西郷信綱 『国学の批判』

「そういえば日本中世においても、紫式部は虚言を以て源氏物語を作った罪により堕地獄の苦患にあっていると信じられていた。わたしとしても、あなたが源氏物語を天国にでも上るような気持でよんでいないことを望みたい。」
(西郷信綱 「文学の自律性について」 より)


西郷信綱 
『国学の批判
― 方法に関する覚えがき』


未来社 1965年12月25日第1刷発行/1989年1月10日第6刷発行
290p 
四六判 丸背バクラム装上製本 機械函 
定価2,000円



本書「あとがき」より:

「一九四八年の旧版から朽ちた部分を棄て、幾篇かを附け足し、ここに増補版を出すことにする。最後の「本居宣長」一篇は、この十月に或る局で十回にわたり放送した折の手控えにもとづき、本書のため新規に書いたものである。
一等迷惑なのは、本書が方法論(引用者注: 「方法論」に傍点)を云々した本と受けとられることである。そういう方面の特殊な論理学的修業をしたことのない私に方法論を云々する資格がないのは分りきっている。副題通りこれは、個別の学に携っている者の「方法に関する覚えがき」である。これらの文章を私は、医者としてではなくいわば患者(引用者注: 「患者」に傍点)として書いてきた。(中略)個別の学に携わる者にとって方法とは、その学問の伝統との関係において自分がどこで何をしようとしているか、自分をいかに組織しようとしているかという自覚の問題であり、私の場合、その伝統が主として国学であったというに外ならない。
 二十三年間にわたるさまざまな文章が本書ではほぼ年代順に並べられてあるわけだが、そこに何か一貫したものがあるとすれば、それは日本的実証主義または自然主義とでも呼ぶべきものへの疑惑であろう。」
「なお、本書と一部かさなるところのある『日本文学の方法』(未来社)は絶版となることをいっておく。」



西郷信綱 国学の批判


目次:

I
国学の批判
 第一章 倫理と方法 (1943年初稿)
 第二章 思想と学問の構造 (1947年)

II
文学史の方法 第一稿 (1949年10月)
文学史の方法 第二稿 (1951年)

III
古典と現代の間
 傑作の永遠性について (1956年)
 万葉私記後語 (1958年)
 コモン・エゴ (1958年)
 国文学の問題 (1959年)
 未来への掛け橋 (1960年)
 断感
  斎藤茂吉について
  津田左右吉について
 学問と批評の結び目 (1960年)
 文学の自律性について
 自由な精神 (1965年)

IV
本居宣長

あとがき (1965年11月)




◆本書より◆


「津田左右吉について」より:

「だが、うち割っていうなら、津田さんの学問にたいしわたしは、一方ではその及びがたい偉さを深く敬仰しつつも、他方、一種名状しがたい抵抗を感じてきたものである。(中略)さきほどは津田さんを酔いどれのなかのシラフに見立てたが、津田さんに抵抗を感ずるのはわたしが耽溺型の人間だからだというのみでは片づかぬものがある。わたしは本書に示された文学観そのものにどうしてもなじめないわけで、悲しいほどこの名著は文学的な相互作用をわたしの心にひき起こしてくれない。「文学に現はれた」思想を研究した本であり、文学は材料の位置にあるのだからこれはこれでいいという見かたも成りたつ。しかし(中略)材料であるにせよ、その材料といかにたたかうかが問題だし、それにこれは一般にいって、もっと底の深い感性の次元にかかわる問題であるように思う。感性も独特のしかたで状況づけられており歴史をもつ。」
「津田さんの世に出た時代は、日本近代社会の発展のなかに孕まれる一つの矛盾として感受性の分裂または分離とでも呼ぶべき現象が急速に進み、それとともに詩と科学との断層が精神を否応なしにとらえはじめた時代であったのではなかろうか、という気がする。一方の極に、津田さんとまるで異質の斎藤茂吉とか折口信夫とかを対置してみてもいい。わたしは時々、津田左右吉は折口信夫を一体どのように見ていたのだろうか、恐らくわけのわからぬ、狐でも憑いた神秘主義者としてあしらっていたのではあるまいか、とひそかに想像する。他方、折口信夫は津田左右吉を、日本の生活や風土のなかから立ちのぼる妖気にふれたことのない合理論者と見て軽んじていたのではないかと想像する。」



「本居宣長」より:

「宣長によれば「もののあはれ」は人の真心であり、源氏物語はそうした真心、真実のかぎりを描いた作だということになるわけだが、こんな風に結論だけとり出してしまうと、いかにも紋切型の説に聞える。しかし、人間の真心とか真実とか自然とかいうことばは、それに貼りついている自然主義の塵をとり払って見るならば、たわいないどころか、すこぶる痛烈な味わいを有するものではあるまいか。ここで私は、伊藤整氏がある本でホメロス「オディッセイ」にかんするオルダス・ハックスレーの見解を紹介しているのを想い出す。主人公ユリシーズの船がある海峡を通りぬける時、崖の上に棲んでいる蛸のような怪物シラが手を伸ばして、ユリシーズの船を漕ぐ船員六人をとって食う話がある。残りのものたちは急ぎそこを漕ぎ抜けて次の島に上陸するのだが、さてそこの所が次のように書かれている。ユリシーズの部下たちは船を岸にひきあげて、まず夕餉に向かい、そうして飲みかつ食い、たら腹欲望を充たした時に、魔物シラにさらわれた仲間たちを追憶してさめざめと泣き始めたが、やがて甘美な眠に陥った、と。ハックスレーはこの部分を引用し、ここに近代の作家のかなわぬ古典の力強さがある、近代の作家ならこうは書けず、島に上った時、彼らは魔物に取って食われた仲間を思い出して泣き、飲み食いの支度をするのも忘れていたとか何とか書くだろう、という意味のことをいっているそうである。腹のへっている時はまず食いたいのが人間の本音であり、疲れているから、亡き友のことを思って泣いてばかりも居れず、やがて甘美な眠についたのもまた自然だといわねばならない。
 宣長ならば、かかる真実をも「もののあはれ」と呼び、亡友を思い飲食も忘れたというのは「うはべ」の作りごとにすぎぬとしたであろう。」

「宣長にはまた「後の世ははづかしきものなる事」と題する一文があり、万葉の注釈についてだが、「そのかみ顕昭などの説にくらべては、かの契沖の釈は、くはふべきふしなく、事つきたりとぞ、たれもおぼえけむを、今又吾カ県居ノ大人にくらべてみれば、契沖のともがらも又、駑駘にひとしとぞいふべかりける。何事もつぎつぎに後の世は、いとはづかしきものにこそありけれ(引用者注: 「何事も」以下傍点)」(玉勝間)といっているのも、私意を越えた普遍的な道としての学問の極意にふれたことばである。学問とは論破しうるもの、refutable なものである。普遍を目ざす仮説であるということもできるが、そうした「後の世ははづかしき」仮説であるものを不変の実体と思いまがうところに私意が生じる。私意にとらわれぬためには、絶えず自己を論破しようと試みなければならないだろう。少くとも私は宣長をこのように読む。」




































































































































































































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