郡司正勝 『かぶきの美学』

「かぶきが阿国の念仏踊に出発することは、かぶきが亡者劇の性格をもつものであることを端的に証しているといえる。これを一種の念仏芸といってもいい。」
(郡司正勝 『かぶきの美学』 より)


郡司正勝 
『かぶきの美学』


演劇出版社 
昭和38年9月10日 初版
平成10年8月10日 6版発行
318p あとがき2p 口絵8葉 
18.8×13.5cm 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,300円+税



本書「あとがき」より:

「かぶきの美学は、私の夢のひとつだといっていい。いつかは、その体系がうち樹てられる日を俟ちながら、唱いあげてみたのが、この小著である。」
「私は、かぶきの本質は、文学的面に求める以上に、その芸能性に求むべきであり、その美学は、その芸能性に迫ることによってはじめて独自な価値と体系を獲得することができるのだと考えている。」
「いまは、その姿態を追い求めること急なあまり、課題と疑問を、のっけから打ちつけて、連想のおもむくまま、ときには随筆風に、ときには紀行文風に、理論形式の整然たるを求めずに書いてみた。」



口絵(モノクロ)8点。本文中図版なし。


郡司正勝 かぶきの美学 01


目次:

口絵
 〈かぶきの美〉 暫のなまず坊主・岸田劉生画
 〈風流の精神〉 助六・十一世市川団十郎の助六と七世尾上梅幸の揚巻
 〈転身の秘儀〉 双面・十七世中村勘三郎のおくみ実は法界坊の霊
 〈道行の発想〉 道行菜種の乱咲・林又一郎の吾妻与次兵衛
 〈花の美学〉 妹背山・三世中村梅玉の太宰後室定高
 〈残酷の美〉 敷島怪談・歌川国周画 三世沢村田之助の敷島
 〈夜のドラマ〉 摂州合邦辻・六世中村歌右衛門の玉手御前
 〈悪の美学〉 だんまり・初代中村鴈治郎の金剛太郎

第一部
 かぶきの美
 かぶきの構造
 風流の精神
 趣向と見立
 〈芸〉について
 〈型〉の意味

第二部
 転身の秘儀
 道行の発想
 花の美学
 残酷の美
 死への招待
 夜のドラマ
 悪の美学
 好色の美

あとがき



郡司正勝 かぶきの美学 02



◆本書より◆


「転身の秘儀」より:

「アメノウズメの天の岩屋戸の記述は、一種の起源伝説にすぎないとしても、その俳優(わざおぎ)の伝統は、ながく日本の芸能の焦点をなす所作として、演劇の構成を司った。
 その神がかりの呪術こそは、人間の生命欲に発する変身の行為にほかならない。俳優とは、この変身の術を駆使しうる人間の謂でもある。自分を死ぬことによって、他のものに転生する、そして、その最高の理想は神になることにある。その術は、俳優術の最高の技能となる。演劇は、その変身の奇跡の証しを、見物の目の前で証明することにある。
 その時代、その環境により、演劇はその形態様式に種々の変貌を遂げるが、その根本の死と復活を、変身の術をもって演じつづけてきた本質は変わらなかった。もうわれわれの近代の眼が、そういう次元をみることができなくなった死と生の転身の約束の物語を。」



「道行の発想」より:

「古浄るりの「胎内さぐり」には、生れくる以前の、ながいながい真闇の十月(とつき)の道行があった。人間が生れてくるまでの道行である。それは(中略)、胎内の懐しい、しかも暗い道行である。「弱法師」のいう暗穴道もそれであろう。コクトーが「オルフェの遺言」の最後に、オイデプースに会うが、そこには盲いたオイデプースが、永い原罪の暗穴道を辿ってゆく道行の姿があった。
 三河の花祭には以前、「生れ清まり」といった、いまは絶えた「大神楽」の行事があった。その最後には「浄土入り」といって、入口の設けられた造り物の白山と、舞処(まいど)(舞台)とのあいだに長い橋がかりに架けられ、浄土入りをする人々は、この「死出の山」の造り物の内に入り、夜明けに、山見鬼がでて、斧で山を割り人々を助け出す。かくして蘇生の儀式が演ぜられるために、ながい道行が必要だったことが、やがて「橋がかり」や「花道」発現をうながしてゆくのだといいたい。コクトーの一九四九年の作品「オルフェ」でも、この世と死の国と結ぶ道は、高いビルの裏町の谷間であったが、そこにもやはり暗い風のふく道が用意されているのも、また、日常の時空ではないことを示すために、この世の歩行とは異った、空を飛んでゆくがごとき表現も、道行の約束を果しているといえる。
 おそらくあの歩き方は、日本の能の橋がかりをゆく、すり足からヒントを得たものではないかとおもうが、その道行のあいだに行き合う、背に透明な――この透明さが象徴的なのだが――ガラスを背負ったガラス売りの呼び声が印象的だった。道行の途中で、旅の物売りや大道芸人に行きあうのは、日本でもおなじであった。」

「道行の本来の姿は、狂乱のかたちにおいて行われるのが本義であったのだとおもう。(中略)つまり魂の〈あくがれ〉が必要であったので、引かれて出てくる、宙をゆく狂乱の足取りが「保名」などでも難しいとされているが、それは狂気の表現というより道行の心得なのであろう。
 つまり、すでに、此の世の人ではない心情が要求されたのが、道行の本来であったのは、もと道行は、神がこの世に来臨する道中であったものが、さらに神迎えの巫覡の道行となり、人の世にあっては、この世から幽冥界へ旅立つ様式であり、招魂と遊魂を定着するための過程の行法でもあったからである。
 そして、道行の果は、魂の変身の密儀が待っている。」



「残酷の美」より:

「犠牲にはもっとも適格である純真可憐な処女を、かぶきの舞台という祭壇において、江戸時代の発想による責め道具のいろいろを用い、その資格を試み、町娘から人神へ転身する道程をかぶきの舞台が執行するのである。」
「完全に嫉妬に狂うことのできる性格だけが、神に近づくことのできる犠牲となれる資格をもつのだといっていい。こうして性格の一転する芝居を、近代人は非合理だ、心理的でないといおうとも、かぶきという劇の構想と本質はまさしくそこにあったのだといいたい。」
「中将姫の雪責め、敷島の蛇責め、阿古屋の琴責め、時鳥殺し、「吉様参」のお杉の雪責め、鉄灸責め、松葉いぶし、いまは上演することのまれになった責め場の数々は、いずれも陰惨な人間の作業である。これは頽廃期のかぶきのサデイズムを表した残酷物語とのみ解くのは、おそらくは誤りである。ある人生の完成は、この責め場によって果されるべき約束があったからである。(中略)おそらく、これは、開放へ向う精神構造ではなく、苦しみを通じてのみ、即身成仏の光栄が約束された、ながい民族の閉鎖的社会が、とくに展開せしめた精神構造のようにおもわれてならない。」



「死への招待」より:

「能こそは、亡霊の登場がその戯曲を創り出したもので、幽霊劇といってもいいような決定的性格をもっているといえる。能の舞台はあの世からの通信の影像の場であるといえる。観阿弥・世阿弥・音阿弥などという能楽大成の俳優たちは、すべて生きながらこの世の人でない阿弥号をもっている。(中略)つまり隠者は生きながらすでに亡者名をもっているといえるわけで、死者の国を伝え得るのは彼らしかない。浄るりを伝えた語り者たちの系譜も、この世の土地をもたぬ流浪の徒の死者語りにほかならなかったのである。こういう伝統は、死の恐怖よりは、死への懐しみをいっそうかき立たせる。
 能のワキは多くは旅の僧侶であり神官であり、この世を通りすぎる異邦人で、こうした漂泊の世捨人の目にのみシテがその姿を現わすのは、見方を変えれば、彼らこそ死の国の、すでに生きながら死んでいる使者なのだから、その目に亡霊がみえるのは当然であるといえる。」

「浄るり物の三段目は、その戯曲構成のクライマックスといっていいが、その三段目にあらわれた戯曲の頂点は、かならずといっていいほど死という形をとらねばならなかった。
 その死のシチューエーションは、一つの類型をとる。それが〈身替り〉である。(中略)浄るりの本義を〈愁い〉にあるとするのは、本来、それが死者の語りであったからで、身替りといった異常な死のゆえにとくに印象深く、その非業の死を語って弔らわねばならなかったからである。
 そこに、一つの愁いの美が発想する。死を恐怖とのみ見つめないで、死を憧れの対象とするところに、死の倫理を超えた美があり、そこから死が演劇的な姿態をとりはじめる。
 日本人ほど生より死に魅力を感じ、これを身近かに惹きつけておこうとする国民はなかったのではあるまいか。(中略)死への穢悪感と、死への親愛感は同時に日本人の感情のなかにはぐくまれたが、一つは地獄への恐怖感となり、一つはなつかしい近親感となって、無常の美を生み出したといえる。仏教哲学のいう無常観とは別に、この国の人々は無常に一つの生命感を見出したにちがいないからである。
 しかし、かぶきの世界では、そのような優美な死でなく、死に生の力を与えた点でちがう。死の衝動は、生のエロスの裏返しとして、死への演技を生み出す。かぶきの舞台では、死はいろいろの演技演出を与えられ、死を残酷化することによってますます美しく、いよいよ生の憂鬱さを確めることになる。〈死〉から戯曲を組みたてるのが、かぶきのドラマツルギーであった。」

「かぶきが阿国の念仏踊に出発することは、かぶきが亡者劇の性格をもつものであることを端的に証しているといえる。これを一種の念仏芸といってもいい。」
「往生を讃美し、死を憧れる唱歌が念仏である。(中略)亡者の供養に発した盆踊はすでにこの世のものではない。秋田の西馬音内の盆踊は、目ばかり出した黒頭巾をかぶって、篝火をとりまいて踊るが、これを亡者の姿とみることができる。」



「悪の美学」より:

「〈悪〉の美は、かぶきがはじめてその魅力の脚光を浴せた独自な美学だといっていい。」
「悪の美徳というものさえ考えられるとすれば、悪の甘美さ、悪の華麗さ、悪の壮麗さ、悪の哀しさなどが積極的に成立したものとして、かぶきははじめて独特な悪の美学をもつことができるといえる。」
「たしかに、能では創りえなかった悪の美は、人間のなかで、のたうちまわったかぶきにおいてはじめて古典になったといえる。しかし、このネガティブの手法は、美に対する逆手の表現というよりは、江戸時代という封建社会のなかでは、もう惨めったらしい真実や善では、人間の劇や魅力を発揮することができず、かぶきという、とっておきの土壌において、夢幻という表現をかりて、江戸庶民の可能性が花開いたたくましいロマンの美であったといえる。それはもう、さびや幽玄などといった貴族趣味の美とは関係のない性質のものであつた。」
「私は、むしろ悪の美は、かぶきの誕生とともにあった本質的な美であり、特殊な発達を遂げてそこまで到るにはいくつかの段階と消長があったとみたい。」

「ここでもうひとつ、演劇として別な角度からかぶきのもつ悪の性格を考えてみたい。それはほとんど原始的ともいうべき芸能の血筋のなかにひそんでいる悪の血脈についてである。デーモンの血筋をおもわせるような、おそらく、芸能の本質には、このような黒い血の流れがあって、民衆の底辺を基盤としたかぶきが、その本然性にふれて、高度な洗練された江戸文化のなかに、その原始的血脈の花を開いたのが荒事であった。そういう悪の胎児が、もと神の分身であったということがないと荒事は成立しなかったとおもう。」
「こうした芸能それ自体がもつ悪の力の復活を考えた上で、さらにもう一つ、俳優というものがもつ悪性というものを考えてみたい。俳優の歴史がもつ栄光の陰の一面、暗い人間の罪悪を引受けた一面の歴史があることをも目をそらしてはなるまいとおもう。(中略)演劇が古代の祭祀性との深いかかわりあいのなかで、悪霊を祀る御霊信仰および死者儀礼を司どる職掌の記憶と、あらゆるものに扮し乗り移れる、いわゆる俳優的性格をもつことのほかに、社会悪とされる流浪の民の生活史を長く持っていること。ことに江戸時代に入っては、遊里とともに二大悪所といわれて忌避された河原者の社会位置の罪悪感とがふかく混融し、しかもその芸術は野放しの状態のもとで、つねに弾圧の監視のもとに日蔭者的在り方を過してきた、いわゆる〈無頼の徒〉の芸術であったという性格を外的条件としてもつことも、舞台芸術を創造する際の無視されぬ条件となっていることを識っておかなくてはなるまい。」




























































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本