『西脇順三郎対談集 詩・言葉・人間』

「でも哀愁はぼくももってますよ。ぼくは哀愁の詩人だから。」
(西脇順三郎 「芭蕉の俳句」 より)


『西脇順三郎対談集 
詩・言葉・人間』


薔薇十字社 
1972年8月18日 初版発行
382p 
四六判 仮フランス装 機械函 
定価900円
装釘: 中西夏之



本文二段組。


西脇順三郎対談集 01


帯文:

「言語空間を奔放自在ときに疾駆ときに逍遥する詩仙西脇ジュンザブローの面目躍如。「詩と人間」の本質をめぐって興味深い対談集。」


帯背:

「詩仙西脇
饒舌の魅力」



目次 (初出):

詩人と小説家 武田泰淳 (「三田文学」 昭和46年7月号)
雑談 石川淳 (「都市」3号 昭和45年7月)
思い出 金子光晴 (「無限」20号 昭和41年5月 原題「対話」)
外国文学と日本 相良守峯 (昭和37年?)
近代の英文学 福原麟太郎 (「英語青年」 昭和35年12月)
言葉について 外山滋比古 (「現代英語教育」 昭和41年5月号 原題「諸家に訊く・西脇順三郎」)
二世紀遅れの日本の詩 吉田一穂 (「芸術生活」 昭和46年1月号)
散文でないもの 伊藤信吉/分銅惇作 (「国語通信」 昭和37年10月)
詩人と詩心 吉田精一 (「国文学」 昭和44年9月号)
芭蕉の俳句 加藤楸邨/安東次男 (『芭蕉の本2 詩人の生涯』 角川書店 昭和45年4月)
詩と俳句のあいだ 楠本憲吉 (「俳句ジャーナル」 昭和40年3月号 原題「西脇順三郎・この人に聞く」)
中国の古典詩 吉川幸次郎/土岐善麿 (「図書新聞」 昭和32年11月2日)
傑作なき近代絵画 池田満寿夫 (「芸術生活」 昭和46年5月号)
反経済としての詩 安東次男 (「芸術生活」 昭和46年11月号)
輪のある世界 福田陸太郎 (「英語青年」 昭和38年12月 原題「『西脇順三郎全詩集』をめぐって」)
わが詩学 鍵谷幸信/加藤郁乎 (「図書新聞」 昭和45年7月4日 原題「西脇順三郎氏を囲んで」)
詩作五十年 村野四郎/鍵谷幸信 (「新刊ニュース」 昭和46年2月15日号、3月1日号 原題「わが詩を語る」)


(本書には初出の記載がないので、『定本 西脇順三郎全集』第十二巻(筑摩書房、1994年)所収「西脇順三郎年譜」によって補いました。)


西脇順三郎対談集 02



◆本書より◆


「詩人と小説家」(武田泰淳との対談)より:

西脇 非常な合理主義です。私はとくに合理的なことが好きなのです。
 合理的だからこそ超現実的なものが好きなのです。詩人になるにはできるだけ合理的でなければいけない。そうすると超合理というものは人間の論理性が深まれば反対のものが超に現われるのですから、超のすぐれたものは現実を最も生々と表現する。だから超現実とほんとうの深い現実というのは同じ意味なのです。」

西脇 可能性ということは、だれかが可能性にしなければならないので、それは詩人がするわけです。」

武田 坂口安吾はやはり新潟の人ですね。
西脇 坂口安吾というのはだれかな、知らない……どういう方ですか。
武田 小説家です。
西脇 小説家は全然知らないのです。
武田 しかし、彼も非常に彼の特異な文体をやった人なのですが。古典主義は通過しないのですけれども。
西脇 古典主義というのは、合理主義のことですね。
武田 合理主義的な古典主義。
西脇 あなたは非常に合理主義とおっしゃるけれども、私も非常に合理主義です。(笑)」

西脇 あなたは非常な合理主義者だから、ぼくによく似ているな。合理的なものはかえって非合理なことを好む。非合理のものを包括するのがほんとうの合理主義。ただ論理的、現実的なものばかりをもっているのでなくて。」

西脇 みんな相反するものを連結されている世界が、私には最大な美の世界だと思うのです。美の理論からいって、現実論からいっていまだに信じております。だから、どうしても超現実でなくてはならない、ボードレールは言っているけれども、彼の詩にはそれほど現われておりませんが、言っていることは素晴しい詩人のことばでありますね。超現実、超自然であってしかもイロニーである。イロニーということは、相反するものが連結している世界でなければならない。争いということは、そういう意味では矛盾とか争いとか、そういうものは非常にこれも自分が経験でなくて詩論からならったことで、ヨーロッパの文芸論からならったことです。」

西脇 昔、私がさびしいというのは、戦争当時病気で血圧が低いですし、それから食べものも何かせいぜい豆を食うとか、豆腐というのは豆でしょう。豆は非常にいい植物性蛋白質、あとは全部、ええと、水素ガスでなくて……、そう含水炭素、あれを食べているから血圧が低いのです。葦と同じような感じがするのです。含水炭素そのものです。ぼくは含水炭素の女神かもしれない。何によらずさびしさを感ずる。今のさびしさというのは人間がだめなヤツで、大きな世界から見れば、永遠から見れば、宇宙という見地から見れば、人間の存在などというのはほんとうにつまらないものでしょう。(中略)そういう意味があるわけですね。だけれども、初めのさびしさなどというのは、肉体的なものからくるのです。含水炭素で生きている。ぼくはどうしても低血圧という……。
武田 含水炭素的である。
西脇 もののあわれなどというのは、日本人だけ、西洋人は肉食でしょう。だからススキがどうのということは考えないですよ。よくススキで月が出て、日本人はそれに感情移入できる。含水炭素の世界でも月の青白い、それが日本の文学であり、それが日本のもつ悲しい状態です。」



「雑談」(石川淳との対談)より:

西脇 それで東京へきてみると、もう少しいいところだと思ったら、そういう意味では、小千谷よりまだ悪いんだ。あたしのような書生ぐらしは乞食のようなものでね。そんな乞食みたいな者ばっかり集ってくるんですからね。そういったらおこられるかもしらんけど……。
石川 乞食っていうのは、ほめた言葉ですよ。立派な言葉ですよ。
西脇 「郷里を思う」という題で、非常にきょうはいいな。」

石川 エノケンが浅草の水族館というところへ出ておりました、あれはなかなかよかったですね。あの時分のエノケンというのは、どうしてたいしたものだったな。有名になって、みんなにエノケンといわれるようになってから、あれは落ちましたね。あの時分に浅草にいた若いエノケンというのは、あっぱれな役者だと思ったな。
西脇 まだ、ぼくの見たエノケンは、ほんとうに若造でしたよ。
石川 ほんとうの若造、チンピラですよ。チンピラだけども、いま新宿でアングラとかなんとか、あの名優なんだな。いい役者だとぼくは思ったなあ。だんだん有名になって、偉くなって、だんだんばかになった。芸が落ちたんですね。
西脇 まあきょうぼくは、いい人に会ったな。あなたの名声というのは知ってたけども、どういう人かわからんのに、話をせいっていうんだけど、よかったな。あなたに会って安心したんですよ。
 (中略)
 きょうほんとにもう何かあんまりよく知らないしね、どういう人かなあ、だけど一応こう、よさそうな人であるし、わからないと思ったんだけど、ほんとによかった、きょうは……心配してあなたに会ったんですよ、おれとあんまり合わないと、ほんと困ると思ってね。(笑)」

西脇 きょうは、たまたまほんとうの江戸っ子の精神じゃないけど、ほんとうの江戸の話をしたような気がするな。
 (中略)
 ぼくは、酒、相当飲みますけどもね、あとから困るんです。そのときは、話がおもしろい話だったら、幾らでも飲む。あなたよりぼくはきょう飲みましたよ。
石川 そうですか。
西脇 石川さんにお会いして、ぼくはやっぱりよかったと思うね。石川さんて、こんなおもしろい人を、どうしていままで知らなかったか、ふしぎだな。だって世界が合わないと思っていたんだものね。
石川 合わないことはないですね。お目にかかる機会がなかったというだけ。」

石川 それは西脇さんの仮説ですよ。
西脇 いや、仮説にしてもいいでしょう。それはとんでもない仮説かもしらんけど、いままでの人と反対なんだ。
石川 そう。
西脇 だけどもそこにほんとうにあるかもしれない。一応の仮説として、あなたは採用して下さいね。
石川 伺いましょう。
西脇 そうじゃないと、宣長っていうのは、どこからそれじゃそういうことをやってきたか。もののあわれなんかいったって、あれはシナの地からきているんだ。唐詩っていうのは、全部栄達名誉を捨てよ、それで自然に返るということからきているから、それは当然なんです。だって宣長なんか、ずっとあとから生まれてきてますからね。彼がもののあわれを発明したわけじゃないですよ。(笑)
石川 それはとってもおもしろいです。それは西脇さんの仮説として、つつしんで承ります。ただし、ちょっとわたくしは反対します。
西脇 いや、そんなことはないです。(笑)だからいいでしょう。
石川 いいです。いいです。仮説が非常におもしろいので、ただ、仮説として、わたくしの仮説から申し上げると、それとは反対であるということになるかもしれません。
西脇 でも、そうすると、仮説と仮説の争いになる。どっちでもいいでしょう。わたしとしては、わたしの仮説を主張する。あなたは……。だから何もけんかする必要ない。
石川 両方とも仮説ですもの。(笑)
西脇 (中略)いや、ぼくはこういうことをいわないようにしようと思ったけど、おれがいまやってることを、あなたに知らせたかったんですよ。きょうはぼくは会うべき人にあったな。」

西脇 いまぼくがやってることは、漢語とインド・ヨーロッパ語の関係ですよ。ぼくは最近、インド・ヨーロッパ語系と漢語が比較出来るかどうかをもの好きにやっているんです。その副産物として日本語と漢語との関係の問題が出てくるのではないかと思うのですよ。しかし、わたしは、文学というのを、あんまりよく日本文学知らないんですけど……。
石川 文学のことなんかどうでもいいですよ。」

石川 (中略)だから当然幾つもの仮説をお出しになって、ということは、仮説の倍ぐらいのあやまちをお出しになって、当然ですよ。西脇さん、あなたのおっしゃることみんな正しかったら、あなたは恥ずかしくありませんか。
西脇 恥ずかしいでしょうね、むしろね。(笑)
石川 それは間違えるのは当然ですよ。
西脇 それはこっちは間違えないよう努力してますよ。けれど間違うにきまってる。
石川 そう、それが学者の誇りです。間違えなくてどうしますか。だったら、われわれ何で文学なんていうくだらないものやってますか。あれ実に間違いだらけのものをやっておりますんでね。間違わなかったら、楽しみありませんよ。
西脇 だからやっぱり疑念の光背をしょってるのが魅惑なんですよ。幾らこうだと信じるけれども、もし間違ったら、これはっていう疑念があるから、逆に魅惑になるんだな。だから学者の魅惑っていうのは、やっぱり仮説の魅惑なんだな。仮説というのは、ぼくの心をゆするんだな。あなたがさっきから、仮説、仮説ということをおっしゃったけど、ほんとうにおもしろいもんですよ。
石川 おもしろい、ほかにないですね。それは大ざっぱな言葉でいうと、詩ですね。
西脇 日本にこういう石川っていう人がいたってことは、珍しいな。しかも、浅草から出たっていうことは、またすばらしいね。
石川 実に生まれぞこないでね。(笑)」



「思い出」(金子光晴との対談)より:

金子 ぼくは実際の話、詩のほうは自信がないんだけれどもね。ぼくの詩なんかはあまり西脇さんはおもしろくないでしょう。
西脇 おもしろいというか、ぼくはあなたの詩は諧謔でなければおもしろくないと思うのですね。諧謔だろうと思うから全面的におもしろいと思うんです。(中略)女のおしっこの音が聞こえたというのは諧謔のはじまりじゃないですか。
金子 あれは実感なんだけれどもね。(笑)」



「近代の英文学」(福原麟太郎との対談)より:

西脇 私は日本の英文学なんかのことを知らないんですよ。知らないで、ぼくはしかし非常なペーテリアンで、おそらくは一番……失言かもしれないけど、おそらく日本で一番ペーターを、禿木よりも、上田敏よりも、本式にペーターを読んで、そこから出発したと思いますよ。自分でただペーターをありがたく思う。だから昔、「ペーター学校」と私は言ったんですよ。私はどこでも文学を学んだことはないんだけど、ペーターの全集を読んで、ぼくは文学を覚えたんで、私は慶応で経済学をやったんだけれども、文学をやったんじゃない。」

西脇 ジョイスの文学というのはエリオットがそれをまねしたんでしょうけれども、世界中の文学を取り入れて、そして文学を作ろうとしているわけですよ。その文学的教養を現わすための小説といってもいいですね、だから描くのは、全然普通の人生ですね。だけど、それを表現するに、あらゆる世界中の一番いい、文学に言及する。簡単にいえば、家を造る時に、世界中で一番いい材料で家を造るわけです。そういう文学。だから、その点では、非常に古いですね。昔の文人というのは、昔のえらいものを取ってきて、それを使うのがいい文人だった。(中略)だからエリオットとかジョイスは、ミルトン時代へもどったという感じがするんですね。その意味で、ジョイスを一冊読むということは、サンスクリット、ホーマー、中世紀文学、近世のサンボリストに至るまで、ペーターはもちろん入っているし、ヨーロッパのあらゆる文化は、全部その中に入っている。ただ小説は便宜上の小説で、本当はあれは論文に書くところを、小説に書いているだけなんですね。わからない文学ですね、その点では…その教養がないと、わからんですよ。おもしろがらないですね。だれか和歌を読むでしょう。そうすると、『万葉集』とか『古事記』に出ている歌をまねたなということがわかるとおもしろい。(中略)今の詩は、それはロマン主義になって、昔のをまねちゃいけない、何でもいい、つまらない経験でもいいから、そのままに書けば、それでいいんだという思想になったわけですね。しかし元来、日本でもシナでも、どこの国でも、文学は教養なんだ。(中略)今の文学というのは、教養反対なんですね。ジョイスだって、エリオットだって、考え方によれば昔にもどったことなんですね。」



「言葉について」(外山滋比古との対談)より:

西脇 ぼくたちが教育を受けたときは一種のでたらめなんでしょうね。(中略)やはり制度がきまってしまうと、それ以上出ない、月並みの、というか、型にはまったものしか出ない。やはり天才教育とかいうのは、ちょっとでたらめのほうがおもしろいじゃないですかね。
外山 いまは単語を幾つ教えるかということに大騒ぎしているのですからね。西脇先生は日本の教育の弊害をお受けにならなかったですね。
西脇 ええ、弊害を受けないです。それだけに別の弊害も受けたでしょうけれどもね、でたらめという弊害を受けた。(笑)
外山 しかし、やはりものがあまり整わないときのよさというものがあるわけですね。
西脇 すべてそういうものがあるわけですよ。あまり型にはまるということは、すぐれた者が出ないということになるのですね。教育法としても、天才を出すよりも、できるだけ数多く普通の頭を出すのがいいんでしょう。
外山 このごろはそうです。
西脇 いまは数学はやる、国文はやる、物理、化学はやる。昔はそれを全部捨てて一つのものにかけるから人よりできるようになるのですよ。ほかの人は東大に入るとかで一所懸命国文をやったり、漢文読んだり、数学をやったりしていたけれども、こっちはやることはやってたが、及第するくらいの点を取るわけですね。やはり子供のじぶんから一つのことに時間をかけなければだめですよ。
外山 天才教育は必要ですか。
西脇 天才教育なんかないのですよ。一つのものにかけることが天才教育みたいなものになるわけだ。こっちは一つのものに人より時間をかけているから人よりよくなるわけだ。時間にすぎないですよ。いまの教育では英語だけに時間をかけられないですよ、ほかにやることはたくさんある。われわれのときには必ずしも東大に入らなくてもいいと思っているから、そんなものどうでもいい。ぼくだってどうしても東大に入らなければならないと思ったら、英語だけをやらないですよ。ほかのものも勉強する。また東大とかそういうものがいかに偉い学校かということもよく知らないんだ。われわれは非常にのんきな時代なんだ。そんなものを出なきゃ出世しないなんていうことを思わないからね。だいたい出世なんかするということはどういうことかよくわからなかった。(笑)」

西脇 詩のことばというのは文語でもないものを書くべきですね。一般言語をこわさなければいけないですよ。何とも異様なある文体でなくちゃいけないんです。」

外山 先生は植物とか、そういうものに非常にお詳しいようでございますけれども、このごろは……。
西脇 このごろは忙しくてあまり……。植物なんかに興味を持つのはだいたい失望時期ですね。(笑)
外山 いまは失望の時期はすぎて……。
西脇 いまは失望じゃなくて死の時期に入っているのですね。(笑)だいたい元気のある人は雑草なんかに興味を持つもんじゃないですよ。」



「二世紀遅れの日本の詩」(吉田一穂との対談)より:

西脇 放言をすることはぼく好きですから、放言、すなわち詩というぐらいに思っているんです。駄洒落が好きなんですよ。そうじゃなかったけれども、世捨て人は駄洒落になるんです。」

西脇 あなたのいわゆる詩論という題のついたものもいいし、随想もいい。あなたの詩論は変節していないんで大好きなんです。安心して読める。
吉田 何々に転向したなんていうようなことはぼくは精神としておかしいと思うんだ。
西脇 だから一番いいのは、全部捨てちゃいけないということが書いてあるんだ。これは昔から変わらない。ぼくもそうだ。捨てちゃいけない。」

西脇 早く言ってしまうけど、私はあんたより年は上だし、萩原朔太郎より八つぐらい若い。それでぼくが信頼する詩人というのは萩原とあんたしかないんです。」
「信頼するというか、安心して読むという意味です。詩人らしいというのかな。」

西脇 日本はどうもぼくの考えでは、だいたいあんまり金にこだわりすぎるんだな。金あれば尊敬するというような傾向があるんです。」

吉田 土地を切り売りするの、あれは誰の土地なんだっていうんだ。けしからんですよ、土地を売るという考え方は。
西脇 地球のものだもの。誰も許可を与えてないものな。地球がだまっているから……。」



「芭蕉の俳句」(加藤楸邨・安東次男との対談)より:

西脇 要するに、現実とそれに対立する世界、二つ相反する世界をつなぎあわせるということが、すでに新しい感覚をいつも発見しようとすることになる。したがって、つねに新しい関係でなければ美じゃない。芭蕉はそれを実践しているのでぼくは好きなんですよ。ヨーロッパと同じことなんです。それが芸術だとわたしは思う。」

西脇 でも、ジェイムズ・ジョイスなんかいうのは駄洒落(だじゃれ)ですよ。駄洒落というのは、文学の形としてはヨーロッパでもよくないということになっているでしょう。ところがジョイスはそれを平気でやるんです。駄洒落ほどすばらしいものはない。だからぼくが書くのはジョイスの影響なんです。人が悪口いうに違いないと思っても、ジョイスが一生かけて保障したんですからね。」

西脇 人生を渡りとか旅人にたとえるのはシナの詩なんです。(中略)旅が人生観になっている。それが日本に入ってきた。シナの詩を読むと、どうしても旅をしなきゃだめなんですよ。(中略)旅のさびしさによって人生そのものの哲学ができている。だから芭蕉も、旅人というのが地球上に住む人間の生き方だと、文学から学んだろうとわたしは思います。わたし自身、どれが一番正しい人間の生き方かというときには、やはり放浪というか、旅人、乞食(こつじき)、そういったものを人間の生態というふうに思うんです。おまえはどうやったら一番よく生き死ぬことができるかという問題です。わたしは五〇くらいになったときにどういうふうにして死を諦めることができるかをいつも問題にしておりました。どういう人生観が一番ぼくに適しているかというときに、いまの旅人が出てくる。放浪者である以外に、ぼくなんかいうのはどうにもしょうがない。栄達の世界にも入れないし、金も入らないし、その世界が一番いいですね。」

西脇 でも哀愁はぼくももってますよ。ぼくは哀愁の詩人だから。」

西脇 文学から文学を生んだ人、それがほんとうの文学者なんですよ。実際の経験よりは、そうじゃないと文学の価値がないんです。」



「詩と俳句のあいだ」(楠本憲吉との対談)より:

西脇 詩でもそうですが「さびしさ」の出ていないものはきらいです。
何のことを言っているのか、ちょっとわからないようなもの、諧謔味を出したり、「わび」とか「さび」とかを出さず感情の上から言っても、どんな感情をあらわしたのかわからない、そんなものの方が、この頃好きです。表向きは、意味も何もない、それでいて神秘性を持っている、そういう句が好きですね。」



「反経済としての詩」(安東次男との対談)より:

西脇 どんなつまらないものでも、人の知らないことを知っている人、私は偉いと思う。それを学者と私は呼ぶんです。そういう主義なんです、私は。」

西脇 カラスはすばらしい鳥なんだ。飼ったら、人間なんかより以上のもんだしね。ギリシャ語でコラックスという。日本語によく似てるんだ。すばらしいもんですよ。ギリシャ語ってのは世界の言葉ですから、これはすばらしいものです。
安東 話がとぶけれど、西脇さんは仕事を大事にする人だ。西脇さんが描いた京都の愛宕山の絵、水彩の、どうも一部分私には気に入らないんで、こちらも酔っぱらってたもんだから、直してやるってべたべたやっつけた。ところがこの人、それまで横になってたのに、急に時々目をあけて気にするんだな。そして起きてきては、こっちが直したところを又直すんだ。それはそうじゃないって。
西脇 あれは合作だ。
安東 ずいぶん酔ってらしたはずなんだが。その直し方がいかにも西脇さんなんで、感心した。もっとも、直してよくなったかどうか……。
西脇 悪くなったんだよ。仕事はね、大事ですよ。人間、ばかだっていわれるほど辛いことはないな。あなた、そういわれたら反抗したほうがいいよ、ほんとうに。ばかといわれてもいい、というやつは達観してるんです。ぼくなんか、なんだおまえこそばかだといって……。(笑)
 そんなこと、どうでもいいんで、詩だけ握ってりゃね。外面的なものは生存競争の片割れにすぎないんで、人間なんて、地球上の動物なんです。おうむとかカラスと同じだよ、みんな。そう思っていなさい。あなたなんか偉そうにいうけど、みんな動物。どんなにいばったって、しれたもんだ。そうでしょ、安東さん。
安東 まったくお説のとおりです。(笑)あのせつは、たいへん失礼しました。」



「わが詩学」(鍵谷幸信・加藤郁乎との対談)より:

西脇 諧謔と、それでは、酒というのはどういうわけかというと、諧謔もやっぱりそういう一つのなぐさめだろうと思うんですよ。一つの哀愁に対する諧謔ですよ。だからあの人は諧謔を好むということは、その人は哀愁の量が多いということですね。(中略)だから哀愁の観念があればあるほど諧謔が必要になるんです。自分の存在のために、自分が生きているために。」

加藤 村野四郎さんが西脇さんを評して垂直的侵入者だというのは……。
西脇 それはぼくが村野君に言ったんですよ。ピカソがフランス芸術に関して、彼は急に土人的なものを入れてきたのは、垂直的侵入者だと言った、ある批評家が。
 水平に行ったらだめなんだ、バリケードだとか、アカデミーだとかいろいろあるから。上から直接入っていく、それを垂直的侵入者だと言った。だからぼくが俳諧を論ずれば、ぼくみたいな門外漢が論ずるんだから、立派な学者の間を入れませんよ。上から垂直に降りなければ彼らの真ん中へ出るわけにはいかない、おまえは素人だとか、おまえなんかだめだといわれちゃう。だから素人が入るには上から入らざるを得ない。それはピカソ論を書いたときにぼくもそれを論じただけであってね。
鍵谷 しかし昭和の初めの『Ambarvalia』が出たころは、やっぱり日本の詩の歴史にとっては、垂直的侵入者ですね。西脇さんに限らず、やっぱり新しい詩人が生まれるということは、全部垂直的侵入者だということでしょう。
西脇 考えてみればみんなそうです。垂直的侵入をしないと、みんな周囲が厚い壁が出来ているんですよ。これを破るのはたいへんなことなんです。いちいち、それじゃあ、ぼくが詩を書いたときにほかの詩人に、どうぞ私を通してください、私のはこういう詩だから困るだろうけど通してくださいというわけにはいかない。おまえはことばは下手だし、おまえの日本語は何だというかもしれないでしょう。日本語もだめかもしれないし、ぼくは上田敏のような調子もできないし、俳句のようなことばづかいもできないし、だから仲間に入れてくれない。どうしても垂直的に侵入せざるを得ない。」

西脇 だけど一応永遠ということばを使ったら、やっぱり永遠なんです。(中略)やっぱりちゃんとそのもとの意味は保存しているんですよ。たとえば、まさかりを借してくれないかとある男が言った、すぐそのあとで「永遠」とぼくは書いた。つながりはなんにもないけど、文面のうえではすぐ永遠という思想がはいってきている。まさかりを借してくれなんていうのは、何をするためにまさかりを、まさか人を殺すためじゃないだろうと。何をいったい切るために、まさかりを借りに行ったのか、その男はね。それがわからない。それで永遠というのを使ったのは、ただそのことばに連結させるために、連結は唐突であるけれども、一応永遠ということは、こんなことはつまらないことであるという意味で使っている、そのときにね。まさかり借りることは永遠であると言っているんじゃないんです。永遠というのはすべてゼロにするんです、人間の世界を。」
「もう永遠と言われるとすべてはゼロになるんです、人間の世界は。」
「ぼくの永遠というのは、人間の世界なんてもう永遠といわれたら、人間の世界を超越した世界があるぞということをいうわけです。」



「詩作五十年」(村野四郎・鍵谷幸信との対談)より:

西脇 だから私が外国から帰ってきた当初は、それほど過激にはならなかったんです。だんだん過激になったんですよ。むしろ皆さんは若い時の方が過激だと思っているけどそうじゃないんだ。なんていうかな、人間の道をわきまえてから過激になったんですよ。(笑)」




















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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