西郷信綱 『古代の声 増補版』 (朝日選書)

「折衷主義は妥協の産物であり、あれこれとりこんでいい子にはなれるが、そこからは何も生れて来ない。」
(西郷信綱 「古代研究の罠」 より)


西郷信綱 
『古代の声 〈増補版〉
うた・踊り・市・ことば・神話』

朝日選書 532

朝日新聞社 1995年8月25日第1刷発行
248p 目次その他4p 初出一覧1p 索引vii 
四六判 並装 カバー 
定価1,300円(本体1,262円)

「本書は1985年6月に朝日新聞社より刊行された『古代の声 うた・踊り・市・ことば・神話』に、「御霊会の意味」「古事記の行間を読む」の二章を増補したものである。」



西郷信綱 古代の声


帯文:

「古代史の
行間と余白を
読み解く

歌垣の本質、アヅマとは、
御霊会の意味、枕詞の
不思議、……
誤読の歴史のなかで、
あらためて考える。」



帯裏:

「◆――古代という時代をもっぱら対象化して、地図のようにそれを上から、あるいは外から眺めつつ云々するのではなく、その諸関係のなかにわが身を滑りこませ、何とか生きた景観に立ちあい、そこでどういう声がきこえ、どういう音がするかを確めるすべはないものか、――このことは私のかねて念願するところで、本書を「古代の声」と題したゆえんでもある――。
「あとがき」より」



目次 (初出):

市と歌垣 (「文学」 1980年4月号、岩波書店)
 資料
 市と境
 市と歌垣の相関
 筑波山のカガヒ
 歌垣から踊り念仏へ
御霊会の意味 (「週刊朝日百科・日本の歴史」64 「御霊会とは何か」「祇園会の世界」 1987年7月、朝日新聞社)
 死霊と疫神
 御霊会と民衆
 恐怖への勝利
アヅマとは何か (「社会史研究」5 1984年11月、日本エディタースクール出版部)
 地名起源譚としての「アヅマはや」
 妻と端の連動
 二つの辺境 アヅマとサツマ
 坂・境・峠
 宮廷と辺境
古事記の行間を読む (『日本文学講座』I 「テキストの行間と余白」改題 1987年12月、大修館書店)
 ヤマトタケル東征譚をめぐって
 鹿島と蝦夷のこと
 科野の坂と諏訪の神
 神話と歴史と
枕詞の詩学 (「文学」 1985年2月号、岩波書店)
 枕詞の謎
 枕詞をどう定義するか
 口承的言語の力学
 「大和」にかかる三つの枕詞
 「八雲立つ」と「やつめさす」の対立
 韻律単位の問題
 古代歌謡における枕詞
 柿本人麿と枕詞
 再び枕詞の不思議さについて
オモロの世界 (日本思想大系『おもろさうし』解説 1972年12月、岩波書店)
 オモロと未詳語
 詩形の問題
 歌と舞踊
 祭式歌謡としてのオモロ
 オモロの本義
 オモロにおける宗教思想
古代研究の罠 (単行本『古代の声』のための新稿 1985年)
 固定観念
 誤読の歴史のなかで
 観念による上空飛行
 構造的連関の発見

あとがき (1985年2月)
朝日選書版あとがき (1995年7月)
初出一覧
索引




◆本書より◆


「市と歌垣」より:

「市(イチ)との相関関係に焦点をしぼらぬかぎり、歌垣(ウタガキ)の本質は見てとることができないだろうと私は考える。」
「今日の語感とは違い、チマタは古代では境という観念に強く結びついていた。」
「禁断されはしたものの、しかし京畿における歌垣の伝統がそのまましぼんでいったかどうかは別の問題である。むしろ禁令が次々に出されているのは、その活力がなかなかしぶといものであったことを逆に証しているともいえる。」
「法的規定がその字づら通り現実をかたっているとは限らない。むしろ現実は法的規定をはみ出し、つねにそれを追いこしていたと見るべきである。(中略)日本霊異記(中・一九話)に、河内国の人、(中略)かつて自分の写した梵網経二巻、心経一巻を盗まれたが、それを盗人から奈良の東市で買いもどした話を載せているが、その盗人が、「市の東門より市の中に入りて経を売る。衒(テラハ)し売りて告げて云はく、『誰かこの経を買はむ〉と。……」とあるのなども見逃せない。つまり彼は盗品を手でひけらかしながら売り歩いたわけだ。霊異記は盗品を市で売る話をあわせて四話ほど載せているが、とくにこの記事からは、法的規定の冷厳さとほとんど裏腹ともいえる市の喧噪やどよめきの声が聞えてくるであろう。喧噪こそ市の本質であった。」
「日本霊異記のもろもろの話からすると、市は盗人の安全な(引用者注: 「安全な」に傍点)逃げ場であったのではないかとさえ思われる。」



「御霊会の意味」より:

「公の御霊会が最初に行われたのは、貞観五年(八六三)五月二十日神泉苑においてであった。その時は崇道(スダウ)天皇(早良(サハラ)親王)、伊予親王(桓武天皇皇子)、藤原夫人(伊予親王母)、按察使(アゼチ)、橘逸勢(ハヤナリ)、文室宮田麻呂ら六人の「寃魂(ヱンコン)」(無実の罪で死んだものの霊)の祟りで疫病がはやるので、その「霊座六前」を祀ったとある(三代実録)。(中略)右の六人は、平安期に入って謀反の罪に問われた上、都を離れた異郷で没した、つまり普通の死にかたでなく《悪い死》をとげた人物たちであり、したがってその霊は怨みを抱いたまま浮遊していた。それを慰撫救済して、その祟りを封じ込めようとする仏会が御霊会にほかならない。」
「疫病は官民共通の敵であったが、御霊会の主体をなすのは民の方であった。」
「しかし「都人蜂起」の語が暗示するごとく、御霊会はただ民間の風俗であったという以上に、一種の反秩序的な要素をはらんでいたといえるのではなかろうか。(中略)御霊会と田楽とが妙に連帯しあっている点も見逃すわけにゆかない。洛陽田楽記(大江匡房)は例の永長元年(一〇九六)六月の大田楽についていう、「喧嘩(やかましいこと)の甚だしき、よく人の耳を驚かす……一城(平安京)の人、みな狂へる如し。けだし霊狐の為す所か」と。ところがこの大田楽は中右記によると実は、祇園御霊会にこと寄せて「雑人(ザフニン)」の間で始まったのが制止できぬ勢いで京中を席巻していったものなのである。」
「いずれにせよ御霊会には群衆性と狂気、あるいは暴力性と騒擾などが、一種の痛みであるかのごとくつきまとっている。」
「御霊会は猥雑さにもこと欠かなかった。『本朝世紀』天慶元年(九三八)九月二日に次のような記事がある。東西両京の辻々に木を刻んで男形・女形の神を作って安置、それぞれ臍(ヘソ)の下に陰陽の姿を刻み描いてあり、机上には坏(ハイ)をのせ、童児らが猥らに騒ぎ幣帛を捧げたり香花を供えたりし、これを「岐神(フナドノカミ)」とか「御霊」とか称している云々と。御霊会は公儀の政治的・宗教的規範の外側にあったと見て誤るまい。」

「朝廷側の度重なるこうした規制にもかかわらず、祇園会が官祭の衣を次第に脱ぎ捨て、中世から近世にかけ、下京の町衆たちの手で独自な都市的祭礼として発展させられていったことはすでに史家の説くところである。(中略)いうなれば、それは平安京の住人にとって、今や疫神祭である以上に一種カーニヴァル風な行事へと進化しつつあったわけで、だから派手なその風流も単に富裕のしるしなどではなかった。それはむしろ蕩尽であり、年に一度の晴の日のため人びとは財を投げうち、歓楽に身をゆだねたのだと思う。」



「アヅマとは何か」より:

「アヅマ(東国)という語には、古代の経験や歴史がまだ充分解読されずに封じこめられたままになっているように思う。」
「名づけかたはむろんさまざまとしても、地名は人間のつけたものである。したがってどの地名もかつてはそれぞれ固有の意味をもっていたはずである。ところが(中略)やがてその由来がわからなくなってしまう。こうして地名は神話と化し、そのいわれを知ろうとする欲求が起源説話を生み出す。」
「アヅマは本来、たんに地理的(引用者注: 「地理的」に傍点)に都の東の諸国をいうのではなく、都の東に存する辺境(引用者注: 「辺境」に傍点)の地つまりフロンティアを意味する語ではなかったか。語彙として分析すれば、アヅマのアは接頭語で、この語の本体はツマ、そしてそれはものの端(ハシ)の意に違いない。つまりアヅマとは、大和から見て一つの端なる辺境をさす語であったはずだ。」
「ものには両端がある。(中略)アヅマとサツマも、大和を座標軸とする日本古代の王権が領有しようと欲したいわゆる大八島なる版図の両端、具体的にはまだ王化(引用者注: 「王化」に傍点)にまつろわぬエミシとクマソの棲息する二つの辺境であったはずだ。」
「まだ名の存しなかった空間に名が与えられるのは、その空間が新たな関連のなかに組みこまれたことを意味する。すなわち版図の両端がアヅマならびにサツマと名づけられたとき、それは大和の王権がこの二つの辺境をまさに王化(引用者注: 「王化」に傍点)のもとにおき、支配しようと欲したことと同義なのである。(中略)さればこそ記紀は、大和の英雄であるヤマトタケルが西のクマソタケルと東のエミシをともに平らげるという風にかたったのだ。」
「さて記紀のかたるクマソ・エミシ征伐のことは、決してむかしむかしの話ではなかった。神話といえば、古い過去、悠遠たる昔をかたったものとつい思いこみがちだが、(中略)神話の関心はむしろかつて(引用者注: 「かつて」に傍点)あったことではなく、今(引用者注: 「今」に傍点)なお生きている諸関係へと向けられているのであって、ある話をかたり終えたときしばしば「故、今に至るまで、云々」と古事記がいうのも、こうした志向のあらわれに他ならない。」

「だが軍事的に征服したからといって、それがそのまま政治的支配に通じるとは限らない。」
「「帝王、我に於て何事かあらん」という著名なことばに象徴されるように、古代中国の広大な版図内には、専制政治の触手のとどかぬ自由な自治的共同体が存在しえたらしい。(中略)中国大陸の物理的偉大さに比べ、日本列島はいかにも矮小で狭苦しいという感じがする。だから、ちょっと強い権力が中央にあらわれると、いとたやすく国の隅々まで把握し組織し、支配を貫くことができそうに一見される。が(中略)、実際はなかなかそうではなく、たとえば大和の政権が全国的規模での統一をやりとげるのは必ずしも容易のわざではなかったと考えねばなるまい。極端な中央集権主義と無政府に近い状態、あるいは服従と独立性とが至るところで併存し混在していたに違いなく、辺境ではとりわけそういった傾向がいちじるしかったと想像される。」



「古事記の行間を読む」より:

「秀句といえば、王朝和歌の趣味嗜好であるかのように思いこみがちだけれど、これは、万葉の歌は素朴で直接的であるにたいし古今集以後の歌は知的でことばのいいかけなどを喜ぶようになったとする教科書風な説にもとづく偏見にすぎぬ。」
「秀句という用語は新規のものだが、秀句の実体は古くさかのぼるのであり、恐らくそれは記憶を絶する由来をもつと見て誤るまい。というより、ことばのいいかけや洒落は、文字以前の時代の方が、いっそう自由で大胆であったと推測される。」



「枕詞の詩学」より:

「まず最初に指摘したいのは、枕詞は口承的――口頭的というべきか――言語すなわち文字以前のオーラルなことばの所産であって、それと不可分につつみあっており、この口承的言語との関係をぬきにしては枕詞の特質はとらえられぬということである。」

「いかにも「やつめさす」は「やくもたつ」と転音関係にはあるけれど、しかしそれはたんなる訛伝などではなく、むしろ無意識のうちに作り出された伝承上の発明であったかも知れないのだ。つまりそれは状況に応じて咄嗟に変化するオーラルな作詩術のもつ気転ともいうべきもので、少くとも出雲にかかる正統の枕詞は「やくもたつ」だといった教科書流儀ではどうしようもない問題がここにある」

「枕詞についていうなら、それが余計なものであるどころか、韻律的にも意味的にも――両者は不可分であるはずだが――欠くことのできぬ大事な役を果たしていることは(中略)疑う余地があるまい。」



「古代研究の罠」より:

「ある誤った思いこみや固定観念が永いあいだ訂正されずにもっともらしく通用し、それに気づくものがなかなかいない、といったおめでたく、かつコッケイな現象は、どの学問の分野にも多かれ少かれ見られるものだろうが、古代研究はそうした傾向のとりわけいちじるしい分野の一つといえそうである。文献資料が限られているため、その解読を通して意味を見きわめるのに推測や想像に頼る度合いが相対的に高くならざるをえない、という事態とそれは関連する。つまり一つの考えなり説なりが事実の抵抗に出逢い、その力で否応なくひっくり返される機会が、ここでは非常に乏しいわけだ。そのことが古代研究の魅力や面白さとも微妙に包みあっているのだけれど、うっかりすると、私たちを即自性の天国の住人に落とし入れかねぬ罠があちこちに待ち伏せているのも確かである。
 こんな書き出しになったのは、永年脳裡にぬくぬくと棲みついていたある固定観念を軸とする一つの世界があるはずみで、こっぱみじんにくだけ散るというにがい経験を、実は私じしん近ごろなめさせられたせいに他ならない。」

「実はそのとき、右の考え(引用者注: 「八十島祭は、国々の魂または大八洲の霊を天皇の身につけるための祭式である」という考え)が独りよがりの思いこみであり方向として誤っているのを断乎悟るべきであったのだ。ところが実際はそうは行かず、未練が残った。とくに折口学の亡霊を背負いこむ私などは、正直なところ右の考えに何やら快感のごときものをずっと覚えていた節さえなくもない。」



「古代研究の罠」「注」より:

「折口説は文学的スリルに富むことが多いけれど、しばしば脆い基礎の上に立っているように思われる。少くともその「天皇霊」の説――これは今なお俗受けしているようだが――は確実に誤読の産物といっていい。大八洲之霊が八十島祭で天皇に付着するという、「天皇霊」のことをモデルにした発想も、御破算になるはずである。」
















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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