種村季弘 対談集 『東京迷宮考』

「最終的にはそこへいく以外ないと思うのです。つまり、食えないのではなくて、食わない。銭があっても食わない。(中略)食うことではないことで世界構成をしていく、完全な抽象空間をつくる。その場合、飯なんか食ってられない、ということではないですか。」
(種村季弘)


種村季弘 対談集 
『東京迷宮考』


青土社 
2001年10月30日第1刷印刷
2001年11月15日第1刷発行
349p 
四六版 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,400円+税
装幀: 高麗隆彦



全三冊のシリーズとして刊行された対談集の第一巻。「この巻には、とりあえず東京論を主にした近代の都市とその変貌を話題にしたものをまとめた。」(著者による「あとがき」より)。井波律子氏の著書『中国の隠者』をめぐっての「隠者という生き方」は、本書の主旨からいうとやや場違いのようにも思われますが、「「市隠」という形の都市型の隠者」(井村)が話題となっており、それは「団塊の世代が(中略)これからの暮らしをどうするか考えるよすがになる」「アップ・トゥ・デイトなテーマだと思います」(種村)と結論付けられています。


種村季弘 東京迷宮考


帯文:

「懐しい東京
不思議の東京」



帯背:

「町歩きの
達人たち」



帯裏は種村季弘略歴。


目次 (初出):

路地の博物誌 川本三郎 (『都市の風景学』 駸々堂出版 1985年)
都市とスペクタクル 寺山修司 (「is」 12号 1981年3月10日)
変貌する都市 田村隆一 (「朝日ジャーナル」 1973年8月24日号)

“怪しげな家”が息づいていた頃 日影丈吉 (「東京人」 1991年6月号)
くぼみ町の必然性 松山巌 (原題: 「私小説・探偵小説はくぼみ町から生まれる」/「東京人」 1991年3月号)

東京・いまむかし 戸井田道三 (「ちくま」 1987年1月号)
昭和三十年代、東京 川本三郎 (「東京人」 1994年8月号)
『東京迷路』をめぐって 鬼海弘雄・松山巌 (「東京人」 2000年2月号)

ラビリンスとしての古本屋 池内紀・堀切直人 (原題: 「男だけの秘密の隠れ場 ラビリンスとしての古本屋」/「東京人」 1988年12月号)
現代食物考 前田愛 (「へるめす」 1986年3月号)
隠者という生き方 井波律子 (「本の話」 2001年4月号)
キッチュの建物・ペカンペカンの家 谷川晃一 (「is」 33号 1986年9月10日)

あとがき (2001年10月10日)




◆本書より◆


「路地の博物誌」より:

「池袋にも素人下宿的な貸家があって、日大や明大の学生なんかが多かったですよね。それから、なんか得体の知れない人、野球青年とかね。そういうのが銭湯のちょっと奥へ入った路地の奥に住んでましてね。今から考えるとあれはホモだったんだろうなあ。湯舟の中でこっちをいろいろ触るんだよ……(笑)。得体の知れない連中がいたもんですよ。もう少しさかのぼった時代の江戸川乱歩とかの小説に出てくる下宿人っていうのは、そんな高等遊民的、いや高等ではなくて下等遊民的なものがかなりネズミ算式に増えた頃の産物ですかね。あの頃、ぼくの少年時代は昭和初年っていっても十年代です。もう、そろそろみんな兵隊さんになったり、軍需動員なんか行くんだけれども、ただ依然として、しぶとく、落ちこぼれというか劣等生がそういうところにたまって、何かこそこそやってました。時々ガス自殺したりね。マンドリンとかそういうものが、だいたいそこから聞こえてきましたね。蓄音機……あのアサガオ型の蓄音機で鳴らしている高峰三枝子の「湖畔の宿」。それから花札ばくちなんかもそういうところから、みんなお縄につながれて出て行くっていう。
 アパートとか素人下宿というのは、これはたいがいちょっとした中庭があって、庭にパーッとコスモスが咲いている。ぼくにとっては、とてもエキゾチックなところでしたね。それとガクッと落ちて長屋があったりね。それにぼくらみたいに中等の下のサラリーマンの家とかがある。そんなのが雑然と同居しているような……パッチワークみたいなものが、昭和初年の東京図なんじゃないかな。」



「変貌する都市」より:

「金持ちというのは、本来だったら働いてある程度金がたまれば、働くことからおりるでしょう。生産を放棄して一種の無時間の中に入っていきますよね。生産というのは時間の問題だから、そういうのは番頭にまかせておいて、当人は退行的に無時間の中へ入っていって、そして無時間性みたいなのを誇示して、あくせく働いている連中にここまでおいでって範を垂れる。無為が最終目的だってのを具体的に見せるわけ。あれが金持ちの義務なんだ。なにかどっかへ引っこんじゃってさ、隠居所みたいなところをつくって、なんにもしない。これ見よがしのぜいたくなんかしない。それでいてそれが最高のぜいたくみたいな。
 戦前には、薩摩治郎八なんていう人がうんと遊んでいますね。大正の中頃にヨーロッパに渡って、バロン・サツマの名で、パリの社交界の寵児となり、父祖の財産を蕩尽するんですね。
 いまは、四国あたりで、浅草の元ストリッパーかなんかと生活してるわけでしょう。これは歴とした有閑階級だと思うんです。(中略)ほんとうにブルジョアを知りつくした人ね。ブルジョアがね、有閑で時間があり余っているんでもなくて、先頭切って走り回ってるようじゃ国辱ものだな。」



「『東京迷路』をめぐって」より:

「つまり、貧乏ってぎりぎりでやってるから小さいことがうれしいんだ。貧乏人の住まいや生活空間には細部がある。金持ちや新興成金はみんな規格品で入れるから、自分で設計していろいろなことを考える余裕がないわけでしょう。細部のない空間なんて、いくらごてごて飾ってものっぺらぼうになる。」


「現代食物考」より:

「最終的にはそこへいく以外ないと思うのです。つまり、食えないのではなくて、食わない。銭があっても食わない。ペーター・アルテンベルクなどはそういう人なんです。あるいは究極的にはインドの行者のように断食行をやるような人が独身者の中から出てくる。ベルリンにシェーアバルトという作家がいて、科学幻想小説を書いていましたが、この人も断食して死んでしまった。日本の作家の例をあげれば、稲垣足穂がそうですね。食うことではないことで世界構成をしていく、完全な抽象空間をつくる。その場合、飯なんか食ってられない、ということではないですか。」































































































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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