種村季弘 『箱抜けからくり綺譚』

「子供には過去という時間がない。価値にまつわる時間である過去がない。といって(中略)現在を打倒した先に開ける未来という時間もまたない。たえず瞬間が継起しているだけなのだ。過去とも未来とも絶ち切れてどこまでも続く現在だけの、断片と瞬間の王国。それはとりも直さず子供の世界ということである。」
(種村季弘 「周縁からのコレクション」 より)


種村季弘 
『箱抜けからくり綺譚』


河出書房新社 
1991年9月20日 初版印刷
1991年9月30日 初版発行
253p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,000円
装丁: 中島かほる
カバー装画: 森村泰昌



本書「あとがき」より:

「江戸や東京の話をかなり書いたように思ったので、まとめてなにか「江戸・東京」の本を編もうと思い立った。「江戸・東京」のぞきの本。もとより江戸文学の専門家ではないので、ひのき舞台に立つ柄ではない。横っちょからちょいとのぞく。のぞきが好きなのである。
 それにしてもいざ編集にかかると、京都や金沢、あまつさえ長崎の話まであるので、「江戸・東京」のほうは羊頭狗肉だった。あらためてからくりにまつわる話をえらんで『箱抜けからくり綺譚』とした。もともとが箱好きである。箱も好きにはちがいないが、フーディニのように難攻不落の箱を抜けるのはもっと好きだ、というほどの意味である。かねがねマニエリスム愛好の視点をいつか身近な題材に向けてみたいと考えていた矢先に、そのトバ口くらいのところまでにはさしかかったのではないかという気がしている。」



種村季弘 箱抜けからくり綺譚 01


帯文:

「からくりのトポロジー
偏愛する日本のマニエリストや畸人たち、あるいは東京の今昔(いまむかし)に、のぞき眼鏡片手に接近し、自在の遠近法と独特の視点から隠されたもうひとつの像を浮かびあがらせる、旺盛な知的好奇心あふれるエッセイ集!!」



目次 (初出):

1
動物カーニヴァル今昔談 鳥獣戯画 (原題 「鳥獣戯画今昔談」/『NHK 国宝の旅 9』 NHK取材班 日本放送出版協会 1987年12月)
女装した上皇 後水尾上皇と修学院離宮 (原題 「離宮の現在」/『離宮の四季』 京都書院 1986年5月)

2
石川五右衛門秘密の抜け穴 (「朝日ジャーナル」 1987年12月25日号)
覗きからくりのトポス 江戸浮絵から谷崎潤一郎の暗箱まで (「現代思想」 1986年9月臨時増刊号 青土社)
博物誌としての花鳥画 伊藤若冲の針穴写真機 (『花鳥画の世界 第七巻 文雅の花・綺想の鳥』 月報 学習研究社)
あるサロン博物誌家 木村蒹葭堂 (原題 「木村蒹葭堂」/「アニマ」 1985年8月号 平凡社)
新聞錦絵考 (『新聞錦絵展 昭和63年~昭和64年』 ジャーナリズム史研究会 パンフレット 1988年8月)
長崎の遊女たち あるいは散娼気質の土壌 (「太陽スペシャル」 『長崎遊学』 1986年12月 平凡社)
きんたまが千切れるまで 勝小吉 (原題 「小吉少年、破天荒の旅日記」/「太陽」 1989年6月号)
からくり弁吉の隠れん坊 (『遊びの百科全書 6 人形からくり』 立川昭二編 1980年3月 日本ブリタニカ)
空転発明家 銭五遺品館の大野弁吉 (原題 「銭五遺品館」/「季刊みづゑ」 1987年夏号 美術出版社題)

3
摩耶夫人三相 鏡花・迷宮・金沢 (「太陽」 1988年10月号 「鏡花・迷宮・金沢」)
三階から上 鏡花の化け物 (「文藝」 1989年夏季号)
周縁からのコレクション 宮武外骨 (『宮武外骨著作集 第四巻』 解説 河出書房新社 1985年7月)
箱抜けする星 野尻抱影 (原題 「野尻抱影」/『言論は日本を動かす 第五巻 社会を教育する』 三谷太一郎編 講談社 1986年5月)
明治のモデル (「東京新聞」 1986年5月24日)

4
失われた町を求めて (「東京人」 1989年5月号 都市出版社)
大江戸無責任道中記 (「面白生活」 1990年11月号 カタログハウス)
東京すし今昔噺 (「太陽」 1990年2月号)
『東京百話』天・地・人
 野暮の効用 (『東京百話 天の巻』 編者あとがき ちくま文庫 1986年12月)
 妖怪・犯罪・日常 (『東京百話 地の巻』 編者あとがき ちくま文庫 1987年1月)
 誰でもない人まで (『東京百話 人の巻』 編者あとがき ちくま文庫 1987年2月)
風景コレクション 萩原朔太郎の『世界名所図会』 (原題: 「『定本青猫』の世界名所図会」/「is」 1978年7月4日号 ポーラ文化研究所)
東京浴場づくし 唐十郎『鉄仮面』 (「状況劇場」 1973年3月10日号 状況劇場)
職人と看板 『看板物語考』 (原題 「イシスたちの旅」/「東京人」 1989年11月号)
珍博物館四重奏 大名時計博物館・凧の博物館・ブリキのおもちゃ博物館・とんちン館 (「太陽」 1987年4月号)
露出している金鉱 「少年世界」考 (「名著サプリメント」 冬季増刊号 名著普及会 1989年10月)
いつでも戻ってくる失くした本のこと 『のらくろ上等兵』 (「彷書月刊」 1987年9月号 弘隆社)
豆腐マニアの話 純粋偏食家銘々伝 (原題 「純粋偏食家銘々伝」/「現代」 1987年6月号 講談社)
メフィストフェレスになったギョーザ (「シグネチャー」 1988年11月号 日本ダイナーズ・クラブ)
うなぎ食わずの記 (「うなぎ百撰」 1989年秋号 うなぎ百撰会)

あとがき



種村季弘 箱抜けからくり綺譚 02



◆本書より◆


「博物誌としての花鳥画」より:

「さて、万人もうけ仕事に眼を血走らせたこの活況の只中に一人だけへんてこなやつがいる。生産と流通の現場にいて何もしないという偏屈者である。外の雑踏にまじらわずに戸を塞ぎ、貸家の家賃から上がる日銭でほそぼそとランチエ生活を営みながら、逼居して絵事三昧に耽っている。」
「大典禅師の若冲ポートレートを読んでいると、絵を描けるだけの大きさの、巨大な暗箱のような家が目に浮かぶ。あたかもそれは、針穴写真機とそっくりの構造の家で、針穴のような連子窓のすきまから投影された錦小路のおびただしい物産が、暗箱内部の画布のスクリーンの上に微細な縮図としてくっきり投影され定着されてしまう、そういうカメラ・オプスクーラを思わせる装置なのである。そのなかにいる若冲もまた入れ子状の暗箱だ。若冲の名は『老子』第四十五章「大盈若冲。其用不窮」から採った。最高の充溢は空っぽのようだが、物を容れる器として使ってみると何でも入ってしまってきりがない。そういう精神の原理をあらかじめ「若冲」の名に体していた人が、アトリエを画布のほかは何もないがらんどうにこしらえつけ、葷肉を食わず妻子も持たなかったのは、けだし当然であろう。生産と生殖に関わるごたごたをことごとく外に投げ出してしまったここは空っぽで、生産や生殖につきものの時間は流れない。生きているものは腐敗と消滅の宿命を免れられないが、時間の流れのないここではものみなが永遠のいまのうちに恍惚として浮遊しているのである。」
「若冲ははじめから歴史に対して後向きに自然哲学の方を向いている。大典禅師から直感的に吸収した「禅」とはそういうものだったかもしれない。時間と遠近法のまだない、幼時記憶や夢のなかの空間に似た若冲の画中では、物はいきなりそこにあるかと思えばふいに消え去り、イメージとイメージがカテゴリーを離れて相互に浸透し合う。華厳の世界でのように一つのものしか存在し得ない限定された場所に二つ以上のものが共存する。孤独な画家はそうして後向きに私たちのなかにひそむ太古的な庶物崇拝の感情を掘り起こしながら、時間と遠近法の卑小な枠の彼方のあり得べからざる世界が、いまここに、とはつまり若冲の画面の上に歴然として現存していることを、物静かに打ち明けるのである。」



「箱抜けする星」より:

「星を書きはしても、地上のごたごたには目もくれない。泥棒の話は書いても、成り上がりの立身出世談は書かなかった。終始一貫、ユーモリストとしての分(ぶん)を通して、「人生」のことではない遠方に遊んでいた。」

「そういえば『三つ星の頃』に収められた短篇は、ほとんど全篇が箱入り・箱抜けのモティーフを孕んでいる。少年の主人公たちはいずれも(中略)箱型の空間にあらかじめ囚えられており、ポーの「メールシュトレームの渦巻」の主人公もさながらに、彼らを呑み込もうとする死者追慕のはげしい情念の渦から、そのうつぼ舟のような箱型の器に身をひそめつつ外界へ脱出するのである。(中略)死は、転生もしくはイニシエーションのための装置であり、奇術師フーディーニの難攻不落の箱のように、くぐり抜けることが不可能のようにあらかじめ設計された難問(アポリア)であって、にもかかわらず賢くも勇敢な抱影の少年たちはもののみごとに裏をかいて脱出してしまう。」

「抱影は『南総里見八犬伝』をこそ書かなかったが、同じように暗い星々の暗躍する都市犯罪者列伝たる『ろんどん怪盗伝』や『英文学裏話』(工作舎版では編集して『大泥棒紳士館』)を書いた(中略)。『英文学裏話』は、周知のように十七世紀以来のイギリス侠盗海賊のポートレートや風俗奇譚をまとめた読み物であり(中略)『ろんどん怪盗伝』のほうは、このうちジャック・シェパードとジョナサン・ワイルドのみを主人公にして、泥棒同士の追いつ追われつの闘いを描いた少年向冒険小説である。(中略)抱影は、絶対君主制という太陽神話に属さない、中心を失っていたるところに散開し潜入し、一夜として同じところにいない星々の軌跡を、彼なりの必然性からすでに観測しはじめていた。だからといって(中略)馬琴流の重苦しい思い入れたっぷりの武侠談としては書かなかった。むしろ白浪物として、権力の強力な箱をすり抜けて自在に神出鬼没する盗賊の技術(テクネー)をモティーフとする物語を軽く構想するのである。」

「抱影のもうひとつの余技とおぼしいものにテレパシーがある。病中看護された堀内邦彦氏がそのことを語っている。
 「ええ、それは一種の超能力みたいなものが、体が動けなくなったせいか、さえ渡っていましたね。家の中のことは、うつらうつら過しているように見えても、みんな知っているので怖いほどでしたよ」
 客が来てめずらしいお菓子を持ってくる。そのときは眠っていたはずなのに、目がさめると「おい、冷蔵庫からあのお菓子を持ってきてくれ」。それから今度は幻覚が出はじめた。看病している人のうしろに狸が三匹ついているという。鍼医者に往診にきてもらうと、鍼医者に「麻布の坊主」がついてきて、左側の本棚のなかにポンと入ってしまったといいはる。」

「オカルトに凝るのもほどほどであって、のめり込んで教祖にでも祭り上げられでもしたら一巻の終りである。それはそれで地上における何者かになってしまう(引用者注: 「なって」に傍点)。抱影が何を措いても避けたかったのはその類(たぐい)であったろう。だからこそ最後には乞食志願が日程に上ってくる。晩年の抱影はしばしば尾崎放哉の身のふり方に注目していたようだ。その一切放下へのそれとない合意。ひょっとすると抱影は「星の抱影」の虚名をさえかなぐり捨てたかったのかもしれない。それかあらぬか抱影最後の著作は「乞食音頭」だった。地上の因縁で持てる一切は乞食にくれてやって、自らも無一物となるがよろしい。

 オモライー
 オモライー
 どうぞやめぐんでおくんなはいよ

 心残りは後生の曇り
 「よっしょ」「よっしょ」と恵んでお通り

 年に一度は心の洗濯
 きれいさっぱり裸におなり
 わしら乞食も手伝ってあげよ
                  (「乞食音頭」I・3)

 人生という箱の箱抜けもまた、ひとつ見当ちがいをすると因幡の白兎のように皮ごと剥がれて赤むけになる惨事を惹き起こしかねない。箱抜けの達人にぬかりはなかった。地上の最下位者たることこそは天上への至近距離にあることなのだから、すべてを捨てれば地球をするりと脱けて、オリオン市ベラトリックス区アマゾン一番地の霊場「野尻冥王居」にまっしぐらにたどりつけるだろう。さるにても抱影が住むべき天上の一角の地(天)名は意味深長であった。ベラトリックス区アマゾン一番地。ここを地球脱出後の住居ときめていたのである。ベラトリックスもアマゾンもともに「女戦士」の意味であるのがおもしろい。抱影の墓には美しい女戦士が二重に立ってこれを衛っている。この人にとって神秘は、他人にこれを突きつけて圧伏させる凶器ではなくて、そのなかにくるまり庇護されて久遠の眠りを眠る母なる器と解されていたのであろうか。」




tanemura.jpg
 

最近(2010年11月)、ネット古書店で購入した種村本をならべてみました。

買わずにいた本を買ったり、昔持っていて手放してしまった本をあらためて買い直したり。それでも一度手放した本は二度と戻ってきません。手に入るのは昔持っていた本のそっくりさんです。
 
「失われた本は年をとらない。ここではないどこかでいつまでもピカピカに輝いている」
(本書所収「いつでも戻ってくる失くした本のこと」より)


































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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