イタロ・カルヴィーノ 『木のぼり男爵』 米川良夫 訳 (白水Uブックス)

「お父さまのご先祖なんか、知ったことじゃないですよ!」
(イタロ・カルヴィーノ 『木のぼり男爵』 より)


イタロ・カルヴィーノ 
『木のぼり男爵』
米川良夫 訳

白水Uブックス 111

白水社 
1995年8月31日 第1刷発行
2004年12月10日 第5刷発行
311p 
新書判 並装 カバー 
定価1,180円+税
ブックデザイン: 田中一光


「本書は1964年に「新しい世界の文学」の一巻として小社から刊行され、以後79年に「白水社世界の文学」の一巻として、さらに90年に単行本として刊行された。」



「Uブックス版に寄せて」より:

「今回、Uブックスの一冊として本書が新装再刊されることになった。もっとも新装といっても、本文は旧版と変わらない復刻版である。」


本書「解説」より:

「本書『木のぼり男爵』(一九五七)は、『まっぷたつの子爵』(五二年)および『不在の騎士』(六〇年)とともに、三部作『われわれの祖先』を構成する作品の一つである。」


「われわれの祖先」とは誰のことなのか。本書の主人公は「お父さまのご先祖なんか、知ったことじゃないですよ!」と宣言しているので、家系とか民族とかの血のつながったご先祖さまのことではなかろう。われわれ=ポストモダン時代の変わり者たち(=qfwfq氏、パロマー氏、マルコヴァルドさん)のご先祖たち、この世に適合できずに罪悪感に苛まれて自己分裂してしまったり(『まっぷたつの子爵』)、自己を殺して社会的役割に過剰適応してしまったり(『不在の騎士』)、積極奇異的に自らアウトサイダーの道を選んだりせざるを得なかった(本書)、バロック的・ロマン主義的な変わり者の先駆者たち、といった意味なのではないでしょうか。どうでしょうか。

Italo Calvino: Il barobe rampante, 1957


カルヴィーノ 木のぼり男爵


「BOOK」データベースより:

「イタリアの男爵家の長子コジモ少年は、十二歳のある日、カタツムリ料理を拒否して木に登った。以来、恋も冒険も革命もすべてが樹上という、奇想天外にして痛快無比なファンタジーが繰り広げられる。笑いのなかに、俗なるものが風刺され、失われた自然への郷愁が語られるカルヴィーノ文学の代表作。」


内容:

木のぼり男爵

解説 (訳者、1978年)
Uブックス版に寄せて (米川良夫、1995年)




◆本書より◆


「わたしの兄、コジモ・ビオヴァスコ・ディ・ロンドーが、わたしたちにまじって最後に席を占めたのは、一七六七年の六月十五日のことだった。」
「コジモが言った。「いやだって言ったら、いやなんです!」そして かたつむり の皿(さら)をつき戻した。これ以上に重大な反抗を目にしたことは、かつてなかった。」

「コジモは楽にしていることができる、一本のふとい枝の又(また)のところまで登って、そこに腰をおろして足をぶらぶらさせ、手を腋(わき)の下にいれて腕をくみ、首を両肩のあいだにすくめ、三角帽を目深くおろしていた。
 父上は手すりに身をのり出して「疲れて気の変わるまで、そうしていなさい!」と叫ばれた。
 「気はけっして変えません!」と、枝の上から兄がいった。
 「おりる時は、覚悟をしておきなさい!」
 「じゃあ、ぼくはもうおりません!」そして、そのことばを守った。」

「コジモはわたしたちの家の山桑から塀の縁(ふち)にあがり、平均をとりながら数歩あるいてから、手をのばして、もくれん の葉と白い花のある反対側にすべりおりた。それからは、彼はわたしの視界から消えてしまった。」

「彼の世界は、空中を渡る狭い、曲がりくねった掛け橋や、樹皮をざらざらにしてしまう結節や鱗(うろこ)や皺(しわ)や、それにまた、柄(え)に当たるわずかな風にもおののき、木の身を曲げるときにはともにヴェールのようにはためくあの木の葉の幕の、緻密(ちみつ)であるか、粗(あら)いかにしたがって緑の色を変える光とでできているのだった。それと同時に、わたしたちの世界は底のほうに、ぺしゃんこに平らになってしまっていたし、わたしたちは釣り合いのとれない姿になり、また確かに、彼が木の上で知るようになったことを何一つ、理解できないでいたのだ。幹をとりまくように刻む年輪を木がその細胞でつめこんでゆき、黴(かび)がその汚点(しみ)を日暮れの風で広げ、巣のなかに眠る小鳥たちが寒さに震えながら、翼の羽のいちばん柔らかい所に頭を突っこみ、毛虫が目ざめ、もず の卵がそっと破れる、そんな気配(けはい)に彼は耳傾けながら過ごすのだった。」

「また木の下に集ってきて、彼のことばを聞いては嘲笑する人々にむかって、鳥どものために弁論するのだった。彼は猟師の服装のまま、鳥類の弁護者となり、それぞれ適宜な変装をつけて、みずから時にしじゅうから、時にふくろう、あるいはまたこまどりを名のり、野鳥たちを自分の真の友と見なすことのできない人々に非難の演説をしたが、この演説はやがて比喩の形をかりた人類社会全体の告発になるのだった。鳥どもでさえも、こうした彼の思想的転換に気づいて、下に聴衆のいる時でも、彼のすぐそばまで来て、こうして彼は、周囲の枝々の生きた手本をさし示めしながら、自分の演説に、光彩をそえることができたのだった。」

「またこの時期に、コジモが『都市共和国憲法草案。付、男女成年児童、および鳥、魚、昆虫を含む家畜野獣、並びに樹木、野菜、雑草などの植物の権利宣言』を書いて頒布したことも言わなければならないだろう。これはまことにみごとな労作で、あらゆる為政家たちの導きの書として役だつものだった。ところがだれ一人これに注意を払うものがなく、死文字として残された。」





こちらもご参照下さい:

川崎寿彦 『森のイングランド ― ロビン・フッドからチャタレー夫人まで』
明恵上人樹上座禅像








































































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