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西郷信綱 『日本の古代語を探る』 (集英社新書)

「儒教的な帝国または一神教的な帝国が組織されるにつれ、地上の霊たちは零落を余儀なくされるか、天上に吸いとられ滅んでゆくかする。そのような帝国の制覇することのなかった古代・中世の日本には、さまざまな古い霊たちが、むろん姿をやつしながらもなお根強く生息し続けてきていたように思う。石の霊もその最たるものの一つである。」
(西郷信綱 「石の魂」 より)


西郷信綱 
『日本の古代語を探る
― 詩学への道』

集英社新書 0284F 


集英社 
2005年3月22日 第1刷発行
2005年5月10日 第3刷発行
217p 
新書判 並装 カバー 
定価700円+税
装幀: 原研哉



本文中図版(モノクロ)10点。

ひさしぶりによんでみました。



西郷信綱 日本の古代語を探る 01



帯文:

「豊葦原水穂国」とは何か
文字以前の世界に降り立った、古代文学研究の泰斗」



カバーそで文:

「神話学や人類学などの成果を踏まえた広い視野で、『古事記』をはじめとする古代文学研究史に巨大な足跡を残してきた西郷信綱氏。本書には、今なお先鋭でありつづける著者による最新の論考が、数多く収められている。
豊葦原水穂国、木と毛、旅、石、東西南北……、片々たる言葉を手がかりに飛翔した想像力は、字義を辞書的に明らかにするだけでは決して辿りつくことのできない豊饒なる古代世界へと、いつしか読み手を誘ってくれる。遥か遠い時代、文字以前のその場所に、私たちはいかに降り立つことができるのか?」



目次 (初出):

序 言葉について
木は大地の毛であった (「一冊の本」 2002年11月)
「タビ」(旅)という語の由来 (書き下ろし)
筑波山三題 (書き下ろし)
キトラ古墳の「キトラ」について (書き下ろし 原型は1994年頃)
方位のことば(東・西・南・北) (書き下ろし)
芭蕉の一句――「シト」か「バリ」か (『廣末保著作集』 第二巻月報No.6、影書房、1998年9月)
ヲコとヲカシと (『大系 日本歴史と芸能』 第十二巻、平凡社、1990年12月)
禅智内供の鼻の話―説話を読む (「日本文学」 1998年9月)
石の魂―『作庭記』を読んで (「月刊百科」 1986年2月)
「シコ」という語をめぐって――一つの迷走 (書き下ろし)
「豊葦原水穂国」とは何か――その政治的・文化的な意味を問う (「思想」 1999年1月)

あとがき
参考文献
初出一覧

解説 そこに降り立つための詩学 (瀧澤武)




西郷信綱 日本の古代語を探る 02



◆本書より◆


「木は大地の毛であった」より:

「スサノヲ……乃(すなは)ち鬚髯(ひげ)を抜きて散(あか)つ。即ち杉に成る。又、胸の毛を抜き散つ。是、檜(ひのき)に成る。尻の毛は、是柀(まき)に成る。眉の毛は是櫲樟(くす)に成る。已(すで)にして其の用ゐるべきものを定む。(中略)(神代紀上第八段第五の一書)」
「これはスサノヲの体に生えていたあれこれの毛が、あれこれの木になったという話である。(中略)この話から毛すなわち木であり、つまり木は大地に生えている毛にほかならぬとする思考がここに蔵されているのを知りうる。毛野川のケヌが衣(きぬ)川・鬼怒(きぬ)川のキヌに変じたのは、そこに毛=木というこうした原始的な思考法がまだ失われていなかったせいといってよさそうだ。だが毛野川の、そして毛野国の「毛」がもともと「木」と通じあう語であったのは疑えない。宣長の『古事記伝』にも、「上野(カミツケノノ)国、……名義(ナノココロ)未ダ思ヒ得ず、毛(ケ)は草木を云か」と見える。」

「もし森や林の木々が大地の毛であったという命題が詩学的に回復できたら、「木は木、金(かね)は金」としか見ることのできぬ私たちの魂の荒涼を、何ほどか癒してくれそうな気がするのだが、どうであろうか。私の家のすぐ裏に、ちょっとした林があり、こんもり茂っているのだが、木が「大地の毛」であったとわかってから、この林への愛着が、いささか深まったような気がする。」



「筑波山三題」より:

「「サァーサ、お立合い、……」で始まる筑波山のガマの油売りの口上は、世間周知のところだが、ここで問うのはそのガマとは何かということである。といえばいささか勿体ぶって聞こえるが、話は至極単純で、ガマは「降魔(がま)」にもとづくものに他ならぬ、とするのが私の答えである。」
「周知のように不動明王を中国から真言密教とともに持ち帰ってきたのは空海である。右手に剣、左手に羂索(けんさく)を持ち、その忿怒の相を以て悪魔を調伏し、衆生を救おうとする不動明王像が、普及するようになる。さきに引いた梁塵秘抄歌の「悪魔寄せじとて降魔の相」も、そういう姿を歌ったものにほかならぬ。が、さてこの降魔とヒキガエルとがどうして結びつくのか。(中略)『万葉集』に「山彦の こたへむ極(きは)み 谷潜(たにぐく)の さ渡る極み」(6-971)、「天雲の 向伏(むかぶ)す極み 多尓具久(たにぐく)の さ渡る極み」(5-800)などとあるのによれば、いわゆるヒキガエルは山間の陰湿地帯にひそんでいたのでタニグクと呼ばれたのだろう。そしてこのタニグクの面相がいかにも不動明王の忿怒の、つまり降魔の相に似かよったところがあったため、それをガマと呼ぶようになったのではないかとわたしは憶測する。
 さらにヒキガエルには、あれこれと神秘性が認められる。」



「禅智内供の鼻の話」より:

「こうした流儀をたんなる語路合わせ、または駄洒落にすぎぬと片づけてしまったら、民間伝承のお家芸である言語遊戯の持つ意味をまんまと取り逃がすことになろう。例えば『出雲風土記』とか『播磨風土記』とかの古風土記は、いわば地名叙事詩であり、ほぼ全篇、国・郡・郷の名の起りにかんする語路合わせ風の説話から成り立っている。それもいわゆる言霊の働きの一端であったのだ。」


「石の魂」より:

「とにかくこうした石崇拝がかつて日本では――あるいは日本でも――、相当さかんであったのは間違いない。というより、国つ神と呼ばれたものたちの神体がすべて岩または石であったわがお国がらからすれば、この崇拝はほとんど記憶を絶する世にさかのぼり、しかも至らぬ隈なくゆきわたっていただろうと推測される。」
「『古事記』応神の段に次のような話を載せる。すなわち、この代に百済国から酒を醸むことを知れる人、名は仁番(にほ)、亦の名須須許理(すすこり)というものが渡って来た。このススコリ、酒を造って天皇に献じたところ、その酔に浮かれて天皇は、

 須須許理が 醸(か)みし御酒(みき)に 我酔(ゑ)ひにけり 事無酒(ことなぐし) 笑酒(ゑぐし)に 我酔ひにけり

と歌った。そして「かく歌ひて幸行でます時、御杖以ちて大坂の道の中の大石を打ちたまへば、其の石走り避(さ)りき。故、諺に『堅石(かたしは)も酔人(ゑひびと)を避く』と曰ふ」というのである。」
「契沖が右の歌につき『袋草紙』にのせる次の「誦文歌」を引き合いに出し、いろいろ注している(『厚顔抄』)のに早速、目を向けたい。

 カタシハヤ ワガセセクリニ クメル酒 手酔ヒ足酔ヒ ワレ酔ヒニケリ

 誦文歌は死人に逢ったとか人魂を見たとかのとき三遍誦する呪文歌で、(中略)まず、この歌は『古事記』に見える先の歌と諺から合成されたもので、「セセクリ」は「ススコリ」の、「クメル酒」は「醸メル酒」の転かとしているのはその通りに相違ない。
 だがそれよりもっと興味をそそられるのは、初句「カタシハヤ」につき「石ノ霊ヲ呼テ告ルニヤ」といっている点である。」
「夜道を行く酔人が、堅石よ退いてくれ、と石の霊に告げたのだろうと契沖が右の誦文歌を解したのは、さすがだという気がする。」

「例の久米歌中の一首につき次に考えてみる。

 神(かむ)風の 伊勢の海の オヒシ(意斐志)に 這ひ廻(もとほ)ろふ 細螺(しただみ)の い這ひ廻り 撃ちてし止(や)まむ (『古事記』)」

「オヒシという語だけを取りあげるが、これにはオホイシ(大石)とする説とオヒイシ(生ひ石)とする説とがある。そして今のところ前者を支持する向きが断然優勢なのだけれど、言語学的に後者の方が正しいのは、ほとんど疑う余地がないのではなかろうか。(中略)少なくともこのままではオホイシとはとても訓めないはずだ。ところが「大石」説が頑張ってなかなか動く気配を見せぬのは、この歌にすぐ続く『書紀』の地の文の「謡の意、大きなる石を以て、其の国見丘に喩ふ」というのに牽制され、それと辻褄をあわせようとしすぎるせいであるらしい。だがこういった場合、地の文は歌についての後講釈であって、それにこだわるべきでない。(中略)地の文から記紀歌謡を読もうとするのは逆立ちだと思う。
 サザレ石がイハホになるという石生長譚ともこの「生ひ石」が無縁でないのは、もとよりである。それは、石や岩が植物のように大地から生じると見たのにもとづいているはずで、イハホにたいしてイハネがあり、つまりイハにホ(穂)とネ(根)とがあるのも、そのへんの消息を語っている。」

「儒教的な帝国または一神教的な帝国が組織されるにつれ、地上の霊たちは零落を余儀なくされるか、天上に吸いとられ滅んでゆくかする。そのような帝国の制覇することのなかった古代・中世の日本には、さまざまな古い霊たちが、むろん姿をやつしながらもなお根強く生息し続けてきていたように思う。石の霊もその最たるものの一つである。」



「「シコ」という語をめぐって」より:

「『万葉集』の歌をたんに文字(引用者注: 「文字」に傍点)芸術として捉え、身体的(引用者注: 「身体的」に傍点)要素がそこで果たしている役割をやりすごしがちであったのが、まずかったといえる。古事記歌謡は劇的な構造を有しており、身体的にそれを表現する傾向がいちじるしい。『万葉集』になるとそうした構造は次第に退化し、いわゆる叙情詩的な趣向が主潮となってくる。そのへんのことは周知の通りである。
 しかし、だからといって『万葉集』を『古今集』と同様、たんなる文字芸術として読んでいいかといえば、必ずしもそうではない。文字以前の口頭性にともなう演技の伝統が、ここですっかり消え去ったわけではないからだ。とりわけ、何かを嘲(あざけ)ったり呪ったりするさいに用いられることの多いこのシコという語には、万葉時代になっても無文字時代の歌謡に固有なダイナミックな身体的要素が、まだつきまとっていたと考える方が正しいだろう。」



「「豊葦原水穂国」とは何か」より:

「唯是康彦氏の次のような発言があるのに出会い、私はいささか胸のとどろくのを押さえることができなかった。いわく「水田というのは、日本の生態系の中でつくられてきたものだと思います。湿地帯でアシが生えていた。そのアシがもっていた生態系が等価要因として米に置き換わった。全然生態系をこわさないで食糧増産ができた。湿地帯が水田になって、雨が降っても洪水を防ぎ、温度を緩和したり、ひとつの意味をもっていた。云々」と。」

「ずばりいって「葦原中国」とは、大国主が国ゆずりするより前の、つまり高天の原から新たな王が降りてくる以前のこの国土を指す。すなわち国ゆずりと天孫降臨とはワンセットをなす物語であり、その「葦原中国」の棟梁が大国主だという図柄になる。大国主という名は、あちこち多くの国主すなわち土豪たちを神話的に収斂し、典型化して作り出されたものにほかならない。(中略)だから大国主の率いる「葦原中国」も、また彼の棲む「出雲」も、ともに神話として構成された、非ユークリッド的空間であることを知らねばなるまい。」

「つまり「豊葦原水穂国」は日本国の古称でも美称でも異称でもなく、この「葦原中国」にそれを支配する王制が新たに開始されることを、まさに高天の原から予告し予祝する神話的な用語に他ならないのである。」

「葦原を切り開き稲田を作ったという記事は古代の文献にざらにあるだろうと考えがちだけれど、実はそれが不思議ときわめて稀で、『常陸風土記』の行方(なめかた)郡の条に古老の言として載る「夜刀(やと)の神」の話が、ほとんど唯一といっていいくらいである。」
「まずこれがナメカタ郡の話であるのに注目したい。ナメカタのカタは「潟」に相違ない。(中略)カタと葦とのかかわりは、「若の浦に 潮満ちくれば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」(『万葉集』 6-919)という著名な歌からもうかがえる。こうした光景はこの国土の至るところに見られたはずで、その代表は難波潟(なにわがた)である。淀川と大和川のもたらす沖積土によって大阪湾岸には大きな潟ができており、そのあたり一面には葦が茂っていた。」
「右に引いた『風土記』に出てくる麻多智なるもの、「郡より西の谷の葦原を截ひ、墾闢きて新に田を治りき」という書き出しの一節も、やはりこうした視野のなかで読まねばなるまい。しかしそこに、蛇身である「夜刀の神」が現われて云々とあるのに注目したい。この「夜刀」という語がおろそかにできぬ。(中略)それはタニ(谷)の意とされるが、渓谷というより台地に扇状に入りこんだ湿地帯を指す。」
「しかしそれだけではなく『風土記』には、この湿地帯をうしはく「夜刀の神」というのが居り、しかもそれは頭に角ある蛇体で相群れてやって来て人が田を開くのを大いにさまたげたとある。そこで箭括氏の麻多智なるもの、甲鎧を着け仗を執り、これを打殺したり追払ったりしたという。(中略)葦原をきり払い水田耕作が始められた原初の姿の一端が、多少とも彷彿してこないだろうか。」
「麻多智はさらに山口の堺の塀にしるしの杭を立て、「此より上は神の地たるを聴さむ。此より下は人の田と作すべし」と夜刀の神に告げ、社を設け、みずから祝となってこれを祀り、祟りを防いだとある。当時の人びとが、古い精霊とどのように付きあったかがわかる。」
「古老いえらくの古譚はこれまでだが、『常陸風土記』は次のような、ちょっと見逃せぬ後日譚をさらに付け加えている。麻多智の時代からどれほど経ってからかわからぬが、孝徳天皇の世になり、「壬生連麿(みぶのむらじまろ)、初めて其の谷を占めて、池の堤を築(つ)かしめき。時に、夜刀の神、池の辺の椎株(しひのき)に昇り集まり、時を経れども去らず」。そこでこの壬生麿、相手を圧するような大声で、此の池を修めしむるは、民を活かそうとしてである。一体、何の神ぞ、王化に従おうとせぬのは、といって、(中略)そのへんに屯(たむろ)する魚虫の類、みな打殺せと呼ばわると、夜刀の神らみな姿を消した(中略)、と。」
「つまりこの話には、「葦原中国」が「豊葦原水穂国」へと変貌してゆく過程の縮図のようなものが見え隠れしているといえないか。いわゆる大化改新とかかわる孝徳の代になって(中略)天然の湧水地(中略)を大きな溜池に造り変え、海に近い潟を干拓してできた田地をも潤そうとするものであったと解される。(中略)これがかなり大きな規模の事業であり、さらに壬生氏とある点からも、この事業は中央政府とつながっていたらしい。」

「最初のところで「アシがもっていた生態系が等価要因として米に置き換わった」という言を引いたが、葦が稲科にぞくしており、しかも湿地帯に繁茂する多年生(引用者注:「多年生」に傍点)の植物であったこと、それにたいし稲もやはり水田という湿地で、ただし一年生(引用者注:「一年生」に傍点)として作られたこと、同一性と差異とを織り込んだこの独自な発展過程がそこでまさに歴史的に経験された事実に注目するならば、この定義の意味するところはかなりすんなり納得できるだろう。「農耕の起源」にかかわる「穀類はみな一年生植物」なのだ。この列島において稲作が弥生時代、異常な速さでもって全国に拡がっていったのも、アシとイネとがこうした深い因縁で結ばれていたからだろう。」

「高天の原でスサノヲの働いた荒ぶるわざの一つに、「天照大神の営田(つくだ)の阿(あ)(畔)を離ち、その溝を埋め、またその大嘗(おほにへ)を聞こしめす殿に屎(くそ)まり散らしき」(『古事記』)とある話も見逃せぬ。ここには、天照大神が紛れもなく畔や溝のある水田を営んでいたさまがうかがえる。古代ギリシャ研究でハリソン女史の強調するように、かつては男は主として狩りや戦争にかかわるにたいし、農業とそれに伴う祭式に従うのは女性または女神であった。(中略)高天の原にあって田を作る天照大神にも、Corn Mother (五穀の母)ともいえる面影が見てとれる。」

「葦と稲は同じ生態系にぞくするけれど、葦が未開の自然であり混沌であるのにたいし、稲は人の手の栽培になる文化であり秩序であるという対抗関係も同時にそこには存する。こうした二重性を「豊」という祝辞(ほぎこと)でめでたく一語に織りなしたところに、「豊葦原水穂国」という語の独自性はある。この語の用法が『日本書紀』で乱れたのは、「葦原中国」というもののもっていた存在感が時代変化のなかで急に薄れ、あるいは忘却されるに至ったあかしにほかならない。現に『書紀』ではこの「葦原中国」の棟梁である大国主は、ただ国ゆずりするための神へとすっかり矮小化されてしまう。『古事記』が大きく採りあげた例の沼河比売(ぬなかわひめ)求婚の歌謡とか、いわゆる稲羽の裸の兎の話とか、スサノヲの棲む根の国訪問の話なども、そこにはもう語られることがない。高天の原の使者タケミカヅチと争ったタケミナカタも、もとより登場しない。『日本書紀』(引用者注: 「日本」に傍点)という書名の示すように、それは外国を強く意識してものされた書である。(中略)こういう「日本天皇」(『書紀』・公式令)の初代にとって、その正妃が蛇身の子であり云々といった話が、いかに恥ずべき野蛮とされたかわかる。ヤマトタケルについても、厠に入った兄をひっとらえ、手足をぶち折り、薦(こも)につつんで投げすてたと『古事記』に見える話は消え、『書紀』は幼にして「雄畧(をを)しき気」ありと観念上の徳目をあげるのみ。『書紀』は中国の正史にならい、日本国の新たな史書であろうとした。そしてそれは倭国を脱し、東海上の一帝国(引用者注:「一帝国」に傍点)の地位によじ登りたいという欲求とかさなりあっていた。(中略)「豊葦原水穂国」という語はこの国における王制の開始を神話的に告げる語にほかならぬことをくどく説いてきたが、しかし今やこの世襲王制も初期の段階を終え、第二期ともいうべき新たな難しい段階に突入しようとしつつあった。」




◆感想◆


「葦と稲は同じ生態系にぞくするけれど、葦が未開の自然であり混沌であるのにたいし、稲は人の手の栽培になる文化であり秩序である」
そして葦は多年生植物(ウロボロス的永遠)であるのに対し稲は一年生植物である、というのはたいへん興味深いです。






こちらもご参照ください:

土橋寛 『日本語に探る古代信仰』 (中公新書)
井筒俊彦 『コスモスとアンチコスモス』 (岩波文庫)
赤坂憲雄 『東西/南北考』 (岩波新書)
守屋毅 『中世芸能の幻像』
中沢厚 『石にやどるもの』
吉田敦彦 『豊穣と不死の神話』


















































































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