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川村二郎 『和泉式部幻想』

「犬と一緒に寝、畜生同然の日常を過す浮浪の徒の熱い信心。その思いの凝る先に菩薩、さらには如来として現れる和泉式部は、まさしく自身が流浪の権化であったからこそ、仏と仰がれ慕われるいわれがあったろう。最高と最低がそこで一つになる。」
(川村二郎 「和泉式部幻想」 より)


川村二郎 
『和泉式部幻想』


河出書房新社 
1996年10月15日 初版印刷
1996年10月25日 初版発行
235p 初出一覧1p 
18.6×14.6cm 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,900円(本体1,845円)
装幀・レイアウト: ミルキィ・イソベ
写真: 今野裕一



本書「あとがき」より:

「この本がそれを中心にして編まれているエッセー「和泉式部幻想」は、初め「和泉式部伝説」と題して、季刊雑誌「イロニア」に連載されたものである。平安朝の女性歌人の実像を追究してみようとしたのではなく、この歌人をめぐって形成された伝説の諸相をたどってみようという心づもりの文章である。ここに収めるに際して「伝説」の二字を表題から外したのは、伝説の研究、考証と受け取られるのではないか、という気がかりがふときざしたからである。これは研究ではない。一人の卓越した批評家の謎めいた一行を核として、そのまわりにまつわりつかせた幻想の薄紗、あるいはその一行を潜在的な主題として編みだされた自由な変奏曲、という程度に見て下さればよいと思っている。
 その一行とは、保田與重郎の『ヱルテルは何故死んだか』にある、「多情は貞節のイロニーである」という言葉。最初の「ロッテは何故猥褻か」を「イロニア」誌に書いた時から、この言葉は心の中にしこっていた。そのしこりが「イロニア」誌の後の連載エッセーを書きつがせる原動力になったのだといってもよい。一九九二年の春から月二回関西へ出かける用事が出来、その折に初めて貴船明神に詣でたり、伏見や深草のあたりを歩き廻ったりした経験も、書きつぐ気持にはずみを与えた。
 そのあとに添えた論の対象、露伴や鏡花たち、近代を超脱した近代の文学者への敬意と、古い民俗伝承や語り物への興味も、こちらの心の中ではみな一つに結びついている。音楽用語でいえば quasi una fantasia ――「幻想曲風」に発想された小品の集成として、受け取って頂ければ幸いである。」



川村二郎 和泉式部幻想


帯文:

「多情は
貞節の
イロニーか

和泉式部にまつわる性に関する逸話や
伝承にみられる天真爛漫な趣、
情痴愛欲の生活の大らかさ。――平安朝の
女流歌人をめぐる伝説の諸相をさぐる
興趣あふれるエッセイ。」



帯背:

「伝説のなかの
平安朝女流歌人」



帯裏:

「これは研究ではない。一人の卓越した批評家の謎めいた一行を核として、そのまわりにまつわりつかせた幻想の薄紗、あるいはその一行を潜在的な主題として編みだされた自由な変奏曲、と見てくださればよい……
◆――著者「あとがき」より」



目次 (初出):


ロッテは何故猥褻か (「イロニア」 第2号 93年10月)
和泉式部幻想
 一・貴船の祭 (「イロニア」 第6号 94年10月)
 二・伏見の時雨 (「イロニア」 第7号 95年1月)
 三・深草の雪 (「イロニア」 第8号 95年6月)
 四・岩殿寺の夢 (「イロニア」 第9号 95年7月)
 五・神の嫁 (「イロニア」 第10号 95年10月)
 六・鳳来寺の怪 (「イロニア」 第11号 96年1月)
 七・稲荷山の冬 (「イロニア」 第12号 96年5月)


江戸人露伴 (「東京人」 96年1月)
散文家紅葉 (「紅葉全集第十一巻」 95年1月)
逗子と鏡花 (「泉鏡花展パンフレット」 95年4月/「神奈川近代文学館報」 96年6月)


天神と人形 (「河南論集」 第二号 95年12月)
語り物十二月 (「日本人の美意識」 改題)(「UP」 94年1月~94年12月)

あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「和泉式部幻想 〔七〕 稲荷山の冬」より:

「誠心院の大きな石塔の後には、小さな菩薩石像が、狭い場所に身を寄せ合うようにして連なっている。何分格子越しでよく見えないので、何体あるのか確認できないけれども、(中略)臨終の際に阿弥陀仏とともに来迎する二十五菩薩をあらわしていることは明らかだろう。とすると、その菩薩たちの前にそばだった石塔は、そのまま阿弥陀仏を鑚仰する仏塔、和泉式部は菩薩どころか、阿弥陀如来の化身だったとまで高められる按配、事実誠心院に固有の伝承では、式部と阿弥陀仏の一体性を述べるものがあるのだという。
 おそらくその伝承において、和泉式部は他に比類のない至高の位置を占めている。しかしその時考えねばならないのは、この種の伝承が、必ず一遍上人との因縁を説いていることである。
 一遍はいうまでもなく、時宗の開祖である。そして時宗は、深遠な教義を説かず、ただひたすら念仏し、しかもその際、心の昂揚するままに踊り狂う、忘我の踊り念仏をすすめる、鎌倉新仏教の中でも珍奇な一派である。教養人知識人には軽蔑され非難されたが、無知蒙昧な大衆には当然のことながら大いに歓迎された。信仰する大衆のうちには乞食、非人、その他差別された卑賤の徒が多く混っていただろう。粗野猥雑の気がその集団に生ずるのは避けがたい。」
「もちろん戒律を重んじる既成の仏教者からすれば、これは途方もない破戒無慙の邪教一派と見なされて当然だったろう。(中略)時宗の場合ほど、肉体の自然の欲求を公然とさらけだして見せた例は、おそらくほかにないと思われる。
 さらに奇異なまでの自然さを感じさせるのは、時宗の信徒たちの名乗りである。一遍の最初の弟子、真教は、「他阿弥陀仏」と号した。(中略)一遍の教理においては、南無阿弥陀仏と念仏を唱えさえすれば、衆生は阿弥陀仏と一体になり、双方の区別は消えるのである。信徒はすべてその意味で阿弥陀仏を名乗る資格があることになる。(中略)自分は仏、仏は自分、その神秘的合一(ウニオ・ミュスティカ)を天下に表明したこの名号は、その天真爛漫において、あるいは臆面もなさにおいて、驚嘆に値するだろう。
 和泉式部はそのような宗門の伝承のうちに根づくのにふさわしかった。現実の式部は一遍より二百数十年前の人物だし、むろん二人が出会ったわけはない。『一遍上人絵伝』は多くの聖地霊場を描いているが、誓願寺は出てこない。京都は高辻烏丸の因幡堂と四条京極の釈迦堂、七条の市屋の道場のみ。しかし因幡堂では、縁の上にも下にも、乞食たちが菰をかぶって、犬の母子と一緒に眠っている。また釈迦堂の場面は、文字通り雑踏をきわめた都大路の風景で、檜皮葺き入母屋造りの堂の前に切妻造りの板小屋が建ち、その中にひしめく善男善女に、弟子の肩車に乗った一遍が、御札を配っている。争って手をさし伸べる人々の中には、烏帽子姿の侍なども見え、貴人の乗用とおぼしい牛車が板小屋の庇の下に半ば乗りこんだりもしているが、白い被衣の女、稚児、青道心、まさに僧俗貴賤のけじめなく、宗教的熱狂の渦の中に巻きこまれた様子である。誓願寺に和泉式部の霊が現れる情景は、これらの画面と重ね合わせて想像することが充分に可能である。
 柳田国男が『女性と民間伝承』の中で引いている誓願寺の縁起によると、和泉式部は娘の小式部内侍を失って人生の無常を感じ、播磨は書写山の性空上人を訪ねて行き、「冥(くら)きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端(は)の月」と詠んだ。「(中略)しかし縁起では、性空上人は、あなたの望みは極楽往生だろうが、極楽往生を説く阿弥陀の教えは自分にはよく分らない、男山、石清水の八幡大菩薩は本地阿弥陀仏だから、そこへ参ってお願いするがよいと、式部に告げたことになっている。
 その忠告に従って式部は石清水へ赴き、祈りをこめると、神が老翁の姿で示現し、誓願寺の御本尊こそは尊い阿弥陀如来にほかならない、かしこへ参って信心せよと告げる。そこで誓願寺へ来て、祈願を続けた時、阿弥陀仏が老尼となって現れ、弥陀の本願を頼んで一心に念仏するようにと教示する。
 性空上人も八幡大菩薩も、厄介な頼みをひとに推しつけ、責任逃れをしているような按配だが、話としてはむろん、心願成就の道は平坦でないということを示唆しているだろう。それにしても、盥廻しにされる和泉式部の姿に、たとえば人買の手にかかって、浦から浦へと売られて行く語り物の貴女、小栗判官の妻、照手姫の流離といったものを連想しては、大仰にすぎるだろうか。少くとも、あるよるべないさすらいの印象が、そこにまつわっていることは確かではなかろうか。
 犬と一緒に寝、畜生同然の日常を過す浮浪の徒の熱い信心。その思いの凝る先に菩薩、さらには如来として現れる和泉式部は、まさしく自身が流浪の権化であったからこそ、仏と仰がれ慕われるいわれがあったろう。最高と最低がそこで一つになる。」






































































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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