『幻影の人 西脇順三郎を語る』

『幻影の人 
西脇順三郎を語る』
編: 西脇順三郎を偲ぶ会


恒文社 
1994年8月20日 第1版第1刷発行
309p 口絵(モノクロ)4p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,200円(本体3,107円)
装丁: 本田進
写真: 冨本貞雄
カバー画: 西脇順三郎「瀟湘八景」



1983年に発足した「西脇順三郎先生を偲ぶ会」の小千谷市での記念講演会の記録(1983-1993年)。座談会「西脇順三郎の詩と絵画を語る」は、1989年4月、新潟市美術館で開催された「永遠の旅人 西脇順三郎 詩・絵画・その周辺」展に際して行われたものです。


西脇順三郎を語る 01


帯文:

「豊饒多産なる
西脇ワールドへ
読者を誘う、
記念講演集。

詩的言語に新領域を拓き、日本の近=現代詩に衝撃を与えた西脇順三郎。清冽な色彩感覚をもつ画家としても知られている。諧謔の精神をつらぬき、今なお新鮮な驚きを与える西脇作品の魅力を、当代の論客十四人が語り尽くす。」



帯背:

「生誕百年記念」


目次:

豊饒の詩人・西脇順三郎 (鍵谷幸信 1983.7.9)
ロンドン時代の西脇順三郎 (新倉俊一 1984.6.3)
西脇先生と私 (山本健吉 1985.6.7)
西脇先生の思いで (佐藤朔 1986.6.7)
私の西脇順三郎 (飯田善國 1987.6.6)
西脇順三郎私見 (那珂太郎 1988.6.4)
旅人つひにかへらず (金田弘 1989.6.3)
西脇先生と白金界隈 (繁尾久 1990.6.2)
西脇先生の関心事――年譜を追って (福田陸太郎 1991.6.1)
西脇先生の風流 (加藤郁乎 1992.6.6)
西脇詩人の思い出 (目崎徳衛 1992.6.6)
野原について――ぼくの順三郎体験 (田村隆一 1993.6.5)

座談会: 西脇順三郎の詩と絵画を語る (海上雅臣/窪田般彌/那珂太郎/新倉俊一 1989.4.1)

刊行によせて (新倉俊一)



西脇順三郎を語る 02



◆本書より◆


鍵谷幸信「豊饒の詩人・西脇順三郎」より:

「のっけから申しますけど、昭和三十年までは、西脇さんは、「小千谷」って言うと非常に気分を悪くしました。露骨に嫌な顔をしました。ところがどういう心境の変化ですかね、単に年を取ったというだけのせいじゃないと思うんだけど、昭和三十五、六年頃から非常に、小千谷っていう音響を懐かしんでいらっしゃいましたね。」

「西脇順三郎がすごいのは、あの先生くらい自分の詩の好きな先生はいない。あれは見事ですね。西脇順三郎の詩を一番読んだのは、(中略)西脇順三郎その人なのです。自分の詩ばっかり読んでました。」

「今、僕は思うんです、あの集中力はいったい何かと。芭蕉のことを言いだしたら、いつ会っても芭蕉でしょう。ボードレールっていったら、ボードレールのことばかり話してる。「もうわかってます」、僕が言う。「わかってます」って言うと怒るんですよ。「わかってない、もうすこしよくわからしてやるから」って、もう一生懸命やるんですよ。」
「十五、六年前に一五八枚のボードレール論を書かれた。そんな時なんかものすごい。慶応義塾には佐藤朔というフランス文学者がいて、この方はボードレールの専門家で、慶応義塾の塾長もやった人です。西脇先生の一番古いお弟子さんです。その佐藤朔さんを電話で呼んで、とにかく、「僕はボードレールを書くから佐藤くんに会いたい」って言って、会ったわけです。(中略)それで、最近のボードレール論について、いろいろフランスの状況などを聞いた。しかし実はこれもあまり聞いていないみたいですね。(中略)三回会われて、翌日、僕が訪ねたら、開口一番、「昔から、佐藤くんは、ボードレールはわからないと思っていたけれど、やっぱりあの男はわかっていない」(笑)。これはいいですね。「やっぱり佐藤くんよりは僕の方がボードレールはわかる」と言った。(中略)佐藤さんにも話したんですよ、「そういうふうに西脇先生は言っておられますよ」。そしたら、「そう言うだろうな、いかにもそれは西脇さんらしい、おもしろい」って。」



山本健吉「西脇先生と私」より:

「西脇先生はいろんなエピソードがあった。ご自分を非常に敬慕しているお弟子のことで、ある作家に頼みに行かれたことがあります。そして「どうぞよろしく」というようなことを言われた。そこで、そのお宅では西脇先生が見えたというのでお酒を出しました。お酒といったらやっぱり西脇先生は目がないので(中略)。そして、お酒を飲むほどに、自分が頼んだ人の、その詩人のことを、「あんな詩はつまらん、あんなつまらん詩人はいない」と、そんなことを言い出したのです。その作家はびっくりして、それからその家族たちも、「おもしろい先生ですね」と聞いていたというのです。」


佐藤朔「西脇先生の思いで」より:

「先生は物の表現のほうではペシミストらしく見えましたが、その生き方は大変楽天家であったと思われます。時には物事を非常に神経質に考えたり、先回りして考えて心配したりする神経の細かさ、感覚の鋭さは人一倍のようでしたけれども、大づかみに言えば、先生は非常に明るい楽天的な一生を送られたと、僕は思っております。」


那珂太郎「西脇順三郎私見」より:

「西脇さんの詩は非常に難しいというのが世間一般の見方です。けれども本当にお読みになるとそんなことは全くない。これくらい面白くて、楽しい詩はない。しかも、そういう語り口の中に、人間・あるいは人生というものの根源にある寂しさとか悲しみとかが、しみじみと出ている。」
「晩年には繰り返し繰り返し詩の本質というのは「諧謔」だとおっしゃる。「諧謔」を英語で西脇さんは「ウイット」というふうに言われた。そして芭蕉に昭和四十年代…七十代のころは非常に関心を持っておられて、僕らと会うとしょっちゅう芭蕉の話をされたのですけれども、芭蕉の本質についても諧謔の一点張りです。萩原朔太郎も諧謔、ボードレールも諧謔、そういった自分に関心のある詩人は全部諧謔の詩人だということになる。これを客観的な詩論としてみると首をかしげるような芭蕉学者もいたわけですけれども、自分自身の感じ取るものである物をしっかりとつかまえる、これは、物のある面を非常にはっきりと照らし出すところがあるのです。」
「西脇順三郎という詩人はヨーロッパ的な……西欧的な詩人と一般に考えられがちですが、あの人くらい日本的な詩人、あるいは東洋的な詩人はないというのが僕の実感なのです。」
「西脇さんは、「自分のふるさとは小千谷じゃない、いや日本でさえない、地球なのだ」と、冗談まじりによく言われました。その反面大きいものと微小なもの……口先では「自分のふるさとは地球だ」と言って、「しばらく滞在していたから、いよいよ立ち去るとなるとこの地球が懐かしい」なんていうことをおっしゃり、そんな言葉がごく自然に出ておもしろく、そして聞く人にしんとさせるような、そういうのが西脇さんだったのですけれども、一方でやはり、小千谷に対する愛着は非常に強かったのですね。だから死の前には郷里に帰って行かれた。」



加藤郁乎「西脇先生の風流」より:

「清長と春信だけにかぎったわけではありません。西脇先生の風流の中には、浮世絵の世界がたしかに存在していたということが考えられます。
 ついでに申し上げますと、先生は「清長は一番いい」って言うのですね。(中略)つまり古美術の研究家として来日したフェノロサの意見を尊重していたのだと思われる。フェノロサはその『東西美術史綱』で、清長の女たちはボッティチェリ以上だと讃えました。」



田村隆一「野原について――ぼくの順三郎体験」より:

「西脇先生の名言では、ある時、「田村君、詩を書こうと思ったら乞食にならなければいけません」とまじめな顔をして言うのです。(中略)だって西脇先生は財閥のご子息でしょう、だから乞食願望なのです。乞食になると良寛みたいな、ないしは一茶みたいになれるのではないかと思ってしまうのかな。僕は生まれたときから乞食なのだから乞食願望はまったくない。」


「西脇順三郎の詩と絵画を語る」より:

那珂 考えてみれば詩人としての西脇さんもまた「偉大な素人詩人」ではないか。明治の新体詩以来の日本の詩の歴史から見ますとね、西脇さんがやられた仕事は、過去の伝統的な詩の書き方をまったく無視して自由に書かれたもの、と言っていいわけです。そういうところでつくられた新しい世界、それが今でも新鮮なのだけれども、日本の詩の流れというものに拘束されない。そういう点では、僕は西脇さんは、こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、「偉大なる素人詩人」だったという感じがしますね。それは西脇さん独自のスタイルを生み出した。これは過去の伝統から自由であって、それに縛られていない、そんなことをまず絵を見て感じました。」

新倉 大体イギリスから帰られて、西脇さんは日本語がよく出なかったというんですね。慶応大学で授業をしていると、何か翻訳をするときに言葉が詰まって、先生は窓の外をずーっと見ていらっしゃる。そのくらい日本語に対して戸惑いを感じた時期があるのではないでしょうか。
窪田 だから慶応で授業する時は、学生のほうを向かないで窓の外を見ながら、憂鬱そうな背中を見せて、もぞもぞとしゃべっていたようです。」

新倉 とくにモダニズムのような新しい絵画や詩が生まれるときには、かえって玄人だと良いものができなくなってしまう。いわゆるアカデミズムの画家がろくなものを描けないと、いま言われましたけれども、そういうときには大胆に壊せる、あるいははじめから壊れてしまっているような人のほうが、大きな飛躍を遂げるのは外国でもそうですね。だから西脇さんの場合に、日本のちょうど変換期にあって、もし古い伝統にのっとって書いてしまったら詩歌の世界に戻っていかなければいけない。伝統というものがあって、それも非常に窮屈な、もう先が見えているもので、島崎藤村が書いた後、書きようがないということになってしまうのではないか。だからああいう時代に、やっぱりド素人のような居直りをしたというのは、おもしろいと思う。
那珂 詩の世界で新しい仕事をする人は、みんなそうですね。萩原朔太郎の『月に吠える』だって、今でこそ古典だなんて言われてますが、あの当時ではよくわからない妙な詩だとか、何かわけのわからない詩だというふうに受け取られたのだと思います。
新倉 西脇さんが『月に吠える』をいつ読まれたのかちょっと正確にはわからない。イギリスに行かれる時に読んだとすると、再版の出た年ぐらいですね。そうすると二十九歳でしょ。二十九歳で萩原朔太郎の作品を読まれたあの時点でも、非常に新鮮な衝撃を受けたのですね。そして西脇さんがイギリスから帰ってきて書いた詩は、もう萩原朔太郎の詩風よりもずっとラディカルで、さっき海上さんが言われたみたいに、素人だと思われた人が、その次の世代に大家とみなされた。」




こちらもご参照下さい:

『続 幻影の人 西脇順三郎を語る』



























































































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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