていました。」

「さて、彼は、能楽、謡曲というものを、どう考えていたかと申しますと、仏教のお経文や、神道の祝詞と同じように、尊いものをもっていると考えていました。」
「彼にいわせますと、能楽、或は謡曲は、山伏の修験者が、祈祷するのと、仏僧がお経を読誦するのと、同じ効果と申しますか、徳のあるものであるから、全身全霊をもって、謡い舞い行うものであると申していました。
 特に喜多流の奥義と申しますか、心得と申すことに、
 「謡い舞うものは、曲、節廻しなどの巧拙を考えずともよし。また、曲の意義や、演出なども考えずともよい。それは、作者、作曲者、演出法をつくった人が、考えてあるので、謡いは謡い、舞は舞、奏楽は奏楽で、原本の通り、全身全霊をこめて、一生懸命行えば、自然に、曲、演出、言葉、その他の意義も、出るようになっているのだ。」
 と、申していました。」
「特に嫌っていましたのは、能役者になってはならぬということでした。
 役者というのは、芸で、人におもねり、媚びるものであるということで、能は、特に、そのような心や、巧くやってやろうなどとの心では、謡い舞うことの出来ぬものであると申していました。
 また或るとき、私に、
 「龍丸、よく覚えて置けよ。
 人間で、最も喜怒哀楽を表現するのは、顔である。
 能は、その顔を、能面でかくして、しかも、更に深い、人間の心を、観客に伝えるように出来ている。
 感情の極みは、極致というものは、筆舌や、表現で表わされないもので、そこに心のにじみというものがある。
 だから、能楽では、人間の動作を極端に省略することで、その心の深さが、観客に伝わるように出来ている。
 この能の反対が、文楽である。
 文楽と義太夫は、能楽の謡と同様、神道の雅楽、仏教の読経のように、神前、仏前で行ってよいということになっている。
 しかし、文楽の人形や、義太夫は、極端に、人間の情や心をオーバーに表現するようになっている。
 能の方は、最も敏感な、そして、最も情のある人間が演ずるが、文楽の方は、精神も、心もない、人形を使って表現するのである。
 人間のつくった芸術の極致には、この両極端があることを、良く考えろ。」
 と、申していました。」

「杉山家のものといえるかどうか判りませんが? 何か、一つのことに熱中すると、それは徹底してしまうらしい。
 そして、そこから、一般の人には見えぬもの、また考えられぬものを見出す、何かがあるようです。
 夢野久作の作品は幻想とか、怪奇とかの表現でいわれますが、それは、その見方によるのではないか。
 例を鼻の問題にとりますが、夢野久作の作品に『鼻の表現』というものがあります。
 単的に、私から申すと、人の鼻というものは何時も正面から見ている。
 しかし、鼻というものを、唇のところから見たら、一体どんな形であろうか?
 見た瞬間、あまりのグロテスクなのに、自分の鼻ながら、驚くか、ショックを或る程度受けるに違いないと思います。
 鶴見君に言わせると、だから、杉山のものは狂人だというかもしれません。
 ところが、杉山家のものは、それを真実であり、そのような見方もするものだと、主張します。」

「彼は私に柳田国男氏のことを大変尊敬しているといっていましたし、また金田一氏のアイヌのユーカラの研究に対してもとくに感嘆していました。
 金田一氏が、アイヌの老婆から、ユーカラを聞き記録するとき、その老婆は八十歳を超えていて、彼女が死去すると、永久に亡んでしまうものであるだけに、全てを犠牲にして努力された姿、特に或る雑誌に、発表されましたが、何の支援もなく、日本の政府も財界も冷たい処遇しか与えず、学界も白眼視していたときでしたので、その苦心談の悲痛さと、その意義の重要さについて、私に何度も話していました。」





こちらもご参照下さい:

西原和海 編 『夢野久作の世界』 
本書の著者・杉山龍丸が父・夢野久作および祖父・杉山茂丸について書いた文章が収録されています。

鶴見俊輔 『夢野久作――迷宮の住人』 
杉山龍丸の文章が引用されています。































































山本巌 『夢野久作の場所』

「こんな淋しい恐ろしい、所に長く生きて居て
悲しい思ひをするよりは、死んでしまった方が好い」

(夢野久作 『白髪小僧』 より)


山本巖 
『夢野久作の場所』


葦書房 
昭和61年12月1日 初版印刷
昭和61年12月10日 初版発行
224p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,800円
装幀: 毛利一枝



山本巌(やまもと・いわお)、1941年北九州市生、西日本新聞社文化部。
モノクロ図版(各章扉)11点。

本書と狩々博士『ドグラマグラの夢』が夢野久作論の双璧であるといってよいです。


山本巌 夢野久作の場所


帯文:

「歿後50年、「夢野久作」という前線は未だ移動していない。

近代という難関(アポリア)を前に、
孤絶した戦いを強いられてきた
夢野久作にとって、越えなければならぬ
課題とは何だったのか。
絶望の涯、悪戦そのものといってもいい、
それら名づけようもない作品群を
徹底して読みぬくことで、
時代の向う側へ溟い叫びを
発しつづけたその声の
根源に迫る。」



目次:

一章 闇を恋ふ
 「いなか、の、じけん」の不条理
 主題としての〈狂人〉
 近代史のねじれを背負って
 民衆の生存の闇
二章 悪戦のはじまり
 母の不在
 父杉山茂丸の影
 新しい生命
 かしひ村杉山農園
 夢の久作的出現
三章 近代あるいは東京人の堕落時代
 震災後の東京を読む
 死んだ魂の市場
 江戸から東京へ
四章 玄洋社というまぼろし
 怨念の継承
 其日庵主・杉山茂丸の世界
 茂丸←→久作の順接部分
 巨大なノンセンス・頭山満
 無為者の順位
 「近世快人伝」の含意
 裸の魂の共同体
五章 久作が幻視した天皇
 民を親とす
 「白髪小僧」の天皇論
 最下層民の聖性
 天皇像が映す近代のねじれ
 顕教的天皇から幻想の天皇へ
六章 昭和への悪意
 近代の魔力
 自己解放としてのモダニズム
 氷の涯に至る侵犯
 久作の抱えた近代の難関
 日本無敵の赤い主義者
 猟奇歌にひそませる
 探偵小説と玄洋社的世界との通底路
 ドン底からの自爆
七章 淋しい、怖ろしい場所
 自分の声しか聞こえない
 絶望の果ての物語
 現実への企み
 疎外された者たちの「瓶詰の地獄」
八章 最下層の神々
 民衆との共生感覚
 能あるいはにわか的語り
 「犬神博士」の世界
 乞食芸人の嗤い
 アナキズムの天皇
九章 わが心狂ひ得ぬこそ
 博多にわか的「狂」の位相
 民衆の「狂」
 村の外側にいる人々
 〈もうひとつの国〉への射程
十章 「ドグラ・マグラ」の復讐
 物凄い人類千古の謎
 「狂人の解放治療」
 キチガヒ地獄外道祭文
 「脳髄論」が撃つ近代国家システム
 「胎児の夢」はめぐる
 〈私〉を探す旅
同時代の前線として
夢野久作略年譜
あとがき

 
 

◆本書より◆


以下、括弧(「  」)内は本書よりの引用です。

「昭和二年五月六日、久作三十八歳の時の日記に次の歌がある。
  何故に草の芽生えは光りを慕ひ
       心の芽生えは闇を恋ふらむ
 この歌は恐らく、自らの青少年期を回顧したものだろう。」

「「おれは何度、死んだ方がよいと思ったかしれない」――のちに久作がそのように語ったことを龍丸氏は記憶している。久作の青春の苦悩はきわめて複雑な構造を持っていた。」

 
著者は作品「いなか、の、じけん」に、「民衆の生の、強烈な存在感そのもの」「人間の不可解さというナゾ」を表現しようとする「強い衝動」が示されており、それが「夢野久作という作家の一つの重要な文学的出発点であった」と考える。
「社会の最下層で疎外されさげすまれる者の中にこそ聖性が宿る(中略)俗性と聖性の逆転という視点もまた久作の一貫したモチーフである」「「人間の進化したものがキチガイだ」という場合の「進化」という言葉の意味は、「罪悪を知らぬ」こと、つまり聖性に近づくことだと考えてよいだろう」

「夢野久作のようだ」というのは、当時の福岡で「ぼんやりした間の抜けた男」のことをさす言い方である。それは「リアリズムが支配する政治の世界で、とりわけてリアルに生きた」父・茂丸の生き方に対し、久作が選び取った生き方を宣言するペンネームであった。

「『東京人の堕落時代』(大正十四年)の中で久作は、震災後の東京は「遣り切れぬ享楽気分と堪へ切れぬ生存競争」の渦中にあり、「道徳を数字攻めにして責め殺し、芸術をお金攻め、実用攻めにして堕落させ」「数字とお金とで動かせる死んだ魂の市場――それが東京である」と断定している」
「江戸っ子の特質を、久作は宵越しの銭は持たねえという気質に見る。そして、その刹那主義あるいは楽天主義は、彼らが「顔と云ふ人類最高のパス」を持っており、(中略)その「顔パス」は彼らが「故郷たる町内」を持っていたから有効だったと分析する。それが一朝の地震によって焼失した。(中略)「パスの利くところが無くなってしまった。タンカを切って眼玉を剥いても、だれも相手にしなくなった」。(中略)久作は、下町共同体を消滅させた関東大震災を「近代化の嵐」の象徴と見ている。(中略)明治以降に蓄積された東京の堕落が、関東大震災をきっかけに一挙に露呈した、というのが久作の観察である」
「明治政府がごり押し的に導入した西欧合理主義(中略)が戦争をきっかけに実を結んだ(中略)。それは一方で、功利主義の価値体系による競争原理が、共同体の内部にまで浸透し始めたことを意味する」


久作の父・茂丸によれば「「真の国士」とは「長生きしたい、金をもうけたい、手柄をたてたい、名誉が得たい」の「四鯛(たい)病を根治」した者で、命はいつでも必要次第に投出し、貧乏をかまわず、縁の下のちからもちとして、悪名ばかりとる者なのである」「茂丸の反功利主義、反強権主義とでも言うべき政治思想が、より激しい純粋な形で夢野久作に引き継がれているのは興味深い」
「久作が『近世快人伝』の中で取りあげた玄洋社系の四人の人物のうち、政治的にまったく無名なのは奈良原到だけである。久作がその奈良原の人物像を最も力を注いで描くのは注目される」「頭山らが大物になるのを横目に極貧の中で大正六年、六十一歳で死亡した。(中略)どんな貧窮に陥っても絶対に人に頭を下げなかった。いよいよ食べ物がなくなると、妻子を連れてタンポポの根を掘って食べた」。久作はひそかに奈良原・頭山満・杉山茂丸の順に三人に順位をつけている。「それは現世的価値観とは逆の順位である。むしろ近代社会における「無為者」の順位であり「現金主義」の時代に妥協をしなかった者の順位である。久作自身の言葉で言えば「ノンセンス」ぶりの順位だといってもよい」「(久作は「ノンセンス」を)近代の合理主義的あるいは功利主義的な人間の行為や社会状況の意味を抜き去り、近代の市民社会的な秩序と常識を破壊するものとして設定している」。久作にとって玄洋社は、主義主張抜きの、強烈な同志的結合による精神的共同体であったが、それは時代の進行とともに、近代社会の異物になった。そのような共同体を人間を解放する場所として幻想的にとらえ直すことが、久作には必要だった。
茂丸によれば、日本は開闢以来、デモクラシーの国であった。「それはつまり農民が農作業の帰りに「上様、山百合の花が咲いていました」などとお手渡しするような天皇制が、そもそも日本の国家の出発点だったとする歴史観に由来している。その天皇と民衆との親密な間柄に割り込んだのが「忠義者と勤皇家」だと彼は言うのだ。(中略)ここで重要なのは茂丸の牧歌的天皇像は、近代天皇制への賛美でなく、それへの批判として記されていることだ。(中略)しかし(中略)彼は結局のところ、統治者としての天皇―被統治者としての民衆、という図式を壊してはいない(中略)。これに対して久作は、天皇を民衆そのもの、あるいは民衆への奉仕者と規定したように見える」。著者は久作の童話『白髪小僧』(大正十一年)に久作の天皇論を見る。白髪小僧は「「生れ付きの馬鹿で、親も兄弟も何も無い本当の一人者で、夏も冬もボロボロの着物一枚切り」なので乞食小僧とも呼ばれ「いつもニコニコして」いたのでニコニコ小僧「物を貰った時お辞儀をした事が無」いので王様小僧、また「貰った物の余を決して蓄(た)めず他の憐れな者に惜し気も無く呉れて終(しま)ひ、万一他人の危(あやふ)い事や困った事を聞くと生命(いのち)を構はずに助ける」ので慈善小僧とも呼ばれた。(中略)彼がいう「馬鹿」とは、いかなる欲望もエゴイズムをも排除し得た者である。だからこの世に生きる姿は乞食にならざるを得ないのだが、物をもらっても頭を下げる必要はない。なぜなら彼の生は、自分の命をつなぐための必要最小限の食物を得るほかは、他者の幸福のためだけに費されるからだ。彼が民衆と異なるのは、自ら生産しないことだが、そのために民衆の「下位」に属して生きねばならない。それが「無為者」の宿命である。しかし彼が無為者であり、その位置にあるからこそ、人間世界を超越した聖者になりうるのだ」「白髪小僧が久作の理想の統治者=天皇像であるとすれば、それは現実の天皇制=近代天皇制に対する批判として構想されたのだと読み取ることが可能である」「社会的な無為者であり、それ故に社会の下位に属さねばならぬ者こそが聖性を帯びるというのは、久作の基本的な人間観だと言ってよい。それを統治者の理想像に当てはめるという、一種の政治論として構想するのは、ほとんど幻想に近い想念である。(中略)久作はそのような幻想を生み出さずにはおれないほど、現実の社会、政治に絶望していたと言えるのかもしれない」

『東京人の堕落時代』で近代を人間を堕落させる時代として描いた久作はまた、近代という時代の抗しがたい魅力についても記している。「不良少女の生態を描く彼の筆は異様に執拗である」「時には不用意に、彼女らの味方になってしまうのだ」「ある少女のラブレターを紹介し「(彼女は)人生に対して或る苦しい淋しい空虚を認めて、何者かを求めつつ悩んで居ることがわかる。同時に、彼女の家庭も、学校も、宗教も、道徳も、彼女の魂の飢えを満たす可く何物も与へて居ない」と書く。(中略)「私達の若さに同情して呉れる人は無い」という文字に注目し「(中略)現代のあらゆる教育は、少年少女の若さにすこしも同情をしていない」とも記している。(中略)「或る女学生が、不良行為をやって警察に引っぱられて行く途中で、懐中からマッチ箱を出してソッと棄てた。(中略)中には一枚の厚紙があって、雌雄二匹の白い蛾が行き乍ら二本のピンでとめられて、ブルブルふるへて居た…」」
久作が文学に開眼した大正時代は「明治の国家主義体制への反作用のように、モダニズム全盛の時代である(中略)。文学の世界では(中略)悪魔主義的な耽美の世界、サディズム、マゾヒズムなど(中略)が表通りに登場した」。恋人が「あんまり美し過ぎたので、(中略)息苦しさに堪えられなくなって」殺してしまう短篇「縊死体」や、人形の「美しさが羨ましく」なって、バラバラに壊してしまう「微笑」などに見られる破壊衝動は(『ドグラ・マグラ』には「嘆美の極はこれを破壊するに在り」とある)、「美というものにあまりに過激に反応したものの仕業である」。久作の内部には、反時代的な「古めかしい玄洋社員の世界」と、「モットモット強い、深い、新しい刺激を求めている(中略)恐ろしい心理」が同居していた。

「氷の涯」(大正八年)。「重要なことはこの二人が、日本、ロシアというそれぞれの自国からのはみ出し者として描かれていることだ。(中略)久作はこの二人こそ、本当の愛国者であり、逆に愛国者であることによって現実の国家からはみ出したのだと言いたかったのではないか」
「日記によれば、昭和十年二月十四日、久作は静養中の父杉山茂丸を訪ねている。」「「汝は俺の死後、日本無敵の赤い主義者となるやも計られずと仰られる。全く痛み入る。中(あた)らずと雖も遠からず。修養足らざるが故に看破されたる也」(中略)恐らくそれは「反政府主義」を意味する。(中略)久作は茂丸の前でも、政治的無為者としてふるまったに違いない。しかし茂丸は久作の内部の、過激な政治的心情を見抜いていたのだ」


「自分に厳しいモラリスト」であった久作の「猟奇歌」にみられる「悪意」。「冗談に殺す」には、バターを塗ったカミソリの刃を面白半分に犬に食べさせる元女優が登場する。「探偵小説は(中略)人間の心理を一層深くアケスケに抉り付け、分析し、劇薬化、毒薬化し……て行くための芸術の鬼っ子であった。芸術の神を冒涜する事を専門とする反逆芸術であった」と久作は書く。探偵小説の使命は「あらゆる傲慢な、功利道徳、科学文化の外観を掻き破って、そのドン底に恐れ踠いている昆虫のような人間性――在るかないかわからない良心を絶大の恐怖に暴露して行く」点にあるという。「つまり彼は探偵小説の使命を「時代への反逆」にあると見ているのだ」

「久作は(中略)頭が異様に大きい虚弱児童で成績は抜群だったが、孤独な風変わりな子供だった」
「「鉄槌」「木魂」に色濃く表現されるのは、世界から疎外された者の感覚である。「実世間」への回路を求め得ない者は、自然に魂のよりどころを求めるしかないが、その自然でさえ、自分の空想の世界で再構築したものでなければならず、そこから聞こえる声は、結局「自分の声」でしかない。(中略)二つの物語の主人公を待っているのは「自殺」だ。(中略)この二つの作品で久作が描いたのは「死」によってしか成立しない「愛」=人間との結びつきの世界、つまり虚無の世界である」

「少女地獄」の一篇「火星の女」の主人公は「「青い青い空をジイッと眺める」のが好きなのだが、それは「私の心の底の底の空虚と、青空の向うの向うの空虚とは、全くおんなじ物だと」感じるからである」
「久作文学の中の一つの大きなテーマは「愛の喪失」だと言ってよい」「こんな淋しい恐ろしい、所に長く生きて居て/悲しい思ひをするよりは、死んでしまった方が好い」
(『白髪小僧』の「石神」の歌)。「久作は童話の中の神話というひそかな形で「大空も聞け海も聞け」というほどの、激しい疎外感、孤独感を、その作家的出発点で表明していたのだ。(中略)彼は絶望からの自己救出を果たそうと意図して、自分自身のための国造り神話を創造したに違いないが、その神話はやはり、この世が「絶望の果て」に生まれたという異様さから逃れられないのだ。時代の悪を逆手にとっての「武器としての探偵小説」という、彼の特異なアナキズムは、そういった地点から生まれた」

「赤猪口兵衛」。「社会の最下層にいる者にこそ真実が見える、というこの視点は久作の多くの作品に共通のものである」
「少女地獄」の一篇「何んでも無い」。「久作が言いたいのは、現実から疎外され、この世が虚構としか見えない者が、命がけでこの世とのつながりを求めたのが、彼女のウソなのだ、ということだ。そこには、現実こそ虚構ではないのか、彼女の虚構こそ真実ではないのか、という認識が示されている」
「わが心狂ひ得ぬこそ悲しけれ/狂へと責むる便をながめて」
(昭和四年八月二十三日の日記より)。
「「疎外された者」あるいは「現実が虚構としか見えない者」にふさわしい生き方」、たとえば「『近世快人伝』の篠崎仁三郎のように、あっけらかんとしたアナキストとしての(中略)「狂的な人生」」に共感しつつも、自分に「狂」を禁じ、日常生活では家庭人として「妻子を大事にし、両親に孝養を尽す男」だった久作が、二十五歳の時から約二年間、家を出て「最初の一年は東京の貧民街にもぐり込んで生活をし、後半の一年は出家して大和路を托鉢して歩いた」のは、そうした「「狂的なもの」の表現だと言ってよい」

「支那米の袋」。「久作はここで「心中」を「兄妹愛」と同じく、世界から疎外されつくした者が、他者との関係をつなごうとする最後の愛として描いている」「故郷や両親に捨てられた者が放つ切ない「狂」(中略)その「狂」という、あらゆる倫理や秩序から解放された精神においてこそ真実の愛が発生する。(中略)しかし、その愛は国家の悪によって、行方を見失ってしまう(中略)。それが久作の描く「近代の狂」の構造である」
 
「近代の学術が人間を犠牲にすることで発達した、というのが『ドグラ・マグラ』の一つの観点である。(中略)久作は正木博士の方を「反アカデミズム」の象徴として描く」「彼によれば「普通人と狂人の区別がつけられないのは、刑務所の中にいる人間と、外を歩いている者の区別が付けられないのと同じ」である。これはそのまま久作の人間観だと言ってよい」
「脳髄論」は「近代文明批判」であると同時に「人間の体の中に潜む、非合理的なもの「超科学的な怪能力、神秘力、魔力」などの復権を目ざすものである。(中略)人間の意識は脳髄にあるのではなく、細胞の一つ一つにある。従って、母親の胎内に宿った最初の「タッタ一つのマン丸い細胞」にも意識がある」。胎児の夢の永遠に終らない悪夢。
『ドグラ・マグラ』の「円環する時間、迷宮のような空間は、明らかに現実への復讐である。(中略)近代合理主義によって世界が進歩すると信じる二十世紀全体に、彼は復讐しているのだ」




























































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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