西郷信綱 『古典の影』 (平凡社ライブラリー)

「肝心なのは、わが身に刻印されている曰くいいがたいこの何ものかをいかに自覚し、いかに耕し、培い、その射程を延ばし、そしてそれをどこまで多旋律化(中略)できるかにかかる。」
(西郷信綱 「「わが古典」とは何か」 より)


西郷信綱 
『古典の影
― 学問の危機について』

平凡社ライブラリー 100 

平凡社 1995年6月15日初版第1刷
316p B6変型判(16×11cm) 並装 カバー 
定価1,200円(本体1,165円)
装幀: 中垣信夫
カバー図版: 李禹煥、From Line (部分) 1974
カバー・マーブル制作: 製本工房リーブル


「本書は、1979年6月、末来社より刊行された『古典の影――批評と学問の切点』を増補し、サブタイトルを変更したものです。」



西郷信綱 古典の影


カバー文:

「仁斎、宣長ら「古典」と現在との対話の中で、<批評と歴史>等の考察を通じて、学問の根ざすべき<経験>という地平を主題化する。危機のありかを告げ、<人間についての学>の広場へと招く開かれた思考。旧版に5篇を増補。」


目次 (初出/「末尾の* は、平凡社ライブラリー版で増補したものを示す。」):

古典の影 (「みすず」 1968年3月)
学問のあり方についての反省 (「展望」 1969年2月)
文学史の非完結性 (『風巻景次郎全集』第一巻解説、1969年6月)
批評と文学史 (『岩波講座 文学』10、1976年10月)
《読む》という行為 (『古事記注釈』第一巻、1975年1月)
物に行く道――宣長のこと (「文学」 1968年8月)
古典としての『吉野の鮎』 (『高木市之助全集』第一巻解説、1976年9月)
詩人と歴史家と――風巻景次郎『西行と兼好』 (風巻景次郎著『西行と兼好』解説、1969年3月)
万葉集と歎異抄とをむすぶ――吉野秀雄追悼
 一 (「短歌」 1967年10月)
 二 (『吉野秀雄全集』第五巻月報2、1969年6月)
学問の散文 (『岩波講座 日本歴史』第三巻月報11、1976年3月)
断章
 人類学のこと (「世界」 1968年6月)
 正徹について (『日本古典文学大系』月報2、1958年2月)
 古典の物化 (「文学」 1967年7月)
 歿後の門人ということ (「文学」 1973年12月)
 縦糸と横糸 (「文学」 1970年6月)
 宣長を読み直す (『日本古典文学大系』「近代思想家文集」月報、1966年6月)
 散文について (「日本文学」 1978年7月)
 詩人の命 (『万葉集注釈』巻第六附録、1960年2月)
 草稿から版下まで (「図書」 1969年11月)
 国語教師 (日本文学協会「国語教育部会の歩み」 1977年8月)
 ヲサのはたらき (石川淳著『新釈古事記』解説、1991年8月) *
 思考の労苦について (「日本文学」 1993年1月) *
 「わが古典」とは何か (「リテレール」 1993年夏号 特集・わが古典) *
 複眼で読む (J・E・ハリソン著/船木裕訳『ギリシアの神々』解説、1994年7月) *
学界偶感 (「日本文学」 1978年5月)
《解釈》についての覚え書き (『古事記注釈』第四巻「後記」、1989年9月) *

平凡社ライブラリー版 あとがき
初出一覧
解説――私はこの本をこう読んだ (大西廣)




◆本書より◆


「古典の影」より:

「行間を読むという古来の読書法には、言語表現の本質からしても首肯される点があるはずで、とにかく、この行間の沈黙から発してくるもの、これが私たちに投げかけられた古典の影であり、古典がつねに読み直され、そこに人があらたな意味を見出すのも、この影においてである。だから、そこに表現されている観念の姿そのものが問題であるだけでなく、それが私たちに放射してくる意味、それによって私たちをあらたな探究に向って開くところの意味、すなわち古典のヴェクトルとでもいうべきものが同時に問題なのである。」


「学問のあり方についての反省」より:

「出発が離反ではなく真の出発でありうるためには、私たちをとりまく制度化された文化世界を中断し、それに蔽われているかの原始的にしてオリジナルな経験世界にたちもどり――もどるまでもなく実は私たちはそこに生きているのだが――、そこにあくまでとどまりながら、それのもつ意味を根本的に問い直し、この前科学的世界の原的な構造そのものによって、つまり下から上へと、科学または学問が理性的にいかに動機づけられるかを探究することが、どうしても必要になるであろう。もっとも、それは主として哲学の固有な仕事である。しかし、その哲学とからみあい、それに基礎づけられぬかぎり、学問はバベルの塔を築くことにしかならぬ、そういう危機的なところまですでに来ているのではなかろうか。」


「文学史の非完結性」より:

「一つの学問を作り出すには、限りない労苦や努力が要請される。そうした労苦や努力によって一生を食いつくして悔いないところにのみ、おそらく天職の意識は授かるものなのであろう。」


「批評と文学史」より:

「古典は過去に成った作品である。そしてそれがその作られた時期と不可分の関係にあるのは、疑う余地がない。しかし、過去の作品であるけれど、それを読みそれを研究するのは現代の人間である。ここに、古典の過去性と現在性という独特の難問が存する。(中略)傑作はさまざまな読者の手を経、いわばいくつもの時代を凌ぎそれを踏破して今日に及んでいるのであって、(中略)当然その間、享受のしかたにも変化があり推移があった。源氏物語にたいする宣長とそれ以前、万葉集にたいする子規とそれ以前の違いを見れば分る。享受のしかたはむしろ革命的に変ってゆくとさえいえるだろう。私たちにしても、もはや宣長が源氏物語を、子規が万葉を読んだのと同じようにそれらを読んでいるとは限らない。そこにはむろん、新資料の発見その他の要因が働いているはずだが、もっとも核心的なのは、知識的であるよりは人びとの経験の変化、それにもとづく文学概念の変化である。」
「従来かえりみられることのなかった作品が急に浮上したり、これまでもてはやされていたものがいつの間にか沈没したりすることもある。それらを含め文学史の見取り図が変ってゆくのは、文学概念のこの変動を考えれば当然である。というより、文学概念がこうして歴史的に動いてゆく以上、文学史は時代とともにつねに新たに書きかえられねばならぬことになる。万古不易というのは、そもそも神がかっている。ある作品の評価は不易ではなく、その作品のなかに後人が新たな価値を見出すという形で変ってゆく。また、そのような再評価にたえる旋律を蔵した作品が真の古典である。そしてその評価の基準(引用者注: 「基準」に傍点)となるのは現代の経験をおいて他にない。」



「古典としての『吉野の鮎』」より:

「絵といえば、今まで見えなかったものを見えるようにするのが画家の仕事だとクレーはかたっている。学問についてもほぼ似たようなことがいえそうである。」

「学ぶべきは態度や方法であって個々の結論ではない。結論は時が経つにつれ必ず打ち破られ手直しされる。未来の新しい地平を開くのは方法の方である。」



「正徹について」より:

「正徹の詩人としてのほんとの偉さに気づいている人は、まだ非常に少いのではないかと思う。それは一つには彼の「歌道においては定家を難ぜん輩は、冥加もあるべからず、罰をかうぶるべきことなり」(「正徹物語」)というセリフが徒らに有名になり、まるで定家のエピゴ^ネンであるかのような印象がひろまったのと、また彼の歌集草根集の活字本が明治の末年に出たきりで普及していないことなどにもよるらしい。(中略)とにかく詩人としての正徹の価値は依然まだ埋もれたままになっているといっていい。
 これは非常に残念だと思う。(中略)好みからいえば、私は西行よりも定家よりも正徹の方が好きであり、そして心ひそかに彼を中世第一の詩人に擬している。

  明けわたる山もと深くゐる霧の底の心よをちこちの里 (霧)
  滝川や浪もくだけて石の火の出でけるものとちる螢かな (螢過水上)
  よもすがら声をぞはこぶ世々の人雲となりにし故郷の雨 (故郷夜雨)
  吹きしをり野分を鳴らす夕立の風の上なる雲よ木の葉よ (夕立風)
  くらき夜の誰に心をあはすらん雲ぞまたたく秋の稲妻 (稲妻)

 彼がいかに独自な詩人であるかを示す歌数首をあげてみた。新古今の、あるいは玉葉・風雅の伝統がありあり感じられるのはいうまでもない。しかし同時に、それらとは決定的に違った、むしろ芭蕉や近代詩へつながる一つの斬新な風躰がここに定着されていることも否定できないのではないか。
 私には、正徹という男は何かものに憑かれていたとしか思えない。草庵の火事で炎上した歌三万首、それ以後の詠草二万首にちと足らぬと自分でいっており、(中略)一夜百首とか一日百首とかの速吟もやっている。西鶴の神速さにはかなわぬけれども、それにしても六十年間もぶっ続けに歌をはき出すように作った男は珍らしい。しかもそれがほとんど題詠なのだ。草根集の詞書に日記風に書かれた部分があるが、歌に関する限り生活の要素は一切消しさられている。その抽象性はひどく徹底したもので、たとえば「吉野山はいづくぞと人たづね侍らば、ただ花には吉野、紅葉には立田をよむ事と思ひ侍りてよむばかりにて、伊勢やらん日向やらん、知らずと答ふべき也」と彼はうそぶく。「定家を難ぜん輩は……」のセリフにも、私はそうした一種観念的なもの狂いを感ずる。
 彼は、とうてい定家のエピゴーネンなどではありえない。すぐあとに「但その風躰をまなぶとも、てにをは詞を似せ侍るは、かたはらいたき事也」と注釈をつけているし、何より彼の作品じたいがそのことを証している。定家は彼の憑かれた精神を支えるイデーみたいなものであったというべく、それは「ねざめなどに定家の歌をおもひ出しぬれば、もの狂になる心地して侍る也」という口吻にもハッキリうかがえよう。
 その「もの狂」の実体はいったい何か、それは一休の「狂」に通ずるのか、兼好の「もの狂ほしけれ」に通ずるのか、それとも全く別種の何ものであるのか、私にはまだよくわかっていない。けれども、禅徒でありながら漢詩や連歌に向わず、ひとり背くように和歌の道をえらんだ彼、しかもどうやら源氏物語あたりにうつつをぬかし、ほとんどあらゆる場面の恋歌を、むろん想像で無数にでっちあげている彼の風骨に思い及ぶと、少しは見当がついてくる気がしないでもない。」
「失うべきものがないのだから、彼は定家の「紅旗征戎、吾事にあらず」といったような唯美主義のセリフにはもう用がないはずである。空の空なる身を以て、雲、木の葉、浪、入日、月や稲妻、鳥、鐘声その他、彼のいわゆる「無心なるものに心をつくる」歌の道において、「理の外なる玄妙」な世界との詩的交感を観念として物狂おしく生きることだけが残される。詩は幻術に似てこざるをえない。恋すらがそこでは完全に観念の風景と化す。そして定家は、この幻術道の師祖と仰がれるのだ。
 万葉に発したときまだ裾野のひろびろと開けていた和歌の道は、新古今の艶麗な世界をくぐった後、室町の正徹によって冴えはてた絶頂をきわめつくされる。」



「国語教師」より:

「つきつめれば、文学にかんしては教える側にも教えられる側にも汝の好むところに従えというのが王道であるのを忘れるべきでない、という気がどうしてもするのである。といえば、文学教育の否定になるだろうか。必ずしもそうは思わない。なぜなら、汝の好むところを為しうるよう自他を訓練(引用者注: 「訓練」に傍点)することこそ、実はもっとも難しい営みだからである。」

















































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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