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川村二郎 『河内幻視行』

「しかし事実は事実だとしても、伝承は伝承として、それ自体の生命を持つ。」
(川村二郎 『河内幻視行』 より)


川村二郎 
『河内幻視行』


発行: トレヴィル
発売: リブロポート 
1994年11月18日 初版発行
241p 口絵(カラー)8p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,060円(本体2,000円)
装幀: ミルキィ・イソベ



本書「あとがき」より:

「一九九二年の春から、月二回大阪へ出かけ、大阪芸術大学の文芸学科で、学生諸君と折口信夫や泉鏡花を読んだり、ベンヤミンの芸術論について考えたりしている。
 この勧めを引き受けたについて、色々理由はあるけれども、土地の魅力にひき寄せられたということが、理由のうちで一番大きい。」
「二上山の麓で、二上山を舞台とする折口信夫の小説『死者の書』を読むのは愉しかったが、読んでからまたその舞台の細部を訪ねて歩き回るのも、劣らず愉しかった。土地の魅力にひき寄せられたというのは、つまりそうした愉しみへの期待であって、そして期待は『死者の書』に限らず、しんとく丸伝説に関しても、天滿天神の足跡についても、ニギハヤヒの降臨神話をめぐっても、十二分に満たされたといってよい。
 この本は期待が満たされて行くことを喜びながら綴り続けた記録である。」



川村二郎 河内幻視行


帯文:

「河内(かわち)――京・大和に比肩し得る魅惑と
日本成立の謎にみちた歴史の秘庫
その河内を自らの目と足で丹念に感受し、
“詩念”で幻視した、ニギハヤヒ、巨大古墳群、聖徳太子、
菅原道眞、楠木父子、そして、しんとく丸伝承……
書き下ろし長篇エッセイ」



帯背:

「魅惑と謎に
みちた河内(かわち)」



帯裏:

「二上山の麓で、二上山を舞台とする折口信夫の小説『死者の書』を読むのは愉しかったが、読んでからまたその舞台の細部を訪ねて歩き回るのも、劣らず愉しかった。土地の魅力にひき寄せられたというのは、つまりそうした愉しみへの期待であって、そして期待は『死者の書』に限らず、しんとく丸伝説に関しても、天満天神の足跡についても、ニギハヤヒの降臨神話をめぐっても、十二分に満たされたといってよい。
この本は期待が満たされて行くことを喜びながら綴り続けた記録である。
●――著者・あとがきより」



目次:

口絵
 錦織(にしごり)神社 本殿 (カラー)
 『河内名所圖會』より
 伝応神天皇陵 (カラー)
 河内略図
 竹内街道 (カラー)

はじめに

第1章 古墳
第2章 古社
第3章 古寺・南北朝
第4章 竹内街道
第5章 太子の跡
第6章 天神・大阪の陣
第7章 しんとく丸
第8章 寺内町
第9章 ニギハヤヒの国

あとがき
参考文献




◆本書より◆


「はじめに」より:

「大阪をよく知らない人間が、乗物に乗ってまず戸惑うのは、同じ場所、あるいはすぐ隣り合った場所にある駅の名が、交通機関によって異ることである。
 これが東京ならば、たとえば新宿では、JR線でも小田急線でも京王線でも地下鉄でも、みな同名の新宿駅、(中略)すべて同様で、そしてそのことを誰も怪しまない。」
「不統一というと、駅名地名の表記がさまざまなことも興味をそそる。天王寺の近鉄の駅は、先に「阿部野橋」と書いたが、(中略)しかし駅の標識は、実はすべて「あべの橋」とひらがなで記されている。(中略)ところで起点駅の所在は阿倍野区(引用者注: 「倍」に傍点)の内であり、(中略)阿倍野筋の先には安倍晴明神社(引用者注: 「安倍」に傍点)がある。平安時代の伝説的な陰陽師、式神を駆使し、死者をよみがえらせるなど、多くの不思議を成就したという安倍晴明を祀る社。古代からこの地域を安倍氏が本拠としていたために、晴明が神と祀られることともなり、あべのの地名が生じもしたのだろう。」
「阿倍か阿部か安倍か。統一整理の好きな人間なら、どれかにきめないと落ちつかないところだろうが、そうした漢字表記を混在させたまま、駅名には気やすくひらがなを採用したりする。大ざっぱといえば大ざっぱ。だが細部にこだわらぬこの大様さは、こちらには、文化の奥行を示す一つの特徴にほかならぬと思われる。
 戦後の行政の大きな愚行の一つに、地名の恣意的な変改がある。(中略)無味な名のもとに、由緒ある古い地名をくるみこみ、消滅させて恬然(てんぜん)としている。大阪にもその種の変改がなくはなかったのだろうが、まだまだ街の歴史を偲ばせる名は数多い。当用漢字とか常用漢字とか、小うるさい規則を設けて言葉の簡便化をめざすのと同じ、文化の本質的な未成熟が、地名変改の根底をなしている。そう思う時、大阪の風土にかいま見られる、幼稚な管理主義の拒否が、ひときわ好ましく見えてくる。」



「第一章 古墳」より:

「だが実際に歩いてみると、航空写真のような鳥瞰とは別の視界が、目の前にひらけることに気づいたのだった。たしかに大都市近郊の新興住宅街の野放図な自己増殖状態は、東京でも大阪でも変らない、現代日本に共通の地理的条件を表示しているにすぎないと、いえばいえる。その任意の一例が、ここ羽曳野市から藤井寺市にかけての、かつては古市郡と呼ばれた地域にうかがわれるにすぎないと、いえばいえる。しかしそうした変哲もない街の家並の向うの空には、どこでも濃緑の起伏が波打ち、家並を抜けるといきなり崖が道をふさぎ、眼下に、暗緑の水を満々とたたえた深い濠がひろがり、空間的な高低の落差が、そのまま歩き疲れた感覚の中に、階段を一つ踏みはずして、日常からすとんと別の場所にずり落ちたようなショックを生じさせる。このようなショックは東国ではまず生じ得ない。
 なまじいに古代らしさを際立たせ、現代の侵入を阻止しようと努力すればするほど、その特別保存地区には、不自然な人工的なコピーの白々しさも際立ってくる危険があろう。ここでは現代がおそらくほとんど無制約に、かつての記憶を深く宿した土地に割りこみ、住みついている。しかしかつての記憶をよみがえらせるよすがとなる、一々の形象は、その割りこみによって格別煩わされる様子もなく、むしろ平然としておのれの場に居坐り続けているかのようである。むろん宮内庁の頑固一徹な力が、そこに働いて、居坐り続けさせているという事情もあるだろう。それはそれとしても、人家に囲まれた古墳は、巡り歩いて見上げ、振り返る時、空からのように痛々しい孤島と見えるより、むしろ、寄り集いまつわりつく新時代の現象など、まつわりつくに任せながら、屈託もなく大地の上に休息している巨獣の姿を連想させる。そしてその時間を超越したたたずまいからは、微妙な磁力めいた影響が周辺に及ぼされ、一見全く当世風な、非個性的な大都市近郊地帯の様相が、過去と現在との無差別に入りまじった、時間の常識的な支配の圏外にある領域のように見なされてくる。
 これこそが河内の神髄だと、東国からあこがれて迷い出てきた人間は、あこがれ心地に酔ったまま、心の中で自分にいい聞かせる。」

「実証の意義を全否定するつもりはさらさらない。専門家に対する敬意は人並に持ち合わせているつもりである。ただ門の外にいる人間としては、実証によって確認される事実とは別に、伝承ないし物語に潜在している真実、実証の側からは夢としか見なされないであろうような真実が、存在しているはずだ、という思いを捨て去ることができない。
 実在した人物か否か。それがどちらであれ、遠い昔からヤマトタケルの墓と呼ばれ、その子仲哀の墓と呼ばれてきた記念の造型は、南河内の地に明らかに実在している。」



「第九章 ニギハヤヒの国」より:

「庶民信仰を現在最も盛大に集めているのは、(中略)石切剣箭神社である。」
社の祭神はニギハヤヒ、及びその子ウマシマジと称されている。先に記した通り、『日本書紀』は神武東征の折、ニギハヤヒが義兄のナガスネヒコを殺して、神武に帰順したと述べている。」
「だがやはり前に書いたことだが、『旧事紀』ではニギハヤヒは早く死んで、彼の後は遺児のウマシマジが継いだ。そして神武が攻めこんできた時に、この子は母の兄ナガスネヒコを殺して神武に従う。神武が東征すると、「往往(ところどころ)命(みこと)に逆ふ者、蜂のごとく起りて未だ伏(まつろ)はず」と『旧事紀』は記している。
 《中州の豪雄長髄彦、本より饒速日尊の児宇摩志麻治命を推して君と為て奉(つか)へまつる。此に至って乃ち曰く、天神の子(みこ)豈(あに)両種(くさ)有らん乎(や)、吾は他(あだしごと)有ることを知らずと。遂に兵(つわもの)を勒(ととの)へて之を距(ふせ)ぐ。天孫の軍(みいくさ)連(しきり)に戦へども戡(か)つこと能はざりき。時に宇摩志麻治命、舅の謀に従ひたまはず、俍戻(もと)れるを誅殺(ころ)し、衆を帥(ひき)ゐて帰順(まつろ)ひたまふ。》
 神武はむろん大喜びで、ウマシマジの「忠節」を嘉(よみ)し、神剣布都神魂刀(ふつのみたまのつるぎ)を褒美として与える。ウマシマジは「天物部(あまのもののべ)を率いて、神武に逆う敵を討ち平げる。最も忠実な天皇の走狗的軍団となるわけである。
 『書紀』の記述とこちらの記述と、どちらが正しいかと問うても詮ないことである。ただ神武と同じ天神の子であるニギハヤヒが、おめおめと神武に降参するというよりも、父は天神系であろうと母系はこの「中州」の出自であって、そのひけめから天神の嫡系には抗しがたいと、ウマシマジが観念したことを暗示するようなこちらの記述の方が、よほど無理なしに受け取れそうではある。『書紀』の記述は、同じ天神の子すら屈服させる、神武の威勢の強大を、いやが上にも誇示する下心にもとづいていると、臆測できぬこともない。しかしもしそうとすれば、それは逆に、中州の豪雄の抵抗がいかに根強かったかを、裏から照らしだしているともいえる。
 『書紀』も『古事記』も、神武が最初難波に上陸した時、河内のクサカという所でナガスネヒコの軍と戦い、敗れたことを記している。」
「谷川氏(引用者注: 谷川健一)の日下の訓みに関する考証によると、クサカには元来「日(ひ)の下(もと)」という枕詞が修飾的に附加されていて、その文字がやがて地名表記にそのまま用いられるようになったのである。そしてクサカが「日の下」なのは、西方の難波から見て太陽の昇る所だからである。日下はすなわち太陽信仰の原点であって、日神たるニギハヤヒ崇拝の聖地にほかならぬ、ということになる。
 日下の地名は現在東大阪市にある。その位置は同じく東大阪市にある石切神社のやや北である。ニギハヤヒかあるいはウマシマジか、いずれにせよ日神の威を負った中州の豪雄の軍勢によって、侵略者神武は一敗地に塗れる。その時彼は明らかに、日神のみならず、中州の地の霊、ゲニウス・ロキとも交感を絶たれている。」
「ニギハヤヒ、饒=速=日。富み栄え(饒)、激しく動く(速)、日。」
「宣長は『古事記伝』で、ニギハヤヒが天神の子であることは認めながらも、天照大神の系統ではなく、別の天神の後だろうといっている。認めたくないものを渋々認めているような口調で、皇統の連綿たる一系を尊びたい古代学者としては無理もない。だがそれを大して尊重するつもりもない後世の者にとっては、神武天皇に到る筋とは別の天神が、河内の峰に降臨して、日の神威でもって侵入者を畏れしめていたと思うのは、心和む空想である。そしてその神が、病気平癒であれ現世利益であれ、天皇を祀った社(それはほとんど明治以後の新造だが)ではおよそ考えられないほどの、民衆の信心を集めているのは、並々ならず意味深長だと思われる。」

「谷川健一氏は『白鳥伝説』で、物部氏は初め北九州に勢力を張っていたが、やがて東方に移住し、河内の日下(くさか)に根をおろした。それがニギハヤヒの天磐船に乗っての降臨という神話にあらわされていると考える。その後邪馬台国が新たに九州から東遷し、物部氏を中心とする河内・大和の政治権力を打ち倒して、支配権を奪った。それが神武の東征に仮托されている、というわけである。日下はヒノモト、すなわち日本。
 《「倭国」の中心であった邪馬台国は、「日本国」を支配する物部氏を打倒して、その国号を奪った。》
 長大な『白鳥伝説』の終章で谷川氏は、そう結論づけている。
 邪馬台国をめぐる十字砲火のごとき熾烈な論戦の中に分け入るには、当方の古代学に関する知識も熱意も乏しすぎる。ただこちらにとっては、画一的管理の埓にはあえて収まろうとせぬ、自主の気骨に富んだ、ひなびた都雅の国、河内が、天皇の日本よりさらに古いヒノモトであったと想像するのは、懐古の心情を限りなく刺戟し続けることなのである。」

































































































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うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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