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西郷信綱 『古代人と夢』 (平凡社選書)

「incubation とは鳥が卵を抱いて孵化すること、巣ごもることで、夢を得んと聖所に忌みこもって眠ることをも、ギリシャ以来こう呼んでいる。日本古語の「こもる」は、もっと広い意味をもつが、この incubation をも含むものと見ていい。」
(西郷信綱 『古代人と夢』 より)


西郷信綱 
『古代人と夢』

平凡社の選書


平凡社 
昭和47年5月27日 初版第1刷発行
昭和47年7月15日 初版第2刷発行
258p 
四六判 丸背クロス装上製本 カバー 
定価700円
装幀: 原弘



本書「あとがき」より:

「第一章から第四章までは雑誌『文学』に、補論第二は『ユリイカ』に発表した。(中略)発表時と違うのは、注の部分をぐんとふくらませ、底固めのため出来るだけ多くの資料を呈示しておいた点である。私の思考は観念の方にではなく、事実とそのもつ意味の方に向けられていたといえる。」


本文中図版(モノクロ)9点。
本書は1993年に平凡社ライブラリー版が刊行されています。



西郷信綱 古代人と夢 01



帯文:

「西郷さんの講究はすべてことばという道具をもってすすめられる。あながちに発掘された銅器土器の類にたよらない。古文を考え古語を解く。これは江戸伝来の古文辞学の本流である。この方法を使っていかなる精神史を編み出すか。……石川淳 朝日新聞文芸時評(昭和46年10月)より」


帯背:

「記紀、万葉、物語文学等に探る精神史」


目次:

第一章 夢を信じた人々
第二章 夢殿
 法隆寺の夢殿
 聖所の眠り
 夢と魂
 六角堂の夢告
第三章 長谷寺の夢
 更級日記のこと
 こもりくのは泊瀬
 長谷観音
 夜と大地
第四章 黄泉の国と根の国
 黄泉比良坂
 大穴牟遅の名義
 夢と洞窟
 夢と洞窟(つづき)
 根の国とは何か
 天と地
第五章 古代人の眼
第六章 蜻蛉日記、更級日記、源氏物語のこと
補論一 夢を買う話
補論二 夢あわせ
あとがき
索引




西郷信綱 古代人と夢 02



◆本書より◆


「夢を信じた人々」より:

「夢にも固有な歴史があった。(中略)そしてその歴史の層は、古代においてもっとも厚かったといえる。古事記から今昔物語まで、あるいはもっと降って中世の諸作品に至るまで、夢の記事は、それをふくまないのがむしろ例外と思えるくらい豊富である。それもたんに数が多いだけでなしに、夢を見たということが話全体の動機づけを決定している場合さえ少なしとしない。夢は、昔の文学にはなくてかなわぬ大事な構成要素の一つであったらしいのである。」
「むろん近代になると、以前夢のもっていた衝撃力はうすれ、夢の価値やその必要性はめっきり下落する。人々はもう昔のように、夜寝て見る夢のなかに神や仏のお告げを読みとったり、それで自分の運命を占ったりはしない。(中略)しかしそうだからといって、夢をたんなるはかない空ごとであり、荒唐無稽な逸脱であり、人間というものの理解にとって意味をもたぬ残滓として遇するだけで事がすむかというに、それはまたおのずと別の問題になる。
 ネルヴァルやイェーツのような作者がいたことを忘れぬ方がいい。あるいは手近なところでは『夢十夜』の作者のことでもいい。いや、この枠はもっと拡げられる。ブルジョワ社会の親不孝者ないしは蕩児たるべく宿命づけられている芸術家や詩人たちは、むろん古代人と同じ風にではないけれど、ある意味では多少ともみな夢の信者であったし、現にそうだと見れなくもないのである。」

「昔の人たちは、夢は人間が神々と交わる回路であり、そこにあらわれるのは他界からの信号だと考えていた。(中略)夢が神的なものとして信じられるのはこのためで、だからそれは「夢の告げ」であり「夢のさとし」でありえた。「夢の教」という言葉も、すでに記紀に何度か用いられている。」



「夢殿」より:

「斑鳩の宮の寝殿のかたわらに建てられた屋を世人が夢殿と呼んだのは伝統にもとづくものだろうと先ほどいったが、この伝統とは何か。それを解くにはどうしても incubation の問題を、むろん日本のこととして考えてゆかねばならない。incubation とは鳥が卵を抱いて孵化すること、巣ごもることで、夢を得んと聖所に忌みこもって眠ることをも、ギリシャ以来こう呼んでいる。日本古語の「こもる」は、もっと広い意味をもつが、この incubation をも含むものと見ていい。」

「前に述べたごとく夢は人間が神々と交わる回路であったから、夢を通して神託がくだされるのは当然で、これを夢託という。」
「さて incubation のこととして見のがすわけにゆかぬのは、(中略)「神牀(カムドコ)に坐しし夜」という表現である。(中略)この「神牀」こそ夢殿の原型だったのではあるまいか。」
「古代の夢にかんして誤解が生じるのは、古代にあっては夢はたんに自然的に見られるだけでなく祭式的に乞われたのであり、しかも古代人はこの後者の方をいっそう大事としていたことに気づかずに、近代風に夢をみな自然的レベルにもどして考えるためである。前には、夢を信じていた人々をかりに古代人と名づけたが、それは祭式的に夢がえられると信じていた人々といいかえることもできる。夢が祭式的に得られると信じていた人々の生活史においては、その自然的な夢の内容も後世とは相当違うはずである。今昔物語の話のように一里人が、明日の何時にしかじかの姿の男がここにやってくる、それが観音だ、とおのずから夢見たとしても、観音に祈誓して夢の告げが得られると信じていた人々の生活史を顧慮すれば、とくに不思議ではあるまい。またその男が観音だといわれて自分を観音だと思いこんだのも、もっともなことであった。
 ところで、祭式である以上、当然、日常とはちがう手続きが要求される。書紀にいわゆる「沐浴斎戒」、すなわち物忌みしてこもること――それはおそらく穀断ち、禁欲、隔絶等から成るはずだ――がそれにあたる。(中略)聖徳太子の話にも、夢殿に「一日ニ三度沐浴シテ入リ給フ」とあったのを想い出していただきたい。霊夢を得んと聖所にこもるための共通の手続きがここにあるのに気づくであろう。」

「とりわけ参籠という聖所の眠りでは、魂と夢とは非日常的にいっそうふかく結ばれる。そのさい夢として像化されるのは魂の希求そのものに他ならない。というより、魂の働きを非日常的に活気づけ、まさに夢を乞う祭式が、聖所ごもりであった。」
「魂とは何かは、(中略)比較的確実にいえる一つのことは、それが心とは質のちがうものだという点である。(中略)心は身体器官としての内臓とかかわり、それら器官の内具する知情意のはたらきを意味した。」
「それに対し魂は、(中略)容器としての身体の深部に棲みこみ、そして人間の生命を支える神話的あるいは形而上的な、つまり非物質的な何ものかである。しかもそれは睡眠中とか恍惚や失神の状態とかには身体から分離しうるとされていたようで、(中略)いうまでもなく死においてこの分離は決定的になる。しかしそのさい、身体は土に帰するけれど魂は必ずしも滅びない。死後における魂の旅路、つまり後生のことが原始時代このかた関心の的になるのはこのためで、教義としての宗教が目ざしたのも、死後なお生きるこの魂の救済にかかっていた。こうして魂の方が身体より永生きする。それだけでなく、実は魂の方が身体より古いのだ。生存中も魂が身体から分離しうるのは、それが外から身体に入ってきてそこに宿ったものであるからで、(中略)してがって魂は、自己のなかに棲みこみ、その生命を支える独特な力であると同時に、自己にとっては他者でもあったことになる。私が魂を持つ(引用者注:「持つ」に傍点)のではなく、私は魂の保管所なのである。」



「長谷寺の夢」より:

「夢しあらば小泊瀬(ヲハツセ)山の石城(イハキ)にも隠(コモ)らば共にな思ひ我が背 (万葉十六・三八〇六)」
「まさかの時には、小泊瀬山の石城にでも一緒にこもりましょう、ですからわが背よ、心配なさるなという意である。常陸風土記にも類歌のある伝承歌だが、問題はこの「石城」とは何かにある。ふつう墳墓の石棺、石室の意に解されているが、そうまで自然主義風に決めてかからぬ方がいいのではないかと思う。(中略)このイハキは石棺・石室に限定せず、自然の岩窟と見る方がいい。(中略)岩窟から人骨の出てきた多くの例をあげるまでもなく、古代人にとって岩窟は墓所でもあったわけで、(中略)山は死後の他界であり、その他界としての山を象徴するのが(中略)岩窟であった。かくしてこの歌、文字どおり同穴の誓を歌ったことになるが、しかし一方、「こもらば共に」の一句に復活の観念が揺影しているのを見るべきであろう。つまりコモルのは生れ変るためで、それを「な思ひ我が背」と歌っているところが古代風なのである。」

「このように考えてくると、その山や岩や水が母性原理によって統合されつつ「こもりくの泊瀬」を形成しているのを知りうる。(中略)「こもりくの泊瀬」のコモリクも、籠り奥まった初瀬の景観に帰するだけでは皮相で、神話的にはそれは豊饒の源たる母胎(引用者注:「母胎」に傍点)を意味したはずなのである。
 そして実は、母胎に擬せられるこのようなところこそ、観音が示現するにもっともふさわしい地であったといわねばならぬ。観音もその本質において(中略)母神であったからだ。」

「本題である夢とは無関係なおしゃべりと思えるかもしれぬが、決してそうでない。夢は大地にぞくするものなのであり、そして私は、夢を授けるものとしての観音が地母神の性格をその根底にもっている点をつきとめようと迂回しているにすぎない。」

「空間における聖と俗との対立は、時間における夜と昼との対立とかさなるのである。すなわち「こもる」のは、たんなる手続きではなく、夜という時間のなかに入ることを意味するわけで、祭りが原則として夜を徹しておこなわれる次第になっていたのにも、深遠ないわれがあろう。神話的には、夜こそが聖なる時間であった。逆に悪霊の出没するのも夜であるということを、これは必ずしも排除しない。」
「真の夜の静寂や闇黒、そこにただよう神秘や恐怖を、われわれはもう経験できなくなっている。われわれの経験では、夜と昼との対立は明確な輪廓を失い、いわばなしくずしに昼が夜になっていき、夜が昼になっていく。古代人が夜寝て見る夢によって受けた衝撃の深さのほどを思いやることがなかなか出来なくなったのも、生活のありようのこうした違いに妨げられている点があるであろう。」

「夢は大地の神々の贈りものであった。観音が岩のはざまや洞窟を、つまり「こもりく」を勝地として示現したのも、それが深い大地への入口であったからに他ならぬ。夜の闇につつまれた夢殿、すなわち「こもり堂」そのものがすでに比喩的に一つの洞窟であった。(中略)ものの本によると、デルポイは delph (子宮)という語と関係があり、洞窟のなかで夢幻状態になった巫女の口ばしる言葉が、つまりその神託であったらしい。ここに夢と洞窟との古くして強い歴史的友情が横たわっていることを、われわれも容易に推測することができる。」



「夢あわせ」より:

「プルタークによると、アレキサンダー大王は遠征に夢解きを帯同した。といえば迷信めいて聞えるかも知れぬが、しかし例えばヘロドトスを読んで見るならば、託宣や夢やその解釈がいかに古代の歴史においておろそかならぬ要素であったか、思いなかばに過ぎるものがあろう。中国古代には占夢の役人さえおかれていた。日本の古代にそうした職掌の役人がおかれていた証拠はないが、おそらく巫覡とか陰陽師あたりが、その任にあたっていたものと思われる。前に説いたように夢はかつて公的な意味をもち政治ともかかわっていたから、宮廷お抱えの夢解きがいたとしても一向におかしくない。それほど夢を解くことは国の大事の一つであった。夢あわせは、神の啓示、他界からの信号としての夢を解読し未来を先取りしようとする神的なわざであったからだ。」







こちらもご参照下さい:

J・L・ボルヘス 『夢の本』
G・H・シューベルト 『夢の象徴学』 
多田智満子 『夢の神話学』
ロジェ・カイヨワ 『夢の現象学』 金井裕 訳
レメディオス・バロ 『夢魔のレシピ』
島尾敏雄 『夢日記』
Catherine Corman (ed.)  『Joseph Cornell's Dreams』



















































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