E・M・シオラン 『絶望のきわみで』

「歴史などはくたばってしまえ!」
(E・M・シオラン 『絶望のきわみで』 より)


E・M・シオラン 
『絶望のきわみで』
金井裕 訳


紀伊國屋書店 
 1991年4月30日 第1刷発行
195p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,000円《本体1,942円)
カバー絵: ルドン



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、弱冠二十二歳のシオランがルーマニア語で書いた第一作、『絶望のきわみで』(ブカレスト、一九三四)のフランス語版(E.M. Cioran : Sur les cimes du désespoir, trad. du roumain par A. Vornic et revu par C. Frémont, éd. de L'Herne, 1990.)の全訳である。」


シオラン 絶望のきわみで


帯文:

「思想家シオランの誕生
その瞬間を記録した
「幻の」処女作」



カバーそで文:

「1933年のルーマニア――当時22歳のシオランは、「ある内的大激変」に襲われた。不眠と眩暈、強度の内的緊張、狂気すれすれの危機的状況。そこからの脱出口として若きシオランが見出したものこそ、「書くこと」にほかならなかった。
そして本書が生まれた。「私にとってこの本は、ある種の解放、わが身を救う爆発であった。もしこの本を書かなかったら、私は私の夜に終止符を打っていたにちがいない」(序文より)。本書は真の意味で、涸れの著述生活のスタートであり、この異端の思想家が誕生した瞬間の記録なのだ。
ながらく、シオランの「幻の処女作」と呼ばれていた本書が、半世紀以上を経て、いま日本語に移しかえられた。現代文明の虚妄を告発しつづけるこの思想家に関心をもつ読者には、見逃せない一冊といえる。」



内容:

序文

絶望のきわみで
 情熱的であること
 すべては何とはるかなる!
 もう生きられぬ
 不条理への情熱
 苦悩の計量
 精神の闖入
 自己と世界
 衰弱と断末魔
 グロテスクなものと絶望
 狂気の予感
 死について
 メランコリー
 何ものも重要ではない
 エクスタシー
 何ものも解決されぬ世界
 矛盾と無定見
 悲しみについて
 完全な不満足
 火の風呂
 崩壊
 肉体の実在について
 個的孤独と宇宙の孤独
 アポカリプス
 苦悩の独占権
 自殺の意味
 絶対的情熱
 気品の本質
 同情の虚しさ
 永遠と倫理
 瞬間と永遠
 歴史と永遠
 もう人間ではない
 魔法と宿命
 途方もない喜び
 苦悩の曖昧さ
 塵芥、ただそれだけ
 愛の形態としての熱狂
 光と闇
 放棄
 不眠の効用
 愛の実体変化
 人間、不眠症の動物
 瞬間のなかの絶対
 真実、なんという言葉か!
 炎の美しさ
 知恵の貧しさ
 カオスへの回帰
 イロニーと自己イロニー
 惨苦について
 キリストの変節
 無限崇拝
 凡庸の変容
 悲しみの重さ
 労働による堕落
 窮極なるものの意味
 苦悩の悪魔的原理
 間接的動物
 不可能な真実
 主観主義
 ホモ……
 要するに愛
 どうでもいい!
 悪の源泉
 美の手品
 人間の脆弱さ
 降伏
 沈黙に向きあう
 分身化の秘訣
 生成の無意味

訳者あとがき




◆本書より◆


「不条理への情熱」より:

「生きるという事実を正当化しうるものなど何ひとつあるまい。おのれ自身をつきつめてみたところで、この事実を正当化しうる論拠を、理由を、効果を、あるいは倫理的動機を引き合いにだすことができるだろうか。おそらくはできまい。とすれば、生きるために残されているのは、根拠を欠いたさまざまの理由だけである。絶望のきわみで、ただ不条理への情熱だけがカオスを悪魔的な輝きで飾り立てる。(中略)もっぱら不条理に、絶対的な無益性に固執し、まったく頼りにならぬ無、それでもそれを仮定すれば生の幻影を作りだすことのできる、あの無に固執してはじめて、私たちは生を虚無から守ることができるのだ。」


「苦悩の計量」より:

「この世にはもっぱら事物の毒をのみ味わわねばならぬ人間がいる。かかる人間にとって、あらゆる突発事は苦痛であり、一切の経験は新たなる責め苦である。」


「死について」より:

「病気から生まれる経験こそ、ただひとつの本来的経験であることは確かだ。」


「完全な不満足」より:

「私にかんしていえば、私は人間性を放棄する。つまり私は、人間にとどまることはできないし、また人間にとどまろうとも思っていない。」


「個的孤独と宇宙の孤独」より:

「孤独を感受するには二つの方法が考えられる。つまり、自分が世界でひとりであると感ずるか、世界の孤独を感じるかである。」

「私のあとに続くすべての人のためにここに断言しておくが、この世に私の信じうるものなど何ひとつないし、救いは忘却のなかにあるものと思っている。できることなら、私は一切のものを、おのれ自身をも全世界をも忘れてしまいたい。」



「同情の虚しさ」より:

「この世に唖者が、盲者が、あるいは狂人がいるというのに、どうして理想など抱くことができようか。他者の視ることのできぬ陽光を、聞くことのできぬ音を、私はどうして楽しむことなどできようか。私はすべての人間の闇に責任があるのはこの私であり、光を盗んだのもこの私であると思っている。事実、目のみえぬ者から陽光を、耳のきこえぬ者から音を盗み取ったのは私たちではないか。狂人の闇に罪を負うべきは私たちの明視ではないか。こういうことを考えると、どういうわけか、私は勇気という勇気を、意志という意志をことごとく失ってしまう。」


「もう人間ではない」より:

「人間とは一匹の不幸な動物、世界に遺棄され、自然がいまだかつて経験したことのないような生自身の一様式をみずから発見しなければならなかった一匹の不幸な動物である――この私の確信はますます強まるばかりだ。人間のいうところの自由は、自然に繋がれたどんな生の形態よりも人間を苦しめる。してみれば、人間がときに一株の植物を、一輪の花を妬むことがあったとしても驚くことはない。」


「労働による堕落」より:

「一般に人間は労働過剰であって、この上さらに人間であり続けることなど不可能だ。労働、すなわち人間が快楽に変えた呪詛。もっぱら労働への愛のために全力をあげて働き、つまらぬ成果しかもたらさぬ努力に喜びを見出し、絶えざる労苦によってしか自己実現はできぬと考える――これは理解に苦しむ言語道断のことだ。絶えず続けられる労働は、私たちから思考力を奪い、私たちを凡庸化し、非個性的にする。個人の興味の中心は、その主体的領域から色あせた客観性に移される。このとき、人間は自分自身の運命や内的展開に関心を失い、何であれ何かにしがみつく、つまり、耐えざる変容の活動性であるべき本来の仕事が外在化の一方法と化し、それが人間にその存在の内奥を放棄させるのである。労働がまったく外的な活動性を指すものとなったのは、あだやおろそかなことではない。(中略)だれもが活動しなければならず、そして大抵の場合、自分にふさわしくない生活のスタイルを採用しなければならないという事実は、労働によるこの愚鈍化への傾向をはっきり示している。人間は労働の形態の総体のなかに大きな利点を見ているが、しかし人間の仕事への熱中ぶりを見れば、人間には悪の傾向があることは明らかである。労働において人間は自分を忘れる。といっても、そのゆき着くところは優しい素朴さではなく、愚劣さにひとしい状態である。労働は人間の主体を客体に変え、人間を一匹の動物と化したが、この動物は自分の出自を裏切るという過ちをおかしたのだ。自分自身のために――といっても、エゴイズムの意味ではなく、成熟を指してのことだが――生きるかわりに、人間はみずからを外部現実の奴隷、哀れで無力な奴隷にしたのである。エクスタシーは、ヴィジョンは、昂揚はどこにあるのか。至高の狂気は、悪の真の快楽はどこにあるのか。労働崇拝のなかに私たちが見届ける否定的快楽は、むしろ惨苦に、卑屈さに、厭うべき吝嗇に起因する。なぜ人間は自分たちの仕事と突然手を切って、新しい労働を、いまのいままで自分たちが無益にも身を捧げてきた労働とは似ても似つかぬ新しい労働を始めようと決断しないのか。永遠を主体的に自覚することで十分ではないのか。熱狂的活動が、絶えざる労働と喧騒が何かを破壊したのはたしかだが、その何かは、労働がその否定である永遠の感覚以外のものではありえない。現世の富の追求が、日々の仕事が増大するにつれて、永遠はますます手の届かぬ、遠いはるかな富となる。あまりに積極的にすぎる精神の視野がいかにも狭隘なものであり、その思想や行為が卑劣なのも、ここに起因する。私が労働に対置するのは、受動的な観想でも曖昧な夢想でもなく、残念ながら実現不可能な変容なのだが、それでも私には、熱狂的で不寛容な活動よりは寛容な怠惰のほうが好ましい。人々を目覚めさせるためには、怠惰を称揚しなければならぬ。怠惰な人は、忙しく立ちまっている者などより、はるかに形而上学的感覚をもちあわせているからだ。」
























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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