谷川健一 『魔の系譜』

「魔の中に自分があり、自分の中に魔があるという個人的な体験をあじあわなかったものはさいわいなるかな。魔に憑かれている自分を解放したいとおもったり、自分の中にしばられ、とじこめられている魔が、その窮屈な囲(かこ)いをぬけ出したがって、叫び声をあげるのを聞いたことのなかったものは、本書に無縁である。」
(谷川健一 『魔の系譜』 より)


谷川健一 
『魔の系譜』


紀伊国屋書店 1971年5月20日第1刷発行/同年6月10日第2刷発行
223p カラー口絵2葉 モノクロ口絵4p 
四六判 丸背布装上製本 貼函 
定価950円
函写真: 『千金甲古墳』 藤本四八



本書「あとがき」より:

「本書の主要部分はもと雑誌『伝統と現代』に一九六九年一月号から十回にわたって連載したものである。僅かであるが加筆している。「狂笑の論理」と「犬神考」は雑誌『芸術生活』の一九六九年十月号と七〇年三月号に掲載した。「装飾古墳」は雑誌『展望』の一九六九年九月号に発表した。」


本文中図版(モノクロ)多数。


谷川健一 魔の系譜1


目次:

怨念の序章
聖なる動物
崇徳天皇
バスチャン考
仮面と人形
再生と転生
地霊の叫び
魂虫譚
犬神考
狂笑の論理
装飾古墳

あとがき



谷川健一 魔の系譜2



◆本書より◆


「怨念の序章」より:

「私は日本の歴史に触れて、しだいに一つの考えを抱くようになった。死者が生者を支配する――といった現象が、日本の歴史においてあまりに多いように思うのだ。死者が生者を支配する――というのは周知のようにコントの有名な言葉だが、それは死者と生者の連帯を意味するのであろう。ヨーロッパでは伝統とは死者と生者の連帯というほかにない。
 しかし日本では先祖とのつながりはあるにしても、普遍的な死者との連帯はない。あるのは対立だ。しかも死者が生者を支配するのだ。
 死者が生者をうごかす。生者は死者のそうした力を信じ、おそれ、それをとりなすためのあらゆる努力を傾ける。こういえば、悪霊を鎮める未開社会の心理を連想するだろうが、日本のばあいは未開社会とちがう発展の歴史をもっている。しかも日本ほどたやすく死者の復活を信じている国民はすくないだろう。」
「普遍的な発展の法則にしたがっている日本歴史の裏側に、もう一つの奇怪至極な流れがある。それは死者の魔が支配する歴史だ。(中略)それは表側の歴史にたいしては挑戦し、妨害し、畏怖させ、支配することをあえて辞さない。死者は、生者が考えるほどに忘れっぽくないということを知らせるために、ことあるごとに自己の存在を生者に思い出させようとするかのようだ。
 この魔の伝承の歴史――をぬきにして、私は日本の歴史は語れないと思うのだ。
 しかも、この場合、死者は敗者であり、生者は勝者なのだ。弱者が強者を、夜が昼を支配することがあっていいものか。弱肉強食が鉄則になっているヨーロッパの社会などでは考えられないことだが、敗者が勝者を支配し、死者が生者を支配することが、わが国の歴史では、れんめんとつづいている。」
「敗者の地位に立たされた日本人が全力を尽くして考え抜いたことは、いかにして被害者が加害者となり得るかということであった。」
「戦後の日本人が生きのびたというそれだけの理由のために勝利者づらをするのを許さない死者たちがいる。彼らは、被害者から加害者への道をひらくことにおのれを賭けて、生者をゆさぶり、ひっぱたき、生者たちを眠りこませないようにしている。
 もとよりそうした死者は、戦死者だけではない。政治的事件や叛乱に参加して処刑された死者たちも含まれるのである。彼らの企ては挫折し、彼らは敗者としての死を強制された。勝者にたいして一言の抗弁もゆるされないときに、彼らができることといえば何か。」
「『地蔵堂通夜物語』によると佐倉惣五郎(木内宗吾)は処刑の際に眼をかっと見開いて「極楽往生に望みなし、念仏供養も頼み致さず」といいきった。このとき一天俄かにかき曇り篠をたばねたような大雨がふりかかって、雷が鳴りわたり、処刑に立ち会った連中はいっせいに逃げ去ったという。
 成仏――つまり死者の安らかな眠りを断乎として拒否し、悪鬼として復活をねがう瞬間に、私たちは立ち会っているのだ。(中略)怨恨と呪詛がついに「魔」の誕生を必然化させる過程をここにみることができる。」



「再生と転生」より:

「小泉八雲の作品をほんやくした田代三千稔氏は八雲の思想を要約して、次のようにいう。
 「われわれの霊魂は、幾億兆の霊魂の複合物である。つまりわれわれは、一人のこらず、過去に生きていた生命の断片の、かぎりない混合体であって、いかなる人間の思想も感情も、詮ずるところ、死滅した幾億兆の過去の人々の、感情や観念や欲望の、習合ないしは再集合にすぎないのである。それゆえ、われわれの歓喜も恐怖も、そして恋愛の情熱すらも、すべて既往の人々の数限りない生活を通じて蓄積された記憶の再現であり、また美的感覚も芸術的技巧も祖先伝来の経験の復活にほかならぬ。」」
「これと同様の考えを、夢野久作は、作品『ドグラマグラ』の中で、精神病医の正木敬之に次のようにいわせている。
 「人間の個性とか、特徴とかいうものは、吾輩の実験によると一つ残らず、その人間が先祖代々から遺伝してきた、心理作用の集積にほかならないのだ。」
 柳田国男は民俗学を規定して「文字には録されず、ただ多数人の気持や挙動の中に、しかもほとんど無意識に含まれているもの」の研究とよんでいるが、彼は無意識の伝承をさかのぼって、祖霊という無意識の集合体につきあたった。」
「これまで述べたことは、ユンクのいう集合的無意識と考えて、ほぼさしつかえないものだろう。集合的無意識とは、「何百万年もまえからの祖先の経験の偉大な堆積であり……人間のあらゆる美しく偉大な思考および感情だけでなく、人間に可能であったあらゆる恥と非道の行為も含まれる」のである。」
「これと酷似する思想を『ドグラマグラ』の正木博士は、「胎児の夢」と題する論文のなかで、次のように述べる。
 「胎児の先祖代々にあたる人間たちは、お互い同志の生存競争や、原人以来遺伝してきた残忍卑怯な獣畜心理、そのほかいろいろ勝手な私利私欲をとげたいために、直接、間接に他人を苦しめる大小様々の罪業を無量無辺に重ねてきている。そんな血みどろの息苦しい記憶が一つ一つ胎児の現在の主観となって眼の前に再現されてくるのである。」」

「カヤカベ教団につたわる「おてらのはじまり」という口伝は、残虐な美しさにみちみちている。それによると、むかし世の中が乱れに乱れあちこちに死人の山ができた。そのためにまわり十里ふかさ十里の血の池が極楽浄土へゆく道のなかほどにできて、だれもその道をわたれないほどになった。そこですうきょう(引用者注: 「すうきょう」に傍点)という上人が極楽浄土へゆく道があけられるように、この池の血をのみほすために、六日と六夜池の底に沈んだ。やがて呑みほした上人が池から出てきて地上にペッと吐いたのが血バキ(椿)、血ツジ(ツツジ)となった、ということになっていて、カヤカベの信者たちは美しいキリシマツツジをはじめ一切の赤い花を不浄としてきらう。この気高いすうきょう上人もまたその娘たちもさいごにとらえられて仕置きをされる悲惨な最期が待ち受けている。
 宗旨のはじまりを説明するのになぜこのような残酷な内容の物語が必要だったのだろうか。塚崎進氏は、『物語の誕生』の中で、「小栗判官や照手姫」、説経節の「愛護若(あいごのわか)」をとりあげて、そこに見られるひどく陰惨な趣向はこれらの物語が、懺悔告白という宗教的な目的を底に秘めているからである、といっている。氏によれば『古事記』のスサノオの命の物語も例外ではない。私はしかしそれを個人に帰するよりは、幾千年もの昔からの恥と非道の行為の再生――すなわち、自分たちの血の中に流れる先祖の犯した迫害の記憶の確認とみなしたいのである。こうした血の叫びを聞かない者は幸いなるかな。」



「あとがき」より:

「魔とは何であろうか。純粋に精神的なものでなければ、純粋に物質的なものでない。純粋に個人的なものでなければ、純粋に集団的なものでもない。歴史的であるにはあまりにも超歴史的であり、超歴史的であるにはあまりにも歴史的である。むしろこれらを接合させるための支柱として存在し、接合点に、燃えるもの、その炎のゆらめきが魔である。
 通り魔という言葉があるが、魔は形象の中をとおりぬけるものである。そして個人の魔が歴史の魔と合体するとき、それはくりかえし再生する。集団の歴史も個人の歴史も魔を殺すために力をつくしてきたようにみえるが、しかしそれはついに殺しつくせなかったのだ。
 本書はそれを日本人の情念の歴史にしぼって考察した小論である。」
「魔の中に自分があり、自分の中に魔があるという個人的な体験をあじあわなかったものはさいわいなるかな。魔に憑かれている自分を解放したいとおもったり、自分の中にしばられ、とじこめられている魔が、その窮屈な囲(かこ)いをぬけ出したがって、叫び声をあげるのを聞いたことのなかったものは、本書に無縁である。」




















































































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Author:ひとでなしの猫
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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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