E・M・シオラン 『悪しき造物主』 (叢書ウニベルシタス)

「請け合ってもいい、私たちの世紀よりもはるかに進歩した二十一世紀になれば、ヒトラーとスターリンは聖歌隊の子供なみに扱われるだろう。」
(E・M・シオラン 「扼殺された思念」 より)


E・M・シオラン 
『悪しき造物主』
金井裕 訳

叢書・ウニベルシタス 139

法政大学出版局 
1984年5月1日 初版第1刷発行
1990年10月25日 第1刷発行
214p 目次1p
四六判 丸背布装上製本 カバー 
定価2,266円(本体2,200円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は E.M. Cioran : Le mauvais Démiurge, Coll. 《Idées》, Gallimard, 1969. の全訳である。」


シオラン 悪しき造物主


目次:

悪しき造物主
新しき神々
古生物学
自殺との遭遇
救われざる者
扼殺された思念

訳注
訳者あとがき




◆本書より◆


「悪しき造物主」より:

「常軌を逸したわずかな場合を除けば、人間は善をなそうなどとは思わぬものである。いったいどんな神が、人間にそんなことを唆すことができようか。人間は自分に打ち克ち、自分の気持を抑えつけなければ、悪に汚染されていないどんな些細な行為すら成し遂げることはできない。もしこれを首尾よく成し遂げることができたとすれば、その都度、人間はおのが創造者に挑戦しては、彼を辱しめているのである。そして、人間がもはや努力や打算によらず生まれながらにして善良であるなどということがあれば、それは天上の過失のしからしめることなのだ。つまり、人間は普遍的秩序の埒外に存在しており、神のどんな計画のなかにも入ってはいなかったのである。さまざまの存在のなかで人間がどんな位置を占めているのか、いやそもそも人間が存在なのかどうかさえ、ほとんど分ったものではない。人間はひとつの幻影ではないのか。」


「古生物学」より:

「秋のとある日、はからずも驟雨に遭い、やむなくしばしの雨宿りにと国立博物館へ入った。ところが、しばしの雨宿りはやがて一時間になり、二時間になり、いやひょっとすると三時間に及んだに違いない。偶然のきっかけで、こうして博物館を訪れたのはもう何か月も前のことだが、目よりも執拗に私たちを見つめているあれらの眼窩を、頭蓋骨のあの市(いち)を、動物学のあらゆる水準に及ぶあの自動的な冷笑を、私はまず忘れることはあるまい。」

「隠者たちが魔に憑かれた人間とも、気のふれた人間とも思われずに、おのが深淵を探ることのできた時代は幸であった。彼らの精神の異常は、私たちの場合とは異なり、不定的要因をもつものではなかった。彼らはひとつの予感、絶対に対するひらめきのために、十年を、二十年を、いや生涯を犠牲に捧げた。〈深さ〉という言葉は、修道僧というものが最も高貴な人間の典型とみなされていた時代に適用されてはじめて意味をもつ。」



「自殺との遭遇」より:

「いまだかつて一度たりとも自殺を考えたことのない者は、絶えず自殺を念頭に置いている者よりもずっと素早く自殺を決意するだろう。決定的行為というものは例外なく反省によるよりは無分別によって、はるかに容易に達成されるものであるから、自殺に無垢な精神は、ひとたび自殺しようという気になると、この唐突な衝動を抑えようがないのだ。そして、かつては考えてもみなかった決定的な解決策の啓示に目は眩み、動転するのである。 ――これにひきかえ、もうひとつの精神は、無限に反芻を繰り返し、底の底まで知りぬいている行為を、相も変らず先に延ばすことができよう。そして、いつか覚悟が決まれば、冷静に自殺を遂行することになるだろう。」


「扼殺された思念」より:

「ある種の問いは、際限もなくこれを反芻していると、鈍痛と同じように、ついには私たちの土台を掘り崩してしまう。」

「愛することをではなく憎むことを止めたとき、私たちは生きながらの死者であって、もう終りだ。憎しみは長もちする。だから生の〈奥義〉は、憎しみのなかに、憎しみの化学のなかにこそ宿っているのだ。今もって憎しみは、かつて人間の見つけえた最良の強精剤であるばかりか、どんな虚弱な有機体にも等しく黙認されているものだが、これは理由のないことではないのである。」

「稔り豊かな精神の特性は愚行にたじろがぬことである。気難しい連中はこれに怖気づく。彼らが不毛なるゆえんである。」

「人間と呼吸を合わせ、かつその調子を捉えること、これ以上に困難なことはない。」

「動物が姿を消しつつあるのは、前代未聞の由々しき事態である。動物の死刑執行人が風景をひとりじめにし、彼のための場所しかもう残されていない。かつては一頭の馬が眺められたその場所で、人間の姿を認めたときのなんたるおぞましさ!」

「グノーシス派のバシレイデスは、紀元初頭において次のように考えることのできた稀にみる精神のひとりであった。すなわち彼によれば、人間はみずからを救済したいと思うなら、魂の救済の紛れもない徴(しるし)ともいうべき無知への回帰を果たすことによって、生まれついてのおのが限界のなかに戻らなければならないというのだが、今にしてみれば、別にどうということもないありふれた考えである。
 急いで付け加えておくことにするが、このありふれた考えはいまだに公の承認を受けていない。そっと小声で囁やかれてはいるが、この考えを公然と掲げることには誰もが二の足を踏んでいる有様である。もしこれがスローガンにでもなれば、長足の進歩がなされることになるのだが。」





























































































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難破した人々の為に。

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