E・M・シオラン 『涙と聖者』

「孤独な人間の義務とは、さらに孤独になるよう努めることだ。」
(E・M・シオラン 『涙と聖者』 より)


E・M・シオラン 
『涙と聖者』
金井裕 訳


紀伊国屋書店 
1990年1月31日 第1刷発行
166p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,700円(本体1,650円)
カバー絵: ブレイク『ヨブ記』挿絵より



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、シオランのルーマニア時代の著作のひとつ『涙と聖者』のフランス語版(E.M. Cioran, Des larmes et des saints, trad. du roumain par S. Stolojan, Éd. de l'Herne, 1986.)の全訳である。ルーマニア語の原著がブカレストで出たのが三七年のことだから、原著の出版以来じつに半世紀を経ての翻訳の刊行ということになる。」


フランス語版訳者サンダ・ストロヤンによる「注記」:

「『涙と聖者』(Lacrimi si Sfinti)のフランス語版には、著者の示唆にもとづき大幅の削除、修正が加えられている。」


シオラン 涙と聖者


カバーそで文:

「E・M・シオラン――パリのアパルトマンの一室から、生に対する呪詛を発しつづける異端の思想家。暗黒の詩情にみちた暴力的文体で、文明の虚妄を告発する特異なエッセイスト。
彼は、1937年に祖国ルーマニアをあとにした。本書はその年に書かれた記念すべき著作である。パリに移ってからフランス語で書かれたものにはない、若々しく痛切な抒情のトーンで彼は綴る――「私たちを聖者たちに近づけるものは認識ではない、それは私たち自身の最深部に睡っている涙の目覚めである」
本書にはまぎれもなく、若き日のシオランの感情の激発があり、彼の思想の原点がある。本書の仏訳者サンダ・ストロヤンの序文によれば、ここには「バルカンの若き一知識人の破調の言葉」が刻みこまれている。そしてそこにみなぎるのは、「ルーマニア精神の鍵のひとつ」――憤怒と断念――なのだ。」



内容:

序文 (サンダ・ストロヤン)

涙と聖者

訳注
訳者あとがき




◆本書より◆


「私たちを聖者たちに近づけるものは認識ではない、それは私たち自身の最深部に睡っている涙の目覚めである。そのときはじめて、私たちは涙を通して認識に達するのであり、そして人がひとりの人間であったあとでいかにして聖者になりうるかを理解するのである。」

「最後の審判のときに、人が吟味するものはただ涙だけだろう。」

「自由と怠惰の瞬間、こういう瞬間があるからこそ意識はあらわれたのだ。君が横になって、空かどこか任意の一点に眼を凝らしていれば、君と世界のあいだにはひとつの空隙が生まれるが、この空隙がなければ意識は存在しないだろう。横になってじっと動かずにいること、これが瞑想の不可欠の条件である。なるほど、こんな姿勢では楽しい考えが浮かんでくることなどまずあるまい。だが、瞑想とは不-関与の表明であり、そしてかかるものとして、非-寛容の、存在拒否の表明である。」

「私たちは私たちの内部に一切の音楽を宿している。それは私たちの記憶の底ふかくに存在する。音楽的な一切のものは記憶にかかわる問題である。私たちが名辞をもたなかったころ、私たちはすべてを聞いたに違いない。」

「哲学者たちのただひとつの取り柄は、自分が人間であることをときとして恥じたことがあったということである。プラトンとニーチェは例外である。彼らの羞恥は決して終ることはなかったからである。前者は私たちを世界から切り離そうとし、後者は私たちをおのれ自身から引きずり出そうとした。彼らは聖者たちよりもすぐれていたかもしれぬ。かくて、哲学の名誉は保たれたのである。」

「ものの沈黙を聴くとき、私たちは孤独の何たるかを知りはじめる。そのとき私たちは、石のなかに埋もれ植物のなかに目覚める秘密を、全自然の隠された、あるいは眼にみえるリズムを理解するのだ。孤独にとって生命なき被造物は存在しないという事実に、孤独の神秘は由来する。ものにはそれぞれ固有の言語があり、私たちはこの言語を類例なき沈黙の力をかりて解読するのである。」

「いつの日か、この古くさいバラックたる世界は崩壊して果てるだろう。どんな風に? それは誰にもわからないが、まあしかし、そんなことはどうでもいいのだ。一切のものが実体を欠き、生が空虚のなかでのはぐらかしにすぎない以上、はじまりにしても終りにしても何ものも証明することはないからだ。」

「人間の生成のさまを目にすると私たちは嫌悪感におそわれ、<感情>の断念を、その厄介払いを余儀なくされる。感情とは、世界へのあのうさんくさい同意の、あのばかげた<肯定>の原因である。怒りに気もふれんばかりの私たちは、宗教などあずかり知らぬ聖性の<発作>に見舞われ、その間、おのが墓碑銘の推敲に精を出すのである。
 孤独な人間の義務とは、さらに孤独になるよう努めることだ。」

「神を憎むよりほかに愛することはできない! よしんば未聞の調書のなかで神の非存在が証明されたとしても、おのれの愛の渇きを、いやむしろ憎しみの渇きをいやすために神を必要とする者の、正気と狂気の綯まざる怒りは、何をもってしても決して取り除くことはできまい。私たちの破滅のぎりぎりの瞬間でないとしたら、そも神とは何か。神を介して私たちの正気と狂気とが平衡をたもつならば、そしてまた必殺の情熱で神を抱きしめることで私たちの気が鎮まるのであれば、神が存在しようがしまいがどうでもいいではないか。」

「<幼年期>。――レノルズ(引用者注: ジョシュア・レノルズ)の絵を眺めていると、もう子供ではなくなったこと、これだけがただひとつの挫折であることにますます納得がゆく。「楽園」とは、私たちの生のこの階段の過去への投影であり、私たちの消え去った幼年時代の慰めである。自分の幸福をおずおずと守るためでもあるかのように、子供が胸にあてているあのか弱い手を見てみたまえ! レノルズにはこんなことはすべて分かりきったことだったのか。それとも、もの思いに沈むこの眼は、失わねばならぬものを前にした、ある名状しがたい不安の表現なのか。子供たちは、恋人たちがそうであるように、幸福の限界を予感している。
 つねに涙を愛したこと、すなわち無垢とニヒリズム。一切を知る者とまるで無知なる者。落伍者と子供。
 落伍とは明晰性の発作である。不毛にして明晰であり、もはや何ものにも執着することのない者の仮借ない眼には、世界は見え透いたものに化する。教養などなくとも、落伍者はすべてを知っている。彼は事物を通して見、創造の一切をあばき、無効と断ずる。落伍者とは、才能なきラ・ロシュフコーである。」

「街を歩き回っているとき、世界はかろうじて存在しているように見える。ところが、窓から眺めてみると、すべては非実在と化する。一枚の透明なガラスが私たちをこれほど生から切り離すなどということがどうしておこるのか。事実、牢獄の壁よりも一個の窓の方が私たちをずっと世界から遠ざける。生をみつめるあまり、私たちはついには生を忘れてしまうのだ。」

「あらゆる風景、そして一般に自然は、時間の外への遁走にほかならない。私たちが自然というあの物質の夢に耽るとき、きまって何ものもかつて存在したことはなかったという印象を抱くのはこのためだ。」
「私たちは人間を忌み嫌ってはじめて解放される。時間を越え、歴史を越えて、無益な完徳に、断腸の思いに、陶酔に与するためには、人間を憎まねばならぬ。人間的現象そのものに対するあらゆる熱狂には、品位もなければセンスもない。人間を憎悪してはじめて君は自然を、(中略)解放への、断念へのひとつの途とみなすのである。「生成」に首をつっこんでおのが品位を汚してしまったからには、いまこそ私たちは、意識の負った傷たる誇大妄想によって破壊した、あの原初の同一性を再発見すべきときである。私は、私の内なる非宇宙的な一切のものを破壊したい思いにかられずして、風景を眺めることはできない。植物のノスタルジー、地球の悔恨、太陽の死の循環に従う植物たらんとする羨望。」

「他人などお構いなしに自分をいやしめ、犠牲者として、怪物として、獣として振舞いたいという欲望……何か<建設的な>仕事に協力したいと思ったり、<他人>の存在を肝に銘じたりするのは、なおのこと見下げはてたことである。だが、他人は存在しないのだ。この結論は避けがたくもあれば、また私たちの意を強くするものでもある。孤独であること、無情なまでに孤独であること、これこそはどんな犠牲を払ってでも従わねばならぬ至上命令である。世界は空虚な空間であり、人間たちが存在するのは私たちの孤立を確認し、強固なものにするためにすぎない。私はいまだかつてひとりの人間にも逢ったことはない。猿の影につまずいただけだ。」

「日々の流刑に備えて、ひとりのドイツの神秘家を、インドの詩人を、あるいはフランスのモラリストを手元に置いておくことの何という喜び!
 夜に日をついで読み耽り、数巻の書を、あの睡眠薬をむさぼり読む。それというのも、人はたれしも理解するためではなく忘却するために読み、生成とおのがさまざまの偏執とを味わいつくして、ふさぎの虫の源泉にまで立ち帰るためにこそ読むのだから!」



sir josuha reynolds - the age of innocence 1788

ジョシュア・レノルズ「The Age of Innocence」(1788年、テート・ブリテン所蔵)。



























































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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