種村季弘 『ナンセンス詩人の肖像』 (ちくま学芸文庫)

「すべてのものが顛倒する美しい災害の日に、詩人はあたかも黙示録の終末の日の天使たちのように、嬉々として恐怖に戯れている。天使と詩人はあべこべの世界にいささかもたじろがない。裏表があべこべになり、恐怖が魅惑に、混乱が美に感じられる感受装置が、彼らのもち前だからであろう。」
(種村季弘 『ナンセンス詩人の肖像』 より)


種村季弘 
『ナンセンス詩人の肖像』

ちくま学芸文庫 タ-4-1

筑摩書房
1992年12月7日第1刷発行
369p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,100円(本体1,068円)
装幀: 安野光雅
カバー・デザイン: 野中ユリ



本書初版は1969年9月、竹内書店刊。「現代詩手帖」昭和43年4月号から44年6月号にかけて13回にわたって連載されたエッセイに、単行本化にあたって註と、ナンセンス詩小アンソロジーが付されている。
増補改訂版は1977年9月、筑摩叢書の一冊として刊行。「キャロル再訪」(「別冊現代詩手帖」1972年6月)と「文法の戦争」(「言語」1975年2月号)を増補し、本文補遺に大幅に手を加え、「増補改訂版あとがきに代えて」に「ナンセンスは流行したか」(「朝日新聞」1976年3月16日夕刊)を収録。

本書は筑摩叢書版の文庫化。本文中図版多数。


種村季弘 ナンセンス詩人の肖像 01


帯文:

「言葉たちの
愉快なたくらみ」



カバー裏文:

「呪文や語呂合わせ、吃音、言い間違いなどに潜む創造性。「無意味」によって言語秩序の顛覆をたくらみ、新しい言葉の宇宙を表現した近代の詩人たち、ルイス・キャロル、エドワード・リア、モルゲンシュテルン、ハンス・アルプらの魅力溢れる生涯と作品を紹介する。ナンセンス詩のアンソロジーを併録。」


目次:

1 鏡の中の言葉
2 詭弁・謎・アディナタ
3 迷宮言語と言語遊戯
 補遺 アブラカダブラについて
4 グロッソラリー・狂人詩・共感覚
5 鼻をにくむ男 エドワード・リアの場合
6 ポエジア・アルファベティカ あるいは失語症の鸚鵡について
 補遺 呪文について
7 奇妙な動物誌
8 どもりの少女誘拐者 ルイス・キャロルの場合
9 キャロル再訪 遊戯の規則
10 人間のなかの子供のために Ch・モルゲンシュテルンの場合
11 文法の戦争
12 冗談、諷刺、反語、ならびにより深い意味 Ch・D・グラッベの場合
13 賽を投げる男 ハンス・アルプの場合
14 数と時間構造
15 言葉の瞞し絵 パロディについて

ナンセンス詩アンソロジー
 ドメニコ・ディ・ジョヴァンニ(イル・ブルキエロ) 「ソネット」
 ウォルフガンク・シュメルツル 「ネモ(誰でもない男)」
 アーダルベルト・フォン・シャミッソー 「悲劇的な物語」
 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 「腹が立つこと」
 テオドール・シュトルム 「猫について」
 フリードリヒ・テオドール・フィッシャー 「父と子」
 マーク・トウェイン 「あるインタヴュアーとの出会い」
 クリスチアン・モルゲンシュテルン 「ため息」「漏斗」
 カール・ファレンティン 「首尾一貫した事故」
 ハンス・アルプ 「平べったい鉛色の雲」
 クルト・シュヴィッタース 「詩 25」
 ペーター・パウル・アルトハウス 「エンツィアン博士」
 フィリップ・スーポー 「十字路」「ムッシュ・プピネ」
 ヴォルフディートリヒ・シュヌレ 「精神分析学」
 フランツ・モーン 「無題」
 ギュンター・グラス 「海戦」
 ペーター・オットー・ホチェヴィッツ 「旅行」
 ゲルハルト・リューム 「ファビアン」
 フーベルト・ゲルシュ 「これ、何だろう」
 トマス・シュミット 「バケツ(あるいは壜)のための循環リレー」
 民謡 「蛙」

旧版あとがき
増補改訂版あとがきに代えて ナンセンスは流行したか

解説 言語の典麗な捏造 (藤富保男)



種村季弘 ナンセンス詩人の肖像 02


口絵は野中ユリによるコラージュ。ナンセンス詩人群像。幼い著者の姿も。



◆本書より◆


「鏡の中の言葉」より:

「ナンセンスの構造には、そもそもあまねく逆説が支配しているようにみえる。近代におけるナンセンスの宝庫が英国にあることには誰しも異論の余地はないであろうが、このナンセンスのふるさとは、いうまでもなく、なによりもまずコモン・センスの国であった。逆説はすでにはじまっている。かつてゲーテはエッカーマンとの対話のなかで、「英国人はどこまでも非の打ちどころのない人間だ。非の打ちどころのない愚者さえなかにいる」と語ったことがある。事実、アングリカン正教会コンフォーミズムと慣習護持の島は、同時にもっとも極端なアウトサイダー、奇人、愚行の主、アマチュアを生んだ国でもあった。「ユートピアの市民たちは愚者をよろこぶ」と語ったトマス・モアから「無意味の擁護」に参じたG・K・チェスタートンにいたるまで、古来、英国人はナンセンスや奇行の比類ない愛好家だったのである。
 英国流ナンセンスの逆説的構造を端的にしめしている例は、ジョナス・ハンウェイの場合である。ハンウェイの奇行は、たまたま今日では英国紳士の二大習慣として知られているお茶と雨傘の習慣にかかわっている。ジョナス・ハンウェイの生きていた時代は、おりしも茶の輸入がようやく盛んとなり、ティー・タイムの習慣が流行しはじめていたが、この頑迷固陋の人物は、厳格な道徳的宗教的考慮にもとづいて、あらゆる旧来の良風美俗を頽廃せしめるように思える新しい悪習に真っ向から非難を浴びせた。ここまでは旧来の慣習に忠実な非の打ちどころのない英国人であったが、驚くべし、同じ人物がある日、これまでは日傘としてしか使われていなかったアンブレラを雨傘として使うという、画期的な着想に襲われたのだった。
 奇怪な逆説ではあるまいか。英国ブルジョアジーの二大象徴たるお茶と雨傘は、こうして、一方に反対し一方を発明したひとりの奇人において呉越同舟の観を呈したのである。まさにフーゴー・レッチャーの述べるように、「慣習の側から考えるとき、彼は笑いものになり、みずからを笑いものにしたとき、彼は慣習を創始した。一方にとって世界の辺境(はずれ)であるものが、他方にとっては中心なのである」。
 センスとナンセンス、中心(センター)とエキセントリックなものとの弁証法がこれほどあざやかにしめされている場合もめずらしいだろう。ついでながらここで、「あらゆる英国人がひとつの島である」と語った、英国人に関するノヴァーリスの有名な定義を思い起こしておくのは無駄ではない。なぜなら、あらゆる島は中心と辺境という相反する二つの極性を同時にそなえているではないか。(中略)しかしなによりも、J・S・ミルのような人が奇行やナンセンスを称揚し、あまつさえ挑発的な煽動までおこなうのを眼のあたりにするとき、ひとは逆説の白眉たるものをそこに認めないわけにはいくまい。
 「よしんば世人が、われわれの行状を痴呆的であるとか、あべこべであるとか、にせものであるとか考えたがろうとしたところで、われわれの生活形成は完全に自由なのだ」。
 「現今の時勢にあたっては、非画一主義(ノン・コンフォーミズム)の事例、習慣に膝を屈しまいとする拒絶だけで、すでにそれ自体有益な行為なのである。まさに世論の専制が奇行に非難を浴びせているがゆえに、奇行によってこの専制を踏破する奇矯な人間が存在していることが望ましいことなのである」。
 領地(ドメイン)の孤立と遠洋航海の冒険につちかわれたジョン・ブル気質は、かくてその極端な自我中心主義の表現として、ナンセンス趣味を洗練しきったかのごとくである。」
























































































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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