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E・M・シオラン 『崩壊概論』 (E・M・シオラン選集 1)

「われわれは何ひとつしないためにこの世にいるのだ。」
(E・M・シオラン 『崩壊概論』 より)


E・M・シオラン 
『崩壊概論』
有田忠郎 訳

E・M・シオラン選集 1


国文社 
1975年11月15日 初版第1刷発行
1984年11月20日 初版第2刷発行
302p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,300円



本書「訳者あとがき」より:

「本書は E.M. Cioran: Précis de décomposition, Coll. 《Idées》, Gallimard, 1949 の全訳である。」



シオラン 崩壊概論



目次:

日本語版への序 (E・M・シオラン 1974年8月26日)

崩壊概論
 狂信の系譜
 反―予言者
 もろもろの定義の墓場で
 文明と浮薄さ
 神の中に消え入る
 死を主題とする変奏曲
 時間の欄外で
 時間の関節はずれ
 素晴らしき無用性
 堕落の註解
 死への反対同盟
 形容詞の制覇
 安心した悪魔
 円周上の散策
 人生の日曜日
 手をひく
 間接的な動物
 われわれの忍耐の鍵
 解放による消滅
 抽象的な毒
 不幸の意識
 間投詞的思考
 曖昧なものの崇拝
 孤独――心の離反
 黄昏の思想家
 自己破壊の手段
 反動的な天使
 礼節への配慮
 空虚の音階
 ある日の朝に
 忙しい服喪
 諦めへの免疫
 この世の釣合い
 哲学への訣別
 聖者から犬儒派へ
 元素への回帰
 逃げみち
 夜への無抵抗
 時間に背を向けて
 自由の二つの顔
 夢による過労
 裏切者の亀鑑
 地球の屋根裏部屋のひとつで
 漠然たる嫌悪感
 無意識の教義(ドグマ)
 二元性
 背教者
 未来の亡霊
 固定観念から咲き出る花
 《天上界の犬》
 天才の二面性
 不幸の偶像崇拝
 悪魔(デモン)
 《新しい生活》の滑稽さ
 三重の袋小路
 欲望の宇宙創成論
 行為の解釈
 めあてのない生活
 不きげん
 勇気と恐怖の害毒
 覚醒
 憎悪の道すじ
 《救いなき人々》
 歴史と言葉
 哲学と売春
 本質的なものの強迫観念
 亜流(エピゴーネン)の幸福
 極度の大胆さ
 落伍者の肖像
 悲劇の条件
 内在的な嘘
 意識の到来
 祈りの尊大さ
 憂鬱病
 まひるの呪詛
 堕落の擁護
 流行おくれの宇宙
 虫に喰われてぼろぼろになった男
発作的な思想家
 発作的な思想家
 虚弱の利点
 詩人たちの寄生虫
 異邦人の悩み
 征服者の倦怠
 音楽と懐疑論
 自動人形
 憂鬱(メランコリア)について
 優越欲
 貧乏人の位置
頽廃(デカダンス)のさまざまな顔
聖性と「絶対」のしかめ面
 生殖の拒否
 唯美的聖者伝作者
 聖女たちの弟子
 叡智と聖性
 女と「絶対」
 スペイン
 永遠性のヒステリー
 自負心の諸段階
 天国と衛生法
 ある種の孤独について
 動揺
 聖性の脅威
 傾いた十字架
 神学
 形而上的動物
 悲哀の生成
 修道院の中でのおしゃべり
 不服従の練習
知の舞台装置
放棄
 縄
 固定観念の裏面
 墓碑銘
 涙の世俗化
 意志の変動
 善意の理論
 ものの持ち分
 悪徳の驚異
 堕落への誘惑者
 洞窟の建築家
 弛緩症の訓練
 極度の使いべり
 欲望の葬式場にて
 否定できぬ失望
 モラリストの秘密の中で
 修道者の幻想
 狂気に敬意を表して
 わが英雄たち
 頭の単純な人々
 精神の刺戟剤と貧苦
 不眠への祈願
 悪人の横顔(プロフィル)
 寛容の考察
 衣装哲学
 疥癬病みの中で
 思想の請負人について
 気質の真理
 皮を剥がれた男
 自己に逆って
 信仰の復活
 われら穴居人
 挫折の表情
 下=人間の行列
 Quousque eadem? (いつまで同じことを?)

訳者あとがき




◆本書より◆


「日本語版への序」より:

「一九四七年に書かれ、一九四九年に出版されたこの『崩壊概論』は、フランス語による私の最初の書物である。この本を書きはじめた時、私は前もって正確なプランを持っていたかどうか。年月を経た今となっては、答えるのが難しい。はっきり覚えているのは、当時私が一切の信念、一切の「理想」、すなわち人間が何百年もの間その犠牲となってきた幻影に対して、緊急に宣戦布告する必要を感じていた、ということだ。私は、懐疑思想以外、何ものにも信を置いていなかった。これこそは当時の私の宗教だったし……今でもそうである。(中略)この『崩壊概論』は、私の他の本にもまして、一切のものに対する烈しい憤り、現在と過去、のみならず未来に対する憤怒の果実なのである。私は思い出す、この本を書き進むにつれて、これが私には「存在」に仕掛けられる正面攻撃であり、「存在」に対する一種の釈明要求、あるいは最終試合とみえたことを。憤激と錯乱のただなかで、私は自分が「存在」に勝ち、「存在」を打ちひしぎ、征服するのだと想像した。この戦いはいつか終りを告げ、そして……勝つのは私の方だと考えていた。私が「存在」に浴びせかける議論と怨嗟と侮蔑の打撃から、「存在」は立ち直れないだろうと思っていた。この書物はいわゆる著作ではなく、一種の喧嘩沙汰だったのである。
 はっきり言って、私は負けたのだろうか? 一番いいのは、この問いを答えのないままに放っておくことだ。なぜなら、形而上学的な戦いには、結局のところ勝ちも負けもなく、ただ「解き難いもの」の謎めいた魅惑あるのみだからである。」



「狂信の系譜」より:

「はちきれんばかりの理想を抱き、確信に満ち溢れ、懐疑と怠惰――彼らのあらゆる美徳より高貴なこの悪徳――を鞭打つのを好んで、滅びの道に、歴史の中に、つまりは平俗と黙示との不純な混合物に足を踏み入れた連中の、プロメテウス的な誇大妄想のうちにこそ、悪の根源があるのである。……そこにはびこる確信というやつ、そいつを打ちたおせ。とりわけ確信が生みだすさまざまの影響を拭い去るがいい。そうすればこの世に楽園がもどってくるだろう。「楽園喪失」とは、ひとつの真理を追求してそれを見出したという信念、ある教義に熱中してその中にたてこもること以外の何であろうか。そこから狂信が由来する。――これは人間に効率万能観、予言趣味、恐怖政治の快楽を吹きこむ元凶であり――他人の魂に己れの病いをうつし、征服し、粉砕し、または熱狂させる抒情的癩病(レプラ)である。……その害毒を免れ得るのは、ただ懐疑派(あるいは怠け者と耽美派)のみ。というのも、彼らは何ごとをも他人に押しつけず、人類の偏見を打破しその錯乱を分析するからである。彼らこそ人類に真の恩恵をもたらす者である。」


「人生の日曜日」より:

「もし安息日の午後が何ヶ月にもわたる長さになったとしたら、労働の汗から解放され、原罪による呪いの重荷から自由になった人類は、いったいどうなるであろうか。これは一度経験してみる値打がある。犯罪が唯一の気晴しとなり、放蕩が無邪気に見え、わめき声が妙なるメロディに、冷笑が優しさに見えるであろうことは、まず間違いない。時間の広大さという感覚が、一瞬一瞬を耐え難い刑罰と化し、死刑執行場にするだろう。詩情の浸みこんだ人々の心に、すさんだ人肉嗜食(カニバリスム)とハイエナの悲哀が根を張るだろう。肉屋と死刑執行人は退屈のあまり死ぬだろう。教会と淫売宿は溜息ではちきれるだろう。日曜日の午後に変った世界……これが倦怠の定義であり――また世界の終末である。……「歴史」の上に懸っているあの呪い(訳注: アダムとイヴの楽園追放と、日々の労働の賦課を指す。)を拭い去ってみたまえ。「歴史」も人生も直ちに消滅し、絶対的な空無(ヴァカンス)の中でその虚構をくりひろげてみせてくれるだろう。無の中に築かれた労働が神話をでっち上げ、固める。なくてならぬ陶酔である労働は、《現実》への信仰をかきたて、維持する。だが、身振りやものに依存することなく、裸の存在を凝視するならば、眼に入ってくるのは現にないものばかりなのである……。
 無為に過す人々は、忙しく立ち働く人々よりも多くのことを掴み、より深い精神を持っている。いかなる労役も彼らの視野を遮らないからである。永遠の日曜日に生まれた彼らは、ひたすら凝視し――凝視する自分を凝視する。怠惰とは生理学的な懐疑であり、肉体の抱く疑いである。(中略)しかし、彼らはこの人類には属していない。額に汗して生きるのは彼らの得意とするところではないので、彼らは「生命」の結果も「罪」の結果も蒙ることなく生きる。善も悪も仕出かさないので、彼らは――人類の癲癇病みに高見の見物をきめこみながら――週日を、つまり人間精神を窒息させる労働を、軽蔑する。たまたま日曜の午後が無限に延長されたところで、彼らは、馬鹿馬鹿しいほどきまりきった明白な事実を主張したという後悔以外、何を恐れることがあろうか。そこで彼らは、ほんとうすぎることが実現したのに苛立って、他人のまねをし、仕事をしようという卑しむべき誘いに乗ることもあり得る。これが怠惰 ――すなわち楽園の奇蹟的な痕跡――を脅かす危険なのである。」



「忙しい服喪」より:

「忙しさに息せききった文明は、永遠の中でのんびり過す文明よりも早死にする。中国は、己れの老境の開花を数千年にわたって楽しんできたが、これこそ見ならうべきただひとつの手本である。中国文明だけが、ずっと前から、哲学以上の洗練された叡知に到達した。老荘道家の思想は、解脱の道にかけては前人未踏の域に達している。――ところが、われわれの方は世代単位で数える。急速な歩調で歩いたために超時間的な精神を失ってしまうのは、僅か数百年そこそこしかたっていない文明の不幸な呪いなのである。
 どう見ても、われわれは何ひとつしないためにこの世にいるのだ。」
「人類が行動のむなしさから解放されようとしても、もう遅い。まして、無為の聖性に到達するには、もう遅すぎるのである。」



「固定観念の裏面」より:

「虚無の観念は、勤勉な人々には具わっていない。忙しく働く人間は、己が死後に返るべき塵の重さを計る暇もなければ、その気持もないのだ。彼らは運命の苛酷さというか、その馬鹿馬鹿しさを甘受する。そして希望を持つ。つまり、希望とは奴隷の美徳なのである。」


「わが英雄たち」より:

「当時、私は、人間が恥じることなしに果し得る唯一の行為は自殺することで、日々の連なりとだらけた不幸の中で自分を矮小化する権利は人間にはないのだ、と考えていた。自殺する人々以外に選ばれたる人はない、と、私はいつも心に呟いていた。今でも私は、生きている詩人よりも首をくくる門番の方を尊敬する。人間とは自殺猶予者だ――これこそ、人間の唯一の栄光、唯一の言いわけである。だが、彼はそのことを悟らず、死によって己れ自身を越えようとした人々の勇気を、かえって卑怯だとして非難する。われわれは、最後の息を吐くまで生きつづけるという暗黙の約束によって、互いに結ばれている。われわれ相互の連帯を固めるこの約束は、しかしやはりわれわれの一大汚点なのである。人類はすべて、その汚辱にまみれている。自殺以外に救いはないのだ。(中略)かくてわれわれは、生きている限り、死におくれた者なのである……。」


「精神の刺戟剤としての貧苦」より:

「――われわれの屈従は、すべて、餓え死にするだけの決心ができないことから由来する。この怯懦は、われわれには高いものについている。もともと乞食になる適性がなく、他人様の意のままに生きるとは! 着物をきた、運のいい、うぬぼれきったこの絹毛猿どもの前で腰を低くし、軽蔑する値打ちさえないポンチ絵のような連中の言いなりになるとは! 何かを乞いもとめねば生きて行けぬという屈辱感を思えば、いっそこの地球という惑星を絶滅させ、そこにはびこる階級組織やさまざまの堕落もろとも爆破してやりたくなる。社会とは悪ではなく、災厄である。社会の中で生きて行けるとは、また何という愚かな奇蹟であろうか。怒りと無関心の間に揺られながら社会なるものを眺めていると、誰もその組織を突き崩すことができなかったということ、また今まで、絶望した慎ましいすぐれた精神の持主で、社会を徹底的に破壊しその痕跡まで払拭しようとした者がいなかったことが、何とも不可解に思えてくる。」












































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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