西郷信綱 『萬葉私記』

「万葉の歌のうけとりかたは、おおかた定まってきていると見えるかも知れぬが、古来の諸注釈書を、一つ一つの歌について当ってみると、まだきわめて不安定な状態にあるのが分る。」
(西郷信綱 『萬葉私記』 より)


西郷信綱 
『萬葉私記』


未来社 1970年9月10日第1刷発行/1975年2月15日第4刷発行
355p 
A5判 丸背クロス装上製本 貼函 
定価1,500円



本書「あとがき」より:

「この本の初版は、第一部が一九五八年に、第二部がその翌年に東大出版会から出たのだが、それをこんど未来社から再版することにした。本文は初版のままであり、校正その他、すべて編集部に一任した。」


西郷信綱 萬葉私記


目次:

第一部 初期萬葉
 一 雄略天皇
    籠もよ み籠持ち (巻一・一)
 二 舒明天皇
    大和には 群山ありと (巻一・二)
    夕されば 小倉の山に (巻八・一五一一)
 三 中皇命
    やすみしし わが大君の (巻一・三)
    たまきはる 宇智の大野に (巻一・四)
 四 斉明天皇
    熟田津に 船乗りせむと (巻一・八)
    神代より 生れ継ぎ来れば (巻四・四八五)
    山の端に あぢ群騒ぎ (巻四・四八六)
 五 有間皇子
    磐代の 浜松が枝を (巻二・一四一)
    家にあれば 笥に盛る飯を (巻二・一四二)
 六 天智天皇
    香具山は 畝火を愛しと (巻一・一三)
    香具山と 耳梨山と (巻一・一四)
    わたつみの 豊旗雲に (巻一・一五)
 七 倭姫皇后
    青旗の 木旗の上を (巻二・一四八)
    鯨魚取り 淡海の海を (巻二・一五三)
 八 天武天皇
    み吉野の 耳我の嶺に (巻一・二五)
 九 額田王 (I)
    味酒 三輪の山 (巻一・一七)
    三輪山を しかも隠すか (巻一・一八)
 十 額田王 (II)
    茜さす 紫野行き (巻一・二〇)
    紫草の にほへる妹を (巻一・二一)
    君待つと わが恋ひ居れば (巻四・四八八)
 十一 藤原鎌足と鏡王女
    われはもや 安見子得たり (巻二・九五)
    妹が家も 継ぎて見ましを (巻二・九一)
    秋山の 樹の下がくり (巻二・九二)
 十二 麻続王
    打麻を 麻続王 (巻一・二三)
    うつせみの 命を惜しみ (巻一・二四)
 十三 大来皇女と大津皇子
    わが背子を 大和へ遣ると (巻二・一〇五)
    二人行けど 生き過ぎがたき (巻二・一〇六)
    神風の 伊勢の国にも (巻二・一六三)
    見まく欲り わがする君も (巻二・一六四)
    うつそみの 人なるわれや (巻二・一六五)
    磯の上に 生ふる馬酔木を (巻二・一六六)
    百伝ふ 磐余の池に (巻三・四一六)
 十四 持統天皇
    春過ぎて 夏来るらし (巻一・二八)
    否といへど 強ふる甲斐のが (巻三・二三六)
    否といへど 語れ語れと (巻三・二三七)
 十五 磐姫
    君が行き 日長くなりぬ (巻二・八五)
    かくばかり 恋ひつつあらずは (巻二・八六)
    ありつつも 君をば待たむ (巻二・八七)
    秋の田の 穂の上に霧らふ (巻二・八八)

第二部 人麿から家持へ
 一 柿本人麿
    玉たすき 畝傍の山の (巻一・二九)
    楽浪の 志賀の辛崎 (巻一・三〇)
    楽浪の 志賀の大曲 (巻一・三一)
    近江の海 夕浪千鳥 (巻三・二六六)
 二 柿本人麿
    やすみしし わが大王の (巻一・三六)
    見れど飽かぬ 吉野の河の (巻一・三七)
    やすみしし わが大君 (巻一・三八)
    山川も 依りて仕ふる (巻一・三九)
    大君は 神にしませば (巻二・二三五)
 三 柿本人麿
    やすみしし わが大君 (巻一・四五)
    阿騎の野に 宿る旅人 (巻一・四六)
    ま草刈る 荒野にはあれど (巻一・四七)
    東の 野にかぎろひの (巻一・四八)
    日並の 皇子の命の (巻一・四九)
 四 柿本人麿
    石見の海 角の浦廻を (巻二・一三一)
    石見のや 高角山の (巻二・一三二)
    小竹の葉は み山もさやに (巻二・一三三)
 五 柿本人麿
    飛ぶ鳥の 明日香の河の (巻二・一九四)
    敷妙の 袖交へし君 (巻二・一九五)
 六 柿本人麿
    かけまくも ゆうyしきかも (巻二・一九九)
    ひさかたの 天知らしぬる (巻二・二〇〇)
    埴安の 池の堤の (巻二・二〇一)
 七 柿本人麿
    鴨山の 岩根し枕ける (巻二・二二三)
    今日今日と わが待つ君は (巻二・二二四)
    直の逢ひは 逢ひかつましじ (巻二・二二五)
 補論 人麿について
 八 山上憶良
    風雑り 雨降る夜の (巻五・八九二)
    世のなかを 憂しと恥しと (巻五・八九三)
 九 山上憶良
    憶良らは 今は罷らむ (巻三・三三七)
    瓜食めば 子ども思ほゆ (巻五・八〇二)
    銀も 金も玉も (巻五・八〇三)
 十 大伴旅人
    験なき 物を念はずは (巻三・三三八)
    酒の名を 聖と負せし (巻三・三三九)
    古の 七の賢しき (巻三・三四〇)
 十一 山部赤人
    やすみしし わが大王の (巻六・九二三)
    み吉野の 象山の際の (巻六・九二四)
    ぬばたまの 夜の深けぬれば (巻六・九二五)
    天地の 分れし時ゆ (巻三・三一七)
    田児の浦ゆ うち出でて見れば (巻三・三一八)
 十二 大伴家持
    春の野に 霞たなびき (巻十九・四二九〇)
    わが宿の いささ群竹 (巻十九・四二九一)
    うらうらに 照れる春日に (巻十九・四二九二)
私記後語

あとがき




◆本書より◆


「斉明天皇」より:

「もっとも、作品を味わうのに作者などどうだっていいといえなくもない。作品を作者から切り離せ。というより、警戒されねばならぬのは、作品考が作者考になり、それがいつやら伝記考にずるずる埋没してしまい、手段であるべきものが目的へ転化してしまう文献学的スコラ主義である。作者や伝記の知識は、作品を深くよむという目的のために媒介的に奉仕すべきである。」

「実証主義への過信のため、言語や韻律にたいするわれわれの感性の練磨や開発がおくれをとっているのではないかと思う。」



「有間皇子」より:

「しかしだからといって、作品じたいを歴史や日付からきりはなして扱えば公正な批評になる、と保証されるわけではあるまい。それはある意味では大地から花をつみとり、乾燥させ、標本帳の押花とするにひとしいといえなくもない。いわゆる審美家にはそれでいいかもしれぬが、作品の血脈にふれたいと欲するものには不満であろう。一つの体験を究極まで追いつめたところに生れた作品は、花が茎を通し根を通して大地の水を吸っているように、それじしんのなかに歴史をにじみこませているわけで、この作品的事実(引用者注: 「作品的事実」に傍点)に忠実であることが、批評においても要求されよう。」


「天武天皇」より:

「天武御製歌
み吉野の 耳我(みみが)の嶺に
時なくぞ 雪は降りける
間(ま)なくぞ 雨は降りける
その雪の 時なきが如(ごと)
その雨の 間なきが如
隈(くま)もおちず 思ひつつぞ來し
その山道を (巻一・二五)」

「だから「み吉野の、耳我の嶺に、時なくぞ、雪はふりける、間なくぞ、雨はふりける」は、作者の体験であると同時に(引用者注: 「と同時に」に傍点)、作者の「思ひ」すなわち情緒そのものなのであった。詩における比喩は、情緒の質をかえずにその客観的等価物をすばやく見出す方法であるが、ここも、耳我の嶺に雪や雨が時なく間なくふっているのは、たんに作者がそういう場所を歩いていることを指示するだけでない。大海人皇子が吉野入りしたのは、冬十月下旬ごろであったから、現に山路には寒々と雪がふり雨がふっていたであろう。しかしそれだけでなく、作者の心にも絶えまなく雪がふり雨がふりつつあったこと、つまりそういう「思ひ」の状態そのものの、これは表現でもあったはずであり、両者は説明的関係ではなく、いわば非同一の同一の関係にあるのだと思う。この作品にたいする従来のあらゆる誤解は、ここを平面的にうけとり、「思ひ」の内容を内面的に確定しえなかった点に由来するらしいのだが、しかしもはやその思いが、たんなる恋の思いである心配はない。」
「この沈鬱なイメージは、人間的に痛手を負うたものの悲哀と苦悩の象徴でなければならず、その声調も、重たげな一歩一歩の足どりをさえひびかせているように思われる。」



「柿本人麿」より:

「東の 野にかぎろひの 立つ見えて
かへり見すれば 月傾きぬ」

「この歌の上三句「東 野炎 立所見而」は、従来「東野(あづまの)のけぶりの立てるところ見て」などとよまれていたのを、真淵が右のようによんでから訓が定まり、ようやく鑑賞にたえる歌としてよみがえったのだが、こういう発見はむしろ一つの創作に近いといっていい。カギロヒは陽炎のことだが、ここは東天に暁の光のきらめいてくるさまをいっている。」



「山上憶良」より:

「貧窮問答歌の下敷きになっているのが、陶淵明の「貧士を詠ず」等の作であることはほぼ確かである。(中略)懐風藻にも影響しているのであるから、入唐したこともある憶良がこれをよんだのはまちがいない。ところが日本では、帝力われにおいて何事かあらんやと自由にうそぶくことのできる、あるいは帰去来の辞に「帰んなんいざ、田園まさに蕪(あ)れんとするに胡(な)んぞ帰らざる」とうたわれた「田園」、つまり専制政治や官僚政治から自由な自治的・共同体的な古い田園生活の伝統が稀薄であったらしい。それは中国の隠士たちの抵抗拠点であるとともに、中国の政治詩や思想詩あるいは自由人的抒情をささえる強固な基盤であったのだが、このとりでのなかったことが、中国詩の圧倒的影響にもかかわらず、日本の詩の歴史を中国のそれとひどくちがう方向にみちびく一つの因子になっているといえるだろう。」


「私記後語」より:

「態度として私は、作品そのものの力と美しさに身をゆだねるようでありたいと思う。(中略)真の思想や判断は、(中略)素直な讃美と感動を通してのみあらわれる。私はまずこのことを確信しよう。むろん、独断に陥らぬよう警戒せねばならぬが、とにかく信頼と愛誦に価する作品を主として撰び、それに向って集中しよう。私の最後の関心は字句の訓詁や解釈にはなく、それらを経て万葉を私なりに再発見し、新しい次元で経験し直したいのである。」

































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本