種村季弘 『畸形の神』

「わが子よ、その不具(しょうがい)をくよくよ思い煩ってはなりません。」


種村季弘 
『畸形の神
― あるいは魔術的跛者』


青土社 
2004年4月10日第1刷印刷
2004年4月20日第1刷発行
345p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,200円+税
装丁: 高麗隆彦



本書「あとがき」より:

「かれこれ二十年ほど前になろうか、『ある迷宮物語』という小冊子を編み、そのなかに足の、それも足の畸形がモティーフの小文をいくつか収録した(「呪われた跛者たち」、「足の話」、「神話的職人と女性的なもの」他)。足の話が多いですね、と読んだ人から指摘され、当人も思い当たる節があって、それが気になっていた。
 そうだ、いずれまとめて跛者の話を書いてみよう。それも今度は「呪われた跛者」ではなく、呪われているがゆえに輝かしい「魔術的跛者」のことを。
 二十年の歳月を経てその機会が訪れた。すなわち「ユリイカ」〇二年四月号~〇三年十一月号に二十回にわたって連載した本書の原型「魔術的跛者」である。」
「単行本のタイトルは「魔術的跛者」を副題にまわして『畸形の神』とした。畸形といい、跛者といい、現実のそれではなくて、あくまでも表象としての畸形、表象としての跛者である。それは改めていうまでもない。『畸形の神』と名乗ってはいても、畸形の表象も跛者のそれも、たとえばクラナッハ『メランコリーと戯れる子供たち』の画面における、母なるメランコリアと戯れる子供たちの構図に見るような、太母と子供たちの戯れの関連を探るための作業仮説にほかならないのだから。」



種村季弘生前最後の著書が、「創造的引きこもり(インキュベーション)」の称揚と虐げられた畸形の神々の復権を説く本書であったことはたいへん感銘深いです。

本文中図版(モノクロ)多数。


種村季弘 畸形の神 01


帯文:

「ギリシア古典あるいは西洋文芸にあって、優れて芸術的営為に携わるオイディプス、サトゥルヌスからメフィストフェレスまでの輝かしき魔術的跛(は)者。いずれもが体現するのは、近代の古層に横たわる豊饒な身体的思考。芸術創造の奥義を求め、文学・美術・舞踊・精神分析から民俗学までの知見をもって展開する、壮大なスケールの表象文化論。
メランコリー
と戯れる
子供たち」



帯背:

「オイディプスの
腫れた足」



本書エピグラフ:

「およそこの類のものは、
さかんに装束せる、
光れる、
おほいなるかくしどころをもった神の半身であった。
 ――萩原朔太郎『青猫』

これに対し奇形児の多くは、そのからだの一部をはって、上陸ならぬ降海の見果てぬ夢をなぞりながら、その奇なる発生をとげ終えたごとくである。
 ――三木成夫『海・呼吸・古代形象』」



種村季弘 畸形の神 02


目次:

1 畸形の神
2 びっこの太母
3 兄弟殺し
4 海賊島綺譚
5 空飛ぶ鍛冶屋
6 分身殺し
7 鍛冶屋ヴィーラント
8 メフィストフェレスの足
9 むく犬の正体
10 アニマのいる島
11 秘数・九
12 オイディプスの腫れた足
13 ハムレットはためらう
14 永遠の少年
15 人の世は夢
16 タラッサ! タラッサ!
17 サトゥルヌスの義足
18 モノコルスの黒い足
19 小人の鍛冶屋
20 畸人列伝 あるいは陽気なメランコリー

あとがき



種村季弘 畸形の神 03



◆本書より◆


「兄弟殺し」より:

「要するに古代地中海には、太母の生んだ、父親のよくわからない、太母の大きさにくらべれば小人の、原人たちがうようよしていたのだ。彼らは原人というものが大方そうであるように、精神が未分化であるために万事につけてすこぶる曖昧である。善悪の概念もはっきり分化していない。邪悪で野蛮、ときには血なまぐさい悪事を働きもするが、一方ではずる賢いトリックスター的な性格もあって、どこか子供っぽい愛嬌の持主なのだ。物理的体形も曖昧模糊としていて、あるときは小人、あるときはまた「大いなる神々(メグロ・テオイ)」とも呼ばれる巨人的スケールで出現する。
 彼らの原人的全一性、つまりこちら側から見れば善悪がこともなげに共存している矛盾、を理解するには、アテナイ人の原初の王であったケクロペスを参照するといいかもしれない。ケクロペスは、なかば人間、なかば蛇、という半人半蛇の姿をしていて、その名の源は「尾のある者」(ケルコプス)からきた。(中略)ケクロペスはしばしばカベイロスと同一視された。ケレーニイによれば、

 古い物語作者たちは、ケクロペロスを《嘘つき、詐欺師、不可能なことを教唆し扇動するペテン師、人びとを惑わす永遠のさすらい人》と呼んでいた。ケクロペスはオロスおよびエウリュバトスという名の兄弟を形成していたが、エウリュバトスのほうはまさしく《ぺてん師》の意味なのである(『ギリシアの英雄たち』)。」

「カベイロスたちはいずれにせよ何か決定的な悪業を犯した者なのである。」
「尋常ならざる悪業とはおそらく近親(母子)相姦と兄弟殺しだったのであろう。カインのように兄弟殺しの烙印を額に刻した者のみが、司祭に浄化されて、太母の従者、道具、産婆役、鍛治工、魔術師等が構成する(秘密)結社のイニシエーションに与ることができるのである。」

「カベイロスやダクテュロスの畸形とみばえのしない外見、にもかかわらず鍛治に巧みで音楽に巧みな特性、すなわち芸術家としての特性については、C・G・ユングもつとに次のように要約している。

 あの秘められた地下の神々、奇跡を行う強大な力を託されたヘパイストスの子たちであるカベイロスたちを特徴づけているのは、みすぼらしい外見と畸形であった。(中略)カベイロスたちはまた《大いなる神々》とも呼ばれ、神々の母から鍛治の技術を伝授されたイデ山のダクテュロスたちは彼らと近しい存在である。彼らはオルフェウスの師である最初の賢者であり、エペソスの呪文と音楽のリズムを発明した(『変容の象徴』)。

 してみれば鍛冶屋は音楽をも創始したのだ。おそらく鉄敷きとハンマーが奏でるリズムからして彼らはまず打楽器を発明した。(中略)鍛冶屋は悪霊におびやかされながらせっせと働き、火を熾し、たえず騒音を立てて悪霊を追い払うという強迫観念に憑かれている。騒音は、ただの鉄が良質の鋼鉄に変身するように、やがては音楽の快適なリズムと化していった。
 ところで鍛冶屋が音楽のリズムを構成しながら製作している当のものは、ナイフ、つまり殺人の道具である。ナイフばかりではない。(中略)殺人の道具はことごとく、広い意味での鍛治の産物にほかならない。とすると殺人と音楽のあいだには深いつながりがあるのではないか。
 ユダヤ・キリスト教圏における最初の殺人はカインのアベル殺し、すなわち兄弟殺しだった。カインは弟殺しの廉によりエデンの東、ノド(さすらいの地)に追放された。」
「カインの末裔からは猟師ヤバルと音楽家ユバルと鍛冶屋トバル・カインとが生まれた。これらいずれも大地に根拠を持たず、それゆえにたえずさすらっていなければならない者たちは、大地との確たる接触がないか希薄であるがために、足萎えや跛行といった足の欠陥が生じやすかった。それがエデンの東に追われた者たちの劫罰であり、それゆえにアベル殺しの末裔たちは跛行する鍛冶屋や音楽家たらざるを得なかった。兄弟殺しという血みどろの犯行と、音楽という美的創造行為、悪と美は、それゆえに原初から表裏の関係にあったのだ。」



「海賊島綺譚」より:

「リベルタニア――その名も自由の国。しかしありようは海賊の国。
 一六九〇年のことだ。プロヴァンスの貴族ミッソンはローマ留学中に知り合ったイタリア人修道僧カラチオリと語らい、海賊共和国実現のためにヴィクトワール号に乗って船出した。行き着いた先はマダガスカル島。ここを根拠地に海賊活動を開始する。リベルタニアの海賊船には国籍や身分による差別はもちろん、人種差別さえもなかった。
 ミッソン自身が貴族階級の離脱者だった。カラチオリは第一階級たる司祭身分からの脱落者、つまりは破戒僧。仲間の海賊たちは、いずれも階級や国家から脱落してきたフランス人、アメリカ人、イタリア人、イギリス人、それに黒人の混成集団。彼らは既存のどの国家にも属さない無国籍無権力の国リベルタニアに所属する「自由人(リベーリ)」を名乗った。」
「あらゆる階級脱落者の混成集団は後の無政府主義者のそれを思わせる。それかあらぬか海賊船の旗は骸骨の図案以外には黒地一色であり、あらゆる階級色を混ぜ合わせたあげく黒一色になってしまった無政府主義者の黒旗の前身だ。」

「海賊の花嫁ジェニーは酒場の皿洗いをしながらいつもの鼻唄を口づさむ。それはそれだけのこと。だがその先にまだ起こっていない出来事が待っている。

 ――やがて昼頃、百人の手の者が陸に上がり、
 家の中に踏み込んで、
 家という家の戸口で手当たり次第ひっ捕らえ、
 数珠つなぎにあたしのところへ引っぱってきて、
 どいつを殺せばようがしょう? (中略)
 どいつに死んでもらいやしょう、と聞かれるそのとき。
 そこであたしの声が聞こえるのさ、一人残らず殺(や)っちまえ!
 それから首がコロコロ落ちるそのたびに、よっこらしょ!とあたしは叫ぶ。

 この物語は古い。酒場の小娘も鼻唄で口ずさんでいるが、旧約の予言者たちも同じ出来事を幻視していた。旧約のなかでもあまり引き合いに出されることのない、ミカ書だの、ゼファニヤ書だの、のような小予言書には、排除された足萎えたちが捲土重来するヴィジョンがしきりに語られている。
 排除された足萎えたちはどこにいて、いつ海賊の花嫁ジェニーの手引きで町に上陸してくるのだろうか。ミカ書が予言している彼らの隠れた根拠地はいたるところに散在してはいないか。
 概してそれは島宇宙だ。つまり連地(コンチネント)ではなくて隔地(ディスタント)。追いやられて、容易に帰れぬように水で隔離された場所。」
「しかしいまはミカ書の予言に立ち戻ろう。(中略)問題の予言は、4「終わりの日の約束」のくだりに見える。

 その日が来れば、と主は言われる。
 わたしは足の萎えた者を集め
 追いやられた者を呼び寄せる。
 わたしは彼らを災いに遭わせた。
 しかしわたしは足の萎えた者を
 残りの民としていたわり、
 遠く連れ去られた者を強い国とする。
 シオンの山で、今よりとこしえに
 主が彼らの上に王となられる。
 羊の群れを見張る塔よ、娘シオンの砦よ
 かつてあった主権が、娘エルサレムの主権が
 お前のもとに再び返って来る。

 ゼファニヤ書もまた「諸国民の滅亡」と「エルサレムの罪と贖い」を幻視してから、終わりにこう告げる。

 見よ、そのときわたしは
 お前を苦しめていたすべての者を滅ぼす。
 わたしは足の萎えていた者を救い
 追いやられていた者を集め
 彼らが恥を受けていたすべての国で
 彼らに誉れを与え、その名をあげさせる。

 追いやられた者や足萎えはかならずやまた帰ってくる、と予言はいうのである。」



「空飛ぶ鍛冶屋」より:

「そういえばダイダロスの名を不朽にせしめたクレタの迷宮そのものが、やがて飛翔するための引きこもり(インキュベーション)としての冥界、空を飛ぶための沈降の場ではなかったか。」


「分身殺し」より:

「本体のジーキル博士の身体はハイド氏になるとみるみる若返って小さくなり、のみならず心は軽快でよこしまな全能感にあふれているように感じられた。つまりは医学博士たる紳士の諸々の社会的制約から解除され、社会常識にまだ順応していない子供の状態に晴れて立ち戻った。ということはハイドへの変身はまぎれもない幼時退行の産物なのだ。ジーキル博士はハイドという子供=原人に退行し、精神的にも紳士としての分別をうしない、応じてハイドは紳士=父であるジーキルをオイディプス的に殺害せんとするパラサイト願望に憑かれるのである。
 ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』また然り。画家ドリアン・グレイが現実の人間として老化するのにひきかえ、画像は永遠の無時間のうちにとどまって齢をとらない。画像の永遠の少年(パイース)がことさら故意の殺意を持とうが持つまいが、無時間のなかにいるという存在様態そのものにおいて、彼を造形する老いゆく画家を父とするオイディプス状況が構成されるのである。
 してみればいわゆる父親殺しとは、無時間による時間殺しにほかならぬことになる。カベイロスの原人性のままにとどまろうとするハイドの無時間性は、それゆえに時間という分身ジーキルをいずれは抹殺しないわけにはいかないのだ。」



「鍛冶屋ヴィーラント」より:

「古代社会では王は魔術師であり、魔術師が王だった。ユングは『変容の象徴』のなかでこの種の王の魔術的再生神話を枚挙しているが、その多くはなにか殻や袋(そう、「革袋」)、小箱や壷、わが国であればうつぼ舟のような「母胎なる洞窟」を思わせる容器から再生する物語だ。」


「秘数・九」より:

「鍛治神ヘパイストスは一日中落下し続けて海に落ち、そこで九年間、誰にも見られず知られずに鍛治の修練にはげんだ。九年間というのが意味深長である。
 『化学の結婚』の語り手の錬金術師は七日間探究の旅を続けてようやく目的に到達し、そこで発見した秘密の番人になる。九と七の違いこそあれ、彼らは一定期間の暗黒空間(海底、洞窟、穴、塔)への閉じこもりを経てから、大いなる作業に打って出るのである。」
「シュテファン・ザスというユング派の心理学者は『象徴としての跛者』という著作のなかで、抑鬱状態への引きこもり(インキュベーション)と活動再開に至るまでの期間が九の数と関連している消息を語っている。そしてたとえばヘパイストスのような海中への落下は「無意識への退行」であり、無意識という母胎から再誕生して若返りを図(はか)るための、一時的な追放=待機だとしている。神話や物語の主人公はしばしばこの種の退行によって無意識への沈降とそこからの再誕生を経験する。なかには退行の過程で、『化学の結婚』の錬金術師のように足に障害を負ったり、あるいはまた目に障害が生じる場合もある。」

「水は太古から生命を産出し創造する母胎とされてきた。河川や海中に落とされることは、そこからふたたび新たな何ものかを産出するための無意識への創造的退行である。」



「オイディプスの腫れた足」より:

「ことほどさように跛者の表象は、片足であるために大地との接触不能、ではないまでも接触不足を意味している。それゆえに跛者たちは、単性生殖的ないし自己産出的創造に向かわざるをえない。結果として女性との接触による生殖=世代交代を必要としない跛者たちの自己産出性は、女性の側からうとまれ忌避されるにいたるだろう。
 かりにそうであるにしても魔術的跛者たちの反応は両義的であり、相手にされなければそれはそれとして、独楽のように自己回転するひとり遊びに自足してしまうこともないではない。
 一例がヘパイストスだ。彼はヘラやアプロディテをはじめとする女(神)たちにうとまれ、外見的には拒絶されながらも、一向に頓着する気配がない。テティスがアキレウスの楯を注文しに彼の仕事場に訪ねていく『イリアス』の場面では、典雅女神(カリタス)を妻にめとり、自分でこしらえた「黄金づくりの(人形だったが)、生きた乙女にそっくりで、胸中には精神というものがあり、人間の声だの気力だのも持っていて、いろんな技術さえ心得ている」、そんな輝くばかりの黄金の人工美女たちにかしずかれて優雅な暮らしをたのしんでいるのである。」

「要するに、古代母権制がすでに侵犯され没落して父権制が確立されていたからこそ、ライオス殺害が起こりえたのである。フロムのいう「父権家族における父の権威制」を倒すにはあらかじめ父権制が確立されていなければならず、そのためには母権制の否定がそれより先行していなければならない。母権制が手つかずで現存している社会では、マリノウスキーの報告しているトロブリアンド島におけるように、エディプス・コンプレックスそのものが存在しないのだ。」



「タラッサ! タラッサ!」より:

「兄妹相姦伝承の古層には母子相姦伝承がひそんでいる。のみならず人格化される以前の母は海ないし水そのものだ。母なる海が子を漂着させるという形で陸地に産み落とすのである。だが、ここから先は神話や伝承の域を越える問題になる。早くいえば、以上の近親相姦物語には、海(水)中生物が陸上生活に適応していく生物学的進化の過程が織りこまれているのである。
 五億年以前にさかのぼる古生代の魚類は鰓(えら)と原始の肺を使って水陸両生の呼吸を営んでいた。それから古生代末期に鰓呼吸も肺呼吸もする両生類が、中生代には肺呼吸をする獣形爬虫類、そして新生代初期にはようやく人類の遠い祖先である原始哺乳類が発生する。してみれば古生代の鰓と肺の水陸両生用の呼吸を営んでいた魚類のところで、生命の故郷たる海にとどまるか、それとも未知の大陸に上陸するかの選択が行われたわけである。」
「人類は上陸という選択肢を取って今日に至った。しかし故郷の原始の海への帰還を願う生命的遡行本能は消滅したわけではない。後に述べるようにハンガリーの精神分析医サンドール・フェレンツィはこれを大洋的退行という概念で説明した。人間は水中生活に戻りたがるのである。近年流行のイルカ療法だの、スキューバダイビングによるリラクゼーション療法だのも、いってみれば海への帰巣本能を応用した精神療法といえよう。
 ここで見過ごすことができないのは降海と畸形形成の関連である。海への郷愁、なんなら生命的遡行本能の呼びかけが畸形を生むということだ。三木成夫はヒトの胎児の胎内成長過程のどこかで進化論的系統発生にいやいやをして上陸を忌諱し、降海に立ち戻ろうとする衝動が間々あり得ることを次のように述べている。

 ヒトの胎児は、受胎一ヶ月後の数日の間に、古生代の上陸誌をひとつの象徴劇として自ら演じて見せるだろう。これに対し奇形児の多くは、そのからだの一部をはって、上陸ならぬ降海の見果てぬ夢をなぞりながら、その奇なる発生をとげ終えたごとくである(「胎児の世界のこと」)。

 受胎一か月後の数日間――それはまさに母胎の「つわり」の期間で、胎児の側のはげしい拒絶反応をともないながら、一億年をかけた系統発生の上陸誌が母胎の個体発生のさなかで行われているのである。もしもそのどこかで海とのつながりを断ちきり難いと感じる胎児がいたとすれば、彼は「奇なる発生」をとげる。三木はさらにいう。

 胎児のからだには、このように進化の路傍に佇むものから、その横道に牽き込まれたものまで各種の異型を含めて、そこには歴代の祖先の形象が宿されるが、これら太古の“おもかげ”を通して、人びとはつねに原初の昔に立ち還ろうとするのであろう。

 そういえばヘパイストスをはじめとして畸形者はいつも海の傍にいた。そして陸生のわたしたちにそれまでの日常に知られていなかった「奇なるもの」という発明や新しい美を贈与してくれた。畸形は進化のさまざまの可能性のうちの実現されないまま余白にとどまっていた形象であって、三木のような観点に立ってみれば、忌むべきものであるどころか、太古の海からの、また海への、呼びかけにほかならないのだ。」



「サトゥルヌスの義足」より:

「そうした作業過程が一目でわかるように寓意的に描いた、かなりの数に上る錬金術図像が残っている。そのなかから目下の話題である錬金術師の描いた、跛者の図像をいくつか例示してみよう。」
「まず登場するのが先程来しきりに顔をみせている土星、すなわちサトゥルヌスである。サトゥルヌスは七惑星のいちばん外側の軌道をのろのろ走っているので、ローマ占星術では足の遅い跛者として表象されていた。サトゥルヌスはしかしローマ以前のギリシアの神格としてはウラノスとガイアのあいだに生まれた息子クロノスの名で知られている。」
「クロノスは時間の神とされている。父が子供を呑みこむとは、世代交代を生じさせないということである。だからそのままでは世界に時間が発生しない。世界が無時間であればそれは一幅の静止した絵であって、咲いている花は永遠に枯れず、動物たちも死を知らずに生き続ける。ことほどさように時間のないクロノスの世界は、子の産出を阻止するという意味では時間という栄枯盛衰のない単調な暗黒時代であるが、ものみなが時間も死も知らない黄金時代でもあった。
 けれどもクロノスの死とともに時間と(何ならエディプス的ともいえる)世代交代が発生し、ゼウスを頂点とするオリュンポスの父系的秩序が構成されて、生まれないでいることの無時間的楽園性、いつまでもレアの母胎のなかやクロノスの腹中に包みこまれていることの至福は永遠にうしなわれた。
 クロノスがギリシア神話におけるサトゥルヌスのプロトタイプであり、またダクテュロスのローマ神話における再現者であることは、「兄弟殺し」(第4章)ですでに述べた。そして古代におけるサトゥルヌスの跛者としての形象は、中世に入ると今度は錬金書のなかにしばしば登場してくる。
 サトゥルヌスは先にもいったように金属としては鉛である。錬金術の図像では最終的に顕現する黄金に変成する前の腐敗や煆焼や溶解のような不完全な黒の過程を意味する物質とされている。」

「賢者の石や黄金はあらかじめ表面に露出しているわけではない。かならず夜や暗黒に、物質的には低価値の鉛や糞尿に閉じこめられており、その物質的暗黒に閉じこめられている黄金の光をグノーシス的に解放してやることが錬金術師たちの探究作業だった。錬金術師の活躍したこの時代(十六/七世紀)、医学的四体液説にあってはことのほかメランコリー、つまり黒胆汁質が天才の気質とされ、占星術的には土星の相の下に生まれることが天才の条件と見なされた。
 殊に芸術家(発明家)たちはわれ勝ちに土星の相の下に生まれたことを誇示した。古代人が誇りにした多血質の火星の相の下に生まれた者ですら、土星の相の下に生まれたと詐称したほどである。」

「『化学の結婚』のテクストにもう一度目をとめよう。すでに紹介済みではあるが、第一日目の夜の夢のなかで主人公が閉じこめられた塔から脱出する場面。このとき主人公は足にはめられた箍(たが)に傷つけられて、はしなくも跛を引くはめになる。すると天蓋の上から縄を降ろしてくれた謎の老女が脱出成功をことほぎながら忠告をしてくれる。「わが子よ、その不具(しょうがい)をくよくよ思い煩ってはなりません。」」
「錬金術の作業の行程に要する時間は永い。何をすればどうなるかがはっきりわかっているわけではない。機会(チャンス)をどうつかむかの選択決定が大きなモティーフになる。道の行く手はかならずY字形の選択肢を強いてくる。」
「Y字形の選択だ。あれかこれか、それともいっそ前に戻るか。三叉路のどれを選ぶかで次の過程にたどり着けるかどうかが決ってくるのだ。まっしぐらに一本道を進むようなわけにはいかない。たえずためらい、あれすべきかこれすべきかに迷い、ときには衆目の一致するところ唯一正しい道を避けて、わざわざ脇道を行く韜晦ぶりを演じたりしながらも隠された正しい道をあゆみ行くのでなくてはならないのである。
 『化学の結婚』第一日目の主人公の夢のなかの跛行は、いうまでもなく錬金術の作業の寓意である。こうしてもうまくいかない。ああしても駄目だった。今度はどうしようか。何度もの失敗と挫折の後にようやく賢者の石探究の次の過程を通過するきっかけをつかむ。とはいえたえず失敗しながら選択を続ける探究者のあゆみは、他人目(はため)にはさぞかしおぼつかない跛行と見えることだろう。探究者は第一日目の夢のなかで早くも、全行程を跛行しながら歩き通すことを覚悟したのである。
 もっともミハエル・マイヤーのいうように、跛行的なY字はかならずしも分離や分岐の象徴ではなく。分離したもの同士をふたたび合体させる結合の象徴でもある。だが、いうまでもないことながら、結合するためにはまず分離がなされなくてはならない。あらかじめ完全であり賢者の石をすでに保有しているのであれば、どうかすると一生を棒にふりかねない(錬金術の)探究に打って出るまでのことはない。完全性、全一性に到達するには、跛行というハンディキャップ、身体的不完全を道連れにするにしくはないのだ。」




川村二郎 「種村季弘さんを悼む」
(読売新聞 夕刊 2004年9月6日)

読売新聞 夕刊 2004年9月6日(月)


種村季弘追悼記事「異端追い続けた「怪人」」
(読売新聞 2004年10月10日)

読売新聞 2004年10月10日(日)













































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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