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『種村季弘のラビリントス』 (1979年) 資料

種村季弘のラビリントス
全10巻 青土社 1979年 資料


雑誌「ユリイカ」切抜き。


「錬金術・
マニエリスム・
魔術・
ナンセンス・怪物・
吸血鬼・
詐欺師……と、
文明と知の大系を反転し、
その陰画のなかに、
奔放な想像力と精緻な論理で、
来るべき祝祭空間を照射する」


種村季弘のラビリントス01


1 怪物のユートピア
2 影法師の誘惑
3 吸血鬼幻想
4 薔薇十字の魔法
5 失楽園測量地図
6 怪物の解剖学
7 アナクロニズム
8 悪魔禮拝
9 壺中天奇聞
10 パラケルススの世界


種村季弘のラビリントス03


・刊行のことば

「腐蝕したアカデミズムの権威と風化した異端の思想が蔓延して久しい今日、私たちに求められているのは、真の意味での「知」の再構築でありましょう。
種村季弘氏の多岐多彩な営為は、アンチ・ヒューマニズムの特異な映画論を出発点として早や十余年、以来それは華麗な陰画世界というにふさわしく、悪魔・ドラキュラ・人造人間・錬金術・詐欺師などの綺想の系譜を、洋の東西の文学・美術・思想の領域に探り、現代人の抱く変身願望=ユートピア指向を摘出しつつ、蘇えるべき祝祭空間を遠望してきました。
目眩く氏の著作集成群は、あたかも地上の知の殿堂の価値体系を根底から揺るがすアンチ・テーゼ、地底のもう一つの知の巨大な迷宮=ラビリントスのように迫ってきます。
『種村季弘のラビリントス』は、大いなる刺戟と衝撃をもって、昏迷する文学・思想界を活性化するものと確信しております。」


種村季弘のラビリントス02


・機密の地図つくり (瀧口修造)

「種村季弘氏が精力的につづけている仕事の意義はにわかに断じ難いものかも知れぬ。日本が辿ってきた西欧の文明文化の貪欲な吸収のあとに、依然欠落している深い暗部を堀りおこす根気の要る仕事、むろんそれは当世風百科全書時代の興味とは無縁のものであるはず。いま私なりの感触をたよりに思うのだが、どうやら、そこに在ってそこには無いもの、そこに無くてそこには在るもの、とでも言うほかない世界観の機密が絶えず種村氏を惹きつけていて、実は途方も無い地図つくりの作業がつづけられているのではないか……私の妄想をゆるされよ。」


・華麗な陰画世界 (吉行淳之介)

「種村季弘氏の世界は、多岐多彩であるが、それが華麗な陰画であることにおいて一貫している。かつて種村さんの本の帯が「日本腰巻文学大賞」なるものを受けたが、そのコピイを真似てみると、「伝奇夢想、祝祭空間、綺想縦横、奇想天外、被虐妖美、人外魔王、発明工夫、怪物解剖、面白物理、虚実不明 etc 」ということになる。
その文芸評論においても、それは陰画を陰画として捉える作業のはなばなしい達成で、対象となった作者の意識下に埋れた真実を探り当てる。こういう種村ランドの範囲は、小説にまでひろがりかかっていると聞く。大いに期待して、その出現を待つ。」


・愕然と呆然 (澁澤龍彦)

「バナナのたたき売り、香具師の口上に惹きこまれるように、私たちは種村季弘の達者な文章につい惹きこまれる。眉に唾をつけても、もう遅い。用心したまえ。自分でも知らないうちに、私たちは種村季弘のファンになっている自分を発見して愕然とするであろう。表向きの思想なんぞはどうでもよい、文章がすべてだということに気がついて呆然とするであろう。」


・寄る辺なき人生への慰め (島尾敏雄)

「内実を言うと種村季弘氏の文章を私はよく読んではいないにもかかわらず、氏の方向からひたひたと押し寄せてくる端倪すべからざる或る奇妙な波調を防ぎきれずにいる。そちらには洞察力の鋭い批評器械と精緻な資料大系を備えた秘かな実験室があって、洋の東西の、特にはヨーロッパと日本の文学と人とが冷静に腑分けされているといった気配。しかも普通は見聞することの少ない名前が正客の位置でひしめき並ばされている。否そうではなくどちらかというと異端視されている文学事象に行きわたた視線があてられているからこそ、それらは生き生きと立ちあがり読者に或る快さをも恵む結果になっているのである。私に限って言えば、ためらいつつ布置した文学的試みなど既にして東西の文人たちに徹底して追求されている衝撃的事実を知るのみだが、それは実に戦慄すべき甦りの経験である。この度著作集にまとめられることによって、ややわかりにくく隠れていた全体のつながりの意味があらわれてきて、それを座右にすれば、更に密室探索の法悦を与えられつつ、癖多くよる辺なきわれわれの人生が慰め励まされることになるだろう。」


・暗闇のなかの祝祭空間 (鈴木清順)

「思想を借りるということがある。又、思想を盗むということもある。思想を、情念、怨念、憎悪、復讐、はたまた知恵、理性、正義と云いかえてもいい。映画の仕事をしていると芝居付けに行き詰まるときがある。詰まったら切りがない。どん詰まり突破に私の映画では孔子、ソクラテス、プラトンは駄目である。本棚に種村さんの本があるとこういう時便利だ。便利主義で種村さんを云々するのは怪しからぬが、私はそうさせて貰う。扇子のかわりに短刀を、流し目のかわりに呪阻を、と主役に云わせてみる。と、屋台くづしのように芝居はがらがら崩れ変り、暗闇のなかに新しい祝祭空間が青白くうかびあがる。
種村季弘、源平合戦の亡霊のような名だ。それにあの顔は関東土着の義経面だ。私の種村さんへの信頼はそこから始まり、著作集で終る―。」


・異端全書再編のさきがけ (松山俊太郎)

「大学という安定した職場を捨てた、種村季弘は、もっとも割の悪い、非文壇的売文を、生活の主な手段とした。不本意な仕事もせざるを得なかったはずであるが、真面目を発揮した労作を多産するに至ったことは、感服に価する。
しかし、豊饒の結果、かれの業績をハンド・ブックとして活用することが、困難になってきた。このぜいたくな不満を解消してくれるのが、統一サイズでコンパクトな、『種村季弘のラビリントス』であろう。」


・精神の冒険者 (高橋英夫)

「ドイツ文学者としても種村季弘氏は天下独歩である。生硬な観念論や形式的な文芸学に捉われていると見られがちなドイツ文学に爽快な旋風を吹き送って、ドイツ文学が決してそんな旧い通念のようなものだけではないことを、世に明示したのが種村氏である。そればかりか、中部ヨーロッパ一帯に発生した知的渦巻の数々が、その地域的中間性や後進性を梃子にして、最もアクチュアルな人間ドラマの場を形成しえたことも、種村氏は光彩陸離たる情景として、われわれに見せてくれる。綺想や怪奇の深い根を追うこの精神の冒険者は、その俊敏不敵と博識無類とにおいて、もしかするとかのファウスト博士やパラケルスス博士の日本的生れ変りではないだろうか。」


・「真実」への凝視 (入澤康夫)

「世上いかがはしいと目されてゐるあらゆるものへの種村氏の入れ込みやうは、最初期のエッセイから、ごく新しい著作に至るまで、一貫して変らない。そして、その根幹を成してゐるのが、《至高の創造は、この世においては、必然的に至高の詐術たらざるを得ない》といふ眼もくらむばかりの「真実」への凝視である。博覧と強記の限りを尽してはなやかに繰りひろげられる綺想の絨緞は、読者を、この「真実」へと辿り着かせようとする試みに他ならぬ。その意味で、この著作集成に収められる諸篇はまた、真の自由、真の創造がとかく偽せ物として抑圧・迫害されてゐる現代の「合理主義」的世界―そして、そこに安住しがちな人々の精神に対する、きびしい鞭としても、機能するのである。」


・逸楽的刺戟と恩恵と (吉岡実)

「種村季弘の探求する、マニエリスム美術、錬金術の秘儀、吸血鬼や人造人間の歴史などの綺想の世界が、私にすくなからぬ逸楽的刺戟を与えてくれたことはたしかだ。しかしなによりも、恩恵をこうむったのは、ナンセンス詩篇だと思う。あの印象深い緑の一冊の書物―《ナンセンス詩人の肖像》がなかったら、私のアリス詩篇すなわち<ルイス・キャロルを探す方法>が現在のような形で、まとまったかどうか疑わしい。当時はまだ、ルイス・キャロルへの言及はほとんどなく、私は種(たね)さんの書いたチャールズ・ラトウィジ・ドジソンの略伝<どもりの少女誘拐者>を、唯一の参考文献としたものである。
最近出た《書物漫遊記》が送られてきた。こらはユニークな読書遍歴であり、自伝小説とも考えられる。私はかねがね、種村季弘に小説を書くことをすすめてきたが、その試みがはじまったように思えた。」


・明晰さと無心の情熱 (川村二郎)

「種村季弘氏は、けじめのはっきりした、潔癖な人である。十年ばかり前、同じ学校で同僚としてつきあって貰ったことがあるが、すこぶる律儀で授業熱心な教師なのに、失礼な言草ながら、少し意外な感じを持った。文筆家としての仕事の性質から推して、もっと自由奔放なタイプかと、勝手に思いこんでいたのだ。何をするにしても、するときめた以上はいい加減にはできないたちなのだな、そう気づいて改めて感心した。
種村氏の仕事は、いうまでもなく、怪物とか吸血鬼とか、魔術師とか詐欺師とか、妖しげな胡乱な対象をいつも主題にしている。しかしこうした主題に対して、種村氏は終始、律気かつ篤実な探究の態度を崩さない。決してチャランポランにはならない。山師のことを書いて、自分も山師のポーズを取るのが当節の流行だが、その類のこけおどしに堕するにしては、種村氏は明晰な頭脳と、対象の魅力に素直にひかれて行く、無心といってもいいほどの一途な情熱を持ち合わせすぎている。だからこそ、妖しげな対象は妖しげなままに、彼の文章の中で、まがいものからは輝き出るはずのない光を帯びはじめるのである。」


・怪物のユートピア (巖谷國士)

「種村さんはソラリスの海のようなひとである。揺れ動いて定まるということを知らない。たえず異種をとりこんでは咀嚼し、外形はまったく等しい何ものかを放する。ところがその何ものかは、いつも本体とはまったく成分のことなる、本体をおびやかす底の怪物たちなのだ。ここ十年来、彼がつくりあげてきた書物の時空は、こうした怪物たちのユートピアにほかならない。
ここに私たちの地図はかきみだされ、異様に活化された文化史のマリオネット劇が現出する。すべての物体や観念やイメージが、男性原理と女性原理の、宇宙神話的な役柄をおびて右往左往しはじめる。これは棲家なき語り部による時期はずれの古事記であり風土記である。同時に、十万年後の宇宙旅行者たちの出会う地球という異星上の光景でもある。時間と空間のクラインの壺をなすこの種村ユートピアは、ひとつの「宇宙模型としての書物」の過激な実例でもあるだろう。」


・博学と通俗性 (山口昌男)

「種村季弘の魅力は、博学とないまぜにされた適度な通俗性にある。言いかえればそれは、高度な知性と快いエンターテインメントをあわせもっているということであり、いかがわしさを決して切り捨てないということである。現在、多くの人々が、尖端的な知は語られる内容にではなく、むしろ語り口の斬新さにあることに気付きはじめている。種村季弘にはその斬新さがある。ヨーロッパ研究家の多くもまた、風俗史的語り口をとりいれようとしてはいるが、しかし、わたしたちがこれらの人々にたくする希望は次第に裏切られている。このようななかで、種村季弘の仕事はますます光を放ってきているといってよい。誰もまだ、この知の収集家の刺激度の高い知的話題をとりつくしたとはいえないのである。」


























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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