塚本邦雄 『新装版 ことば遊び悦覧記』

塚本邦雄 
『新装版 
ことば遊び悦覽記』


河出書房新社 
1990年8月20日 初版印刷
1990年8月30日 初版発行
190p 
A5判 
丸背紙装上製本 カバー 
定価2,500円
装幀: 政田岑生



正字・正かな。
本書は、河出書房新社より1980年3月に刊行された『ことば遊び悦覽記』の新装版です。内容は旧版と同じだと思います。


塚本邦雄 ことば遊び悦覧記 01


帯文:

「遊びをせんとや生れけん……言葉の魔術師・現代短歌の鬼才塚本邦雄が、古今東西のさまざまなことば遊びを渉猟し、それらの「作品」を解讀味讀しつつ、遊びの樂しさとその文学的價値を論じたユニークな知的悦樂の書」


帯背:

「言語宇宙へ
の知的遊行」



塚本邦雄 ことば遊び悦覧記 02


目次:

遊樂の序
一 古代詩歌
二 十世紀のアラベスク和歌
三 いろは歌今昔
四 回文
五 折句七變化
六 続・折句七變化
七 野馬臺詩
八 形象詩と詞繪
九 幾何学形詩
十 続・幾何學形詩
十一 輪状詩・循環詩
十二 補遺餘滴

跋――「鬼來(おにく)とも勝つ」



塚本邦雄 ことば遊び悦覧記 04


「遊樂の序」より:

「詩歌も「ことばあそび」の最たるものである、などと言ひ切ると、途端に嚴粛で禁慾的な諸賢の、猛烈な反駁に遭ふかも知れない。だが、その駁論執筆者の大部分が「あそび」なる行為に重大な偏見を抱いてゐるのも、言ひ切る前から見え透いてゐる。俳諧は一先づ措いて、和歌は「歌道」であり、帝王學の一として聖別され、また古今傳授なる權威づけが行はれて以來、ますますかたくなに「あそび」を拒み續けて來た。」
「「遊び」とは、美的快樂創造・享受の志である。「志」とそれほど言ひたければ、さう定義するがよい。そしていつの時代にも、いづれの國でも「美」の包含する意味は恐るべく多岐多樣廣範圍である。たとへば述志リゴリズムの典型と目される人麻呂が、漢字表記による美的効果を極限まで追求し、その眩惑的なまでの絢爛性に、陶酔耽溺してゐたに違ひないことに、「遊び」拒否論者は一度も思ひ及んだことがないのだらうか。六歌仙時代から新古今時代へ、泡だち、たぎちつつ奔る歌の流れが、亡びの寸前に得たものは「物語・繪畫」あるいは「歌謠・呪文」等、述志ストイシズムの堰を破り、溢れた異次元憧憬要素であり、まさしく幻想としての遊びの、完璧な言語化であつた。
 事は單に「和歌」の上のことに限るものではない。すべての言語藝術が、常に最も喪ひやすいのは「遊び」の要素であり、悦樂への志向に他ならぬ。古今東西、悲劇に対する信仰は抜きがたく、事實は虚構を驅逐し、苦行は讌遊を蔑視する。簡素淡泊な正述心緒文學が、草食人種の孤島日本の守り本尊となり、歌道など忘れ去られた後も、私小説信仰道となつて生きながらへるのは至極當然の成行だつたかも知れない。」
「私は詩歌これ遊戲(いうげ)といふ一種の極論的詩論は一應措いて、記紀以來の詩歌の中の、殊に智慧の力もて創り上げられたとおぼしい巧緻な作ばかりを、記憶の海から採り出して、今一度みづからのためにも整理紹介を試みぬばならぬ。詞華集は勿論、民間傳承の口傳形式のものも多からう。時代を前後し、遡り下りつつ、人がかくまで、言語の華の開花に、好奇心を唆られ、飽くなく愉しんだ歴史を眺めて行きたい。禁慾派の狹義正述心緒作稱揚が、卻つて異端であり間道であることが、その結果ありありと指されることを希はう。」



「いろは歌今昔」より:

「「色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ 有爲の奧山今日越えて 淺き夢みし醉ひもせず」、七五調四句、この今樣風歌謠はそのまま涅槃經の四句の偈(げ)「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」の巧妙な和讃體となつてをり、四十七文字の假名すべてを一回限り用ゐた四十七音から成つてゐる。易きに似てこれくらゐの難事も稀であらう。言葉遊びの中でも殊に非凡な技術を要求され、古來幾多のパロディが現れて鎬を削り、今日なほマニヤは跡を絶たない。だが、決して嚆矢と目されるこの「いろは」を越えるものは生れてゐない。
 作者は一應「不詳」と見做すのが定説となつてゐるやうだが、通説は樣樣で、萬葉時代にまで遡る俗言まで罷り通つてゐるとか。何しろ「いろは歌」の研究、注釋書だけでも、(中略)今日に傳はるものだけでも二十を越える。」
「これらの著の多くは作者を空海に擬してゐる。論證が絶對性を缺く憾みはあるが、これほどの超絶技巧を驅使できる天才が、他に想定不能といふのも理由の一部だらう。また、弘法大師と、彼の同時代知識護命僧正の合作説も、かなり信じられてゐる。冒頭の七五が護命作、殘部が弘法作とするが、これまた證據を缺く。なほまた、空海四十一歳當時、すなはち八一四年成立の勅撰漢詩集『凌雲集』に、從五位内膳正仲雄王の作として、彼が弘法大師に謁した詩が採られてをり、詩句の中に「字母弘三乘眞言演四句」なる件(くだり)が見える。勿論「いろは歌」へのオマージュであり、この當時既に錯誤傳承があつたとは到底考へられない。空海作の有力な傍證の一つであらう。
 超絶技巧云云から空海作を類推する別のデータとして「咎無くて死す」の隱文字謎(かくれアナグラム)が舉げられる。すなはち、

  いろはにほへと
  ちりぬるをわか
  よたれそつねな
  らむうゐのおく
  やまけふこえて
  あさきゆめみし
  ゑひもせす

と七音六行五音一行計七行に分ち書きし、その脚音を右から左へ拾ふと無辜刑死の主題が浮んで來るといふ論法で、これは近世までにほぼ常識化してゐたやうだ。竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作「假名手本忠臣藏」など、その常識を前提としてのタイトルであり、四十七士と四十七字のダブル・イメージを浄瑠璃もしくは歌舞伎の聽衆觀衆も樂しんだと考へてよからう。この無辜死罪暗示をのみ材料として、萬葉時代に作者を求め、かつ附會する輕率な自稱研究家もゐるやうだが、(中略)上右角・上左角・下左角を一字づつ綴ると「いゑす」が現れ、最上段を右から左へたどると「いちよら・やあゑ」、ヘブライ語の「エホヴァ(ヤーヴェ)燔祭に赴きたまふ」が歴然と示されるといふ事實を如何に解するか、これは問題であらう。
 キリスト教が入唐(につたう)したのは七世紀半ばと推定される。衆知の通り四二八年コンスタンチノープルの大主教であつたネストリウスの一派で、教義は波斯・印度を經て滔滔と支那に流れ入り、約一世紀を經てこの新奇な宗教は、唐の人士を魅了し、長安の都には景教寺院が壯麗な伽藍を誇示した。いはゆる景教流行中國碑が建てられたのは七八一年、これが發見されたのは九世紀の後一六二五年のことであるが、その隆盛の樣を十二分に裏書するものと言はれる。「景」は「宏大」を意味し、この命名自體、當時の唐人の歎稱、憧憬の念が推察される。
 唐に於ける景教風靡の樣をつぶさに視、かつ敏感に反應し得たのは、本朝遣唐使、隨行者、入唐僧侶の中の誰であらう。六三〇年の第一回遣唐使犬上御田鍬は景教渡來以前だ。八三九年最後の遣唐使藤原常嗣まで十數度、その一人一人を按ずる時、才智、學識、情熱等、空海に匹敵する人物はあるまい。彼の入唐は八〇五年、その時壯年三十一歳、二年間の在唐期間中、景教に興味を持たなかつたはずがない。(中略)あの空海ならば、あるいは「いちよら・やあゑ」「いゑすとがなくてしす」の默示を案出するのに、さほどの背伸びも必要としなかつたらう。
 作者空海説が退引(のつぴき)ならぬ根據を浮び上らせるのは、この邊のミステリアスな背景である。そして、更に慄然とするのは、表に大般涅槃經(だいはつねはんぎやう)を誦(ず)しつつ、裏にイエスの「エリエリラマサバクタニ」を代理呪詛し、かつ舊約エホヴァの業(わざ)まで暗示するといふ、まさに魔術的文字謎驅使法の冱えである。キリスト教的默示の部分が後世の好事家の牽強附會とする説も行はれてゐるやうだ。單なる偶然に過ぎぬとの否定論だ。それもよからう。ただ、全く意識することなく、これほどの主題を隱し得るとしたら、その作者は數世紀に一人の智慧者であらう。(中略)この壘を摩する技巧が操り得たか。四十七乃至八文字を用ゐて、かつがつコンテキストを成すやうに整へるのが精一杯、二重の謎など高嶺の花どころか異次元の寶玉ではなかつたか。」



「回文」より:

「江戸狂歌の鼻祖と稱される石田未得は、慶安二年(一六四九)上梓の家集『吾吟我集』七百首の中に回文歌を含め、また廻文俳諧百韻を興行した。

 和歌
  白雪(しらゆき)は今朝(けさ)野良草(のらくさ)の葉(は)にもつも庭(には)の櫻(さくら)の咲(さ)けば消(き)ゆらし  春
  湊川(みなとがは)とま覗(のぞ)きつつ廻(まは)りけり濱(はま)つづきその窓(まど)は門(かど)なみ  雜
  白髪(しろかみ)は毎日(まいにち)見(み)るぞ憂(う)かるなるかうそる道(みち)に今(いま)は身輕(みかろ)し  述懷
  また飛(と)びぬ女(め)と男(を)とあはれ主知(ぬしし)らじ死(し)ぬれば跡(あと)をとめぬ人魂(ひとだま)  哀傷
  冬(ふゆ)らしき景色(けしき)おもしろ岩(いは)の木(き)の葉色(はいろ)霜(しも)おき繁(しげ)き白木綿(しらゆふ)」

「十三世紀迄の試作から見れば超絶技巧に類する。殊に哀傷歌の「人魂」なぞ、嚴しい制約を擦り抜けて、まさに中有に遊ぶ感あり、感歎に値する。」





















































































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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