イタロ・カルヴィーノ 『不在の騎士』 脇功 訳 (イタリア叢書)

「「それはまたどうして?」
 「どうしてと申してほかにどうすればいいのじゃ」」

(イタロ・カルヴィーノ 『不在の騎士』 より)


イタロ・カルヴィーノ 
『不在の騎士』
脇功 訳

イタリア叢書 8 

松籟社 
1989年5月15日 初版発行
210p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,300円(本体1,262円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Italo Calvino "Il cavaliere inesistente" Einaudi, 1959 の全訳である。」


扉ページ裏にカルヴィーノのサイン(a Isao Waki/con amicizia/Italo Calvino)が印刷されています。


カルヴィーノ 不在の騎士


内容:

不在の騎士
 第一章~第十二章

訳者あとがき




◆本書より◆


「第一章」より:

「「して、そちは?」皇帝は純白の甲冑をまとった騎士の前に立っておりました。その鎧は、ふちに黒い筋がはいっているほかは、まったくの白無垢で、手入れも見事、引っ掻き傷ひとつなく、接ぎ目、接ぎ目もなめらかで、兜のてっぺんには、東洋のいかなる鳥の羽毛か、虹のように色を変える羽根の飾りを頂いております。盾には、左右にゆるやかになびいたマントの裾の意匠の間に紋章が描かれておりますが、その紋章の中には、またより小さくマントの裾が描かれた中に紋章が見え、またその中には、いっそう小さく、マントをまとった紋章があります。次から次へと順に包み込むように描かれたマントの意匠は次第に細かくなっていき、そのまんなかにはなにかあるはずなのですが、模様があんまり小さくなりすぎて、結局はさだかなりません。」
「「それがしは」面を隠したままの兜の中から金属の響くような声が聞こえました、それは喉から出たものとも思えず、兜の板金がうち震えて、わずかにこだまするかのような声でした、「セリンピア・チテリオーレ・エ・フェスの騎士、グィルディヴェルニならびにコルベントラス・エ・スーラの、アジルルフォ・エーモ・ベルトランディーノにてそうろう」
 「おうおう……」とシャルル・マーニュは申しましたが、前に突き出した下唇からは、ひゅうと息の漏れるような音も聞こえました、「みなの者の名を覚えとるはずじゃったが、これはちと困ったぞ」とでもいうように。だが、すぐさま眉根を寄せて見せ、「して、そちはなぜ面頬を上げて、面を見せぬのじゃな」」
「「それがしは、おり申さぬからでござる、陛下」
 「なんと!」と皇帝、「わが軍勢には、おらぬ騎士までおると申すか! ちと面を見せい」
 アジルルフォはなおも一瞬ためらうかに見えましたが、やがて意を決したように、だがゆっくりと面頬を上げました。虹色に輝く羽根飾りをてっぺんに頂いた甲冑の中には、はたして、誰もおりませぬ。
 「ややっ、これはなんと!」皇帝は申します、「じゃが、そちは、おらぬのに、いかようにして奉公しようというのじゃ」
 「意志の力と」アジルルフォは言うには、「聖なる大義への信仰によってでござる」」



「第二章」より:

「「それがしは一瞬たりとも眠ると具合が悪いのじゃ」アジルルフォは穏やかに言います、「というよりも、もはやもとに戻らなくなるのじゃ、永久に消えてなくなるのじゃ。よって、それがしは昼夜なく四六時中、目を覚ましているのじゃ」
 「難儀なことでござりましょうな」
 「いや」その声は例のそっけない、毅然とした声にもどりました。
 「で、物の具もお脱ぎなさらぬので?」
 またつぶやくような口調になります、「脱いだり着たりはしない。脱いだり着たりはそれがしには無意味なことなのじゃ」
 ランバルドは頭を上げて、面頬の隙間の中をじっと覗きこみました、その奥の暗黒の中に視線のきらめきが見えはしないかと。
 「それはまたどうして?」
 「どうしてと申してほかにどうすればいいのじゃ」」



「第八章」より:

「森の終わるところにもう一本の別な道が走っていて、それも町へと通じています。その道をブラダマンテが駆けてきて、町の者たちにたずねます、「純白の甲冑の騎士を探している、この町にいると聞いたが」
 「いいえ、ここにはおりませぬ」町の者たちが答えます。
 「いないのならばまさしくあの方だ」
 「では、いるところへ探しに行かっしゃれ。ここからは駆け去って行きました」
 「まことに見たのか? 純白の甲冑で、なかにはだれも人間が入っていないような……」
 「人間ではないとしたら、いったい何者なんで?」
 「いかなる人間よりもはるかに人間らしい方なのだ!」」

「ベッドの話題がアジルルフォに新たに一席ぶつ種を思い浮かばせます、彼によれば、フランスの侍女たちはベッドを整えるむつかしさがわかっていないというのでした、いかに高貴な宮殿でも、シーツがきちんとマットの下に折り込まれているところはない、と。
 「あら、私のベッドもそうかしら?……」未亡人はたずねます。
 「もちろんあなたのベッドは女王のベッドのごとくでござる。皇帝のしろしめる地に二つとないほど見事でござるが、あなたがいずれから見てもあなたにふさわしい物にのみ取り巻かれているのを見たいと望むそれがしの気持ちをご容赦願って申し上げるなら、このしわがいささか気になり申す……」
 「まあ、このしわ!」とプリシッラは叫びます、彼女にもアジルルフォの潔癖症が感染したのでした。
 二人はベッドの夜具を一枚一枚ひっぺがし、小さなこぶやら、膨みやら、あんまりぴんと張りすぎたところや、たるみすぎているところやらを見つけては、ぶつぶつ言うのでしたが、この仕事、身を裂かれるような責め苦でもあれば、またますます高く昇天していくような思いも味あわせてくれるのでした。
 ベッドをいちばん下の藁蒲団まですっかり裏返しにめくり上げると、アジルルフォは作法どおりにきちんと整えなおします。それがまた念入りな作業で、なにひとついい加減にはせず、奥義にのっとって行うのでした。そして、それをいちいち長口舌をふるって後家に説明するのでしたが、なにか気に入らぬ点が見つかりますと、また最初から仕事をやりなおすのです。」



「第九章」より:

「鯨の尻尾の一撃で、船はひっくりかえってしまいます。鉄の鎧に身を固めたアジルルフォはぶくぶくとまっすぐ沈んでいくよりほかはございませぬ。でも、波間にすっかり沈んでしまうその前に、楯持ちにむかって一言こう叫びます、「モロッコで会おうぞ、それがしは歩いてまいる!」
 はたして、アジルルフォは、何千尺となく沈んでいって、海底の砂地に足がつくや、すたすたと大股で歩きはじめたのでございます。しばしば海の怪物どもと遭遇いたしましたが、そのつど剣をふるって追い払います。鉄の鎧が海の底では具合の悪い点といえばただひとつ、おわかりでしょうが、錆でございます。でも、頭の先から足の先まで鯨油を浴びたおかげで、純白の甲冑はそっくり油膜に覆われておりまして、錆ひとつつきませぬ。」





こちらもご参照ください:

『アリオスト 狂えるオルランド』 脇功 訳





















































































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