金子光晴 『詩人 ― 金子光晴自伝』 (講談社文芸文庫)
金子光晴
『詩人
― 金子光晴自伝』
現代日本のエッセイ
講談社文芸文庫 か D2
講談社
1994年7月10日 第1刷発行
271p+1p
文庫判 並装 カバー
定価980円(本体951円)
デザイン: 菊地信義
「本書は、一九七六年三月中央公論社刊『金子光晴全集』第六巻を底本とし、多少ふりがなを加えた。」
「人と作品」中図版(モノクロ)12点。

カバー裏文:
「あまりに刺激的な幼少期の環境と気弱な反面の劇しい性格。
詩と放埓の青春と人生を決定した最初のヨーロッパ旅行。
『鮫』『マレー蘭印紀行』等の芳醇、厖大な詩と散文を生んだ
破天荒な二度目のヨーロッパ行き。戦後の“解体”と“出発”。
人間尊重と自我意識で、独りファシズムに抗し、
常に現代詩に独自の輝きを放った詩魂の遍歴の道筋を
平易淡々と自ら語った波瀾・流浪の“人生記録”。」
目次:
第一部 洞窟に生み落されて
洞窟に生み落されて
第一の「血のさわぎ」
日本の脂(やに)と西洋の香気
漢学から文学へ
もう一つの導火線
ドリアン・グレイとサーニン
「明治」という荒地の中で
第二部 「水の流浪」の終り
デモクラシー思想の洗礼
最初の洋行
処女詩集の頃
大正期の詩人たち
「水の流浪」の終り
第三部 棲みどころのない酋長国
日本を追われて
再びパリで
戦争のとどろき
棲みどころのない酋長国
子供への召集令状
第四部 解体と空白の時代――戦後
新しい解体と空白
寂しさ
再びふりだしから出発
人と作品 (河邨文一郎)
年譜 (中島可一郎)
著書目録 (原満三寿)
◆本書より◆
「第一部」より:
「少年時代の心の闇黒のなかで、僕の「西洋」と「日本」がせめぎあった。それは、僕じしんがたたかったというよりも、僕のファンタジーを通して、二つの世界がたたかう奇怪至極な光景を、僕が力こぶを入れて眺めていたというのにすぎなかったのかもしれない。
虚栄心、浪費癖、遊惰な精神、耽美的傾向、それらは、それぞれ、「地獄」に通ずる道の途上にあるアクセサリーであった。僕は性来小心なくせに、平気で大胆なことをやってしまう。清純なものにひれ伏しながら、詐欺的心理の蜘蛛網で自身は汚れすすぼけていた。欲に渇いた所業をしながら、本心は無欲でもあった。とりわけ、他人の心の虚につけ込んだり、放縦に見境なくなったり、良心のない、底ではすこしも人間を愛していない、ある種の日本人の索漠たる実利的な心境を、幼くしてはやくも身につけながら、その一方で血がさわぎ、物に憑かれ、熱狂し、おのれをさいなんで、苦痛を快楽とするような傾向があった。」
「僕の性欲は、食欲とおなじで、女性の肉体に対する激しい食欲が、僕じしんを女性に捧げる感情とまったく一致していたことも、先に述べた。この強烈な嗜好は、僕の十歳の頃のことで、僕は、少女を輪切りにする順序を画いて、それで密かな快楽を味わった。その画を家人に見られた時、僕は、死ぬより恥ずかしいおもいをしたが、家人は、それを一笑に付して、
「おかしな画をかく子だ」
と言ったきりだった。」
「なにかが出発点でまちがっている。なにかのひどい犠牲になって、じぶんがここにいる。そういった感じは、二十代のはじめからずっと僕の心をしめつけていた疑念であった。」
「第二部」より:
「一すじな向学心に燃えた、規律的な、清浄なこんな生活が、なによりも僕にぴったりしたものと、ためらいなく考えるようになったじぶんを、過去の懶惰(らんだ)な、シニックなじぶんと比べてみて、信じられない位だったが、(中略)まなぶことのたのしさは、この時期をすごして、永久に僕のもとへかえってこなかった。」
「第三部」より:
「非協力――それが、だんだん僕の心のなかで頑固で、容赦のないものになっていった。僕は、親戚の新聞特派員や、出征してゆく義弟などにも、無意義な戦争でよけいな犠牲を払わせられないようにと忠告した。知人たちにもその態度を変えなかったので、彼らは、僕を怖れるようになった。隣組というものができて、僕が防火班長に選ばれたときも、近ぺんの女子供たちに敗戦論を吹きこんだ。いつかその結果が、僕の一身にはねかえってきて、ひどいことになるとしても、なにかその方が心に納得がいって、死んだように屈従に甘んじているよりは まし だという若気があったのだ。」
「戦争に反抗して殺されるのを怖れる人たちも、結局は駆り出されて死ぬ。反抗する者がたくさんあれば、或いは戦争を食い止めることができるという希望があり、まだしもよいのに、どうしてそこのふんぎりがつかないのかと歯がゆかった。一国をあげて戦争に酔っているとき、少くとも、じぶんだけは醒めているということに、一つの誇りがあった。」
「じぶん一人でもいい、踏止まろう。踏止まることがなんの効果のないことでも、それでいい。法灯をつぐという仏家の言葉がある。末世の混濁のなかで、一人無上の法をまもって、次代に引きつぐことをいうのだ。僕も、人間の良心をつぐ人間になろうと考えた。一億一心という言葉が流行(はや)っていた。それならば、僕は、一億二心ということにしてもらおう。つまり、一億のうち、九千九百九十九万九千九百九十九人と僕一人とが、相容れない、ちがった心を持っているのだから。
そんな考えのうえで生きてゆく一日一日は、苦しくもあったが、また、別な生甲斐があった。」
「第四部」より:
「僕の性格は、あれほど僕がまもりつづけた筈の自由のよろこび、ヒューマニズムと名のつくものに対してさえ、猜疑の目をむけずにはいられなかった。それがあまりにたやすく使われ、おしつけがましく横行しはじめたとき、一億玉砕の時期以上に、人間に対する不信が輪をかけたものになってきはじめた。
僕の心のなかで、世界の信義への期待は裏切られ、人間の本質に根ざした不信や、憤りが、憎悪が、ふたたび将来のない人類のゆく先に対する絶望感となって、僕を蝕(むしく)いはじめた。そして、僕には、個人しか信じられず、団結した人間の姿に、自然悪しかみることができなかった。」
「当分のあいだ、僕の仕事は、人間解体である。人間に対する愛着よりも、人間への憎悪が勝っている。そのために、僕の仕事は、今日、人から愛される性質のものではない。従って、僕は、新しい敵と闘わねばならない。それは御苦労千万なことで、僕らの年配の人達はもう、いい加減功労賞でももらって、祭壇に祭りあげられてもいい頃なのだが、まず一生涯、僕には、そんなお鉢は廻ってくる気づかいはないだろう。その理由は、いたって簡単だ。僕が天の邪鬼だからだ。
僕の生涯をふりかえってみて、二つのヨーロッパ旅行が、すべてを決定した大事件であった。
それは先にも説明した通り、僕を、中途半端なエトランジェにした。外国生活のあいだの僕の異邦人は、日本へかえってきても、そのままもちこされてしまった。
必ずしも人間社会に愛情をもっていないわけではない。それどころか、人間の体臭にはげしい嗜欲をもっているのだが、その愛情がしっくり合わないで、あいてに受け止めてもらえないために、発展の足がかりがなく、ともすれば、痩せ枯れたものになってしまいそうになるのだ。製作のよりどころは、かえってそこにあるのかもしれないが、僕の作品は、どこかよそよそしい面をもっていて、没義道に他人にのしかかるか、反撥されるかするだけで、あいてととけ合い、滲みこんでゆくことが滅多にできないのだった。」
『詩人
― 金子光晴自伝』
現代日本のエッセイ
講談社文芸文庫 か D2
講談社
1994年7月10日 第1刷発行
271p+1p
文庫判 並装 カバー
定価980円(本体951円)
デザイン: 菊地信義
「本書は、一九七六年三月中央公論社刊『金子光晴全集』第六巻を底本とし、多少ふりがなを加えた。」
「人と作品」中図版(モノクロ)12点。

カバー裏文:
「あまりに刺激的な幼少期の環境と気弱な反面の劇しい性格。
詩と放埓の青春と人生を決定した最初のヨーロッパ旅行。
『鮫』『マレー蘭印紀行』等の芳醇、厖大な詩と散文を生んだ
破天荒な二度目のヨーロッパ行き。戦後の“解体”と“出発”。
人間尊重と自我意識で、独りファシズムに抗し、
常に現代詩に独自の輝きを放った詩魂の遍歴の道筋を
平易淡々と自ら語った波瀾・流浪の“人生記録”。」
目次:
第一部 洞窟に生み落されて
洞窟に生み落されて
第一の「血のさわぎ」
日本の脂(やに)と西洋の香気
漢学から文学へ
もう一つの導火線
ドリアン・グレイとサーニン
「明治」という荒地の中で
第二部 「水の流浪」の終り
デモクラシー思想の洗礼
最初の洋行
処女詩集の頃
大正期の詩人たち
「水の流浪」の終り
第三部 棲みどころのない酋長国
日本を追われて
再びパリで
戦争のとどろき
棲みどころのない酋長国
子供への召集令状
第四部 解体と空白の時代――戦後
新しい解体と空白
寂しさ
再びふりだしから出発
人と作品 (河邨文一郎)
年譜 (中島可一郎)
著書目録 (原満三寿)
◆本書より◆
「第一部」より:
「少年時代の心の闇黒のなかで、僕の「西洋」と「日本」がせめぎあった。それは、僕じしんがたたかったというよりも、僕のファンタジーを通して、二つの世界がたたかう奇怪至極な光景を、僕が力こぶを入れて眺めていたというのにすぎなかったのかもしれない。
虚栄心、浪費癖、遊惰な精神、耽美的傾向、それらは、それぞれ、「地獄」に通ずる道の途上にあるアクセサリーであった。僕は性来小心なくせに、平気で大胆なことをやってしまう。清純なものにひれ伏しながら、詐欺的心理の蜘蛛網で自身は汚れすすぼけていた。欲に渇いた所業をしながら、本心は無欲でもあった。とりわけ、他人の心の虚につけ込んだり、放縦に見境なくなったり、良心のない、底ではすこしも人間を愛していない、ある種の日本人の索漠たる実利的な心境を、幼くしてはやくも身につけながら、その一方で血がさわぎ、物に憑かれ、熱狂し、おのれをさいなんで、苦痛を快楽とするような傾向があった。」
「僕の性欲は、食欲とおなじで、女性の肉体に対する激しい食欲が、僕じしんを女性に捧げる感情とまったく一致していたことも、先に述べた。この強烈な嗜好は、僕の十歳の頃のことで、僕は、少女を輪切りにする順序を画いて、それで密かな快楽を味わった。その画を家人に見られた時、僕は、死ぬより恥ずかしいおもいをしたが、家人は、それを一笑に付して、
「おかしな画をかく子だ」
と言ったきりだった。」
「なにかが出発点でまちがっている。なにかのひどい犠牲になって、じぶんがここにいる。そういった感じは、二十代のはじめからずっと僕の心をしめつけていた疑念であった。」
「第二部」より:
「一すじな向学心に燃えた、規律的な、清浄なこんな生活が、なによりも僕にぴったりしたものと、ためらいなく考えるようになったじぶんを、過去の懶惰(らんだ)な、シニックなじぶんと比べてみて、信じられない位だったが、(中略)まなぶことのたのしさは、この時期をすごして、永久に僕のもとへかえってこなかった。」
「第三部」より:
「非協力――それが、だんだん僕の心のなかで頑固で、容赦のないものになっていった。僕は、親戚の新聞特派員や、出征してゆく義弟などにも、無意義な戦争でよけいな犠牲を払わせられないようにと忠告した。知人たちにもその態度を変えなかったので、彼らは、僕を怖れるようになった。隣組というものができて、僕が防火班長に選ばれたときも、近ぺんの女子供たちに敗戦論を吹きこんだ。いつかその結果が、僕の一身にはねかえってきて、ひどいことになるとしても、なにかその方が心に納得がいって、死んだように屈従に甘んじているよりは まし だという若気があったのだ。」
「戦争に反抗して殺されるのを怖れる人たちも、結局は駆り出されて死ぬ。反抗する者がたくさんあれば、或いは戦争を食い止めることができるという希望があり、まだしもよいのに、どうしてそこのふんぎりがつかないのかと歯がゆかった。一国をあげて戦争に酔っているとき、少くとも、じぶんだけは醒めているということに、一つの誇りがあった。」
「じぶん一人でもいい、踏止まろう。踏止まることがなんの効果のないことでも、それでいい。法灯をつぐという仏家の言葉がある。末世の混濁のなかで、一人無上の法をまもって、次代に引きつぐことをいうのだ。僕も、人間の良心をつぐ人間になろうと考えた。一億一心という言葉が流行(はや)っていた。それならば、僕は、一億二心ということにしてもらおう。つまり、一億のうち、九千九百九十九万九千九百九十九人と僕一人とが、相容れない、ちがった心を持っているのだから。
そんな考えのうえで生きてゆく一日一日は、苦しくもあったが、また、別な生甲斐があった。」
「第四部」より:
「僕の性格は、あれほど僕がまもりつづけた筈の自由のよろこび、ヒューマニズムと名のつくものに対してさえ、猜疑の目をむけずにはいられなかった。それがあまりにたやすく使われ、おしつけがましく横行しはじめたとき、一億玉砕の時期以上に、人間に対する不信が輪をかけたものになってきはじめた。
僕の心のなかで、世界の信義への期待は裏切られ、人間の本質に根ざした不信や、憤りが、憎悪が、ふたたび将来のない人類のゆく先に対する絶望感となって、僕を蝕(むしく)いはじめた。そして、僕には、個人しか信じられず、団結した人間の姿に、自然悪しかみることができなかった。」
「当分のあいだ、僕の仕事は、人間解体である。人間に対する愛着よりも、人間への憎悪が勝っている。そのために、僕の仕事は、今日、人から愛される性質のものではない。従って、僕は、新しい敵と闘わねばならない。それは御苦労千万なことで、僕らの年配の人達はもう、いい加減功労賞でももらって、祭壇に祭りあげられてもいい頃なのだが、まず一生涯、僕には、そんなお鉢は廻ってくる気づかいはないだろう。その理由は、いたって簡単だ。僕が天の邪鬼だからだ。
僕の生涯をふりかえってみて、二つのヨーロッパ旅行が、すべてを決定した大事件であった。
それは先にも説明した通り、僕を、中途半端なエトランジェにした。外国生活のあいだの僕の異邦人は、日本へかえってきても、そのままもちこされてしまった。
必ずしも人間社会に愛情をもっていないわけではない。それどころか、人間の体臭にはげしい嗜欲をもっているのだが、その愛情がしっくり合わないで、あいてに受け止めてもらえないために、発展の足がかりがなく、ともすれば、痩せ枯れたものになってしまいそうになるのだ。製作のよりどころは、かえってそこにあるのかもしれないが、僕の作品は、どこかよそよそしい面をもっていて、没義道に他人にのしかかるか、反撥されるかするだけで、あいてととけ合い、滲みこんでゆくことが滅多にできないのだった。」
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