ローラン・トポール 『幻の下宿人』 (榊原晃三 訳/河出文庫)

ローラン・トポール 
『幻の下宿人』
榊原晃三 訳

河出文庫 ト 7-1

河出書房新社 
2007年9月10日 初版印刷
2007年9月20日 初版発行
256p 編集部による付記1p 
文庫判 並装 カバー 
定価780円+税
カバーフォーマット/本文フォーマット: 佐々木暁
ロゴ・表紙デザイン: 粟津潔
カバーデザイン: 畑中猛
カバー装画: P・ジュリアン

Roland Topor : Le locataire chimerique, 1964


「本書は、一九七〇年、早川書房から刊行された、ローラン・トポール著『幻の下宿人』(ブラック・ユーモア選集 第1巻)所収の「幻の下宿人」を文庫化したものです。」


ブラック・ユーモア選集版には、「幻の下宿人」の他に「ジョコ、記念日を祝う」が併載されています。訳者はすでに逝去(1996年)しているので、本書所収の「訳者あとがき」は選集版のものを転用しています。


トポール 幻の下宿人


帯文:

「すぐそこにある恐怖
フランスの鬼才が1964年に放った傑作サイコホラー。底知れぬ悪意に触れたとき、はたして人はどこまで理性を保つことができるのか?」



カバーそで文:

「ローラン・トポール
1938-1987年。フランスの作家、画家、映像作家。ブラックユーモアにあふれた作風で知られる。俳優活動として、ヘルツォーク監督『ノスフェラトゥ』にも出演している。著書に『マゾヒストたち』『ジョコ、記念日を祝う』『カフェ・パニック』『リュシエンヌに薔薇を』など。」



カバー裏文:

「主人公のトレルコフスキーは、なけなしの金をはたいて引越しをする。だが、そのアパートは地獄への入口だった! 男は次第に理性を失っていき、異常な行動を始める。もし、この世の中に悪意が存在していて、手の込んだ陰謀が実際に企てられているとしたら……。アイデンティティ喪失の恐怖を描いたフレンチ・サイコホラー。」


目次:

第一部 新しい下宿人
 アパート
 以前の下宿人
 設備
 近所の人々
 謎
 押込み
第二部 近所の人々
 戦い
 ステラ
 請願
 病気
 暴露
第三部 以前の下宿人
 反抗
 以前のトレルコフスキー
 包囲
 逃亡
 事故
 準備
 狂気の人
 エピローグ

訳者あとがき (榊原晃三 昭和45年)
文庫版解説 (宮川尚理)




◆感想◆


トポールといえば『マゾヒストたち』(澁澤龍彦訳)ですが、本書もやはりサイコホラーなどではなく、「マゾヒズム」小説なのかもしれないです。
主人公のトレルコフスキーは、本人の弁によると「ご安心ください、(中略)ご迷惑はぜんぜんおかけしません。ぼくは独身ですし、おとなしいですからね」「ぼくはおとなしいし、もめごとがきらいですからね。ぼくともめるなんてこともありませんよ」ということですが、たいへん胡散臭いです。
アパートの空部屋を借りに来たトレルコフスキーは、その部屋の窓から以前の下宿人(女性)が飛び降り自殺を試み、一命は取りとめたものの重体で入院していることを聞かされ(その後死亡)、さらに家主や管理人の傲岸な態度に接しても、ふつうならそんなアパートはやめて別のを探すところですが、自分から熱心に頼み込んで入居してしまいます。トレルコフスキーはどうやら、罠をみたらはまらずにはいられない人間のようです。
友人(だとトレルコフスキーは思っている)たちに促されて引越し祝いのパーティを開き、夜中に騒いだために、家主やアパートの人々の反感を買い、トレルコフスキーはかつて体験したことのない世間の敵意に直面することになります。人々の意図をあれこれ考えあぐねるうちに精神不安定になり、被害妄想がつのり、幻覚を見るようになる。それまではどうにか世間に同化して生きてきたトレルコフスキーでしたが、それが不可能になると、今度は自殺した(世間の敵意によって自殺に追い込まれた)以前の下宿人(女性)に同化しはじめます。かつて、スーツを着込んで世間の人々に同化したように、カツラをかぶって女装するのでした。


本書より:

「(もう一度、自分を見つけ出さなければならない!)
 かつて彼だった人物、正真正銘に彼だった人物とは、一体、誰なのだろう? その人物と他の人間たちとはどこがちがっているのだろう? 彼の身元保証は? レッテルは? かれに、ぼくだとか、ぼくじゃないだとかいわせるものは何だろう? 彼は必死になって捜したが、分からなかった。彼は自分の少年時代を思い出した。子供時代に頬をなぐられたことだとか、いろいろ考えたことだとか思い出してみたが、そこにも、彼自身の独創的なところを見つけることはできなかった。いちばん大切だと思われたのは、何ともぼんやりした一つのエピソードで、それをまるで夢のように思い出した。
 あるとき、学校で、彼は先生にことわって、トイレへいったことがあった。ところが、いったきり、なかなか教室へ戻ってこれないので、一人の少女が彼の様子を見にやらされた。そして、やっと教室へ帰ってくると、女の教師が下品にこういったのだ。『あら、トレルコフスキー君、君は便器の穴の中におっこちたんじゃなかったの?』クラスの者がいっせいにどっと笑った。彼は恥ずかしさで真赤になった。
 彼という人物を決定するには、これで充分だったろうか? 彼はそのときの恥ずかしさと苦しみをまざまざと思い出した。しかし、なぜ、それほどの恥ずかしさと苦しみを味わったのかということになると、さっぱり分からなかった。」



あと、テュイルリー公園の泉で遊んでいた少年が、おもちゃの船が沈没して泣くのを、トレルコフスキーが見る場面から、引用したく思います。

「トレルコフスキーは、(中略)奇妙な歓びを覚えた。自分の変りに少年が泣いてくれているような錯覚を覚えた。彼は少年の目の隅から涙が真珠のようにしたたるのを、満足して眺めていた。そして、心の中では、少年に向かって、もっと泣けもっと泣け、とけしかけていた。
 ところが、そのとき、一人の下品な顔立ちをした若い女が現れて少年に近づき、かがみこんで、少年の耳元に二言三言ささやいた。すると、少年は泣きやんで頭を上げると、ほほえんだ。
 トレルコフスキーは耐えがたいほど期待を裏切られるのを覚えた。少年はほほえんだばかりか、今でも笑っているではないか。(中略)トレルコフスキーは椅子から立ち上がると、少年のほうへ歩いていった。少年をつかまえると、たちまち、その場にひっくり返してしまった。少年は目を上げて、何が起こったか確かめようとした。
 「いけない子だ」
 と、トレルコフスキーは叱った。
 それから、ものもいわないで、少年にはげしく往復びんたをくらわせた。彼は急いでその場から立ち去った。あとに残された少年は、たった今自分がその犠牲になったばかりの不正に踏みつけられていた。」



このくだりはカフカの「天上桟敷にて」、あるいはロートレアモンの「マルドロールの歌」を思い出させます。「天上桟敷にて」は、世間の誰とも共感できない孤独な青年が、サーカス一座に自分と同じように不幸で孤独な少女を見つけたと思って、歓び勇んでサーカス見物に通うものの、結局その少女も世間の幸福な人間の一人にすぎないのだと気付いて、絶望の涙を流すという話です。「マルドロールの歌」は、世間の誰とも共感できない孤独な青年が、自分に似た唯一の存在であるメスのサメと愛し合い、人間どもを敵にまわして戦うことを誓う話です。

そういうわけで、本書は、『マルドロール』『審判』『異邦人』などの系列に属する重厚な文学作品のような気もしますが、不条理とか実存とか、サイコホラーとか陰謀とか喋々するより、シュヴァンクマイエルの人形アニメーションのようなグランギニョールとして楽しむのがよいのではないでしょうか。



こちらもご参照下さい:

ローラン・トポール 『リュシエンヌに薔薇を』 (榊原晃三 訳)



























































































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