西郷信綱 『古事記研究』

「古代の説話には くせもの が多い。それらと対等につきあうには、私たち学者は、もっと糞マジメでなくなる必要があるのではなかろうか。」
(西郷信綱 「ヤマトタケルの物語」 より)


西郷信綱 
『古事記研究』


未来社 1973年7月10日第1刷発行/同年10月31日第2刷発行
305p 索引xiv 折込図版(カラー)「大嘗宮の図」
A5判 丸背バクラム装上製本 貼函 
定価1,500円



本書「あとがき」より:

「本書はもともと『日本古代王権の研究』と題されるはずであった。気の早い未来社の出版目録は十年以上も前からそう予告してくれていたし、私にしてもむろんその所存で、まず「大嘗祭の構造」「神武天皇」を書いたのである。さらにそのあと「王権の劇」「王権の基礎構造」と続く手順になっていた。ところがなかなか思うようにはゆかぬもので、途中で微妙なずれ(注:「ずれ」に傍点)が生じ、私の関心は古事記を作品としてどう解読するかという方向に傾いていった。そして本書に収めたごとき論考をあれこれと試みる次第となったわけだが、けだしこれは、古代王権の研究が身丈にあまる主題であることが分り、古典研究という固有の領域に私が突きもどされたことを意味するだろう。この経験はむしろためになったと思う。爾来、私は自分の仕事を古典研究の領域に自覚的に根づかせ、限定するようになった。本書の題名を『古事記研究』と改めたゆえんである。」
「こうして眺めてみると、本書はせいぜい「古事記覚え書」もしくは「古事記試論」といった程度のものでしかないことが、否応なく、はっきりする。不整合で穴ぼこだらけで、徹底性に欠けるところがある。第一、あちこちの雑誌に載せたものを集めて本にするというのが不心得であった。全面的な考察は将来にゆだねるとし、(中略)さしあたっては、本書の姉妹篇『古事記の世界』(岩波新書)、『古代人と夢』(平凡選書)などと突きあわせて読んでもらう他ない。せめて、後者中の一章「黄泉の国と根の国」だけは併読してほしい気がする。これは実は本書の柱の一つたるべく前もって秘かに温存していたものだが、ふとした化学変化を起しあっちに行ってしまったのである。」



西郷信綱 古事記研究1


目次 (初出):

稗田阿礼――古事記はいかにして成ったか (「歴史と人物」 昭和47年11月号)
 一 稗田阿礼は男か女か
 二 アメノウズメ
 三 神々の笑い
 四 伊勢神宮との関係
 五 シャーマン的世界
 六 「誦」とは何か
 七 太安万侶について

近親相姦と神話――イザナキ・イザナミのこと (「展望」 昭和45年7月号)
 一 イザナキ・イザナミの物語
 二 妹・背(イモ・セ)の仲
 三 兄妹婚と創成神話
 四 神話と社会

国譲り神話 (「歴史と人物」 昭和47年9月号)
 一 神話と歴史
 二 国造と宮廷
 三 タケミナカタ、事代主
 四 国譲りの意味
 五 同族系譜を読む
 六 出雲と出雲国造
 七 騎馬民族説について

大嘗祭の構造――日本古代王権の研究 (「文学」 昭和41年12月、同42年1月号)
 一 序
 二 即位と大嘗
 三 悠紀・主基
 四 聖なる稲
 五 罪と穢
 六 女の役割
 七 八百万の神
 八 天の羽衣
 九 嘗殿の秘儀
 十 鎮魂祭
 十一 隼人
 十二 語部
 十三 神器
 十四 天神の寿詞
 十五 饗宴
 十六 聖婚

神武天皇 (「文学」 昭和42年2・3月号)
 一 方法について
 二 神代から人代へ
 三 神武東遷
 四 熊野
 五 大和平定の物語
 六 久米歌
 七 即位
 八 ハツクニシラススメラミコト

ヤマトタケルの物語 (「文学」 昭和44年11月号)
 はしがき
 一 兄をつかみ殺した話
 二 クマソ征伐
 三 ヤマトヒメのこと
 四 オトタチバナヒメのこと
 五 ミヤズヒメのこと
 六 思国歌
 七 白鳥になった話

古事記研究史の反省――一つの報告 (「日本文学」 昭和41年9月号)

あとがき

索引
 人名・神名・書名索引
 事項索引




◆本書より◆


「稗田阿礼」より:

「ひと口に記紀と呼ぶことが時に応じて必要なのはもとよりだけれど、しかし、ここでは両者の違いこそが問題である。
 文体上の相違については記述したが、たとえば書紀が神代の伝承を「一書に曰く」という形でいわば資料化して扱っているのにたいし、古事記がそれを最も権威ある伝承として残そうとしている事実に目をやるだけでも、両者のよって立つ基盤、その志向の違いはおのずと明らかである。また古事記は仁賢天皇以降になると何ら記事らしいものもなく、ただ系譜をつらねているだけである。書紀の方でむしろその辺から記事が豊富になってゆくのと、これはすこぶる対照的である。そして古事記は推古天皇の代でもって終り、そこでも、書紀が力こぶを入れて説く聖徳太子の十七条憲法とか外交関係とかにはてんで興味を示さない。記と紀との間にこのような旋律的、構造的な差があることを見失ってはなるまい。」
「天皇の称号は推古朝に用いられるようになったといわれるが、これは推古朝が古代王権の歴史において一つの大きな折り目であったことを示す。そしてそういう一つの折り目にさいし、過去の伝承が「天皇記」とか「国記」とかの名のもとにあらたに録されるに至ったのだと見ていいだろう。それらと古事記や書紀がどうかかわるかは、さっきいったように分らない。分らないがしかし少くとも、日本書紀の関心が続日本紀以下の六国史へと続いてゆくあるものに向けられているのとは逆に、古事記の関心は推古朝あたりで、ないしは律令制の開始とともに終るところのあるものへと向けられているとはいえる。古事記という書名じたい、すでにそうした消息を語っている。」
「そこに稗田阿礼という巫女が立ちあうのは、神話伝承はいわば語りごととして表現され定着されねばならぬとの考えが働いているためである。」
「問題の急所は、古事記と日本書紀という性質を異にする二者が同じ天武朝においてなぜもくろまれたかにある。もとより天武朝そのものの孕む矛盾や二重性がここには表現されている。文学史に照らしてみても、壬申の乱とともに何かが終り何かが始まった、とほぼ確認することができる。政治史に置き換えていえばそれは、天皇即国家の時代から天皇を国家組織のなかの首長にいただく律令制への移行とかさなるであろう。この過渡期を身をもって経験したのが天武天皇であったと思う。近江朝にたいする叛逆者・大海人皇子は、壬申の乱の勝利者として今や天皇である。(中略)そして(中略)実力と内乱をもって王位を争うという王家の「豪族的」ともいえる時代はここに終焉するのである。天武の死後叛乱をくわだて、事あらわれて死ぬ大津皇子が悲劇的なのは(中略)滅びようとするものに命をかけたからで、したがってその死はたんなる事件ではなく一つの行為であった。」
「とにかくここで確実に何かが――それは神話時代であるといってもいいし、シャーマニスチックな王権であるといってもいい――終り、何かが始まろうとしている。そして古事記の関心はその終るところのものへ向けられていたのであり、序の「今ノ時ニ当リテ、ソノ失ヲ改メズバ、未ダ幾年ヲモ経ズシテ其ノ旨滅ビナムトス」という天武の詔の一句にも、そのへんのことがこだましているように思われる。」
「さて文字は神話の敵である。レヴィ=ストロースのように、文字を書き記す術は人間を開化するよりむしろ搾取するのに役立ったとまでいえるかどうか知らぬが、文字で記すことが語られた言葉の疎外であり誤用であるという側面をもつのは疑えない。(中略)神話は本質として書契以前の文化形式にぞくする。したがって神話が神話としての面目と権威を真に保つためには、口誦という形式を通すことが必要だったのであり、稗田阿礼が古事記の欽定版を「誦習」せしめられたゆえんもそこにあるといわねばならぬ。」
「実質的には稗田阿礼が最後の猿女であったのかもしれない。国家体制がととのい、神祇官を中心に宮廷祭祀が整序されるに応じ、中臣、忌部等がこれを牛耳るようになったわけで、こうなれば天の岩屋戸の段におけるウズメの胸乳もあらわな狂おしい踊りなど、原始野蛮のむくつけきものとして退けられるようになるのは当然である。」
「だが、これをたんなる成行きと見るべきでない。シャーマンは、そもそも国家体制とは相容れぬデモーニッシュな存在であったのではなかろうか。稗田阿礼とほぼ時代を同じうして役小角(エンノヲヅヌ)(役の行者)のあらわれたのに注目したい。彼は葛城山中の岩屋に住し、奇異の験術を体し、もろもろの鬼神を駆使していたが、天皇を傾けようとしているというかどでつかまり、伊豆に流された。役小角は修験道の開基説話の主人公となり、いろいろ尾鰭がついてくるが、それはとにかく民間にあって異常な呪力を有するものが「妖惑」(続日本紀)の罪に問われる次第が、はっきりとここにはうかがえる。行基なども初めは、妄りに禍福を説き百姓を「妖惑」するものとして弾圧された。そして朝廷はかかる民間シャーマンを飼いならすことに余念がなかった。むろんこれらと猿女とを同日に談ずることはできぬが、しかし律令的官僚制が強まるとともに、その内部に異常なシャーマン的呪力を有する個性の生きる余地が次第に奪われていったのは確実である。柳田国男によると、猿女の裔は野にくだり民間芸能の徒、ないしは小野姓をとなえる地方神主になっていったもののようである。
 シャーマンの機能がいわば公的なものとして働く基盤は古い共同体である。人間の世界と目に見えぬ霊の世界との調和が破れた危機に臨んで、恍惚状態に入りその呪力によって病める共同体を癒すのがその役割であった。かくして共同体の心的インテグリティは保持されえたわけで、したがってそこではシャーマンはなんら異常な存在ではなかった。
 何が異常で何が正常かは、時代により文化によって同じでない。私たちはともすればシャーマンを異常と考え、それに好奇の目を向けがちだが、病気や死や不毛や闇にたいし快癒と生と豊饒と光をもたらすシャーマンが、古代人にとってたんに異常なものであったはずがない。すぐれた詩人がその時代の人々の経験を組織し収斂し、それに一つの決定的表現を与える過程と、それはさほど違ってはいなかったといえるだろう。
 天の岩屋戸の段におけるアメノウズメには、こういった始源的シャーマンの面影がなお多少とも保たれている。神がかりし胸乳もあらわに踊ることによって、ウズメは闇を光に転じ、この世を蘇生させた。(中略)そういうウズメの伝統をになう最後の猿女が稗田阿礼であって、この阿礼の立ちあいのもとに古事記は成立する。」



「近親相姦と神話」より:

「イモと妻とを自由に交換しうる同義語であるかのごとく見なす向きが多い。しかし第三者の立場から、または地の文や散文脈において、妻のことをイモといった例は一つもない。これは、イモとは夫または男が自分の妻または恋人にたいし一定の特殊な状況(引用者注: 「一定の~」に傍点)において親愛の情をこめていう呼称であって、傍からは妻のことをイモとは決していわなかったし、事実いえもしなかった消息を暗示する。」
「江戸の辞書雅言集覧がつとに、はっきりいっているように、妻や恋人をイモと称するのは「歌詞」なのである。」

「周知のように相聞歌はさまざまな関係でうたわれているけれど、その核心は恋人同士、とりわけ社会的に恋をせかれたもの同士の、いわば非合法の、あるいは結婚外の恋の歌にあったと思う。(中略)近親相姦のひびきをもつイモとセということばを恋人にたいし使うとき、古代人が情緒的に経験したものが何であったかを知らねばならぬ。ビルマ高地族のあいだでも、近親相姦として禁じられている間柄の名を恋の歌では互いに使うという。だからこそ相聞歌は文学(引用者注: 「文学」に傍点)でありえたのではなかろうか。」





































































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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