ジャン・コクトー 『阿片』 (堀口大學 訳)
「子供たちは自分の中に自然の麻薬を持っている。」
「すべて子供たちは、彼らのなりたく思うものになれる不可思議な能力を持っている。詩人たちの心の中には子供らしさが残っているが、詩人たちにはこの能力を失うのが辛い。ともするとこれが、詩人を駆って阿片に走らせる理由の一つかも知れない。」
(ジャン・コクトー 『阿片』 より)
ジャン・コクトー
『阿片』
堀口大學 訳
求龍堂
1972年11月13日 初版
1975年3月28日 再版
158p
27.5×21cm 並装
本体カバー 機械函
定価2,300円
本書「訳者あとがき」より:
「ジャン・コクトーが初めて阿片を試したのは、一九二四年六月二日。前の年十二月十二日、腸チフスで失った最愛の若い友、レーモン・ラディゲの死後、悶々悲歎から立ち直れずに、意気消沈、生ける屍さながらの状態を続けているコクトーの姿を、見るに見かねた友人たちが、彼を南フランス紺碧海岸へ連れ出し、阿片窟へ案内したのだった。」
「今度、求龍堂に、久しく絶版になっている『阿片』出版の希望があるを幸い、四十年前第一書房の時の訳文に、完膚なきまでの加朱改訂をほどこした新訳を、ここにこうして新しい読者に贈ることになったもの、どうぞご愛読を!」
デッサン40点収録。

函裏文:
「コクトーの全著作中最も特異な芸術論と目される「阿片」 本書は、阿片に魅入られ常用するようになったコクトーが阿片中毒治療のための禁断症状の中で書き綴ったノートとデッサンを一冊の本としてまとめたものである
そのアフォリズムは 真実の存在をあらためて高貴で精緻な観念におきかえ 無数にひかれた線は 不可思議なデッサンとなり コクトーの思索の横糸として重要なカギをにぎっている
サガン・ビュッフェの「毒物」の原型とも目される本書は 今回堀口大學が完璧を期した彫琢の新訳であり 「阿片」の定本である」

内容:
阿片
訳者あとがき

◆本書より◆
「これらのデッサンとこれらのノートは、一九二八年十二月十六日から一九二九年四月に至る季刊、サン・クルー療養院に入院中のものだ。
それは全部、世の阿片喫煙者、病人たち、書くことの唯一の言訳、著作が招く未知の友人たちに捧げられる。」
「もしかすると、人は行儀がわるいと云って僕を責めるかも知れない。実は僕、無作法でありたいのだ。だがそれはなかなかむずかしい。由来、無作法は偉人のしるしだもの。」
「僕は、上手に書くとか、下手に書くとかいうことを、今後まるで考えないようにしたいと思う。僕は数字で文章が書きたいのだ。」
「僕は自分が経験した失敗にも拘らず、阿片はいいものであり、またそれを愛らしいものにするかしないかさえ、専ら僕らの腕一つだとの確信を失わずにいる。要は阿片の用法を知るにある。それなのにこの点に関して僕らの不器用さは無類だ。」
「夢の活語は現(うつつ)の死語だ……。通訳と翻訳が必要になる。」








「すべて子供たちは、彼らのなりたく思うものになれる不可思議な能力を持っている。詩人たちの心の中には子供らしさが残っているが、詩人たちにはこの能力を失うのが辛い。ともするとこれが、詩人を駆って阿片に走らせる理由の一つかも知れない。」
(ジャン・コクトー 『阿片』 より)
ジャン・コクトー
『阿片』
堀口大學 訳
求龍堂
1972年11月13日 初版
1975年3月28日 再版
158p
27.5×21cm 並装
本体カバー 機械函
定価2,300円
本書「訳者あとがき」より:
「ジャン・コクトーが初めて阿片を試したのは、一九二四年六月二日。前の年十二月十二日、腸チフスで失った最愛の若い友、レーモン・ラディゲの死後、悶々悲歎から立ち直れずに、意気消沈、生ける屍さながらの状態を続けているコクトーの姿を、見るに見かねた友人たちが、彼を南フランス紺碧海岸へ連れ出し、阿片窟へ案内したのだった。」
「今度、求龍堂に、久しく絶版になっている『阿片』出版の希望があるを幸い、四十年前第一書房の時の訳文に、完膚なきまでの加朱改訂をほどこした新訳を、ここにこうして新しい読者に贈ることになったもの、どうぞご愛読を!」
デッサン40点収録。

函裏文:
「コクトーの全著作中最も特異な芸術論と目される「阿片」 本書は、阿片に魅入られ常用するようになったコクトーが阿片中毒治療のための禁断症状の中で書き綴ったノートとデッサンを一冊の本としてまとめたものである
そのアフォリズムは 真実の存在をあらためて高貴で精緻な観念におきかえ 無数にひかれた線は 不可思議なデッサンとなり コクトーの思索の横糸として重要なカギをにぎっている
サガン・ビュッフェの「毒物」の原型とも目される本書は 今回堀口大學が完璧を期した彫琢の新訳であり 「阿片」の定本である」

内容:
阿片
訳者あとがき

◆本書より◆
「これらのデッサンとこれらのノートは、一九二八年十二月十六日から一九二九年四月に至る季刊、サン・クルー療養院に入院中のものだ。
それは全部、世の阿片喫煙者、病人たち、書くことの唯一の言訳、著作が招く未知の友人たちに捧げられる。」
「もしかすると、人は行儀がわるいと云って僕を責めるかも知れない。実は僕、無作法でありたいのだ。だがそれはなかなかむずかしい。由来、無作法は偉人のしるしだもの。」
「僕は、上手に書くとか、下手に書くとかいうことを、今後まるで考えないようにしたいと思う。僕は数字で文章が書きたいのだ。」
「僕は自分が経験した失敗にも拘らず、阿片はいいものであり、またそれを愛らしいものにするかしないかさえ、専ら僕らの腕一つだとの確信を失わずにいる。要は阿片の用法を知るにある。それなのにこの点に関して僕らの不器用さは無類だ。」
「夢の活語は現(うつつ)の死語だ……。通訳と翻訳が必要になる。」








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