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岡谷公二 『レーモン・ルーセルの謎』

「たしかに機械、それも全く生産とは関係のない、一切有用性を持たぬ機械、金属の冷やかな輝きを放ちながら、ひたすら回転しつづけ、なにひとつ産み出すことのない無償の機械こそは、独身者にふさわしい。それは、(中略)社会の中で無用の存在である独身者自身の象徴である。」
「私は、これらの機械の無償の、いや、無垢の輝きをただ嘆賞していたい。」

(岡谷公二 「無償の機械、言葉の王国」 より)


岡谷公二 
『レーモン・
ルーセルの謎』

彼はいかにして或る種の本を書いたか


国書刊行会 
1998年9月10日 初版第1刷発行
274p 人名索引・参考文献viii 著者略歴ほか1p 
20×15.8cm 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,000円+税
カバーコラージュ: 野中ユリ


「本書は、『ユリイカ』1974年4月号、1977年5月号、1977年8月号、1979年3月臨時増刊号、1981年5月臨時増刊号(青土社)、『夜想』17、27号(ペヨトル工房)、「死場所としての島」(『島の精神誌』思索社、1981年)、「無償の機械、言葉の王国」(『澁澤龍彦文学館9 独身者の箱』筑摩書房、1990年)に収録された文章を加筆修正したものと、新たに書き下された原稿を中心に構成されている。」



本書「あとがき」より:

「本文にも記した通り、一九八九年にルーセルの厖大な未発表原稿が発見され、従来のルーセル像は改変を迫られている。それゆえ旧稿をそのまま集めただけでは意味がないと思い、それらにできるかぎり手を入れ、一部は書き下し、新発見の遺稿の中から一篇を訳出して付録として加えた。」


本文中図版(モノクロ)多数。



岡谷公二 レーモンルーセルの謎



帯文:

「「謎」の作家、レーモン、ルーセル
ダダイスト、シュルレアリストの盲目的な崇拝を受け、ミシェル・フーコーを熱狂させ、澁澤龍彦、寺山修司らの偏愛を受けたフランスの作家レーモン・ルーセル。彼の奇矯な生涯、奇妙な創作術、夢幻的な綺想世界を、近年発見された膨大な新資料を交えて論じ、孤独な言語機械ルーセルを浮き彫りにする。」



目次:

レーモン・ルーセル小伝
新発見のルーセル
『アフリカの印象』
『アフリカの印象』から『幻のアフリカ』へ
『ロクス・ソルス』
『さかしま』から『ロクス・ソルス』へ
無償の機械、言葉の王国
ダダの中のレーモン・ルーセル
レーモン・ルーセルの演劇
ルーセル=ルソー
ヴェルヌとルーセル
死場所としての島

アディノルファの新たな発見 ルーセルの遺稿から (訳: 岡谷公二)

あとがき
レーモン・ルーセル年譜
人名索引
参考文献




◆本書より◆


「レーモン・ルーセル小伝」より:

「ルーセルはレリスに向って、子供の頃を別にすると、自分は幸福と思った時がこれまで一度もなかったと言ったそうだが、幼少年時代については例外で、「私はこの頃の数年間、完全な幸福を知ったと言うことができる」と書いている。同じ環境にいて、似た育ち方をしたプルースト同様、彼もまたこの「失われし時」を一生、追い求めた――ただしプルーストとは全く違った形で――人間だったと言えるかもしれない。」

「彼は十九歳の時、処女作『代役』を書いた。」
「彼は、何ケ月ものあいだ、寝食を忘れて仕事をし、次第に異常な興奮にとらわれてゆくのを感じた。彼を長年にわたって治療をした著名な精神科医のピエール・ジャネに向い、後に彼はこの時の状態を次のように語っている。
 「私は、或る特別ななにかから、自分は傑作を書いているのだ、自分は天才なのだ、という感じを抱きました。(中略)つまり私は栄光を感じたのです。(中略)……この栄光は一つの事実、一つの確認、一つの感覚でした。私は栄光を所有していました。……私の書いているものは、光に包まれていました。私はカーテンを閉めました。私のペンから発する光が、一寸の隙間から外に洩れるのを怖れたからです。……そんなことをしたら、光は中国にまで届いて、興奮した群衆が家に殺到したでしょう」
 これが、以後彼の一生を支配することになる「栄光の感覚」である。(中略)ルーセルは、以後二度とこの感覚を味うことはなかった。彼は生涯それを探し求める。「あの栄光を一瞬でもいい、もう一度生きることができるなら、私は残りの人生の歳月全部を投げ出してもいいのです」――創作活動から晩年の睡眠薬の常用に至る彼の一切の行動は、この感覚を再び求めるためのものだったと言っていい。
 一八九七年六月、『代役』がルメール社から自費出版された時、ルーセルは、「大いなる感動を抱いて」表へ出て行ったのだが、通りでは誰も自分の方を振り返らないのに気付いた時、「栄光の感覚と光輝とが突然消え去った」。この時のショックは大きく、全身に蕁麻疹(じんましん)に似た赤い斑点が出たほどだった。それ以来「被害妄想の奇妙な一形態」を伴った、「鬱病の真の発作」(ジャネ)が始まるのである。」

「彼は、近代文学の本流に対して、全くといっていいくらい無関心だった。
 彼が崇拝したのは、ジュール・ヴェルヌとピエール・ロティだった。これは、「作品は何一つ現実的要素を含んではならない」という信念を抱く彼に、なんとふさわしい好みだろうか? とりわけヴェルヌに対する崇拝の念は度外れていて、一度アミアンにヴェルヌを訪問してその手を握ったことを一生の誇りとし、レリスの父に宛てた手紙の中に、「あの方の名前を決して私の前で口にしないで下さい。ひざまずかずにこの名前を口にするのは、冒涜のように思われるのです」と書いたほどだった。彼にとってヴェルヌとは、SFや空想冒険小説の作家ではなく、ひたすら想像力によって、日常世界の外に偉大な言語空間を生み出した創造者だったのである。」

「彼は同じ芝居を立て続けに何度も見、演出の細かい相違に注意し、俳優の演技を詳細に研究し、家に帰ってくると、その物真似をした。(中略)彼は一つの物真似を仕上げるのに、七年間もかけたことがあった。」

「彼はよく一人で外国旅行をした。とくに一九二〇年には世界一周旅行を企て、日本にも立寄った。」
「「旅行に出る時、彼は決して何も言いませんでした。彼は出発し、姿を消し、そして私たちは時々葉書を貰うのでした。ただそれだけのことでした」と甥のミシェル・ネーは語っている。彼にとって旅行とは何だったのだろう。取材でないことはたしかだった。彼は、旅行での体験を一度も作品に使っていないことを、彼にとって「想像力が全てである」ことの証拠として誇らかに公言しているし、実際行ったこともない西アフリカや南米ギアナを舞台にして作品を書いているのだから。」
「彼は一九二五年、当時としては珍しいキャンピング・カーを作らせ、それに乗ってヨーロッパのあちこちを旅行した。この車には、人間嫌いの彼にとって、人と顔を合わせないで旅ができるという長所があった。旅している間、彼は窓のカーテンをおろして、ひたすら読書にふけっていたという。」

「ルーセルが同性愛者だったことは、その周囲では公然の事実だったらしい。彼は一九一〇年頃、世間体をつくろうため、周囲からすすめられて、「公認の愛人」を作った。この女性、シャルロット・デュフレーヌは、やがて生涯の伴侶となる。彼女は彼と二十三年間暮し、パレルモで彼が自殺した時もそのそばにいた。(中略)レリスは彼女のことを、ルーセルが心を打ちあけた――ただ「少しだけ」――この世で唯一人の人間だったと言っている。」

「『額の星』は、さまざまな骨董品にまつわる奇抜な由来談を連鎖式につないだだけのものである。ナイヤガラの滝で綱渡りをした際、著名な曲芸師が使った鉄線の一部で巻いたラシーヌの手紙とか、肺病の娘が中味を飲んで捨て、その娘に恋していた若き日のミルトンが拾って、表面に詩を記した卵の殻とか、相変わらず奇想にみちみちている。『塵のように無数の太陽』の方は、南米のギアナで、遺言も残さずに死んだ伯父がどこかに隠した莫大な財産を、フランスからやってきた甥とその娘が、悪人たちを向うにまわして行う宝探しの物語である。眼目は勿論、彼らが次々と解いてゆく突飛な謎の数々だ。ちなみに、宝探しは、謎解きや暗号とともに、ルーセルがもっとも好んだテーマである。」

「自腹を切っての度重なる上演や本の出版によって、ルーセルは、さしも莫大な財産を蕩尽して破産し、一九二八年にはヌイイの邸を売り払う決心をし、エルヒンゲン公爵夫人となっていた姉ジェルメーヌの邸に移り住んだ。
 この年ルーセルは、遺作となった鏤骨の韻文作品『新アフリカの印象』を書き上げている。ルーセルによると、僅々百ページに足りないこの作品に彼は十三年の日子をかけたという。これは、彼の作品の中で、もっとも異様なものだ。全体は十二音綴から成る四つの詩で構成されていて、それぞれの詩の冒頭にエジプトの観光名所の描写が出てくるのだが、忽ちカッコの中に次々とカッコが開かれてゆき、読者は意味の連関を失って、言葉の迷宮の中に迷いこんでしまう。「文章を次々ときりもなく二重底にしてしまい、最後に解体させる」(レリス)というこの方法は、同音異義の言葉や地口をもとにした方法とは異る、彼が考え出して、この作品ではじめて用いた、現実からの離脱のためのもう一つの方法であった。」

「『新アフリカの印象』以後、彼はほとんど創作の筆を断ち、睡眠薬の中に「至福感」を求め、キャフェに通っては、もっぱらチェスに没頭した。「あの人は、数学は全くやらなかったが、やれば立派な数学者になれたと思いますよ。あの人はおどろくほど論理的な精神の持主でした」と甥のミシェル・ネーは語る。」

「一九三二年、彼は、ペール=ラシェーズの墓地の一角を買い、自分の墓を作る計画を立てた。彼はそこに、書棚の前に立つ自分の十九歳の時の全身像を大理石で刻ませるため、ヌイイの邸を売って得た金の一部(中略)を投じて、石屋と契約を結んだ。十九歳とは、彼が『代役』を書き、あの「栄光の感覚」を知った年である。」



「新発見のルーセル」より:

「しかしこれが果して観察であろうか? 観察とは、表面の奥にあるものを剔抉(てきけつ)しようとする視線である。ルーセルの視線は、決して内側へさし入ろうとはしない。それは、一歩踏みこんだら、致死の伝染病菌に感染するとでも思っているかのように、現実の表面の閾のところでとどまる。彼の観察が表面的だというのではない。彼は、表面しか信じないのであり、奥や内部や意味を拒否するのである。」

「これは、ひたすら言葉だけにこだわり、言葉から言葉を紡ぎ出してゆく方法、言葉の綱渡りに比すべき方法である。(中略)言葉以外のものに頼ろうとしたら最後、彼は必ず墜落する。
 ――前にも引いた、「作品は、現実のものは何一つ……含んではならない」というルーセルの言葉は、このような方法の内的契機を明らかにする。神経症という関係しか結ぶことのできなかった現実に対して、彼は深い怖れと嫌悪を抱いていた。その現実拒否は、嫌いな食物を決して口に入れまいとする幼児の、やわらげようのない頑さを思わせる。それは、治そうとする気持をはじめから捨てずにはいられないほどに重い、不治の病いである。この拒否をバネにして、現実を超越する以外に、彼にはゆく道がない。
 言葉が現実と対応関係を持つことをルーセルが嫌うのは、かくして当然のことである。そうなれば、言葉は汚れ、醜くなる。彼に残された唯一のチャンスである言葉を救い出すため、彼は言葉の中に閉じこもり、言葉そのものの運動にすべてを委ねる。ルーセルの方法とは、(中略)このように、外見よりはるかに切羽つまったものなのである。」



「『アフリカの印象』から『幻のアフリカ』へ」より:

「ルーセルは、同時代の文壇からは全く孤立していた。彼は成功を熱望し、世間の無理解に一生苦しんだが、この孤立と無理解とは、彼の作品の本質に由来しているように思われる。(中略)彼の作品はやはり少数者のものだ、という思いを私は禁じえない。
 ルーセルは、同時代の文学にも美術にも全く関心を持っていなかった。同時代の存在そのものさえ認めていなかったのではないか、とさえ思えるふしがある。」
「あらそってルーセルに会見を求めたブルトン、デスノス、ヴィトラックは、訪問後失望をかくしていない。ブルトンは、「自分を隠している男」という印象を受けたというし、デスノスはその「今日はいいお天気ですね式の無性格な会話」に落胆している。これは、ルーセルが彼らをすげなく扱ったということではなく、むしろ反対に、彼らの眼にはいつも「愛想のいい紳士」と映っていたのだ。」
「これは、当時にあって唯一の理解者だった人たちからさえ、彼が誤解されていたことを示してはいないだろうか? (中略)彼は、シュルレアリストたちの唾棄する世間的名声にあこがれ、そのためには自己宣伝の記事を書くことも辞さなかった人間であり、政治的にはむしろ保守反動で、変化と進歩を怖れ、自己を解放するより束縛することを望み(束縛することによって自己を解放すると言うべきか?)、その作品を、自動記述法とは反対に、厳密な方法にもとづいて書いた。
 「マルシャルは、文学上の美について、きわめて興味深い観念を抱いている。作品は、現実のものは何一つ、全くの想像から生れた組合せのほかは、世界と精神に関するいかなる観察も含んではならない、と言うのだ。これはすでに超人間的な世界に属する想念だ」
 長年にわたってルーセルの治療に当った精神科医のピエール・ジャネは、(中略)ルーセルについてこのように記している。マルシャルとは、『ロクス・ソルス』の主人公マルシャル・カントレルから採った仮名である。」
「彼からは、日常的現実――外界と言ってもいい――に対する関心がもののみごとに抜け落ちている。ルーセルの特異さは、それゆえその現実拒否そのものにあるのではなくて、その拒否の異常な深さにある。
 彼は素材という形をとってすら、現実が作品の中に入りこむのを許さなかった。現実とは彼にとって、少しでも触れたが最後、致死の毒の感染するペストだった。」



「無償の機械、言葉の王国」より:

「独身者とは、一体どのような存在だろうか?
 それは、単に結婚していない男のことではない。いつの場合でも、大部分の独身者は、潜在的な妻帯者であり、たまたま結婚の機会に恵まれていないだけの話である。真の独身者とは、結婚という形で女性と結びつくことも、生殖の営みに加わることも拒否した人たちのことだ。
 種の維持が、ここまで人間をみちびいてきた本能であるとするならば、彼らは、このような本能にはっきりと背をむける。彼らは、太古の昔から、親から子へと、無数の代にわたって受けつがれてきた生命のバトンを、もはや誰にも手渡そうとはしない。自らの手で、先祖からの血の流れを、断ち切ってしまうのである。
 なぜ独身者たちは、結婚と生殖を拒否するのだろうか? 彼らの中には、共通して、この世界に対する根深い不信と嫌悪がある。この不信と嫌悪が、彼らをこのような拒否へと赴かせる。」

「私たちは、その作品や書き残したものを通して、これら偉大な独身者たちの内実をつぶさにうかがうことができる。そしてこの鬼っ子たちがみな、異常に鋭い感受性と、豊かな想像力と、傷つきやすい心の持主だったことを知っている。世の卑俗と醜悪さに対して他の人たちよりはるかに敏感であったため、彼らは、生殖を拒否するという場所にまで追いこまれてしまったのであった。未来への希望を自ら断つことによって、彼らは、愛も、合一も、連帯もない、呪われた運命を甘受しなければならない。彼らをとりまくのは、空気の稀薄な、さむざむと暗い不毛の世界だ。このような場所にいつまでも立ちつくしているわけにはゆかない。なんらかの解決がなければならない。もしどこにも出口を見出すことができないならば、自殺と狂気が彼らを待ち受けている。実際、ボードレール、モーパッサン、アルトーは発狂し、ルーセルは自殺した。ユイスマンスやジャコブのように、信仰によって救われた者が一番幸せだったのかもしれない。あとは、この窮地を強力な発条(ばね)にして、現実を変換――錬金術的な意味で――させること、現実というこの卑金属を、賢者の石によって黄金に変えることのほかに手はない。
 独身者の文学というものがあるとすれば、その第一にあげるべき特色は、そのドラスティックな性格であろう。こうした追いつめられた立場が、彼らの作品にいきおいこのような性格を帯びさせてしまうのである。『アフリカの印象』や『ロクス・ソルス』はその典型だ。
 独身者の文学のもうひとつの特色、それは、すべてが現実に背をむけていることだ。」
「現実と正面から向き合った文学、いうところの写実主義文学は、現実の醜悪さをあばき、批判、諷刺する場合ですら、この現実に対してのなんらかの同意を含んでいる。しかし独身者たちの文学には、このような最低限の同意さえみられない。(中略)彼らがもっぱら表現しようとするのは、この世に存在しないものである。」

「ルーセルの作品を例にとるならば、従来の小説を成立たせてきた人間の内面が全く欠落――いや、排除されているのに私たちは気付く。彼の作品は、その文学観通り、「世界と精神についてのいかなる観察」も含まず、「まったくの想像から生れた組合わせ」だけに終始している。
 内面を排除するのは、それが現実へと通じる堀抜き井戸だからだ。そのへんに手をつけるならば、あたり一面、現実の汚水で水びたしになるだろう。ルーセルの現実嫌悪は徹底していて、嫌悪という段階を通り越してしまっている。」



「レーモン・ルーセルの演劇」より:

「ルーセルは、人間に全く関心を抱いていなかった。いや、近代が生み出した人間という観念に、と言った方が正確かもしれない。自我と自我とのあいだに生れる心理の交錯や劇的葛藤は、彼の眼中になかった。ミシェル・レリスの証言によれば、ルーセルは、「心理劇、思想劇には怖気をふるった」(「レーモン・ルーセルに関する資料)という。その点で、ルーセルの演劇は、彼が愛した人形芝居、妖精劇、ヴォードヴィルの世界に近い。
 ルーセルにとって重要なのは、物であり、それをめぐる挿話であって、人物は、主役であろうと、二次的な役割しか与えられていない。」

「彼は、現実からは隔離された場所で、現実とはかかわらないもの、現実にはありえないものを見ようとする。
 彼の処女詩集『眺め』(一九〇四)は、その点で表題も内容も象徴的である。彼はその中で、ペン軸の先のガラス玉の中に入っている避暑地の海岸の小さな写真や、レターペーパーの上部の模様や、ミネラルウォーターの瓶のラベルをひたすら描写し続けるのだが、それは、なによりも現実とはかかわらないためなのだ。」



「ルーセル=ルソー」より:

「現在、多くの作家は、系譜から出発している。彼らは、先行する文学、とりわけ直前の世代の文学に対して、まず自分の位置を定めることからはじめる。そうして、こうした過去の遺産に、自分が何をつけ加えることができるかを問う。この問いに答えを出さないかぎり、彼らは一行も書くことができない。絵画や彫刻、いや、すべての芸術において事情は同じだ。即ち、誰もが新しくならねばならないのである。
 ルーセルとルソーのありようは、こうしたありようとは全く違ったものだった。二人には、この種の批評意識は全くない。二人はともに、既成の作家たちにほとんど盲目的と言っていい崇拝を捧げ、同時代の新しい動きには、ほとんど関心を払わなかった。」
「ルーセルもルソーも、文学史、美術史の中で系譜を持たない。
 それは、彼らが系譜から出発しなかったからである。彼らが作品を創ったのは、幼児が、積木や玩具によって、共有の垢にまみれることのない、自分ひとりきりだけの隠れた世界を作り出すことを夢み、大人が、庭園という形で、日常の蕪雑から離れた、心休まるひとつの小さな宇宙、ささやかな楽園を所有することを望むのと全く同じ本能に促されてのことであった。彼らの作品にあのように高い密度を与えたのは、この本能の異常な強さであり、それと裏腹の、現実に対する深い嫌悪である。現実になにひとつ望みを託することができなかったゆえに、彼らは、作品というもうひとつの現実をどうしても作り出さずにはいられなかった。
 現実とのかかわりについて言えば、ルーセルは、長い間精神病医ピエール・ジャネの診察を受けた鬱病を患う同性愛者だったし、ルソーは、学校でも、軍隊でも、職場であったパリ市入市税関においても、皆から馬鹿にされる無能者だった。ちなみに彼は、六年いた軍隊では、最後まで二等兵のままであり、二十年間勤務した入市税関では、わずか一等級昇進しただけだったのである。」
「この世の現実にかわるもう一つの現実を創造しようという彼らの欲求の強さを端的に示しているのは、彼らの作品に見られる細部表現のおどろくべき執拗さである。作品が現実とかわるためには、現実と同じだけの無数の細部を持ち、その細部は、現実以上の密度と、強い形体と、鮮やかな色彩と輝きとを獲得しなければならない。彼らがそうした細部を望むのは、作品の効果のためなどでは少しもなく、ただただ、このような世界の中で生の充実を味わいたいからなのである。」

「二人の行動の大方を支配しているのは、強烈な幼児本能である。彼らは、終生幼児の無垢とエゴイズムを失わなかった。」



「アディノルファの新たな発見」より:

「その村には、テラニ族という、きわめて美しい黒人の部族が住んでいた。いつものように私は、手はじめに死者に対する彼らの信仰を調べてみて、彼らが、左の二番目の肋骨を魂のあり場所としているのを知った。誰かが死ぬと、彼らは、この肋骨をとり去り、はしからはしまで入念にくりぬいて、それを中空にした。そしてそのあと、Bと呼ばれている、きわめて平坦で吹きさらしの広い原へ赴き、そこで地面に杭を打ちこみ、接着液を用いて、一方のはしが水平に東に向くように、杭の頂部にその肋骨を固定するのだった。ところでこのBという原には、杭の頂部に同じように固定された無数の肋骨が、見渡すかぎり続いていた。杭は、その間を自由にまわって歩けるよう十分間隔を置きながらも、整然と、きわめて互に相接して並んでいた。その肋骨は、いずれも、部族の死者の左の二番目のものであり、杭には死者の名を示す文字が刻まれていた。(中略)肋骨が広大な原をこのようにおおいつくすまでに到ったのは、長い年月をかけてのことにちがいなかった。
 ところで東風が吹くと、ひとしなみに同じ方向をむいているこれらの肋骨は、よく音のひびくラッパに変じ、異様な音をたてた。実際風は、水平にその方に向いている一方のはしの口から中に入りこみ、湾曲して垂直に天頂にむいている他方の口から出ていった。そしてこれらの音は、話しかける魂の声なのだった。」



























































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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