有田忠郎 『異質のもの』

「聖杯探求および円卓騎士団という形で中世に現われたこの神話は、背後に現代の現象の最も典型的な様相の幾つかを対応物として持っており、シュルレアリスムはその一つなのだ――ジュリアン・グラックはそう考える。換言すれば、シュルレアリスム運動を現代における聖杯探求の一形態と見ているのである。」
(有田忠郎 「シュルレアリスム・聖杯探求・錬金術をめぐるノート」 より)


有田忠郎 
『異質のもの
― 感性の接点を求めて』


牧神社 
1975年7月31日第1刷発行
242p 
21×13cm 
並装(フランス表紙) 機械函 
定価1,200円



本書「あとがき」より:

「本書に収めた文章のうち、最も古いものは昭和三十五年、最も新しいものは昭和四十八年に書かれている。十数年にわたって書きついできたものの中から選んで一冊にまとめたわけだが、取捨選択や配列については、もっぱらその年月のあいだ私を導いてきたひとつの関心に沿って行なった。」
「収録した文章を書いている間、しばしば読み返して糧とも杖ともしたのは、深瀬基寛氏の著作と訳業であり、ついで吉田健一氏の文学論(とくにその近代観)であった。」



有田忠郎 異質のもの 01


目次:

ポール・ヴァレリーの文明論をめぐる註釈的考察
 「精神の危機」
 「失われた酒」
 レオナルド・ダ・ヴィンチ
 持続
 分離
 源泉の回想
 近代の系譜
詩の位置
 はじめに
 ヨーロッパ的風土をめぐって
 呪術と神話をめぐって
 詩的神話の回復――詩と宗教をめぐって(1)、(2)
 詩とエロス
 エロスと悪魔
 「なる」ことと「する」こと(1)、(2)
 自然の道と創造の道(1)~(4)
 詩と伝統について(1)、(2)
 おわりに
異質のもの 
 秋の歌
 流謫
 遠い国から
元素と変容――ある詩人誕生説話をめぐって
シュルレアリスム・聖杯探求・錬金術をめぐるノート

参考文献
あとがき



有田忠郎 異質のもの 02



◆本書より◆


「異質のもの」より:

「ヨーロッパ文化の呪縛とは何か。簡単に言えばそれは、原罪の暗い教義によって自然に対するギリシア風の明るい肯定を封じられたこと、また科学によって自然がすべて観察や人工的操作の対象として、無機物化・機械化され、自然自体の生命が圧殺されたことなどが挙げられましょう。精神と自然との間のこの長きにわたる遮断、両者の直接交渉の欠如がランボーに至ってもののみごとにひっくり返されてしまったということ、そこに由来する衝撃的な開放感を想像しないままでランボーの感動を追体験することは、私たちにとって厳密な意味では不可能ではないかと思うのです。ヨーロッパ人の場合、この遮断は日常の経験の中に血肉化され、自然に関する彼らのイメージの性質を決定しているのでしょうが、彼らにとっての日常性を、私たちは知的操作を通して間接的に再構成することによってしか手に入れることができない。私たちの自然体験との間にある距離を埋める必要から、そうした操作が強いられるわけです。回帰する四季の中に生滅するささやかな事象と共に流れ行く生命の無常感に浸されて来た私たちには、精神と自然とのきびしい対決から生まれた西欧文化の秩序の問題が私たち自身のそれとは異質のものとして迫って来るものである以上、それは仕方のないことですし、そうした異質性を手掛りとして西欧的なものの問題点の所在を見ぬくには、かえって私たちの方が有利だとも言えるでしょう。」


「元素と変容」より:

「タリエシンの生誕寓話が、たとえばエジプトのオシリス神話、フェニキアのアドーニス神話、ギリシアのディオニューソス神話などと同じパターンを持つことは、容易に見てとれる。いずれも本質的には植物の精霊であり、大地にひそむ種子であって、慈雨を得て再生し、繁茂し、時がくればまた枯死しなければならない。」
「さて、しかしグウィオン・バハはタリエシンの名を与えられて新たな生命形態を得るに先立って、自然の諸元素(地・水・風・火)の中をくぐりぬけ、死の手に追跡されながらさまよわねばならなかった。すなわち死―復活は、魂と肉体に対して一挙に与えられるものではなく、度重なる転身と世界内部での遍歴という試煉を通じて、その揚句に許されるものであった。これが、植物神話に続く第二のパターンとしての秘儀伝授(イニシアシオン)の形態なのである。秘儀伝授には必ず試煉が伴い、一つの試煉ごとに、魂は古い存在から脱皮して新たな存在の層へと転身して行くのである。」
「グウィオン・バハにとって、地・水・風・火は、自然的宇宙の元素から死―生命の劇が行なわれる舞台に転化した。(中略)しかし各元素の段階が試煉とイニシアシオンの道程であり、イニシアシオンとは鎖された世界・隠された道への導きなのだから、これら元素が構成する宇宙は一つの迷宮以外のものではない。そこにあるのは、もはや枯死と発芽の植物神話ではなく、迷宮内部での流浪――それが暗示する魂の試煉と浄化の劇なのである。
 この迷宮を行く旅の最後の一歩は、タリエシンが皮袋に入れられ海に投じられたという説話であらわされている。この説話は、おそらく古代からあった慣習に対応するものであろう。マリ・デルクールによれば、ある不吉な星のもとに生まれた子を大地に触れさせないのは、古く各地に見られる慣習であったという(バシュラール『水と夢』から)。人々は、彼が大地を汚し、その呪われた運命によって大地の豊饒な生産力を弱めることを恐れたのである(これは倒立した植物神話と見なし得る)。彼は生まれるとすぐ小舟に乗せられ、海または河に流される。水は勢烈しく流れ行き、渦を巻き、やがて小舟もろとも幼児を呑みこんでしまうであろう。
 幼児が小舟に乗せられて冥界(迷宮の奧?)へと流されるところから、この舟は柩と等価値ではないかと考えられる。舟・柩――その材料となるのはむろん木であるが、古代ケルト人の間では、他民族と同様樹木崇拝の風習があった。ドルイド僧は森を寺院とし、宿り木に特殊な信仰を寄せたことが知られている。ところで、この樹木崇拝と死者の魂に関して、サンチーヌはおよそ次のように語っているのである(バシュラール・前掲書から)。
 人間は、生まれた時から植物の精霊と結ばれ、それぞれ固有な守護の樹木を持っていた。彼が死ぬと、その樹木は伐られくりぬかれ、彼はその穴に横たえられる。つまり守護の樹木がそのまま柩となるわけである。柩は火に焼かれ、あるいは地に埋められ、または海や河の水に流される。また柩を作るかわりに、死者を当の樹木の梢で直接風にさらし、鳥に啄ませた地方もある。
 このように、死者は儀式の様態に従って、地・水・火・風という自然の四大元素のいずれかに委ねられた。彼の魂は、かくてどの元素かを経由して自然の中に帰ったのである。だが、死者が横たえられた柩―樹木は、彼が生まれた時から同じ精霊を共有し、いわばもう一つの彼自身ともいうべき存在であった。したがって、死者は柩の中に横たえられることによって精霊の母胎に帰るわけである。さらに、この柩が小舟となって海や河の水に浮かべられる時、守護精霊の力は倍加する。なぜなら、水――この養いの液体は、母なる物質であり、生のシンボルなのだから。こうして死者は樹と水という二重の母なる守護の力を得て、迷宮の暗黒を横切り、おそらくはそこで死から浄化され、再び生の世界にもどってくるのである。」





















































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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