島尾敏雄 『夢の中での日常』

「「一寸(ちょっと)」
 女がびっくりしてつまったような声を出した。「あなた頭どうかしたの。へんなもの、一ぱい」」

(島尾敏雄 「夢の中での日常」 より)


島尾敏雄 
『夢の中での日常』


沖積舎 
1992年7月22日 発行
308p 
四六判 丸背紙装上製本 
カバー ビニールカバー 
定価3,000円(本体2,913円)
装釘: 鹿窪政文



本書「あとがき」(島尾ミホ)より:

「此の度沖積舎から出版して戴くこの『夢の中での日常』には十八篇の短篇が収められております。終戦後間もない昭和二十一年四月から二十九年十月までに発表されたこれ等初期作品群について島尾は〔自分の表現を見つけようとして塁々たる死骸を築いた〕と書いたことがありますが、ともあれ爾後の夢に関わりを持つ作品への嚆矢ともなったのではないでしょうか。
 今秋は亡夫の七回忌を迎えますが、その節目の年に初期の作品群『夢の中での日常』と『記夢志』の二著が沖積舎より再刊行の運びとなりますことは、島尾と私への此の上ない恵贈と喜びに堪えません。」



島尾敏雄 夢の中での日常


帯文:

「世界一の超現実主義小説
日本の、いや世界の文学の中でもっともすぐれた超現実主義小説である。目に見えるものと目に見えないものとが等価に感じられる島尾は夢に左右される少年であったが、震洋特攻隊長としての極限状況から見るこの世のネガ画の姿も大きな意味を持っていただろう。レプラに罹った小学校の級友に本心を見透かされて少女を犠牲にして逃げるところから悪夢の世界に入って行くのが自然で、西洋人の子供を産んだ母、頭がカルシウム煎べいのようになりかゆく、胃に核が出来、それを引上げているうちに足袋が裏返しになるようにイカみたいになって小川につかっている。この臓器感覚はまことに自然で、悪夢のようである。「孤島夢」「摩天楼」「兆」など一連の夢の小説は、幻想文学の核といってよいだろう。(奥野健男)」



目次:

孤島夢
摩天楼
石像歩き出す
夢の中での日常
勾配のあるラビリンス
鎮魂記
アスファルトと蜘蛛の子ら
宿定め

亀甲の裂け目
月暈
大鋏
死人の訪れ
坂道の途上で
鬼剥げ
むかで
川流れ
肝の小さいままに

あとがき――著者に代わって (島尾ミホ)




◆本書より◆


「摩天楼」より:

「それは何処の国の何と言う細工か知らないが、そして又そんなものを実際に見たことがあったのかさえあやふやなのだが、私は眼をつぶるだけで、というより寧ろつぶった気持になるだけで、私の眼の前に微細な細工を組立てることが出来る。小さなものでは白く晒された骸骨に刻明に刻み込まれた死んだ母の或る時の表情から、大きなものになっては、私の想像の中丈に確かに存在している冠詞のついた私の市街のようなものを迄立ち所に建設したり崩したりしてみせることが出来る。骸骨細工のその特定の人の表情はあまりにまざまざしていて、そんなものを空間に刻むすさびを知っているようなことは何か神秘とか運命とかいう言葉をさえ使いたくなる程に神経の疲れた時に、その効果は覿面のようだ。私の市街の方については、その色々の場所の街の表情にあまりに馴染みになっていて、実際そんな所に私は住んでいたのではないかとあやしくなる。その大かたは、夢の中で学びとったものだと思っている。一回の夢でその市街の全貌を見ることはないのだが、度々の夢で見た市街の一部が、つぎはぎされ重なり合ってそして結局はみんなつなぎ合うことの出来る、一つの性格を持った市街を構成しているのだ。その市街の中には、崩れ落ちた所もあり、殷賑な地区もあるかと思うと、野原さえ無くもない。又山岳都市のような様相の見える角度もある。市街を流れる川は嘗って氾濫したこともあり、或る時は私はその市街の高層建築の立ち並んだビルディングの谷底を、脱獄した凶悪な殺人犯人にしぶとくつけ廻されて足が立ちすくんで歩けなくなった記憶も持っている。その市街にある電気椅子の死刑台で私は死刑に処せられたこともあった。」


「石像歩き出す」より:

「私はその石像の立っていた街角を知っていた。その石像は私にサカノウエタムラマロという「韻律」で耳を通して知られていた。おや、サカノウエタムラマロがどうして歩き出したのだろう。私は小走りに石像の前に出て、年を歴て雨風にさらされたためにのっぺらぼうに近い石像の顔を見上げた。太い口髭のへんに特徴があって、ゆったりゆったり歩いていた。
 「一体どうしたというのです」
 私は問いを発していた。しかしそれは、ちょっと変った仕方で相手に通じた。私はその問いを声に出していったのではない。サカノウエタムラマロの顔を見上げて横歩きしながら、そうちらと心で思うとその思いがはっきりサカノウエタムラマロに通じていた。彼は大儀そうにちょっと首をふり向けて腰の辺に眼差しを落した。私は急いでそこに眼をやると何やら昔の年号が彫ってあった。その年号こそは、たれも知ることの出来なかった重大な秘密の鍵の符号ではないか。私はそう思った。すると、私の眼の前に「つろ」という物質と「おま」という物質がすっと現われてすっと消えた。「つろ」も「おま」も、どんなものであったかは、ちょっと説明が出来ないが、そのときに私は、その前後して出て来た二つの物質の名前が「つろ」と「おま」」であることを了解した。私は追いかぶせるように、
 「もう一字足りまへんで」
 と彼の顔を見上げて言った。サカノウエタムラマロは、ちょっとあわてたような身振りをしたが、その返事はすぐに与えられた。私の鼻はぷんとさすようなにおいに襲われた。それは「す」のにおいであった。
 私は、彼の意思の表現の仕方を理解すると、はっはっと声を出して笑った。ははは「つろおます」か。だが、彼はちっともつらそうではない。相変らず、のん気に、しかも何か明るそうに歩いていく。」























































































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将来の夢: 石ころ。

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