多田智満子 『魂の形について』 (白水Uブックス)

「ニーチェが告げたように神が死んだのであるなら、神と共に霊魂もまた滅んだといえるのかもしれない。おそらく私たちは、昔の人々が生きていたのと同じようには、生きていないのであろう。私たちは霊魂ぬきで生活している。少くとも、霊魂をもたぬかのように、生きているのである。」
(多田智満子 『魂の形について』 より)


多田智満子 
『魂の形について』

白水Uブックス 1035 エッセイの小径

白水社
1996年3月15日 印刷
1996年3月25日 発行
178p 
17.6×11.2cm 並装 カバー 
定価960円(本体932円)
ブックデザイン: 田中一光
カバー絵: ラー=オシリスの細部、ネフェタリの墓



本書「あとがき」より:

「本書は同人誌『饗宴』(書肆林檎屋刊)の二号から八号まで七回にわたって連載したエッセイに多少の筆を加えて、ささやかな一本にまとめたものである。
 もとより学問的な文章ではなくあくまで詩人的な考察であるから、つねに自分自身の無知から出発するよう心がけた。主題の性質上、折にふれて民俗学、神話学等の文献を援用したのは、自分の無知を補うためでなく、むしろ自分の無知の輪廓を明らかにするためである。」



「新版刊行にあたって」より:

「長らく品切れになっていた小著が、このほどUブックスの一巻として再び日の目を見ることとなった。このさい、意に満たぬ箇所を多少とも補うつもりで、本文の数ヶ所に手を入れた。」


初版単行本は1981年10月、白水社より刊行。
本文中図版(モノクロ)2点。


多田智満子 魂の形について


帯文:

「神が死んだのであるなら、神とともに
「魂」もまた滅んだといえるのだろうか?」



帯背:

「魂の形態学」


カバー裏文:

「三次元の存在であるわれわれには、より高次の存在である「魂」はイメージできまい。しかし、古来、この不可視なものに形を与えようとしてきた人間の創造力には興味がそそられる。高名な詩人である著者が詩人らしいひらめきを自在にはたらかし豊かな連想をくりひろげながら、魂の秤、心臓としての蓮華など、古代から人びとが抱いてきた魂のさまざまな形象を綴った「魂の形態学」」


目次:

1 たま あるいは たましひ
2 何を以て羽翼有るや
3 白鳥 黒鳥
4 漂えるプシュケー
5 オシリスの国
6 ラーの舟
7 蜂蜜あるいはネクタル
8 魂の梯子と計量
9 心臓から蓮華へ

あとがき (一九八一年盛夏)
新版刊行にあたって (一九九六年正月)




◆本書より◆


「1 たま あるいは たましひ」より:

「霊魂について語るといっても、もちろん宗教にかかわるわけではなく、また、哲学的な問題に立入るわけでもない。ここで話題となるのは魂そのものではなく、魂の形である。というよりはむしろ、昔から人々が魂なるものを、具体的にどんな形で表象してきたか、ということである。そして具体的にとは、つまり、丸いとか、羽根が生えているとか、あるいは形がなくて風のようだとか、そういう単純な意味だと考えて頂いて差支えない。また、形はおそらく質料(ヒュレー)に対する形相(モルフェー)の意味であろう、と深読み、あるいは誤解して頂いてもまた一向に差支えない。」

「むしろ私たちは未開人にたずねなければならないだろう。未開人あるいは古代人から、彼等が魂についてどんな表象をもっていたかをきき出さなければならないであろう。彼等こそは、ひとりひとりが、未だ抽象もされず捨象もされぬ、感じられるがままの生きた魂の専門家であったのである。」



「3 白鳥 黒鳥」より:

「一般に古代人は鳥を魂の姿あるいは魂のにない手と見たが、とりわけ霊性においてすぐれているのは水鳥であった。」

「なぜ千鳥がすぐれて魂の鳥であるのか、素人なりに考えてみたが、水鳥である上に夜啼くという習性が神秘感をもよおさせるのであろう。池田弥三郎氏のことばを借りるなら、「鳥はただの動物ではなかった。それは霊魂の保持者であり運搬者であった。又呼びたて鳴きたてて、鎮まっている人の霊魂を誘い出す動物でもあった」。
 とすれば、死者の霊魂を誘い出すのにふさわしい夜、しば鳴く千鳥の声は古代人に神秘と畏怖の念をよび起さずにはいなかったであろう。
 ところでなぜ水鳥がとりわけ魂の鳥なのか? すでに学者の説があるかもしれないが、私が私の無知から出発して考えたところでは、海あるいは水というものの神秘さがこの観念の背景になっているように思う。

  地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
                                     『旧約聖書・創世記』

 天地創造以前の世界のありさまである。ここで日本古代とかかわりのないヘブライのコスモゴニアをもち出したのは、不定形なゆれうごく水、生命発祥の源である水が、古代人にとって神の霊におおわれ、神秘的な微光を放ちつつ闇に沈んでいるものであった ――この底しれぬ感覚の普遍性を指摘しておきたかったからにほかならない。
 水ははぐくみ、育てる、と同時に、押し流し、溺れさせる。浮かべ、漂わせるが、窒息させ、沈めもする。とりわけ海流にかこまれた島国日本では、水は常世(とこよ)国へ渡るわだつみの水である。母胎の羊水であると同時に、黄泉の水でもあるのだ。そしてその水にただよい、潜る鳥は、なみの鳥の天翔けるふしぎさの上に、もうひとつ、あの世の岸をあらう水の消息に通じているというふしぎさをそなえている。地に縛られた人間からみて、水鳥は天界と地界を往還しうるのみならず、水界へも入りこむことのできる特権的な鳥なのである。鳥の自在さ、とりわけ水鳥の自在さこそ、まさしく肉の束縛を離れた魂の自在さに照応するものであったろう。」



「9 心臓から蓮華へ」より:

「しかし魂について人が想いめぐらすことは、みな夢のように根拠がなく、夢のように真実なのではあるまいか。古風な実体的「霊魂」が、機能的な「精神」からみすてられた後にも、ブラフマン的アートマン的霊魂が否定される理由はない。なぜかといえば人間は偶然の組立てた機械ではなく、その存在は全宇宙を反映しているからである。天地を循環する水で身を養い、風を呼吸し、眼に星辰を映し、そして見えないものについて想いをめぐらすかぎり、人は無辺際の虚空を蔵した存在でありつづけるであろう。人はみな、ひとりひとりがつかのまの原人(プルシャ)なのである。」


















































































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